第一章 可愛い人
『ぼん、きゅー、ぼーーーん』
美しく波打つ黄金色の髪と、鮮やかなエメラルドのアーモンド形の瞳。流し目で男性を見つめれば、その心を射貫くと言われる美貌の持ち主。そんなエレノア・ローンチェストはアプリの中の悪役令嬢である。
イラストはとても美しく、アプリの最初の画面には悪役令嬢であるエレノアに黒色の翼が生えたような絵が描かれていたのが印象的だった。
ヒロインよりも目立っていたような気がする。
基本的に操作は簡単なゲームで、悪役令嬢側の攻略対象者を、ヒロイン側へと好感度を上げて引き込んでいく。
一部のユーザーからは略奪ハーレム乙女ゲームと呼ばれた異色作である。
普通の乙女ゲームと違って一人に絞るのではないという点、そして悪役令嬢から奪い取っていくという点が話題になったのだ。
悪役令嬢はイケメン攻略対象の心を奪いまくっている悪女であり、ヒロインは、そんな悪役令嬢に心を奪われたヒーロー達を攻略し、自分の味方にし、ハーレムを築いていく。
そして私はこのゲームの悪役令嬢、エレノアへと転生したごく一般的なユーザーである。
生まれ変わった場所が異世界であることに気が付いたのは、前世の記憶がある事と、世界観が違う事からだった。
ただ、まさかアプリゲームの中に転生したとは思っていなかった。
十歳を過ぎた頃にどこかで見た顔だなという既視感を覚え、そして自分の名前、顔、国の名前、王子の名前を知り気が付いた。最終的に王子の婚約者に自分の名前が挙がったと言う時点で確信を得た。
さらに異世界に転生したと言うだけでも信じがたかったのだけれど、それ以上に衝撃的な事実があった。
そして、その衝撃的なことが原因で、私は今、心を病みそうな状況にある。
『まぁ、エレノア様ったら、今日もまた男性達を虜にしてらっしゃるわ』
『あー。いい。本当にエレノア様は理想の女性だ。あー。本当に。彼女と一時の恋に溺れてみたいものだ』
『美人美人と言われているが、これは小悪魔だなぁ』
『ぼん、きゅ、ぼーん』
頭の中を様々な声が駆け巡っていく。
エレノアに生まれ変わってから知った、裏設定。
それは、人の心の声が直接的に頭の中で響いて聞こえてくるということ。考えていることや思ったこと、感じたこと。それらが頭の中で響き渡るのだ。
転生した私は耳を通して聞こえてくる声とは別に、頭の中に響く声に衝撃を受けた。
生まれたばかりの赤子であった頃、私は母であろう人を見上げながら、その心の声に呆然とするしかなかった。
「まぁ、とっても可愛らしいわ」
『何で女の子なのよ。くそくそくそ。女の子じゃ意味ないわ』
最初は意味が分からなかったけれど、口では優しく私に愛情を注ごうとする女性が、心の中では男児ではなかったことへの罵詈雑言を並べ立てていた時には、本気で泣いた。
一見して見れば優雅で美しいお母様と凛々しい貴族男性といった風貌のお父様。けれどその中身と言えば、崇高な志を持つ貴族というよりも、欲に正直で上っ面だけの生々しい人間であった。
そして、私はこれまでの十六年間で、人間とは本当に、内面と外面が違う生き物なのだなということを学び、何故ゲームの中のエレノアがあれほどまでに男性の心を奪って遊んでいたのかについて、考察することができた。
エレノアはその美貌もあって、立っているだけで男性から好意を向けられることが多い。
それは十六歳という少女が受け止めるにはあまりに生々しいもので、本当の意味で自分の味方がいない状況に生き辛さを感じざるを得なかった。
だからこそ、悪役令嬢のエレノアはそんな勝手に向けられる好意を使い、現実から目を逸らすように遊んでいたのかもしれない。
いや、遊んでいたと言うよりも、求めていたのだろうか。
相手の心の声を聴き、望む女性像へと姿を変え、相手の望む言葉を口にして。
自分の事を愛するように、自分へと心酔するように、相手の気持ちを操るように自分へと惹きつけていたのだろう。
そう考えれば、悪役令嬢エレノアの周りにどうして攻略対象者のような優秀でイケメンな男達がいたのかも理解できる。
ある意味、エレノアの心は、今の私同様に病み、壊れかけていたのかもしれない。
一人の男性だけを愛すればよかったのに、結局どの人も本当の自分を見てくれていないと、悪役令嬢のエレノアも思っていたのかもしれない。
だから、たくさんの男性の愛を求めたのだろう。
愛されれば満たされるとそう思い、自分を愛してほしいと願ったのだ。
けれど本当の自分を曝け出す事は、今の私と同じように怖くて、だから結局、心にぽっかりと穴が開いたように、満たされないままだったのかもしれない。
そして満たされないから、また次の男性の心を求めてという事が繰り返された結果、悪役令嬢エレノアが誕生したのだろう。
アプリゲームをしていた時は分かりえなかったけれど、今ならその気持ちが分かる。
『本当に、どうしてこの子は、こんな見た目なのかしら。母親の私が恥ずかしいわ』
『我が娘ながら、スタイルと美貌はなかなかのものだな。王子殿下も気に入ることだろう。殿下を
そんなことを考えている両親の横に並びながら、私は内心でため息をつく。
十六年間生きてきて、両親が自分を本当に愛していないことには気づいていた。
毎日並べ立てられる言葉と、その裏の自分に向けられる感情。
それらを知って、私の心は静かに冷めていった。
ゲームの中のようなエレノアになるつもりはない。
だから出来るだけ悪い印象など抱かせないように、清廉潔白に生きてきた。
人との接触も必要最低限に抑え、社交界に出る年になっても、両親から命じられたものだけしか参加していない。
人の心の渦巻く社交界に出ることは自分の負担でしかなかったし、ゲームのエレノアのように男性達の愛情を求める事はしたくなかった。
そもそも年々男性達の視線と心の声は、恋愛経験がゼロに等しい私にとっては恐怖でしかなかった。
ただ、社交界に出る以上絶対に男性と関わらないという事は出来ない。
社交の場では相手の心の声を聴きながら、この悪役令嬢エレノアの容姿を利用して、穏便に男性から逃げる術というのは身に付けていた。
そうしないと、この容姿につられてやってくるしつこい男性というものはいるもので、最初の頃は怖い思いもしたことがあったのだ。
おかしなものでエレノアの姿、所作、それは私を守る盾になった。
ただ、そうした事で、私は本当の自分というものを出せなくなった。
社交では仮面をかぶり、相手に好かれすぎない程度に立ち振る舞い、悪役令嬢エレノアにならないように、出来るだけ会話自体を減らした。
だからこそ悪役令嬢エレノアのように男性達を侍らすような事にはならなかったけれど、私の周りには、誰もいなかった。
悪役令嬢にならない代わりに私が得たものは、孤独だった。
「……私は、ずっとこうやって……生きていくしかないのかしら」
私は小さな声で独り言ちる。
開けられた窓からかすかに春の香りが舞う。夜の風はまだ冷たいが、会場内は人の多さもあって熱がこもっているように感じられた。
宝石がちりばめられたきらびやかなシャンデリアの明かりが美しく輝く。
楽器の調べと、人々のざわめきによって私の声はどこへ届くこともない。
第一王子殿下の婚約者を選定する、この舞踏会の会場内で、私は自分が一体これからどうなるのだろうかという不安を感じていた。
ゲームをクリアする前にこの世界に転生した私は、このゲームの結末も知らない。
その時であった。
先程まではざわめいていた会場内が静寂に包まれ、盛大なファンファーレが鳴り響く。
空気が揺れる音を感じながら、両親に倣って頭を下げる。
「皆、よく集まってくれた。今宵は、我が息子、アシェル・リフェルタ・サランの婚約者を、美しい花達の中から考えていくつもりだ。この時間を楽しんでくれ」
『ふむ。まぁ第一候補はローンチェスト公爵家の妖艶姫か。あれだけの美貌の少女か。アシェルが羨ましいな』
ローワン・リフェルタ・サラン国王陛下の声が会場内によく響き渡る。
私の頭の中にはローワン陛下の心の声も同時に響いて聞こえる。
筆頭婚約者候補であることは、父からも聞かされていた。第一王子殿下アシェル様が私を気にいれば、この婚約は成立するだろうと、皆が思っている。両親からの期待、それと同時にもしもこの婚約が成立しなかった場合、自分がこれからどのような扱いをうけることになるのか。それがエレノアは恐ろしかった。
両親の考えに、私の気持ちを尊重する気持ちなど欠片もない。
家の為に有益であるかどうか、それが両親の判断基準である。
婚約が不成立になった場合、一番条件の良い場所へと嫁ぐことになるだろう。ローンチェスト公爵家については男児を後継者にすることが決まっており、遠縁の子を引き取ると聞いていた。
ゲームの中でエレノアはアシェル殿下の婚約者になっていた。それなのにも拘わらず他の男性も侍らせていたことで悪女と呼ばれたのだ。そしてその生活ぶりもきらびやかで華やかなものであった。
それと比べて今の私は、誰も侍らせてはいないし孤独だ。
公爵令嬢としての生活はたしかに平民に比べたらきらびやかなものであろうが、普通の貴族よりは質素倹約に努めて生きてきた。
ただ何故か見た目で判断され、社交界では男性を
最初は婚約者にならない方がいいのだろうかとも考えたが、アシェル殿下の婚約者にならなかった場合、ヒロインはどうなるのか、物語には強制力があるのかどうかなどが気になった。
そして何より、現在の私には拒否権などない。
ゲームの強制力よりも両親からの重圧によって私はアシェル殿下の婚約者に納まるしかないのだ。
会場内に拍手が鳴り響き、夕焼けのように鮮やかな髪色をしたアシェル殿下が姿を現すと、澄んだ菫の瞳で会場内へと視線を向ける。
背の高いすらりとしたアシェル殿下は、会場内の令嬢の心を射止めていく。
社交界で彼は完璧な王子と噂され、令嬢達はこれまでアシェル殿下の目に留まろうと必死に頑張っていたが、彼の心を射止めた者はいなかった。
女性に関心がない様子や、あまりにも完璧すぎるその姿に、近寄りがたい雰囲気すらあった。
そんなアシェル殿下を見て私は、息を呑んだ。
同じ年だと言うのに、落ち着いたその雰囲気と凛々しいその姿は、噂されていたように物語の王子様そのものであった。
「今日は、集まっていただき、感謝します。どうか、楽しい一時を一緒に過ごしましょう」
『緊張するなぁ。ふぅー。どうにか、頑張らないと。よーし。頑張るぞぉー! えい、えい、おーーーー!』
アシェル殿下の心の声は、思いの外、とても少年らしい声色だった。
貴族の令嬢達はもちろんその見た目にうっとりとしながら、頬を赤色に染めていく。
会場内を、挨拶を交わしながら歩いていくアシェル殿下の姿を私も目で追っていった。
「素敵な方ね。きっとファーストダンス、誘われるでしょうから、楽しんでね?」
『まぁ、素敵な方ね。私が若かったら、虜にしてみせたのに』
「エレノア。しっかりな」
『まぁ、殿下も年頃だからな。お前の美貌は大層気に入るだろうなぁ』
両親の言葉に、私は仮面を被るように微笑を張り付けると。アシェル殿下がどんな声を心の中で
そして、アシェル殿下が私の前の前へと進んでくると、物語に出てくる完璧な王子様のような微笑を浮かべて言った。
「エレノア・ローンチェスト嬢。お会いできて嬉しく思います。よろしければ、最初のダンスを踊る栄誉を、私にいただけないでしょうか?」
『わぁぁぁ。噛まずにいえたぁぁ。良かった。わぁ。ドキドキしたなぁ。ちゃんと王子様に見えているかな? いや、王子様なんだけどさぁぁ!』
にぎやかで明るい雰囲気の心の声に一瞬、噴き出しそうになるのを私は奥歯をぐっと噛み
見た目はキラキラとした正真正銘の王子様である。言葉遣いもとても丁寧であり、所作も驚くほどに丁寧で美しい。
凛々しい姿に令嬢達は頬を赤く染め、優し気な微笑みは幾人もの令嬢達の心を射止めただろう。それなのに、心の声と外見が全く一致していない。
「喜んでお受けいたします。よろしくお願いいたします」
どうにか私はそう言って差し出されていた手に自分の手を重ねた。
重なった手は少しひんやりとしていて、お互いに少し緊張していることが伝わってきた。
「こちらこそよろしくお願いします。貴方のように美しい人と踊れるなんて、私は幸せ者ですね」
『ほわぁぁぁ! わぁぁぁ! 緊張するなぁ。それにしても、エレノア嬢は可愛いなぁ。うん。わぁぁぁ。緊張する。手、ほっそ。これは折れるよ? 折れちゃうよ? えーー。女の子ってもうちょっと太った方がいいと思う』
私はさらに奥歯をぐっと噛む。
手が震えそうになるのを堪えて、ダンスホールへとアシェル殿下と進んで行くと、向かい合わせになり、そしてアシェル殿下の手が腰へと触れる。
「楽しみましょう。皆が貴方の美しさに魅了されることでしょう」
『腰ほそぉぉぉぉぉ。どうしよう。折れちゃう。折れちゃうよ! ふおぁわぁぁぁぁ!』
折れません。内心、奥歯がもう折れてしまうのではないかと思うほどにぐっと噛んで堪えながら私はアシェル殿下の心の声から考えを逸らすために音楽に集中する。
今まで、ダンスは密着しすぎて相手の心の声がさらにうるさくなるのであまり好まなかった。
相手の邪な心の声が頭の中に響いて、嫌悪感でダンスを楽しむどころではなかったのである。
けれど、今は違う意味で楽しむどころではなかった。
ダンスはさすが王子様、完璧である。私もダンスには自信があったのでついていっている。
アシェル殿下は何一つ問題なくダンスのステップを踏み、しっかりと私をリードしてくれていた。
見た目には微笑を携え、完璧なる王子様である。しかし、その心は嵐のように声を上げていた。
『わぁぁぁ。ダンス上手いなぁ。僕、大丈夫かな? しっかりリード出来ている? わぁぁ。下手くそとか思われていたらどうしようかなぁ。えぇぇ? 大丈夫? え? 僕、大丈夫?』
私は奥歯がいつか折れるのではないかと言うくらいに、ぐっと力を入れる。
そして、初めて心の中で叫んだ。
可愛い!
うん。可愛い!
アシェル王子殿下、本当に可愛い!