「彼の非道は広く世間に知れ渡っています。王家にも彼を勇者として担ぎ上げたことの責任を問う声が上がっているくらいです。そんな彼が、魔神を単独で討伐したなどと、誰が信じるというのですか?」

「っ! でもその非道だって、全部あたしたちを助けるためで!」

「その事実を国民に公表したところで、彼のために生活を狂わされた者たちは何一つとして納得などしませんし、そもそも話自体を信じることはないでしょう」

「っ! だいたいあんたたちが! あいつに変な権利書を渡したりさえしなければ、あたしたちは決して、」

「彼の暴走を止め、孤独にすることもなく、全員が無事に王都へ生還できていたと……貴女はそう言うのですか?」

「っ……」

 氷のように凍てついた視線に射抜かれて、マルティーナは言葉を詰まらせる。そんな彼女をアリーチェ王女は椅子から見つめ、淡々と言葉を紡ぐ。

「たらればの話に意味はありません。勇者は討ち死にし、事の真相を知る者はいない。それに、今回の魔神討伐を貴女方三人が成し遂げたと宣伝して回ることには、国としてのメリットが大きいのです」

「メリット、ですって」

 アリーチェの言葉を受けてマルティーナの目に再び険が宿る。彼の功績を他の者が成したことであるという偽りを発表してまで、何を得ようというのか。マルティーナは腹の底がぐつぐつと煮えるような思いを抱きながら、アリーチェを睨み付けた。

「勇者が魔神を討伐した……仮にそう言っても信じる者はほとんどいないでしょう。ですが、それでもそのようにワタクシたちが公表すれば、貴女方は勇者の成した偉業の影に隠れて、その功績は僅かにでも小さくなってしまう。それではダメなのです。特にトウカ様……貴女はそもそもこの国の生まれではない、言ってしまえばよそ者。マルティーナたち以上に勇者の影に隠れてしまうかもしれません。ですが、貴女方だけで魔神を討伐したという触れ込みであれば、その功績は全て貴女方のものであり、国民からの称賛も集まります。その果てに生まれるメリットは、我が国だけはなくカムイ国にとっても重要な意味を持つはずです」

「む……それはどういう意味だ、アリーチェ殿」

 マルティーナの後ろからトウカがアリーチェに向けて声を掛ける。アリーチェはマルティーナから視線を外してトウカへと瞳を向けた。

「魔神による長年の侵攻で我が国をはじめとして多くの周辺諸国はそのほとんどが国力を削られているのが現状です。それを回復させるためには莫大な費用と時間が必要……ですが、物資は足りず資金的にも困窮している国がほとんど……ではその不足をどこから補充すると思いますか?」

「……まさか」

 アリーチェの言葉に思考を働かせた結果、トウカは眉を寄せて声に緊張感を滲ませた。

「察しがいいですわね、トウカ様。そう、なければあるところから『奪い取って』くればいい……つまりは、略奪戦争の勃発ですわ」

「「「っ!」」」

 マルティーナをはじめ、トウカとソフィアは揃って息をのんだ。

 ようやく魔神の脅威から世界を救ったというのに、今度は近隣諸国が脅威になるかもしれないという。国王はデミウルゴスの生存を確認するのと同時に、複数の間者を他国に差し向け、内部を調べさせた。すると、すでに戦争の準備を始めている国もあるという報告が入り、国王をはじめとして国の重鎮たちは揃って頭を抱えることとなった。

「戦争を回避するためには、国として強固な地盤が必要不可欠。更には他国との連携が密に存在していることを諸外国に知らしめていく必要があります。そのためにはトウカ様。貴女が魔神討伐の英雄である必要があるのです」

 トウカにはまず、この国の後ろ盾を得て故郷に戻ってもらう。その上でガルド王国とカムイ国の友好的な関係を築き上げてもらい、互いの国はそれぞれに後ろ盾を得た状態となり、他国から攻められる危険性を減らすという狙いがあるのだと、アリーチェは語った。むろんそれでも攻めてくる国はあるかもしれないが、いくらか躊躇はさせることが可能だろう。その間に国を復興させ国力を上げることができれば、敵を迎え撃つことができる。

「国として勇者を擁立してしまったことは、もはや非難を避けられない……しかもそんな最中に他国との戦争などということになれば、王家への不信が高まり最悪この国が分裂してしまう恐れもあります。その結果、内乱が起きないとも限りません。そこを付け込まれてしまえばガルド王国は容易に陥落してしまう……それだけは、絶対に避けなくてはなりません」

「そ、それでも……わたしは真実を公表するべきだと思います」

「ソフィア?」

 白と黒の髪、そしてこれまた左右で二色の瞳を持つ少女、ソフィアにマルティーナは振り返る。ずっと後ろに控えているだけだった彼女が、おもむろに口を開いて、呟くように意見を口にした。

 人見知りで、自分のこともまともに話すことのできなかった彼女が、王女に向かって反論した……過去のソフィアを知る者、特にアリーチェ王女は、小さく驚いたように目を開く。

「う、嘘を吐けば、それが露見した時、余計に王家は不振を買ってしまいます……そ、それなら、最初から本当のことを話すべき……だと、わたしは思います……そ、それに、アレスさんが、無能者のように扱われてしまうことになるのは、わたしは……いや、です」

 彼女にしては珍しく言葉数が多かった。アリーチェはたどたどしくも自分の考えを発言するソフィアを見つめ、一区切りつくまで口を挟まず耳を傾けた。

「ソフィア・アーク。貴女がそのようにワタクシへ意見を口にしたのはこれが初めてですね。その成長を、ワタクシは嬉しく思います。ですが……」

 アリーチェはソフィアの言葉を受けても表情を変えず、淡々とした口調であった。しかしどことなく、その瞳には非難の色が覗いているようにも見える。

「嘘でもなんでも、利用できるものはなんでも利用しますわ。政治とは……国を導くということは、決して綺麗事だけでは成り立たないものなのですよ、ソフィア・アーク」

「で、でも!」

「話は以上です。マルティーナ・セイバー、ソフィア・アークのお二人には、騎士団長、魔導図書館の司書長として、これから国に貢献していただきます。英雄たる貴女方が国の重要な役職に就けば、国民の士気も高まるでしょう。それで、国の安泰はより確かなものになります。それとトウカ様、ムラサメ家は現在没落してはいますが、魔神討伐という功績と、我が王家との繋がりを持ち帰れば、再興も難しくはないはずです。そのための支援も、王家はお手伝いさせていただきますわ。そして国の要職に貴女が就けば、我が国とカムイ国は貴女を橋渡しとして深く繋がることができる。期待しておりますよ」

 アリーチェはソフィアの反論を聞くまでもないと一蹴し、話を締めくくりにかかった。しかしマルティーナはなおも王女に噛み付いた。

「待ちなさい! そこがまず一番おかしいでしょ!? 何もしてないあたしたちが、重役を預かる栄誉まで受け取るわけにはいかないわ!」

 国のために、自分たちが祭り上げられなくてはならないのだと理解はした。しかしながら、それでも何もしていない自分たちが国の重役を任されるのは明らかに行き過ぎでありおかしい。マルティーナも、ソフィアも、トウカも、何も成してない。ただ無様に、のこのこと帰ってきただけなのだ。

「マルティーナ・セイバー、貴女は騎士団長になるのが夢だったのでしょう。それはソフィア・アーク、貴方も……ならば、どのような形であれ、夢が叶ったことを喜んではどうですか?」

「喜べるわけなんてないでしょ! これじゃまるで、あたしたちがあいつを踏み台にして地位を得たみたいじゃないのよ!!

 マルティーナがひと際大きな声を上げると、これまで表情をわずかに動かすことのなかったアリーチェの眉がピクリと小さく跳ねた。

「踏み台、ですか……ええ、そうですわ。貴女たちにはアレス・ブレイブを踏み台にしてのし上がってもらいます」

「なっ!? そんなことできるわけがないじゃないの!」

「できるかできないかではなく! 貴女方はやらなくてはならないのですよ!!

「「「っ!?」」」

 突如、アリーチェが怒気を孕ませた大声を上げた。まるで豹変したかのようにすら見えるアリーチェの感情の発露に、向かい合う三人は思わず押し黙ってしまった。

「そもそも、貴女方が彼に認められるほどの実力と、運命を共にしたいと思わせるだけの絆を築き上げられなかったからこそ! 彼は孤独に戦う道を選んだのではないですか!!

 アリーチェはアレスと最後に会った時のことを思い出す。自分一人が貧乏くじを引く結果に終わる計画を明かし、協力を願ってきた勇者。計画が成功した後、彼は三人の少女の将来を頼むと、深く、深く頭を下げてきた。あの時の彼の姿を、アリーチェは今でも鮮明に思い出すことができる。

「ワタクシは、貴女方が嫌いですわ。たった一人の男に全てを背負わせて、のこのことここへ帰ってきた貴女たちのことが、ワタクシは心底、大嫌いですわ」

 瞳の端にうっすらと滴を浮かべるアリーチェ王女の言葉に、この場の誰も反論の言葉を口にできる者はおらず……声を荒立てていたマルティーナも、唇を強く噛んで俯いてしまう。

「ですが……ですがそれ以上に、ワタクシはワタクシ自身のことが、大嫌いですわ」

 目の前にいる三人が、己の不甲斐なさで彼を死に追い詰めたのだとすれば、アリーチェは最も直接的にアレスを死に追いやった張本人だと言えた。

 アリーチェは勇者の計画に加担し、計画に必要なものを揃えてアレスに与えた。勇者の思いを、意思を酌んで計画に協力したと言えば聞こえはいいかもしれない。しかしその結果として、アレスは一人で最後の戦いに挑み、あげくに散っていった。

 魔神に単独で挑めば無事で済むはずがない。それがわかっていながら、アリーチェはアレスを止めなかった……否、アリーチェには止めることができなかったのだ。

 数年前……アリーチェはとある事情から己の殻に籠り、塞ぎ込んでいた時期があった。心を暗い檻に閉じ込めて、人生に悲嘆していた時……アリーチェはアレスと出会い、救われた。

 故に知っている。彼はどこまでもお人好しで、他者のために全力を尽くせる男なのだと。それでいて、諦めが悪くて頑固な一面があることも、知っていた。

 もしもアリーチェが彼の協力要請を断ったとして、きっと結果は変わらず、別の形で今と同じ結末を迎えていたはずだ。それでも、恩ある彼の願いだからと聞き入れてしまったことを、アリーチェは後悔する。今更になって、何が何でも止めればよかったと、同じ考えを幾度も繰り返し、その度に虚しさを覚えるのだ。

「もう帰りなさい。これ以上、貴女たちと話すことはなにもありません。明日は勲章の授与式です。今日はしっかりと休みなさい……【アリア】」

「──はい、アリーチェ様」

「「「っ!?」」」

 突如、何の物音も立てず、マルティーナたちの背後に一人のメイド服姿の女性が現れた。

 声に振り向いた三人は驚きの表情を浮かべてメイドをみやった。

 黒の髪をアップにまとめ、さながらオニキスのような漆黒の瞳をしたメイドの女性。しかしその表情はまるで彫像のように無機質であり、眉一つ動かなかった。

「アリア、三人をお部屋までご案内してあげなさい」

「かしこまりました」

「っ! ちょっと待ちなさい! まだ話は!」

「マルティーナ・セイバー、もう貴女と話すことは何もないと……いえ、そうですね……最後にこれだけは言っておきますわ」

 アリーチェはマルティーナたち全員に目配せすると、静かに、しかし力強く言葉を続けた。

「もしも、今回の一件で勇者に対する贖罪の気持ちがあるのであれば、これから先、己に与えられた役目を全力で全うし、自分たちの国を、ひいては世界を守っていきなさい。それが、勇者にその命を救われた貴女方の──責任であり、義務ですわ」

 王女から向けられた真っ直ぐな眼差しを受け、マルティーナは唇を噛みしめ、トウカは拳を握り締め、ソフィアは胸の前でぎゅっと手を握りこんだ。

 悔しさを滲ませたように俯くマルティーナは固く目を瞑り、溢れそうになる涙を堪える。自分たちがアレスに仲間として信じ切ってもらえなかったからこそ、今回の事態を招く結果となった……アリーチェの言葉は痛いほどに胸の奥へと突き刺さった。それはトウカもソフィアも同じ。自分たちがもっともっと強ければ、アレスにあんな非道をさせずとも済んだのに。どこまでも後悔ばかりが募っていく。

 だが、自分たちが下を向いて、俯きながらこれからを生きていくことなど、彼は決して望みはしないだろう。むしろ、そんな生き方は彼の想いに対して失礼だ。

 マルティーナは瞳を少し赤くしながらも、アリーチェを見返して口を開いた。

「わかりました。アリーチェ王女殿下……このマルティーナ・セイバー……与えられた騎士団長の任、しかと務めを果たしてみせます」

「それは明日、国王陛下にお伝えする言葉ですが……はぁ……まぁいいですわ。しっかりと励みなさい、マルティーナ……彼のためにも、ね」

「わかってるわよ……ごめん、アリーチェ」

「別にいいですわ。その真っ直ぐさが、貴女の美点でもあるもの。まぁ、欠点になることも多いけれど」

「何よ、それ」

「ほら、もう行きなさい。色々と疲れたでしょ。明日はかなり忙しくなるのだから、今日はゆっくりと休みなさい」

「ええ、世話になるわ」

 最後に、マルティーナとアリーチェは砕けた口調で会話を交わし、元勇者パーティーの三人はメイドの案内で各々に王宮内の客室へと案内された。


 ──翌日。

 王宮内の謁見の間で、マルティーナたち三人は国王から魔神討伐を称えられ、勲章の授与がなされた。マルティーナとソフィアはそれぞれに騎士団長、魔導図書館の司書長へと任命され、トウカには多額の報奨金が支払われ、王家から御家再興の支援を受けることとなった。

 彼女たちはそれぞれ役目に全力で従事し、また英雄として民からの信頼に応えられるよう振舞った。仮にそれが偽りの虚栄であっても、これが世界のために、自分たちのなすべきことなのだと、心の中で苦汁を飲み続けながら、

 彼女たちは、偽物の英雄としての生を……歩んでいった──