ひとまず、俺はリュシアを家に招き入れることにした。

 もちろん油断するわけにはいかないので、カーリアと共に警戒態勢を取ることには変わりないが……。

 家の前で泣かれてしまったら、さすがに放っておくわけにはいかないからな。

 さっき「ルズベルト帝国」と気になる言葉も発していたので、ここはいったん、落ち着いて話を聞いてみることにしたのである。

「す、すみません、いきなり抱きついてしまって……」

 そのリュシアは、頬を赤に染めてソファに座り込んでいた。

 一応出方をうかがってはいるが、いきなり襲いかかってくる様子はないな。まだ安心はできないものの、ひとまず敵意はないと思って問題ないか。

 カーリアも現在、しっかりとラミアを守るように警戒している。

 ひとまず俺は、この傭兵団員なる少女の応対に集中すべきだろう。

「い、いや、俺は大丈夫だが……。いったいどうしたんだ?」

「ぐす…。ごめんなさい。いちから順番に話しますね」

 よほどつらい気持ちを抱えているのだろう。

 リュシアは片腕で自身の目元を拭うと、改めて一同を見回して言った。

「さっきも言った通り、私とパパは《闇夜の黒獅子》に所属しています。幼い頃から戦場が身近にあって……このハルバードは、何度も死の危険から救ってくれた相棒です」

「…………」

 幼い少女とは思えぬ言葉の数々だが、ひとまず俺は傾聴に徹する。

「一月以上前のことで、私のパパがルズベルト帝国に行くと言い出しました。その理由は外部の方には言えませんが、精鋭の分隊を引き連れて帝国に向かったんです」

「ふむ…………」

 ヴァルムンド王国との亀裂が深まっている今、最強の傭兵団たる《闇夜の黒獅子》がルズベルト帝国に向かったのか……。

 まだ何の確証もない話ではあるが、きな臭い話ではあるな。

「でも、パパたちが一向に帰ってこないんです……! 帝国に向かってから、もう一カ月も経ってるのに……!」

「…………」

 おそらくだが、リュシアは傭兵である前に、一人の娘なんだろうな。

 彼女からは嘘をついているような悪意は感じられず、ただただ純粋に、俺を頼ってきたように感じられる。

 当初気配を消していたのも、たぶん他意があるわけではないんだろう。彼女はあくまで傭兵だから、ごく当然の行為として気配をひそめていたんだと思う。

「なるほど……。たしかにそれは不可解ですね」

 と。

 今まで黙って話を聞いていたカーリアが、ふいに口を開いた。

「エムリオットといえば《闇夜の黒獅子》の団長と同名……。つまりリュシアさんの父というのは、傭兵団の団長なのではありませんか?」

「あ、はい、そうです。パパは《闇夜の黒獅子》の中で一番強くて……。どんなピンチに陥ったとしても、絶対に切り抜けてきて……。そんなパパが一カ月も帰ってこないなんて、どうしても信じられなくて……」

 なるほど、そういうことか。

 俺も噂に聞いたことがあるが、《闇夜の黒獅子》の団長といえばかなりの達人らしい。

 冒険者のランクに置き換えれば──S以上。

 A程度のランクでは決して勝てるはずのない領域に立っていると、俺も聞いたことがある。

 そんな達人が、ルズベルト帝国に行ったきり帰ってこない……。

 たしかにこれは不可解以外の何物でもないな。

「すまない。一つだけ聞かせてほしいんだが……」

 リュシアの様子が落ち着いたのを見計らって、俺はそう切り出した。

「君の悩みはわかったけど、それでどうして俺を頼ってきたんだ? この村には冒険者ギルドもあるし、依頼をかけるならあっちだと思うんだが……」

「あ、えっと、それは……」

 リュシアは一瞬だけ迷ったように視線を彷徨さまよわせると、やがて意を決したように俺を見つめて言った。

「パパが帝国に向かう時、こう言ってた気がするんです。──治癒神とやらの力に触れてくる、って…」

「ち、治癒神だって……!?

 思いもよらぬ言葉に、俺は無意識のうちにラミアと視線を合わせていた。


 ──世界を支配せし邪神たちが再び猛威をふるい、世界を混沌の闇に包むだろう──


 たしか《エストリア大陸の詩》の中に、こんな感じの文章があったはずだ。

 ここに書いてある邪神の一柱こそが、まさに前述の治癒神……。

 どんな傷や病でさえもたちどころに癒やしてしまうという、まさに聖母のごとき神と聞いているが……。

「…………」

 正直、これは予想外だったな。

 もとより帝国の調査には乗り出していくつもりだったが、まさか事件のほうからやってくるとは……。俺としては話が早くて助かるけどな。

 邪神が関わってくるとなれば、俺に依頼をかけてくるのも理に適っているだろう。かのフレイヤ神との戦闘では、その戦いが広範囲に中継されていたようだし。

「わかった。その依頼、受けさせてもらおう」

「ほ、ほんとですか……!? ありがとうございます……!」

 俺の返答に、リュシアが嬉しそうに頬を綻ばせる。

「団のみんなにも相談したんですけど、パパに〝万が一のこと〟があるはずないって、みんな取り合ってくれなくて……。でもアルフさんが受けてくれるなら、こんなに心強いことはないです!!

「…………」

 まあ、現在は世界中が混沌に包まれている状態だ。

《闇夜の黒獅子》のように強い傭兵団ともなれば、その戦力を欲しがる国は多いだろう。

 今はその依頼を最優先に受けて、潤沢な資金を確保していく……。

 これ自体は何も間違った選択ではない。

 団長をあえて捜索しないのも、放置しているわけではなく、信頼の証ともいえるだろうからな。

「私、今回は嫌な予感がするんです……。最強のパパでさえ手に負えないような、とんでもない事件が起きてるんじゃないかって……」

「そうか……」

 治癒神に《エストリア大陸の詩》の予言まで絡んでいるのだ。

 リュシアの直感が当たっていてほしくはないが、可能性としては十二分に考えられるだろう。

「となると、これからどうするか。まさか今の情勢でルズベルト帝国に乗り込むわけにはいかないし……」

「──そしたら、それは私のほうで手配するよ」

 俺の呟きに反応したのは、第三王女ラミア・ディ・ヴァルムンド。

「国境門の通過と、ファグスティス皇帝へのえっけん。この二つを取り計らってもらえるよう、私のほうで文書を作っておくわ」

「おお……そっか。ありがとうラミア。お願いできると助かるよ」

 たしかにラミアほどの地位があれば、それも可能になるか。

 最初、ラミアが家に押しかけてきた時はどうなるかと思ったが、彼女がここにいてくれて助かった。

「えっ…………?」

 と。

 今のやり取りを聞いていたリュシアが、そのくりっとした瞳を大きく見開いた。

「ま、待ってください……。そんなことができるってことは、あなたってもしかして第三王女のラミア様……?」

「──リュシア殿、大変申し訳ございません」

 そう答えたのは、ラミアの前に立ちふさがるカーリアだった。

「失礼ながら、あなたは《闇夜の黒獅子》の構成員。今はどこの国と契約を結んでいるのか不明ですが、万一がありますため、私が護衛させていただいております。不快だとは思いますが、何卒ご了承ください」

「あ……はい。それは大丈夫です。今の私は何かの契約で動いているわけじゃないので、それだけは安心してもらえると……」

「そうですか。それが聞けただけでも安心ですよ」

 と言いつつも、カーリアはラミアの前から動こうとしない。

 ……まあ、仕方のないことだよな。

 ラミアは戦闘員じゃないし、万全を期するという意味ではカーリアが正しい。

 リュシアもこういった対応には慣れているのか、あまり気にしていない様子だった。さすがに団長の実力には及ばないだろうが、彼女もこの年齢にしてはだいぶ成熟しているようだな。

「うん、できた」

 ──数分後。

 さっきまでテーブルに向かっていたラミアが、二枚の紙をカーリアに差し出した。

「国境門にいる門番への通行依頼書と、それからファグスティス皇帝への謁見要請書。これがあれば、たぶん不自由しないんじゃないかな」

「うん。助かるよ……!」

 カーリア経由で書類を受け取った俺は、それを大事にふところにしまっておく。

 なんだかんだ、彼女がいてくれるおかげで本当に助かるな。

「…………どうするの、アルフ。もう行くの?」

「うん。案件も案件だし、リュシアの父親のためにも早めに行こうかなって思ってるけど」

「……そっか。わかった」

 カーリア越しに聞こえてくるラミアの声は、なぜか少し切なそうだった。

「そしたらしばらく会えなくなると思うけど……。どうか無事に帰ってきてね。絶対だからね?」