私はこの世界に生まれて初めて、男性を心から可愛いと思った。

男性を自分が可愛いと思える瞬間が、私に訪れるとは思ってもみなかった。

私は胸の高鳴りに驚きながらも、ちらちらとアシェル殿下へと視線を向けた。

私たちは、はたから見れば完璧にダンスを踊り、優雅に微笑みを交わしているように見えたであろう。

けれど私は笑いを堪えるのに必死で、アシェル殿下は顔に張り付けた微笑とは裏腹に、嵐のように感情が揺れ動いていた。

この世界に生まれ変わって、人の心の声を聴いてこれほどまでに心が弾むのは初めてだった。

『むぅ。力の加減が難しい。しっかり支えたいけど、腰とか手とか細すぎて折れそうで……むぅ。折れないか?』

『どうやってこれから仲良くなっていこうかなぁー。仲良くなれるといいなぁ』

『ダンス上手いなぁ。完璧っていう噂は本当なのかな? まぁ、これから仲良くなれば分かるかー』

『それにしても、今日は本当に緊張するなぁ。皆当たり前だけど見ているしさー。あー。面倒なこともたくさんあるし、王子も楽じゃないよねー』

ダンスを踊っている最中に何を考えているのだろうかと笑いを堪えながらも、私はアシェル殿下と一緒にいることがとても心地良く感じていた。

こんな感情になれる相手と出会えたのは、初めてである。

ファーストダンスが終わると、たくさんの拍手が向けられる。

皆顔に笑みを張り付けているが、心の中では様々な感情が飛び交っている。

『ぼん、きゅ、ぼーん』

『やはり、殿下の婚約者はエレノア嬢で決まりか』

『殿下、素敵。あぁぁ、エレノア様がうらやましいわ。でも私だって負けないわ!』

私達は優雅に一礼した。

「エレノア嬢。一緒に踊れて光栄でした。また、後ほど話をしましょう」

『よかったぁぁぁ。はぁぁ。無事ちゃんとエスコートできたかなぁ?』

「こちらこそありがとうございました」

手の甲に軽くアシェル殿下が唇を落とした。

そしてアシェル殿下はあっという間に他の令嬢達に取り囲まれた。

まだ私との婚約が成立していない以上、他の令嬢達にとって今回はチャンスである。

他の令嬢達とはどのような会話をするのだろう。そう思って見つめていると、アシェル殿下はあくまでも社交辞令であろう言葉を並べ対応されていた。

それに令嬢達はがっくりとしているようだ。

ただアシェル殿下は、表面上は王子様としての体裁を保ちながらも、どの令嬢と踊る時にも心の中はさまざまなことを考えており、面白い人なのだとくすりと笑ってしまった。

そして、私はふと、自分が笑っていることに驚き、口元に指を置いた。

笑っていた。久しぶりに自然に笑えた。

他の令嬢と踊るアシェル殿下を眺めながら、私は、自分の中に芽生えた感情に驚きを抱いた。

一通り令嬢と踊り終わったアシェル殿下から、私は中庭へと散策に出かけないかと誘われ、今、月を眺めながら王城内にある夜の中庭を散歩に出た。

春の夜風は少し冷たいけれど、心地良く感じた。

甘い花々の香りが風に乗って運ばれてくる。

アシェル殿下は、物語に出てくる王子様のように私をしっかりとエスコートしてくれる。

微笑を携え、手を取り歩く。それは、乙女ならば誰もが夢見るようなシーンである。

私は自分がこんなにも穏やかな気持ちで男性と一緒に歩ける日がくるなどとは思ってもみなかった。

いつもならば男性の邪な感情に心が疲弊し、エスコートされることすら嫌悪してしまうほどだったのに、アシェル殿下との時間は居心地がよかった。

アシェル殿下の声は、澄んだ泉のようだなと思う。

『月が綺麗だなぁ。あぁこんな夜はさ、鼻歌でも歌いたくなるよね。ふふんふーんふふふふーんふふん』

アシェル殿下は心の中で鼻歌を歌っており、私はそれを聞きながら道を歩く。

とても可愛らしい鼻歌だった。音程ははっきりいって適当だし、歌詞はないし、たまに変なところで語尾が上がるけれど、何とも言えない味があった。

鼻歌を心の中で王子様が歌っているなんて誰が思うだろう。私自身、王子様の代名詞のように礼儀正しくそれでいて仕事は出来る真面目な方だと聞いていたから、驚きの連続である。

『あ、いい曲思いついた。これは名曲では?! ふふ。エレノア嬢と一緒だからかなぁ。今日は楽しい』

そんな言葉に、私の胸はときめく。

一緒にいて楽しいと思っているのが自分だけではないという事実に顔がにやけてしまいそうになる。

「エレノア嬢。少し風が冷たくなり始めましたね。寒くはありませんか?」

『大丈夫かな? 僕は大丈夫だけれど。ガゼボまで行けば、肩掛けも用意しているのだけれど』

不意にそう尋ねられ、私は慌てて顔を上げると首を横に振った。

「いいえ。大丈夫です」

「そうですか。ガゼボまで行ったら、飲み物も用意してもらいますから」

『良かった。でもガゼボに着いたら、温かな飲み物にしたほうがよさそうだな。頬が赤いけど、風邪じゃないよね? え? 大丈夫かなぁ。心配だなぁ』

「少し、緊張しているだけなので、ご心配なさらず」

私が慌ててそう言うと、殿下はくすりと笑った。

「ふふ。私も少し緊張しています。貴方のように美しい人と、このように楽しい時間を過ごせるなんて、幸福な夜です」

『かっわいぃ。え? 緊張しているの? 僕と一緒なの? わぁぁぁ。可愛いー!』

心の中で、可愛いのは殿下の方です! と私は叫び声を上げた。

二人でガゼボに用意されたソファーへと腰掛ける。恐らく、元々ここに来る予定でアシェル殿下が手配してくれていたのであろう。

さりげなく膝掛けも手渡され、私はそれを掛ける。

侍女達は温かな紅茶を準備し、そして下がっていった。見た目は仕事の出来る侍女達であったが心の中では私とアシェル殿下が上手くいきますようにと応援してくれていて、なんだか嬉しくなった。

「今日は素敵な夜ですね。夜風が気持ちいい」

『あぁ、緊張してきた。しまった、何を話せばいいんだったかなぁ。うーん。エレノア嬢が楽しめるように頑張らなきゃなー』

私は微笑を浮かべて答える。

「月が綺麗ですね。こうして一緒に庭を散歩できるなんて、光栄なことです」

「そう言ってもらえてうれしいですよ。こちらこそ、光栄ですしね」

『優しいなぁ。うん。エレノア嬢は噂とは違って、結構笑う方なのだな。散歩している間も微笑んでいたし。噂では社交的な場で必要最低限しか微笑まないって聞いていたのに、よかったぁ。笑ってくれて』

私はその一言を聞いて、自分の頬へと手を伸ばす。

笑っていたというか、にやけてしまっていたのではないかと不安に思っていると、視線を感じた。

顔を上げると、アシェル殿下はこちらに微笑を向けていた。

「エレノア嬢とこうやって過ごせて、良かったです」

心の声が聞こえなかった。

私は自分の心臓が跳ねる音を、代わりに、聞いたのだった。


私とアシェル殿下の婚約が正式に決まるまで、そう時間はかからなかった。元々公爵令嬢である私が筆頭であったこと、そして私以上にアシェル殿下と爵位の釣り合う令嬢がいなかったことも相成って一か月後にはすんなりと決まったのであった。

第一王子殿下であるアシェル殿下との婚約ということで、正式に教会まで足を運び、婚約式を行うこととなった。

婚約式のドレスは王家のしきたりに合わせて肌の露出の少ない簡素な白いドレスである。露出が少ないことは嬉しく思っていたのだが、婚約式の会場で聞こえてきた貴族の男性たちの声に、私はげんなりとしてしまった。

『ぼん、きゅ、ぼーーん』

『はぁ。美しすぎる。アシェル殿下がうらやましいな』

『簡素なドレスが逆にエレノア嬢の美貌を引き立たせるな。傾国とはエレノア嬢のような美姫のことを言うのであろうなぁ。人を惑わす妖艶姫とはよく言ったものだ』

『男性の心を惑わすなんて悪女に違いありませんわ!』

外見で判断され、そして自分は意図していないと言うのに、惑わしていると言われる。

人によってはそれを称賛ととらえればいいと言われるかもしれない。けれど、エレノアにとっては称賛というよりも、呪いの言葉のようであった。

ただ、やはりアシェル殿下だけは違った。

「エレノア嬢。とても美しいです。今日は二人にとって新しい門出となるでしょう。貴方と共に歩んでいけること、本当に光栄に思います」

『はわぁぁぁ。すっごく綺麗だ。わぁぁぁ。これ、ウェディングドレスだったらさらに綺麗だろうなぁ。あぁ気が早いのは分かるけど考えちゃう。エレノア嬢も……結婚楽しみにしてくれていると、いいなぁ』

優しい微笑みを携えてそう言われ、私は顔に熱がたまるのを感じた。

純粋に褒められているというのが伝わってきて、とても嬉しかった。そして、今まで結婚というものに憧れを抱いたことがなかったのだが、それが変わりつつあった。

アシェル殿下との結婚は、少し楽しみになっていた。

恋愛というものはまだ分からないけれど、アシェル殿下とならば明るい未来を描いていける気がした。

「ありがとうございます……あの、よろしくお願いいたします」

そして、アシェル殿下も素敵だった。白いタキシードがよく似合い、この人が自分の旦那様になるのだと考えるだけで嬉しくてたまらなかった。

「これからよろしく頼みます。お互いに支え合い、良い関係性を築いていきましょう」

『エレノア嬢が困らないように、僕がしっかり支えていかないとね! はぁぁぁ。本当に綺麗。僕って幸せ者だなぁ。これからゆっくりエレノア嬢の事を知っていきたいなぁ』

優しい人である。

心の声が聞こえるたびに嬉しくなれる人がいたなんて、私は本当に驚いた。ただそう思った時、心の声が聞こえるという事実をこれから一生隠し通さなければならないのだろうかという思いが過る。

言うべきか、それとも秘密にしておくべきか。

心の声を聴いてしまう罪悪感のようなものが、胸をよぎっていった。

けれど今の私にはまだそれを打ち明ける勇気などない。

いつか、いつか言える日が来る。

私はそう思ったのだった。


婚約は教会に受理され、私とアシェル殿下は二週間に一度か二度は顔を合わせる機会が増え、私は王城へと足を運ぶことが増えた。

そうしていくうちに、攻略対象者かどうかも分からないキラキラとしたイケメン達に出会うことが増えた。この人も攻略対象なのかなぁと曖昧な記憶の中で考えるしかない。

私が攻略対象者として覚えているのはアプリゲームのタイトル画面を飾っていた数人だけである。

けれど心を奪う気はさらさらない私にとって、よく知りもしない男性に会って話しかけられることは苦痛でしかなかった。

「これはこれはエレノア嬢。今日は貴方に出会えたことを神に感謝しなくては」

『今日もお美しいなぁ。ひゅ~。妖艶姫といわれるだけあるな』

「よかったらお茶でもいかがですか?」

『眺めているだけでもいいなぁー。あぁ、本当に、最高だよなぁ』

「貴方と一緒に過ごせる殿下がうらやましい」

『横に並んで歩くだけで、かなり価値があるよな。これだけいい女を連れて歩けたら最高だろうな』

次々に並べ立てられる言葉に内心辟易してしまう。

王城内へと着けば、王城の侍女が対応してくるからと護衛を連れてこなかったことも悪かったのだろう。出会う男性達は色めいた瞳で私のことを見つめて甘い言葉を投げてくる。

アプリゲームだからか、攻略対象者はかなり多かったと記憶している。モブからイケメンまで網羅していた気はするのだが、いくら考えても出会う男性達が攻略対象なのかそうでないかの判断はつけられなかった。

そして、廊下を歩くたびに何度も何度も足止めを食うものだから、私も次第に疲れてしまう。

しかもまだ広い王城内には慣れておらず、男性達に会わないようにと歩いていくうちに、自分がどこにいるのかが分からなくなってしまった。

今日もすでに三人に出会っており、いい加減にしてほしいとすら思ってしまう。

「殿下の元へと参りますので、失礼いたしますわ」

「あぁ。よろしければご案内いたします。どうぞ手を」

『白魚のようなその手を握りたい。ふふふ。道が分かっていないようだし、遠回りして行こう』

エスコートの為に差し出された手。普通の女性ならば疑うことなく取るのであろうが、心の声が聞こえる私には嫌悪感すらその手に抱いてしまう。

嫌だとは思いながらも、道が分からない以上ついていくしかないだろうか。そんなことを考えていた時であった。

廊下の曲がり角から、こちらへと歩いてくるアシェル殿下の姿が見えた。

私は迎えに来てくれたのだろうかと嬉しく思い、アシェル殿下の元へと向かった。

「エレノア嬢。お待ちしていました。どうかされましたか? 心配になって迎えに来たのですが」

『遅いと思ったら……むぅ? 何だ? 何故こんな所に?』

私は美しくスカートを持ちあげ、一礼する。

「アシェル殿下、お待たせしてしまい申し訳ございません」

「いや、いいのだよ。だが、何があったのかな?」

『?……何だか疲れた顔をしているけれど、大丈夫かな? えっと、先に甘い物を用意させるかな。それにしても、この男は?』

私を今引き留めていたのは、騎士団に所属する騎士だったのだが、殿下が現れたことで慌てた様子で頭を下げた。

「引き留めてしまい申し訳ございませんでした。失礼いたします」

『ついていないな。もっと近くで話をしたかったのに、残念だ。まぁ、話せただけで運がいい。皆に自慢するか』

立ち去る彼の姿にため息をつき、アシェル殿下へと視線を移すと、殿下は冷ややかな視線で騎士の方へと視線を向けていた。

『なんだ? どういうことだ……もしかしてエレノア嬢はいつもこうやって引き留められているってことか? なるほどなぁ。だから僕の所に来るのがいつもぎりぎりになっていたのかぁ。綺麗な人だから……男として気持ちは分からないでもないけど』

アシェル殿下は私の方へと視線を向けると尋ねてきた。

「エレノア嬢。こうしたことはよくあるのですか?」

『大丈夫だったのかなぁ……どうしよう。これで、僕に会いに来るのが嫌だとか、そんなこと思われていたら、僕、泣く自信がある……』

「えっと……その、皆様、心配してくださるようで」

私が何と言っていいのか分からずそう答えた。

「なるほど」

『わぁ。困った顔している。わぁぁぁ。気が回ってない僕が悪かったなぁ』

私はどうしたものかと思っていると、アシェル殿下がにこりと微笑みを浮かべた。

「次回からは、出来るだけ私が馬車まで迎えに行きましょう」

『僕が悪かったなぁ。エレノア嬢が美人なことをちゃんと頭に入れておくのだった。よし! 気合を入れよう。後そうだな……僕の婚約者に不埒ふらちにも声をかけるなんて、きっと皆体力が有り余っているのだろうなぁ。うん。後から誰が話しかけて来たかちゃんと、調べなきゃなぁ』

今までも、男性に引き留められることは多かった。

話しかけられた手前、無視するわけにもいかないのだけれど、そうして相手の話を聞くことで、陰では男好きとか、また男に媚を売っていると言われることも多かった。

きっとアシェル殿下も、私の噂くらい耳に入っているはずなのだけれど、こうやって私を心配してくれる。

私がたぶらかしただなんて、全く思っていない。

外見で、淫乱だとか、淫らだとか、そうしたことを言われ続けてきた私は、噂を鵜呑うのみにせず、私を見てくれるアシェル殿下の、その優しさが、素直に嬉しかった。

「ありがとうございます」

私がそう言うと、アシェル殿下は手を差し出してエスコートをしてくれる。

「今日は、美味しい菓子を準備しているのですよ? 気に入ってもらえるといいのですが」

『……うーん。もしかしてエレノア嬢はこういうことがよくあるのかなぁ……心配だなぁ』

「ふふ。殿下は本当にお優しいですね?」

アシェル殿下は王子として臣下の期待を一身に背負い立派な王子として生きてきたのだろう。だからこそ、いつも丁寧で、物語の王子様のように振舞っている。

そんなアシェル殿下が心の中ではこんなに賑やかで可愛らしい人だということを知っているのは、私だけだ。

それを嬉しく思ってしまう自分がいた。

アシェル殿下は私の方を見ると、苦笑を浮かべた。

「いえいえ。本来は私が貴方の元に通いたいところなのですが、時間がないため、いつも来てもらって申し訳ない」

『僕がエレノア嬢の屋敷に行ければ、エレノア嬢が大変な思いをすることもないのに、本当に申し訳ない。うん。そうだなぁ。対策を考えよう』


対策とは一体どうするのだろうかと思っていた私だったけれど、次回から、殿下が馬車まで迎えに来てくれるようになった。

そればかりか、迎えに来ることが出来ない日や、見送りが出来ない日などは私が通るルートは男子禁制となったようで、私はその事実をしばらくしてから知り、驚くのであった。

どうしてその事実を知ったのかというと、侍女たちが楽しそうに噂をしていたのである。

「男子、禁制?」

私が首をかしげ侍女に尋ねると、侍女はくすくすと笑いながら答えた。

「はい。第一王子殿下はエレノア様のことをとても大切にしていらっしゃるのだと、城ではそういう噂でもちきりです」

『こんなに美しい人だもの。そりゃあ男子禁制にもしたくなるわよね』

自分のせいで余計な負担をかけてしまったのではないかと私は不安に思い、アシェル殿下に会う時に尋ねてみることにした。

「あの、アシェル殿下……あの」

「どうしました? 何かありましたか?」

『ん? なんだろう? 困った顔? 僕何かしたかなぁ?』

庭でお茶をと、侍女と護衛騎士が少し離れたところで待機し、二人きりになったところで私は口を開いた。

「あの……私が王城に来た際に私の通る通路を男子禁制にしたと聞きました。その、ご負担ではありませんか?」

すると一瞬アシェル殿下は動きを止め、それから瞬きをするとお茶へと手を伸ばし、それを一口飲む。

『ばれたぁぁぁぁ。うわぁぁぁ。どうしよう。嫉妬深いとか器が小さいとか思われてない? 大丈夫? わぁぁぁ。どうしよう? どうする?』

カップを机の上へと戻すと、笑顔でアシェル殿下は答えてくれた。

「負担ではありませんよ。エレノア嬢は魅力的な女性ですから、皆が声を掛けたくなる気持ちは分かりますが……やはり、王城内でそうしたことが起こるのは問題ですので、対処させてもらいました」

私はアシェル殿下の心の声と、その言葉に、負担ではないのであればよかったと、ほっとした。

「そうですか。それならばいいのです。これまでとても話しかけられることが多かったので困っていたのです。配慮していただき、ありがとうございます」

そう伝えると、アシェル殿下の心の声が聞こえた。

『よかったぁぁぁぁぁ! ほっとしたよ。やっぱりエレノア嬢も嫌だったのだよね。はぁぁ。本当によかった。うん。よーし。これからも対策を強化していこう』

アシェル殿下は、見た目はとても優雅にまたお茶を飲み、それからカップを机へと置くと言った。

「それならばよかったです。エレノア嬢が過ごしやすいのが一番ですからね」

心の声はとても可愛らしいのに、見た目はしっかりと王子様なのだから私はさすがだなと思った。

そして、そんな可愛らしい心の声が聞こえてこんなにも幸せな気持ちになれるのだから私はアシェル殿下の婚約者になれて幸せだなぁと思ったのであった。

◇◇◇

あー。誰かに聞いてほしい。僕のこの想いを。誰かに聞いてほしいと思う。でもさ、それはできないから頭の中でぐるぐる考えちゃうよねぇ。

僕はアシェル。この国の第一王子なのだよね。

まもなく王太子となるであろうと言われている僕だけれど、外見は完璧な王子様で仕上がっていると思う。第一王子という立場上幼い頃から他人からの期待が僕の肩には伸し掛かっていた。

だからこそ、それに応えるために完璧な王子様でいようと努力を続けてきた。

仕事だってそつなくこなせるようになったし、言葉遣いや振る舞いだって、完璧といわれるまでに仕上げた。

ほら、皆王子様に幻想抱くでしょう?

だから、ちゃんと僕だってその期待に応えられるように、血のにじむような努力をしてきたっていうわけなのだけれど、その反動か、頭の中の僕はけっこうちゃらんぽらんだなって、自覚している。

たぶんさ、こんな僕のことが皆にばれたら、僕、幻滅されるのだろうなぁ。

こんな人だと思わなかったとか、言われそうで怖い。

そんな中、最近、僕にも婚約者が出来た。

いや、今日はね、これを自慢したくて、自慢したくてね。うん。だってね、とっても可愛らしい人なのだよ。

基本的に僕は、情報収集とかはもちろんするけれどね、人となりについては自分の目で見て、関わって、それから判断するようにしているんだ。

だって、僕自身が本当に内面と外面が違いすぎるって分かっているから。

だからこそ、噂には左右されない方だと思うのだけれど。

エレノア嬢はさ、本当に、もうさ、噂と全く違い過ぎて、もう、何と言うか、驚いた。

まず一言。

可愛い人です。

何ていえばいいんだろう。そのさ、見た目はどちらかというと薔薇っていう感じで、綺麗な人なのだけれど、その中身はたんぽぽの綿毛みたいな、ふわふわしている、可愛い人なんだよ。

うん。そうなのだよ。

可愛い人なのだよ。

まずさ、社交辞令的にしか笑わない人だって聞いていたけれど、僕と一緒にいる時にはいつも楽しそうに微笑んでくれるから、本当に驚いた。

最初は気を使ってくれているのかなって思っていたのだけれど、他の人といる時には、愛想笑いをしているだけでほとんど、ちゃんと笑わないんだよ。

でもさ、僕と一緒にいる時は、ふわって、ふわって笑うんだよ。

可愛すぎるでしょう?!

それにさ、甘い物がけっこう好きみたいで、新しいお菓子とかをティータイムの席で出すと、ぱあぁぁって瞳を輝かせるんだよ。

え? エレノア嬢は僕を、どうしたいのだろう。

僕、最近さらに語彙力無くなってきている気がするんだよ。

あ、大丈夫。第一王子としてさ、仕事とかはちゃんと出来る方だから。何ていうのかな、仕事に関してはさほど頭の中で悩んだり考えたりしなくても、普通に出来るのだよね。

まぁ頭悩ませるやつもあるけれど。

でも最近の専らの僕の頭を悩ませる種っていうのはさ、エレノア嬢が魅力的な女性過ぎるっていうところなのだよね。

噂では知っていたけれど、エレノア嬢は男性ホイホイかってくらい、男性を惹きつける魅力が詰まっている。

分かるよ?

僕だって男だからね。気持ちはわかるけどさ、王子の婚約者になったのにもかかわらず、それでも不埒な目でエレノア嬢を見てくる男が多いんだよ。

しかもさ、エレノア嬢はさ、優しいからさ、こう、突っぱねるっていうことが上手く出来ないのだろうね。

以前王城でも僕の所にくるまでにさ、毎回毎回色んな男性に捕まっていたみたいで、僕は驚いたよね。

だってまさかさ、王城内で、僕の婚約者に馴れ馴れしく話しかける男がいるなんて、思いもしないでしょう?

第一王子の婚約者だよ?

うん。なめられているのかなって思ったから、ちゃんとその後、しっかりと対処はさせてもらったけれどね。

ほら、体力が有り余っていたのだろうからさ。

体力、有り余らないくらいにはしてあげたよ。うん。皆鍛えられる上に煩悩ぼんのうも捨てられて、万々歳だよね。

最近本当に強く思うのがさ、男としてさ、エレノア嬢をこれからちゃんと守っていってあげないとなぁってすごく思う。

王城内は整理できたけど、社交界とかだと、まださエレノア嬢の周りによって来る男もいるから、そこらへんもどう対応していこうか、現在考え中なんだよ。

うん。

まぁとりあえず皆に声を大にして言いたいのはさ。

エレノア嬢が、すごく、すごーく、可愛いってこと!

僕のこのさ、ちゃらんぽらんな頭の中身がばれたらどうしようって、最近よく思うからさ、隠し通さないといけないよね。

がんばろー。

◇◇◇

アシェル殿下の婚約者となった私は、頻繁に舞踏会へと参加するようになった。

アシェル殿下の婚約者として社交界で交友関係を広げていく必要があり、私は同年代の令嬢から年配のご婦人方まで、様々な方たちと話をするようになった。

これまでの私は、悪役令嬢エレノアにならない為に社交界に出るのも必要最低限にして会話もほとんどしてこなかった。

公爵令嬢という立場であったからこれまではそれでよかったけれど、これからは第一王子の婚約者としての立場を確立していく必要がある。

もしヒロインが現れたとしても、私は悪役令嬢エレノアではない。余程の事がない限り、この立場が覆されることはないだろう。そうならない為にも気を引き締めていかなければ。

心の声が聞こえると言うことで、私は周りの目を気にして生きてきた。

人に嫌われるのが嫌だったから、相手の心の声を聴いて、相手に嫌われないように、適度な距離を保ちながら生きてきた。けれど、これからはそれでは駄目だと思った。

ただ孤独なままでは、守りたいものを、守れないかもしれない。

人と関わるという事は、自分にとっては傷つけられる事が増える可能性がある。

怖くないかと聞かれれば、怖い。けれど、怖がったって聞こえるのだから、それならば、頑張ってみようと思えた。

今までは心の声を意識して情報を得ることは少なかったけれど、アシェル殿下の婚約者になった以上、出来るだけアシェル殿下の力になれるように努めようと決めた。

けれど、もしもこの外見でなければもっとやりやすかったのだろうなとは思う。

外見で判断されることは男女ともにあり、見た目に嫉妬されることは日常茶飯事であった。

鏡に映る自分の姿に、私は深々とため息をつく。

赤い華やかなドレスを着ても、見劣りすることのない派手な顔。その顔に手で触れ、私は大きくため息をついた。

せめてこんな顔に生まれていなければ、そう思うけれど、そう考えたところで意味はない。

私はもう一度深々とため息をついてから、立ち上がった。

舞踏会は好きではない。たくさんの声が交ざり気分は悪くなるし、男性達の視線は私にとっては気分の悪くなるものでしかなかった。

けれど。今回はこの赤いドレスを贈ってくれたのがアシェル殿下だから、まるで自分を守ってくれているようで勇気が出た。

サラン王国では、婚約者の女性が舞踏会に出席する時には男性がドレスを贈るという仕来りがある。強制ではないが、衣装をペアにすることもあれば、女性だけを際立たせるためにあえてそろえず、ワンポイントだけ飾りを揃えたり、ネクタイを揃えたりする。

アシェル殿下と待ち合わせの控室へと向かうと、そこには王子様らしく白い衣装を身に纏ったアシェル殿下がいた。胸には、私のドレスとそろえた薔薇の花飾りが付けられていた。

それが婚約者になった証しのように思えて実感がわき、私はとても嬉しく思った。

アシェル殿下がにっこりとほほ笑み、こちらへと歩いてくる。

「エレノア嬢。今日も素敵ですね。会うたびに貴方の美しさに圧倒されるばかりです」

『わぁぁぁぁぁ。今日も可愛いなぁ。赤いドレスをプレゼントして本当に良かった。エレノア嬢には赤がよく似合う。あ、でも今度はまた別の色のドレスにしよう。あぁぁぁ。でも、これ、他の男も見るのかぁ。うーん。それはちょっと考えものだよねぇ』

頭の中は相変わらず忙しいアシェル殿下に、私は笑みを向ける。

「アシェル殿下も素敵です。ドレスも、本当にありがとうございます。今日もよろしくお願いいたします」

「ドレスもとても似合っています。では、行きましょうか」

『笑ったぁぁぁ。わぁぁぁ。何か、これだけで僕、頑張れる。うん。可愛い婚約者がいて僕は幸せだなぁ』

アシェル殿下の声は、とても澄んでいて、私は舞踏会に向かう足取りが軽くなる。

通常舞踏会では王族の挨拶が終われば、各貴族が話に興じたり、ダンスに興じたりという時間が流れていく。

私とアシェル殿下は国王陛下の挨拶の後、一番に舞踏会場の中央へと進み出た。

「エレノア嬢。ダンスを楽しもうか」

『よーし。頑張るぞぉ! エレノア嬢をしっかりと支えないとね』

「はい」

楽器が、指揮者の手によって音楽を奏で始める。天井の高いホールに、楽器の美しい音色が響き渡った。

アシェル殿下に腰を支えられ、私達は音楽のリズムに合わせてステップを踏む。

踊っている時間は、アシェル殿下の楽し気な鼻歌と、笑顔に癒されて、私はこんなにも舞踏会でダンスを楽しめる日が来るなんて思ってもみなかった。

「ふふ。とても楽しいですね」

そう口にすると、アシェル殿下も嬉しそうに頷いた。

「えぇ。エレノア嬢と一緒に踊っていると時間を忘れるほどです」

『かーわーいーいー! え? 何その笑顔? 可愛すぎる。何かな、僕幸せすぎるのだけれど。何かな? エレノア嬢は僕を一体どうしたいんだよおぉぉ。はぁ。エレノア嬢と婚約出来て僕は本当に幸せだなぁ。こんな素敵な人が僕の婚約者だなんて、本当に幸せだな』

「ふふ」

幸せなのは私の方である。婚約者になるまでは、不安で仕方なかったけれど、今となってみればもっと早くアシェル殿下に会っておけばよかったと思った。

社交界でもゲームの強制力があるのではないかと会うのが怖くて、会わないようにしていたことが悔やまれる。

それにしても、可愛いのはアシェル殿下の方である。こんなに可愛らしい人を私は他に見たこともない。

私は、可愛いアシェル殿下とダンスの時間を過ごした。

そして私はアシェル殿下と踊った後は、女性達が談話する場へと移動した。

アシェル殿下は、他の貴族達と話をしており、後程こちらへと迎えに来てくれる手筈となっている。

本来は、女性達が談話する場へと男性がダンスに誘いに来ることはめったにない。

けれど、私の場合、気を付けなければすぐに男性が近寄って来るので他の貴婦人たちの迷惑にならないようにしなければならない。

なので、私は出来るだけ同じ場所にはいないように、心の声を意識しながら移動しては、男性に捕まらないようにしているのだ。

アシェル殿下の婚約者になる前はよからぬ考えを持つ者も結構な人数いたので、そうした声には特に意識しながら逃げるように移動していた。

けれど今回はアシェル殿下の婚約者という立場もあるからと油断をしてしまっていた。

つい、化粧室に一度下がった時、他の令嬢達と外へと出ればよかったのに、私は一人で廊下へと出てしまった。

『あぁ。美しいな……』

背筋がぞわりとした。私は、この声の持ち主とは絶対に近寄ってはならないと場所を移動するのだが、それでも声は追いかけてくる。

怖い。

『ふふふ。さぁ、どこで捕まえようか』

私は恐怖から隠れる場所を探し、一番近くのテラスへと身を隠すと、息を殺した。

「エレノア嬢、どちらにいますか?」

『俺の最愛の人よ。どこに隠れている? くそ、くそ、くそ……どうにかして俺のものにしなければ。このままだったら殿下の物に……くそくそ』

声が聞こえ、私は慌ててテラスの壁際へと身を寄せ、カーテンの内側へと身を隠した。

鳶色の髪と瞳をしたダドリー公爵家のエドガー様は、以前から私のことを見かけては追いかけてくる人であり、二人きりにならないように意識してきたのだが、今回は以前よりもしつこい。

私がアシェル殿下の婚約者となって諦めると思っていたのだが、以前よりもしつこさが増している気がする。

「エレノア嬢。隠れても無駄ですよ」

『俺の物だ。俺の物だ。絶対に、絶対に逃がすものか』

恐怖が胸の中を渦巻き、私は震えながらカーテン裏に隠れるのだが、足音が近づいてくる。

どうして一人になってしまったのかという後悔が胸の内を渦巻く。

けれど、女性たちの輪の中にずっといるというのも息がしにくくて、だからこそ化粧室へと一度下がったのだ。

『まぁ、また男性を惹きつけて、はしたない女性ね』

『ここにいないでほしいわ』

『アシェル殿下も、男だから、きっとこの女にメロメロなのでしょうねぇ。はぁ、男って本当に外見に惑わされやすいわ』

『傍にいたくないわ。引き立て役なんてごめんだもの』

そうした声に堪えかねて移動してしまったのがいけなかった。

怖い。

怖い。

心臓の音がうるさいくらいに鳴り、そして足音が止まったのを聞いて、手が震える。

「みーつけた」

『俺の物だ』

「ひっ!……や」

私は恐怖で息を呑んだ。

腕を掴まれそうになり、私は慌てて近くのソファーの方へと逃げた。

エドガー様は舌打ちすると、私の方へと駆け寄り、そして私の肩を掴むと、そのまま休憩用にと置かれていたソファーへと押し倒された。

「エレノア嬢……なんで逃げるのです? 少し話でもしましょうよ」

『可愛がってやる』

「は、離してください」

何で私ばかりがこんな目にあわなければならないのか。

舞踏会に出れば男達からは不躾な視線を向けられ、女性達からは憎悪の感情を叩きつけられる。

一言も話したことのない人達からであっても、自分に対する悪評というものは自分の精神をごりごりと削っていくものであり、いつも私は、苦しかった。

だから、孤独を選んだのだ。

悪役令嬢エレノアにはなりたくなかった。

そして、人から聞こえてくる心の声も怖かった。

孤独しか、私には選べなかった。

きっとゲームの中のエレノアも選んだ道は違っても同じように感じ、そして壊れていったのだろう。

私は瞳いっぱいに涙をためながらも、声を上げた。

「やめてっ……お願い」