第六章 画策するヒロイン
◇◇◇
あぁ。
どうしてこうもうまくいかないのよ。
私は抱きしめあうアシェルとエレノアを見つめながら親指の爪を噛む。
いらだつ。
今の時点で誰一人として私は手に入れていない。それなのに、エレノアは攻略対象者の心をつかんでいく。
略奪ゲームがここまで難易度が高いなんて思ってもみなかった。けれど、原因は難易度が高いというだけなのだろうかという疑問が生まれる。
「あの悪役令嬢が、ちゃんと動かないからいけないのよ」
爪をぎりぎりと噛みながら、何故ちゃんと悪役令嬢が動かないのだといらだってしょうがない。
私は部屋へと帰ると、一通の手紙が届いていた。
「あぁ。お父様からだわ」
真っ赤な手紙には、お父様の文字が並ぶ。
お父様はきっとこの国を手に入れたいはず。娘の私は、お父様の命令には絶対に従わなければならない。
そして、その為にはアシェルをエレノアの魔の手から救い出さなければならない。
「仕方ないわ。媚薬でも使ってみようかしら」
悪役令嬢が機能しない以上、アシェルの心をどうにかしてでも自分の方へと向けなければならない。
ならば媚薬を使って自分を襲わせるというのもいいだろう。
「私を襲ったとなれば、きっと心優しいアシェルは、私を放っておくことはできないわよねぇ」
媚薬の入ったピンク色の小瓶を揺らしながら、私は楽しくなって笑い声を漏らす。
「あ、どうせなら、ハリーにも飲ませようかしら。きゃっ二人して私を取り合うの! いいわぁ。あぁ、でもそれだと純粋なアシェルは傷つくかしらぁ……仕方ない。今回はアシェル。次にハリー。順番に行きましょう」
うふふっという気持ちの悪い声がもれる。
「あぁ。楽しみ。お父様もそろそろしびれを切らしそうだし、頑張らないとね」
チェルシーは小瓶を見つめながら楽しそうにベッドの上で転がった。
ごろごろと転がっている姿は普通の少女なのに、その瞳は欲望に染まっており、
◇◇◇
夢を見ている時、ふいに、これは夢だなって気が付くときがある。
私もそうで、あぁこれは夢だなとすぐに気が付いた。
夢の中の私は、アシェル殿下と一緒にのんびりと湖畔で緑の草の上に横になっていた。
太陽の日差しや、草の匂いも感じられるというのに、不思議なものだ。
『エレノア。こうやってのんびりできるのもいいねぇ』
『はい』
二人でただ、日向ぼっこをしながら、ぽかぽかとのんびり過ごす。
すごく心地が良くて、私はもうそろそろ目覚めなければならないというのに、目を開けるのが
『エレノア。そろそろ時間だねぇ』
『そうですね。残念です』
『ふふ。そうだね。じゃあ目が覚めてからまた会おうね』
『はい』
朝の日差しが、優しく部屋を包み込む。
私はゆっくりとベッドから起き上がると、夢の余韻に浸りながら、身支度を侍女と共に済ませた。
「エレノア様? 調子でも悪いのですか?」
いつもとは少し様子が違うと感じたのか、侍女にそう声をかけられて、私は慌てて首を横に振った。
「そうではないのよ。心配をかけてしまってごめんなさいね」
ただ、アシェル殿下の夢を見た為、何となくもったいなかったなぁ、まだ夢から覚めなければよかったのになぁ、なんて事を考えていたとは言えない。
「いえ、体調が悪くないのであれば良かったです。なんでも、あの、王城に今保護されていますチェルシー様は体調が優れないようですので、エレノア様も体調に不調があればすぐに教えてくださいませ」
『チェルシー様は仮病のようだけれど。エレノア様が体調を崩したら大事だわ! 私がちゃんと見ておかなければ! エレノア様の体調は私が守るわ!』
侍女の心の声には微笑ましくなりながらも、チェルシー様の件に、私は思わず眉間にシワを寄せてしまった。
体調が悪い?
「本当に? まぁ、それは心配ね……」
そうは口にしつつも、嫌な予感が拭えない。
この世界のことをゲームで現実だと思っていない節のあるチェルシー様である。何をしでかすか分からない。
私は朝食を済ませると、チェルシー様の部屋へと足を向かわせた。
何か嫌な予感がする。
ただし、突然部屋に押し掛けるのも不躾であり失礼であるから、私はどうしたものかと扉の前で悩んでいた時であった。
アシェル殿下が廊下の先から現れ、私を見つけると小首をかしげた。
「エレノア? おはようございます。どうかしましたか?」
『どうしてここに?』
「アシェル殿下。おはようございます。チェルシー様の調子が悪いと聞いて心配になりまして、少し様子を見にきてしまいました」
その時であった。部屋の中からばたばたとするような音が聞こえたかと思うと、アシェル殿下の声を聞きつけたチェルシー様が扉をすごい勢いで開けたのである。
そしてわざとらしくふらりとよろめきながら、私など眼中にも入れず、アシェル殿下へとしなだれかかったのである。
「アシェル様ぁ~。私もう、辛くて~」
『ふふふっ! やっと来たわね! さぁこれからが楽しみね!』
明らかに何かを企んでいる様子である。
心の中で意気揚々とした様子のチェルシー様に、私は一体何を企んでいるのだろうかと思っていると、チェルシー様は私を見て驚いた顔を浮かべた後に、嫌そうに顔をゆがめた。
「え、エレノア様? どうしてここに?」
『すっごく邪魔だわ。えー。どうしよう』
アシェル殿下はしなだれかかるチェルシー様を見て、ため息を堪える様子を見せた。
「チェルシー嬢。失礼するよ」
『しかたない。もし本当に体調が悪かったらいけないし……って絶対嘘だろうけどね! さっさとベッドに寝かせて退散しよう』
アシェル殿下は軽々とチェルシー様を抱き上げると、ベッドへと運んだ。
私はそれを見つめながら、仕方がないことだと思いながらも、少しだけ煮え切らない思いを抱いてしまう。
部屋へと私も入り、チェルシー様はベッドに横になり、私たちはその横の椅子へと腰掛けた。
その時である。
顔色の悪い侍女が一人お茶の準備を始めた。
『や、やらなきゃ……でも、本当に大丈夫なの? だめよ。家族が……人質に取られているんだから……』
その心の声に、私は眉間にしわを寄せた。
『び、媚薬だって言っていたわ。大丈夫……毒じゃない……殿下に飲ませるだけ……』
媚薬という言葉に私は内心で焦りながら、それを一体何に使うつもりだとチェルシー様をちらりと見る。
『うふふ。エレノア様はとってもお邪魔だけど、すぐに追い出して、媚薬を飲んだアシェル様とお楽しみの時間よ』
お楽しみの時間?
私は顔を真っ赤に染め上げ、媚薬をどうするつもりなのだと焦る。
侍女は、小さな机を準備し、その上へと紅茶を置いた。
「アシェル様、エレノア様、今日はお見舞いに来てくださってありがとうございますぅ。さぁ、お茶でも召し上がってくださいな」
『うふふ~。さぁ、媚薬を飲んで楽しみましょう?』
私はそのチェルシー様の心の声に覚悟を決めると、声をあげた。
「あら、見てくださいませ。窓の外に珍しい小鳥が飛んでいますわ」
「え?」
「ん?」
ちらりとそちらへとチェルシー様とアシェル殿下が視線を向けた瞬間、私は奥の方に準備されたアシェル殿下の紅茶をさっと取った。
侍女が驚いた表情で私の方を見たが、私は視線で黙っているように伝えた。
彼女も何かしらの事情があるのだろう。チェルシー様の悪事を暴く手立てとなりえるかもしれない。
チェルシー様とアシェル殿下は視線を戻すと、私を見る。
「あら、気のせいだったみたいですわ。それよりアシェル殿下、チェルシー様は調子が悪いようですし、お茶を飲んだらすぐにお暇いたしましょう?」
その言葉にチェルシー様は焦った様子だが、アシェル殿下がすぐにうなずいた。
「そうですね。ではチェルシー嬢、これを頂いたら失礼したいと思います」
『この様子からしてやはり仮病みたいだなぁ。はぁ』
『だ、だめよ!』
しかし、アシェル殿下は紅茶を飲み、私の方へと視線を向ける。どうやら私が一口口をつけるのを待っている様子であり、礼儀としてやはり一口はつけなければならないだろう。
私は飲んだふりをと思ったが、これをここに残しておいて、また何か悪さをされたらと思うと気が気ではなく、覚悟を決めると、行儀が悪いが一気にそれを飲み干した。
「それでは失礼しますね。チェルシー様、お大事に」
「え? え? あ、」
『待って! ちょっと、えー!』
焦っているチェルシー様に一礼すると、私はアシェル殿下にエスコートされ、部屋を後にする。
『もう! 信じられない! もう! もう!』
私は部屋を出る間際、先ほどの侍女にさりげなく視線を向けた。
侍女は顔を青ざめさせ、小さくこくりとうなずいていたのが見えた。
「ん?……顔が赤いようだけれど、大丈夫ですか?」
『え? エレノアまで体調が悪くなったのかな?』
廊下を一緒に歩いていると、アシェル殿下にそう言われ、私は呼吸が苦しくなり、脈拍がどんどん上がっているのを感じていた。
「あ、アシェル殿下……そ、その、体調が悪いようで……」
『え? えぇぇ? エレノア? え? 顔真っ赤で、しかも潤んでるし……え? 呼吸も、上がってる?』
即効性だったらしい媚薬の力に、私は体の力が抜けていくのを感じ、ぐっとアシェル殿下に支えられるだけでぞわぞわとする奇妙な感覚に体を震えさせた。
「アシェル殿下ぁ」
ごくりと、なぜか生唾を飲み込む音が聞こえ、私の意識はふわふわとなっていくのであった。
◇◇◇
(どういうことだよ。これ。あぁぁぁ。エレノア!? これはあれだ。媚薬か何かだ。あぁぁ。なんで。こんなエレノアの悩ましい姿、誰にも見せたくない。けど、このままにはできないし!)
アシェルは、バクバクと鳴る心臓をどうにか抑えながら、潤んだ瞳で自分に縋りついてくるエレノアを抱き上げると、急いで医務室へと運ぶ。
「ぁ……んぅ……」
エレノアから時折漏れる声はアシェルの理性を大いに揺さぶった。
(わぁぁぁぁ。なんで、なんで。エレノア。だめだ。しっかりしろ。僕! 負けるな! 僕!)
いつも美しいエレノアが今日は何倍も甘い香りを放ち、自分を見つめてくる。
縋るような、何かを求めているようなそんな視線に、心臓はうるさいほどに高鳴る。
理性は大きく揺さぶられるが、それ以上にエレノアの体調の方がアシェルは心配であった。
「アシェル……殿下……申し訳ありません……ん」
「もう医務室につきます。あと少しですからしっかりしてください!」
そう言いながらも、縋りついてくるエレノアが可愛くて、アシェルはぎゅっと抱きしめる手に力を入れた。
(可愛すぎるのは罪だよ。わぁっぁぁ! 僕の理性が! けどそれよりもエレノアの体調が心配だよぉ! 大丈夫かな!? 急がないと!)
アシェルは医務室へと運ぶと、医師に向かっていった。
「エレノアの様子がおかしい! おそらくは媚薬か何かの類ではないかと思うが、調べてくれ」
医師は急いで行動し、アシェルはカーテン越しにエレノアのうめくような声を聴きながら両手で顔を覆って苛立ちを隠した。
ゆっくりと自分の中で冷静になり始め、そして頭が研ぎ澄まされていく。
誰が原因かは、明らかである。
(チェルシー嬢……まさか媚薬を使ってくるとはね。エレノアは、おそらくは僕の代わりに媚薬を飲んだんだろう……はぁ。なんで気づかなかったんだ。僕の落ち度だ)
自分であればあらゆる毒や媚薬に関してもある程度は耐性をもっているというのに、エレノアは、自分のために飲んでくれたのだろうと、アシェルは考えて小さく息をつく。
何故薬を入れられていたことに気がついたのか、後でエレノアに尋ねなければならないだろう。
その時、医務室へと一人の侍女が青ざめた顔でやってくると、膝をつき、アシェルの目の前に頭を垂れ、泣きながら床に手をついた。
「申し訳ございません……私が入れたお茶が原因でございます……」
震える声。
その様子に、アシェルは目を据えると尋ねた。
「頭をあげろ。知っていることを全て話せ」
「はい……」
侍女は、チェルシーに命じられて媚薬を使ったことや、自分の家族が人質に取られていることを告げた。
その言葉に、アシェルはなるほどとうなずくと、笑みを浮かべた。
「君にチャンスをやろう」
顔面蒼白な侍女は、がくがくと震えながらもうなずいた。
「チェルシー嬢はね、どうもしっぽを掴ませないのがうますぎてね……あれだけ大胆な動きをするというのに、なぜか掴まらない。だからこそ今度こそしっぽを掴まえたい」
「……はい」
「これ以上、野放しにするのは、もうやめよう」
苦しそうなうめき声のエレノアの方へとカーテン越しに視線を向けると、アシェルは言った。
「さぁ、行動に移そうか……」
アシェルは立ち上がると、ハリーが資料をもって現れる。そしてそれらをアシェルに手渡し、指示を待つ。
「エレノアを守るように。そろそろ、泳がせるのはやめて、捕まえにかかるぞ」
「はっ。では、捜査に出している者達を呼び戻します」
「決着をつけるとしよう」
アシェルは静かに、行動を開始した。
その眼差しは子犬とはいいがたく、いずれエレノアも、可愛らしい子犬殿下の姿が、子犬だけではないと、気が付く日が、くる、かも、しれない。
◇◇◇
私は少しずつ意識が戻っていくのを感じていると、たくさんの心の声が聞こえ始めた。
頭の中に響く心の声に、曖昧だった記憶が戻り始め、自分の身に何が起こったのか思い出し始める。
『わぁっ。美しすぎる……うちの医者様たちが耐えきれて本当によかったわぁ。だってそうじゃなきゃ、こんな美しい人ほうっておけないものねぇ』
『お医者様、男性陣はだめね。エレノア様が苦しんでいるのに。まぁすぐに女医様に代わってからは大丈夫だったけれど』
『エレノア様。大丈夫ですよぉ。ここには獣はおりませんからねぇ。ちゃんと貴方様の侍女が追い払いましたから安心してくださいませねぇ』
侍女たちの声に、内心で笑いそうになりながら、私はゆっくりと目を開けた。
そこは自室であり、侍女たちは私が目を覚ますと嬉しそうに駆け寄り、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた。
医者から処方された薬によって、体の中の媚薬も抜けたようでかなり体もすっきりとしている。
ただ、喉が痛い。声をしっかり出すのは辛く、その為、小さな声で私は尋ねた。
「……アシェル殿下は?」
「今回の一件を片づけるとおっしゃっておりました。エレノア様はここでお休みくださいませ」
『殿下は何か行動される様子だったし、私たちがエレノア様をお守りしなくては』
「そう、なの。わかったわ。私はもう少し眠るから、貴方たちも一度下がって、少しゆっくりして?」
侍女たちの心の声から疲労感も感じられて、私はそう声をかけたのだけれど、笑顔で侍女達には言葉を返される。
「では、外に控えておりますので、何かありましたらすぐにお呼びください」
『ちゃんと外に待機しております!』
休んでもいいのにと思いながらも、そう気遣ってくれることが嬉しかった。
私はベッドに横になると大きく息をついた。
今回の一件でチェルシー様を処罰することは可能だろう。毒ではないとはいえ、この国の第一王子に媚薬を飲ませようとしたのだ。異物を王子に飲ませようとした罪は軽いものではないはずだ。
そしておそらくそこから尋問中に、他の事件にも関与していないか捜査が行われるだろう。そこで竜の国のことについても明らかにされればいいのだけれど。
そう考えていた時であった。
「あー。本当にむかつく」
「え?」
私は思わずがばりと起き上がり視線を彷徨わせた先に、壁にもたれかかりながらこちらを睨みつけてくるチェルシー様を見つけた。
先ほどまでは誰もいなかったはずなのに、いつの間にかそこに立っていた。
音を立てることもなく、どこから入ってきたのか、私にはわからず、突然のことに驚きのあまり声も出ない。
ただ、この城の壁の中には、隠し通路なるものが迷路のように入り組んで存在している。妖精の一件もその隠し通路内にあるものであり、アプリのゲームではミニゲームとして隠し通路探索があったことを記憶している。
だがまさか自分の部屋に通じるものがあるとは思っていなかった。
私は大きな声は出せないと、侍女を呼ぶ鈴にさっと手を伸ばそうとするが、それをすぐにチェルシー様にとられて手の届かない別の机の上に置かれてしまう。
「……チェルシー様?」
私は心臓がばくばくとして、そして手が震えそうになるのを堪えた。目の前に立っているのは私と同じ年の少女のはずなのに、そうではない恐ろしい雰囲気を感じたのだ。
「おい悪女。あんた、ちゃんと自分の役割わかってる?」
『本当にむかつく女。私の世界が、私を中心に回ってない。全部この女のせいだ』
舌打ちをしながらこちらを睨みつけてくるその姿に、私はヒロインがヒロインではないと呆然としてしまった。
「あーもう! あんたのせいでなんか変な方向に行ってるんだけど。なんで私が捕まえられなきゃいけないのよ。まぁ、私を捕まえようなんて、百年早いけど。私ほど、この城の内部を熟知している女はいないしね」
『私をなめるんじゃないっての。私は迷路の道順も全部記憶しているんだから。その辺の一般ユーザーと一緒にされちゃ困るわ』
チェルシー様はそういうと、私の方へと歩み寄り、ベッドの上へと上ると、私に馬乗りになった。
人に乗られる感覚に私は突然何をするのだと驚きながら、身を硬くした。
「な、何を」
私は恐怖で身動きできずチェルシー様を見上げた。
するとなぜか、チェルシー嬢は舌なめずりをして、にやりと笑った。その表情は到底ヒロインとは呼べるものではなく、悪女というのに相応しい気がした。
「まぁ、こうなったらなんか腹いせしないと、本当にむかつくから」
『ふふっ』
どういうことかわからず、どうにかチェルシー嬢を自分の上から下ろそうと手で押してみるが、両手をベッドに押さえつけられてしまう。
この状況はどういうことだろうか。
自分をまさか殺す気だろうか。
そう思うと血の気が引くが、なぜか片手で私の両手を押さえたチェルシー嬢は、もう片方の手で私の頬を気持ちの悪い手つきでなでた。
「まぁ、元々、顔は好みよ?」
『ふふ。私、両方いけるたちだから、せっかくだし楽しませてもらおうかしらね』
両方いけるとはどういうことなのかわからず、私は痛む喉ではあったが誰かを呼ぶために叫ぼうとした。
けれどその口をチェルシー様に手で塞がれる。
「だめだめ。静かにね? ふふ。せっかくだから楽しみましょうよ。たくさん気持ち良くしてあげるから」
『あっはは! ナニコレ。可愛いんだけれど。ふ~ん。悪役令嬢もいいじゃない』
意味が分からずに一体何が起こっているのだろうかと思った時であった。
部屋の外からたくさんの人の心の声が聞こえ始めた。そこにはどうやらアシェル殿下もいるようで、現在チェルシー様捕獲計画なるものが進められていることを私は知る。
『エレノア! あと少しですべて整う! すぐに助けに行く!』
本当は今すぐにでも中に飛び込みたいという思いを、全体の指揮を執っているアシェル殿下は押し込めているようで、苦しい胸の内の感情も流れ込んでくる。
私は呼吸を整えると、時間稼ぎをするべく、出来るだけ会話を延ばそうと、私の口をふさいでいたチェルシー様の手を顔を動かして払うと口を開いた。
「チェルシー様……あの、何故このようなことをするのです?」
チェルシー様はそれを聞いて小首をかしげた。
「楽しいからよ? だってこの世界は私の為の世界。それなのに、楽しまないのは損でしょう?」
『私はヒロインよ。当たり前でしょう?』
当たり前というようにそういうチェルシー様に、私はぞっとした。
「チェルシー様の……世界。どうしてそう思うのです? 今、チェルシー様の思い通りに世界は動いていますか? 違うのではないですか? チェルシー様の世界ならば、殿下に追われることはないはずです」
その言葉に、チェルシー様は息をのむ。
そして少し考えこむように眉間にしわを寄せた。
『で、でも、ここはゲームの世界であって、私がヒロインのはず……お父様だって、私の為に世界はあるのだと言っていたわ。お前がいれば世界は全てうまくいくって……それにお父様の命令は絶対よ。逆らえば、酷い目に遭う』
〝お父様〟。チェルシー様の言うお父様とは一体何者なのだろうか。しかもお父様と呼び、慕いながらもその心の声には恐怖も含まれている。
「……チェルシー様は……本当にこれでいいと思っているのですか?」
「う、うるさいわ! だって、お父様が言ったもの! お前がこの世界の中心だと! ヒロインだって! そうよ。私もちゃんと覚えている。お父様は私の言葉を信じてくれて……私はヒロイン! あなたが悪役令嬢よ!」
『お父様の言うことが全て正しいはずよ! お父様は……お父様は私の神様なんだから!』
私の瞳に映るチェルシー様の顔は歪んでいて、ヒロインと呼ぶにはあまりにも恐ろしい顔をしていた。
「……では、ヒロインであるチェルシー様は、今、幸せなのですか?」
「え?」
チェルシー様の動きが止まった。
私は体を起き上がらせ、尋ねた。
「幸せなのですか?」
『幸せ? しあわせ……? 私は今、幸せ? 幸せじゃないわ。だって何も手に入れていないわ。アシェル殿下も、攻略対象者も、誰一人、私の手の中にはいない……どうして? お父様の言うとおりにしたのに。ちゃんとヒロインとして行動したのに……』
その時、騎士達が部屋になだれ込み、チェルシー様は慌てて隠し通路の入り口から逃げようとするが、そこからも騎士たちが現れ、チェルシー様は押さえつけられた。
「はっ! 離しなさいよ! 私は、私はチェルシー! ヒロインなのよ!」
『やめてやめてやめてやめてよ。怖い。なんで? なんで一つも思うとおりにならないのよ! 略奪ゲームのはずなのに……なんで、なんでよ!』
アシェル殿下は私の傍にやってくると、ほっとした様子で言った。
「遅くなってすみませんでした。大丈夫ですか?」
『エレノア。ごめんね。遅くなったよね。怖かったよね。ごめんね』
私はほっとしてアシェル殿下の胸に縋りつくように身を寄せた。
「はい。大丈夫です……」
「離してよ! 離して!」
『なんで……なんでよ!』
私はチェルシー様のお父様とは何者だろうかと思いながら、今はアシェル殿下の傍で緊張の糸がとぎれ、ほっと胸をなでおろしたのであった。アシェル殿下はそんな私を抱き上げ、安全な部屋へと運んでくださった。
チェルシー様の心の声はかなり乱れていて、距離をとっても私の頭の中に木霊していた。