四章 蒼穹の空戦


 ユグドラシルが俺の風呂に突入してきて、妙な話を聞かされたあの日から二日。

 俺は浮気(誤解)の現場をデミウルゴスに見られたことで昨日は大変だった。正確に言うならば一昨日の夜からなのだが。デミウルゴスが俺に馬乗りになって一晩中『行為』を要求してきたのだ。俺たちがこれまでいたした記録としては過去最長。慣れない体の動きに加えて、体の内側からとことんまで精を吐き出すことになった結果……俺は半日ほど全く身動きを取れなくなった。

 しかもその間もデミウルゴスは俺から離れることなく密着してきて、常に俺に「愛」を問い掛けてきた……むくれ顔で。よほど俺がユグドラシルと一緒に風呂に入ったことが気に入らなかったようだ。

 しかしながら、それがユグドラシルからからかわれているだけということもまた、デミウルゴスは理解している様子だった。機嫌を悪くしながらも「これがあやつの悪戯じゃとはわかっておるのじゃ」と口にし「じゃが。それでもモヤモヤしてしまうのじゃ。旦那様が他の女人と親しくしているのを見ると、胸の奥がドロドロと気持ち悪くなるのじゃ」と続けて告げた。

 彼女の独占欲が殊の外強いことはシドの町で理解していた。俺が商業ギルドで受付嬢と話しをしていただけで不機嫌になっていたくらいだからな。とはいえ、彼女は幾星霜を生きてきて、初めて誰かを想う感情を覚えたのだ。初めて覚えた感情に、彼女もまだ振り回されている部分もあるのだろうと思う。

 それに、俺としても彼女のことは言えない。もしも彼女の近くに他の男がいたらと想像すると、ひどく不愉快なものが込み上げてくる。きっと事情とか関係なく、俺は自分の感情を抑えられずに相手を攻撃する可能性は高い……結局のところ、俺もまだまだ未熟ということだ。

 さて、しかしデミウルゴスと行き過ぎた逢瀬を重ねた結果、なんとか昨日の内にデミウルゴスの機嫌は元に戻った。そして今、彼女はというと……

「む~~……火加減を調整するというのは、なかなかに面倒なものなのじゃな……」

 新しい家の厨房で、料理に挑戦していた。隣には俺が立ち、彼女のサポートに回っている。

 今作っているのは先日の狩りで手に入れたチープガルーダに、森で取れた香辛料をまぶして焼くだけというかなりシンプルな料理だ。もはや料理といえるのかも怪しいものだが、素材に手を加えているだけでこれは料理ということにする。そもそもまともな調理器具もない中でできることなんて限られる。今は空中にガルーダの肉を魔法で浮かせ、ゆっくりくるくる回しながら焼いている最中だ。

「がんばれ。初めてにしてはいい調子だぞ」

「うむ。最高の料理を旦那様に馳走して、喜んでもらうのじゃ」

 火の調子を見ながら、真剣な表情で肉を回転させているデミウルゴス。

「──ふむ。このくらいでよいかのう?」

「どれどれ……うん。いいんじゃないか」

 こんがりと焼けたガルーダ肉。わずかだが香草を使っていることで肉の臭みはそれほどでもない。表面が多少黒く焦げてはいるが十分に許容範囲だろう。

 初めてにしてはうまくできている。元が創造神ということもあるから、もう少し大きく失敗をするかと思っていたが、俺の言うことは素直に聞くし、とても丁寧に作業をしていた。

 まぁ、実際に問題なのは味なのだが……

「旦那様、食べてみてほしいのじゃ」

 そう言うと、デミウルゴスは肉を少しちぎって俺に差し出してくる。

「熱くないのか?」

「む? 少し熱いが、火傷するほどではない。それよりも、ほれ。我の料理を食べるのじゃ」

 ふむ。彼女は普通の人間より体が丈夫なようだし、熱にも耐性があるのかもしれない。

 俺は口を開けて彼女の指から肉を頂く。しばらく咀嚼してから、ゆっくりと飲み込んだ。デミウルゴスはこちらを固唾を飲んで見上げてくる。彼女にしては珍しく緊張しているようだ。

「うん。初めて作ったにしては上出来だと思うぞ。ただ、少し火が強かったかもな。くべた薪が多かったのかもしれない」

「ふむ。そうか……失敗、というわけじゃな」

 小さく俯くデミウルゴス。俺は彼女の頭に手をおいて、ゆっくりと撫でた。

「最初なら誰だって失敗はするさ。それに、まずい、なんて俺は一言も言ってないぞ」

 そもそも、大好きな妻が俺のためにと作ってくれた料理だ。たとえこれが暗黒物質であったとしても、俺は嬉々として平らげただろう。

「まぁ身内びいきがないとは言わないが、十分に美味いよ。今回は少し焦げただけさ。回数を重ねて、もっと美味い料理を食わせてくれ。待ってるぞ」

「う、うむ! 任せるのじゃ! 旦那様の胃袋を掌握し、我の料理なしには生きられない体にしてやるのじゃ! 覚悟しておれ旦那様!」

 ふぅ。気を取り直してくれてよかった。それにどうも彼女は負けず嫌いなようだ。次の挑戦に向けての意気込みが伝わってくる。それに、俺としてもこいつといられる理由付けが増えるのはありがたい。それが料理というのは、なんというか「夫婦」という感じがしていいな。

 さて。なぜ急に料理を作るという話になったのか。それは、昨日の夜。俺とデミウルゴスが二人で部屋にいる時だった……

 先日。デミウルゴスは俺の想いを疑ってしまったことを、改めて謝罪してきた。俺はむろん気にしてないと言うつもりだったのだが、それを口にする前に部屋の扉が勢いよく開け放たれ、

『男の子の愛を繋ぎ止めたいのなら、料理が一番だよ~!』

 という発言と共に、ユグドラシルが突入してきたのだ。最初は訝しげに目を細めていたデミウルゴス。が、ユグドラシルが「妻の調理で旦那様を魅了」とか「胃袋を支配されたが最後、アー君は一生ディ~ちゃんと一緒」などと。デミウルゴスに色々と吹き込んだ結果「料理をしたい」とデミウルゴスが言い出したのだ。

 しかし右も左もわからない彼女にいきなり一人で料理をしろと言っても無理な話だ。そこで、俺が一緒になって料理を作るということになり、今に至るというわけだ。

 俺としても誰かの……特に、愛する人からの料理が食べられるのであれば、願ったり叶ったりであると、料理を教えることを了承した。

 そして、デミウルゴスと別れてから、少しだけユグドラシルと二人っきりになったのだが、

『昨日はちょっと、あの子に悪いことしちゃった。アー君も、ごめんね。でも……ディ~ちゃんがあんなに色んな表情を見せるようになってくれて、あたしは嬉しい……あの子をあんな風に変えてくれた君には、本当に感謝している。だから、これからもあの子のこと、よろしくね』

 と、ユグドラシルは大人びた表情で、俺を見上げてそう告げてきた。それで、なんとなくだがわかった気がした。ユグドラシルは、本当にデミウルゴスが好きで、大切なのだ。だからこそちょっかいを掛けてしまっている……なんとなくだが、俺にはそう思えた。

 デミウルゴスが消えた先を見つめる彼女は、本当に優しい眼をしていた。それはまるで、彼女が自称する、妹を見守る姉のようで……俺の中のユグドラシルの印象が、少し変わった瞬間だった。

「では、一緒に食べるとしようかのう、旦那様」

「おう。いただきます」

 出来上がったデミウルゴスの料理を木の葉に載せて、先日宴会を行った食堂に移動。丸太のテーブルに料理を載せて、これまた丸太の椅子に腰かけ、二人だけの食事が始まった。

 しばらくはお互いに食べさせ合いっこを続けていたのだが、不意にデミウルゴスが居住まいを正し、問い掛けてきた。

「そういえば旦那様。ずっと聞いてみたかったことがあったのじゃが、よいかの?」

「うん? なんだ?」

 どこか改まった様子のデミウルゴス。俺は肉を口に放り込むのをやめて、デミウルゴスに向き直った。

「うむ。二年前……我と旦那様がお互いの生死を賭けて戦ったじゃろ?」

「……ああ」

 今でも思い出す。あの苛烈なまでの激闘は、後にも先にも俺の経験にはない。一手でも間違えれば即座に絶命していたであろう、綱渡りのような戦いだった。正直に言えば、同じことをしろと言われてもできる自信は全くない。

「あの時、我は旦那様に我が持つ最強の魔法を放った……『カタストロフ・ノヴァ』全てを無に帰す我の奥義……じゃが、旦那様はそれに耐え、我に取り付いて自爆魔法を使ったのじゃ」

 そう。俺は自分の命を引き換えにして、デミウルゴスを葬ろうとしたのだ。その手段は、人間が持つ中で最も高い攻撃力を誇る『自爆魔法』を使うことだった。

「いくつか思い当たる節はあるのじゃが、いまだ断定はできておらん。旦那様はどうやって、我の魔法を耐え抜いたのか……あれはちょっとやそっとの防御魔法で耐え凌げるものではないはずじゃったのだが……のう? 一体どのような手段で、旦那様は我の攻撃に耐えたのじゃ?」

「ああ、そうか。確かに話したことがなかったな」

 戦っている最中は、いちいち相手に説明している暇はなかったしな。しかし、デミウルゴスはそのあたりが気になっていたようだ。

 まぁ、自分の切り札が防がれたら、その理由も気になるのが普通だな。むしろこれまで彼女が聞いてこなかったのが不思議なくらいだ。

「今更な問いじゃとは思うのだが、少し気になっておってな。もしも話して問題ない内容であれば、聞いてみたいのじゃが?」

「別に構わないよ。端的に言えば、あれは魔道具と俺が持っていた剣……『聖剣』の力によるものだよ」

「むう。やはり旦那様の使っていた剣は聖剣であったか。なんとなくそんな気はしておったが、案の定だったようじゃのう」

 聖剣……特殊な能力を有した剣の総称である。一本一本が独特の能力を持ち、全く同じ能力は一振りとて存在しない。そのいずれもが持つ力は強大で、中にはひとたび振るえば大地すらも切り裂くような物もあるとか。だが、俺が使っていた聖剣は、どちらかというと防御寄りの能力に特化した物だった。ちなみに、強力な能力を有しながらも、使用者の命を奪うような代償が課せられる剣は、魔剣と呼ばれている。聖剣の力を祝福とするならば、魔剣のそれは呪いといって差し支えないだろう。

「聖剣【アイギス】……敵の魔法攻撃に対して、剣がマナを吸収することで使用者の防御力を底上げする盾の力を宿した剣だ」

 剣という形状をしてはいても、その実は盾としての側面を持つアイギス。二年間の旅の中で、大陸のとある地下遺跡へ潜った際に手に入れたのだ。過去に栄華を極めた文明の有力者が眠る墓であり、盗難防止に設置された大量の罠に大歓迎されたのは笑えない思い出だ。

 聖剣はその起源に謎の多い代物で、一説には大昔の賢者が鍛えたのだとか、伝説の存在であるエルフやドワーフが作ったとか、女神がこの世界にもたらした人間への恵みだとか、色々な説が囁かれているが、真相を知る者はいない。いや、しかしここには世界ができた当初から生きている創造神がいるんだった。

「なぁ、逆に訊きたいんだが、俺たちも聖剣や魔剣がどうして生まれたのは知らないんだ。デミウルゴスはもしかしてそのあたりのことは知ってたりはしないのか?」

「いや。あれらは我も知らぬうちに、いつの間にか発生していたのじゃ。とはいえ、我が知るだけでもかなり強力な能力を持つ物が多い。およそ人間には作れぬ代物だということはわかる。しかし我らと同質の存在が作り上げた物にしてはいささか稚拙じゃと言えるのう」

「てことは、やっぱりエルフやドワーフが」

「その可能性は高いのう。あやつらはマナの扱いに長けておったし、高い技術力を持っておった。この森の結界がいい例じゃと言えるじゃろう」

「なるほどな」

 それを言われれば、俺も納得がいく。こんな森全体を覆う結界など、人間には作ることは不可能だ。そもそも原理すら解明できないだろう。

「じゃが、いかな強力な聖剣、魔剣も、我の魔法を完全に食い止めるには至らぬ。旦那様が所有していたアイギスであっても、その一本で防がれるほど我の魔法はやわではない。魔道具も使ったという話じゃが、人間の世界には我の魔法に対抗できるだけの道具があるのかの?」

 デミウルゴスが話題を戻し、再び俺が彼女の魔法をどうやって防いだのか尋ねてくる。ただ、魔道具のくだりで彼女は少しだけ顔を顰めたような気がする。

「ああ。確かに剣だけじゃお前の攻撃は防げなかった。だから、俺は大量にある物を準備した」

「ある物? 旦那様よ。もったいぶらずに早う教えよ」

「わかったわかった。そんな急かすな……俺が使ったのは、カムイ国で作られた魔道具だ……いいや、あの国では呪術具っていったか。まぁそれはいいとして。あの国では要人を守るために作られた道具──『人柱人形サクリファイス・ドール』っていう物があってだな。敵の攻撃を受けた際に身代わりになってくれる代物だ。それを、百体ばかり用意したんだ……正直、あれでかなり散財したよ」

 ホーリーアップルにも引けを取らないほどに高価な魔道具。遺跡で手に入れた財宝や冒険者ギルドの依頼で稼いだ金をほぼ全てつぎ込んで、なんとか百体を購入したのだ。

「……聖剣にお前の放った魔法のマナを吸わせて威力を減衰させて、それでも貫通してくるダメージは人柱人形に肩代わりしてもらった、ってわけだな。まぁ、それでも完全にお前の一撃は防げなかったけどな」

「当然じゃな。我の攻撃が人間の作った道具ごときに防ぎきられてたまるものか。四強魔を生み出す前の我であれば、威力はあれの比ではなかったのじゃ」

「……もしかして……防がれたの、けっこう根に持ってないか?」

「ぬぁ!?

 あ、図星っぽいな。少し頬が膨れていたし、言葉の端々にトゲが滲んでいたしな。やっぱりこいつは負けず嫌いだ。

「む~……仕方なかろうが。仮にも神を名乗る我が、聖剣やら魔道具やらに負けたなどと……」

 そう口にしたデミウルゴスは、自分で作った焼き鳥を口いっぱいに頬張って、頬をリスみたいに膨らませた。やばい。何この可愛い生き物。ユグドラシルが苛めたくなる気持ちがなんとなく理解できてしまった。これは反則だ。

 ごくりと喉を鳴らして肉を飲み込んだデミウルゴスは、仏頂面を浮かべつつも、はぁ。と息を吐き出し、小さく言葉を続けた。

「じゃがまぁ……それで旦那様とこうして結ばれたのじゃと思うと……悔しいが。あの時我の一撃が防がれて、よかったとも思うのじゃ」

 ポスンと、デミウルゴスが俺に身を預けてくる。腕に掛かるわずかな重みと、彼女の柔らかい銀髪が触れてくすぐったい。俺に体重をかけたまま、デミウルゴスは俺を見上げてくる。

「つくろうことはできぬ。我は悔しい。人間に、エルフに、ドワーフに、我の最強の一撃が防がれたのは……じゃが、それが些末事だと思えてしまうほどに、主とこうなれたことに、どうしようもないほどの幸福感を覚えてしまうのじゃ。じゃからのう、旦那様……」

 デミウルゴスの手が伸びてきて、俺の頬に触れた。下から見上げてくる妻の表情は、少し複雑そうな、困ったような笑みに変わっていた。

「いずれあの敗北を笑い話にできてしまえるほどに、我を幸せにしてはくれまいか? その分、我も主に、溢れる愛を与え続けるのじゃ」

 その言葉を聞いた瞬間、俺の中で何かが弾けそうになる。というより、もはやこの場でこいつに覆い被さってしまいたい。

 が、さすがに真昼間から盛ってはいられない。しかしこのあふれる衝動を鎮めることもまた不可能。であれば、ここは折衷案。俺は見上げてくるデミウルゴスの顎に指を添えて、キスをしようと顔を近づけた。デミウルゴスも雰囲気を感じ取ったのか、目を閉じて唇を差し出してくる。徐々に近づく俺たちの距離。あと少しで唇が触れ合う。

 しかし、バン! とロビーと廊下をつなぐ扉が開かれて、

「ああ~! また二人でイチャイチャしてる~!」

 世界樹の精霊、ユグドラシルが突入してきた。すると彼女の後ろから、四強魔たちもぞろぞろとロビーに入ってきた。

「あら、お母様? こちらにいらしたんですね」

「すんすん……いい匂い……」

「え? ……あ、ほんとだ、いい匂いね」

「お、姉御にご主人様じゃねぇか」

 龍神、ベヒーモス、フェニックス、ティターンが、順々に俺たちの存在に気付いて声を掛けてくる。俺とデミウルゴスは、彼女らに眼を向けた後、再びお互いに視線を交差させ、苦笑を浮かべた。

「……キスはお預けじゃな」

「みたいだな」

 さすがに全員がいる中で、見せつけるようにキスはできない。少し生殺しな感じはするが、この気持ちは夜に持ち越すとしよう。

「実はのう。料理の練習を旦那様に付き合ってもらっておったのじゃ。出来栄えはあまりよくないが、お前たちも食べてみるかの?」

 と、デミウルゴスは丸太テーブルの上に乗った焼き鳥を突入してきた全員に振る舞った。各々に反応の差はあれど、全員が「美味い」と口にしていた。

 デミウルゴスの初料理から数日後……彼女の作った料理は、アレスだけではなく四強魔全員にも振る舞われ、練習の成果を全員に披露していた。中でもフェニックスは狂喜乱舞しそうな勢いで飛び上がり、主の料理を堪能。本来は食事を必要としない彼女たちだが、フェニックスは心の中が満たされる幸福を噛みしめていた。

「はぁ~。デミウルゴス様の料理……おいしかったわ~」

 頬に手を当てながら、うっとりした表情で森の外に出たフェニックス。

 その足取りは軽く、明らかに浮かれているのがわかる。

「よし! 今日もいっぱいアニマクリスタルを集めて、デミウルゴス様に褒めてもらうんだから!」

 しかしフェニックスは両手を胸の前でぐっと握ると、意気込みを見せて歩き出した。主であるデミウルゴスに喜んでもらうこと、それがフェニックスの基本的な行動理念だ。そしてデミウルゴスの害悪になりかねない存在であれば、それが身内であっても容赦なく攻撃する。彼女にとってデミウルゴスは世界の全てであるといって過言ではないのだ。

「う~ん……この前はチープガルーダの群れが来てたみたいだけど、あれ以上の獲物ってこの辺にはいないのよねぇ……」

 アレスたちが持ち帰ったアニマクリスタルを見たデミウルゴスは世界樹の成長が捗ると、嬉しそうに笑みを浮かべていた。フェニックスとしては、その笑みが自分ではない誰かに向けられていたことに、対抗意識を覚えずにはいられなかった。主のことをもっとも思っているのは自分自身であり、その期待に応えようと努力も欠かしていないという自負もある。

 ──それ故に。

「も~~う! なんでこんなに魔物がいないのよ~~!?

 今の状況は彼女からしてみれば招かねざるものであった。いくら歩いても魔物の姿どころか影さえも見えない。気配を探ろうと索敵の範囲を広げてもダメ。いたと思っても身内の気配であったりと、本当に獲物が見つからない。

 その理由は明白。近隣にいた魔物たちがほぼ全て、四強魔たちが集結したこの場から逃げ出したためである。魔物からすれば、自身より圧倒的な強者がいるとわかっていて、その場に留まる理由はない。更に言えば四強魔たちが近隣の魔物をほぼ狩り尽くしたというのもまた、魔物が見つからないことに拍車をかけていた。

「ああ、もう……なんだってこんな……はぁ~。仕方ない。元の姿に戻って、もっと広範囲を探してみよう」

 人間の姿のままでは体の小ささも相まって獲物の捜索に時間が掛かる。ならば、多少マナの消費は激しくなるが、ここは空を飛べる本来の姿を駆使して探したほうが効率的だろう。そう考えて、フェニックスは元の姿に戻ろうと意識を収集させた。

 ──が、その時。

「っ!? 何!?

 ゾクリと。フェニックスの背筋に強烈な悪寒が奔った。とてつもなく巨大な気配。ともすれば『自分たち四強魔にも匹敵する』ほどの強力なマナの波動。それが、恐ろしいまでの速度で接近してくる。

 気配がするのは空の上。フェニックスは首を伸ばし、上空を仰ぎ見る。視線の先。空から突如、一人の人物がこちらに向かって急降下していた。

「──ほぉ。わたしの気配を前にして、逃げないどころか怯えすらしないモノがいるとは驚きだな」

 地面に何の問題もなく降り立った人物が声を発した。

 先ほどまでの、デミウルゴスの料理を食べたことで浮かれていた気分が吹き飛ばされる。

 明るい茶色の髪に、同色の鋭い瞳。中性的な顔立ちは、相手が男か女であるかの判断を難しくさせる。が、わずかに衣服を押し上げる胸部から、辛うじて相手が女性であることが判別できた。

「ふむ……このような僻地にそなたのような幼子がいるというのは、はて? どういうことか? 迷子? いや、このマナの気配……なるほど。そなた『魔性の類』か」

 途端、目の前の女から圧し潰されそうなほどのプレッシャーが放たれた。フェニックスの本能が訴えかける。この相手は、確実にヤバイ。数多くの敵と戦ってきたからこその生物的本能が、今すぐにこの場から離脱しろと警鐘を鳴らす。

 が、それを無理やり押し込めて、フェニックスは相手を睨みつけた。

「あんた、誰よ……?」

「相手に名を尋ねるのであればまずは自分から名乗るべきであろう。いかに子供とはいえ、礼節は弁えるべきではないか? しかしまぁ、今回はこちらから名乗ることにしよう。わたしの名は【フレースヴェルグ】。偉大なる主に仕えし聖なる獣だ……さぁ、こちらは名乗った。次はそなたの番だ」

「意味のわからない自己紹介のくせに偉そうね。まぁいいわ、名乗ってあげる、私はフェニックス! 創造神デミウルゴス様によって生み出された、最強の魔物よ!!

 フェニックスが高らかに名乗った瞬間、フレースヴェルグの目が細められ、纏う空気がより鋭利に変化した。

「フェニックス……なるほど『貴様』が……わたしはどうやら運がいいようだ。まさかここで『怨敵』と相まみえることができるとは……その四肢、今すぐにでも引き千切ってやりたいくらいだ」

「何よ。あんた私を知ってるの? 生憎と私はあんたなんか知らないわ。けどまぁ……」

 フェニックスの体が炎に包まれる。炎が弾けると、フェニックスは炎のような衣服を纏った戦闘形態に変化していた。彼女は奇襲を掛けるように飛び出し、

「──私の敵だってことは十分に理解したわ!」

 炎を纏わせた拳を突き出して一撃を見舞った。

 しかし、

「っ!?

 彼女の拳が、見えない壁のようなものに阻まれて制止したのだ。

「小賢しい害鳥が……正々堂々と相対することもできんのか」

 フレースヴェルグの視線が更に鋭さを増す。それを受けて、フェニックスの脳内に強烈な警鐘が鳴り響いた。見えない壁を蹴って、後ろに下がる。

 すると、数瞬前まで彼女がいた場所を、鋭利な風が薙いだ。

「ふん。勘がいいな。さすがにこの程度は躱すか」

 見れば、いつ間に手にしたのか。フレースヴェルグの手には一振りの直剣が握られていた。

「僥倖……貴様がここにいるということは、魔神もこの近くにいるということ……そしておそらくは、あの方も……」

「あんた、さっきから何言ってるのか本当にわからないんだけど……?」

「別に貴様の理解など求めてはいない……が、魔神の居所、世界樹の在処……そして、『我が導き手たるアレス様』がどこにいらっしゃるのか……貴様の腸を引き摺り出しながら問うとしよう」

「っ! この、できるものなら……やってみなさいよ!!

 フェニックスは火の粉のようなマナを体から放出し、フレースヴェルグへと向かって駆けた。

「──ん?」

「どうしたのじゃ、ユグドラシルよ?」

 いつものように、世界樹の種子にマナを注いでいたデミウルゴス。膝を突いて種子に向き合う彼女の傍らには、ユグドラシルも付き添っている。そのユグドラシルが眉をピクリと反応させて、上空を見やった。

 すると彼女は、デミウルゴスに向き直り、普段は見せないような険しい表情で眉を寄せ、硬い声を出した。

「ディーちゃん……ちょ~っとマズいことになってるかも」

「何?」

 能天気に、事あるごとに「大丈夫」と口にする彼女が「マズい」と口にしたことにデミウルゴスは緊張感を覚えた。ユグドラシルはお調子者なところはあるが決して危機感に欠けるわけではない。長い時間、世界を見守って生きてきたからこそ、不測の事態が起きた時に、それが最悪の事態に陥るかそうでないかをしっかり見極めることができる。そのユグドラシルから「マズい」という単語が出てきたということは、本当に危機的状況が訪れているということなのだろう。

「森の外に、何か来てる……気配は一つ。友好的な感じじゃないね……今、フーちゃんが戦ってるみたいなんだけど……相手の気配が、フーちゃんよりずっと強い……下手をすると」

「まさか、我の眷属が負けると言うのか!?

 デミウルゴスは思わず立ち上がった。自分が生み出した最強の眷属が、どこの誰とも知れない輩に敗北するかもしれないと聞かされ、デミウルゴスの眉がつり上がる。

 しかしそれを受けても、ユグドラシルは取り繕うことなく、デミウルゴスの言葉に首肯した。

「最悪の場合は……それだけ、外にいる敵の放ってくるマナの気配が強いの」

「ありえぬ! 四強魔は我が心血を注いで生み出した最強の魔物たちじゃ! いかに力衰えようと、その辺の相手に力で劣るなど考えられぬ!」

 普段の冷静な態度が崩れ、取り乱したように声を荒立てる。ユグドラシルはそんな妹を下から見上げ、真剣な表情で妹を宥めた。

「ディーちゃん、冷静になって。信じたくない気持ちはわかるけど、このままじゃフーちゃんが殺されちゃうかもしれないんだよ?」

「っ!?

 さすがにここまで言われてはデミウルゴスも言葉を失った。如何に小さな見た目でも取り乱すデミウルゴスを窘める姿は本当に姉のようである。

「フーちゃんの位置からだと、アー君が一番近い所にいるね……あの子に連絡を入れてみる。今のあたしなら『根』を通して思考を飛ばせると思う。それと同時に、他の四強魔にも意思を繋いでみるね」

 ユグドラシルは世界樹が世界に張った根を通して外界の情報を把握することができ、更には根の太さによっては近くにいる者に向けて意識を飛ばすこともできるのだ。

 ユグドラシルはそれによって、最もフェニックスに近い位置にいるアレスに救援を頼もうとしていた。他の四強魔にも声を掛けてはみるが、お互いの位置が離れすぎている。魔物の減少で遠方まで足を延ばしてしまったのだ。

「頼む……旦那様なら、その敵に勝てると思うかの?」

「それはさすがにあたしでもわからない。でも、アー君ならなんとかしてくれるよ。きっと!」

 希望的観測を口にしながらも、ユグドラシルはどこか確信をもって口にする。全盛期のティターンやデミウルゴスとも善戦したアレスであれば、この状況をなんとかしてくれる。ユグドラシルは妹が愛した相手を信じて賭けることにした。

「それじゃ、意識を繋ぐから、少し集中するね。ディーちゃんはどうする?」

「我は……」

 ユグドラシルは既に自分がやるべき行動を決めた。なら、自分は一体何をすべきか。

 僅かに。デミウルゴスは目を閉じ、今の自分にできることを脳裏に思い浮かべる。

 目を開けた彼女は、その瞳を真っ直ぐにユグドラシルへと向け、力強く言葉を発した。

「我は、我のできることをしよう。ユグドラシルよ。我は旦那様のもとに向かう。フェニックスとの合流地点の間に旦那様を誘導してはくれんかの?」

「わかった。でも、あまり時間はないから、急いでね。ディーちゃん」

「うむ、では、行ってくるのじゃ!」

 デミウルゴスはユグドラシルに背を向けて、森の外へ向けて駆け出した。

 愛する我が子フェニックスを、救うために──

 最近は魔物の数が減少傾向にある。俺は普段よりも森から離れ、魔物の姿を探していた。

「ここまで来ても、魔物の気配が全くないか……これはいよいよ、森から離れて魔物を探すことを視野に入れて動かないとマズいな」

 以前からずっと懸念していたことだが、ここに来て問題が本格的に表面化してきた。このままここで狩りを続けても世界樹の成長は進まない。デミウルゴスのマナの供給だけでは世界樹の成長は促せないのだ。最近では大気中のマナを吸収することもできるようになったとユグドラシルは言っていたが、それだってどれだけ成長の促進に繋がるか……世界の衰退は刻一刻と近づいてきている。

 行動を起こすたびに何かしら問題が起きてきたが、四強魔がこの間に揃った以上はこれ以上の面倒事は起こりようもないはず。もういい加減に動き出すための算段を立てなくては。

「つっても。まずは今日の収穫がゼロって事態だけは避けないとな。もう少し遠出してみるか」

 もうこの辺りに魔物はいない。『ハンター』のジョブで周囲は探し尽くしてしまった。ならばもっと捜索範囲を広げていくしかない。はぁ~、今日の帰りは遅くなりそうだな。

 と、肩を落とした瞬間。

「っ!? 何だ……?」

 今、何かとてもなく大きなマナの流れを感じ取った。一瞬、肌がピリつくような強烈な波。気配の出どころと思われる場所に視線を移動させる。

《──アー君! 聞こえる!?

 と、不意に脳内で声が響いてきた。聞き覚えのある声。俺は慌てて辺りをぐるりと見渡す。しかし、声の発信者と思われる相手は見当たらなかった。

《あたし、あたし! ユグドラシルのユーちゃん! アー君! 聞こえてる!? フーちゃんが大変なの!》

「てっ!? ユグドラシル!? お前、今どこにいるんだ!?

 声は聞こえるが姿は見えず。いやそもそもどこからか声が聞こえてくるというよりは、何か耳に直接声が入ってきているような……

《詳しい説明は後でするから! 今はあたしの言葉を信用して! とにかく急いでほしいの! そこから西に真っ直ぐ! 途中でディーちゃんと合流すると思うから!》

 西……さっき妙なマナの流れがあったのも、確か同じ方角……マナの感知がそれほど優れていない俺でもここまで強烈なマナを感じ取ったということは、発信源は四強魔に匹敵するか、それ以上の力を持った何かがこの地に来ているということか。

「わかった、すぐに向かう! というか、デミウルゴスが外に出たのか!?

 気配は現状一つだけだが、これが複数になる可能性だってもちろんある。そこに思い至らないほど、あいつの頭は弱くない。それだけフェニックスのことが心配でじっとしていられないということか。

《アー君、お願いね! 他の子たちにも連絡はしてみるけど、すぐには合流できないと思う》

 それを最後に、ユグドラシルの声は聞こえなくなった。

 俺は彼女の言葉に従って、西に向けて駆け出した。フェニックスがそうやすやすとどうにかされるとは思えないが、感じ取ったマナの強大さを考えると急いだほうがよさそうだ。

 脚力を強化するようにマナを巡らせ、俺は足の回転を更に速めた。

「はぁ、はぁ、はぁ……っ! この!」

 全身に裂傷を走らせたフェニックス。それに対して、相手のフレースヴェルグは全くの無傷であった。

「ふん……怨敵と意気込んで相手にしてみれば、この程度か……」

「舐めるな!」

 悠然と剣を構えるフレースヴェルグに、フェニックスは果敢に挑み続けた。

 遠距離から炎魔法を放つ。仮に防がれても、炎の属性の魔法は爆発する、という性質を利用して目をくらまし、相手の懐に入り込んで拳撃を繰り出す。

「ふん……動きが単調すぎる」

 しかし、フレースヴェルグはなんら慌てることなく、フェニックスの拳と自身の体との間に剣の腹を滑り込ませ、やすやすと受け止めて見せる。ギンという甲高い音が草原に響き渡った。

 それでもフェニックスは動きを静止させることなく、防がれた拳をすぐに引く。姿勢を地面すれすれまで低くし、両腕で体重を支えると相手に足払いをお見舞いした。

 仮にフレースヴェルグが上に跳ぼうが、バックステップで後ろに引こうがフェニックスは追撃ができる。飛べば脚を蹴り上げ、下がれば魔法を間髪入れずに打ち込む。

 一度でも相手の体勢を崩すことができれば、小柄なフェニックスは相手の懐に入り込んでの連撃を繰り出せる。密接しすぎた状態では、その手に持った剣で斬りかかるのは難しい。

 だが、フレースヴェルグは彼女の予想を裏切り、

「いっ!?

 フェニックスの腕に鈍痛が奔る。何とフレースヴェルグは、足払いの始点になるフェニックスの両手を逆に蹴り返してきたのだ。

 それによって逆にバランスを崩されたフェニックス。地面とキスをする寸前、まだ振り回す寸前だった足をバネにして、フレースヴェルグに頭からの突進を試みた。

「がっ!」

 しかしフレースヴェルグは剣を片手に持ち替えると、フェニックスの側頭部に裏拳をお見舞いして真横に吹っ飛ばした。

「軽い……貴様の一撃は全てが軽すぎる。弱者相手であればその真綿のような拳でも効果はあるのだろうが、わたしを相手にするにはいささか荷が勝ちすぎている。デミウルゴスが生み出した魔物というからどれ程のものかと思えば、所詮はその程度か」

 追撃してくるでもなく、飛ばした相手を見据えて肩を落とすフレースヴェルグ。

 フェニックスは頭部を打ち据えられた影響か、立ち上がっても体がふらついていた。

 それでも、霞む視界でフレースヴェルグを捉え、奥歯を噛みしめた。

「調子に乗るな……私は、デミウルゴス様に生み出された……最強の魔物よ!!

 途端、フェニックスの体からマナの嵐が吹き荒れ、全身が炎に包まれる。紅蓮の渦を巻くように彼女を取り囲んだ烈火はまるで卵のような形になる。

「ほぉ……」

 フレースヴェルグは目を細めて炎の卵を見やる。すると、卵の内側から巨大な翼が出現。まるで殻が割れるように炎が散ると、中から黄金の体毛に覆われたおおとりが現れた。虹色の尾羽を靡かせ、炎が揺らめくような翼は大気を震わせるように羽ばたいた。

 フェニックスが本来の姿に戻ったのだ。

「それが貴様の真の姿か……」

『私を侮辱することは我が主を侮辱するということ……その罪、万の死をもってしてもなお許し難い……その魂、永劫の煉獄に叩き落としてあげましょう!』

 擬態を解いたフェニックスが猛禽の瞳でフレースヴェルグを睨み据える。並みの生物であればこれだけで委縮して身動き取れなくなるだろう。

 だが、フレースヴェルグは口元に凶悪な笑みを浮かべ、フェニックスと対峙する。

 彼女の不敵な態度に苛立ったフェニックスは、両の翼に魔方陣を展開。羽ばたきと同時に数百度を超える炎の弾丸が数十発撃ち出される。力をセーブしていた先ほどとはまるで桁外れな威力を持った魔法。地面に着弾するなり小規模な爆発を無数に引き起こし、爆風が辺り一面を吹き飛ばしていく。

「──ちっ、さすがに先ほどまでと比べると威力は上がっているか」

 もうもうと上がる煙からフレースヴェルグが飛び出し、舌打ちをしながら地面を駆けた。

『逃がさない!』

 フェニックスは尚も翼から火炎弾を撃ち出し、フレースヴェルグに追撃をかける。

 フレースヴェルグは迫る魔法を素早い身のこなしで躱していく。着弾による爆風も、最初にフェニックスの一撃を防いだ不可視の壁……風魔法の『ウィンド・ヴェール』で受け止める。

『ちょこまかとすばしっこい……『フレイム・ピラー』!』

「くっ!」

 フレースヴェルグの進行方向に、炎の柱が吹き上がる。飛び退いて回避した先にも炎の柱が出現し、フレースヴェルグはまるで踊らされるように翻弄される。

「っ!?

 と、不意にフレースヴェルグは気づく。自分の周囲が、完全に炎の壁に囲まれていることを。しかも、突如として周囲が暗くなる。頭上を仰ぎ見たフレースヴェルグ。するとそこには、巨大な魔方陣を展開したフェニックスの姿があった。

『これ以上の逃げ場はありません……さぁ! 貴様の全てを消し飛ばしてあげます!』

 フェニックスの正面に展開された魔方陣が眩い光を放ち、

『──『ソル・エクスプロード』!!

 摂氏数千度を超える、小さな太陽が形成される。

『塵も残さず消えなさい!』

 フレースヴェルグに向かって太陽が落ちる。生物の営みを支える命の光ではなく、敵を焼き尽くさんとする破滅の極光。

 数多の命を散らす災厄が、フレースヴェルグに向かって下降していき……

 周囲一帯を吹き飛ばす、巨大な爆発が巻き起こった。

『……終わりましたか。これで──っ!?

 全てを見届けたフェニックスが、小さく息を漏らした。しかし、背後に気配を感じ、振り返ったその刹那、

『あああああああああああああああ──!!

 フェニックスの翼を、銀色に輝く『何か』が貫いた。フェニックスは、本来の姿を支えるマナを維持できず、幼女の姿に戻ると、錐揉み状に地面へと落下していった。

「──旦那様!」

 全力で走る俺の斜め向かいから、銀の長髪を乱して駆け寄ってくるデミウルゴスの姿が見えた。俺を呼ぶ彼女の手の中には、遠目にも長い何かが握られているのがわかる。

 俺は急制動を掛けて脚を止め、デミウルゴスと合流した。彼女は息を切らし、しかし呼吸が落ち着く間もなく悲痛な声を上げた。

「はぁ、はぁ、はぁ……だ、旦那様、フェニックスが!」

「ああ。ユグドラシルから聞いてる。俺も、妙な気配を感じ取った」

「うむ。よもやフェニックスが早々に敗れるとは思えんが、相手の得体が知れぬ」

 デミウルゴスは小さく眉を寄せ、視線を自身の手元に下ろす。俺も倣って彼女の小さな手に握られている物を確認。するとそれは、どうにも見覚えのあるもので……

 いや、あるなんてものじゃない。こいつは……

「デミウルゴス、それはもしかして」

「うむ。我の記憶にある、旦那様がかつて使っていた『剣』じゃ」

 やっぱり。彼女が持つには少し大きい分厚い刀身を持った長剣。少し前。デミウルゴスとの話題にも上がった──聖剣『アイギス』で間違いなかった。

「旦那様の話と、我の記憶を頼りに創造したのじゃ」

 彼女の言葉に、俺は思わず目を見開いた。人間の世界では伝説級のアイテムを、この創造神様は模倣したと口にしたのだ。いや、本来の力を持つ彼女であれば造作もないことなのかもしれないが、今の彼女ではとても作るのは不可能な代物ではないのか。

「デミウルゴス。もしかしてお前、力が完全に回復したのか!?

 俺は思わずデミウルゴスの肩に手を置いた。しかし彼女は首を左右に振り、目を伏せて申し訳なさそうに呟く。

「我はもう全盛期の力を取り戻すのは無理じゃ。前に言うたであろう。コアが傷ついておるのじゃ……この剣は、形だけを模した鈍らじゃ。過去に旦那様が使っておった本物とは似ても似つかぬ贋作……しかし、今の我ができる精一杯を詰め込んで創造したのじゃ。一度だけであれば、旦那様が言うておった、『相手が発動した魔法のマナを吸収する力』が使えるのじゃ」

 デミウルゴスはどこか自虐的な笑みを浮かべて、剣を差し出してくる。俺は彼女から剣を受け取り、握った感触を確かめた。しかしよく見れば、デミウルゴスの顔色が少し悪い。おそらく、この剣を創造するのに無茶をしたのだろう。ただでさえ白い顔が青白くなっていた。

「これが、我のできる今の精一杯……限界なのじゃ。我ながら情けなくて自分が嫌になる。できることなら、我自身がフェニックスのもとに駆け付けたい……それのできぬことの、何ともどかしいことか……ティターンの時も、主に任せてしまった……我は、無力じゃ」

 自分の腕を握り、唇を噛みしめるデミウルゴス。小さく肩を震わせる彼女の姿は痛ましい。

 俺は咄嗟に慰めの言葉を口にしようとした。だが、言葉が喉まで出掛かったところで、デミウルゴスは顔を上げて真っ直ぐに俺を見つけてきた。

「じゃが、卑屈になって何になる……我の失った力は今、旦那様の中にあるのじゃ。なれば、我はその力を信じ、託すのみ……じゃから、どうか旦那様よ……フェニックスを、

 ──我の『家族』を助けてくれ!!

 ……俺はどこかで、彼女を甘く見ていたのかもしれない。力を失い、脆弱になった彼女は人間と大して変わらない。その事実を前に、彼女の心まで弱くなっているのではと侮っていた。

 だが、彼女は己の弱さを受け入れている。できないことを嘆き、引き摺るのではなく、できることを探して無様でも足掻く……その、何と気高き魂だろうか。

 俺は手にした剣の柄をより強く握りこむ。自分の中に、彼女と同じ魂が宿っていることを、心から誇りに思えた。

 愛する妻から向けられる期待の眼差しに、俺は大きく首を縦に振って、力の限り答えた。

「──ああ、任せろ!」

 黒く焼け焦げた大地に、小さな体が横たわっている。

「あ、ぐぅ! なん、なのよ、今の……」

 フェニックスは肩口に大きな穴が穿たれており、そこから鮮血が溢れて半身を染めていた。戦闘形態も解けて、ワンピース姿になっている。

 赤い絨毯が地面に広がるのに対し、フェニックスの顔色はひどく青白い。

 四強魔としての体の頑丈さが幸いし、高所からの落下による死亡は免れた。それでも、強かに打ち付けた体はまるで動いてはくれない。おそらくは骨も折れているだろう。

 苦痛に表情を歪めるフェニックスの前、焼けた地面から上がる煙を払い除けるようにして、フレースヴェルグが姿を現した。衣服が若干焼け焦げているが、それ以外はほとんど無傷。

 悠然とした態度で、おもむろにフェニックスのもとまで歩いてくると彼女を見下ろした。

「先ほどの一撃は見事であったと褒めるべきだろう」

 上から目線で物を言うフレースヴェルグに、フェニックスの目がつり上がる。しかし睨み付けるのが精一杯で体は動かすことができない。

「さて、これだけ痛めつけられてもその目に恐怖は見られない。であるならば、大人しくこちらの問いには答えてはくれないだろうな……あえて無駄を承知で訊くが、魔神と世界樹、そして、アレス様の居場所を教える気は」

「あるわけ……ない、でしょ……」

「そうか……答えてくれれば楽に逝かせようとも思ったが、やはり腹の中身を引き摺り出して尋問するしかないようだ……」

 フレースヴェルグは冷酷にそう告げると、フェニックスを仰向けに転がして腹部に剣の切っ先を突き付けた。痛む体を無理やり動かされてフェニックスは悲鳴を上げそうになる。しかし敵を前にして無様を晒すまいと瞳に涙を滲ませつつも唇を血が滲むほど噛み締めて堪えた。

「すぐに吐けばそれだけ苦痛は少なくて済む。こう見えてもいたる行為はあまり好きじゃないんだ。できればさっさと口を割ってくれることを願うぞ」

 そしていよいよ、剣の切っ先がフェニックスの薄い腹に触れた。

 しかし、フレースヴェルグの剣がフェニックスの腹を裂くことはなかった。それどころか彼女は、『何者』かが発する強烈な威圧感と怒気に晒されて、全身の肌が粟立った。

 それと同時に飛来したのは、先端が鋭利に尖った無数の石礫であった。咄嗟に『ウィンド・ヴェール』を展開したフレースヴェルグだが、数発の石弾が彼女の頬を霞め、皮膚を浅く抉った。フレースヴェルグの背筋を強烈な悪寒が駆け抜け、彼女は大きく後方に飛びのいた。

 生物的な本能が、原始的な恐怖を呼び起こす。フレースヴェルグはここにきて初めて額から汗を流し、突然現れた声の主を見やった。

「──小さい女の子相手に、さすがにやりすぎじゃないか?」

「誰だ、貴様は……?」

「それはこっちのセリフだと思うんだがなぁ」

 視線の先にいたのは、一人の男性。彼はフェニックスを庇うように前に出た。鍛え抜かれた体付きをしていること以外、特筆して語るほど特徴のない相手だ。しかしその身から溢れるマナの色は独特で、更に言えば人間が持つには『あまりにも異常な量』が感じ取れる。

 そして、四強魔を戦闘不能にまで追い込んだ自分を怯ませた相手。それだけの情報が揃えば、おのずと目の前にいる男性が誰であるかの見当が付いた。

「まさか……貴様……いえ、貴方様は……」

 途端、フレースヴェルグの中から恐怖の感情が消え失せ、代わりに歓喜が溢れてくる。

 ……『勇者』アレス……──アレス・ブレイブ様!

 間違いないと、フレースヴェルグは確信する。まるで片思いでもした少女のように頬を染めるフレースヴェルグ。

 しかしアレスはそんな彼女の様子など気にしたそぶりもなく、瞳を鋭く細めて招かれざる来訪者を睨みつける。

「お前がどこの誰かは知らないが……さすがに訳もわからず家族を傷付けられて、それを許せるほど俺もお人好しじゃなくてな……悪いが容赦はないと思ってくれよ、お嬢さん」

 声に怒りを宿らせて、アレスは最愛の女性から受け取った剣を構え、全身からマナを溢れさせた。

 デミウルゴスと別れた俺は、強烈なマナの波動を感じ取る。それと同時に、巨大な爆音と熱波に襲われ、揺れる平原の大地を踏みしめて転倒を堪えた。

「今のは……」

 どことなく覚えあるマナ。しかしそれに思考を割く間もないまま、突如大きな悲鳴が鼓膜に入ってきた。体に緊張感が走る。

 一つ丘陵を越えた先。そこに広がっていたのは真っ黒に焼けた大地と、一部が高熱によって硝子化した大地であった。モノが焼ける臭気が鼻を突く。そんな中、地面に横たわる小さな少女と、見知らぬ茶髪の人物、二人の姿が俺の視界に入ってきた。

 倒れているのはもちろんフェニックスだ。その上に覆い被さる何者か。しかもそいつは、フェニックスの腹に剣の切っ先を突き付けている。

 俺は頭がカッと熱くなるのを感じ、俺の脚は全力で彼女たちに向かって駆け出した。同時に魔法陣を二つ、体の左右に展開する。

「穿て──『ストーン・エッジ』!」

 魔法陣が淡く輝き、先端が尖った石弾が一つの魔法で三十発。二つで合計六十以上が放たれる。初級の土属性魔法で、主に牽制などで用いられる。

 飛翔する石の弾丸がフェニックスに覆い被さった人物に殺到するが、その大半は不可視の何かに弾かれてしまう。しかし、いくつかは相手の防御を貫通してその頬を掠めて背後の地面を抉った。

 相手が後ろに下がったのを見て取った俺は、フェニックスに駆け寄ってそのまま彼女を背後に相手と対峙する。

 こいつ、女か……ライトブラウンの髪に、同色の鋭利な瞳が俺を睨んでいる。中性的な顔立ちで、一見すると男女の判断に惑う。しかしわずかに隆起した胸とくびれた腰を見る限り、目の前にいる人物が女であるとわかった。

「小さい女の子相手に、さすがにやりすぎじゃないか?」

「誰だ、貴様は……?」

「それはこっちのセリフだと思うんだがなぁ」

 問い掛けてくる女に、俺は声の抑揚を抑えて返し、小さく振り返ってフェニックスの状態を確認した。仰向けから、ズリズリと地面を這うようにして横たわり、俺に目線を向けてくる。

「あん、た……何しに、来たのよ……」

 立ち上がることもできないのか、横たわったまま声を掛けてくるフェニックス。

 掠れた声。血に染まった半身。見れば、彼女の肩口には大きな穴が穿たれており、ギリギリ繋がってはいるが今にも千切れてしまいそうだ。体の至る所に走る切り傷は、明らかにの女性が手に持つ剣のよるものだろう。今まで小さな怪我ひとつしてこなかった四強魔のフェニックスが、息も絶え絶えの瀕死になっている。

「まさか……貴様……いえ、貴方様は……」

 十メートルほどの距離を開けて対峙する謎の女。彼女は突然現れた俺に警戒心をむき出しにしていたが、目を開いたかと思えば今度は破顔したかのように相貌を崩す。

「お前がどこの誰かは知らないが……さすがに訳もわからず家族を傷付けられて、それを許せるほど俺もお人好しじゃなくてな……悪いが容赦はないと思ってくれよ、お嬢さん」

 相手の反応の意味がわからず首を傾げたくなるが、それよりも俺の中に渦巻く烈火が無秩序に外へ噴き出るのを抑えるのに必死だった。

 怒りのままに剣を振り回し、目の前の女を切り伏せたい衝動に襲われる。しかし相手の力量も、フェニックスを攻撃した理由も不明な内から不用意に飛び出すわけにはいかない。

 戦いの場において冷静さの欠如はそのまま敗北の要因となる。心には幾らでも薪をくべて熱くなろうと構わないが、頭まで熱くなってはいけない。

 目の前にいるこいつは、仮にも四強魔であるフェニックスにここまでの手傷を負わせた相手なのだから。

 それにこの気配……見た目こそ普通の女だが、『本当にだだの人間』なのか? どことなく、俺は目の前の相手に四強魔と似たものを感じ取っていた。

「状況的に見てもお前だな、フェニックスをここまで痛めつけたのは」

 それでも、感情の高ぶりによって俺の体からはマナが溢れ出てしまっていた。手にした剣の柄をギリギリと締め上げて、中段に構えを取る。

 問いを投げられた相手は、緩んだ表情を引き締めなおすと姿勢を正し、何と深々と頭を下げてきた。

「その通り……わたしの名はフレースヴェルグ。そして、もしや貴方様は、アレス・ブレイブ様ではございませんか?」

「っ! お前……俺のことを……」

「はい。存じております。ただ、お会いするのは今日が初めてではありますが……そうですか。やはり貴方様が……お会いできて光栄でございます。では、わたくしのことはどうか気軽に、ヴェル、とでもお呼び下さい、アレス様」

 フレースヴェルグ……俺はこの女を知らない。だが、相手はどうやら俺を知っているようだ。いや、勇者として良くも悪くも俺は有名人だ。自分で言うのもなんだが。

 しかし、会ったことない彼女がこの場で俺をアレスと断じたということは……もしかしてここに俺がいることを知っていた?

 ここはシドの街道からも大きく外れた僻地も僻地……人の姿を見た記憶だってない。そんな場所に俺がいることを知っているという時点で、この女の怪しさは俺の中で急上昇する要因でしかない。

 そもそも、彼女の俺に対する対応は、こちらを勇者と知っているなら不自然なほど丁寧だ。巷での俺は根っからの嫌われ者……嫌な顔こそ浮かべられても、このような肯定的な態度を取ってくるものだろうか?

「まさか貴方様の方からこの場に参上していただけるとは、まさしく僥倖……後ろで這いつくばる害鳥を拷問する必要がなくなりました」

「っ……お前、こいつに何をしようとしていた……?」

「いくつか質問しようとしていただけのこと。大人しく答えてくれれば、その時は苦しませることなく冥府へ送って差し上げるつもりでした」

 美しい姿勢を維持したまま物騒なことを口走るフレースヴェルグ。彼女の言葉は俺の意思を確実なものとして決定づけるものになった──こいつは本当に、俺たちの敵である、と。

 が、次の瞬間に出た彼女の言葉に俺は耳を疑うこととなった。

「残すは世界樹の在処のみ。貴方様がご健在であるうちに訊いておくと致しましょう。世界樹の種子は、いったい何処にあるのですか?」

「なっ!? お前、そのことを何処で!?

「主より全て聞いております。世界樹のこと、魔神のこと、魔神に侍る四体の害獣のこと……そして、あなた様のことも、全て……」

「主? そいつは誰だ? それにお前も……一体」

 人間の世界において世界樹は伝説の存在。どこにあるのかはもとより、実在するかも怪しまれている。その存在を知る者は、俺を含めればデミウルゴスと四強魔、あとは世界樹本人であるユグドラシルだけ。

 だというのに、種子の存在まで知っているなどもはや不審を通り越して異常の域である。

 ますますもって目の前の人物に警戒心を抱くことになるとは思ってもみなかった。

「先ほども名乗りましたが、わたしはフレースヴェルグ。偉大なる主により生み出された聖なる獣。忠実な臣にして、『人間に試練を与える者』でございます」

 胸に手を当て、まるで唄うように自身のことを語るフレースヴェルグ。しかし俺には彼女の言葉の意味を少しも理解できなかった。

「アレス様。して、世界樹はいずこに」

「その問いに答えるわけにはいかない。訳のわからないお前に対してはなおのことな」

 目の前の女が普通の人間であったなら、フェニックスを攻撃した理由も納得ができる。だがこいつのあまりにも知りすぎている異常性を考えると、魔物に苦しめられた人間、としてフェニックスを襲ったとは思えない。

 俺は彼女と応答しながら、背後のフェニックスを気に掛ける。耳に届く苦しげな呼吸と呻き。俺は剣を片手に握りなおすと空いてた腕を後方に回し、

「む? アレス様、何を」

「──『キュア・サークレット』!」

 常時回復状態を付与する、支援型の回復魔法をフェニックスに発動した。

「ア、レス……これ……」

「しばらく動かずじっとしてろ」

 これで、フェニックスの怪我は自動的にある程度は癒える。生命力の強いこいつなら、これで危機的状況は脱せるはず。しかし、フレースヴェルグは驚愕に表情を染めて、身を乗り出して声を荒立てた。

「アレス様! 何をなさっているのですか!? その者は世界の害悪たる魔神の眷属! そのような回復魔法の使用は、今すぐお止め下さい!」

「……悪いがそれはできない」

「なぜ!?

 なぜ? そんなもの、訊くほうが間違っている。こいつは俺の……俺たちの、

「家族が苦しんでるんだ。見て見ぬふりができるかよ!」

「っ!? 家族……その害鳥が、貴方様の家族、ですと……?」

「それと、魔神が世界の害悪という先ほどのセリフ、取り消してもらおうか。あいつは誰よりも世界のことを考え、誰よりも心を砕いている偉大な神だ。そして、俺の最愛の妻でもある。あいつへの侮辱はたとえ相手が『女神だろうと許さない』!」

 俺の言葉を前にして、フレースヴェルグが唖然とした面持ちで口を開き、しかし次の瞬間には息を一つ吐き出し、まるでこちらを憐れむように見つめてきた。

「なるほど……これは重篤だ。まさか魔神の魂による影響が、そこまで深刻に貴方様を蝕んでいようとは……」

「痛ましい」と彼女は悲痛な面持ちで俺を見つめてくる。本気でこちらの身を案じていることが伝わってくる、この強烈な違和感に、俺は気味の悪さを感じてしまう。

 俺はフェニックスを背後に庇いながら、目の前の女性に意識を向け、いつでも動き出せるように体中にマナを循環させていく。

「やはり、あの御方のご命令通り、この場で貴方様の命を絶たねばならないようだ。胸は痛みますが、致し方ありません。これが貴方様を救う道となるのであれば、是非もなし」

 フレースヴェルグが言葉を紡ぎながら、ゆっくりとその手に持った剣を正眼に構え、

「アレス様。今、正気に戻して差し上げます──お覚悟を!」

 疾風のごとき速度で肉迫してきた! ベヒーモスにも劣らぬその速度。さながら風が形を成したかのようだ。

 俺の視界には既に彼女が首目掛けて剣を振るう姿を捉えていた。刃をすんでのところで滑り込ませて彼女の斬撃を受け止める。

 しかし剣を間に割り込ませた上から、押し込まれるような力強さを受けて、俺は足に力を入れてその場に踏みとどまった。

 ここで俺が彼女の勢いに押されて後退、ないし飛ばされてしまえば、後ろのフェニックスが無事では済むまい。

「お見事……わたしの剣速に即座に反応できるとは。さすがは我らの導き手。惜しむらくは、その身に余計なモノが混ざってしまっていることでしょうか。できれば健全な状態で、貴方様とは剣を交えたかった」

 ギチギチと軋むような音を立てて鍔競り合う俺とフレースヴェルグ。その細い腕のどこにこんな力があるのかと疑いたくなるほどの膂力。気を抜けば押し負ける。

「さっきから、お前の言っていることの意味は一つもわからないぞ……俺を敬ってるのか、殺したいのか……どっちだ!」

 俺は彼女の足元に魔法陣を展開し、『ロック・グレイブ』を発動させて一本の石柱をもってフレースヴェルグに一撃を入れた。

 しかし彼女はすぐに後退。俺と彼女は間に石柱を隔てて睨み合う。

「貴方様のことは敬愛しております。なればこそ、そのお命を頂戴するのです」

 そうのたまう彼女だが、やはり俺は内心で首を傾げるばかりで彼女の真意をつかむことができない。

 いや、惑わされるな。こいつはフェニックスを傷つけ、デミウルゴスを侮辱した。更には世界樹と俺の命までも奪おうとしている。ならばこいつは純粋な敵だ。奴の言葉に振りまわされるな。ここは戦場で惑えば死ぬ。

 なら俺がやるべきことは一つ。この敵をここで倒すのみ!

「はぁ──!」

 俺はデミウルゴスから託された剣にマナの膜を纏わせて強化し、目の前の石柱を突き崩し、岩の破片を相手に向けて放つ。

「無駄ですよ」

 しかしこちらの攻撃は不可視の壁によって阻まれた。しかし空気の揺らぎを見た俺は、この壁の正体を掴んだ。

「『ウィンド・ヴェール』か」

 無詠唱で魔法を発動。しかも魔法陣が全く見えないということは……彼女の持ち物の中に付与魔法が施されたアイテムがあると見ていいだろう。『鑑定士』の『鑑定眼』を使えば真偽は一発でわかるが、そこまでせずとも経験から判断できる。俺は状況からほぼ核心であると睨んでいる。

 魔道具の中には、単純に火、水、光といった生活魔法が出せるだけの物の他、特定の魔術式を刻み、マナを通すだけで術式に該当した魔法を術式に発動することのできる物も存在する。既に式が出来上がっているため、詠唱も魔法陣の展開も不要。ただし任意にマナを注げるのは魔法を扱うことのできる者に限られ、更には非常に高価ということもあって、あまり広く普及はしていない。

 しかし、こと刹那の時が勝敗を分ける達人同士の戦いにおいては、この付与魔法がほどこされた魔道具を持つか否かで勝敗に大きく差が出る。

 俺は石柱の欠片たちを目くらましに、サイドステップでフレースヴェルグの真横に身を滑らせる。『ウィンド・ヴェール』の効果範囲は基本的に術者の正面のみ。横には風の防御幕は存在しない。

 剣を引き絞って刺突の構えを取り、一気に突き出す。長剣としてのリーチにより俺の間合いは彼女よりはるかに広い。フレースヴェルグ目掛けて繰り出した刺突。しかしそれは彼女の振りかぶった剣によって弾かれてしまう。

 フレースヴェルグの正面からでは風による幕が剣の一撃を防いでしまう。俺は常に彼女の横に位置取りをするように体を動かし、時には彼女の足元を薙ぐように剣を払う。

 まるで踊るようにお互いの有利な位置取りを奪い合う剣戟。切り結ぶことすでに十以上。不意に俺の剣が大きく弾かれて仰け反ってしまう。

 しかし俺は弾かれた刀身に風の魔法を乗せ、そのままの勢いで螺旋状に体を一回転。横に薙いだ銀色の一閃はまたしてもフレースヴェルグの剣技の前に防がれる。が、体格で勝る俺の腕力に押されて彼女は剣ごと吹き飛ばされた。

「くっ!」

 それでも彼女は空中で一回転し、たたらを踏むことなく地面に着地する。

「──『ストーン・エッジ』!」

 俺はその隙を見逃すことなく魔法を発動。出合い頭にも発動した『ストーン・エッジ』を、今度は三つの魔法陣から発射した。

「──な!」

 迫る石弾は計九十以上。それでも大半は彼女の『ウィンド・ヴェール』によって散らされる。

 だが、数発の石弾はその守りを突破し、フレースヴェルグに襲い掛かった。

 如何に守りの『ウィンド・ヴェール』も所詮は空気の流れを利用した魔法だ。密接した気流の流れによってできた幕が物理、魔法を防いでいるにすぎない。空気である以上、そこにはかならずムラが生じ、気流の隙間、あるいは幕の形成が薄い箇所が生まれるのは必定。小さな石弾を無数に打ち込めば、いくつかは隙間を潜り抜けて彼女に到達する、というわけである。最初の時も、俺の石弾が彼女の頬を抉ったのはそのためだ。

 通過した石弾も、そのほとんどは剣に弾き落とされたが、数発は彼女に命中。先の尖った石が突き刺さった。

「……この程度!」

 しかしそれは決して致命傷ではない。俺は間髪入れずに次の魔法を発動した。今度は彼女を囲むように『ロック・グレイブ』を発動。地面を突き破って出現した石柱がフレースヴェルグへと迫る。

「ふっ──」

 だが石柱が彼女を捉えるより早く、フレースヴェルグは地を蹴って上空に跳んだ。その姿を認めた俺は次の魔法を撃ち込む。

「『バースト・ゲイル』!」

 高密度に圧縮された空気の塊が、跳躍した彼女の真上から炸裂し、そのまま地面へと叩き落した。

「がっ!」

 伸びきった石柱を砕いて強かに地面に体を打ったフレースヴェルグ。しかし地面へぶつかった衝撃の大半は『ウィンド・ヴェール』で緩和されたようだ。彼女はすぐさま立ち上がって剣を握りなおす。俺は足に力を入れて一気にフレースヴェルグへ駆け寄った。

「はぁぁぁっ!」

 上段から彼女の脳天目掛けて剣を振り下ろす。だがこのまま彼女の正面に一撃を入れても風の守りで防がれるだけ。そこで俺は剣に先ほどの『バースト・ゲイル』をぶち当てて威力を増強。守りの上から彼女を両断すべく軌跡のままに切っ先を落とす。

「──っ!」

『ウィンド・ヴェール』の守りはより威力の乗った俺の剣に両断された。しかしそのせいで勢いが衰えた剣撃はフレースヴェルグの剣によって受け止められてしまう。

「ぐ、ぅ……これが勇者様のお力……数多得たジョブの力をここまで使いこなすとは……このフレースヴェルグ、感服の一言でございます」

 この状況で尚もそんなことをのたまうフレースヴェルグ。しかし片膝を地面に突き、体格の不利で徐々に押し込まれる剣先を前に、さすがの彼女も苦悶の表情が見て取れる。

「──なればこそ、わたしも『本気』でお相手せねばなりますまい!!

 途端。彼女から膨大な量のマナが溢れて、俺を後方に吹き飛ばした。まるで風の繭に包まれていくように、彼女の姿が見えなくなる。

 しかし次の瞬間、繭の内側から硬質な金属を擦り合わせるような音が鳴り、中から幾重にも刃が折り重なった翼がその姿を現す。

 そして風の繭が吹き散らされると、中から姿を見せたのは……

「なっ!?

 ──灰褐色の羽毛と反射する鋭利な刃の翼を持った巨大な大鷲の姿であった。

 羽ばたきと同時に金属の擦れる音が聞こえる。本来の姿に戻ったフェニックスと同様の鋭い猛禽の瞳に見下ろされ、肌がビリビリと痺れた。

『人の身に宛がうには少々行き過ぎた力かとは思いますが、貴方様を確実に殺すためにはこの姿でなくてはならないようです……お誇り下さい。わたしにこの姿を晒させたことを』

 言葉が終わるなり、フレースヴェルグは上空へと一気に飛翔。大きくその翼をはためかせる。

「っ──アレス! 逃げなさい!」

 不意に聞こえたフェニックスの声、俺の中で警鐘が鳴った。大きい一撃が来る、そう思った俺の体は反射的に動き、フェニックスのもとまで走ると、彼女を抱えて、足を止めることなく上空を仰ぎ見た。

『──『ブレイド・フェザー』』

 フレースヴェルグの翼が太陽の光を反射し、羽ばたきを一回。すると巨大な剣状の羽が俺とフェニックス目掛けて降り注いできた。あのままフェニックスを地面に放置していたら、彼女は今頃串刺しどころかミンチであっただろう。

 しかしこのまま逃げ回っていてもいつかは捉えられて末路は変わらない。焼けた大地に次々と刃が突き刺さっていく。俺は地面を蹴って刃の雨から離脱を図った。

 しかし密に降り注ぐ刃を躱すのは困難を極めた。フェニックスを抱えているためなおさらだ。

「アレス! 私を下ろしてあいつと戦いなさい!」

 回復魔法が効いたのか、表面上の傷は大半が塞がっている。おそらくは彼女自身の生命力が強いこともあるのだろう。それでもまだ万全とはいかない。ここで放置して降り注ぐ刃を受けでもしたら、今度こそこいつは死ぬ。

「馬鹿を言うな! 俺はお前のことをデミウルゴスから任されたんだ! ここで死なせるわけにいくか!」

 今ここでこいつを投げ出すことはデミウルゴスへの裏切りだ。あいつから任されたフェニックスの命を、簡単に捨てる真似などできるわけがない。

「いいのよ、もう……私はあの訳のわからない鳥女に完全に負かされた……そろそろ限界だとは思ってたけど、この短期間に二度も負けたのはかなり堪えたわ……」

 俺の腕の中で、フェニックスは前髪で眼を隠して俯いてしまう。声にはいつもの覇気はなく、自嘲を含んで紡がれる言葉は彼女に暗い影を落としていた。

 完全に自信を打ち砕かれてナーバスになっているのは明らかであった。

「私が死んだらデミウルゴス様はきっと悲しんでくれる。それはわかるわ。あの方は本当にお優しくなったから……昔と比べて……本当に」

 頭上からはいまだ尽きることのない剣の雨が降り注ぎ続ける。一度でも足を止めれば絶命必須の状況の中、フェニックスは独り言のように呟き続ける。

「数千年ぶりに、あの御方にお会いした時……本当に驚いたわ。まるで憑き物が落ちたみたいに、あの方のまとう雰囲気が変わってて……力を失ってもお顔には活力が満ちていたもの」

 不意にフェニックスは空を見上げ、そのまま視線を滑らせて俺を見上げてくる。ほんのりと寂しさを窺わせる瞳が、小さく揺れていた。

「どれだけ人間を殺しても、あの方は喜んではくれない……私たち四強魔は常にデミウルゴス様と繋がっていた……だからこそわかる。人間との戦争にあの方が心をすり減らしていってたのが。少しずつ感情が摩耗して、ほとんど人間を自動で殺戮する道具みたいになっていた……でも、そんなデミウルゴス様が、あんたの前で本当に幸せそうに笑ってた」

 ぎゅっとワンピースの胸元を掴んで、彼女は遂に瞳からじんわりと涙の雫を溢れさせた。顎を伝って滴り落ちる透明な水滴。悔しさを噛みしめるように噛んだ唇が白くなっている。

「デミウルゴス様を救いたかった。人間を絶滅させれば、あの方は笑顔を見せてくれる、そう信じてずっと人間を殺してきた。なのに、あの方に笑顔をあげたのは……私じゃなくてあんただった……デミウルゴス様が本当に欲しいものをあげたのは、私じゃなくてあんただった!」

 降り注ぐ剣が、俺のすぐ真横に突き刺さった。体勢を崩されかけるも、なんとか体に力を入れて転倒だけは防ぐ。

「私は結局あの方には何もしてあげられなかった! 役立たずなの! たとえ死んでも悲しみなんて少しすれば癒える……でも! あんたが死んだらデミウルゴス様も死ぬ! 傷付けば深く悲しまれる! だから今すぐに私を捨てなさい! それがデミウルゴス様のためなの!!

「……い……」

「あんただって、口うるさい私がいなくなれば清々するでしょ!」

「うるさい! 少し黙ってろ!!

「ひうっ! な、何よ! こっちはあんたとデミウルゴス様のことを考えて」

「余計なお世話だ! さっきから聞いてれば好き勝手言いやがって。あいつがお前のことなんて言ってたか知ってんのか? あいつは、お前を『家族』だって、そう言ったんだ!」

「家族……違う……違う違う! 私は道具よ! デミウルゴス様が生み出した、人間を殺すだけの道具なの!!

「そんなこと──」

 フェニックスは大粒の涙を零して悲痛に叫んだ。すると、背後から風を切って飛来する刃の気配を感じ取り、俺は剣を握る手にマナを集めてた。体を思いっ切り一回転させて剣を横に振り抜き、間近まで迫った巨大な剣を、割り砕いた。

「あるわけない! お前を道具だなんて、あいつは欠片も思ってねぇ! あいつにとってお前は──」

 俺の脳裏に、別れ際に聞いたデミウルゴスの言葉が浮かんでくる。

『──我の家族を助けてくれ!!

 そうだ。あいつはフェニックスを始めから道具だなんて思っちゃいない。限界までマナを消費し、フェニックスを助けるためにあいつは俺にこの剣を創造して託した。自分が使えるマナを限界まで注ぎ込んで、デミウルゴスはフェニックスのために動いたのだ。

 その想いは誰にも否定など許されない! 俺にも、こいつにも!

「──お前は、かけがえのない大切な家族なんだ! 道具なんかじゃない!」

「っ……」

 俺はフェニックスの体をより強く抱いた。再び俺たちを捉えた銀の刃を、俺の剣閃はもう一度砕いてみせる。降り注ぐ銀色の破片が宙を舞う中、魔法陣を正面に展開。中央に冷気が収束し、氷の槍が形作られる。

 上空のフレースヴェルグは羽ばたく度に剣を地上に放つ。だが奴だって翼を折りたたみ、再び開いて羽ばたくまでにはほんのわずかな一瞬がある。ようやくそのタイミングも見えてきた。

 そして今、剣を砕いた瞬間、フレースヴェルグはまさに翼をはためかせようとしている。

 刹那的な余裕しかなくとも、『賢者』のジョブを持つ俺には魔法発動を極端に短くできるだけのスキルがある。

「──『アイシクル・ジャベリン』!」

『──っ!?

 氷の刃は真っ直ぐにフレースヴェルグ目掛けて飛翔する。こちらの反撃は予想外だったのか、奴の反応がわずかに遅れる。しかしフレースヴェルグは体を捻ってギリギリ魔法を回避を試みる。が、それでも槍は茶色い羽毛を掠めて宙に散らした。

『まさかここまで魔法が届くとは……末恐ろしい御方だ』

 上空から称賛の言葉を送ってきたフレースヴェルグは、その翼を大きく広げて、更に空高く舞い上がった。

「なっ!?

 もはや輪郭すらあやふやになるほど上空まで飛翔したフレースヴェルグ。さすがにあそこまで飛ばれてしまえば、地上からの魔法はどれも届かない。

 魔法はマナが現象を形とし成すことで発現している。術者から放たれた魔法は距離が離れていくにつれてマナが大気に散ってその形を保てなくなり、最終的には効力を失ってしまう。

 先ほどの『アイシクル・ジャベリン』は、その射出速度と俺が込めたマナの量があったからこそ、上空のフレースヴェルグまで届いた。だが、さすがにあの高度は無理だ。

 俺にも空を疑似的に飛ぶ手段がないわけではないが、風魔法を足場にして空中に浮くというものだ。魔法の精密なコントロールが要求される上に動きはかなり制限される。並みの魔物が相手であればなんとかなるが、今回は相手が悪い。

 というかそもそもあいつは何なんだ!? 人間から魔物の姿に変わるなんて、まるで四強魔だ。

『空はわたしの世界……いかにアレス様でもこの領域に入り込むことはできますまい。さぁ、そろそろ終わりの時間です──』

 上空を仰ぐ俺の目に、見るからに巨大な魔法陣が展開される。

『そこの害鳥ごと切り刻んで差し上げましょう! ──『ディザスター・ストーム』!!

 魔法陣がひと際眩く輝いた瞬間、視界を覆うほどの巨大な竜巻が、幾重にも空から吹き荒れてきた。

 俺は咄嗟にデミウルゴスの剣を地面に突き刺して、腕を前に出す。

 この魔法は、俺では打ち消せない。あの暴風に触れた瞬間、体が引き千切られて吹き飛ばされる。ゆえに、俺はデミウルゴスと魂が繋がったことで使えるようになった、『魔力障壁』を発動させた。薄い膜が俺とフェニックスを包み込む。唸る暴風が障壁にぶつかる。途端、膝を折ってしまいそうなほどの衝撃に襲われた。

「ぐっ!」

 鼓膜を引き裂くような風音。ぶつかる先から障壁に阻まれた風が散っていく。実に十秒以上、凶悪な暴風に晒された障壁。しかし、さすがは最強の魔神が使っていた防御魔法。あれだけの一撃を受けても破壊されることなく、耐えきることができた。風が止むと、上空のフレースヴェルグが驚愕の声をあげた。

『っ! まさか、先の魔法を受けて無傷だと!?

 どうにか凌いだ。しかし魔法を受け止めた際の衝撃は凄まじく、障壁よりも先に俺が参っちまいそうだ。

 そうなると、もう地上での攻略を悠長に考えている暇はないか。ここは多少無茶をしても空での戦いに挑むしかない。

 フレースヴェルグは先の魔法が防がれたことで警戒しているのか、追撃の気配はない。今のうちに。

「フェニックス、動けるか?」

「え? ええ」

 頷く彼女に、俺はほっと安堵する。一時は瀕死の状態だったが、回復魔法がなんとか彼女の体を動かせるまでに治癒してくれたようだ。

「今から俺が空に上がってあいつの相手をする。その隙に、この場を離脱してくれ」

「は!? ちょっと待ちなさい! あんた飛べるの!?

「疑似的にだ。本当に飛べるわけじゃない。それでも、なんとかしてみせるさ」

 フェニックスが絶句したように口を閉ざして目を開く。さすがに無謀な試みだと呆れられたか。それでも、今ここでそれ以上に奴の相手をする手段はない。

「…………さい」

「え?」

 と、俺がフェニックスを地面に下ろそうとした時、小さな呟きが聞こえた。

「すまない。今なんて」

「だ・か・ら! 私に『乗りなさい』! あの鳥女のいるところまで、このフェニックスがあんたを運んであげるわ!」

「ちょ!? お前正気か!?

「ええそうよ残念ながらね! デミウルゴス様が生きろと言うなら、私はどんなことをしてでも生き残ってやるわ! あんたと一緒にね! ならもうこれ以上の手はないわ。空での移動は私に任せなさい! あんたはあいつを如何に叩きのめすかだけを考えて!」

「……行けるんだな?」

「誰に物を言ってるのよ? 私は四強魔よ! デミウルゴス様に生み出された……

 ──世界最強の魔物なんだから!」

 力強く、先ほどまでの自嘲にまみれていた彼女ではない。どこまでも不遜に、傲慢に、相手を見下す小生意気な少女。俺は思わず吹き出しそうになるのを堪えて「ああ!」と頷いた。

「やるか! 二人で!」

「不本意だけどね!」

「おい!?

 なんて緊張感のない会話をお互いに交わしながら、俺たちは上空に留まるフレースヴェルグを見上げた。

 フェニックスの体に付いていた小さな傷はほとんど塞がったが、肩に開いた穴はいまだ筋肉がむき出しで血が滲んでいる。それでも、彼女の瞳には確かな闘志が宿っていた。

 大丈夫。こいつのフォローは俺がする。そしてこいつには、俺には届かない空の頂へと導いてもらう。今ここに、嫌われ勇者と災厄の魔物の共闘が始まろうとしていた。

「行くわよ!」

 声を上げたフェニックスの体から、まるで火の粉のようなマナが溢れて宙を舞う。

 俺たちの動きを見て異変を察したフレースヴェルグが、慌てたように翼をはためかせて刃の羽を地上に降らす。しかし炎のマナが俺とフェニックスを覆い尽くし、刃が届くことはない。

 俺の腕の中にあった小さな体は光に包まれ、徐々にその姿を変じさせていく。

『この期に及んで……まだ無駄に足掻くか、害鳥!』

 マナの囲いを吹き飛ばし、空が視界に入る。視線はずっと高く、手のひらに感じるのは柔らかく滑らかな羽毛の感触。

『なっ!? アレス様……なぜ……なぜそのような害鳥の背に!!

 フェニックスはその本来の姿を示し、炎の翼を広げて蒼穹へと舞い上がる。俺は彼女の背に乗りながら、上空のフレースヴェルグを仰ぎ見た。空気を裂くように、地上があっという間に離れて景色が後方へと流れていく。

『落ちないで下さいね。そんなことで我が主ごと落命など笑えぬ冗談ですよ』

 お子様的な話し方から一転、落ち着きと厳かさを持った声で、そんな冗談めかしたことを口にする。

「舐めるなよ。お前がどんな動きをしたって食らいつくさ。そっちこそ、簡単に撃ち落とされてくれるなよ」

『誰に言っているのです……私は──』