「お、おう?」

 と、俺が現状の理解に頭を抱えていたら、不意にデミウルゴスから声がかかった。

「こやつは世界樹の精霊で、名をユグドラシルという。一応、我とは姉妹のような存在だと思ってくれて構わん」

「そ、そうなのか……なるほど……」

 いや……いやいやいや! それだけの紹介じゃ全く彼女のことがわからないんだけど!?

 というかそもそも『世界樹の精霊』ってなんだよ? もう少し説明を……うん? いや待てよ。

 世界樹の精霊、って単語は、前にどっかで聞いたことがあったような……

 あ、そうだ。確かこの前、ティターンが俺たちを襲ってきた時にデミウルゴスが、

『ティターンは【世界樹の精霊】から、種子について聞き出したのじゃろう』

 あの時はそれがどんな存在なのか聞き出せるような余裕はなかったから、そのまま流れてしまったんだった。

「ユグドラシルよ、紹介しておこう。こやつはアレス。今は我と共に、お主を大樹にまで育てる手伝いをしてもらっておる」

「ふふ、知ってるよ~。デミウルゴスの……ディーちゃんの旦那様、だよね~? 初めまして! あたしは世界樹の精霊をやってる、ユグドラシルです! よろしくね、アー君!」

「あ、ああ……よろしく」

 ア、アー君って……いきなりフランクだな。

 デミウルゴスのことも、ディーちゃん、って……なんというか、ものすごくフレンドリーな感じがするな、この子。

「ユグドラシルよ、そのディーちゃんというのはやめよ、あまりにも子供っぽ過ぎる」

「ええっ! ディーちゃんはディーちゃんだよ~! 昔はそう呼んでたんだから、別にいいでしょ~?」

「お主は仮にも世界の要たる世界樹の精霊であろうが……もっと威厳というものをじゃの……」

「そんなものはいりません! それに威厳って意味なら、アー君にベタベタに甘えてるディーちゃんの方がよっぽど……昨日の夜だってずっとあんあん……」

「ああもうわかったわかった! もうよい! ディーちゃんでもなんでも好きに呼ぶがよいわ!」

「言われなくてもそうするよ~」

「全く、お主は……昔っから全然変わらぬのう」

「えへへ~、そんな褒めないでよぉ~」

「褒めとらんわ!」

 おお、あのデミウルゴスが完全に振り回されている。もう俺の中では、初めて出会ったときに抱いたデミウルゴスのミステリアスな雰囲気は完全に消し飛んでいた。

 それはある意味親しみが増した結果と言えるのだろうが、俺と接しているのとはまた別の、本当の家族と接しているような気安さが今のデミウルゴスからは感じられた。遠慮のない物言いをし合える仲。目の前で繰り広げられている掛け合いには、相手への絶対的な信頼が見て取れる。

 しかし俺としては、まずこの言葉を言わせてほしい。

 ──ユグドラシルとやら、服を着てくれ!!

「いや~、ディーちゃんは相変わらずの堅物だねぇ~」

「お主が奔放すぎるのじゃ!」

「ええ~? そんなことないってば~」

 その後、デミウルゴスに服を創造してもらったユグドラシルは、相も変わらずデミウルゴスと楽しそうに会話に花を咲かせている。

 天真爛漫、自由奔放。

 とにかくユグドラシルはよく笑う。更に言えばデミウルゴスをからかって楽しんでいるようだった。俺と四強魔はそんな二人の様子を少し離れた位置で見守っている。

「あの方がユグドラシル様……お母様と共にこの世界の創世記から存在する大樹の精霊……」

「でもデミウルゴス様とはなんというか、性格が全然似てないわね」

「うん……見た目は何となく似てるのにね……対照的……」

「…………あいつが、世界樹の……直接姿を見るのは初めてだな……」

 龍神、フェニックス、ベヒーモスはユグドラシルと会うのは初めてなようだ。四強魔の中で唯一ユグドラシルと言葉を交わしたことがあるのはティターンだが、彼女は目を細めてどこか面白くなさそうに腕を組んでいる。

「こんにちは~、あなたたちがデミウルゴスが言ってた四強魔ね? ティターン以外は初めまして~! あたしはユグドラシル。これからよろしくね~!」

 ユグドラシルが俺たちのところまで歩いてくると、おもむろに自己紹介をし始めた。彼女の後ろから、ぐったりした様子のデミウルゴスが追い付いてくる。こんな風に消耗している感じのデミウルゴスを見るのも初めてだ。

「よ、よろしくお願いします! ユグドラシル様!」

「ああ。あなたがフェニックスね。そんなに畏まらなくてもいいよ~。もっと気軽に、『ユ~ちゃん』って呼んでくれていいんだからね~。その代わり、あたしも君のこと、『フ~ちゃん』って呼ぶから」

「そ、そんな! 畏れ多いです!」

「あらら……フ~ちゃんは固いねぇ~。ほら、もっとリラックス、リラックス~!」

「あ、あうあう~~」

「これユグドラシルよ。あまりこやつを困らすでない」

「ぷ~……まぁ仕方ないか。おいおい慣れてもらえばいいんだしね~。というわけでフ~ちゃん、改めてよろしく~」

「は、はい!」

 ユグドラシルが差し出した手を、フェニックスは緊張した面持ちでがしっと両手で握る。もう完全にガッチガチである。

「それで~、あなたはベヒーモスね?」

「そう……」

「そっかそっか! ええと、ベヒーモスだから、『ベ~ちゃん』……は可愛くないわね……うん! なら『ヒ~ちゃん』! これに決定! それじゃ、よっろしく~!」

「よろ~……」

 ベヒーモスに関しては非常にマイペースに対応していた。眠たげな瞳でユグドラシルを見つめ、ぽけ~っと片手を上げて応じる。

「う~む……君は何を考えているのかよくわからない感じだね! 何か面白い!」

「そう……? ボク、褒められてる……?」

「もちろん!」

「わ~い……」

 ……何だ、この妙なやりとり?

 マイペース同士が会話すると、こんな風になるのか?

 片や出会ったその日に俺と交尾をしたいとか言い出してきたベヒーモスに、片やデミウルゴスをも翻弄するユグドラシル。

 この二人は何か、変な波長でもあっているような感じがする。

「えとえと、それであなたが龍神?」

「はい、その通りです、『おば様』」

「おば!? ええ!? あたしってそんなに老けて見えるの!?

「お母様とは姉妹のような間柄と聞いておりますし、わたくしとしましては、おば様が一番しっくりとくるものですから……あの、ダメ、でしょうか?」

「ええ~……う~ん……たしかに関係性でいえばおば様なのかもしれないけど~……う~ん、おば様……」

「あの、もしお嫌でしたら、別の呼び方に……」

「ううん! いい! あたしはおば様! それも何か新鮮でいい! それと、あなたは龍神だから、『りゅ~ちゃん』って呼ぶことにするね! それでよろしく!」

「はいっ、宜しくお願いいたします、おば様」

 ユグドラシルは立て続けに四強魔の内、三人と挨拶を交わしていく。そして、最後の一人、ティターンの前に、軽やかな足取りで歩み寄った。しかし、二人の雰囲気は先ほどまでの三人とは違い、どこか重たい空気を滲ませている。

「久しぶり、ティターン。あれから色々とあったみたいだね。君が持っていったマナ、全部返してもらったよ。本当は怒るべき所なんだろうけど、君のおかげで『新しいあたし』はこうして目覚めることができた……感謝するよ、『ターちゃん』♪」

「あん? てめぇ、一体何を言って…………ん?」

 と、急にティターンは黙り込むと、視線を下げてなにやら考え込み始めた。しばらくすると、何かに気がついたかのように「はっ」とした表情を浮かべ、ガシガシと灰色の髪を掻き毟りはじめた。

「ちっ……ああくそっ、そういうことかよ……このクソ精霊……」

「ちょっと!? ティターン! あんたユグドラシル様になんて口の利き方してんのよ!」

「いいよフ~ちゃん。そんなに気にならないし。でも~……何であたしは舌打ちされちゃったのかな~? それと、さすがに年上にクソは失礼だぞ~?」

 態度の悪いティターンを諌めるように声を荒立てるフェニックスを、ユグドラシルは宥める。ティターンは心底不愉快といわんばかりに表情を歪め、ユグドラシルから視線をそらして再度舌打ちした。しかしユグドラシルは気を悪くした様子もなくニコニコと笑みを浮かべているだけだ。それがかえって俺には不気味に映ってしまう。

 癪に障ったのか、ティターンは眉を吊り上げてユグドラシルを睨み付けた。

「……てめぇ、このオレを利用しやがっただろ……」

「んん~? 何のことかな~?」

「とぼけやがって……世界樹、てめぇオレに、マナの運び屋をさせやがったな」

 ティターンが苛立ち混じりにそう口にすると、ユグドラシルは人好きのする笑みから、どこか意地の悪そうな笑みに表情を変化させた。

「あ、気付いたんだ。あはは、頭弱そうな見た目の割には、完璧におバカってわけでもないんだね」

「ちっ……このクソ精霊が……」

「ティターン。少々口が悪すぎじゃぞ。してユグドラシルよ。今のは一体どういうことじゃ?」

「ええと、実はねぇ~」

 デミウルゴスが問いかけると、ユグドラシルは言葉の意味を説明し始めた。

 ──彼女いわく、事のあらましはこういうことらしい。

 ユグドラシルは、自分の分身である新しい世界樹が生まれたことに歓喜し、老い先短い自分が抱えるマナを、少しでも新しい世界樹に分け与えようと考えたそうだ。デミウルゴスに意識を飛ばし、自分の体からマナを持っていってほしい、そう頼もうと思い至った。

 しかし、デミウルゴスは世界樹の守護を任されている身である。ただでさえ枯れ掛けている先代の世界樹をこれ以上苦しめるような真似などできはしないだろう。ユグドラシルはデミウルゴスの性格をよく知っていた。ほぼ間違いなく、デミウルゴスは自分からマナを搾取するような真似はしない。別の方法で何とかしようとする。しかし、それでは世界樹の種子が芽吹くまでにかなりに時間が掛かってしまう。

 どうしたものか、とユグドラシルは思考を巡らせた。

 するとそこに、力を求めたティターンがやってきた、というわけである。

 ここでユグドラシルは一計を案じた。

 ティターンに自身のマナを奪わせ、世界樹の種子が生まれたという情報をリークする。そうすれば、力欲しさにティターンは種子を目指すだろうと踏んだ。

 事実、ティターンは世界樹の種子を狙った。

 だがユグドラシルは、俺という存在が種子の近くにいることを知っており、その力でティターンを倒してくれるだろうと期待していたようだ。

 そうして倒されたティターンから、マナを種子に吸わせ、間接的に自分先代から種子今代にマナを与えることができる。

 これこそが、ユグドラシルの計画していた内容の全貌、ということであった。

「──な、何という無茶をするのじゃお主は! もしも旦那様がティターンに敗北しておったら、どうするつもりだったのじゃ!?

「そこは心配してなかったかな。種子を通じてディーちゃんとアー君のことはずっと見てたし。フ~ちゃんにも勝って、ディーちゃんとの戦いでもあそこまで善戦したんだもん。ティターン……『ターちゃん』にだって勝てるって、あたしは信じてたよ」

「そ、それは我だって、旦那様が勝利することを疑ったりはしなかったが……それにしたってのう……」

 ユグドラシルの話を聞いて、俺はティターンと初めて会った時に交わした会話で抱いた疑問に、答えを得ていた。

 あの時、ティターンが口にしていた言葉……

『なぜ、オレが世界樹の種子について知っているか、だったか? それはな、世界樹『そのもの』から聞いたからだ』

『あははっ! 仕舞いには痛みに我慢できなかったのか種子のことも吐いちまって、自分が助かろうとしたくらいだ。『死に掛けの自分よりもそっちの方が大量のマナを持ってる』とか言ってな! いやはや、世界樹なんて言っても、所詮は生物か。大切な分身を売るとか、笑いが止まらなかったぜ!』

 と、こう口にしていたのだ。

 だが、これはどう考えてもおかしい。

 確かに世界樹の種子は強力なマナを内包している。

 だが、いくら枯れかけとはいえ、『大樹の状態である樹よりも、種子の方がマナを多く持っている』ということはない。現に、今代の世界樹はいまだ世界に向けてマナを放出しているのだ。仮にも世界を支えている大樹のマナと、生まれて間もない種子であれば、どちらがより多くのマナを持っているかなどわかりきったことだろう。

 ……まぁ、ティターンは気付かなかったようだが。

 それはいいとして、俺はさすがに世界樹自身がこのようなわかりきったことを口にしたことに疑問を抱いた。仮に、本当に種子を売ったのだとしても稚拙に過ぎる嘘である。

 ……まぁ、ティターンは気付かな(略)

 それになにより、いくらなんでも世界樹ほどの存在が、自らが生み出した世界の希望を、易々と他者に売り渡すだろうか、という疑問もあった。

 しかし、ユグドラシルから話を聞いて納得がいった。全ては、新しい世界樹に自らのマナを与えるための、ユグドラシルの計画だったのだ。

 そのためにティターンを焚きつけ、世界樹の種子へと接触するように仕向けた。なるほど。これは確かにティターンとしては面白くない話だ。さすがに同情はできないがな。

「オレはまんまと、てめぇに利用されたってわけだ……くそっ」

「あはは、まぁこれが年長者の知恵ってやつだよ! ちょっと博打的な要素はあったけど、結果としては上々だったね! わははは! あ、でもあまり怒らないでね。あたしだって、お肌をべりべりって引き裂かれたときは本気で痛かったんだから! 次にやったら、本気で怒っちゃうんだからね! ……う~ん、でもさっきからのターちゃんの態度はちょっとないよねぇ? うん。やっぱり少しはお仕置きしなきゃね! それじゃ、ほい、アー君」

「はい?」

 矢継ぎ早に言葉を並べて表情をコロコロと変えるユグドラシル。彼女はどこから取り出したのか、その手には一本のツルが握られていた。それを俺に渡してくると、

「これで一晩、ターちゃんをその辺の樹に逆さに吊るしておいてね。それがあたしからの、お・し・お・き……あはっ♪」

「「……」」

 その夜。思いがけず垣間見たユグドラシルの黒い部分に恐怖を覚え、俺は言われたとおり、ティターンの足にツルを括りつけて、一晩中逆さ吊りにした。

 しかし翌朝、頭に血が上って顔を真っ赤にしながらも、どことなく恍惚の表情を浮かべるティターンの姿が、そこにはあった。

「あはは……やべぇ……これ、なんかいいかも……」

 涎を頭に向かって零し、悦に浸るようなティターンの不気味な姿に、俺はかなりドン引きした……

 ユグドラシルが目覚めた日からすでに五日が過ぎた頃。

 俺はベヒーモス、龍神と共に、エルフの森の外に出ていた。

「さぁ、お母様のため、おば様のために、アニマクリスタル、い~っぱい集めますよぉ!」

「お~……」

 拳を頭上に突き出して可愛らしく意気込む龍神と、気だるげな雰囲気を隠そうともせず同調するベヒーモス。

 二人の後ろをついていき、俺は声を掛けた。

「この辺りに出てくる魔物は、キルラビットかグリーンスライムだ。お前たちなら怪我の心配はないと思うが、スライムはマナでできたお前たちの服は溶かすから気をつけろよ」

 四強魔の着ている衣服はその素材が全てマナでできている。グリーンスライムは空気中のマナなどを体内に取り込んで栄養にしている魔物だ。

 つまり、マナで構成された衣服も、彼らにとってはご馳走になってしまうのだ。ゆえに、体に触れた途端に溶かされてしまう危険がある。

「ご親切にありがとうございます。ですがわたくしの戦い方は遠距離からの魔法砲撃が主ですので、近づいての戦闘はほとんどありませんから大丈夫ですよ」

「ボクは、別に服くらいいくら溶かされても平気……そもそも溶かされる前に倒すから問題なし……むん……!」

 ベヒーモス、羞恥心とかあまりなさそうなキャラだとは思っていたが、案の定というかなんというか。

 男の俺がいる目の前で、いきなり肌を露出するという意味をもっと考えてほしい。

 まぁ、言っても無駄だとは思うが。

 何せこいつらは人間とは異なる感性で生きている。そもそも男に肌を晒すことへの抵抗とかそういうのが全くないのだ。

 昨日も、俺とデミウルゴスが泉で水浴びをしているところに、ユグドラシルと共に突貫してきたくらいだ。

『ヒーちゃん! とつげき~~!!』『お~……』なんてことを口にしながら、本当に俺たちに向かって突撃してきやがったのだ

 ユグドラシルは俺たちをからかう目的で乱入してきたみたいで、可笑しそうにケラケラ笑っていた。しかもデミウルゴスの背後に回って、彼女の胸を鷲掴みにして遊んでたりもしたな。当然デミウルゴスはユグドラシルに眉を吊り上げて怒りを露にしていたが、俺としてはちょっと眼福、なんて思ってしまったのは内緒だ。

 ちなみに、泉に突撃してきたのはユグドラシルやベヒーモスだけではなく、四強魔全員である。あのとき俺は、きっと己の理性を試されていたに違いない。泉の淵でずっと魔術公式を脳内暗唱していたよ。

 だというのに、ベヒーモスは俺に対してまたしても『交尾、しよ……?』と迫ってくる始末だった。ユグドラシルの猛攻(?)によって足止めを食らっていたデミウルゴスの隙を突いての行動。当然ながら、俺はその場から一目散に逃げ出した。

 ちなみに今朝、出かける時に俺がベヒーモスと一緒に森の外に出ようとしたところ、

『我も一緒に行くのじゃ! 危険なメス猫と旦那様が一緒に行動するなど、何があるかわからんではないか!』

 などと言ってデミウルゴスが俺たちに同行しようとしてきたのだが、

『ああ、ダメダメ。ディーちゃんはあたしと一緒にやることがあるんだから。フーちゃんもターちゃんも、今日はあたしと一緒に行動してね~』

『なぁ!? ユグドラシル! 邪魔をするでないわ! このままでは旦那様が! 我の旦那様の旦那様がメス猫に食われてしまうのじゃ~!』

『はいはい、それでも今日はこっちを手伝ってね~』

『い~や~じゃ~!!

 と、なぜかユグドラシルに連れて行かれてしまったのである。

 しかし、どうしてフェニックスやティターンまで?

 デミウルゴスが連行されていく中、振り返ったユグドラシルは、俺に向かって、

『帰ってきたら面白いものが見れるかもしれないから、アニマクリスタルの回収、頑張ってきてねぇ~!』

 と、気になることを言い残していったのだが……はて? 面白いもの? 一体ユグドラシルは何を考えているのだろうか。

 彼女はなかなか掴めない性格をしているせいか、何をやらかすかわからない怖さがある。あれで世界創造の時からいる、いわば神様的な存在なのだから、世の中はまさしく不思議で満ちていると言わざるを得ない。

 しかし何はともあれ、今はこうして龍神、ベヒーモスと狩りに出かけている。

 俺が二人に同行しているのは、龍神の実力を見ておきたい、というのがあった。

 フェニックスやティターン、ベヒーモスは出会い頭にいきなり戦闘となってしまったこともあり、結果としてどれだけの戦力を有しているかは確認ができている。

 しかし、龍神に関しては今日まで一緒に狩りに出たことがないため、いまだどれだけの力を備え、かつどのような戦闘スタイルなのか全く不明なのだ。これから共に行動していくのだし、彼女の戦力がどれほどのものなのかは知っておきたいところだ。

 それと、ベヒーモスたちが戦闘でどれだけ連携を取れるかも見ておきたい。四強魔が一度に同じ場所に出現したというのは聞いたことがない。いざ集団戦となった時、こいつらは互いを意識して動けるのか……全く仲間を気に掛けず同士討ち、なんてことになれば目も当てられない。もしも単独で動いた方がいいようなら、個別に動かすことも考慮する必要がある。こいつらの持つ個々の戦力なら、よほどのことがない限り単独で行動させても問題はないだろうしな。

 ──魔物を探して始めてから、およそ数分後、ベヒーモスが空の一角に視線を向けた。

「……あっちから、来る……」

「は? あっち……?」

 ベヒーモスの言葉に従って、目線を上空に持っていくと、確かに西の方角から黒い小さな影がこちらに向かって来ているのが視界に入ってきた。

「あれは……何でしょうか?」

「わからない。俺もここで狩りを始めて一月以上経つが、空の魔物なんて見たことなかったからな」

 この辺りで見かける魔物はキルラビットとグリーンスライムだけだった。他の魔物の姿を見たことはこれまで一度もなかったのだが……

「数、けっこう多い……」

「みたいだな」

 徐々に大きくなってくる影。その数は目視できるだけで二十は軽く超えているだろう。

 俺は『鑑定士』のジョブが持つ力、『鑑定眼』を発動し、迫ってくる影を解析した。

「【チープガルーダ】……B級指定の魔物だな」

 視界に映る情報を読み取ると、空からの来客は俺も相手にしたことがある魔物であった。赤褐色の羽毛に覆われた、一頭が一メートルはある巨大な鳥型の魔物だ。口から炎を吐いて攻撃してくるため、上空から奇襲を受けると対処が難しい。対空戦闘の用意がないパーティーが、このチープガルーダの群れに壊滅させられたなんて話はよく耳にする。

 中々に厄介な相手だな。

「あら、ガルーダということは、フェニックスがこの世界に生み出した魔物ですね」

「そうなのか?」

「はい。フェニックスは空に関係のある魔物を多く生み出しています。中でもガルーダは強力な個体が多かったと記憶してます」

 おそらく、龍神が言っているのは『ガルダ』や『カルラ』のことだろう。こいつらもチープガルーダと同じように鳥型の魔物である。しかし、この二体はA級に指定されるほど強力な魔物たちだ。チープガルーダはガルダと似たような特徴を持っていることからそう名づけられてはいるが、固体としての強さはそこまでじゃない。

 しかしチープガルーダは基本的に群れをなして行動し、数の利を活かしてこちらを攻めてくるため、非常に厄介な存在であることは同じだと言える。実際、群れをなしたチープガルーダの討伐ランクはAに格上げされることもあるくらいだ。

「あいつらの肉、なかなかうまい……でも、飛んでる魔物の相手するのは、めんどくさい……ねぇ、アレは無視しちゃダメ……?」

「あらあら、困った子ですねぇ……アニマクリスタルの回収はお母様が望んだことです。あれだけの数、倒せばかなりの量のアニマクリスタルが手に入るでしょう。きっと、お母様もおば様もお喜びになります」

「むぅ……わかった……仕方ない……殲滅する……!」

 龍神の言葉に喝を入れられたベヒーモスから、濃度の高いマナが溢れ出す。

 こちらの戦意に感化されたのか、上空のチープガルーダたちが一斉に俺たちへ向かって来るのが確認できた。

「ふふ……元気のいい鳥さんたちですねぇ……では、まずはわたくしが歓迎いたしましょう」

 龍神もベヒーモス同様、体からマナを放出して臨戦態勢に入った。

 すると、龍神の容姿に変化が生まれる。耳が少しだけ尖り、頭部から二本の鋭利な角が真っ直ぐに伸びていく。丸かった瞳孔も細くなり、どこか爬虫類を思わせるものに変化していた。更には、彼女の腰の付け根あたりから鮮やかな蒼い鱗に覆われた、太く長い尻尾まで生えてきたのだ。

「お母様のため……世界のための礎になってください……『アクア・ショット──れん』」

「うぉっ!?

 姿の変わった龍神が、右手をチープガルーダに向かって掲げる。途端、一気に六つもの魔法陣が彼女の正面で展開。魔法陣の中心では水の塊がふよふよとたゆたい、しかし次の瞬間には鋭く尖ったジャベリンのような形状へと変化する。

「射出……水弾六連」

 龍神の言葉を合図に槍状の水が高速で打ち出された。

 一直線に飛翔する水の槍は、下降してくるチープガルーダを一度に複数まとめて撃ち落とす。一匹に当たっても勢いは衰えず、貫通して後続のチープガルーダをも貫いてしまった。結果、龍神の一撃で計十体以上の魔物が葬られる。

 すると、空から地面に向かって青い光を放つ結晶体が降り注いだ。

「ふふ……さぁ、どんどんいきますよぉ……って、あらら?」

 にこやかな笑みを浮かべる龍神だが、彼女の迫力にチープガルーダどもは気勢を削がれて空へと逃げようと旋回する。

 だが、そこにすかさず躍り出た影がひとつ。

「ダメ、逃がさない……」

 ベヒーモスだ。いつの間にか、手足を既に獣化させている。

「ど~ん……」

 ぐしゃ!

「うわぁ……」

 上空に逃れようとするチープガルーダの群れの中に、凄まじい跳躍で飛び込んでいくベヒーモスは、獣化した腕を振りぬいて群れを先導していたと思われる体の大きな個体を地面に叩き落とした。衝撃で骨や肉がひしゃげる嫌な音が響き、そのまま絶命した。その凄惨な死に様に、俺は思わず顔を顰めてしまった。

 統率者がいなくなったためか、群れは動きがちぐはぐになり、ベヒーモスに面白いくらいに叩き落とされたり、爪で引き裂かれたり、羽を引き千切られて落下したりと、さんたんたる有様であった。

 しかも、いざ空高く逃れることができたとしても、

「襲い掛かってきておいて、背中を見せるのは感心しませんねぇ」

 龍神の水魔法によって体を貫かれ、命を落とす結果となってしまう。

 正直、俺の出る幕は完全になかった。

 討伐ランクだけならAに該当するチープガルーダの群れが、何の抵抗も許されずに蹂躙されていくのだ。

 もしもこの光景を冒険者が目にすれば、彼らはきっと自分の正気を疑うに違いない。それだけ、目の前で繰り広げられる光景は圧倒的で一方的であった。

 時間にしておそらく十分も経ってはないだろう。

 すでに地面は無残な屍を晒す魔物たち。更にはそこかしこにアニマクリスタルが転がっている。太陽の光を反射して輝く青い美しい結晶の光が、まるで皮肉のように映る光景だ。俺は龍神はもちろんのこと、ベヒーモスにも改めて畏怖と関心の感情を抱いた。

「さすがは四強魔だな。チープガルーダがまるで相手にならないとは」

「まぁ、お褒めに預かり光栄です。ふふ……」

「当然……この程度の魔物にどうにかされるようじゃ、四強魔を名乗る資格はない……」

 さも今回の勝利が当たり前だと言わんばかりに……いや、もしかするとこの二人は、これを戦闘とすら思っていない節がある。

「よし、それじゃ散らばったアニマクリスタルを回収して、今日は帰るとしようか」

「はい、そういたしましょうか」

「うん……」

 何の活躍もできなかった俺は、せめてアニマクリスタルくらいは率先して回収しようと、散らばる屍の中を走り回った。

 さすがはBランクの魔物というべきか。アニマクリスタルに込められたマナの量が、キルラビットやグリーンスライムとは桁外れだ。これだけ強力なマナを内包したアニマクリスタルを持ち帰ったら、きっとデミウルゴスたちも喜んでくれるだろう。俺は嬉々としてアニマクリスタルの回収作業に励んだ。

 それに、チープガルーダは食用の肉として人間の間でも好まれている。討伐ランクが高いため、なかなかに値の張る食材で、目にする機会はそう多くないが。肉質が良くさっぱりしててうまいのだ。

 俺は魔物の屍を、『賢者』のジョブが使える『異空間収納』に放り込む。しばらくは御馳走が食卓に並ぶと思うと、口内で涎が溢れてくる。

 だが、不意に俺の服の裾がくぃ、と引っ張られた。そちらに目を向けると、こちらを見上げてくるベヒーモスがいた。俺は首を傾げ、「なんだ?」と問いかけたのだが……

「ボク、今日は一杯、頑張った……」

「え? あ、ああ、そうだな。お前のおかげで、大量のアニマクリスタルが回収できた。それにチープガルーダの肉はうまいからな。これだけあれば、しばらくの食料にも困らない。感謝してるぞ」

「そう……なら……ご褒美を要求する」

「ご、ご褒美……?」

 あ、この先の流れがなんとなく予想できる気がしてきたぞ。

「うん……今すぐ、ボクと交尾し」

「俺! 先に森に戻ってこのアニマクリスタル世界樹に吸わせてくるわ! それじゃな!」

「あ……また逃げられた……むぅ~……」

 俺は捲し立てるようにそれだけ言い残し、ベヒーモスの前から一気に逃走をはかった。

 何というか、油断してると本当にいつか俺は食われるんじゃなかろうか……気を引き締めていこう、うん……

 ベヒーモスから逃げてきた俺は、森の入り口で大きく溜め息を吐き出した。

「はぁ~……ベヒーモスの奴、またいきなり迫ってきやがったなぁ」

 何となく、今日はもう大丈夫なんじゃないかとタカを括っていた所への奇襲であった。半分閉じられた眠たげな瞳の奥に見え隠れする、獲物を狙う肉食獣の眼差しが恐ろしいのなんの。それでいてベヒーモスはなかなか……いや、かなり可愛い部類に入る容姿をしているのも曲者だ。

 デミウルゴスと結ばれてから、致した回数はまだ数回程度。デミウルゴスに飽きたとかそういことは絶対にないにしても、ベヒーモスからああも上目遣いで迫ってこられては、俺の理性だっていつまでもつか……俺の理性だって鉄壁じゃないんだぞ。

 このまま攻め続けられたら、いずれは……というか、痺れを切らしたベヒーモスが強引な手段で俺を襲撃してこないとも限らない。デミウルゴスが隣にいるからと、安心はできないな、こりゃ。

「まぁそれはともかく、やっぱり龍神もさすがの強さだったな」

 四強魔の一人である龍神。

 本人も言っていたが、龍神は魔法を主体にして戦うスタイルのようだ。魔法を得意としているならフェニックスと似ているような気もするが、あいつの場合は力任せに魔法に威力を込めて撃ち出すタイプだ。

 だが龍神の場合はその逆。あれだけの威力を持った魔法を、複数の魔法陣を展開して発動するなど、並みの魔術師や魔導士では不可能な芸当だ。つまり、龍神は精密な魔法コントロール技術を持っている、というわけだな。

 しかも魔法を断続的に撃ち出し、空を飛ぶ相手に向けて正確に撃ち出すその技量も目を見張るものがある。

「いやはや、龍神まで俺と戦うとか言い出さなくて本当に助かったな」

 もしも彼女と戦ったら、俺は勝てるだろうか? 実際にやってみなくては断定することはできない。とはいえ、むざむざ敗けてやるつもりもないが。

「さて、何はともあれ、今日は大量だ。すぐにでも世界樹にこいつを吸わせないとな」

 俺は異空間収納に収めていた良質なアニマクリスタルを取り出す。いつも狩っていたキルラビットやグリーンスライムより明らかにマナの純度が高い上質な結晶体。やはり高ランクの魔物からはより強力なアニマクリスタルが手に入るようである。

 これはいよいよ、魔物を狩るための遠征を視野に入れて、今後の行動を考えるべきだろうな。

「良質なアニマクリスタルの入手。前はティターンのせいで町の冒険者ギルドには寄れなかったからな。近いうちにお邪魔させてもらおう」

 今日のチープガルーダだって、たまたま新しい住処を探していた群れに当たっただけだからな。あいつらは住処を定期的に変える習性がある。そんな偶発的な幸運だけでアニマクリスタルを回収するのはナンセンスだ。

 町の冒険者ギルドなら、魔物の情報が手に入る確率は高い。可能であれば魔物の生息域を記録したマップも欲しいところだ。そいつがあれば、より効率よくアニマクリスタルの回収が見込めるはず。

「デミウルゴスと相談だな。また町に行くとなれば、森を空けることになるわけだしな」

 しかしまずは、今日の収穫を世界樹に持っていくのが先か。

 見れば、背後から龍神とベヒーモスも追いついてきていた。

「あら? アレス様、まだこちらにいらしたのですか? もう世界樹まで行っているものと思ってました」

「ちょっと考え事を、な」

 俺はベヒーモスにチラリと視線を向ける。

 だが、ベヒーモスも龍神の手前か、先程の交尾の話を蒸し返してくる様子はない。

 俺はほっと一息ついて、二人と一緒に世界樹の苗木がある広場に向かった。

「ん? あれは……」

「あら、お母様たちですね」

「みたい……」

 見れば、苗木のある広場へと続く道の途中に、デミウルゴスとユグドラシルが二人して立っていた。

「あ、やっと帰ってきたよ~! おかえり~!」

 こちらに気付いたユグドラシルが、大きく手を振って俺たちを迎える。

「ただいま戻りました……お母様、おば様。お二人は、こちらで何を?」

「えへへ~、三人が帰ってくるのをずっと待ってたんだよ~。ねぇディーちゃん」

「……うむ、お疲れ様じゃったな、三人とも」

「主様、ただいま~……」

「おう、今日は中々の収穫があったぞ。巣を移動させようとしていたチープガルーダの群れと遭遇してな。普段よりも上質なアニマクリスタルが大量に集まったぞ」

「……そのようじゃな。旦那様から良質なマナの気配がするのう、これは成果を確認するのが楽しみじゃ……」

 そう言って小さく微笑むデミウルゴスだが、俺は彼女の表情に小さな疲労感が滲んでいるのを見逃さなかった。額に少しだけ髪の毛が張り付いているし、少し前まで汗をかくようなことをしていたのかもしれない。

「デミウルゴス。お前、何か少し疲れてないか?」

「む? あ、ああ……よく気がついたの」

「そりゃ、お前のことだからな。目覚めてからずっと一緒にいるんだし、それくらいの変化はすぐにわかるさ。というか、大丈夫なのか?」

「う、うむ……倒れそうなほど疲れておるわけではないから安心せよ。しかしそうか……見ればわかる、か……ふふ……」

 俺の言葉に、デミウルゴスが小さく照れの表情を浮かべる。手の指先だけをあわせてはにかむその表情は、ぐっとくるほど可愛らしい。

 というか今すぐめちゃくちゃに可愛がりたい! 甘やかしたい!

 が、疲れているこいつに無理もさせられない。今夜は大人しくておこう。愛する妻の健康を気遣うのは、良人の務めだろう。

「まぁ、その……ユグドラシルに少しばかり……いや、かなりこき使われてのう……疲れてしまったのじゃよ。じゃが、旦那様の気遣いで吹き飛んでしまったわい」

「ちょっと~、人を暴君みたいに言いながら二人であま~い空気を出すの禁止~。そういう雰囲気は二人っきりのときにしてよね~」

「まさしく暴君のような振る舞いじゃったろうが。あのような無茶をさせおってからに。それと甘い空気など出しておらん。普通じゃ、普通」

「うわ~……自覚がないよこの子~、お姉ちゃんはこれから先が心配だわ~。周囲の目を気にせずにイチャイチャチュッチュしちゃうような破廉恥な女の子になっちゃってるよ~」

「体をくねらせながら妙なことを口走るでないわ。それより誰が姉じゃ、誰が」

「あたし~。生まれたのはあたしの方がちょっとだけ先だったもんねぇ~」

「あんなもの僅差じゃ! 僅差! たったの百年程度ではないか!」

 いや、デミウルゴスさん。百年はもうそれ、僅差とかそういうレベルじゃない。

 まぁこの二人の時間的な感覚で言えば、百年くらいは微々たる時間なのかもしれないが。

 それにしては、俺が眠っていた二年を「待たされた」とデミウルゴスが言っていた辺り、それだけ待ち望んでくれていた、ということなのだろう。

 あ、やばい。顔がにやけそう。

 頬の筋肉が痙攣してヤバイ。俺、今そうとう変な顔してるんじゃねぇか、これ。

「まぁそんなことはおいといて、実はあたしとディーちゃん、それとフーちゃんとターちゃんの四人で、いいものを作っちゃったんだ~。今からアニマクリタルをあたしにくれるんでしょ? だったら丁度よかったよ~」

「よく言うわい。ほとんど形にしたのは我であろうが……」

「ええ~、でもでも、あたしが目覚めたからこそできたことでもあるでしょ~? だったらやっぱりあたしも貢献してると思うけどな~」

「む、それは確かにそうかもしれんが……」

「デミウルゴス、いいものってなんだ? ユグドラシルが何かしようとしてたのは知ってたが」

「ああ、それはのう」

「ああ~っ!? まだ言っちゃダメ~! 広場に行ってからお披露目するの~!」

「子供かお主は」

「今は子供だもんね~、ほらほら、幼女のつるぺた~」

「ちょっ!?

 何を思ったのか、ユグドラシルは俺たちの目の前で服を胸元まで捲り上げてしまった。なんとも無邪気な表情で。

 いや、え!? この天真爛漫小悪魔精霊は何してんの!? 男がいる前でいきなり服をがばっ、と捲って肌を露出とか! 変態なのか!? 変態なんだな!?

「これ。服を捲るでないわ。お主の貧相な体など誰も求めてはおらん」

「うわ~、ディーちゃんひどい言いよう~。あたし本来の姿ならすごいんだから~! ディーちゃんと違って!」

「お主、喧嘩を売っとるのか」

「いや、まずはさっさと服を戻してくれ。ていうかいい加減に広場に行こうぜ……」

「と、そうであったな。こやつがからかってくるものじゃから、我もつい熱くなってしまったのじゃ」

「あはは~、ごめんねぇ~。それじゃ気を取り直してゴーゴー!」

 そんなユグドラシルの掛け声を合図に、俺たちは世界樹の苗木まで足を進めた。

 慣れた道を歩き、しばらくするといつもの空間が見えてきた。

 しかし、広場に出た俺たちの前には、見慣れないものがそびえていた。

「じゃじゃ~ん! どうだ~!」

「これは……」

「あらあら、すごいですねぇ」

「おお~……」

「はぁ~……人の苦労も知らずにはしゃぎおって……」

 広場に出た俺たちが目にしたもの……それは、俺とデミウルゴスがかつてシドの町で利用した……『宿屋の建物』そのものであった。

「どうどう!? すごいでしょ!?

 森の中の開けた広場の一角。その境界線となる場所に、樹を切り開いた空間が新しくできており、そこに木造の建物が出現していたのだ。二階建てで屋根はスレートふき。外観はまんまシドの町にあったあの宿屋である。

 しかも宿屋の背後には、魔物の状態に戻ったフェニックスとティターンの姿もあった。

 神々しい黄金の羽毛に覆われた姿で翼をはためかせるフェニックスに、人間形態とは性別も変わって筋肉もりもりとなっている、ティターン。

 久しぶりに見た二人の本来の姿だが、それよりもやはり、森の中に突然姿を現した人工物に俺の視線は吸い寄せられた。

「デミウルゴス、これって……」

「まぁなんじゃ。ユグドラシルの口車に乗せられてのう。我が創造したのじゃよ」

「え?」

 デミウルゴスが、創造した?

 確かに全盛期であれば、これくらいの建築物は難なく造れただろうが、今の彼女は俺との戦いで力を失い、俺が目覚めるまでは服を作ることもできずに裸で生活していたはずだ。ようやく服程度なら創造できるようになった、と言っていたのはつい一、二か月ほど前。それがいきなり、この規模の建造物を創造できるようになったとは、一体どういうことのなのだろうか?

 いや、というか何故。いきなりこんな建物をこんな場所に?

「色々と突っ込みたい部分があるのは理解しておる。取りあえず一から説明するのでな」

 と、どこか呆れ気味に苦笑を浮かべながら、デミウルゴスは俺たちが狩りに出かけている間に起きた出来事について聞かせてくれた。

 時間を遡り、アレスたちが森を出発した、少し後のこと。

「──それで、我らをわざわざここに留めてまで、お主は何をしようというのだ、ユグドラシルよ」

 いつもは魔物の狩りに出かけるフェニックスやティターンまで森に残し、この世界樹の精霊は何を企んでいるのか。デミウルゴスは半眼でユグドラシルを睨みつけ、不満を声に乗せて問いかけた。

「ふふん、実はね。この森の……ちょうど世界樹のある近くに、あたしたちの家を建てようと思うのよ!」

 しかし当の本人はデミウルゴスの不機嫌な様子をものともせず、そんなことを口にした。

「いらん。というか無理じゃ」

 だが、デミウルゴスはそんな昔からの旧友に、即答で否を突きつけた。

「ええ~! そんなすぐにダメとか言わないでよ~!」

「無理なものは無理じゃ」

「そんなことないでしょ! だって、前はセフィロトに立派な神殿を創造してたじゃない! あんな感じで、ばーん! ってあたしたちが住む家を造ろうよ~!」

 こやつは……

 デミウルゴスは痛む頭を押さえて、首を横に振った。

 後ろに控えているフェニックスは戸惑った表情を浮かべ、ティターンはそもそも興味なさそうな様子だ。

 ちなみにユグドラシルが口にしたセフィロトとは、先代の世界樹が存在する異空間のことである。かつてのデミウルゴスの居城で、アレスと激戦を繰り広げた場所でもある。

「無茶を言うでない。全てを見ていたお主なら知っておろう。我はもう、かつてのような力を持ってはおらぬ。いや、もし仮にできたとしても、そのようなことにマナを無駄遣いするなどありえぬ。我のマナは世界樹の育成に大半を消費しておるのじゃ。あまり余分なことに消費しておる余裕などないのじゃよ」

 世界樹の育成は急務である。このままでは、あと千年も経たずして世界の崩壊は始まってしまう。今は少しでも早く苗木を大樹の状態にまでもって行く必要があるのだ。大樹からのマナが安定して世界に巡れば、滅びは回避できる。

 そのためには日々マナを世界樹に与え続け、一刻も早く成長してもらわねばならない。

 ゆえにデミウルゴスは、生命活動に必要なマナ以外は、全て世界樹に与えてきたのだ。

 それになにより、今のデミウルゴスには小さな家だって創造できるだけの力は残っていない。

 マナを他の物質に変換しての創造は、かなりのマナを体から消費する。今のデミウルゴスでは、創れても小さな小屋が関の山である。

「お主が一日でも早く大樹へ成長できるように、我も、そして旦那様や四強魔たちも努力してくれておる。じゃというのに、そのようなことを言って貴重なマナを無駄になど……」

「無駄じゃないもん! 必要なことだもん!」

「家など我らには不要じゃ。雨風は今の寝床でも回避できるし、寒ければ人肌で暖めればよい。嵐も豪雪も、魔法を使えば耐え忍ぶくらい簡単なことじゃ。第一、今の我では家は造れん。潔く諦めるのじゃ」

「大丈夫だよ! あたしの意識が回復した今、空気中からもマナは吸収できるし、ディーちゃんの負担は大きく減ってるはずだよ! マナを生み出す量だって種子の頃とじゃ段違いに多くなってるんだから!」

「む、確かにマナの効率は上がったかもしれんが、ならばより一層成長を早めるためにはマナの更なる摂取をじゃな」

「もう! あたしはディーちゃんやアー君たちと一緒に、家を建ててそこで生活してみたいの!」

「そんなことは人間のすることじゃ。世界の要たる神にも等しきお主が、ままごとのようなことに関心をもってどうするのじゃ」

「そんなこと言ったら、ディーちゃんの恋愛感情だって人間特有のものじゃないの!」

「そ、それは……」

 完全に自分の言葉がブーメランとなって返ってきてしまったことに、デミウルゴスはバツが悪そうな様子で視線を逸らした。

 しかし、そんな姿をこの世界樹様に見せればどうなるか、答えは火を見るより明らかである。

「だいたい神様が人間の男の子に恋をしちゃってること自体おかしいんじゃない? そもそも少し前まで人間滅ぶべし! って息巻いてたのはどこの誰だったかしら? なのにその人間に力を削がれて、そして今度は好き好き大好き~、って、さすがにどうなのかな~?」

「う、うるさいのじゃ! 仕方ないであろうが! 好きになってしまったものはしょうがないではないか! 我だって自分にこのような感情が芽生えるなどとは思ってなかったのじゃよ!」

 自分が言い訳がましいことを口にしている自覚があるからか、デミウルゴスはユグドラシルと視線をあわせることができない。

 そこに畳み掛けるようにユグドラシルは懐に潜り込んでいく。

「なら、あたしのごっこ遊びにも付き合ってくれたっていいじゃないのかな~? あたしだってずっと一人だったんだよ~? 樹の中で世界中の状況を黙って見守って、話し相手のディーちゃんは数千年間、ずっと人間のことばっかで構ってもくれないし……寂しかったんだから~」

「うぅ……」

 そのことについては、デミウルゴスも少しはすまないと思っていた。

 しかしあの頃のデミウルゴスはほとんど感情が死んでいたと言っていい。世界を救うために、長きにわたって人間を相手にしてきた精神的な疲労。そして、ユグドラシル同様に、ずっと一人で世界樹と世界を守ろうと奮闘していたのだ。豊かな感情を持っていては、とてもまともではいられなかった。

 それに、ユグドラシルにもできるだけ力を温存するために、現世への現界はせぬようにと言い渡していた。ゆえに、余計にお互いは近くにいながら孤独という状態になってしまっていたのだ。

「あたしだって皆と一緒にわいわいやりたいの……それにさ、ディーちゃんはいいかもしれないけど、元々が人間だったアー君にまで、ずっと今の生活を強いるのはどうかと思うけどな~」

「そ、それは……もちろん、旦那様にも悪いとは思っておるが……じゃからといって、マナを無駄に浪費するのは……」

 ユグドラシルから畳み掛けるように言葉を繰り出され、デミウルゴスはいよいよ反論が弱くなる。その姿に、ユグドラシルは「にや」と意地の悪そうな笑みを見せた。

 むろん、口元を手で隠してはいるが。

 ……この子、可愛すぎる。

 アレスを引き合いに出されて口調が弱くなったデミウルゴスの姿に、ユグドラシルは妙な嗜虐心を煽られてしまう。

 先日はティターンを逆さづりにして一晩放置してみたりと、ユグドラシルは幼い見た目に反して、なかなかのSっ気を持っているようである。

「そ、れ、に……こういう区切られた空間が、愛し合う二人には必要だと思うけどなぁ~? ほら、俗に言う、愛の巣、ってやつ……密室で二人っきり……夜は限られた空間の中を、甘い空気で満たして結ばれる……ねぇ? そんな風に、アー君と愛し合いたい、って思ったりはしないのかな~?」

「だ、旦那様との……愛の巣……」

 よしよし。心が傾いてきたわね~。それなら、ダメ押しにもう一発……などと自分の思惑を通そうと、デミウルゴスのアレスへの感情をこれでもかと利用して煽りまくるユグドラシル。

 デミウルゴスも、今は世界がどうこうという考えより、アレスのことばかりが脳裏を占めるようになってしまっていた。

 恋は盲目、とはよく言ったものである。幾星霜の時を生きた創造神が、まるで初心な少女のごとく、自らの使命よりも一人の男のことで頭がいっぱいになってしまうのだから。

「そうそう……それにぃ~、ディーちゃんが家を造ってくれた、って知ったら、アー君の好感度が上がっちゃって、夜の営みがますます激しくなっちゃりするかもよ~?」

「い、今より激しく!? そ、そうかのう……旦那様、褒めてくれるかのう……」

「もちろんよ! 断言してもいいわ! そんなわけで、あたしたちの家、造っちゃおうよ!!

「し、しかし……仮にマナに余裕ができたとはいえ、さすがに一からマナを再構成して建物を建てるとなれば、できても小さな小屋が限界じゃぞ? 最初から利用できる材料でもあれば、マナで建物の形に形状を変化させるだけで建てることは可能じゃが……」

「あたしがそこらへんを考えてないとでも? 甘いわディーちゃん! そのために後ろにいる二人……フーちゃんとターちゃんが必要なんじゃない!」

 すると、ユグドラシルはビシッ、とデミウルゴスの背後を指差して言い放つ。

 急に自分たちが名指しされて、フェニックスはびくっと反応した。

「わ、私たち、ですか?」

「あん? なんだ、オレたちにもその家作りとやらに協力しなきゃならないってのか?」

「そういうこと! フーちゃんとターちゃんには、家を造るための木材と石材の調達をお願いしたいの! あとは、家を建てる地面のならしね。本来の姿である魔物形態なら、この森の樹を切ることも、岩場を探して石材をここに持ってくることもできるでしょ?」

「え、ええ……まぁそれくらいなら……」

「めんどくせぇ……何でオレがそんなことを……」

「あはっ♪ 手伝ってくれたら、ターちゃんのだ~い好きな気持ちいいこと、いっぱいしてあげちゃうよ~?」

「任せろ。樹でも岩でもどんどん持ってきてやる」

「ありがとね~」

「ティターン……お前、本当に変わってしまったのじゃな……しかし、なにやらユグドラシルにうまいこと丸め込まれてしまった感じがして、複雑な気分じゃのう……」

「気にしない、気にしな~い。それじゃ、さっそく作業開始~!!

「──と、いうわけでのう……フェニックスとティターンに材料の確保と土地の整備をさせ、最後に我が揃った石材で基礎を形にし、その上に我の記憶にある人間世界の建物を創造した、というわけじゃよ」

「な、なるほど……」

 完全にユグドラシルに踊らされている……

 そんな妻に俺は小さく苦笑を浮かべ、改めて目の前にそびえる建物を見上げた。

 話を聞いた限り、デミウルゴスが外部と内部の構造を把握していた建物は、俺たちが利用した宿屋だけだということで、今の形に落ち着いたそうだ。

 それと、建物を建てたところで余分なマナは使い切ってしまったようで、内部に家具などは一切用意されてはいないらしい。

「できればあの、べっど、といったか……あれくらいは準備したかったのだが、さすがにもう限界でのう。しばらく創造は無理そうじゃ……結局、箱だけを作って中身がない感じの微妙な仕上がりになってしまったな……」

「いや、そんなことはないさ。家具くらいなら俺が用意するしな。近いうちにまたシドの町にいく予定だから、そこで一式、人数分買い揃えてもいいだろう」

「いや、時間をもらえれば、我がまた一から作ってもよいぞ? ユグドラシルの言葉に乗っかるわけではないが、今の我には多少なら融通できるマナが確保できる。それを使ってもよい」

「いや、家を準備してくれただけでも十分さ。今度は俺が、新しい生活環境を整えるために頑張る番だろう。奥さんがここまでしてくれたんだ。俺が何もしないわけにはいかないだろ? まぁそれはともかく、ありがとうなデミウルゴス。正直、いつかはしっかりした住処を用意したいと思っていたから、助かったよ」

「う、うむ、そうかそうか……では、家具などに関しては、旦那様の好意に甘えるとしようかのう…………奥さん……ふふ……奥さん、か……よい響きじゃのう……」

「あはっ、ディーちゃん、すっごく締まりのない顔してる~」

「ふっ、何とでも言うがよい。今の我にはお主の嫌味など屁でもないわ」

「うわ~、なんだろう? そのドヤ顔、すっごくムカつく~♪」

 ニコニコと笑みを浮かべながらも、額に青筋を浮かべるユグドラシル。本当に、この二人には遠慮というものがないな。距離がすごく近い。

 まぁそれはさておき、

「ユグドラシル、理由はどうあれ、俺たちの家を造るきっかけをくれてありがとうな。いずれ、この礼はさせてもらう」

「あら~、こっちは素直で可愛いじゃない。君みたいな子、お姉さん好みだよ~」

「ダ、ダメじゃぞ!? さすがにこやつはどんなことがあっても渡さんからな!」

「ちょっと~、ディーちゃん必死すぎだって~。そういう反応すると~、是が非でも欲しくなちゃうじゃな~い」

「絶対にやらん!」

「あ、あはは……」

 からかってくるユグドラシルに、俺の腕を抱きしめて離さないデミウルゴス。

 いつの間にやらフェニックスとティターンも人間の姿になっている。

 俺たちは四強魔から呆れに近い視線を向けられながらも、なんとなく、身内同士の気安い雰囲気に心が和む。

 それもやはり、こうして家族の家という、自分たちの居場所と言える場所ができたからなのかもしれないな。

 その後、俺たちはユグドラシルが目覚めたこと、新しい家ができたことを祝して、森で取れた山菜や木の実、チープガルーダの肉を盛大に使って宴会を開いた。テーブルや椅子はないので、木を切って丸太を並べただけの急ごしらえだが……それでも、宴の席は盛り上がり……というか各々が好き勝手に騒ぐ事態となり、収集をつけるのが面倒になったのだが、それはまた、別の話である──

 俺は湯船に体を沈めながら、頭上を仰いで思わず愚痴を漏らした。

「──はぁ~……あいつら。いくら宴会だからって好き勝手しやがって……」

 デミウルゴスが力を使って建ててくれた俺たちの家(宿屋風)には、風呂がしっかりと付いている。この建物は入ってすぐがロビーになっており、一階には食堂と厨房があり、客室は一階に五部屋、二階に八部屋、合計で一三部屋となっている。俺たちが宴会を開いたのはロビーの隣にある食堂だ。風呂はロビーから客室のある廊下を奥に進んだ先に設置されていた。

「ふぅ……しかし。まさか森の中で風呂に入れるとは思ってなかったな……」

 風呂は魔法で水を張ってから、火魔法を発動してお湯に沸かして利用する。魔法が使えるからこその贅沢である。

 魔法文明において魔法が使えないことは先天的な弱者になってしまうことを意味する。だが、魔法を使うことができずとも、魔道具というアイテムを使うことで、擬似的に魔法の恩恵を受けることが可能だ。

 基本的には、夜間の照明であったり、調理などで利用する火を熾すための道具であったり、乾燥した地域でも限定的に水を確保できたりと、様々な用途の魔道具が存在している。これらの動力源は空気中に存在するマナである。自身のマナを外に放出できる者は、そもそも魔法を使えるということだ。魔道具の利用に頼らずとも生活に支障はあまりない。

 まぁ、自分が苦手な分野においては、魔術師も魔導師も、魔道具を利用して生活水準を高めているようだが。

 とはいえ、魔道具にも欠点はもちろんある。

 魔道具はマナの薄い土地では使用することができない。動力源がなければ、そもそも起動もしないので、一部の地域では未だに魔法文明における弱者が確かに存在しているのだ。しかも、この魔法文明の発展が、世界を崩壊の未来に導いているというのだから、これが最大のデメリットと言っていいだろう。

 とはいえ、

「はふ~」

 疲れた体に、この風呂がもたらす快楽は抗い難く……

「贅沢だとはわかってても、やっぱり風呂は最高だよなぁ~……」

「──ふふん。そうでしょ~! あたしがディーちゃんに頼んで造ってもらったんだから、感謝してくれてもいいのよ~?」

「…………」

 ……あれ?

 何か、今この場では聞こえてはいけない声が聞こえてきた気がするんだが……

 気のせいか?

 俺は声の出所であろうと思われる風呂の出入り口に、おそるおそる目を視線を移動させた。

「ちょっと~、黙ってないで何とか言ったら~?」

 気のせいじゃなかった!

「ユグドラシル!? おまっ! 何でここに!?

 声がした方へと目を向ければ、扉を思いっきり開けてユグドラシルが浴室へと入ってきていた……その綺麗な素肌を惜しげもなく晒して。

 というかお前、さっきまで宴会してた部屋の床で寝てたんじゃ。

「お風呂、ご一緒させてもらうけど構わないよね~? ついでに、義弟の背中を流してあげようじゃないか~! 光栄に思いなさ~い!」

「は……?」

 コノヒトハ、ナニヲ、イッテルン、デショウカ?

 フロニ、ゴイッショ? セナカ、ヲ、ナガス?

 …………

 ……

 いや……

 いやいやいや!!

「普通に入ってくるなよ!? 今は俺が使ってるの見たらわかるだろうが!」

「うん。だから来たの。何か問題ある?」

「ないとでも思ってんの!?

 こいつは何を考えてんだ!? 男が風呂に入っている所に突入してくるか普通!?