第五章 いたずらな妖精

虫の鳴き声がうるさく響き始めた。窓の外を見れば、太陽の暑い日差しの中で、生き物たちが伸び伸びと生を謳歌する。

ふと、聞こえた虫の音ではない声に、私は顔をあげた。

「? どうかしましたか?」

『どうしたのかしら?』

妃教育の最中、私は何か聞こえた気がして少しあたりを見回すけれど、何かがあるわけではない。

学ぶことは多い。

これからアシェル殿下の横に立つ以上、視野を広く持ち、学びを深めていくに越したことはない。

サラン王国は大国とまではいかないが、様々な国と良好な関係を築いている。

人間だけではない多種多様な種がいるこの世界では、他の国と協調していくことが大事であり、王族の一員となる以上、自国のことばかりではなく他国の風習や情勢まで学んでおく必要があった。

何か聞こえた気がしたのだけれど気のせいだったのかもしれない。私は教師に向かって慌てて首を横に振った。

「いいえ。なんでもありません」

「では、次に進みますね。エレノア様はとてもよく学ばれるので教えがいがあります」

『さすがだわ。彼女ならば素晴らしい国母となるでしょう』

教師はメガネをくいっとあげて微笑みを浮かべており、私はその言葉を嬉しく思い、微笑みを返した。

授業の終わり、教師が手を止める。

「あら? ここに置いてあった万年筆がありませんわね。どこかに落としたかしら?」

『先ほどまで使っていたのに、どこにいったのかしら?』

「私も一緒に捜します」

「いえ、エレノア様のお手をわずらわすわけには。……侍女に捜してもらえるように伝えておきますわ。ではエレノア様。本日は失礼いたしますわ」

『見つかるといいのだけれど。本当にどこにいったのかしら』

授業が終わり、教師は部屋を後にする。

侍女に捜すように伝えるとは言っていたが、私も気になったので部屋の中を見回し、捜してみるが、やはり見当たらなかった。

突然物がなくなるなんておかしなことだなと、思い、不意に窓の方へと視線を向けた時であった。

「あら?」

窓ガラスに映る自分を見て、私は先ほどまでつけていたはずのネックレスがいつの間にかなくなっていることに気が付いた。

首元を触ってみるが、やはりない。

「え?」

鏡の前へと移動すると、私は自分の首元にやはりネックレスがないことを確認した。

指で首元に触れてみるが、やはりないものはないのだ。

「つけていたはずなのに。え? どこかに落としたのかしら?」

絶対につけていたはずであり、私はきょろきょろと部屋を見回した。

今日つけていたネックレスはアシェル殿下に以前プレゼントしてもらった大切なものである。

「どこへいったのかしら? でも絶対にあるはずだわ」

部屋中をくまなく捜せば絶対に出てくるはずである。

貴族令嬢は常日頃から好きなものを身に着けられるわけではない。公の場に出る時や、外出時などは基本的にドレスにあった装飾品が選ばれるし、同じものばかりをつけていると他のご婦人方からは良い顔をされない。

貴族令嬢とは良くも悪くも着飾ることに関して強要されるものなのである。

だからこそ、休日や今日のように勉強だけの日などは、アシェル殿下からもらったネックレスを着けられる貴重な機会であった。

それなのになくしてしまうとは。

私は内心かなり焦りながら捜していたのだけれど、そうしているうちに先ほど聞こえた声が少しずつ大きくなり始めた。

そして現在、先ほど一瞬気のせいだと思った誰かの心の声が煩いくらいに響いている。

最初は自分が聞き取れていないのかと思っていたけれど、それは元々支離滅裂な言葉の羅列だったのである。

一体誰の声なのかもわからず、何の目的なのかもわからない。

心の声にどうしたものかと考えていると、部屋をノックする音が聞こえた。

「エレノア。入ってもかまいませんか?」

「アシェル殿下? はい。どうぞ」

部屋に入ってきたのはアシェル殿下とハリー様で、少し慌てた様子である。

『エレノアは今日も可愛いなぁ』

『ぼん、きゅ、ぼーん』

二人の心の声になごまされながら、尋ねた。

「どうかしたのですか?」

「実は、王城内で何故か色々な物がなくなっていまして。一応エレノアにも伝えておこうと思って来たところです」

『王城内で盗難騒ぎだなんて、一体どういうことだろう。本当はこんなことに時間を割かれるくらいならエレノアとのんびりしたいのに、くぅ』

「そうなの、ですか?」

先ほどから聞こえてくる心の声と関係あるのだろうかと思っていると、アシェル殿下が私の頭をぽんぽんと優しくなでる。

「では、また」

『はぁ、ちょっと癒された。よし、頑張るかなぁ』

私はアシェル殿下を見送ると、なでられた頭を手で押さえ、自分の顔がほてるのを感じた。

前までは男性に触られるのが嫌で嫌で仕方がなかった。

そこには必ずいやらしい感情が交じっていたから、だからこそ、触れられることを忌避している自分がいた。

そう、男性に触れること自体を忌避していたのだ。

なのに、アシェル殿下に頭を撫でられて、私は、思ったのだ。

もう少しなでられていたいと。

そう考えた自分自身に恥ずかしくなって、顔を両手で押さえた時であった。

『欲しい、あれ、もっと、欲しい、あぁぁぁぁ』

部屋の中で声が響き、私は身をこわばらせると部屋を見まわした。

どこにも姿はない。

けれど確かに声がした。

しかも遠くではない。

「誰か……いるの?」

そう私が尋ねると、頭の中に声が響いた。

『わぁ、見つかってまた封印されたらたまらないしなぁ……』

支離滅裂な言葉から、欲求を満たすために考え始めたその心の声に、私は背筋が寒くなる。

封印とはどういうことだろうか。

私が身構えた時、顔をあげると、天井の隅に黒い影が渦巻いているのが見えた。

耳が痛くなるくらいの羽音が部屋に響いて聞こえた。

黒いものはゆっくりと形を変える。

それは真っ黒で小さな妖精であった。けれど妖精というには禍々しく見え、その羽音は耳をつんざくような音がした。

妖精を見た瞬間、私は思い出す。

記憶が渦のようになり、思い出されたのは秘密の通路を抜けた先にあった封印された壺。それを開けてしまうと、この呪われた妖精が出てくるのである。

このキャラクターは悪役令嬢エレノアの大切な宝石などを全て盗み、彼女を激昂させる。

その後、ヒロインの優しさによって呪いは解け、お礼を言って飛び去ってしまい所在は不明となるが、城の金品がかなりの数行方不明となり、それがエレノアの部屋から発見されたことによって、犯人が悪役令嬢エレノアではないかと疑われるのである。

エレノアの部屋から金品が発見されたのは、ヒロインに意地悪をするエレノアを妖精が怒り、自分の罪を擦り付けたのであった。

悪役令嬢エレノアはそれにも激昂するのだが、結局犯人は見つけられず、犯人はエレノアだと皆が決めつけた。ただし、この事件に関しては不明なことが多かったこと、そしてエレノアの実家の隠ぺい工作によって彼女は罪から逃れた。

私はそのことを思い出しながら、もしやヒロインチェルシーが自分を怒らせるために壺を開けたのだろうかと考え、怖くなった。

チェルシーは自分を陥れようとしているのかもしれない。

どうやっても乙女ゲームのシナリオを動かそうとし、それをされれば自分がこのまま平和に過ごすことは難しい。

どうして、平和に生きられないのだろうか。

このまま平和に、安心して生きられたら、きっと素敵なことだろうに。

けれど、それは無理なのかもしれない。

悪役令嬢の私には、普通に幸せになることなんて、出来ないのかもしれない。

だけれど。

アシェル殿下と出会って、私は生まれて初めてエレノアに生まれ変わってよかったと思えた。

アシェル殿下と一緒に幸せになれたら、どんなに幸福だろうか。

幸せに、なりたい。

心の声が聞こえて、毎日が苦しくて、自分は何故生きているのだろうかと何度も思った。

けれどアシェル殿下に出会って、そんな暗い世界が一変したのだ。

生きたい。

アシェル殿下と、私は幸せになりたい。

それなのに。乙女ゲームという世界は私にどうしてこうも試練を与えるのだろう。

私は思わず涙が瞳からこぼれてしまう。

「泣いていても解決しないのに……だめね……」

泣いても何も解決などしない。だからこそしっかりと現状に対処しなければと、そう思った時であった。

『キレ、イ、あぁぁぉぁ、ほし、い』

妖精は両手で私の涙を受け止めたのである。

いったい何が起こったのだろうかと私が呆然と見つめていると、その涙を浴びた瞬間に、黒いものが流れ落ち、美しい羽と体を取り戻す。

光が部屋の中に広がった。

妖精が涙を一滴浴びただけである。それなのに、一体何が起こったのだろうか。

突然のことに私が目を丸くしていると、妖精は自分の体が軽くなったことに喜び、部屋の中をすごい勢いで飛び回ると、キラキラと美しい粉をまき散らす。

「わぁぁっ! 体が軽い!」

『私今まで何していたのかな? 記憶が曖昧ー! でも、わぁ! 体が軽い!』

あまりにも激しく部屋の中を妖精が飛び回るものだから、部屋の中の飾りや壺などが床へと落ち、その音に慌てて部屋の外で待機していた侍女と、そしてなぜかアシェル殿下も中へと飛び込んできた。

「エレノア! 大丈夫ですか!?!」

『すごい音がしたけど。エレノア大丈夫!?

「エレノア様!?

『いったい何が!?

部屋の中は妖精の金色の粉で溢れ、私は呆然としながらアシェル殿下の方へと視線を向けた。

アシェル殿下は驚いたような顔を浮かべたのちに、私の方へと急いでやってくると私をかばい、妖精の前へと立つ。

護衛の騎士達は剣を抜き構え、侍女たちは腰を抜かして壁際に座り込んでしまっている。

妖精は楽しそうに笑い声をあげると、ゆっくりと落ち着いたのか私とアシェル殿下へと視線を向けると、くるりと宙で回った。

そして優雅に一礼をする。

「私の名前はユグドラシル。妖精界の女王の娘であり、長年、呪いによって意識がおかしくなり壺に封印されていたの。ユグドラシルって呼んでちょうだい」

『まぁ、呪いを受けたのは遊んでいて思わず触っちゃダメって言われた物を触ったからだけど』

アシェル殿下は眉間にしわを寄せる。

「壺とは、王家がひっそりと隠し通路に封印していたあれか? どうして、壺の蓋があいた? それに、呪いは解けたのか?」

『隠されていたはずのものがどうして? それになんで呪いが解けたんだよ?』

ユグドラシル様は体をくるりと回すと言った。

「なんで蓋があいたのかは分からないけど、そこにいる女の子のおかげで、私は呪いがとけたの、だからありがとう」

『純粋な乙女の涙が、呪いを解くものなんて、私も初めて知ったわ。これはお母さまに報告しなきゃね。あの手この手で呪いを解こうとしたのに結局とけずに封印されていたのに、本当にびっくりよ』

泣いただけで、解決したと、思わず先ほどの自分の考えが覆されたことに私はあっけにとられてしまう。

お礼を伝えてくる妖精にアシェル殿下は困惑した表情で尋ねた。

「エレノアのおかげで呪いが解けたということですか?」

『どういうこと? もっとわかりやすく説明してほしいけど、妖精は何考えているかわからない生き物だし、出来ればさっさと帰っていただくのが正解かな』

「そうそう。あ、呪いのせいで城からいろんなもの盗んじゃったから、返すね!」

『本当は持って帰りたいけど我慢かな!』

どこから現れたのか、部屋の中に大量の壺やら宝石やらが溢れかえり、アシェル殿下も私も突然のことに驚いた。

ユグドラシル様はすっと私の前に飛んでくると、私のおでこにキスをした。

「これはお礼よ。じゃあありがとうね! またね!」