第七章 告白する勇気

◇◇◇

この世界は馬鹿な奴らばっかりだ。

転生者が自分だけだと思ってやがる。

俺自身も地球という星からの転生者の一人だ。ただし、この世界が何の世界なのかは知らない。

だが見つけた。

「この世界はね、私がヒロインなの。それでね、これは略奪ゲームなのよ」

路地裏で拾った一人の子ども。

チェルシーは自分がヒロインだと言い、この世界について俺にぺらぺらと楽しそうに話し始めた。

バカな女だ。

転生者が自分一人だけだと勘違いしている。

俺はその子どもを自分の都合の良いように育て上げた。俺の言うことが全て正しいと認識させ、俺には逆らえないように教育をした。

欲しいものは力で奪うように教え込み、そして逆らえば容赦なく折檻せっかんしたのだ。

ゲームとか略奪とかに俺は興味がない。

ただし、チェルシーの持っている情報を利用すれば金を稼ぐのにはちょうど良かった。

竜の国を憎む者たちは多かった。だからそれを利用した。

竜の体は高く売れる。しかも情報を売って煽ればいくらでも罪を犯す奴らもいた。

計画が全てうまくいったわけではないが、俺は巨万の富を得た。

チェルシーがアシェル王子を射落とせば国まで手に入る。そう思っていたが、チェルシーからの連絡では、悪役令嬢がちゃんと動いておらず、男たちを落とせないのだと愚痴が書かれていた。

なるほど。

俺は悪役令嬢エレノアは転生者であると仮説を立て、チェルシーの行動とその周りの動きを観察し、そしてその仮説が正しいであろうと確信した。

転生者とは厄介なものである。

ここら辺が引き際なのかもしれないと、俺はチェルシーを切ることに決めた。

現在チェルシーが牢へと入れられているらしい。拷問されようがこちらの情報などチェルシーはほとんど持っていない。

罪を全て被って処刑されてくれれば俺としては万々歳である。

もう二度とチェルシーに会うことはないだろう。

「さぁ、後は豪遊しながら一生を楽しく生きるかなぁ」

最後に転生者であろう悪役令嬢でも見てから出立するか。

そう思い、月明かりに照らされるテラスからその女の部屋へと忍び込んだ。

「だぁれ?」

澄んだ声がした。

一瞬雲へと入った月が、雲を抜けて部屋を照らす。月明かりに浮かぶ部屋の中にいる女を見て、俺は息を呑んだ。

ベッドから起き上がり、こちらを見つめる美しい女。

金色の髪は、月明かりにきらめいており、その澄んだエメラルドの瞳は俺を見て恐怖に怯えた。

加虐心を一気にそそられる。

頭の中で、傾国とはこの女を示すに違いない、やめておけと警鐘が鳴る。

全てを失うぞと、警鐘が煩く響く。

「っは! 略奪ゲームねぇ……こんな女からチェルシーが男を略奪できるわけがねぇ」

この女が欲しい。

本能がそう告げる。

あぁ。俺もまた、もしかしたらこの世界における駒の一つなのかもしれない。

◇◇◇

黒い服に身を包み、窓際からこちらを嘗め回すように見つめる男に、私は身をこわばらせた。

人の気配と、心の声が聞こえたと思ったら部屋に人がいたのである。

明らかに不審者である。

護衛の騎士たちは部屋の外に待機しているはずである。呼ばなければと思うが、恐怖から身動きがとれない。

『この女が欲しい』

その欲求に私は身の危険を強く感じた。

どうすればいいのだろうか。

『チェルシーがこんないい女に勝てるわけがない。はぁ。俺も人生を棒に振るかもなぁ』

その声に、私はチェルシー様の知り合いなのだと気づきさらに早く逃げなければと思った。

「なぁ、べっぴんさん」

「え?」

突然話しかけられ私はドキリとした。

その声は想像よりも柔らかで、こちらに向かってまるで交渉するように言葉を続けた。

「俺はあんたが欲しい。金も宝石も願うものはなんでも揃えてやる。だから俺のとこにこないか?」

『くそっ。何が好きかわからねぇから、困るな』

突然の申し出に、私は首を横に振った。

見知らぬ男の元になど、行きたいわけがない。

お金などの問題ではない。

「大切にするし、自由だって制限はしねぇ。こんな城で飼われるより自由に生きられるぜ?」

『こんな城で飼われるより絶対幸せにしてやれる。幸福という幸福をお前に捧げてやる』

女性の貴族は基本的には家に縛られるものであり、平民のような自由はないだろう。

だからと言って寝室に忍び込んでくるような男の元へ行くわけがない。

それに、私にはアシェル殿下がいる。

「私は、大切に思う方がいますので、行きません」

はっきりと告げたその言葉に男は驚いたように目を丸くした。

『チェルシーは、悪役令嬢は男好きで、男を侍らせていると言っていたが違うのか。っち。この感じからして、意志が固いな……。それで、前から悪役令嬢が機能しない理由の一つに、転生者の可能性をあげていたが……どうだ?』

頭の中で思考を巡らせる男に、私はドキリとした。

転生者。

チェルシー様以外にもいたのかと内心で驚いてしまう。

『あー。この世界転生者が多すぎるだろ』

男は頭を乱暴に掻くと言った。

「っは。なぁあんたも転生者なんだろう? 勝手に配役されて、悔しくないのか? 俺と来れば少なくとも、自分の人生を歩めるぜ」

『転生した者同士仲良くできるはず。まぁ可能性の話で転生者じゃないかもしれねーが。あんまり関係ねぇな。とにかくこの女が欲しいもんは欲しい』

私は静かに男の瞳を見つめると、自身の中で少し考える。

確かに、生まれ変わった当初は突然悪役令嬢という配役につけられて、思うことはあった。

勝手に人の心の声が聞こえてくるということに戸惑い、このままでは自分はいつか狂ってしまうのではないかと悩んだ。

しかし、今は違う。

アシェル殿下が、私にはいる。

この配役でなかったらきっとアシェル殿下には出会えなかった。

「私は、今、幸せなのです。ですから、貴方と共にはいきません」

はっきりと告げると、男は眉間にしわを寄せ、そして大きくため息をついた。

「んー。そりゃ困った。俺はお前が欲しい」

『今無理やり連れて行って嫌われたら、関係修復が難しいなぁ……どうしたもんか』

その時、部屋の扉がノックされた。

「エレノア様? あの、話し声が聞こえるのですが、起きていらっしゃいますか?」

侍女の声に、私はほっとした。けれどその時、男が突然自分の目の前へと移動してくると、私の顎を手でつかみ頬にキスをした。

「まぁ、今日のところは諦める。だが、俺は欲しい物は全て手に入れるタイプなんだ」

『連れ去って嫌われても困る。それに現状連れ去れるだけの準備がねぇ』

私は男を睨みつけると手を振り払って言った。

「貴方のように、私を物と考える人の所には絶対に参りません。見た目だけで人を物のように扱う男など、願い下げです」

男は驚いたように目を丸くした。

「エレノア様!? 失礼いたします!」

侍女が入ってきた瞬間、男は窓から逃げる。

侍女は悲鳴を上げて、護衛の騎士達が男の後を追う。

「エレノア様!? 大丈夫でございますか!?

『なんと不埒な! エレノア様ほどお美しいと、部屋の中ですら、安全ではないのですね!……私がもっとしっかりとお守りしなくては!』

人が来てくれた安堵で、私は、そのまま力が抜けるようにベッドへと横になった。

侍女や騎士達がばたばたとする中で、私は呆然と天井を見つめた。

こんな顔、こんな体でなければ、見知らぬ男に求められることも、恐怖にさらされることもないのにと、思い、両手で顔を覆った。

しばらくして、知らせを受けたアシェル殿下が部屋へと来てくれた。アシェル殿下は軽装であり、私は寝巻の上からショールを羽織っている。

「エレノア。大丈夫ですか?」

『連日エレノアには大変な思いばかりさせてる。くそっ。ごめん。僕がもっとしっかりしていれば……』

私はアシェル殿下に心配を掛けてはいけないと、笑顔を浮かべた。

「大丈夫です。何も問題ありません」

その言葉に、アシェル殿下は眉間にしわを寄せ、そして小さく息を吐いた。

「とにかく今日はゆっくり休んでください。夜分にすみませんでした。失礼しますね」

『ごめん。僕じゃ頼りないかもしれないけれど、絶対に君を守るから。城の警備を見直さなければ。ハリーと話をして、騎士団を動かすぞ』

私は思わず立ち上がり、アシェル殿下の服を掴んだ。

「え?」

『どうしたのかな? あぁ。やっぱり不安なのかな』

不安だった。確かにすぐに休んだ方がいいのかもしれない。けれどアシェル殿下にもう少しだけ、傍にいてほしかった。

だが、わがままを言うつもりなわけではない。

「えっと……」

どうしようかと迷っていると、アシェル殿下は、微笑みを浮かべて私をソファーへと座らせると、その横に自身も座る。

「もう少しだけ、一緒に話でもしましょうか。そうだ。甘いホットココアか、ホットミルクか、一緒に飲むのはどうですか?」

『夜に甘いものを、エレノアと一緒に飲むなんて、ふふふ。なんだか子どもみたいで楽しいな。それに、エレノアも不安そうだし、もう少しだけ。仕事についてはハリーに頼めば大丈夫だろう』

その言葉に、私はすぐに頷いてしまっていた。

ハリー様には申し訳ないけれど、もう少しだけ、この胸の内に広がる不安が収まるまで、一緒にいてほしかったのである。

「ありがとうございます。ぜひ、ご一緒させてください」

私とアシェル殿下は一緒に甘いホットミルクを飲みながら、他愛のない話をして時間を過ごした。

アシェル殿下とこうやって夜に一緒に過ごせることが、私はとても幸福に感じ、そして先ほどの男が現れた不安も薄れていったのであった。

翌日、改めて私はアシェル殿下にあの男について話をし、チェルシー様の関係者であろうことを伝えた。

アシェル殿下はすぐに私の身辺の警護を増やし、窓の外にも必ず誰かが立つようになった。

前回二階だったのにも拘わらず侵入者があったことから、王城内全体の警備も見直されているようであった。

『ぼん、きゅ、ぼん』

ハリー様の安定の久しぶりの心の声に、私は和んでしまう。いやらしさがない分、聞いていても不快ではなく、それでいて、いつもこれなので、なんとなく、あぁ久しぶりに聞いたなぁなんてつい微笑みを向けてしまった。

「エレノア?」

『なんでハリーにそんな笑顔向けるんだ? え? ちょっと待って、ハリーだよ?』

アシェル殿下の声に、慌ててアシェル殿下へと視線を向けると言った。

「すみません。なんだかハリー様に会うのも久しぶりな気がして……なんだか、いつもの日常にほっとしたというか、なんというか……」

「あぁ。なるほど。それなら……よかったです」

『いや、よくないよくない。え? ハリーだよ? ちょっと、ハリーをエレノアに近づけるのはやめよう。くっ。僕ってこんなに嫉妬深かったかなぁ』

そんなことを呟くアシェル殿下を見つめながら、やっぱり可愛い人だなぁ、この人の傍に居れたら幸せだろうなぁなんてことを思う。

「エレノア。話を戻すけれど、チェルシー嬢について。彼女は今もよくわからないことをずっと言っているんです。私はヒロインだとか、エレノアは悪役令嬢だとか……おそらく、精神的に狂っているのかもしれません」

『会話にならないんだよなぁ。しかも略奪ゲームとか……エレノアの婚約者は僕だし、エレノアは浮気なんてしてないのに。むぅ』

「そう、ですか……」

「おそらく、エレノアの部屋に現れたのは、チェルシー嬢の父親のような存在の男なのだと思います。彼女の会話からもよくその男のことが出るので。何者なのかも、年齢も、国籍もわかっていません。ただし、チェルシー嬢の自白と現状の証拠で彼らが竜の国を亡ぼしたことに関与しているのは間違いないでしょう」

『恐ろしい。竜の国を亡ぼしても、平然と生きていることも、人の命を何とも思っていない言動も……』

その言葉に私はうなずきながら、アシェル殿下同様に恐ろしいなと感じる。

国を亡ぼしても、何とも思っていないのだろう。

人の命を何だと思っているのだろうか。

男は私のことを欲していた。だからこそ甘い言葉を投げかけてきた。けれどおそらく本来の男の本性は、竜の国を亡ぼしたことから言っても残虐なものなのだろう。

私は思わず拳を強く握った。

欲と血にまみれた金を使って自分を囲おうとした男に対して、私は人間とは恐ろしい生き物だなと改めて思う。

そんな金で幸せになれるものか。

私は心配そうに、こちらを見つめるアシェル殿下に視線を返して、口を開いた。

「また、現れるでしょうか……」

「わかりません。ただし、何があろうとエレノアは私が守ります」

『エレノアには近づけない。絶対に』

私はアシェル殿下の言葉が嬉しくて笑みを返した。その時また、いつもの声が聞こえて私は噴き出しそうになるのをぐっと堪えたのであった。

『ぼん、きゅ、ぼん。はぁ。また仕事が増える』

ハリー様の頭の中は未だによくわからないものだ。ただやはり、ハリー様の心の声を聴くと何となく平和だなぁと感じて、私は和むのであった。


男と会ってからしばらくたち、私は久しぶりに開かれる舞踏会に参加することが決まった。アシェル殿下は無理して参加する必要はないと言ったけれど、私が参加したかったのだ。

あまり長く社交界を休むと、いらぬ噂がたつ可能性もある。

私はいずれアシェル殿下の横に立つ妃となる立場である。その為には社交界に出ることは大切なことであった。

もちろんエスコートをしてくれるのはアシェル殿下であり、私は多少浮かれながら、舞踏会の準備を済ませ、アシェル殿下を待っていた。

舞踏会は、今でもあまり好きではない。

けれど、アシェル殿下と一緒にいられることは、とても嬉しかった。

「エレノア。今日も美しいです」

『はぁぁぁぁぁ。可愛い。本当に。ねぇ? そんなに可愛くってどうするのさ』

『ぼん、きゅ、ぼん』

私は微笑みをアシェル殿下に向ける。

アシェル殿下もハリー様もいつも通りで私はあの男が現れた夜が今では幻だったのではないかと思えるほどだった。

あの日以来、何も起こらない。

チェルシー様への尋問は進んでいるようだが、結局はそれ以上進展はなく、チェルシー様が言っていた拠点には誰もいなかったということであった。

チェルシー様もそれを聞き、自分が切られたことを悟ったのか、それ以来、以前のような明るさはなくなったという。ただ、それでもお父様という存在の事を信じているのか、いつか自分を迎えに来てくれるはずだと言っているのだという。

私は、この世界はゲームではないのだと改めて思いながら、今後どうなるのだろうかと心配になっていた。

ただ、今日は久しぶりの舞踏会であり、心配する思いは忘れようと、アシェル殿下に差し出された手を取った。

「アシェル殿下も素敵です」

「ありがとうございます。では行きましょうか」

『可愛いなぁ。もう』

「はい」

アシェル殿下の手を取り、舞踏会の会場へと移動する。

長い渡り廊下を抜け、そして舞踏会会場の入り口に立つ。この時が私は一番苦手だ。

人々の洪水のような声にいつも頭の中がぐるぐると渦巻き、気分が悪くなる。けれど、アシェル殿下の手を握っていると、それも大丈夫のように思えた。

ファンファーレと共に、私とアシェル殿下は会場へと入場し、たくさんの人々の拍手を受ける。

それと同時に渦のように人々の心の声が私の耳をつんざいていく。私はそれを表に出さないようにしながら微笑みを携える。

その時だった。

『さぁ、今日は君を連れて帰れるといいなぁ』

あの男の声が、私の頭の中に響き渡った。

気にはなっても、今は人々の歓声にこたえる方が先であり、きょろきょろとあたりを見回すことなどできない。けれど確実にこの会場のどこかにいる。

それが分かった瞬間、私は恐怖を感じた。

「エレノア?」

『どうかしたのかな?』

横にはアシェル殿下がいた。私はそれを思い出し、微笑みを顔に張り付け、そしてアシェル殿下の腕をぎゅっと握った。

「なんでもありませんわ。行きましょう」

ここは城の舞踏会である。男を捕まえるなら今日が勝負になるかもしれない。

私は覚悟を決めると、会場へと足を進めたのであった。

これからどうするべきか、私は静かに考えていた。

もし今回を逃せば、いつ捕まえられるかは分からない。その間、自分が狙われていることにおびえて過ごすのなんて嫌なことである。

ではどうすればいいのか。

私は、ちらりとアシェル殿下を見上げた。

こちらの視線に気づいたアシェル殿下は、どうしたのかと気遣うように視線を返してきてくれる。

『エレノア? どうかしたのかな? っく。今日も可愛いなぁ。あー。あんまり見つめるのは目の毒だなぁ』

可愛らしいのはアシェル殿下の方である。

けれど、アシェル殿下は可愛いだけの人ではない。

私のことを信じて、守ってくれる人。

信じても、良い人。

私の大切な人。

心を読む力のせいで、今まで人のことを信じられずに生きてきた。

どんな人間も、表と裏の顔があり、裏では私のことを酷い言い方をしている者たちばかりだった。

『淫乱な女』

『男をたぶらかす体』

『媚びを売り、見た目だけでちやほやされている』

私の外見を揶揄して様々な言葉を心の中でこちらに投げつけてくる。

生々しい性の対象とされる視線。

私自身ではなく、私の外見と体に集まる醜悪な言葉。

けれど、アシェル殿下は違う。

いつも、私のことを、私自身を見て考えてくれる人。

優しい人。

王子という立場を理解し、周りの人々には完璧な王子と言われるけれど、本当はとても可愛らしい人。

音楽のリズムに合わせて、私達は軽やかに会場で踊る。

会場中の視線が、私たちに集まるのを感じる。

そうすれば、私へ向けられる言葉も変わっていく。

『お似合いだわ』

『素敵。物語の王子様とお姫様ね』

『わぁ。美男美女とは、お二人のことね』

この人といれば、私は変われる。

拍手と共に私たちのダンスは終わり、私たちは会場に一礼をしてから、移動をする。

テラスへと出ると、夜風が頬をかすめていく。従者がアシェル殿下に飲み物を渡し、その一つを私へとアシェル殿下が差し出してくれる。

さっぱりとした柑橘系の飲み物に、私は笑みをこぼす。

「私、これ好きだってお伝えしましたか?」

アシェル殿下は微笑んで答えた。

「違いましたか?」

『好きそうだったけど、あれ? 違ったかな?』

「いえ、好きです」

私の外見から強いお酒ばかりを差し出そうとする男性たちのことを思い出し、私はくすりと笑ってしまう。

そして、心を決めると、侍女と従者に目配せで離れるように伝える。

アシェル殿下は小首をかしげるが私の行動を止めようとはしない。

「エレノア? どうかしたのですか?」

『何かな?』

私は意を決して、口を開いた。

「会場内に、先日、私の部屋に忍び込んできた男がいるようです」

アシェル殿下は驚きの表情を一瞬浮かべたのちに、瞳が真剣なものへと変わる。

私は、手をぎゅっと握り、そして、覚悟を決めた。

「見たのですか? すぐに騎士に言って捕らえましょう」

『城の警備は何をしているんだ。エレノアから聞いた外見については騎士たちに伝えているはずなのに、どうやってそれをかいくぐったんだ』

憤るアシェル殿下の心の声に、私は呼吸を静かに整えると、ゆっくりと言葉にした。

「いいえ、見たのではありません。聞こえたのです」

「え? 聞こえ……た?」

『えっと、声で判別したということかな?』

私は首を横に振ると、手をぎゅっと握り、勇気を振り絞って口を開いた。

「私は……昔から人の心の声が聞こえます。会場で、あの男の心の声が聞こえました。ですから、もし変装していても心の声を聴けばわかります」

一瞬の間が空いた。

アシェル殿下の心の声も聞こえない静かな間。

私は、アシェル殿下のことを信じると決めた。けれどこんな気持ちの悪い能力があると知られればどんな言葉を投げかけられてもしょうがない。

なんといわれるのだろうかと、私は静かに待った。

『え? どういうこと? 心の声が聞こえるって……この考えていることが聞こえるってこと?』

私は顔をあげると、アシェル殿下の瞳をじっと見つめてうなずいた。

「そうです。全て聞こえるんです。距離があっても、聞こえます」

泣きたくなった。

もしかしたら今日でアシェル殿下とは会えなくなるかもしれない。アシェル殿下に拒否されて、もう二度と、会ってもらえないかもしれない。

そう考えると辛くて、涙を堪えた。

アシェル殿下のことを信じると決めたのに、それなのに、不安は私の心を飲み込んでいく。

もし嫌われたらどうしたらいいのだろうか。

嫌われたくない。やはり言わなければよかった。そしたら、ずっとアシェル殿下の横にいられたのに。

私は、自分の心の弱さを感じていた時、アシェル殿下の表情が変化していくのを見た。

アシェル殿下の顔が真っ赤に染まった。

『待って待って! って、ってことはさ、僕がエレノア見て可愛いとか考えていたことも筒抜け!?

私は思っていた反応と少し違うなと思いながらも、小さくうなずいた。

「はい……勝手に聞いてしまってごめんなさい」

頭を下げるとアシェル殿下は両手で自身の顔を覆って、そして口を開いた。

「ごめん。ごめんごめん。僕、不快にさせたでしょ!? ごめん。僕って頭の中だと結構子どもっぽいというか、見た目王子様を意識していたから、あぁぁぁぁぁ。はずかしいぃぃぃぃぃ!」

アシェル殿下は考えていることをそのまま口に出しているのだろう。心の声が聞こえなくなり、私はどうしようかと思う。

真っ赤になりながら悶絶している姿に、私を忌避する気配はない。けれど本心ではどう思っているのか。私は不安になりながら尋ねた。

「ごめんなさい……盗み聞きみたいですし、気味が悪いですよね」

その言葉にアシェル殿下は目を見開くと、私の両肩に手を置いて、慌てた様子で言った。

「ごめん。違うよ。違うんだぁ。えっとね、エレノア。聞こえちゃうものは仕方ないよね。でもほら、僕ってかなりの猫かぶりだから。だからだから。その、恥ずかしかったんだよ」

顔を真っ赤にしながらアシェル殿下にそう言われ、私はその瞳を見つめた。

「気持ち、悪くないですか?」

「え? 気持ち悪くはないよ。だってしょうがないでしょう? 体質なら。でもさ、あぁぁぁ。ごめん。ただ恥ずかしくて情けなくて、もうあぁぁぁぁ」

何とも言えない悶絶の声をあげたアシェル殿下は、大きく深呼吸をすると言った。

「とにかく、わかったよ。エレノアの前では出来るだけ心の声そのまましゃべるよ。そうすればエレノアも気にしなくていいでしょう?」

「え?……そんなことが、出来ますか?」

「ん? うん。多分。聞こえちゃうこともあるとは思うけど……ちょっと努力する。人がいる時には仕方がないけど……でも。ああっぁぁぁ。しばらく悶絶するのは許して。もう、恥ずかしい。穴があれば入りたい」

そういうアシェル殿下の言葉に、私は涙が零れ落ちた。

怖かった。

拒絶されるのが。

怖かった。

嫌われるのが。

なのに、なんて優しい人なんだろう。

「エレノア!? エレノア!? ごめん。僕気持ち悪い? えっと、ごめんーーーー」

この人が好き。

私はアシェル殿下の胸に抱き着き、そう、思った。

アシェル殿下は深呼吸を何度も繰り返すと、私の方を見て言った。

「とにかく、まずは男を捕まえることを優先しよう。えっと、心の声が聞こえる件に関してはまた今度聞いてもいいかな?」

「はい。かまいません」

優しすぎる人だ。私はこの人のことを好きになれて良かったと思っていると、アシェル殿下は、少し視線をさ迷わせてから言った。

「あの、たまに、その、不埒なことを考えてしまうのは、男の性だから、本当にごめんなさい」

『心の声を全部出さないようにするのは、難しいかなぁ……許してくれるかなぁ……?』

私はそれを聞いて、笑ってしまった。

アシェル殿下になら、不埒なことを考えられてもなんだか許してしまえる気がする。

好きになった欲目だろうか。

「ふふ。大丈夫です。アシェル殿下より不埒な考えの殿方はたくさんいらっしゃいますから」

その言葉に、アシェル殿下は一度固まると、少し目を細めて言った。

「エレノア。エレノアに対して不埒なことを考えている者をまた教えてね。近づけさせないから」

「え? は、はい」

怒っているのだろうかと思ったが、アシェル殿下は静かに呟くように口を開いた。

「ずっとそんな声が聞こえるのは……怖いよね。エレノアは美しいし、可愛いから特に大変だったよね……出来る限り、僕がエレノアをこれからは守るから」

ドキリとした。

ずっと自分の気持ちを分かってもらうことなど無理だと思っていたのに、アシェル殿下は、私の気持ちを知ろうとしてくれる。

噂話など関係なく、私を見てくれる。

「ありがとう、ございます」

嬉しい。

アシェル殿下がいれば、人の声が聞こえることも怖くない。

「たくさん声が聞こえて大変かもしれないけど、男を放っておくことも出来ない。でも、辛くなったらすぐにいって」

「はい」

私はアシェル殿下と共に会場へと足を向けるが怖くなどない。

アシェル殿下が一緒ならばどこへでも怖がらずに進める気がした。

「ちなみに、ハリーの頭の中っていつも難しいこと考えている? たまに何考えているのか疑問に思うことがあって……あ、でも詳しくはプライバシーがあるから言わなくていいよ? ちょっと気になっただけだから」

アシェル殿下の質問に、私は何と返したらいいのだろうかと思っていると、丁度、ハリー様が姿を現した。

『ぼん、きゅ、ぼーーーん』

アシェル殿下が何考えている? みたいな視線で私を見つめてくる。

何と答えるべきなのだろう。

私は小さくアシェル殿下にだけ聞こえるように口を動かした。

「ぼん、きゅ、ぼーーん」

ぽかんと、アシェル殿下が固まり、次の瞬間ハリー様を鋭い眼光で睨み付けた。

その視線に、ハリー様が固まる。

私は、やっぱり言っちゃダメだったと、人の心を勝手に伝えてしまったことに罪悪感を覚えた。

これからは気を付けようと思っていると、ハリー様が私に救いを求めるように視線を向けてきたのだった。

アシェル殿下はそれからしばらくじっとハリー様を睨みつけており、ハリー様は視線を彷徨わせた後に口を開いた。

「あの、何でしょうか? 何かありましたか?」

「いや、何でもない。僕はお前がさらによく分からなくなっただけだよ。あぁ、咎めたいけど咎められないのが口惜しいよ。本当にね!」

その言葉にハリー様は眉間にしわを寄せるとちらりと私の方を見た。

「僕? あの、王子様キャラはやめたのですか? 口調が……」

その言葉にアシェル殿下が顔を赤らめた。

「なんだそれ。お前、そんなこと思っていたのか? え、どうしよう。他の人にもそう思われているってこと? 王子様キャラって……なんだよそれぇ」

「あ、いえ。口が滑りました。とにかくそろそろお時間ですので」

「わかっているよ。エレノア。それじゃあ行こうか?」

ある意味息の合った二人のやり取りに、いつもはこのようなやり取りをしていたのだろうかと思いながら、私は返事をした。

「は、はい」

ハリー様は未だにいぶかし気な表情を浮かべているものの、会場内へとアシェル殿下を戻す方が先決と思っている様子であった。

たしかに他の貴族たちへの挨拶もまだまだこれからである。きっとアシェル殿下が来るのを待ちわびている者達もいるだろう。

私はアシェル殿下にエスコートされて会場へと戻る。

会場の中は相変わらず様々な声で溢れかえっていたが、アシェル殿下が横にいてくれるだけで私は安心できた。

「エレノア。聞こえたらすぐに教えて。僕と騎士で内々に取り押さえられるように手はずを整えるから」

「はい」

私はその言葉に緊張しながら、会場内を見渡した。

その時、あの男の声がまた聞こえてきた。

『やっと帰ってきたか……さぁ、そろそろ動き出すかな』

私はちらりとアシェル殿下へと視線を向けた。その時であった。突然、会場内が真っ暗になったかと思うと、悲鳴と爆音、そして背筋が凍るような冷たさが会場内に広がっていった。

人々の心も混乱の渦に包まれ、たくさんのあふれかえるような声に、私は耳を押さえた。

そんな私の腰をぐっとアシェル殿下は抱くと腰の剣を抜き構えたのが気配でわかった。

瞬きをしてしばらく、アシェル殿下を護衛の騎士たちが取り囲んでいることにも気づいたが、突然会場の中央が明るくなり、皆がそちらへと視線を向けた。

そこには、一人の少女がみすぼらしい格好で立っていた。

「え……チェルシー……様?」

視点が定まらないチェルシー様の首はうなだれており、その瞳は彷徨うばかりで何も映してはいない。

「やらなきゃ、やらなきゃ、やらなきゃ、お父様の為に。お父様の命令よ。逆らえない。やらなきゃ……やらなきゃぁぁぁぁぁ!」

いったい何が起こっているのだろうかと私が思った時、男のあざ笑うような声が聞こえてきた。

『くくくっ。さぁ、チェルシー。お前の最期の舞台だ。楽しむがいいさ』

チェルシー様の手には赤い液体の入った小瓶が握られていた。

それを見た瞬間アシェル殿下の顔色は変わり、焦った様子で声をあげた。

「あれを飲ませるな! 捕らえよ!」

『まさか!? 竜の血か!? だめだ! あれは飲ませちゃいけない!』

騎士達がチェルシー様めがけて走り、止めようとした。けれど、チェルシー様はこれを一気に飲み干してしまったのである。

そして、チェルシー様は耳をつんざくような悲鳴を上げた。

「きゃぁぁぁぁぁあぁっぁあっぁぁぁぁ!」

『痛い! 痛い! 焼ける! いたいぃぃ。やだぁぁ。もう嫌だぁぁ。こんなの。でも、お父様からの命令だもの! やらなきゃ死ぬだけ! 死にたくない!』

会場内に黒い霧のようなものが立ちこめ始め、そしてそれはチェルシー様の体の周りを渦巻くと、翼のように大きく広がった。

「竜の血……くそっ。禁忌に手を出したか! 騎士達は全員舞踏会の参加者の避難を優先しろ! 第一騎士団は他の騎士達が参加者を避難させるまで盾となれ!」

アシェル殿下は声をあげ、傍に控えてきた第一騎士団がチェルシー様を取り囲む。

私はけらけらと笑いながら翼を大きく広げるチェルシー様の姿にぞっとした。

笑っている。けれど、心の中では耳をつんざくような悲鳴が今でも続いていた。しかしそれも狂い始め、笑い声へと変わっていった。

そしてその姿を見た瞬間に、アプリゲームの画面の背景に映っていた黒い翼の存在を思い出す。

あれは、悪役令嬢を悪魔のように見立てて翼をはやしたのではなかったのだということが、今になってわかる。

フラグだったのか。

人間が竜の血を取り込んで平気なわけがない。

そもそも竜の血や肉や鱗などを売買することは禁止されている。何故かと言えば、竜の体というものは魔力を帯びており、それを摂取したりすると何が起こるか未知数だからである。

摂取したある者は突然死し、摂取したある者は強力な力を手に入れた。ただし、強力な力を手にして無事だった者はいない。

だからこそ、手を出してはいけない禁忌とされ、諸外国でも同様に触れてはならないものと決められていた。

「殿下! 殿下も急いで避難を!」

ハリー様が声をあげ、アシェル殿下が私を抱き上げると騎士とうなずき合ってその場から離れようとした。

けれど、その時、突風が吹き荒れたかと思うと、背筋が凍るような冷たい風が頬を撫でる。

「だめよ……悪役令嬢は、ここにいなくちゃ」

チェルシー様の声が響いて聞こえた。

爆風と共に、人々の悲鳴、そして鋼と鋭い爪がぶつかり合う音が響き渡る。

アシェル殿下は目の前に突然現れた仄暗い瞳を宿した獣人の長い爪を剣で受け止め、それを押し返す。

「どういうことだ!? どうやって侵入した!?

「とにかく殿下! 避難を!」

かなりの数の獣人達が乱入しており、騎士達は応戦し、貴族たちは散り散りに逃げ惑う。

人々の悲鳴と、混乱する声。

獣人達の唸り声と遠吠え、そして荒々しい息遣いまでもが聞こえてくる。

舞踏会会場内に血の臭いが広がり始めていた。

「エレノア!」

次の瞬間体が引っ張られたかと思うと、チェルシー様に体を掴まれていた。そしてそのまま体は宙に浮き、アシェル殿下から引き離される。

「エレノアァ!」

私は恐怖心から声すらあげられなかった。アシェル殿下に手を伸ばすが、四方八方から獣人達が姿を現し、アシェル殿下もハリー様も応戦するしかない。

怖い。

怖さから悲鳴も出せずに身をこわばらせていると、眼前にチェルシー様の息が感じられてゆっくりと目を開いた。

濁った目がそこにはあった。

闇に呑まれたようなその瞳に私が怯んだ時、チェルシー様が笑った。

「あははっ。悪役令嬢のくせに、何その顔」

『あははっははっははっは!』

心の中は狂ったように笑い声をあげているばかりだ。

「チェ、チェルシー様?」

「本当は、闇に呑まれるのは貴方のはずなのに、なんでかなぁー? 何で、ヒロインのわた、わた、わたしがぁぉぁぁぁぁぁ」

首を絞められ、息がつまる。

チェルシー様の爪が首に食い込んで、ギリギリと音を立てているように感じた。

「エレノア!!

アシェル殿下の声が聞こえた。

けれど、その声に私は返事など出来ずに、このまま死ぬのだろうかと思った時だった。

『妖精のキスは特別よ』

そんな声を思い出した。そして、その瞬間、以前妖精ユグドラシル様にキスされた額が熱くなった。

目の前に光が溢れ、扉が現れた。

「え?」

次の瞬間扉から光の弓矢が飛んできたかと思うと、チェルシー様の肩を射貫く。

「きやぁぁぁぉぁぉぉ!!!」

チェルシー様の悲鳴が響き、私はその手から解放された。チェルシー様は射貫かれた肩に手を伸ばすと、奥歯をぎりぎりと噛んで痛みを堪え、光る弓矢を一気に引き抜いた。

「ぐぅっぅぅ痛い痛い痛い」

光の中から現れた扉が開くと、そこから妖精の戦士が現れる。弓矢を構えたユグドラシル様が先陣をきり、チェルシー様から溢れでる闇を光の弓矢で射貫いていく。

小さな体のユグドラシル様だが、その光の弓矢は強力で、次々に闇を射貫く。

「妖精のキスは特別だっていったでしょ?」

『ふふっ! 驚いているわね!』

ユグドラシル様のいたずらに成功したような楽しそうな笑顔に、私が呆然としていると、いつの間にかアシェル殿下が私の近くへと来ており、私を受け止めると、担ぎ上げた。

「アシェル殿下!?

「片腕でごめんね! でも、緊急事態だから、大人しく担がれていて!」

アシェル殿下も所々に傷をおっている。本来ならば第一王子という立場上自身の安全を優先すべきだ。

なのに、私を助けに操られる獣人達をぎ倒してきてくれた。申し訳ない気持ちと共に、私はアシェル殿下が来てくれたことを嬉しく思った。

だがその時、どこからか獣人を操る笛の音色が響き渡る。その音に反応して、獣人達が動きを変えていく。

獣人達は操られているだけである。だからこそ、アシェル殿下は他の騎士達に指示を出して出来るだけ犠牲がでないようにと戦い方を指揮している。

ユグドラシル様が焦ったように声をあげた。

「服従の笛だなんてそんなものがまだあったなんてねぇ!」

『助けに来たはいいけど、獣人はやっかいだわ! こりゃあ一筋縄ではいかないわね!』

獣人達を助けたい思いがユグドラシル様の中にもあるのだろう。他の妖精たちにも獣人を出来るだけ傷つけないようにして捕縛するように伝えている。

戦いにくい相手であり、どうにかして獣人を操る笛を奪わなければと皆が考える。

そんな中、私の耳にあの男の心の声が響いて聞こえた。

『ははっ! まさか妖精まで現れるとは! 捕まえて売れば富を築けるが、今はエレノアが優先だ! さぁ、獣人達よ! 死ぬまで戦え!』

笛の音がまた鳴り響き、獣人達は自分が怪我をすることなど構う様子もなく突撃してくる。それは痛ましい光景であり、私は胸が痛んだ。

止めなければならない。

私は男の心の声が聞こえてくる方角に集中して耳を傾ける。すると確かに男の心の声が聞こえ、その方角を指差してアシェル殿下に向かって声をあげた。

「あっちです! あちらから聞こえます!」

「わかるの!?

「はい! あちらから確かに聞こえます!」

「わかった! エレノアを信じる! 皆行くぞ!」

アシェル殿下は私の声に頷くと、私を担いだまま数人の騎士に声をかけてそちらへと向かう。

一階のテラスの窓から外へと出たところで、私は木の上を指さした。

「あそこです!」