翌朝。

 ベッドの上で目覚めた俺は、リュシアにぎゅっと抱き締められていることに気づいた。

「は…………?」

 思わずそうぼやいてしまう俺。

 いやいや。

 おかしいぞ。

 たしかに彼女とは同じ部屋に泊まることになったが、ベッドはきちんと二人分あったはずだ。

 そして昨日は間違いなく、俺たちは別々のベッドで眠りについたはずだ。

 にもかかわらず、どうして今、俺はリュシアに抱きつかれているんだ……!?

「パパ……パパ……」

「ぐっ……。俺を団長と勘違いしてるってことか……!」

 昨日の話を聞いた手前、リュシアが《闇夜の黒獅子》の団長に甘えたくなる気持ちはわかる。

 けれど──俺はあくまでアルフ・レイフォート。

 気持ちよく眠っている彼女を起こすのは忍びないが、だからといって彼女に抱きつかれたままでいるのはあまり褒められたものではない。

 ここはそっと起こすしかないか……。

「パパ……どうして、どうして帰ってこないの……?」

「…………っ」

 しかしリュシアの切なげな声を聞いて、俺は押し黙ってしまった。

「ねえ、早く帰ってきてよ……」

「団のみんなも、本当はパパを心配してるんだよ……?」

 そう呟くなり、さらにぎゅううっと俺を抱き締めてくる。

 ただ甘えているんじゃない。

 彼女は泣いていた。

 起きている時はじょうに振る舞っていた彼女だが、夢の中では赤子のように泣きじゃくっていた。

「…………はぁ、さすがに仕方ないか……」

 さすがにこの状態で起こすのは、あまりにもというもの。

 俺は彼女を起こさないよう、再び眠りにつくのだった。


 それからさらに数時間後。

「…………ん」

 不思議な寝相をしているようで、俺が再び眠りについている間に、リュシアは元のベッドに戻ったようだった。

 俺とほぼ同時に目覚めたリュシアは、

「あ、おはようございますアルフさん! 同じタイミングで起きましたね!」

 と、はにかむような笑顔を浮かべてみせた。

「あ、ああ……。おはよう」

「あれ? どうかされたんですか? アルフさん」

「いやいや、なんでもない。リュシアはよく眠れたか?」

「はい、それはもうぐっすり! 夢の中でパパに抱き締められて……『俺は大丈夫だから』って言ってました!」

「はは……それなら何よりだ」

 一時はどうなるかと思ったが、起こさなかったのは彼女のためになったようだな。

 さすがにあの体勢で二度寝するのはつらかったが、頑張った甲斐があるというものである。

「あ、そういえばアルフさん。一つ思ったんですけど」

「ん? なんだ」

「もしアルフさんの正体を隠したいなら、人の前で『アルフさん』って呼んだらまずいですよね。なんて呼んだらいいですか?」

「おっと……たしかにそうだな」

 まずい。

 何も考えてなかったぞ。

「ん〜、そうだな。リュシアはどんな名前だと呼びやすい?」

「えっ、そうですね。う〜ん」

 だからとりあえずリュシアに投げ返してみたんだが、思いがけず真剣に考えてくれた。

「そうですね。アールさんってのはどうでしょうか」

「なるほど。アールさん……」

 まあ、どうせ偽名なんだし、特別にるようなセンスなんていらないしな。

 アールなら元の名前と近いわけだし、そのぶん俺自身も《自分のことを呼ばれている》と認識しやすいだろう。

「うん、いいと思う。今後、外では俺のことをアールさんって呼んでくれないか?」

「えへへ、わかりました。採用されて良かったです……!」

 そう言って純粋な笑みを浮かべるリュシアだった。


 というわけで。

 部屋の中で簡単な朝食を済ませた俺たちは、そのまま皇城へと向かうことにした。

 やはりヴァルムンド王国からの宣戦布告は相当の影響力になっているようで、物々しい装備を身に着けた軍人たちが、帝都のいたる所に見受けられるな。

 いくら住民たちが明るい雰囲気を出そうとしていても、あくまでそれはそれ

 帝国軍もまた、自分たちの故郷を守るために必死なのだと思う。

「うわぁぁああああ、大きい……!」

 そして歩くこと数十分、俺たちはついに皇城の手前に到着した。

 リュシアの感想通り、かなり巨大な建物が目の前で威容を誇っている。

 赤と黒を基調にしたデザインで、左右に視線を向けても皇城の端が見当たらない。

 聞いた話だとかなりの数の部屋が皇城内に存在するようで、その影響で横に大きい構造になっているのだとか。

 そして当然というべきか、この近辺の警戒が特に厳しい。

 表通りと比べて軍人の数が桁違いに多いし、何より練度の高そうな連中ばかりが警備にあたっているっぽいな。今回はラミアからの手紙があるからいいが、手ぶらで来たらまず間違いなく帰らされそうだ。

「あの、すみません」

 とりあえず、俺は皇城の門番をしている兵士に声をかける。

「皇帝陛下に謁見しにきたんですが、通していただけますか?」

「なんだと……? この時勢にか」

 兵士の厳しい視線が俺に突き刺さる。

「名を名乗れ。今の治安で怪しき者を皇城に通すわけにはいかん」

「…………」

 そこで押し黙る俺。

 偽名を使ってもいいかと一瞬思ったが、おそらくそれは悪手でしかないだろう。

 ラミアの用意した〝謁見要請書〟には俺の名前が書いてあるので、偽名を使えばほぼ確実にトラブルになるからだ。

「アルフ・レイフォートです。ヴァルムンド王国から来ました」

「は……?」

 さすがに予想外だったのだろう。

 門番は眉をひくつかせると、改めて俺の全身を見回した。

「なるほど。たしかに〝映像〟で見た青年の姿か……」

「はい。本日はファグスティス皇帝陛下に謁見させていただきたく参りました」

「ふむ……」

 門番は仲間同士で視線を合わせると、数秒後に俺を見つめて言った。

「貴殿がいなくば、我が国は文字通り火の海と化していたかもしれん。その点は礼を言わせていただきたい。心より感謝している」

 深々と頭を下げる門番兵たち。

 正直なところ、もう少しつっけんどんな対応をされると思っていたんだけどな。国境にいた門番兵がうまいこと気を利かせてくれたということか。

「国境門からの連絡で、ヴァルムンドの王家からの〝謁見要請書〟があると聞いているが」

「ええ。お見せします」

 俺は懐から一枚の紙を取り出し、それを門番兵に提示する。

「…………」

 門番兵はそれを数秒確認したあと、深く頷いて紙を返してくれた。

「入ってよし。この時勢で外国の者を入れることは特例中の特例だ。どうか身を慎んでくれよ」

「はい、ありがとうございます」

 前は広範囲に俺の顔が知られるなんて、ただ厄介なことになるだけだと思っていたけどな。

 いざこうしてルズベルト帝国に訪れてみると、案外そうでもなかったようだ。この門番兵の様子だと、おそらくヴァルムンド王国の人間というだけでは否応なく帰らされていただろうから。

「行くぞリュシア。そうのないようにしてくれよ」

「は、はいっ……!」

 ガチガチに緊張しているリュシアを引き連れて、俺はそのまま皇城の中へと足を踏み入れる。

 透明感ある大理石の上に敷かれた赤じゅうたんに、天井から吊るされている豪勢なシャンデリア。壁面には何やら魔法陣のようなものが浮かび上がっていて、それが神秘的な金色に輝いている。

 俺も剣帝候補として、ヴァルムンドの王城には何度か足を運んだことがあるが……。

 ルズベルト帝国の皇城もまた、それとは引けを取らないくらいに豪勢な造りをしているな。

「アルフ殿ですね。どうぞこちらへ」

 内装を見回していると、またしても兵士と思われる人間が俺に声をかけてくれた。

 いくら俺がフレイヤ神を倒した者といえど、さすがに皇城内で自由にはさせてくれないようだ。

 まあ……皇族が住む城なのだから当然だろう。俺としても、こんな広大な皇城だと迷子になってしまいそうだし。

「こちらです」

 少し歩いたところで、俺たちは巨大な二枚扉の前まで案内された。

 他の扉よりも明らかに装飾が豪勢なので、否が応でも、ここが謁見の間なのだと伝わってくる。

「……言うまでもないと思いますが、不安定な国際情勢です。くれぐれも粗相のないようにしてくださいませ」

 案内役の兵士はそう忠告すると、数度ノックしたのち、その二枚扉を開け放つ。

「わぁ……」

 そしてその先に広がっている光景を見た時、リュシアが感嘆の声をあげた。

 皇城の入り口も豪勢な内装が施されていたが、やはり謁見の間となるとその比ではない。

 床はきんぱくで装飾がほどこされた大理石で、その上に紅の絨毯が敷かれている。そしてその絨毯の先には──第五十四代皇帝ファグスティス・ギィア・ルズベルトの玉座。

 ヴァルムンド王国との不仲を取っ払い、新しい関係を築こうとする勢力……穏健派。

 それと反対に、徹底的に王国との関係を排除しようとする勢力……強硬派。

 当時は拮抗していた当時の強硬派にテコ入れし、今ではほとんど強硬派一強の状態を作り上げた、圧倒的手腕を誇る傑物だと聞いている。

 そしてひるがえせばそれは、現皇帝が王国をそれだけ敵視しているとも言える。

「……大丈夫だリュシア、普通に話せばさして問題はない」

「は、はいっ……!」

 リュシアが頷いたのを確認し、俺は絨毯の上を少しずつ進んでいく。

 そして一定の距離まで進んだあと、リュシアと共にその場にひざまずいた。

「突然の謁見を失礼いたします。私は──」

「まどろっこしい挨拶は不要。ヴァルムンド出身のアルフ・レイフォートに、《闇夜の黒獅子》所属のリュシア・エムリオットだな。話は聞いている」

 ……なるほど。

 俺たちがここに来ることは、すでに把握済みだったか。

「言っておくが、余計な気は持たぬことだな。おまえたちが不審な動きを見せた瞬間、すぐさま狙撃されるものと考えるがよい」

「…………」

 あまりにも唐突な牽制だったが、しかし皇帝の言っていることはハッタリでもなさそうだ。

 周囲を探ってみると、室内のあちこちから不穏な気配をいくつも感じる。弓か魔導銃、もしくは魔術師──どちらにせよ、遠隔で攻撃する手段を持つ者たちだろう。

 まあ、さすがに仕方ないか。

 もちろん良い気はしないが、相手は皇帝なのだ。万全な警備を敷くに越したことはないだろう。

「恐縮です。もちろん私もリュシアも、誓ってはかりごとをしているわけではありません。信頼するのは難しいかもしれませんが、それだけはせめてお伝えさせてください」

「ふ、どうだかの」

 そう言ってため息を吐き、皇帝は玉座の肘当てで頬杖をつく。

「貴殿はたしかに我が国を救ってくれたが、だとしても、貴国は取り返しのつかないことをしてしまった。我が栄誉あるルズベルトに対し、愚かにも宣戦布告をしてみせたのだからな」

「…………」

「ふ、まあ貴殿は一介の冒険者。錯乱した王の詳細など知るよしもないか」

 ファグスティス皇帝はふっと鼻で笑ってみせると、数段上の玉座から俺たちを見下ろして言った。

「それで、いったいどんな用かな。長い時間は確保できないゆえ、単刀直入に申せ」

「承知いたしました。用件は、ここにいるリュシア・エムリオットの身内の話です」

「……ほう」

「つい一カ月ほど前、《闇夜の黒獅子》の団長が姿を消したそうでして……。その際、帝国にて《治癒神》と会いに行くというむねの発言をしていたそうです」

「…………」

「先の事件では、フレイヤ神の力によって各国に大きな被害が及びました。そのフレイヤ神と同格の力を持つ《治癒神》と、それに世界最強の傭兵団が関わっているとなれば……またきな臭い事件が起きないとも限りません」

「…………ふむ」

「ですからお聞きしに来たのです。《闇夜の黒獅子》の団長、および治癒神についてご存じのことはないかと……」

「なるほど。話はわかった」

 皇帝はふうとため息を吐くと、唐突に、ぎろりと俺を睨みつけた。

「であれば、貴殿らに話すことは何もない。とっととここを去れ」

「…………え」

「聞こえなかったのか。ここを去れと言っているのだ」

 その瞬間、周囲に潜んでいる刺客たちの殺気が増した。

 あと一言でも余計なことを言えば、その途端にでも狙撃されそうな殺気だ。

「…………」

 俺やリュシアの力であれば、あるいは刺客たちを退けられるかもしれない。

 だがここで事を荒立てたところで、なんの意味もなさない。

 ここは大人しく撤退するしかないか……。

「承知いたしました。貴重なお時間をありがとうございました」

「あ、ありがとうございました……!」

 俺の言葉に合わせて、リュシアがぺこりと頭を下げた。

 彼女もきっと聞きたいことがたくさんあるだろうが、さすがにここは自重すべきだと踏んだのだろう。これ以上は何も言わず、俺と共に、大人しく謁見の間を退室していった。