『おせぇ』

「え? っきゃっ!?

ノアに担がれると走っているとは思えないほどの速さで進んでいく。しかしそれでも馬には敵わない。

次の瞬間後ろから追いついてきた馬に乗った男達の攻撃をノアは既のところで避けた。

リク、カイ、クウの三人もさすがは獣人の子どもである。動きは俊敏で、男達からの攻撃をかわしながら走り続ける。

「くそ! 女だけでも捕まえろ!」

『お頭に殺される!』

男達は私めがけて走ってくる。その光景を見て、私はノアが自分を捨てるのではないかと言う不安にかられた。

置いて行かれたくない。

怖い。

『震えてるじゃねーか。はっ。ついでだ、守ってやる』

男達が剣を引き抜き襲い掛かってくる。ノアはそれをよけ、足で蹴り、男達を牽制しながら走る。

その時だった。

「エレノア!」

声が聞こえた。

本当はこんな危ない場所に来るべきではない人なのに、来てくれた。

私は手を伸ばす。

「アシェル殿下!」

その瞬間、ノアの心が強張るのを私は感じた。

記憶の中で、ノアは私達の住まうサラン王国に強い憎しみを抱いていた。全てをサラン王国に奪われたと思っているようであるが、それが真実かは私には情報がたりない。

アシェル殿下の姿が見え、ノアは私を地面に下ろすと後ろから来た男を殴り倒した。

私は全力でアシェル殿下の元へと走る。

「アシェル殿下!」

「エレノア!」

アシェル殿下は馬のままこちらに駆けてくると、私を馬の上へと軽々と引き上げ、ぎゅっとその胸に抱きしめた。

「無事でよかった。エレノア」

「はい……アシェル殿下……来てくださってありがとうございます」

「……ハリー。後は任せました」

『エレノア! エレノア! 本当に、無事で、よかったぁぁぁぁぁ』

「はい。皆行くぞ!」

『ぼん、きゅ、ぼん!!!!!』

アシェル殿下の腕の中が、温かくて、私は涙が溢れた。ハリー様の心の声でさえ嬉しく感じる。

震える体をアシェル殿下は優しく抱きしめてくれた。

「アシェル殿下、あの、怪我をしたあの男の方と、獣人の子ども達は保護してくださいますか?」

「ん? えぇ。分かりました。事情は後で聞きますから、今はゆっくりしてください」

『くっそぉ。誰だよあの男。エレノア抱きあげていたし、むぅ。……あ、僕エレノアのこと呼び捨てにしちゃった。怒ってないといいなぁ』

アシェル殿下は騎士にノアと獣人の三人の事を伝えると、四人は騎士達に保護された。

騎士たちは次々に男達を捕まえており、私はほっと胸をなでおろした。

「よかった……」

私はその光景を見つめながら、疲れからか、意識が遠のいていく。

「エレノア。大丈夫。安心してゆっくり休んでください」

『無事で本当によかった』

心地の良い声と、アシェル殿下の心臓の音が聞こえた。それはとても安心できる音で、私は安らいだ気持ちで意識を手放すことが出来た。


私が目覚めたのは事件から丸一日たった後だった。よほど体が疲れていたのか、眠り続け、目が覚めると心配して傍にいてくれた侍女達が大喜びしてくれた。

王城へと駆け付けた両親は、建前上は私のことを心配し、抱きしめてくれたがそれだけである。

心の中は私に対しての陰湿な言葉で溢れており、私はそれをただ聞き流す。

『もしこれで婚約破棄となったらどうするのだ!』

『純潔が疑われるかもしれないわ』

『婚約破棄など一族の恥だぞ』

『顔と体だけが取り柄のくせに、何をやっているの!』

頭の中でずっとそんなことを考えている両親ではあったが、そんな私の足元には三人の獣人の子どもたちがべったりと張り付いて、両親に向かって唸り声をあげている。

どうやらリク、カイ、クウは私と離れるのを嫌がったため、騎士の監視の下、私の傍にいられるようにアシェル殿下が配慮してくれたらしい。

今では三人とも小綺麗になり、かわいらしい短パン姿がよく似合う。

両親は獣人の子どもを忌避するような顔を浮かべたが、アシェル殿下の口添えを無下にすることはできず、表面上は受け入れてくれている。

「本当に無事でよかった。殿下としっかりと話をするのだぞ」

『婚約破棄になど絶対になるな! このバカ娘が。お前が役に立つ時なのだ!』

「そうね。いずれ夫婦になるのだから、しっかりね」

『その顔と体を使って、ちゃんと丸め込みなさいよ! はぁ。本当に何のために産んだと思っているのか……自覚が足りないのよ。もっと厳しく教育すべきだったわ』

私は顔に笑顔を張り付けた。

この世界に生まれて十六年。両親の性格は分かっているというのに、未だに二人の反応にいちいち傷ついてしまう自分が嫌だった。

公爵家を継ぐ者として外面は良い二人だ。きっと私だって心の声さえ聞こえなければこの二人を慕っていたのだろう。

けれど、聞こえてしまうのだ。

娘など道具としてしか考えておらず、愛してなどいない、そんな両親の声が。

「はい。お父様、お母様」

両親はそれぞれこの後も用事があるのだろう。早々に関心は私から別へと移ったようで、私は二人を見送り、大きくため息をついた。

アシェル殿下と婚約し、王城に入れたことはよかった。

両親と離れられたことで、両親の心の声を聴かなくて済むようになった。自分が思っていた以上に両親の心の声に疲弊していたのだなと、私は王城で落ち着いて生活するようになってから気づいた。

小さくため息をつくと、リク、カイ、クウが心配そうにこちらを窺ってきた。

「大丈夫か?」

『……あの両親……なんだよ』

「お父さんとお母さん、来てくれて……よかったね」

『僕達の両親とは全然違う……』

「むりしないでね」

『……においで、いやなにんげんってわかる……』

そんな心の声に、私は自分の両親は獣人には好かれない人間なのだなと感じた。

「心配してくれてありがとう。大丈夫よ」

そう答えるものの、少しだけ疲れてしまった。

「今から私は殿下と話があるので、三人は部屋で待っていてくれる?」

「「「わかった」」」

三人とも素直に私の言葉を聞いてくれた。落ち着いた場所で接してみれば、本当に良い子達で、三人が早く家族の元に帰れたらいいなと私は思う。

私は別室で待ってくださっているというアシェル殿下の元へと移動し、部屋をノックしてから入った。

ソファーの前にアシェル殿下がいるのが見えて、私は思わず駆け寄った。

「アシェル殿下、助けていただき、ありがとうございました」

すぐに笑顔が返ってくると思っていた私だったけれど、アシェル殿下の表情は暗く、私のことを静かにぎゅっと抱きしめると、小さな声で呟くように言った。

「怖い思いをさせてしまい、すみませんでした……」

『せっかくのデートだったのに、ごめん。怖かっただろうに、本当に、ごめん』

私は首を横に振った。

「大丈夫です。だって、殿下が助けに来てくださると、私は信じていました」

そう伝えると、アシェル殿下の抱きしめる力が強くなる。

心臓の音が聞こえた。

『変な女を中心に、おかしな事件が起こっている。くそぉ。エレノアを巻き込んで、絶対に許さないんだからな』

その言葉に、私の頭の中は冷静になり、私は、しっかりと状況を整理しなければと決意を固めた。

「アシェル殿下、何があったのか、教えていただけますか?」

「えぇ」

アシェル殿下はその後、私の横に腰掛けると、静かに私が攫われた時のことと、その後について話し始めた。

簡単に要約すると、襲撃され、アシェル殿下をかばった女性は現在医療機関で検査入院中だということであった。ただし、何かしら裏がありそうだと、現在調査中であるとのことである。

私はとらわれていた時に聞こえた声や、状況について話をした。

『お嬢? 頭? うん。やはり何かしらの組織が動いていたんだな。それにしても何故獣人とエレノアを一緒の部屋に? どういうことだ?』

考え始めたアシェル殿下に、私はノアについて尋ねた。

「あの、一緒に逃げた男性はどうなりましたか?」

そういった瞬間、アシェル殿下の眉間にしわが寄った。

『……王城の地下牢に入れているとは……エレノアには言えないよ……どうしよう』

何故ノアが? 私はアシェル殿下が話してくれるのを待った。

「実は……あの後、身柄を保護しようとした時に、暴れまわって……地下牢へ入れてあります」

『えっと、どう伝えたらいいかなぁ』

「え? そうなの……ですか?」

私が思わずそういうと、アシェル殿下は慌てて首を横に振った。

「えっと、一応地下牢とはいっても、衣食住はしっかりとなされたきれいな場所ですから。それに、彼はこちらに敵意を丸出しでして……仕方なく……」

『あの身のこなし方からしてただものではないしなぁ……できればエレノアにはもうあの男にはかかわってほしくないなぁ』

アシェル殿下の気持ちはわかる。

私はどうしたものかと思いながらも、どうにかノアを助け出さなければならないとアシェル殿下に向かっていった。

「あの方は私の恩人です。どうにか、手立てはないのでしょうか」

『う……うーん。いつまでもこのままにはしておくつもりはないけれど、そうだなぁ。エレノアの恩人だしなぁ』

アシェル殿下の心の声に、私は期待を込めて言った。

「お願いです」

「えぇ。わかりました。私もエレノアの恩人をいつまでも牢屋に入れておくのは気が引けていましたからね」

『エレノアを助けてくれたことだし、それを考慮して、彼のことを受け入れてくれるどこかの貴族にその身柄を預け、保護観察とするのが妥当かなぁ……』

その言葉に私は思わず手を挙げた。

「公爵には私から話をします! うちで身柄を預かるのはどうでしょうか!?

次の瞬間、アシェル殿下の心の声が部屋中に響き渡った。

『だめだよぉぉぉぉぉぉ! エレノア優しいから公爵家に様子見にとか行っちゃうでしょう!? だめだめだめ! 惚れられたらどうするんだよぉぉぉ!』

私が呆然としていると、表面上は余裕の笑みを浮かべたアシェル殿下は優しい声で言った。

「しっかりと彼を保護してくれる方を探しますから」

『ダメ! 絶対! エレノアの元に狼なんて、解き放たないよ!』

確かに、考えなしだったと私は反省すると、少し考えてから一つの提案をアシェル殿下に伝える。

「では、アシェル殿下の伯母上にあたる、ミシェリーナ侯爵夫人のところはどうでしょうか? たしかミシェリーナ夫人は、他国から嫁いでこられた方でしたよね?」

夫であり王家の血を引いていたシャイン様はすでに亡くなられており、ミシェリーナ夫人は王都の邸宅にて穏やかな余生を過ごされていると聞いている。

彼女がシャイン様と共に王家の為に働いてきたころの功績と、その美しい所作から今でも彼女は尊敬の念を込めて〝ミシェリーナ夫人〟と呼ばれていた。

そして確か竜の国と仲の良かった隣国アゼビア出身であったはずである。もしかしたらノアのことも理解してくれるかもしれない。

そう思い口にしたのだが、アシェル殿下の心の声に、私は思わずしまったと思った。

『驚いた。エレノアはもしかして、彼が竜の国の人間だと気づいているのか? エレノアはよく気が付くな』

アシェル殿下は気づいていたのだと、私は思わずなんといえばいいのだろうかと思っていると、アシェル殿下は私の頭を優しくなでてくれた。

「良き案をありがとう。また、決まり次第教えますね」

『さすがはエレノア。ちゃんといろいろと勉強をしているのだなぁ。うん。ありがとう。よーし。彼のことはちゃんと僕がまかされたよー! 安全な場所で過ごせるようにするからね!』

私はほっとし、そして一つお願いをする。

「あの、できれば一度お礼を言わせてもらいたいのです」

アシェル殿下はうなずいた。

「しばらくは様子を見て、ミシェリーナ夫人の元へと身柄を移してからでも問題ありませんか? それと私も同席させてください。いいですか?」

「はい。ありがとうございます!」

『エレノアが笑ってくれて、本当によかったぁ』

アシェル殿下の心の声が心地よくて仕方がなかった。

◇◇◇

地下牢とは名前ばかりの、客室のような部屋から、ミシェリーナ夫人の屋敷へと俺が移されたのは、一週間ほど前のことである。

ミシェリーナ夫人はサラン王国の隣国であるアゼビア王国の出身であり、竜の国のことをよく知っている人物であった。それをわかった上で、アシェル王子が自分を彼女に預けたのだと知った時は、なんとも言えない気持ちになった。

部屋の中にシャワーやトイレも整備されており、自由に動き回ることも出来るため、捕らわれているという感じもしない。

アシェル王子いわく保護観察という立場ではあるが、自由とかわらない状況だった。

「あれだけ暴れまわったのになぁ」

エレノアという少女が気を失った後、俺は自分の中に湧き起こる怒りの感情のままに、周りにいた者達を巻き込んで暴れまわった。

こんな国滅びてしまえ。

そう思っていたが、アシェル王子は俺と対峙すると真正面から保護しようと行動した。

バカだと思った。

けれど、バカなのは自分だった。

アシェル王子は完璧な王子様であった。

清く、正しく、それでいて、強く。

その瞳は濁らず澄んでいて、俺はそれを見て、本当に怨むべき相手なのか分からなくなった。

そして、俺はミシェリーナ夫人の元で真実を知る。

俺の故郷を滅ぼしたのは、サラン王国ではないのだという。

謎の組織によってサラン王国の仕業に見せかけられたのだと、そしてサラン王国は自らの国の潔白を証明済みであった。

捕らわれている間に、そんなことになっているとは思ってもみなかった。

俺は、いったい誰を怨めばいいのだろうか。

エレノア嬢がアシェル王子と共に俺の元へと来たのはそんな時であった。

美しいドレスを着た彼女は、恐ろしいほどに美しく、あの震えていた女と本当に同一人物だろうかと目を疑った。

「ノア様、助けていただき、本当にありがとうございました」

頭を下げるエレノア嬢に、俺は首を横に振った。

「いや、こちらこそ、ありがとう。首輪も取ってもらった」

呪いのような首輪も、すでに外されている。

思わず首を撫でると、エレノア嬢は悲しげに目を伏せて言った。

「痛みなどはありませんか?」

「いや、ない」

「そうですか。良かったです」

ほっとしたように、安堵し微笑む人間に、久しぶりに会った。

裏も表もなく、ただこちらを心配している瞳に、目が離せなくなった。

久しぶりの、自分の感情の変化に俺は頭を押さえ、アシェル王子の方へと向き直ると言った。

「度重なる配慮、ありがたく思います」

「出来ることは協力しますが、まずは体を大事にしてください」

「はい」

相変わらず、アシェル王子の瞳も澄んでいて、本当にお似合いの二人であると思った。

ただ、なんとなく、ちくりと胸の奥がざわついた気がしたのは、俺の気のせいだろう。