一章 巨人へのお仕置き


 デミウルゴスと体を重ねて、一夜が明けた。

 まだ日が昇り始めたばかりの薄暗い森の中、目が覚める。

 昨日、俺は彼女の好意を受け入れ、これから先の人生を彼女と歩む決意を固めたのだが、その後にデミウルゴスに押し倒されてしまい、そのまま……しかし後悔などは微塵もない。彼女を受け入れる覚悟を決めたからだろう。むしろデミウルゴスと愛を交わせたことが、嬉しくてたまらない。

 まだ、俺の中には彼女と繋がった時の余韻が残熱のごとく燻っており、それが心を満たしてくれる。視線を少し移動させれば、いまだ俺の腕を枕にして眠るデミウルゴスの寝顔が視界に入り、顔の筋肉が緩む。枕にされた腕が若干痺れてはいるが、それすらも今は心地よい刺激だ。

 美しい寝顔の中に、あどけなさも同居させた彼女の魅力に、俺の体は再び反応してしまいそうになる。が、さすがに寝ている相手に襲い掛かろうとは思わない。

 昨日はお互いに初めてだというのに、ずいぶんと張り切ってしまった。彼女の体に負担を強いるようなことは控えるべきだろう。

 それでも、俺は空いた手で彼女の前髪や、柔らかい頬に触れる。くすぐったそうに身をよじる彼女だったが、ふいに俺の手を捕まえて、嬉しそうに引き寄せてしまった。それだけで、俺の体温はわずかばかり上昇する。

 これ以上はさすがに理性が溶けると判断した俺は、もう一眠りしようと瞼を閉じた。すると、思いのほか昨日の疲労に体が残っていたのか、すぐに俺の意識はまどろみに支配される。

 そのままゆっくりと意識を手放すも、俺は最後まで、デミウルゴスの存在を肌に感じていた。

「ん……、ん~~っ!」

 空でがだいぶ高くまで昇った頃に、俺は再び目を覚ました。

 やはり昨日、ティターンと戦った後に、デミウルゴスと逢瀬を過ごしたのが、思いのほか体に堪えているらしい。いつもより、かなり遅い起床だ。

 見れば、隣にいたはずのデミウルゴスの姿もない。そのことに、俺は少しだけ寂しさを覚える。なんというか、これから時間をかけて、デミウルゴスとの関係を深め、好きという感情を覚えていくのだと思っていたのだが……彼女に対して好意の感情を抱くのは、俺の想像よりもずっと早そうな気がする。

 まぁ、それ自体は悪いことではないし、気にし過ぎることでもないだろう。

 さて、森に帰ってきてからまだ体も洗っていなし、昨日は目一杯汗も掻いた。まずは体を洗うことにして、その後で食事にしよう。

 デミウルゴスを探すのは、そのあとでもいい。彼女のいそうな場所なら見当がつく。それに、臭くて汚い状態のまま彼女に会いたくはない……なんて、身だしなみに気を使ってみたりする。

 ……俺、このままいくと、彼女にどっぷりと溺れるんじゃなかろうか……?

 少しだけ怖い未来を想像しつつ、取りあえずはガッツリ体の汚れを落とし、泉の周囲に群生しているホーリーアップルを齧り、空腹と体力を回復させる。脱ぎ散らかした衣服を身に纏って泉を後にし、デミウルゴスを探して歩き始めた。向かうのは白い花畑に囲まれた世界樹の種子がある広場だ。きっと、彼女はそこにいる。

 歩き慣れた森の中を進み、目的地へと向かう。はたして、デミウルゴスは俺の予想通り、そこにいた。白い花が絨毯のように広がる広場の中央、小高い丘の上に、目を引く銀の長髪を靡かせた少女が、静かにしゃがみ込んでいる。

 彼女の視線の先、そこには光を放つ水晶のようなものが浮いている。あれが、世界樹の種子、この世界の存亡を左右する重要な要であり、最大の希望。

 しばらく、俺は種子に優しい笑みを向けるデミウルゴスの姿に目を奪われていた。周囲を囲む白い花畑と、その中心で微笑む美少女という構図に、目を離すことができなくなる。さながら、一枚の絵画を鑑賞しているかのようだ。

 しかし、不意にデミウルゴスがこちらに気づき、顔を向けてくる。瞬間、彼女は世界樹に向けていたのとは別種の、頬に朱をさした美しい笑みを浮かべた。すると俺の心臓はハッキリと鼓動を刻みはじめ、血流が速くなる。おかげで、顔が盛大に熱くなって堪らない。

 と、そんな俺のもとに、デミウルゴスが小走りに近付いてくる。丘を駆け降り、白い花たちを揺らしながら。

「おはようなのじゃ、旦那様よ」

「ああ、おはよう。デミウルゴス」

「うむ。今日は良い陽気じゃ。心なしか、種子も喜んでおるような気がするのう」

「そっか。それじゃ今日も魔物を狩って、一日でも早く世界樹が立派な大樹に育つよう、マナを集めて来ないとな」

「うむ、よろしく頼むぞ旦那様よ。じゃが、それはともかく……」

 デミウルゴスは俺に体を密着させて、紫水晶アメジストのような瞳で見上げてくる。そして俺の首に腕を回しながら爪先立ちになると、

「ちゅ……」

 俺の唇に、自分の唇をささやかに押し当ててきた。

「ふふ……改めておはようなのじゃ、旦那様よ。夫婦の朝はキスで始めねばの」

 小悪魔のような笑みを見せる彼女に、俺は更に顔を熱を発する。

「これからは一日の始まりに必ずキスをするのじゃ。異論は認めんからな、旦那様。ふふ」

 上機嫌な様子のデミウルゴス。

 俺は頬をポリポリと掻き、彼女の言葉に気恥ずかしさを覚えつつも、心が満たされるのを実感していた。

「そういえばデミウルゴス。あの後、ティターンはどうしてるんだ?」

「……あやつか」

 俺が問い掛けると、デミウルゴスは僅かに表情を曇らせ、小さく嘆息した。

 ティターン。『神の巨人』の名を持つ魔物で、デミウルゴスによって生み出された世界最強の魔物……『四強魔』の内の一体である。筋骨隆々な肉体に、巌のような顔をした大男の姿をした魔物だが、人間の女性に擬態する能力も有している。

「あやつは、体内のマナをほとんど世界樹に吸収され、完全に弱体化した。今はフェニックスに監視させておる。むろん、動き回れぬように縛り上げておる状態じゃ」

「……そうか」

 どうやら、あいつはまだ生きているようだ。

 あれだけのことを……世界樹の幹に傷をつけ、その命を危険に晒したあげく、産みの親であるデミウルゴスにまで手を上げようとした。果ては、この世界に残された希望である、世界樹の種子にまで手を出そうとしてきたのだ。

 この世界は世界樹からマナの恩恵を与えられて存在している。マナは万物に宿る力であり、生命の根源……デミウルゴスいわく、人間を含めた数多の生命、無機物にすら宿る魂も、全てはマナによって構成されているそうだ。もしも世界樹が枯れてマナが尽きれば、この世界は形を保てなくなり、消滅する……しかし、俺たち人間が発展させた魔法文明が、マナを大量に消費しているせいで世界樹に大きな負荷が掛かってしまった。だからこそデミウルゴスは、世界を滅びから救うために、マナを浪費する人間を絶滅させようとしたのだ。

 今の世界樹は、あと1000年以内に枯れてしまう……そう、デミウルゴスは言っていた。それだって大分甘く見積もっての年数だ。実際はそれよりも短いと予想される。

 故に、限界に近い世界樹の幹を傷付けたティターンの行いは、とうてい許せるものではない。今の世界樹が枯れたあとは、今の種子が新たな世界樹としての役目を引き継ぐことになる。世界の礎たる種子への手出しなど言語道断。普通であれば、すぐに殺されても文句を言えないほどの凶行。

 しかしデミウルゴスは、ティターンに対して非情になりきれていないように見える。予想はしていたが、やはり彼女も自分が生み出した存在には情けの感情があるようだ。ティターンが世界樹を傷付けたと知ったときは、拳から血を滲ませるほどに憤りを覚えていたのに……

「あやつは些かやり過ぎた。衰えた力を取り戻そうと、世界樹に手を出すという凶行に及んでしまった……挙句の果てには種子を取り込んで更に力を得ようと画策し、世界の支配を目論むなど……言語道断じゃ……じゃが」

 デミウルゴスが俯いて唇を噛む。

 さすがに俺がどれだけ鈍感でも、その先に続く言葉は容易に想像ができる。人間を容赦なく殲滅しようとする無慈悲な魔神としての側面を持ったデミウルゴスだが、彼女は決して感情のない殺戮マシーンではない。俺と同じように、温かい血のかよった存在だ。それが証拠に、彼女は今、辛そうに表情を歪めている。

「我は……我が思うよりもずっと、身内に甘かったようじゃのう……ティターンは決して許されない行いをした。じゃというのに、厳しく断罪することに我は躊躇しておる…………我ながら、なんとも情けないことよ」

 自虐的な笑みを浮かべるデミウルゴス。そんな彼女の手を、俺はおもむろに握る。デミウルゴスは虚を衝かれたかのように顔を上げ、俺を真っ直ぐに見上げてきた。

「だ、旦那様……?」

 俺からデミウルゴスに触れることはあまりない。いつもは彼女から俺に触れてくるのがほとんどだ。女性に慣れていない俺は、自分から異性に触れることに多少の抵抗を持っていた。

 だが、

「ふふ……旦那様から触れてくるとは珍しいのう。どうしたのじゃ?」

「デミウルゴス……俺としては、お前がティターンに手を下せずに悩んでいることを、嬉しく思う」

「っ……」

 俺の言葉に、デミウルゴスは目を見開く。しかし俺は構わず、更に彼女へ語り掛ける。

「俺はさ、物事をただ効率や理屈だけで即座に判断しちまう奴より、感情に振り回されながら葛藤して、苦悩している方が、生き物としてよっぽど正しいって思うよ」

「旦那様……ふふ、ありがとうなのじゃ。我を励ましてくれとるのじゃな。とても、嬉しいぞ」

 目元を細めて、微笑を浮かべるデミウルゴス。だが、それは束の間。すぐに彼女は表情を引き締め、雰囲気を変える。

「じゃが、我は創造神じゃ。確かに人間であれば、感情の揺らぎを持っても許されるじゃろう。しかし我は世界というものに向き合うとき、一個の装置でなくてはならんのじゃ。だとすれば、ティターンは消さねばならぬ。あやつは危険じゃ。いつまた世界樹や種子に手を出さぬとも限らぬのだから」

「じゃあ、お前はティターンを殺したいのか?」

「っ……そ、それは……」

 俺の物言いに、デミウルゴスは言葉を詰まらせる。

「……無理に背負い込むなよ。今は俺だって側にいる。完全な状態のティターンにだって勝てたんだ。マナを奪われて弱体化したあいつを抑えるくらいなら、造作もない。だからさ、殺さないといけない、なんて無理に考えるなよ。せめてキッツいお仕置きをくれてやって反省させる、くらいでもいいんじゃないか? そして、今度は世界樹のために全力で動いてもらおう。フェニックスと一緒にな」

「旦那様……」

 デミウルゴスは目を丸くして、こちらを見詰めてくる。俺たちの間に、しばし無言の時が流れた。

 やべ、少し調子に乗って、妙なことを口走ったか?

 もしかして俺、デミウルゴスに呆れられてる?

 そもそも、相手は仮にも創造神、つまりは神だ。

 そんな相手に、人間である俺がでしゃばりなことを言ってしまったのではと、今更ながら額やら背中から汗が吹き出す。

「…………」

 な、なんか言ってほしいなぁ……この沈黙はけっこうキツイぞ。

 だが、俺の心配をよそに、デミウルゴスは「ふっ」と息を漏らすような声を出すと、口元を押さえて、

「ふふ……やはり、我が旦那様を選んだことは、間違いではなかった……旦那様、我は……我らが既に夫婦の契りを交わしていたことを、危うく忘れるところであった」

「え?」

「そうじゃな。我はもう、一人ではないのじゃったな。うむ、そもそも我は、もう一人では何もすることができぬ。ならば、我は旦那様、主をもっと頼っても良いのじゃよな?」

 真っ直ぐに見詰めてくるデミウルゴスの紫水晶アメジストの瞳。

 そこには、先程までの悲観の色はなく、どこか吹っ切れたような、清々しい表情で笑みを浮かべていた。

 俺はそんな彼女に、少しだけ意表を突かれながらも、胸を叩いて声を上げる。

「あ、ああ! 俺にできることなら、何でも言ってくれ!」

 俺は彼女と共にあると誓った。ならば、この身にできることであれば、どのようなことでも彼女の力になりたい。俺はデミウルゴスの視線を真っ直ぐに見つめ返した。

 しかし、

「……うむ、何でも、とな?」

 途端、デミウルゴスの声音が変わった。

 うん? あれ? なんでだろう?

 急にデミウルゴスの顔が、妖しい雰囲気を纏い始めたような……

「では、早速その言葉に甘えるとしようかのう」

「お、おう……どんと、こい」

 おかしい。

 なんだかいやぁな感じが背中を駆け抜けるんだが。

 俺、もしかしてやらかした?

「何でも……何でも、か……では」

「ちょ、ちょっと待ってくれ! 何でもとは言っても! 俺にできる範囲だぞ!? 無茶な要求は無しだからな!」

「ふふ……わかっておる。そう無茶なことを言うつもりはない。そのように警戒するでない」

「ほ、本当だろうな……?」

 俺は眉を潜めつつ、デミウルゴスの言葉を待つ。

「旦那様よ、先ほど言っておった、ティターンへの仕置き、主に任せようと思う」

 デミウルゴスが告げてきた「お願い」の内容を耳にし、俺は思わず目を開いた。

「何でも、どんと、任せてよいのじゃろう?」

 そう来たか……だが、うん。そうだな。

「……わかった。任せてくれ」

「ほぉ、すぐに了承するとは。旦那様よ、何か考えがあるのかの?」

「いや、そうたいしたことじゃない。ただ、あいつも相当にプライドが高そうだからな。見下してた人間に痛め付けられるのは、かなりに屈辱的だろ。それだけで十分にキツイお仕置きになるんじゃないかと思ってな」

「なるほどのう。確かにあやつは人間を露骨に見下しておったし、旦那様の言うように、プライドは相当高くなっておることじゃろうな。うむ、ではその辺りをつつきつつ、多少なりとも心をへし折ってやる程度に痛め付けてくれ」

「なかなかに細かい注文だが、わかった。なんとかしよう」

 そもそも相手はこちらを潰しにきていたティターンだ。手加減はするが、それでもそれなりに痛い目を見てもらうことに俺も抵抗はない。というかあいつ、かなり下品な性格してそうだし、これを機に少しでも性格を矯正してやる気で臨まないとな。

「それじゃ、さっそく始めるとするか」

 こういうことはさっさと始めてさっさと終わらせるに限る。俺は指を鳴らして準備運動を始めた。

「うむ。全て旦那様に任せる。頼んだぞ、旦那様よ」

「おう」

 こうして、ティターンに今回の件に関する罰を与えるという役目を、俺はデミウルゴスから任されることになった。

 一方その頃……

 静謐な雰囲気に包まれるエルフの森。アレスたちが生活しているよりも更に奥。森の影とでも言うべき薄暗い空間で、灰色のざんばら髪を無造作に伸ばした一人の女性が、木のツルによって両手を頭上に掲げた状態で拘束されていた。彼女は地面にへたり込み俯いている。

 彼女こそ、先ほどアレスたちの話題に上っていた四強魔の一人『ティターン』である。

 柘榴石ガーネットのような瞳は地面に向けられ、しかしその目には何も映ってはいなかった。

「──敗けた……このオレが、たかが人間ごときに……」

 沈んでいた意識が浮上してからこれまで、何度となく呟いた言葉が口を吐く。

 つい昨日。

 力を求めたティターンは世界樹の種子を奪い取ろうと、アレスとデミウルゴスの前に現れた。シドの町でデミウルゴスの姿を認めたティターンは、彼女から力づくで種子の在処を聞き出そうと襲い掛かった。

 しかしそれを、近くにいた人間の男に妨害され、戦う運びとなったのだが……

「何なんだ……何なんだよ、あいつは……っ!」

 ティターンは敗れた。完膚なきまでに。

 先代の世界樹からマナを奪い、全盛期の力を取り戻したはずのティターン。しかも自分が最も力を発揮できる本来の姿に戻り、あげくゴーレムの大群までけしかけたというのに……その結果は、惨敗。

 相手を見下し、油断が招いた結果であることは誰の目に見ても明らかであろう。だがそれを顧みたとしても、アレスの力は人間という枠組みには規格外すぎるほどに強かった。

 そも、ティターンは己の知性が宿った千年前から、自分こそが四強魔の中で最強、という思いを持ち、対抗しうるのは生みの親であるデミウルゴスただ一人という認識であった。

 事実、過去数千年……ティターンはただの一度だって敗北の経験などなかった。いかに数百、数千、数万の人間に囲まれ挑まれようと、そのことごとくを蹴散らし、返り討ちにしてきた。人間の間で英雄ともてはやされる連中が挑んで来ようと、彼らの刃が届くことなど終ぞなく。他の四強魔が、時には人間によって辛酸を舐めさせられたと風の噂に聞いたティターンは尚も増長。いよいよもって己こそが絶対強者であるという驕りを膨らませていった。

 しかし、限界まで肥大化した風船のような驕りは、たった一人の人間によってものの見事に粉砕された。他ならぬ、自分がこれまで取るに足らないと嘲ってきた人間の手によって。羽虫と侮っていた人間に土をつけられたショックは大きく、ティターンは茫然自失に陥っていた。

「無様ね……人間にコテンパンにされた挙句、こうして生き恥を晒してる……四強魔の面汚しだわ」

 不意に、頭上から幼い声が聞こえた。

 声の出どころへ頭を上げる。エルフの森に生える太い木の枝。そこには真っ赤な髪に虹色の長いもみ上げを下げた少女が、翠玉エメラルドを彷彿とさせる翠の瞳を細めて、ティターンを見下ろしていた。

 デミウルゴスの命で、ティターンをずっと監視していたフェニックスだ。

 しかし彼女が纏う雰囲気はお世辞にも穏やかとは言い難い。むしろ、パチパチと空気が爆ぜるように、少女の周囲で火の粉が舞っている。そしてそれとは反比例するように、彼女の瞳には冷気が宿っていた。

「フェニックス……」

「気安く呼ばないで。この裏切り者……デミウルゴス様の意思に背いて好き勝手した挙句、あまつさえ襲い掛かるなんて……あんた、何様のつもりなのよ」

 フェニックスの声に籠る侮蔑と憤り。同じ親から生まれた四強魔であろうとも、いや、同じ親を持つからこそ、幼女の姿をした魔物はティターンを許せなかった。

 本来であれば、デミウルゴスの危機に対して真っ先に駆け付けるべき四強魔の一人が、あろうことか主の留守に世界樹を傷つけ、牙を剥いたのである。

 フェニックスとしては、今すぐにでも己が紅蓮の炎で焼き尽くしてやりたいと思ったほどだ。いや、許されるなら今すぐにでもそうしてやりたい。そうしないのはひとえに、敬愛する主が「待った」の一言を発したからだ。

 ティターンは昨日の戦いで負った傷に加え、マナの大半を世界樹の種子に吸われた影響でほぼ無力化されている。たかが木のツルで拘束されているのがその証拠である。

 そんなあまりにも情けない姿を同じ四強魔が晒していることもまた、フェニックスを苛立たせた。

 木の枝から飛び降りたフェニックスは、ゆっくりとティターンへと近づき、生気のない瞳を覗き込むように見上げる。

「情けない顔……仮にも四強魔の一人がなんて様なの。見ててイライラしてくる」

「……だったらさっさと殺せよ……人間に敗けたオレに価値なんてねぇ……」

「言われなくても、デミウルゴス様に止められてなければ、あんたなんかとっくに殺してるわよ」

 翠の瞳がギラリと光り、この場の気温が上昇する。フェニックスは奥歯を噛み、じくじたる思いを抱えながらも、内で燻る殺意を何とか押し込めた。

 しかし、次の瞬間にはその幼い顔には似つかわしくない凶悪な笑みを浮かべて、

「でも、安心していいわ。デミウルゴス様があんたを断罪する決断を下したその時は……私が責任をもって──焼き殺してあげるわ」

 そんな、物騒なことを口にした。

 オレは目の前で不敵に嗤うフェニックスを見上げる。

 だが、どうにも感情がうまく動かねぇ……いつもなら、ここまで言われて黙っているなんてことはない。オレはそこまで、お行儀のいい性格をしちゃいない。

 だっていうのに、まるで怒りも湧かず、目の前にいるこいつの言葉も耳を抜けてまともに頭へと入ってこないときてる。それだけ、昨日の敗北がオレの頭ん中で大半を占め、他のことに意識を向ける余裕すらないってこった。

 ……だが、今のオレは奇妙な感覚も覚えていた。

 力に絶対の自信を持っていたにもかかわらず、矮小な人間風情に敗北した。その事実が胸に暗い影を落とすのと同時に……誰かに負かされたということに対し体の一部で微熱が生じているのだ。

 何だこれ……? 昨日の戦いで、体に不調でも出たのか? オレは内心で首を傾げる。

 反論してこないオレを見て、フェニックスはつまらなそうに「ふん」と鼻を鳴らすと、踵を返してオレに背を向ける。

 それを目の当たりにして、生じた熱は鳴りを潜め、代わりにろくでもない考えが脳裏に浮かぶ。いっそ自害でもしてしまった方が、この陰鬱とした感情からオサラバできるんじゃないか。

 そんな思考すらよぎった時、

「──ティターン」

 フェニックスが立ち去るよりも前に、オレの前へ一人の男が姿を見せた。途端、先程の微熱など比較にならないほど頭が一気に熱くなった。

「~~~っ! ……てめぇ……人間!」

 こいつこそが、オレに汚らしい土をつけた張本人。先ほどまで沈んでいた感情も、こいつの登場でグツグツと煮えるような熱に変じて、心臓が焼けて焦げ付きそうなほどだ。

 オレは奥歯をギリギリと砕かんばかりに噛みしめ、相手を睨みつけた。

「うん? ああ、アレスか。何しに来たのよ?」

「ちょっとばかし、こいつに用があってな」

 フェニックスからの問いかけにそう返し、人間の男はオレに視線を向けてきた。

「っ! なんなんだ! なんなんだよてめぇは!?

 力の入らない体に鞭打って、拘束を破ろうと暴れる。だが腕に絡みつくツルが切れることはなく、それが更にオレの怒りを倍増させた。

「見下ろすな……そうやってオレを上から見下ろしてくるんじゃねぇよ! 人間風情が!!

 唯一まともに動く口から、こいつに対する恨み言や罵倒が溢れて止まらない。しかし目の前の男は、「ふぅ」と呆れたように目を伏せて首を横に振った。

「お前への罰が決まった」

 言うと男はオレの腕を拘束していたツルを木から切り離した。それでもオレの両手はまるで枷が嵌められたようにツルが残っている。拘束という支えがなくなったことで、体がぐらりと前に傾いてしまう。

 それを、目の前の男が受け止め、かと思った次の瞬間、

「なっ!?

 なんと、こいつはオレを軽々と持ち上げて、あろうことか肩に担ぎやがった。

 まるで狩った獲物を運ぶような恰好。予想される自分の無様な姿を想像して、オレは思わず顔に熱を覚えた。

「下ろせ人間! ぶち殺されてぇのか!?

 ガッチリとこちらの腰を押さえつけて、オレをどこかへ運ぶ人間の男。あまりにも屈辱的な格好に、暴れて抵抗を試みるも、力の入らない体ではまるで意味をなさず。

 羞恥と屈辱と怒りがないまぜになり、オレの内で暴れまわる。

「アレス。デミウルゴス様はなんて? もし殺してもいいなら、私が」

「生憎とそこまで血生臭くない。仕置きを受けさせた上で反省させる、それがあいつの決定だ」

「そう……こんな奴でも、デミウルゴス様は見限れないのね。優しすぎるわ、あの方は……」

 オレが暴れるのも構わず、そんな会話を目の前でしてみせる人間とフェニックス。

 仕置き? 反省だ? このオレを、ティターンを調教しようってのか。

 ふざけやがって!

 殺す……この人間も姉御もフェニックスも、絶対に殺す! 奪われた力は種子から取り戻せばいい。その上で、惨たらしい目に遭わせて殺してやる!

 胸で暗い炎を燃やし、オレは男の後頭部を睨み続けた。

「戻った」

「うむ。おかえりじゃ旦那様。それとティターンの監視、ご苦労であったな。フェニックスよ」

 ティターンを担いだまま、デミウルゴスのもとに戻った俺とフェニックス。

 出迎えと労いの言葉を受けて、フェニックスは感激したような声を上げてデミウルゴスの前に駆けていった。

「とんでもありませんデミウルゴス様! 私はデミウルゴス様のご命令であれば、どのようなことでもこなしてみせます!」

「ふふ……頼もしいな、フェニックス」

 主への厚い忠義を見せるフェニックスに、デミウルゴスは手を伸ばしてその頭を撫でる。

 フェニックスは頬を朱に染めて瞳を潤ませ、締りなく緩み切った笑みを見せた。

「はぁぁ~……デミウルゴス様~……」

 フェニックスの髪を優しく撫でながら、デミウルゴスは俺に顔を向け、ついで俺の肩に担がれたティターンに視線を移動させた。

「ティターン……これよりお前は我が旦那様から仕置きを受けてもらう。その身が行った非道を悔い改めよ」

 どこか悲し気に、しかし言葉に力強さを宿して、デミウルゴスはティターンに語りかけた。

 しかし当のティターンは、

「改める? はっ! オレは自分より弱い奴の言葉に従う気なんかねぇよ! それがたとえ姉御でもな!」

「ティターン! あんた、デミウルゴス様の気遣いになんてこと!」

「よい。我の力が衰えたのは確かなこと。力を尊ぶお前たち四強魔が、弱者の言葉に従わねばならぬ屈辱は理解もできる」

 デミウルゴスはフェニックスの言葉を遮り、なおも悲しそうな目でティターンを見つめる。

「じゃが……このような身なれども、我はお前たちの主……やったことの責任は取らせねばならぬ。旦那様……」

「ああ。それじゃ、さっそく始めるとしようか」

 彼女からの視線を受け止めて、俺は手ごろな位置に転がっていた朽ち木の丸太に腰掛け、膝の上にティターンをうつぶせで寝かせた。

「っ……人間、てめぇ俺に一体何を」

「昔。俺が育った施設で、やんちゃしたり悪さをすると、シスターは決まってこれをやりながら叱り付けてきたもんだ。しかも、他のみんながいる前でだぜ?」

「あん? てめぇ何わけのわからねぇことを」

 ティターンが訝しむような眼でこちらを見上げてくる。しかし俺は彼女に最後まで言わせることなく、ティターンの衣服、そのお尻を隠す布に手を伸ばした。

「は!? てめぇ! どこを触ってやがる!」

 ティターンからの文句も無視して、彼女の臀部を外気に晒す。人間社会に紛れ込んで生きてきたためか、ティターンにはそれなりに今の格好が屈辱的なものであるという知識があるようだ。顔が真っ赤になっている。

「そんじゃ、悪いことをしたお前にまずは一発──ふん!」

 パシーン!

「っ~~!」

 言うが早いか。俺はティターンの褐色の尻に向けて腕を振りかぶり、平手打ちした。

「うわぁ……」

「うむ。なかなかによい音が響いたのう」

 思わず尻を押さえるフェニックスに、興味深そうな視線を送ってくるデミウルゴス。二人からの視線を受け止めながら、俺はティターンに口を開いた。

「こいつが、俺の育った施設で行われていた代表的なお仕置き──『お尻ペンペン』だ」

 安直なネーミングの罰と侮るなかれ。こいつは時に罪人の拷問や懲罰にも使われるお仕置きである。やり方は色々だが、今回俺が行うのはオーソドックスな平手打ちだ。

「取りあえず十発、今ので残り九発だ。それで反省するなら、仕置きはそれで終わり」

「はん! これが仕置きだ!? こんなんでオレがどうにかできるとでも」