私の住むアルヘル領はこの国の端の田舎に位置し、主に農業が盛んな地域だった。伯爵という爵位をいただいてはいたけれど、豪華なドレスを着ることもなければその重さと価格に目が飛び出るような宝飾品を身につけたこともなく、田舎ゆえに年の近い令嬢や令息とも知り合うこともなかった。だから気付かなかったのだ、自身が今まさに起こっている婚約破棄の一幕の主要人物だということに。
「実は彼女……デシルは今俺の子を身ごもっている」
「あらまぁ」
濃い金髪の令息に突然そんなことを告げられ、戸惑った私の口からは間抜けな声が漏れてしまう。だがその私の反応に何故かムッとした茶髪の令嬢が、金髪の令息の腕へと思い切り胸を押し付けるように体を寄せながら鼻を鳴らした。
「聞こえなかったのかしら? 私はオビディオの子を妊娠中なの。田舎女の出る幕じゃないのよ」
もちろん目の前で告げられたのだから聞こえているが、それを何故初対面の私に報告するのかがわからず首を傾げてしまう。ここはとりあえずおめでとうと当たり障りなく祝いの言葉を返すべきかしら、なんて考えていると、突然その男性が私をビシッと指さした。
「そういうことだ、ジュリア・アルヘル! お前のような田舎臭い女との婚約は破棄させてもらう!」
「えっ」
「貴女のような芋臭い人と彼は釣り合わないもの。当然よね?」
「確かに私はジュリア・アルヘルですが……」
まるで勝ち誇ったかのようにそんな宣言をされるが、言われている内容がサッパリわからない。
(ここは冷静に状況を整理するべきよね?)
――まず、ここは王都。私の住むアルヘル領から母と次期伯爵である兄に見送られ約一か月もかけて父と来た。来た理由は今まさによくわからない宣言を受けたこの夜会に参加するためで、事前に父から「サプライズがあるんだ!」と言われていたのだが、肝心の父は目の前の金髪の男性がデシルと呼ばれた令嬢と連れ立ち妊娠報告をしたところで卒倒し、警備にあたっていた騎士様に介抱のため連れられていってしまった。
もちろん倒れた父のことは気掛かりだが、騎士様が運んでくださったのと頭は打っていなそうだったのでとりあえず置いておき、今は私を呼び止めた彼らへと注目する。他の夜会の参加者は遠巻きに私たちを見ていて、残念ながら誰も目の前のふたりの正体を教えてくれそうにはない。ないけれど、彼らに言われた言葉やこんなに遠巻きに見られていることから考えられることはひとつだけ。
「……まさか私、婚約破棄されたってことでしょうか?」
「さっきからそう言っているだろう!?」
私の確認に声を荒げながら肯定されるが、全然現実味がなく完全に他人事だ。何故なら私は私に婚約者がいたことすら知らなかったのだ。
(お父様の言っていたサプライズって、このことだったのね)
きっと婚約者の存在が父から私へのサプライズだったのだろうが、皮肉なことにその暫定婚約者から婚約破棄を言い渡されるという私から父への逆サプライズが成立してしまった。これが世に言うダブルサプライズというものなのだろうか、なんてくだらないことが頭に過る。完全に現実逃避の一環だ。
我がアルヘル領には田舎ゆえに若い令息なんておらず、王都までも遠いため正直出会いなんて全くない。このまま結婚相手が見つからずずっと領地で過ごすのかと思っていたし、それも悪くはないと思っていたのだが父はそう思わず、どんな伝手を使ったのかはわからないが目の前の男性との婚約を取り付けてくれたということなのだろう。そしていざ顔合わせという段階での婚約破棄宣言――穏やかで気の弱い父には耐えられず倒れてしまった、という流れだとそう推測した。
一通り状況を整理し理解した私だが、名前どころか存在すら知らなかった相手から婚約破棄を宣言されても困ってしまう。仮にも私と婚約していながら別の女性を妊娠させるような相手と結婚しなくて済むのはむしろありがたいが、私の反応が薄いからか目の前のふたりが気付けばヒートアップしていたのだ。迷惑にもほどがある。
「大体ドレスの型も古いし、俺と同じ伯爵位を持っているならせめてもう少し着飾ってこい」
「だから田舎臭いとか言われるのよ。貴女は自分の領地の牛とでも結婚すればいいんじゃないかしら? その方が身の丈に合っていてお似合いよ」
(確かにアルヘル領へ流行りが届く頃にはもう別の流行りに移り変わっているものね)
思わず彼女の言葉に納得し頷いてしまう。だが牛と結婚は厳しいだろう。せめて牛飼い……いや、でも牛飼いどころか我が領地には若い人はほとんどいない。一番近い年齢の少年を思い浮かべるが、彼は私の十歳年下で現在九歳だ。結婚には早すぎる。
そんなことを考えていた時だった。
「馬鹿なのは下半身だけにしろ。婚約破棄をこんな場で一方的に告げるなんて馬鹿のすることとしか思えないな。訴えられて多額の慰謝料を請求されればいい。そこの股の緩い馬鹿女も、その緩んだ顔と股を引き締めておけ見苦しい」
「なっ!」
まるで私を彼らから隠すように背に庇ってくれたのは、黒髪が美しいひとりの青年だった。
「フェルナン・フローレンス公爵令息……!?」
(あら。この国唯一の公爵家の方がどうしたのかしら)
流行に疎い私でも流石に聞いたことのあるその名前に思わず目を見開く。当然この国有数の高位貴族である彼と、田舎のしがない伯爵家の私に接点はなく、どうして彼が間に割って入ってくれたのかわからなかった。確か現公爵には子供がひとりしかおらず、年齢は私の五歳上の二十四歳だったはず。ほぼ後ろ姿しか見えないが、声の若さやその後ろ姿からどうやら彼がその嫡男なのだと思った。そんな彼の登場で一気に場がざわめく。どうしてだか私に向けられる好奇の目が増えた気もするが、そんなことお構いなしにフェルナンと呼ばれたその青年は私の腕を掴んで裏庭の方へ歩き出した。
「あの」
「黙ってついてこい。それともあの場に留まって、みじめな気分を味わいながら婚約者に縋りつきたいのか?」
「いえ」
バッサリと切り捨てられたものの、確かにあの場にこれ以上いる意味もない。彼の言う通りどんどんみじめな気分になるだけだろう。
(フェルナン・フローレンス公爵令息)
言い方は厳しいが間違っていることは言っていない。戸惑って何も言い返せない私の代わりに相手の非を叱責し、背に庇いあの場から連れ出してくれた。
(なんていい人なのかしら)
私の手を掴む力も痛くないよう調節されているし、歩くスピードも私に合わせてくれているのか息があがるようなこともない。流石公爵令息、レディの扱いが完璧だ。こんなスマートな男性、田舎の領地にはいない。そもそも若い人がいないのだけれど。
「ありがとうございます」
「……は?」
私がお礼を口にすると、何故か愕然とした顔を向けられる。
「助けてくださったので。あ、名乗るのが遅くなり申し訳ありません。私はアルヘル伯爵家の娘、ジュリアと申しま――」
「べ、別にお前を助けた訳じゃない!」
「え」
掴んでいた手を払うように突然離され、思い切り顔を逸らしながら言われた言葉に私はぽかんとした。私を助けた訳じゃない?
「ではフローレンス公爵令息様はあの令嬢とそういった関係だったということでしょうか?」
「なんでそうなる!? 俺はあんなやつらとは無関係だ!」
「ならばやはり私を助けるために介入してくださったのでは」
「違うったら違う! あれはその、お前たちが見苦しかったからだ!」
焦ったように早口で言葉を重ねた彼の耳が赤く染まっている。口では否定しているが、やはり私を助けるために来てくれたのは間違いないのだろう。どうしてそこまで照れているのかはわからないが、きっとピンチを救う王子様というのは彼のような人をいうのだとそう思った。ちょっとシャイで素直じゃないけれど、それでも私は今、凄く嬉しいと思っているから。
(でも隠そうとしていることを指摘するのはやめた方がいいわよね)
すでに耳が真っ赤なのだ。これ以上恩人である彼を恥ずかしがらせるのは本意ではない。
そう思っていたところ、先に口を開いたのは彼の方だった。
「大体危機感がなさすぎる」
「危機感、ですか?」
「お前は今初対面の男に人気のない裏庭へ連れて来られたんだぞ、お礼なんて言っている場合か」
わざとらしいくらい目を吊り上げてギロリと睨まれるが、どうしてだろう、全然怖くない。むしろ彼の赤い瞳が美しいとすら感じてしまう。それに彼の瞳と同じくらい目元も耳も相変わらず赤く染まっており、お礼を言われただけでこんなに照れている相手に何かされるとも思えない。
「あの場に残れば、私はもっと悪意のある視線に晒されていたでしょう。だから連れ出してくれたんですよね? ならば私はやはり貴方様の優しさに感謝しかありません」
にこりと笑い軽く頭を下げると、はくはくと口を動かした彼が再び顔を逸らしてしまう。心なしかうなじまでじわりと赤く染まっており、助けてくれた相手にこんなことを思うのは失礼かもしれないが可愛いと思ってしまった。
「……俺の評判は知らないのか」
「評判ですか?」
ポツリと零すように言われた言葉に首を傾げてしまう。
「俺はその、口が、悪くて。公爵家の嫡男なのに家から婚約を申し込んでも嫌悪されて婚約者すら決まらなくてだな」
「それはお相手の令嬢が悪いのでは?」
「いや、自分でもわかってるんだ。すぐ棘のある言い方をする自分が誰かに好かれる訳ないってことくらい」
思い出しながら落ち込んだのか、彼の声色が段々と低くなる。確かに何事もハッキリと口にする彼の言葉は相手の心に刺さるのだろう。正論だからこそ、突かれたくない本質を傷付けてしまうのかもしれない。だがそれは、彼がまっすぐ相手に向き合っているからこそだとも思えた。
(上辺だけの相手よりずっと好感が持てるわ)
「私は好きですよ」
「好……っ!?」
「フローレンス公爵令息様は正直なだけだと思います。確かに貴族としてはそのまま口にし過ぎなのかもしれませんが……私もあまり言葉の裏とかは読めませんので、ハッキリ言われる方がわかりやすくてありがたいです。それに評判を気にしているのならあの場に介入すべきではなかったのに、助けに来てくれたじゃないですか。私には貴方様だけです」
「お、俺だけ……?」
(私を庇ってくれたのは彼だけよ)
はい、という意味を込めて大きく頷くと、さっきまで眉間に皺を寄せていた彼が目を見開きぽかんとしている。そしてすぐにハッとし、今度は何故かわざとらしく咳払いをした。
「あー、その、アルヘル嬢はこの後どうする予定なんだ?」
「そうですね、まずはお父様の様子を見に行きます」
「い、いや、そういう意味じゃ」
突然婚約破棄を突きつけられた私を見て卒倒してしまった父。幸いにも頭などは打っていないようだったし、警備にあたっていた騎士様がすぐに休憩室へ連れて行ってくれたようなので問題はないだろうがそろそろ迎えに行かねばならないだろう。幸いにも彼が連れ出してくれたお陰であの場から離れられたため、あまり注目も集めず父の元に行けるのはありがたい。
「その後は――領地に帰ろうかと思います」
「も、もう帰ってしまうのか!?」
私の言葉に驚いたように声をあげる彼を不思議に思いながらも、私は再び頷いた。
「もう王都にいる意味もありませんので」
私が王都へ来たのは、きっと先ほど婚約破棄を宣言して来た見知らぬ婚約者との顔合わせのためだろう。そして夜会という大人数の集まる場で婚約破棄をされたのだ。目の前の彼が庇ってくれたお陰で私が一方的に悪者にされることはないだろうが、父がやっと見繕った相手とこんな騒ぎを起こしてしまったとなれば次の縁談は絶望的。ならばもうここにいる必要もない。デシル嬢が言っていたようにどこかの牛飼いを探す方が建設的とすら思える。
「だが君はまだ王都に来たばかりなんじゃ」
「ですがもう、結婚相手がいなくなってしまったのです」
「それは……っ、せめて観光、そうだ。気晴らしに観光してからでも遅くないのではないか?」
「観光ですか?」
確かに一か月もかけてここまで来たのだ。どこも見ずに帰るというのももったいないかもしれない。
「俺は普段王都のタウンハウスに住んでいるんだ。王都の案内なら俺が出来るしっ」
「あら、まぁ」
(田舎者の私を案内してくださるってことかしら)
庇い、助けてくれただけでなくまさか王都での思い出作りにまで協力を申し出てくれるだなんて、彼はなんて親切なのだろう。
「さっきも言ったが俺にもそのっ、婚約者はいなくてだなっ」
「それはとても嬉しいです」
「う、嬉しい……!?」
(婚約者がいないのなら、私を浮気相手だと勘違いして悲しむ令嬢もいないということだものね)
存在すら知らなかったものの、今の私は婚約者を寝取られた傷物令嬢だ。そんな私が婚約者のいる令息と一緒にいるのを見れば、たとえただ親切心から案内をしてくれているだけであってもどんな醜聞がたつかわからない。だから彼に婚約者がいないというのは私にとって嬉しいことだった。
「フェルナン、と呼んでくれ」
「へ?」
「それから俺も、ジュリアと呼んでも構わないだろうか」
少しもごもごとしながらそんなことを聞かれ、思わず小さく笑ってしまう。そんな彼がやはり可愛く思えた私は、くすりと笑みを溢しながら大きく頷いた。
「はい、もちろんです。フェルナン様」
「ッ! あ、ありがとう、じ、ジュリア。その、明日、君を案内するために迎えに行くから」
「楽しみにしておりますね」
こうして知らない間に婚約し、婚約破棄までされた私は、同じく婚約者が決まらないらしいフェルナン様と出会ったのだった。
* * *
「何を着ていけばいいのかしら」
王都に住んでいる父方の叔母の家に泊まらせて貰っている私は、ひとり鏡の前で呟く。
(昨日は色々なことがあったわね)
送ると申し出てくださったフェルナン様を断り、人目を避けてそのまま休憩室で休んでいた父と叔母の家に帰った私は、早速叔母にしばらく滞在したい旨を申し出た。
婚約者と顔合わせ後、親睦を深めるために元々しばらく泊めてもらえるよう事前に父が頼んでいてくれたらしく宿泊自体は問題なかったものの、目的が婚約者との親睦ではなく婚約破棄の傷を癒やすためという理由に変わっていたことで卒倒させてしまったことは申し訳なく思っている。流石兄妹だ。
父も昨日のショックで寝込んでおり、叔母の家の侍女たちはふたりの面倒を見るため朝からバタバタと忙しそうにしている。
「本当は王都の流行りの服を聞きたかったんだけど」
これらの原因を作ったのは自分のため、忙しなく働いている彼女たちを引き留めて相手をさせることに抵抗があり、仕方なくひとりファッションショーをしているという状況だった。
「これが一番マシかしら」
選んだのは青色のデイドレス。フリルの飾りもレースの透かしも入っていない一番シンプルなものだが、青紫の私の瞳には合っているだろう。それに華やかさはないもののシンプルなデザインなら、流行りとは違っていても目立たないはずだ。昨日のように流行遅れの田舎臭さで一緒にいる相手にまで恥をかかせる訳にはいかない。
そんなことを考えていると、侍従が来客を知らせに来てくれた。相手はもちろんフェルナン様だ。
「来てくださってありがとうございます」
「いや、約束したから来ただけで俺は別に……っ」
「約束を守ってくださって嬉しいです」
「そ、そうか? ならその、良かった。あーっと、今日のドレスも、似合ってる」
まさか褒めてもらえるとは思っていなかったのでホッと息を吐く。私の方を一切見ずに褒められた気がしなくもないが、相変わらず耳が赤いので照れているのだろう。
「ですが流行遅れではありませんか? 持っている中で一番シンプルなものを選んだつもりなのですが」
「ジュリアに似合っているなら流行なんて気にする必要はないと思うが。だがまぁ、気になるなら服飾店からまず行ってみるか?」
「是非!」
フェルナン様の申し出に前のめりで頷くと、私の勢いのせいか一瞬驚いたような顔をした彼がすぐに小さく吹き出した。
(笑っているところ、初めて見たかも)
昨日はしかめっ面が多かった。そんな彼がおかしそうに笑う姿はなんだか新鮮で、そしてそんな表情も可愛いと思ってしまう。年上の男性に可愛いだなんて気を悪くさせてしまうかもしれないので口にはしないが、この表情を見ているとほわりと胸の奥が温かく感じた。
「では行こうか」
「はい」
エスコートのために腕を出され、おずおずとその腕に自身の腕を絡める。エスコートなんて初めてで、ただ買い物に行くだけなのにドキリと鼓動が高鳴った。
彼に連れられて着いたお店は、どう見ても高級店だった。
「私には不釣り合いなんじゃ」
思わずそう溢すが、そんな私の声が聞こえなかったのか気にしなかったのか、店主の方へと向かって行ってしまった。今日は案内。目的地に着いたのなら別行動になるのは当然だろう。
(私はどうしようかしら)
何か今流行のデイドレスが欲しいと並べられている既製服へと視線を向ける。だがそのどれもに値札がついていない。
「これ、いくらなのかしら……」
アルヘル伯爵家は別に貧乏という訳ではないが、のどかさを売りにしている領地だ。特別裕福という訳ではなく、王都に来た記念で一着買うにしても値段がわからないドレスには手が出し辛い。万一とんでもない金額だった場合、着るのは諦めて額に入れて飾ることになるだろう。そう思うと、やはり身の丈に合ったお店で買うべきだ。と、思ったのだが。
「ジュリア」
「はい」
フェルナン様に呼ばれ、手招きされるがまま近付くと軽く腰を引き寄せられる。そしてそのままお店の奥へと連れられた。当然のようにソファへと座るフェルナン様に倣って私も座る。連れられた部屋には店主であるマダムとお針子ふたりが待機しており、端には衝立もあるので着替えも出来るのだろう。思わずキョロキョロとしてしまう私の前にはふわりと香る紅茶と、カタログが一冊置かれた。
「えっと、これは」
「服を見たいと言っていただろう。話はつけたから、好きなだけ選ぶといい」
「は、話はつけた?」
そのつけた話とはなんだ、と思う間もなくお針子たちが何着もドレスを持ってくる。
「こちらのドレスは最近流行のエンパイアラインを取り入れておりまして」
「流行……!」
「こちらは肩口から大きくレースで透かしデザインを取り入れており、このタイプのドレスは次の流行待ったなしと最近注目を集めております」
「次の流行……?」
「ドレスの型が決まりましたらカタログをお開きください。生地やレースのサンプルやフリルの詳細が記載されております」
「なるほど」
言われるがままカタログを開くと、実際に触れられるよう厚紙に生地やレースが貼られている。どうやらこのサンプルを見ながら、先ほど出してくれたドレスを参考にデザインを決めろということなのだろう。つまりこれは一般的に言うオーダーメイドというやつだ。
(既製服ですら値段がついてなかったのに、そんな高級店でオーダーメイドのドレスを作るの?)
どう考えても予算オーバーだと気付いた私が焦ってフェルナン様の方へ視線を向け、首を左右に振る。その仕草に怪訝な顔をした彼が、何かに閃いたように口を開いた。
「ドレスに合わせるジュエリーも持って来てくれ。色をまず決めなくてはならない」
「かしこまりました」
「違いますッ!」
そして求めていた内容とは違う提案に慌てて声をあげる。
「そのっ、我が家は普通の伯爵家でして……」
「?」
「だからその……、予算、が」
場を整えて貰ったのに、お金がないと申告することに流石に羞恥を覚えた私の声がどんどん小さくなってしまう。だがそんな私の言葉を聞いたフェルナン様は不思議そうに首を傾げた。
「予算なら十分にある」
「え」
「ジュリアはただ好きなものを好きなだけ選べばいい。俺が払うから」
あっさりとそう言い切られ唖然とする。高級店のオーダーメイドドレスを好きなだけ? 案内を買って出てくれただけでなく、更に彼が支払う? そんなことをしてもらう理由が何ひとつ思いつかない私は慌てて立ち上がった。
「流石にそれはお断りします!」
「は? まさか公爵家の財力を疑っているのか?」
「違います、そうじゃなくて」
「ならなんだ。言っとくが後継者として仕事をこなし自分で稼いだ金だぞ」
フェルナン様の眉間の皺がどんどん深くなり、私の焦りも大きくなる。どうすればいいか困っていると、そっとマダムが私に耳打ちをした。
「デートなのです。殿方に甘えるのもレディの仕事ですよ」
(デート!)
その言葉にまるで目から鱗が落ちるようだった。私にとっては簡単に手が出る金額ではないが、公爵家とあればそんなことはないのかもしれない。それどころか、彼のこの苛立ちを見るとむしろプライドを傷付けた可能性すらある。身を挺して私を助け、王都に慣れていない私の案内まで申し出てくれた彼のことだ。マダムの言う通りここは甘えるのが正解かもしれないとそう思った。
(せめてドレスの色は、敬意を込めて彼の色にしよう)
「ではその、赤いドレスが欲しいです」
「赤?」
「フェルナン様の瞳の色なので」
「おっ、俺の色を身に纏いたいってことか……!?」
さっきまで苛立った様子を見せていた彼の顔が一瞬で赤く染まる。その変わり方がなんだかおかしくて、私はつい小さく吹き出してしまった。
「どうして笑う」
「かわ……いえ、楽しいなと思いまして」
「楽しい?」
「フェルナン様といるのはとても楽しいです」
可愛い、と出かけた言葉を飲み込んだ私が楽しいと言い換えると、フェルナン様が俯き黙ってしまう。一瞬また怒らせてしまったのかと思ったが、彼の耳がまだ赤く染まったままだったのを見て安堵の息を吐いた。それに楽しいという言葉は嘘ではない。彼のこんな様子を見ると、どうしてか胸が躍るから。
気付けば無意識に彼の耳へと手を伸ばす。指先がその熱い耳に触れるとビクッとフェルナン様の肩が跳ねたが、手を振り払われたりはしなかった。
「ドレスのお礼に、私からも何か……その、ピアスとかをお贈りしてもいいですか?」
「ピアス?」
「はい。淡い黄色か青の石がついたものを贈りたいです」
このすぐに赤く染まる耳を私の色で彩りたい。何故かそう思った私が自身の髪色である黄色か瞳の青をあえて指定すると、少しぎこちなく頷いてくれてホッとする。
(どうしてそう思ったのかしら)
その答えはわからなかったが、彼の耳に小粒のアイオライトが輝く姿を見て私を充足感が満たした。
「いいって言ったのに」
「俺だけが贈られたら格好つかないだろ」
服飾店を出てそんな会話を交わす。彼の耳には私がプレゼントしたアイオライトのピアスが輝き、私の髪には彼の髪色である黒曜石で出来た髪飾りが輝いていた。
「でもドレスだって」
「あれは出来るまでに時間がかかる」
(贈り物には変わりないのに)
今着けられるものを、と髪飾りまで買わせてしまったことに申し訳なさを覚えるが、フェルナン様がどこか満足そうな表情をしていたのでこれ以上の言葉を口にするのはやめる。その代わり、私はお礼になるかわからないという前置きをしていつかアルヘル領に来て欲しいとお願いした。
「もし来てくださったら今度は私が領地を案内しますね! 美味しい牛肉もご馳走しますから」
「そ、それはつまりご実家への挨拶という……?」
「はい?」
「いや、なんでもない。ちゃんと俺から申し込むから」
「はぁ」
何かを振り払うように顔を振ったフェルナン様に首を傾げつつ辺りを見回した私は、ある小さなお店が目に留まる。王都の広場でワゴンのようなものに商品を並べているその店は、お肉と野菜を交互に串で刺して焼いたものを売っていた。丁度時間はお昼過ぎ、小腹がすく時間である。
(でも、どう見ても庶民の食べ物よね)
アルヘル領ではわりと定番で、好んで食べていたがフェルナン様は公爵令息だ。流石にあれを食べようなんて言えず少し名残惜しい気持ちで串を見ていた時だった。
「食べたいのか?」
私の視線の先に気付いたのだろう。そう聞いた彼は、私の答えを待たずにワゴンの方へと足を進めた。
「どれがいいんだ」
「で、ですがフェルナン様が食べるには、少し……」
「売っているんだから買って食べてもいいだろう」
まごまごとしている私に至極当然のようにそんな返事が来る。その言葉が嬉しくて、私は遠慮をやめ二本の串を指さした。
「二本も食べるのか?」
「ふふ、串は二本買いが基本なんですよ」
得意気に人差し指を立ててそう言うと、怪訝な顔をしたままフェルナン様がそれぞれ二本ずつ買ってくれる。その買った串を持ち私たちは近くの時計台下にあるベンチへと腰掛けた。
「フェルナン様は串の食べ方をご存じですか?」
「? 普通に上から食べるんじゃないのか?」
「もちろん最初はそれでいいんです。でも、手元の方にある具材が食べられないじゃないですか」
食べ始めはその食べ方でも問題ないが、食べ進めるにつれ串の部分が多くなり喉を突いてしまう。だが串を横に持ち具材を咥えて先端まで動かすと口の端が汚れてしまうのだ。
「だから、こうです!」
説明しながら根本に残った具材をもう一方の串で押し上げ移動させる。そうすれば口や手を汚さず食べきることが可能なのである。一本目の串でもう片方の串の具材の中心を刺して完全に引き抜き一本の串へと合流させたら、具材を移動させたことで串のみになった方でもう片方の串の根本にあった具材を押し上げる。この自身が編み出した技を披露し、満面の笑みをフェルナン様へと向けると、そんな私をぽかんとして眺めていた彼が、思い切り吹き出した。
「君は……、くくっ、案外ワイルドなんだな?」
クックッと喉で笑いを堪えるフェルナン様を呆然と見た私はハッとする。
(もしかして凄くはしたないことをしちゃったんじゃないかしら?)
当たり前のようにそうやって食べてきていたから気付かなかったが、そもそも貴族向けのものではない。思い返してみれば二本食べると言った時の彼の反応だって驚いたものだった。田舎で、人目がなかったからこそ成立していたが一応貴族令嬢である私がこんな王都の真ん中でその食べ方をするのはあまりにもマナーがなっていなかったのではないかと焦る。恥ずかしさで顔が熱くなった。
「う、わわっ、これ思ったより難しいんだな」
「……え?」
けれど、自身の行いを後悔していた私の耳に聞こえてきたのはフェルナン様のそんな言葉だった。
思わず視線を向けると、私が実践して見せたように串を二本使って食べようとしている姿。上手く出来ず苦戦するその様子は、とても公爵令息だなんて思えなくて――
(まるで私と同じみたい)
そう思うとさっきよりもっと頬が熱を持つ。だがその意味合いは、さっきとは違うものだとそう感じたのだった。
その後、彼に連れられたのは街の外れにある湖だった。まさか王都でこんな自然に触れ合えると思わなかった私の気分が一気にあがる。
「素敵です! 水も澄んでるし、葉擦れの音も心地いいしなにより空気が美味しいわ」
「そうか。ジュリアが喜んでくれたなら良かった」
駆け出したい衝動のまま彼の手を取った私が水べりまで近付き湖へと指先をつけると、彼も握っていない反対の手を湖へと入れた。
「思ったより冷たいんだな」
「気持ちいいですね」
率直な感想。貴族特有である、言葉の裏に本音を隠すようなものではなく、着飾ってない言葉通りのその感想に好感を持つ。
(男性とこうやって出掛けるのは初めてだけど)
楽しいと思えるのはここが物珍しいからなのか、それとも一緒に出掛けた相手が彼だからなのか。どちらの理由だったとしても、こうやって過ごせる時間は限られている。ならば楽しまなくちゃ損なのだ。そこまで考え、私は足元にあった少し平べったい石を手に取った。
「私、石投げ得意なんです」
「え」
そう言うなり足を開き、僅かに腰を落とす。そのまま腕を大きく後ろに引き、指先で石に回転を加えながら水面に向かって思い切り投げた。
「え、え?」
戸惑いながら私と水面を交互に見るフェルナン様へ、私は渾身の笑みを向ける。
「どうですか? 今十回は跳ねたと思うんです」
「ど、どうって言われても」
「私の領地では遊ぶといえばこうやって」
「ふふっ、すごーい」
得意気に説明しようとした時、遠くでそんな声が聞こえて思わず口を閉じた。声がした方へと視線を向けると、仲睦まじそうに体を寄せた男女が私の方を見ながらクスクスと笑っている。ふと他にも視線を感じ辺りを見回すと、あの夜会の日に向けられたような好奇な目をいくつも向けられていることに気が付いた。しかも皆何故か男女で密着している。そう、まるで恋人同士みたいに、だ。
(デート!)
お店のマダムに言われた言葉を思い出す。きっと彼らはデート中なのだろう。そして私も、少なくともデートの最低条件は満たしておりデート中だと思われているはず。そんな状況で私がしたのは寄り添い合うことではなく石投げだ。明らかに令嬢として、いや人として間違えてしまっており嘲笑されても仕方ない。そう気付いた私は、自身の行いの羞恥からじわりと顔が熱くなった。フェルナン様まで巻き込み、嘲笑う対象にしてしまったことが申し訳なくて彼の方を見られない。思わず俯いた私だったが、そんな私に聞こえて来たのはまたもフェルナン様の笑い声。
「くっ、はは!」
けれど嘲笑とは違い、楽しそうな笑い声だった。
「いや悪い、そうだな。串の食べ方でも思ったがジュリアは俺の知らないことをよく知っている」
「でもこの場にはふさわしくありませんでした……」
一瞬彼の方を見るため顔をあげた私がまた周りからの視線を避けるように俯くと、フェルナン様が顔を覗き込んでくる。彼の赤い瞳からは嫌悪を感じなかった。
「ふさわしいって、なんだ?」
「え?」
「ここでどう過ごそうと俺たちの勝手だろう」
「ですが私のせいでフェルナン様まで笑われて」
「気にする意味がわからない」
あっさりと言い切られて思わず口ごもる。私を気遣ってそう言ってくれているのかと思ったが、彼の表情からしてどうやら本心から言っているようだった。
「あー、でも俺がこういう視線に慣れてるだけか……? リサーチしたんだが場所のチョイスミスか」
(下調べしてくれていたんだ)
約束したのは昨日で、つまり帰ってから場所を調べ見繕ってくれたのだろう。
「ジュリアは他に領地でどんなことをしていたんだ?」
「他、ですか?」
「あぁ。串を食べて石投げして、他に好きなことは?」
そして彼の心遣いをあっさりダメにした私を怒ることもしない。それどころか私の好みまで聞いてくれる。
(きっと私が俯いたから)
だから楽しめる他のことを考えようとしてくれているのだろう。
――たった一日だ。
昨日初めて会って、助けて貰った。そして今は隣にいて、彼が私をじっと見つめる。
さっきまで気になっていた周りの視線がいつの間にか気にならなくなっていたことに気付き、思わず口角が緩んだ。
「馬が好きです。遠駆けが特に好きで、気が向くまま風を切って走るのが楽しいです」
「そうか。ジュリアの領地ほどではないが、タウンハウスの裏手にある広野も多少なら馬を走らせられるんだ」
馬を走らせるには乗馬服を着なくてはならない。もちろん誰かと二人乗りするならばドレスでもいいが、遠駆けするならば衣服は重要だ。だが貴族令嬢が体のラインが出る乗馬服を着るのはあまり好まれない。そんなことは私だってわかっていたけれど、彼ならば奇異の目を向けたりなんかしないだろうとそう思ったし、実際その通りだった。
「だからその、ジュリアさえよければ次は一緒にどうだ?」
「私、乗馬服ですが」
「乗馬をするのに乗馬服を着ない可能性があるのか」
私の発言に怪訝な顔を向けられる。
(本当に優しい人だわ)
どうして彼の人気がないのかわからない。私にとって彼は、今まで出会った人の中で一番好ましいのだから。
「はい、喜んで。フェルナン様との遠駆け、楽しみにしておりますね」
昨晩のようにしっかり頷き返事をすると、パァッと彼の表情が明るくなる。誰にどんな視線を向けられても気にも留めず表情を変えない彼が向けてくれるその笑顔が、私の心をなにより喜ばせたのだった。