第五章 人食いマンティコア
俺とカーラは、駅馬車に乗って北方街道方面にある宿場町へと向かっていた。
ある冒険者パーティーから〈虹孔雀〉にモンスター討伐の応援要請があり、カーラがそれに名乗りを上げたのだ。しかも、ローパーの件で活躍したことを理由に、俺が彼女のサポート役として同行することになった。
カーラから評価されたのは嬉しいけど、正直なところ今回ばかりは気が重い。
「なんだか不機嫌そうですね、カルエル」
「そりゃそうさ。相手は危険度A級指定のモンスターだぞ?」
「A級モンスターなら討伐時の報酬も高いですよ。今回、報酬は折半ということになっています」
「絶対、割に合わないって!」
「マンティコアのこと、詳しいんですか?」
「いや、詳しくは知らないけど……。〈猿鬼道〉にいた頃、ちょくちょく耳にしたよ。とんでもねぇ化け物だって」
マンティコアは人食いの化け物だ。
その姿は、獅子の体に、蝙蝠の羽、蠍の尾を持ち、人間の顔を併せ持つという。奴の顔は食い殺した人間の顔に擬態し、その人間と同じ声色で話すとか……。想像するだけでもおぞましい。
「私が知る限り、マンティコアは隣の大陸に生息する合成獣です。魔王によって創られたという噂もあるそうですが、こっちの大陸で存在が確認されたのは初めてですね」
「魔王がこっちによこしたってことか? ハーリーンの懸念もどうやら杞憂じゃなさそうだな」
ローパー事件後、魔力コントロールの鍛錬も徹底したし、新しい攻撃魔法もいくつか習得した。それでもマンティコアを退治できる気がしない。
危険度C級以下のモンスターとばかり戦ってきた俺は、A級モンスターを相手にすることになって腰が引けちまっているらしい。いざという時に備えて、そこそこ高価なポーション――即効性の回復薬――をいくつか持ってきてはいるけど、どうにも心許ない。
金等級魔導士のカーラが一緒だっていうのに、ここまでビビるなんて情けない話だ。でも、万が一にでもこの子に何かあったら……それを考えると、俺は死んでも死にきれない気持ちになる。
「? なんです、さっきから私のこと見つめて」
「あ、いや、別に……」
「ずいぶん不安がっていますね。今のカルエルなら、マンティコアを倒せないこともないと思いますけど」
「そうかな……?」
「昨日までの修行で下準備は終えているじゃないですか。あとは魔法戦闘の経験さえ積めば、危険度A級くらいのモンスターならさほど苦戦せずに倒せるようになりますよ」
「たしかに直近の課題は実戦慣れだけど……いや、でもなぁ」
「そんなに心配しなくても大丈夫ですってば。今回、あなたは後方支援で、前線に立って戦うのは私なんですから」
「それが一番心配なんだ……っ」
「え、なんで?」
父親が娘の心配をして悪いか! ……とは言えない。
「カーラに何かあったら、俺の修行に支障が出るからな!」
「ひっど~い。私の心配より自分のことですか?」
「えっ。いや、その……」
「ふんっだ! いいですよ。せっかくの機会だし、私がマンティコアを討伐する雄姿を見ていてくださいっ」
……拗ねちゃった。
親の心子知らず、と言いたいところだが、俺にそんなことを言う資格はない。とは言え、娘を大事に思う気持ちは本物なのだ。万が一なんて起こらないように、いざという時は俺が命を懸けてこの子を守らなければ……!
その誓いを立てた矢先、馬車が停まった。
王都から北へ14㎞――宿場町へと到着したのだ。件の冒険者パーティーとは、ここで合流する手はずになっている。
「明るいうちに着いてよかったです」
「だな」
俺とカーラは、馬車を降りて早速ロビーへと向かう。
ロビーとは、冒険者同士の交流の場として使われている施設だ。どんな小さな町にも必ず一つはあって、俺も剣士時代に何度か利用したことがある。事前に示し合わせて仲間同士で落ち合ったり、ここで出会った者同士が突発的にパーティーを組むことだってある。
冒険者が冒険に出る前のマッチングの場と言えよう。
「冒険者パーティーの名前は何て言ったっけ?」
「〈リベンジスタ〉――三人組の冒険者パーティーですね」
「そこに俺とカーラが加わって五人か。マンティコア相手にそれで十分なのかなぁ」
「十分です! 私、これでも金等級魔導士ですよ!?」
カーラの自信は相当なもんだな。
しかし、俺は実際にこの子の戦闘を見たことがない。金等級魔導士と言っても、どれほど強いのかわからない以上、心配になるのは仕方ないじゃないか。一応、俺は父親なんだぞ? ……この子は知らないけどさ。
それからしばらく宿場町を歩いて、ロビーにたどり着いた。一見、掘っ立て小屋のようだが、冒険者らしき連中が出入りを繰り返していることから、ちゃんと機能しているようだ。〈リベンジスタ〉の連中はもう来ているのかな?
俺とカーラがロビーの中を覗いてみると、冒険者のグループがいくつも見られた。グループの多くは談笑しているが、一つだけまったく会話のない暗い雰囲気のグループがある。
それは三人組の冒険者パーティーで、二十代前半くらいの男が一人、連れの女二人も同世代のようだ。もしやこいつらが……?
「あれが〈リベンジスタ〉っぽいですね。挨拶してみましょう」
カーラも同じグループに目をつけていた。彼女が声を掛けると、リーダーらしき栗色の髪の男が応じてきた。
「お待ちしていました。あなたが〈虹孔雀〉から応援にいらした魔導士ですね」
「はい。カーラと申します」
「わ、若いですね……。金等級魔導士とお聞きしましたが、本当ですか?」
「もちろんです。ほら」
言いながら、カーラは首から下げていた黄金色のプレートをつまんで見せた。
あれこそ金等級魔導士の証であり、グラングレイル王国の国土魔法局に認められた者のみが与えられるオリハルコン製のプレートだ。表面には魔法局局長の名前が彫られていて、国内の役所ではプレートを見せるだけで色々と融通してもらえるらしい。
ちなみに、新米の俺は銅等級魔導士で、プレートは安物の青銅製だ。ありがたい局長の名前なんぞ彫られていない。
「その歳で金等級魔導士とは凄いですね」
「いえいえ。そんなことは」
「謙遜していらっしゃる。〈虹孔雀〉の――あなたの力を借りることができて、おれ達は本当に幸いです」
「応援はもう一人いるんです。紹介しますね」
「〈虹孔雀〉から二人も!? 感謝に堪えません!」
「カルエル! こっちへ」
カーラが俺の名前を呼びながら手招きをしている。初めて魔導士として紹介されるので、いささか緊張するな。
俺は衣服の乱れを直した後、できるだけ澄ました表情でカーラの隣へと並んだ。早速、リーダーへと頭を垂れて自己紹介に移る。
「カルエルと申します。この度のマンティコア討伐、我々が助力し――」
「ラルフ?」
「えっ」
突然、本名を呼ばれて驚いた。
改めてリーダーの顔を見てみると――
「ブルー……?」
――それが自分のよく知る顔だと気が付いた。
「え? カルエル、この人を知っているんですか?」
「知ってるも何も……」
この男――ブルーは、俺が最後に加入していた冒険者パーティーのリーダーだ。
俺のせいでパーティーメンバーの魔導士が怪我をし、モンスター討伐に失敗してしまった。その直後に俺はパーティーをクビにされてそれっきりだったが、まさかこんな形で再会することになろうとは。人数とパーティー名が変わっていて気付かなかった。
「てめぇ! よくもその顔を見せられたな!!」
ブルーが激昂して俺に掴みかかってきた。突然のことにカーラは驚いたようで、目を丸くしている。
「離せブルー、落ち着け!」
「うるせぇっ!!」
ブルーが拳を振りかぶった瞬間、彼の後ろにいた冒険者仲間がその腕を掴んだ。
「やめなよ、ブルー。その件はもう済んだことでしょ」
「でも……っ!」
「あたし達は、どんな手段を使ってもあの化け物を殺さなくちゃならない。そのためにこの人達を頼ったことを忘れたの」
「……わかった」
ブルーは俺から手を離すと、カーラに向けて頭を下げた。
「カーラさん。どうかマンティコア討伐にご助力を」
「わ、わかっています」
カーラは困惑した表情で俺を見つめてくる。そんな顔されても困るよ……。
まさかこんな因縁深い連中が依頼者だったなんて想像もしなかった。出だしからこれだと、先行き不安だ。
不意に、あの時のパーティ―メンバーを思い出す――
双剣士のブルー。
魔導士のビッキー。
弓士のドナ。
僧侶のサンドラ。
――この四人に、外様で加わった俺の五人で構成されていたのが、〈ワンダーワンダラー〉というモンスター討伐専門の冒険者パーティーだ。
俺は前衛としてビッキーとサンドラを護る役割だったが、戦闘中に疲労困憊となり、それが疎かになってしまった。そのせいで魔導士のビッキーが負傷し、主力を欠いたことでモンスター討伐は失敗。結果、俺はパーティーをクビになったのだ。
そんな俺と再び顔を合わせたのだから、ブルーが不機嫌になる気持ちもわかる。だけど、もう大人なんだから過去のゴタゴタは水に流してほしいもんだ。
◇
俺達は騒ぎを起こしたためにロビーから追い出され、自己紹介も半ばに駅馬車の停留所へと向かっていた。マンティコアが出没するのは、宿場町から北東へさらに6㎞ほど進んだ丘陵地帯なので、そこまでは馬車を使わなければならないのだ。
「カルエル」
「何?」
「合流早々、気まず過ぎます。この空気、なんとかしてください」
「俺にどうしろと……」
「仮にも昔の仲間でしょ。仲直りしてくださいっ」
カーラからの無茶ぶり。昔の仲間って言ったって、俺は一方的にクビにされた立場なんだぞ。でも、師匠の命令だしここは俺の方から歩み寄ってみるか。
「ブルー。ビッキーの怪我は治ったのか? というか、彼女は今回いないのか? それにサンドラの姿もないけど――」
「うるせぇっ!!」
「な……っ」
「ちっ」
ブルーは不機嫌そうに舌打ちするや、足早に先へと進んでしまう。
俺ってこんなに嫌われていたのか……。あれじゃまともに話もできない。
「ごめん。無理だった」
「……」
カーラの冷めた視線が痛い。
「悪いね二人とも。リーダーがあんな態度で」
困惑する俺に、茜色の髪をした女――ドナが申し訳なさそうに話しかけてきた。さっき俺に掴みかかってきたブルーを止めたのも彼女だ。
ブルーと違って、ドナに俺への敵意は見られない。〈リベンジスタ〉にもまともに会話が成り立つ人がいてよかった。
「サンドラは最近パーティーを抜けたのよ」
「そうなのか。お前ら四人、同じ村出身で仲が良かったじゃないか」
「あんたが抜けた後、あたし達も色々あったの」
「色々って?」
「それは――」
ドナは一瞬押し黙ると、少し考えた後に続けた。
「――今回のマンティコア討伐、実は二回目なんだ」
「二回目?」
「あんたが抜けてすぐのことだけど、最初のマンティコア討伐を請け負ったの」
「どうだったんだ」
「こうして再チャレンジしてるんだから、結果は言うまでもないでしょ」
「失敗したわけか」
「それも最悪の形でね。ビッキーは死んで、サンドラはトラウマを負って冒険者を引退したわ」
「マジかよ」
ビッキーが死んだなんて……。
たしか彼女はブルーと恋人同士だったな。あいつが不機嫌なのは、俺がパーティーに加わったからってわけじゃないのか。
「パーティー名を〈リベンジスタ〉に変更したのは、仇討ちを誓ってのことか」
「まぁね」
「大丈夫かよブルーの奴。あいつ、死に急いでるように見えるぞ」
「わかってるわよ。だからダメ元で〈虹孔雀〉に応援を要請したんだから。引き受けてくれて助かったわ」
「マンティコアは危険度A級だ。〈虹孔雀〉の魔導士だからって必ず倒せるとは限らない」
「それじゃダメなの。マンティコアは絶対に殺さなくちゃならないのよ」
「ビッキーの仇を討ちたい気持ちはわかるけど、少しマンティコアにこだわり過ぎじゃないか? 特定のモンスターに執着するのは冒険者としてよくないだろ」
「……」
俺の指摘にドナはだんまりだった。図星を突かれたってところか。
どんな冒険者でも、一度や二度はモンスターの討伐に失敗するものだ。だが、討伐に失敗したモンスターに固執するのは、その後の人生を棒に振る可能性すらある愚かな行為だ。当人の実力ではどうあがいても倒せないモンスターに、人生を懸けて復讐しようなどと考えようものなら、真っ当な人生なんて送れやしない。
俺は過去幾度もモンスターに敗北してきたが、復讐を考えたことなんて一度もない。自分が助かっただけ儲けもの――そう割り切って生きてきたからな。
「……ああ、そうだ。サンドラに代わって加わった僧侶を紹介するわ。メラっていうの」
黙りこくったと思ったら、急に話題を切り替えてきた。ま、答えたくないことを無理に聞こうとは思わないから、別にいいけど。
ドナから紹介された淡い赤髪の女性――メラは、ぺこりと頭を下げた。
彼女は僧侶特有の武装・戦棍を抱え、白い法衣に身を包んでいる。口を結んで目が泳いでいるが、緊張しているのだろうか。
「よろしく」
「……っ」
俺が挨拶すると、メラは無言のまま顔を伏せてしまった。人見知りなのかな……。
「ブルーにはあとで頭を冷やすように言っておくわ」
「それがいい。臨時パーティーとは言え、背中を預ける仲間なんだからな」
「ところでさ……」
「ん?」
「あんた、今は〈虹孔雀〉に所属してるんだよね?」
「そうだけど」
「〈虹孔雀〉って魔導士オンリーギルドって聞いてたけど、剣士もいたのね」
「そ、それは……」
ドナは俺の腰にある杖を見て、俺がまだ剣士だと思っているらしい。これが剣じゃなくて魔法の杖だと言っても、きっと信じてもらえないだろうな。
「カルエルは魔導士の卵なんですよ。今はまだ修行中の身ですが、彼の素質ならばマンティコアとだって戦えるはずです」
いきなりカーラが会話に割り込んできた。
評価が高いのは嬉しいが、危険度A級のモンスターを相手に戦えるだなんて、自分でもちょっと信じられない。でも、岩だなをぶった斬れるくらいの魔力量があるわけだし、A級相手でも案外なんとかなるのか?
カーラに言われると、なんだか自信が湧いてくるから不思議だ。
「今はカルエルって名乗ってんの? っていうか、ラルフが魔導士? あんた剣士でしょ!?」
「俺もあれから色々あって、魔導士に職能転向したんだ」
「職能転向!? 剣士から魔導士に転向なんて聞いたことないわよ! しかもその歳で」
「俺も自分で驚いてる」
「だったらなんで剣なんか持ってんの? 魔導士の武器は杖でしょ」
「……ごもっともな疑問だよ」
どこからどう見ても剣にしか見えない杖については、話がややこしくなるから詳細は伏せておこう。
◇
数時間後、俺達は駅馬車に乗って北東の丘陵地帯へとたどり着いた。
道中の馬車旅では相変わらずブルーが空気を悪くしてくれたせいで、息が詰まって仕方なかった。おかげで、目的地に到着しただけでどっと疲れてしまった。
丘陵はなだらかな起伏が続く一方、雑木林がまばらに点在しているため、お世辞にも見晴らしがいいとは言えない。警戒を怠れば、気付かぬうちに敵の接近を許してしまいそうな不安がある。
馬車を見送った後、カーラがパーティーメンバーを集めて話し始める。
「作戦行動中は、前衛がブルーさん、後衛が私とドナさんとカルエル、メラさんは常にパーティーの中心にいるよう心がけてください」
「前衛はブルー一人で大丈夫か?」
「他に前衛が務まる職能の人がいませんからね。ブルーさんに頑張ってもらうしかありません」
「こいつが冷静でいられればいいけどな……」
ブルーは相変わらずムスッとしている。マンティコアと相対した時に冷静でいられるか怪しいもんだ。
「おれが信用できないのかよ、ラルフ」
「できないね。お前、ビッキーの仇討ちばかり考えてるだろ。いざという時に我を忘れて勝手なことされたら、勝てる戦いも勝てなくなる」
「お前にだけは言われたくねぇよ! あの時だって、お前のせいでビッキーがっ」
「昔のことは忘れろ。冷静さを欠いて戦える相手じゃないだろ」
「上からもの言いやがって! お前はカーラさんのオマケだろうが。役立たずのくせに、もっともらしいこと言うな!!」
言うに事欠いて役立たずだとぉ~!? 剣士だった頃なら甘んじて受け入れた言葉だが、魔導士となった今そんなことを言われるとむかっ腹が立ってくる!
「お前こそ自分の立場わかってんのか!? 俺とカーラは、マンティコア討伐の応援要請を受けてわざわざ来てやったんだぞ!」
「おれ達が求めていた魔導士は、お前じゃなくてカーラさんだ! そもそもお前は魔導士になって間もないそうじゃないか。まともな魔法を使えるのかよ!?」
「てんめぇ……言わせておけば……っ!」
「ポンコツ剣士だったお前が真っ当な魔導士になれるわけないね。魔導士とは名ばかりで、カーラさんの荷物持ちじゃないのか!」
「俺はギルドマスターに認められた上で、カーラの弟子として魔法を修めてんだぞ!!」
「だったら魔法の杖はどこにあるんだ! 剣なんか持ち歩きやがって、剣士に未練たらたらじゃないか!!」
「こ、これは……ぐぬぬっ」
そこに突っ込まれると弱い。反論しようにも、見た目が完全に剣なので絶対に杖だと信じてもらえないからな……。
「ほらな、言い返せないってことはそういうことさ!」
「ぐぬぬぬ……」
「魔導士を自称するのは勝手だけど、足を引っ張るのだけはやめてくれよな! おれはもう大事な仲間を失いたくないんだ!!」
「こぉのぉクソガキィ~~~」
ガチで〝破砕〟をぶち込んでやろうかと思ったが、我が子が悲しむ姿を必死に想像することでなんとか怒りを抑えることができた。俺は今ほど自分が大人だと思ったことはない。
「カーラさん。あたしは別にラルフのこと悪く言うつもりないんだけど、今回の討伐は無事に済むと思う?」
「……聞かないでください」
俺とブルーが睨み合う一方で、カーラとドナが二人して頭を抱えている。頭を抱えたいのは俺の方だっつーの!
◇
ブルーを先頭に、俺達は丘陵の探索を始めた。
弓士として探索能力に長けたドナがマンティコアの気配を探すも、特にそれらしき痕跡は見つからない。時間は悪戯に過ぎていき、いよいよ辺りは暗くなり始めた。
「もうすぐ日没ですね。これ以上の探索は危険かも……」
「何言ってるんです! ここまで来て何の成果もなしに帰れませんよ!」
「でも……」
「探索を続けましょう!!」
ブルーはカーラの意見に耳を貸さず、一人で先に進んでしまう。
その時、茂みの中からハウンドボアが飛び出してきた。一見すると丸みを帯びた可愛らしい体形だが、好戦的で危険なモンスターだ。
ハウンドボアは木の葉を撒き散らしながら、真っすぐブルーへと突っ込んでいく。
「危ないっ」
カーラが叫んだ瞬間――
「はっ!!」
――ブルーが双剣を抜いてハウンドボアに斬りかかった。
左右の手で操る短剣でハウンドボアを難なく制圧し、トドメに脳天を一突き。俺がパーティーにいた頃より腕が上がっているな。
「……お見事」
カーラはばつが悪そうな表情を浮かべている。これほど容易くボアが倒されるとは思っていなかったんだろうな。
「C級程度のモンスターならブルーの敵じゃないよ。これで晩飯の確保もできたし、ついでに薪の用意もしようか」
「で、でもドナさん。夜になるとモンスターの動きが活発になります。ここで夜を明かすのは……」
「心配いらない。あたし達は野営には慣れてるし、マンティコアをおびき寄せる絶好のチャンスかもよ」
「チャンスですか……」
「ブルー、血抜きなら手伝うよっ」
ドナがブルーのもとへ走っていった後、カーラは深く溜め息をついた。そして、不満そうな顔で俺を見上げる。
「カルエルも何とか言ってくださいよぅ」
「ブルーもドナも覚悟が決まってるから、説得するのは無理そうだぞ」
「そんなぁ! だからって野宿なんてっ」
「ひょっとしてカーラは野宿したことないのか?」
「ありますよっ! ただ、トイレもお風呂もない場所に寝泊まりするなんて気が進まないだけですっ」
我が娘は育ちがいいな。ぷりぷり怒っているところも可愛い。
「そんなに嫌なら強引に帰っちまう手もあるけど」
「それはさすがに……。〈虹孔雀〉の名前に泥を塗るようなことはできません」
「だったら付き合うしかないな。ま、俺とカーラがいればなんとかなるだろ」
「はぁ……」
その時、俺は背後に気配を感じた。振り返ってみると、暗くなり始めた丘陵にぼぅっとたたずんでいるメラの姿がある。……あまりにも気配が薄くて、幽霊かと思った。
「メラ。びっくりするからもうちょっと気配出して」
「……す、すみません」
初めて彼女の声を聞いた。
◇
太陽は完全に顔を隠し、丘陵には夜の帳が降りた。
小動物の鳴き声が聞こえる中、俺達はテントを張って野営の準備を進めていた。これまでモンスターの襲撃は何度かあったが、いずれも危険度の低いモンスターばかり。目的のマンティコアが現れる気配は一向にない。
焚き火を囲み、ハウンドボアの肉を焼きながら俺達は今後の方針を検討した。
「これだけ歩いてマンティコアの痕跡が見つからないとはなぁ」
「まだ捜索一日目だからね。仕方ないよ」
「マンティコアってまだ丘陵にいるのか? 最後に目撃されたのは何日も前なんだろ」
「丘陵は広いから。もう一日、探索に集中すれば見つかると思うけど」
「とっくに別の土地に行っちまってるってことはないのか?」
「……可能性がないわけじゃないね」
ドナは矢じりを研ぎながら俺の質問に答えてくれた。彼女にも確信がないみたいだし、無駄骨にならないことを祈るしかないな。
「ビビってるなら一人で帰ればいいだろう。誰も止めない」
「くっ」
またブルーが俺を挑発するようなことを言う。こいつ、さっきから喧嘩を売る相手を間違えているぞ。
「俺が帰る時はカーラも一緒につれていく!」
「それはダメだ。カーラさんはマンティコア討伐に必須。でも、お前は違う」
「ああ、そうかい。俺を舐めるのも大概にしろよ、ブルー」
俺が腰を上げたところで、カーラが間に入った。
「もう喧嘩はたくさん! 目的を忘れないでくださいね、二人とも!?」
「……すみません、カーラさん」
カーラにだけは素直だな、こいつ。その態度の落差でいかに俺を信用していないかがわかる。
しかし、ブルーは日が落ちて一段と苛立っているな。こんな調子でマンティコアと遭遇したとして、冷静に戦えるのか?
「……何か来る」
「え?」
突然、ドナが立ち上がって周囲の警戒を始めた。彼女が視線を送っているのは、最寄りの雑木林た。
「何かって……まさかマンティコアか!?」
「わからない。でも、何か大きなものだね」
「丘陵にはマンティコア以外にもでかいモンスターがいるのか?」
「さぁ。ハウンドボア以上に大きいのが生息してるとは聞いたことないけど」
いよいよマンティコアが現れたのか!? 危険度A級のモンスターが近づいてくると思うと、不安と焦燥で全身が強張ってしまう。
「くっ。俺がこんなんでどうするっ」
俺は頬を叩いて気合を入れた。カーラを危険な目に遭わせるわけにはいかない。いざとなったら、俺が命に代えてもこの子を守るんだ!!
「あ。たしかに大きいモンスターが近づいてきますね~」
……気負う俺をよそに、当の本人は呑気にボアの肉を頬張っている。これが圧倒的功績に裏打ちされた金等級魔導士の余裕ってやつか?
直後、雑木林の木々を薙ぎ倒して飛び出してきたのは――
「カイゼルホーンだ!!」
――頭部に二本角を生やした巨大な熊のようなモンスター。
普段は温厚で人を襲うことはないが、手傷を負った時にはその性格は豹変し、獰猛な怪物と化すという。危険度で換算すればB級の強敵だ。
「なんであんなのが丘陵にいるんだよ!? ハナから戦闘モードだしっ」
「肩に大きな噛み傷がある。他のモンスターに襲われて逃げてきたみたいね」
「あんなでかいモンスターを襲う奴って……」
「マンティコアに違いないわ!!」
そう言うなり、ドナは弓に矢をつがえた。
一方、カイゼルホーンも俺達を見つけてこちらに走りだした。強靭な足腰もあって、めちゃ速い! この勢いじゃ数秒後には突っ込んでくるぞ!!
「おれが気を引く! その隙にドナとカーラさんで奴を撃て!!」
ブルーが双剣を構えて真っ向からカイゼルホーンへと向かっていく。
「いくらなんでも無茶だ! 殺されるぞ!!」
「前衛は命を懸けて後衛を護るもんさ。違う?」
「ドナ……」
「あんた魔導士になったんでしょ? だったら力を見せてよ!」
ドナが矢を射る。彼女の放った矢はブルーの横を通り過ぎ、先だってカイゼルホーンの足に命中する。ダメージを負った奴は体勢を崩し、足を止めた。そこへブルーの双剣が斬りかかる。……凄いチームワークだ。二人の息が完全に合っている。
しかし、敵はやはり危険度の高いモンスター。一瞬体勢を崩したとは言え、すぐに反撃に転じている。
「ぐわっ! うぐっ!!」
ブルーはカイゼルホーンの攻撃を躱しきれておらず、すでにボロボロ。それも当然、相手は丸太並みの太い腕で、刀剣以上の切れ味を誇る爪を振るっているのだ。直撃されれば、軽装のブルーなど一撃でミンチになる。
ブルーが体を張る一方、俺はカイゼルホーンの強さを直に感じ、利き手が震えてしまって杖を抜けずにいた。
同等級のモンスターなら少し前にローパーと戦っているが、より直接的な殺意を向けてくるカイゼルホーンはローパーよりもずっと恐ろしく感じる。こんな有り様で、どうして俺は上から目線でブルーの心配なんかできたんだ? ……まったく情けない。
「カルエル」
「どうした、カーラ!?」
「私は手出ししません。あなたがあのモンスターをやっつけてください」
「お、俺が!?」
カーラは本当に戦闘に参加する気がないのか、座ったまま肉を頬張るばかり。
「ここに来たのは、あなたの修行の一環でもあります。自力でモンスターを倒し、魔導士としての自信をつけてください!」
「……わかった」
そんな期待するような眼差しを向けられては、ノーとは言えない。いや、むしろその気持ちに応えられなきゃ父親じゃない! ……父親とは名乗っていないけど。
「ドナは引き続きブルーの援護を頼む」
「あんたはどうするの?」
「隙を見てカイゼルホーンを倒す」
「……信じていい?」
「信じろ。俺は仲間だ!!」
すでに利き手の震えは止まった。
俺は鞘から杖を抜き、上段に構える。
「俺は魔導士カルエルだ。もう以前とは違う。新たな道を歩み始めた自分を信じろ!」
ドナの矢が飛び交う中、俺はカイゼルホーンを撃つベストな角度を探した。
しかし、奴は俺が近づこうとすると巧みに飛び退いて、ブルーの陰に隠れようとする。なんてずるがしこい奴だ。まさか俺に危険を感じたのか? だとしたら、逆に自信がつくってもんだ。
「大地に吹く風、避けること知らず――くっ。ダメだ」
呪文を唱えようとしたものの、位置関係が悪い。ただつっ立ったままなら背の高いカイゼルホーンを撃ち抜くことは簡単だが、今は前屈みになってブルーと向かい合っている。直撃させようにも、普通に撃てばブルーを巻き込んでしまう。
「このままじゃブルーが……」
ブルーは辛うじて敵の攻撃を紙一重で躱していた。だが、息も絶え絶えで動きにキレもなくなってきている。これ以上はもたない。……どうする!?
「攻撃対象はあくまでモンスターです! 始点と終点が決まっているのなら、いかなる向きに撃とうとも魔導士が標的を外すことはありえません!!」
戸惑う俺の耳にカーラの声が聞こえてきた。
今のは助言か? だとしたら、何を意味する助言だ!?
「始点と終点……いかなる向きに撃とうとも……」
瞬間、俺の頭に閃きが起こった。
「そうか!」
すぐさま全身を巡る魔力を杖へと集中し、呪文を唱える。
「大地に吹く風、避けること知らず。天に昇りて、なおも大地へ還るべし。カルエルの望む先を穿て――」
杖に光が顕れた直後、俺は空へ向かって杖を振り抜いた。
「――〝破砕・曲撃〟!!」
空へと放たれた光の玉が、弧を描くように地上へと落下していく。光が落ちた先は、カイゼルホーンの背中。そこに大きな穴を穿った瞬間、奴は口から大量に吐血し、地面へと崩れ落ちた。
「やった……のか」
あまりにもあっさり標的が倒れたため、いまいち実感が湧かない。
気付けば、カーラが俺の隣に立っていた。それはもうご機嫌な笑顔で。
「お見事! 魔導士にもっとも重要なのは、膨大な魔力でもなければ、強力な魔法の呪文でもありません。発想力です」
「発想力……」
「閃きは可能性を拡げます。発想次第で、たった一つの魔法から無数の魔法が生まれるかもしれない。今、カルエルがやってみせたように」
「なるほど。魔法って……すっげぇ自由なんだな」
「そうですよ。だから楽しいんです!」
カーラの気持ちが弾んでいるのがわかる。これはもしや、俺の成長を感じて喜んでくれているのかな?
「ラルフ……今の、お前がやったのか?」
血だらけのブルーが俺のもとへ歩いてくる。フラフラしていて、今にも倒れそうだ。
「おいおい、大丈夫か!?」
俺はブルーに肩を貸してやった。
ベストに血がべっとりついてしまったが、そんなことを気にしている場合じゃない。
「メラ! すぐに回復魔法を頼む!!」
「しょ、承知しましたぁっ」
俺が呼びかけてすぐに、テントの裏に隠れていたメラがパタパタと駆けてくる。
「苦痛に苛む血と肉と骨に安らぎを。穢れなき魂に父と子と精霊の祝福を。メラより汝に伝えたもう奇跡の言――〝治癒〟!!」
ブルーに触れているメラの手のひらが、緑色の優しい光を放ち始める。それは徐々にブルーの全身へと拡がっていき、彼の傷を癒していく。
そういえば、剣士時代は気にも留めなかったけど、僧侶って杖もなしにどうやって魔法を使っているんだ?
「カルエルの考えていること、当ててあげましょうか?」
「えっ」
メラの魔法を観察していると、横からカーラが話しかけてきた。
「メラさんがどうして杖も使わずに魔法を使っているのか、不思議に思っていたんでしょ?」
「……正解」
「僧侶の魔法は直接対象に触れて行使する場合が多いので、杖を使う必要がないんです。杖は魔法の指向性を補助する役割もあるので、遠距離攻撃が主体の魔導士には必須なんですよ」
「へぇ~」
同じ魔法系職能でも、魔導士と僧侶で魔法の扱い方が違うのか。魔法ってのは本当に奥が深いな。
話をしている間に、ブルーの体にあった痣が消え、裂傷も小さくなってほとんど塞がった。回復魔法って凄いな、ポーションいらずだ。
「……終わりました。わたしの力ではこれが精いっぱいです」
「大したもんだ。やるじゃないか」
「あ、ありがとうございます」
メラは驚いた表情を見せるや、逃げるようにテントの裏へと戻ってしまった。俺、何か怖がらせるようなことしたか……?
一方、ブルーは傷が癒えたことで落ち着きを取り戻していた。
「ラルフ、変わったな……」
「ん。そうか?」
「卑屈さがなくなった」
「はは。俺ってそんなんだった?」
「お前を――いや、あんたを侮辱したこと、許してくれ」
「気になんてしてねぇよ」
「おれが間違っていた。マンティコアを殺すには、あんたの力が必要だ」
「皆まで言うな。もともとそのつもりで引き受けた依頼だ」
……不思議だ。ついさっきまでブルーに抱いていたわだかまりが、俺の中から綺麗さっぱりなくなってしまっている。認められたことで、心の中のしこりが取れたのだろうか。ま、気分がいいなら理屈なんてどうでもいいか。
「マンティコアをやっつけてやろうぜ、ブルー」
「ああ!」
和解ができて気が楽になった俺に、カーラが寄ってきて一言。
「仲直りできてよかったですね!」
「……ああ。生まれ変わった甲斐はあったかな」
俺の選んだ道は間違いじゃなかった。今、俺の心にはその確信がある。
◇
夜が明けた。
俺は地平線の彼方に顔を覗かせる朝日を眺めていた。丘陵の空を鳥が群れとなって飛んでいく。離れた丘の上には動物達が横切る姿も見え始める。
結局、一睡もできなかった。緊張というより、気が昂っているせいだろう。さっきまで気持ちを落ち着かせるために素振りの稽古をしていたくらいだ。
「ふぁ~」
誰かの大きなあくびと共にテントが開いた。中からは、髪の毛が爆発したようにボサボサのカーラが出てきて、寝ぼけ眼をこすっている。……こういうところ、本当に母親そっくりだ。
「髪の毛、爆発してるぞ」
「えっ!」
俺が指摘すると、彼女は顔を赤くしてテントに引っ込んでしまった。
カーラって、しっかりしているようでけっこう抜けているところがあるんだよな。物を散らかしがちだし、しょっちゅう寝坊するし……。
次にテントから出てきたのはドナだった。
「おはよう。見張りご苦労様」
「よく寝られたか?」
「おかげさまで」
彼女は背伸びしながら俺の隣までやってくると、周囲を見回し始めた。
「ブルーは?」
「そっちで寝てる」
俺が指さした先では、ブルーが寝袋にくるまって眠っている。昨晩の戦闘の疲れもあったのだろう、彼は夜通し深く眠り込んでいた。
「あんた、寝てないんじゃない?」
「眠れないんだ。マンティコアとの戦いが待ち遠しくて」
「そりゃ心強いわね」
もう間もなくマンティコアの探索が再開する。ブルーじゃないが、戦いが近づいているという気持ちばかりが先走ってしまい、どうにも落ち着かない。これほど胸が騒ぐ朝は本当に久しぶりだ。
「一つ質問していい?」
「なんだ」
「昨日の戦闘でそれが魔法の杖だっていうのはわかったんだけどさ――」
ドナは俺の腰にある杖を見下ろしている。
「――なんで剣なわけ?」
もはや定番となった質問を受けて、俺は口元が緩んでしまう。
「魔導士の使う杖には四つの種類があるんだよ。でも、俺の杖はその四つのいずれにも当てはまらない、特別なタイプなんだ」
「何それ。ちょっと格好いいじゃない」
「まぁな。まだまだ使いこなせてるとは言えないけど、いつかこの杖でギルドのエースになれればと思ってるよ。割とマジでさ」
「ラルフったら、本当に変わったわね。今なら女の子にもモテるんじゃない?」
「はは。だったら嬉しいけどな」
こんな砕けた会話をしたのはずいぶん久しぶりだ。ドナのおかげで、少しはリラックスできたかな。
その時、テントの中からメラが這い出てきた。
「あっ。おはようございます、カルエル様」
「おはよう」
メラは挨拶を終えると、フラフラとテントの外を歩きだした。……ちゃんと起きているんだろうな? なんだか夢遊病の患者を見ているみたいだぞ。
「そういえば、メラもこのパーティーでの冒険は初めてなんだよな。どうしてマンティコア討伐のパーティーに入ったんだ?」
「わたしは……ほんの少し前まで、北の丘の教会で侍祭を務めていました」
「聖職者だったのか。それがなんでまた冒険者なんかに?」
「教会をマンティコアが襲撃したのです。その時、司祭様がわたしをかばってマンティコアに連れ去られてしまって……」
「司祭は無事だったのか?」
「わかりません。あれ以来、行方不明なのです」
「そうか……」
「マンティコア討伐に参加したのは、司祭様の手がかりを得られればと思って」
「きっと生きてるよ。司祭って僧侶としてめちゃ優秀なんだろ?」
「はい。わたしの〝治癒〟もスレイド司祭様からご教授いただいたものです。……希望を信じてみます。ありがとうございます、カルエル様」
メラもマンティコアの犠牲者だったとはな……。
このままマンティコアみたいな化け物を放置していたら、どんどん犠牲者が増えていくばかりだ。今回の討伐で、なんとしても仕留めなきゃならない。
◇
テントを畳み、パンで腹ごしらえをして探索を再開。できるだけ体力を無駄にしないように、不必要なモンスターとの戦闘は避けながら丘陵を進む。
二時間ほど丘陵を東へ向かったところで、広い雑木林にぶつかった。木々を掻き分けながら中へ踏み入っていくと、マンティコアの手がかりになるものを見つけた。それはカイゼルホーンの死骸だ。
「上半身を食い荒らされてるな。ほとんど骨だ」
「おそらく死体を食い漁ったのは付近の動物達だと思う。でも、こいつを殺したのはマンティコアで間違いないわ」
「確証があるのか?」
「こんな大物を殺せるのはあいつくらいでしょ。それに、あれ……」
ドナが指さした先には、赤い粘土のようなものが積もっていた。
「なんだありゃ?」
「糞よ。マンティコアの」
「えっ。ふ、糞……?」
「マンティコアの糞は血のように真っ赤なの」
「痔じゃなくて?」
「モンスターが痔になるのかは知らないけど、あいつの糞なのは間違いないわ。以前も遭遇場所付近で見たからね」
「……いよいよ近づいてきたってわけだな」
マンティコアは間違いなく丘陵にいる。それも、いつ遭遇してもおかしくない距離らしい。
「皆さん。そろそろ戦闘を意識していきましょう」
カーラの言葉を受けて、俺を含めたパーティー一同の表情が変わった。戦いは近い。
その時、俺は背後に気配を感じた。振り返ってみると、雑木の傍にぼぅっとたたずんでいるメラの姿がある。……あまりにも気配が薄くて、幽霊かと思った。
「メラ。マジでもうちょっと気配出して」
「……す、すみません」
二度目だぞ、このやり取り。
◇
雑木林を進むうちに、今度は小川にぶつかった。歩き続けて喉が渇いたところだったので、ちょうどいい。
「少し休憩しないか?」
「そうですね。ずっと歩きっぱなしだったし、五分ほど休みましょうか」
カーラも承諾してくれた。というか、すっかり彼女がこのパーティーのリーダーだな。
一方で、昨日まではいきり立っていたブルーは人が変わったように落ち着いて、パーティーを先導する役割に徹してくれている。なんだかんだ俺達ってバランスのいいパーティーかもな。
「綺麗な水……生き返る心地だ。さしずめ自然のポーションだな」
川岸に屈んで水をすくおうとした時、俺はギョッとなった。突然、川に赤い血のようなものが流れてきたからだ。
「な、なんだぁっ!?」
「カルエル……杖を構えてください」
カーラの緊張した声が聞こえてきた。とっさに川の上流を見上げると、俺達のいる場所から20mほど離れた先に異様なモンスターの姿がある。
「マンティコア……ッ」
とうとう見つけた。獅子の体に、蝙蝠の羽、蠍の尾を持ち、人間の顔を併せ持つ――とは聞いていたが、それは俺が想像した以上に歪な姿だった。ここからだとその横顔はよく見えないが、たしかに人間そっくりだとわかる。
奴は小さな口を川面に近づけて水を飲んでいる。今、川を流れてきたのは、水に濡れて流れ落ちた口周りの血というわけだ。……げろげろ。
「出たな化け物ぉ……っ!」
「待って! 落ち着いてください、ブルーさんっ」
ブルーが双剣を抜こうとしたのをカーラが止める。今すぐ仕掛けるのは早急という判断だろう。