『ふふふ。妖精のキスは特別よ!』

嵐のように妖精は金の粉をまき散らしながら窓から飛び去って行ってしまった。

それを私とアシェル殿下は呆然と見送り、そして私は、額に手を当てながら、一体何をされたのだろうかと不安に思った。

アシェル殿下は、それから封印されていた壺の所在を騎士達と共に確認しに向かい、しばらくしてから私の所へと帰ってきた。

新しくお茶を入れてもらい、向かい合って座るとアシェル殿下はそれを一口飲みながら息をついた。

「本来封印されていた壺の蓋が、何者かの手によって開けられていたようです」

『いったい誰が? あの壺のありかを知っているのは王族のみのはずが、どこから情報がもれたんだろう』

私はゲームを知っているヒロインのチェルシー様の仕業としか考えられず、このまま彼女を放っておいてもいいのだろうかと不安に思う。

「あの……」

どう伝えればいいのだろうかと思いながらも、私は口を開いた。

「チェルシー様は、どうしているのですか?」

この言い方だとチェルシー様を明らかに疑っているように聞こえるだろうかと思ったけれど、その言葉にアシェル殿下は眉間にしわを寄せた。

「実は、チェルシー嬢を調べたところ……怪しい点がかなり浮かび上がってきています。そして問題が起こり始めた少し前の時間、チェルシー嬢につけていた監視員はその姿を見失い、三十分の間、所在不明になっていたのです」

『やっぱりエレノアもチェルシー嬢のことを怪しいと思っているのかなぁ。まぁそうだよね……というか、僕的には早くあの人城の外に追い出したいけど、いろいろ裏があって野放しにできないんだよなぁ』

アシェル殿下の言葉に、私は一口紅茶を飲み、そしてやはりチェルシー様が動いているのであろうと確信する。

その時であった。

部屋をノックする音が聞こえたかと思うと扉が勢い良く開き、話題のチェルシー様が入ってきたのである。

「アシェル様ぁ!」

『やっとみつけたぁぁぁぁ!』

突然のことに私もアシェル殿下も驚いていると、チェルシー様はアシェル殿下の横に座り、しなだれかかりながら言った。

「こんなところにいたんですね。私、ずっとお会いしたいって言っていたのに、会えないから、来ちゃいました」

『なんで会ってくれないのよ。盗難はエレノアの仕業だって印象を植え付けたいのに、もう! でもまぁいいタイミングだったかもねぇ』

にっこりとした笑顔でチェルシー様はそういうと、ちらりと視線を部屋の中にあった妖精が残していった宝物へと移す。

「え? 今、お城の貴重品が無くなったって大騒ぎになっていましたけど……どうしてここにあるんですか?」

『なんでここにあるかは分からないけど、いいタイミングね! このままエレノアの仕業にしてしまいましょう!』

わざとらしくチェルシーはそういうと、アシェル殿下の腕をぎゅっと握りながら言った。

「もしかして、エレノア様がぬす」

『これでエレノアに不信感を!』

次の瞬間、部屋の中へとハリー様が入ってくると、チェルシー様の口へとマフィンを押し込んだ。

『ストーン。黙れ』

「むふっ」

ハリー様は一礼すると口を開いた。

「突然申し訳ございません。一瞬目を離したすきに全力でチェルシー様は移動されまして。まるで王城の中を知り尽くしたようなその走りに、出遅れてしまいました」

『ぼん、きゅ、ぼん』

ハリー様はそういうと、一生懸命に口の中でもぐもぐと咀嚼そしゃくしてなくそうとしているチェルシー様の口にもう一つ籠に入れているマフィンを取り出すと押し込んだ。

「今朝マフィンを焼きまして。チェルシー嬢に早く食べていただきたかったのです。おいしいですか? そうですか。一生懸命作ったかいがありました」

若干チェルシー様にイラっとしている様子のハリー様は、顔はにこやかであり、いつもながら表情と声が一致しないなと思うのであった。

「うっ! み、みふをみふをちょうらい!」

『しっ! 死ぬ!』

チェルシー様がのどを押さえながら声をあげ、侍女が慌てて水をチェルシー様へと差し出す。

それをチェルシー様は一気に飲み干して口の中のマフィンを流し込むと、大きく息をついた。

「おや、チェルシー様。調子が悪そうなので部屋へと戻りましょう」

『ストーン。行くぞ』

言うことを聞かないと三つ目を口の中へと放り込むぞというような勢いのハリー様の声に、チェルシー様はアシェル殿下へとしがみつくと言った。

「嫌です! チェルシーはアシェル様と一緒にいたいです! ねぇ? お願いですぅ~」

『ハリーは全然好感度上がらないし、変なものばっかり口に突っ込んでくるし、ちょっと待ってよ! 私はアシェルにもっとこっちを向いてほしいのよ!』

その言葉に、私は少しばかりもやもやとした気持ちを抱く。

チェルシー様は、一体アシェル殿下のことをどう思っているのであろうか。

ハリー様にも色目を使っているような姿もあり、私は、顔をあげると口を開いた。

「チェルシー様。アシェル殿下は私の婚約者です。あまり、べたべたとはしないでくださいませ」

本物の悪役令嬢のような強い言い方になってしまっただろうかと私はどきどきとしていたのだが、予想外の言葉が聞こえてきた。

『そうよ! エレノア! あんたは悪役令嬢なんだから、もっと邪魔してくれなくっちゃ!』

『え、エレノア? もしかして、やきもち? やきもちかなぁ~? どうしよう。顔がにやけそうだ』

『ぼん、きゅ、ぼーん……やきもちか』

私は思わず顔が真っ赤になっていくのが分かった。

違う。

やきもちじゃないと言い訳をしようと思うが、やきもちじゃないのだろうかと、自分で気づいてしまう。

やきもちである。

顔にじわじわと熱がこもり、私が思わずうつむくと、アシェル殿下は私の横へと移動して、優しく私の手を取った。

「すみません。エレノア。チェルシー嬢と私が近すぎましたね。今度から気を付けます。チェルシー嬢も、申し訳ないけれど不要な接触は控えてください」

『かーわーいーい! あぁもう! 可愛すぎるでしょう! 僕の婚約者はあれかな? 天使かな? いや、小悪魔かなぁぁぁぁぁぁ!?

「あ、ごめんなさい。気を付けますぅ……」

『ちょっと! なんでそうなるのよ! でもこれを利用して……これからいじめられ始めたってことにするか?』

響く心の声に、私はアシェル殿下の声は恥ずかしいし、チェルシー様の声は怖いしで、何とも言えない表情を浮かべるしかなかった。

ちなみに、アシェル殿下からいただいたネックレスは、いつの間にか私の首元へと戻ってきていた。私はほっとしながら、指でネックレスを撫でたのであった。


私は朝目覚めると、ゆっくりと背伸びをした。

今日は、休養日ということで勉強やダンスレッスンなども何もない日である。

普通の令嬢ならば町に買い物に出かけたり、馬車で少し遠出をしたりするのだが、私はそうしたことをしたいとは思わない。

なぜならば、どこに行っても視線と心の声は付きまとうもので、見知らぬ人から向けられるそれらはかなりの疲労感を生むからである。

だからこそ私は、休養日には基本的に一人でのんびりと本を読んだりして過ごすことが多い。

侍女らも、私が一人になりたいことを理解しており、朝は私の好きなお風呂の準備をしていてくれる。

お風呂にはバラの花が浮き、かぐわしい匂いは心を癒す。

「いい香り」

ゆっくりとお湯につかり、そして朝の時間をのんびりと過ごす。

それから朝食をとり、私は本棚から本を取り読書を始める。図書館に行ってもいいのだけれど、今日は部屋で読むことに決めた。

部屋の中は静かでいい。ただ、集中して聞こうとすればたくさんの心の声で自分の中が溢れてしまう。

だからこそ私は本の中の物語に集中する。

そうすれば、聞きたくない音を聞かないで済むからである。

ページをめくる音と、時計の針の音だけが部屋の中に響く中、私は紅茶を飲みながら本を読みふける。

その時であった。

コンコンと、窓がたたかれ、私は驚いてそちらへと視線を向けた。

そこには飛び立っていったあの妖精のユグドラシル様がおり、可愛らしい笑顔でこちらに向かって手を振っている。

私は驚きながらも窓を開けると、ユグドラシル様は部屋へと入ってくるとくるりと回り、そして私の目の前で止まった。

「あなたにいいものをあげに来たわ」

『ふふふ。驚くわよー!』

妖精はいたずら好きである。いったい何だろうかと身構えていると、目の前においしそうなクッキーが現れた。

「私手作りのジンジャークッキーよ! ありがたく受け取りなさい!」

『お礼に一生懸命焼いたのよ! 人間サイズは大変だったんだから!』

その言葉に、私は微笑むとクッキーを受け取った。

妖精も義理堅いのだなと思っていると、うきうきとした様子でこちらに笑みを向けてきた。

「はやく食べてみて!」

『うふふ。おいしいわよ! 食べて食べて!』

一瞬妖精が作ったものを食べても大丈夫だろうかと不安に思うものの、妖精は機嫌を損ねるとかなり厄介な存在である。

私は小さく一口クッキーを口にした。

「おいしいでしょう!?

『おいしいって言いなさい!』

クッキーはさくさくとした食感で、甘さは控えめであった。けれど、優しい味わいがして美味しかった。

「美味しいわ。ありがとう」

「やったぁぁぁ!」

『大成功ね!』

ユグドラシル様は部屋の中をくるくると回り、私はクッキーをごくりと飲み込んだ。

その時であった。

「え?」

視線ががくんと下がり、不思議な感覚を味わう。

「あ、そうだ。そのクッキー! 願い事を一つ叶えてくれるの! ふふふ。楽しんでね! じゃあね!」

『また作ったらもってこよーっと』

ユグドラシル様はすごい速さで空を飛んで行ってしまい、私は突然のことに現状がよくつかめない。

ただ、服がぶかぶかになり、視線はかなり低くなっているという事実だけはわかる。

「これって……」

私が先ほどまで読んでいた小説のタイトルは「幼き日の思い出」。そして先ほどかすかに思ったことは、小さな時、こんな素敵な思い出があったらよかったのにということ。

私は慌てて洋服を引きずりながら鏡の前へと移動して愕然とした。

「私……子どもになっているわ……」

鏡に映るのは小さな時の自分の姿であった。

やはり妖精が手作りしたものを不用意に食べるべきではなかったと、私は鏡に映る自分を見つめながら、大きくため息をついた。

自分の小さくなった両手を見つめながら、どうしたらいいのだろうかと途方に暮れていた時であった。

部屋がノックされるとアシェル殿下の声が聞こえた。

「エレノア。読書をしていると聞きまして。少しだけ散歩でもしないかと思って声を掛けに来たのです?」

『あー。邪魔じゃないかな? 少し時間が空いたから一緒に過ごせたらなぁなんて思ったけど……』

忙しい合間を縫って会いに来てくれたことをうれしく思いながらも、この現状をどうしようかと、ぶかぶかのドレスを引きずりながらあたふたとしていると、扉が開き、侍女が顔をのぞかせた。

「エレノア様? 殿下がお見えになっておりますが……?」

アシェル殿下の声が聞こえなかったのかと侍女が私の対応を聞こうと思ったのだろう。

顔をのぞかせた侍女と目が合い、私はひきつった笑みを浮かべると、侍女は目を丸くし、部屋へと飛び込んできた。

「エレノア様!? ですか? えっと、え? で、殿下! エレノア様が小さくなっておいでです!」

『え? え? え?』

「え? エレノア。すまないが入るよ?」

『え?』

侍女の焦った声に、アシェル殿下も部屋へと入ると、私の姿を見て慌てて駆け寄ってきた。

「エレノア? 君かい? えっと、一体、どうして……」

『か……可愛い。え? 天使かな』

二人は慌てた様子で私を見つめながらも、私がエレノアだとすぐに分かった様子である。

自分をエレノアだと認識してもらったことに対しては安堵するものの、どうすればいいのだろうかという不安に駆られる。

けれどそんな不安な気持ちの私とは裏腹に、侍女の心の声があらぶり始める。

『か、可愛らしいのに、なんていう色香。どうしましょう。今のエレノア様は、少女性愛者が見つけたら……私たちがお守りしなければ! 侍女一同連携をもってまずは男性との接触をしないようにしなければ!』

え? 怖い。

私が思わず一歩引いていると、アシェル殿下の心の声もあらぶり始めた。

『か、可愛すぎる。え? どうしよう。抱っこしたい。え……僕、どうしよう。え。可愛すぎる。抱っこしたいけど、抱っこしたいけど……抱っこしてもいいかなぁ!?

アシェル殿下の場合、邪な感情というよりは、幼子を愛でるという雰囲気であり、私は思わず噴き出しそうになるのをぐっと堪えた。

しかし、アシェル殿下の後ろから姿を現したハリー様の姿に私は思わず身構える。

いったい何と言われるのであろうかと待っていると、聞こえてきたのは予想外の声であった。

『ぼん、きゅ……え……』

ハリー様が心の中でなんと呼んだらいいのか躊躇っている。

一体ハリー様はどんな思考回路になっているのだろうかとかなり不思議だが、その時、アシェル殿下が私の前へと跪いた。

「エレノア。抱き上げてもいいですか? 一度医務室に行きましょう」

『これだ! これなら、合法的に抱っこできる!』

私はくすりと笑いながら、両手を広げた。

アシェル殿下にならばいつでも抱っこされてもかまわない。

「はい。申し訳ありません。アシェル殿下」