「兄上、姉上が予定通り木炭車を鹵獲ろかく。クリスティ商会の代表を含めた身柄の確保に成功したようです」

「ほう、流石はラファだ。仕事が早い」

狐人族の首都フォルネウの部族長屋敷にて、自室を訪ねてきた弟マルバスの報告を、エルバはソファーに腰掛けたまま満足そうに聞いていた。

「しかし、予定外のこともありました」

「どうした、あまり浮かない顔だな」

「どういうわけか、木炭車の荷台にバルディア家の長女。メルディ・バルディアが搭乗していたようです」

エルバの眉間に皺が寄り、彼は身を乗り出した。

「なんだと。何故そんなことになった」

「姉上がメルディ嬢から聞いた話では、帝都に行きたくて荷台に忍び込んでいたそうです」

「は、面白い話もあるものだ」

呆れ顔を浮かべ、エルバはやれやれと肩を竦めた。

「兄上、如何いかがしましょう。当初の予定ではクリスティ商会を運営不可に追い込み、バルディア家の信用を失墜させ、帝国内で更に孤立させる。そして、経済的な圧力も掛けるという計画でした」

「……そうだな」

エルバが相槌を打つと、マルバスは険しい表情で首を横に振った。

「しかしながら、バルディア家の長女がこちらに居るとなれば、あちらも姿勢を硬化させましょう。そうなると、計画の前倒しが必要かと存じます」

計画の前倒しと聞き、エルバの表情が少し曇る。

当初の予定ではマルバスの言った通り、クリスティ商会の代表を捕虜とすることでバルディア家が持つ販路を停止、もしくは混乱させることが第一の目的だった。

第二の目的は、代表であるクリスティ・サフロンの解放条件に無理難題を提示しての時間稼ぎ。それから少し時を置き、和平交渉で油断を誘うつもりだったのだ。

バルディア家がいくら懇意にしているとはいえ、所詮は他国出身かつエルフが代表の商会である。いざとなれば、バルディア家は商会を切り捨てることも可能だ。従って、グランドーク家が無理難題を提示して解決が長引いたとしても、バルディア家が武器を取る可能性はまだ低い。

しかし、バルディア家の長女をこちらが手中に収めたとなれば話が別である。いくら過激派の仕業しわざと言ったところで、『攫われた娘を救うため』という大義名分は、バルディアがグランドーク家に攻め込む理由には十分だろう。

思案顔だったエルバは、考えがまとまったのか表情をふっと崩した。

「まぁ、よかろう。早急に『アモン』を和平の使者として送る準備を進めろ」

「畏まりました。では、その点は計画通りに手配いたします」

「うむ。それと、だ。鹵獲した木炭車の件は『ローブ』に連絡しておけ。何やら、喉から手が出るほどに欲しがっていたからな。安売りせず、出来る限り高く売り払え。わかっているな」

「はい、勿論です」

マルバスは不敵に口元を緩めるが、すぐ真面目な表情に戻った。

「兄上。メルディ・バルディアの件は如何しましょう。ローブに伝えますか」

「あぁ、その件も伝えて構わん。黙っていたところですぐに伝わるはずだ。下手に隠しては、後々でややこしいことになる。だが、メルディの身柄はバルディアとの決着が付くまで渡すつもりはないと言っておけ」

「承知しました。しかし、ローブと奴等はそれで納得するでしょうか」

「納得しようがしまいが関係ない」

エルバは鼻を鳴らし、マルバスの不安を一笑した。

「メルディとやらは、バルディア家と行う交渉の切り札だ。現状でむざむざ渡す必要もあるまい。それに、気にならんか」

「気になる、ですか」

マルバスが首を傾げると、エルバはソファーの背もたれに体を深く預けた。

「ローブと奴等が、何故バルディア家に固執するのか。そして、ナナリーとメルディを欲しがる理由だ」

「あぁ、確かにそれはそうですね。私はライナーとリッドの亡き後、バルディアを奴等が乗っ取るために必要なのかと考えておりました」

「勿論、それもあるだろうがな。ローブを含め、奴等からはその辺りの詳しい回答は何もない。もしかすると、メルディとナナリーには特別な秘密があるのかもしれん」

マルバスは口元に手を当て、考えを巡らすように唸った。

「しかし、事前調査の限りでは、特にそれらしい情報はありませんでした。強いて言うなら、ナナリー・バルディアの出自であるロナミス伯爵家が、当主の急死によって没落したぐらいでしょうか。ですが、歴史も長い帝国ではままあることですから、そこまで珍しい話ではありません」

「さて、な」

エルバは肩を竦めて笑った。

「何が大事で、何が大事でないかは価値観によって異なる。俺達に理解できない何かが、ナナリーとメルディにあるのだろう。それを理解しようとせず、奴等に言われるがまま渡せば、こちらが大損する可能性が高い」

「なるほど。流石は兄上です」

「奴等とは協力関係にはあるが、必ずしも共同歩調を取る必要は無い。将来的に敵対する可能性もあるからな。奴等の切り札は、我等にとっても切り札になり得る、そういうわけだ」

「畏まりました。では、仰せの通りに取り計らいましょう」

マルバスが感嘆した様子で深く頭を下げると、エルバは満足そうに笑った。

「それで、問題のメルディとクリスティとやらはこの屋敷に着いたのか」

「はい。姉上の指示で来賓扱いしております」

「来賓?」

エルバが首を捻ると、マルバスは呆れ顔を浮かべた。

「姉上がメルディのことをえらく気に入ったようでして。身柄を確保するとき、姉上が自身の名に懸けてメルディとクリスティ商会の人員の安全を保証すると約束したそうです」

「ほう、それは面白い」

そう言うと、エルバはゆっくりと立ち上がった。

「では、俺も挨拶へ出向くとしよう。親父殿とラファにも声を掛け、クリスティとメルディを謁見室に連れてこい」

「兄上、アモンはどうされますか」

「おっと、そうだったな。奴も連れてこい。近いうち、アモンには和平交渉に行ってもらうからな」

「承知しました」

マルバスが会釈すると、エルバは不敵に笑いながら別室に向けて歩き始めた。

狐人族の部族長屋敷内にある謁見室は、部屋と言っても大広間である。部屋の一番奥、上座に備え付けられている大きく豪華な椅子に部族長が腰掛け、あからさまな威光を来賓に示す造りになっていた。部屋の壁には、部族の職人達が精魂込めたであろう様々な業物の武具と煌びやかな装飾品が飾られ、見る者を圧倒させる。

謁見室にガレス、エルバ、ラファ、マルバス、アモンという面々が揃った現在、部屋が狭いと錯覚するような感覚が来賓者達を襲っていた。だが、彼等の前に並んだ二人の来賓も只者ではなく、その圧に屈せず、毅然きぜんとした態度を崩さない。

少しの睨み合いの後、部族長であるガレスが咳払いをして口火を切った。

「ようこそ、我が領地へ。バルディア家の長女ことメルディ・バルディア殿。そして、我が同胞達を奴隷とした諸悪の根源、クリスティ商会の代表ことクリスティ・サフロン殿。私が狐人族の部族長ガレス・グランドークだ」

ガレスはわざとらしく魔力を発し、威圧的に告げた。だが、メルディとクリスティは頭を下げるようなことはせず。毅然とした態度は変わらない。むしろ、彼女達の目力は強くなった。

二人が全く怯まない様子にエルバは「ほう」と感嘆する声を漏らし、ラファは笑みを浮かべて楽しそうに見つめている。マルバスは淡々とした無表情であり、アモンは感心した様子である。だが、ガレスは彼女達の態度が気に入らなかったらしく、顔をしかめて鼻を鳴らした。

「帝国貴族は礼儀正しいと思っていたが、どうやらそうではないらしい。失礼ながら、バルディア家では目上の者に対する礼儀を教えていないようだな。全く、ライナー殿の教育はなっておらん。いや、この場合は母親の躾の問題か。まぁ、何にしても、バルディア家の御里が知れるというものよ」

そう言うと、ガレスは大声で笑い始めた。すると間もなく、黙って聞いていたメルディが「では、恐れながら申し上げます」と啖呵を切った。

「礼節をわきまえるとは、相手や状況に応じて適切かつ礼儀正しい態度や振る舞いを持つことを申しますが、そのことはご存じでしょうか」

「そんなこと、言われずとも知っている。あまり、我等を馬鹿にする発言は子供とて許さぬぞ、メルディ殿。口の利き方には気をつけることだな」

ガレスは小馬鹿にするように答えてせせら笑うが、メルディは怯むどころか身を乗り出した。

「ならば、言わせていただきましょう。どのような目的だったかは存じませんが、貴殿達は勝手に国境を越えてバルディアに不法入国し、クリスティ商会を襲撃。挙げ句、私達を拉致したのです。そのような不埒な輩に敬意を払う教育など、習っていないのは当然のこと。部族長という立場を持つ者が自らの無礼を棚に上げ、礼儀を払えとは笑止千万。御里が知れるという言葉、そのままガレス殿にお返しいたします」

メルディの凜とした声が響き渡ると、部屋はしんと静寂が訪れる。

ガレスとマルバスは唖然とし、「凄い……」と漏らして感嘆するアモン。やがて、静寂は女性が吹きだした笑い声で破られた。ラファである。

「最高。最高よ、メルディちゃん」

彼女はお腹を両手で抱えながら肩を奮わせ、涙を流しながら大声で笑った。程なく、男の笑い声も部屋に響く。エルバであった。

「確かに。これは親父殿が一本取られたな」

ラファとエルバの笑い声が部屋に響き渡る中で、ガレスは椅子に座ったまま、わなわなと怒りを堪えるように震えていた。流れを引き寄せたと感じたのか、メルディは再び口火を切る。

「そもそも、あのような文書をバルディア家に送り付け、クリスティ商会を誘い出して襲撃するなど姑息そのもの。獣人族は弱肉強食と聞いておりましたが、とんだ卑怯者の集まりのようですね」

「調子に乗るなよ、計略の知らぬ令嬢が。国同士のまつりごとに姑息も卑怯もありはしない。どのような経緯にしろ負けた者が死に、勝った者が生き残る。それが弱肉強食の世界だ。公爵家からバルディア家に届いた文書の件も、情報を外部に漏らした貴家の落ち度であろう。それを……」

「何故、ご存じなのでしょうか」

メルディはガレスの言葉を遮るように尋ねた。

「なに?」

ガレスが首を捻ると、メルディは目を細めながらほくそ笑むように微笑んだ。

「何故、当家に届いた文書が公爵家からのものとご存じなのでしょうか。私は『あのような文書』としか申し上げておりません」

「……言ったであろう、情報を外部に漏らした貴家の落ち度だと」

「それはあり得ません」

メルディはガレスに即答した。

「バルディア家は工房襲撃事件以降、化術対策をした警備強化に加え情報統制を徹底しております。当然、今回の公爵家訪問についても信用できる少人数にしか伝えていなかったはずですから、当家から情報が漏れる可能性は限りなく低かったはずです。ですよね、クリス」

「え!? は、はい。メルディ様の仰る通りです。クリスティ商会では私とエマを含め、今回の商談を予め知っていたのはごく僅か。今回、商団に同行していた者達が目的地を知ったのも、ほとんどが当日だったはずです」

突然に話を振られてクリスは目を瞬くが、すぐに理路整然と答えた。

「聞いての通りです。つまり、貴家は帝国貴族。それも上位に位置する公爵家の文書を偽造したということ。これは、最早バルディア家とグランドーク家だけの問題に収まりません。その点、重々承知しておりますか」

眉間に皺を寄せてガレスが顔を顰めると、メルディは咳払いをした。

「仮に。仮にですが、当家や先方の公爵家が情報を外部に漏らしたと仮定した場合、どうやって貴家はそれを知り得たのでしょう。まさか、ガレス殿の独断で諜報員を帝国に派遣しているのでしょうか。だとしたら、それもズベーラとマグノリアにとって由々しき問題となるはず。違いますか」

「こ、この、小娘め。言わせておけば調子に乗りよって」

ガレスは額に青筋を走らせ、その場で立ち上がって凄まじい魔波を発する。しかし、怒りを露わにする彼の肩に、エルバが手を置いて静止した。

「止めろ、親父殿。所詮、証拠のない子供の挙げ足取り、言葉遊びに過ぎん。そうムキになるな」

「い、いや、しかし……!?

「俺の言うことが聞けないのか」

エルバが凄むと、ガレスは「う……」とたじろぎながら椅子にすとんと腰を下ろした。

「す、すまない。熱くなりすぎたようだ」

「あぁ、それでいい」

エルバは満足そうに口元を緩めると、メルディの目前まで近寄った。そして、まじまじと彼女の様子を観察する。

「不安で目が泳ぎ、手には汗が滲んでいるな。よく見れば、体も小さく震えている。やはり、怖いか」

「あ、当たり前でしょう。突然、拉致されてこのような場に立たされて、怖くない者などいるわけがありません。ですが、臆してくっするような教育は受けておりません」

「そうかそうか。その気丈さ、さすがはリッド・バルディアの妹だな。面白い」

メルディとのやり取りにエルバは喉を鳴らして笑うと、視線の矛先を変えた。

「それで、お前がクリスティ・サフロンだな」

「えぇ、そうです」

彼女が頷くと、エルバは品定めするように舐めるようにまじまじと見つめた。

「ほう。噂には聞いていたが商会を運営する手腕に加え、その美貌。気に入った」

エルバはそう言うと、訝しむクリスの目を真っ直ぐに見据えた。

「クリスティ・サフロン……俺の女になれ」

「……そんなのお断りです」

面と向かって言われたクリスだが、彼女はにべもなくきっぱり告げる。その受け答えを見ていたラファが、「ふっふふ……」と噴き出して肩を奮わせながら俯いた。

「それとも何ですか。俺の女になれ、と啖呵を切っておきながら、メルディ様や皆を人質にして、私を手籠めにするお考えなのでしょうか? そのおつもりなら次期部族長、次期獣王と呼ばれる方の底も知れましたね」

クリスの勝ち気かつ毅然とした威勢の良い啖呵に、エルバは「なんだと……?」と呟いて眉間に皺を寄せる。しかし、クリスも負けじと凄み返した。二人の睨み合いに部屋が静まり返って程なく、エルバがふっと口元を緩める。

「血気盛んな女だ。しかし、そうでなくては面白くない。良いだろう、口車に乗ってやろうではないか。メルディ・バルディアを含め、お前達にはバルディア家を潰すまで、手を出さんでおいてやろう。せいぜい気張ることだな」

エルバは豪快に笑うと、何やら苦しそうにするラファに視線を向けた。

「お前にメルディとクリス達の管理は任せるぞ」

「ふふ、わかったわ。じゃあ、明日にでも私が管理する別邸に案内しましょう。ここだと、色々とお互いに不便でしょうからね」

彼女はクリスとメルディを見つめ、妖しく微笑んだ。

こうして、エルバ達とメルディ達の謁見は終わった。だが、ガレスの瞳にはメルディとクリスに対する憎悪の光が浮かんでいたのである。


エルバ達との謁見が行われた日の夜。メルディとクリスは、そのまま部族長屋敷で一夜を過ごすことになった。

ラファが別邸で二人を迎える準備をするのに、一日待ってほしいと申し出たからである。ラファ曰く、『クリスはぎりぎりいけそうだけど、メルディちゃんには刺激が強すぎるものが結構あるのよねぇ』ということだった。

夜が更けてくると、クリスとメルディが過ごす来賓室に狐人族の戦士が訪れる。

「メルディ様、クリス様。寝室がご用意出来ました故、ご案内いたします」

「畏まりました。メルディ様、行きましょう」

「うん」

警戒はしつつも、言われるがままに戦士の後を二人は付いていった。廊下を進み、屋敷の奥に進んでいくと大きく豪華な扉が見えてくる。

「こちらでございます。どうぞ、中にお入りください」

「え、えぇ」

戦士に扉を開けられ、追い立てられるようにクリスとメルディは足を踏み入れる。

「では、ごゆっくり」

戦士の言葉と共に扉が閉められるが、クリスは部屋の様子を見て違和感を覚えた。

室内には大きいベッドが部屋の真ん中に一つだけ置かれており、その近くに大きめのソファーと小さな机があるのみ。そして、奥には別室に繋がっているらしい扉があった。

「ねぇ、クリス。あれって何だろう」

「あれ、ですか」

メルディが指差した壁に掛けてある様々な道具を見て、クリスは自分達が案内された部屋の意図を察して青ざめた。

直ぐに部屋から出ようと扉に手をかけるが開かない。ここに案内した戦士が部屋の外から鍵を掛けたのか、押さえているのかもしれない。

「扉を開けて。ここから出しなさい」

声を上げ、必死にクリスが扉を叩くがびくともしない。異様な雰囲気を察して、メルディの顔にも怯えが浮かぶ。

「さすが、商会を運営しているだけのことはある。察しが良いな」

部屋の奥から聞こえてきた声に振り向くと、そこにはガレスと顔を隠した狐人族の戦士が二人控えていた。

「……バルディアとの決着が付くまで私達に手出しはしない。そう約束されたではありませんか」

クリスが必死に凄むも、ガレスは肩を竦めた。

「残念だが、それはエルバがした約束であって、私がした約束ではない。それと私は、恥をかかされたことは忘れずに恨む質でね。たとえ、相手が小娘であってもだ」

彼の発した言葉とおぞましい眼差しに、クリスとメルディの背中に寒気が走る。危機を感じたクリスが咄嗟に魔法を発動しようとするが、ガレスは一瞬で間合いを詰めて彼女の首元を掴んで扉に押しつけた。

「ぐ、かは……!?

「クリス!?

メルディが泣きそうな声を出すと、ガレスは下卑た笑みを浮かべる。

「はは。いいぞ、小娘。その顔が見たかったのだ。だが、まだ足りん。貴様には更なる絶望を与えた上、立場というものを教えてやる。お前達、この小娘をそこに座らせろ」

「畏まりました」

顔を隠した二人の戦士は、指示に従い嫌がるメルディをベッド全体が見渡せるソファーに無理矢理座らせた。

「な、何をするつもりですか」

「ふふ、分かっているだろう。『大人の時間』だ」

ガレスはクリスにそう答えると、彼女をベッドの上に投げ捨てた。

「あう!?

「クリス、大丈夫!?

「おい、小娘」

メルディが発した声に反応したのはガレスだった。

「これからお前の前で起きることに目を少しでもそらせば、この女の命はないと思え。だが、最後まで目を背けなければお前達の命を保証しよう」

「ほ、本当ですね」

「あぁ、この期に及んで嘘は吐かんよ」

「……わかりました」

メルディが頷くの見て、ガレスは口元を緩めてほくそ笑んだ。そして、ベッドの上で咳き込むクリスに近寄っていく。

「幼いメルディ様の無垢につけ込むなんて、人の所業ではありません。貴方は、畜生よりもおぞましい存在です」

「この後に及んで、まだそのような口が利けるとはな。潰しがいのある女子よ。だが、貴様にも約束してやろう」

ガレスはそう言うと、クリスの耳元で囁いた。

「これから行うことを抵抗せず受け入れれば、貴様と小娘の命。そして、お前を慕う商団の者達。全員の安全を私も保証しようではないか。どうだ、良い話であろう」

「あ、貴方という人はどこまで外道なんですか」

クリスが軽蔑の眼差しを向けるが、ガレスはむしろ嬉しそうに微笑んだ。

「いいぞ。その眼差しと悔しさに歪んだ顔。実にそそられる。言っておくが、私は死なぬ程度にあの小娘を痛めつけることを何とも思っておらん」

「な……!?

ガレスの憎悪と悪意に満ちた瞳は、彼の言葉が本気であることを物語っていた。クリスは下唇を噛み、怨めしそうに凄む。

「ですが、貴方の話はエルバ殿やラファ殿と違い信用できません。せめて、信じる証拠としてメルディ様を退室させてください」

「残念だが、それは出来ぬ相談だ。それに、貴様は私に交渉できる立場ではない。信じられぬとも、貴様は私を信じる他ないのだ。もし、提案を断れば、あの小娘を今すぐ痛めつけてみせよう。それだけは約束する」

「く……」

自身も気付かぬうちにクリスの目は潤み、涙が頬を伝っていた。

「……わかりました。貴方に従います」

「流石だ、物わかりが良くて助かるぞ。しかし、悲しいな。お互いに助け合おうとした結果、事態は最悪の方向に進んでいると気付いているのか。小娘を見捨てれば、貴様は助かったかもしれん。小娘も貴様を助けようとしなければ、この場に立ち会わずに済んだかもしれんのだ」

「……!? 貴方、最初から承知の上で持ちかけたんですね」

「今更気付いたところでもう遅いわ。貴様とあの小娘、二人揃って心に一生消えぬ傷をつけてやろう」

ハッとしたクリスの表情を見て、ガレスが勝ち誇ったように笑った。そして、彼の手がクリスの体を触れた時、彼女の体が強ばる。その反応に、ガレスは何かを察して下卑た笑みを浮かべた。

「ほう、この初心な反応。貴様、生娘きむすめだな」

クリスは何も答えず目を瞑った。

「面白い。様々な女を抱いてきたが、エルフの生娘は初めてだ。我が一族にエルフの血筋が混ざるのも一興かもしれんなぁ」

ガレスが手の爪を鋭く伸ばし、クリス首元から服を切り裂こうとした。しかしその時、廊下に繋がる扉の向こうから発せられる凄まじい魔力と威圧感が室内を包み込んだ。

「こ、この気配は……!?

「お待ちください。お待ち……ぐぁああああ!?

ガレスがたじろいだその時、扉の外側から見張りの戦士が扉ごと吹き飛ばされて室内の壁に叩きつけられた。もうもうと立ち上がる煙の中、黒く大きい人影がゆらりと現れる。

「親父殿。随分とお楽しみだな」

「エ、エルバ……」

ガレスが呆気に取られていると、エルバの背後から白い髪をなびかせたラファも姿を見せた。

「父上ったら、相変わらず女癖が悪いわねぇ」

「あ、でも、ラファ様。案の定、メルディちゃんもいるよ」

「本当だわ。あ、ってことは、なるほど。ガレス様、良い趣味しているわ」

ラファに続いて姿を見せたのは、狐人族の青年ローゼンと少女リーリエである。更に彼等の背後から黒い長髪を靡かせ、狐人族の女性戦士であるピアニーがやってきた。

「ローゼン、リーリエ。余計な詮索と発言は不敬になります。無駄口は止めなさい」

「はーい」

「わかりました」

ピアニーの注意に二人が頷く中、ラファはメルディとクリスを見やった。

「身柄の安全を保証するって言ったのに、メルディちゃんとクリスには怖い思いをさせてしまったわねぇ。私の面目丸潰れよ」

ラファはそう言うと、メルディを拘束する戦士達に視線を向けて凄んだ。

「貴方達はもう行きなさい」

「し、しかし……」

戦士達はガレスを見やるが、ラファは爪を伸ばして戦士達の首元に突きつけた。

「三回目はないわよ」

「か、畏まりました。失礼いたします」

戦士達が部屋から出て行くと、ラファが怯えるメルディを優しく抱きしめた。すると、メルディは小さく震えながら嗚咽を漏らし始める。

「私が謝ってもどうにもならないけど、ごめんなさいねぇ。これからは、私達が傍にいてあげるから安心して」

「は、はい。ありがとうございます。でも、私よりクリスをお願いします」

「あらあら、メルディちゃんは優しいのねぇ。ピアニー、クリスティはどうかしら」

ラファとメルディが会話している間に、ピアニーはクリスに寄り添っていた。

「少し喉に傷がありますが、命に別状はなく体も大丈夫です」

「体のことは余計です」

クリスは喉を押さえて咳き込むと、ベッドから降りてメルディの傍に急いで駆け寄った。

「メルディ様、ご無事で良かったです」

「うん、うん。クリスも何もされなくて本当に良かった。良かったよぉ」

メルディは彼女に抱きつくと、そのまま泣きじゃくった。

「じゃあ、兄上。メルディちゃん達は私の管理する別邸に連れて行くから、後は任せるわ」

「あぁ、分かった」

「あ、それと、シトリーも連れていくわね。メルディちゃんも年齢が近い子が居た方が良いと思うから」

「好きにしろ」

淡々としたエルバの返事を聞くと、ラファとメルディ達はこの場からそそくさと去って行った。程なく彼女達の足音も聞こえなくなり、部屋には沈黙が訪れてエルバとガレスの二人だけとなる。

「す、すまない。だが、謁見室でのことを考えればわかるだろう。そう、これは正当な……」

ガレスが弁解の口火を切って間もなく、彼は股下で何かが潰れるような感覚と胡桃を割ったような音が聞こえた気がした。そして瞬く間に、ガレスの全身から脂汗が拭きだして股下を中心に激痛が体中に駆け巡る。

エルバがガレスの急所を一切の容赦無く蹴り上げたのだ。

「がぁ……あぁ……」

彼は激痛で悲鳴を上げることもままならず、急所を押さえながらその場で両膝を突いた。

「親父殿。あんたの血筋は俺を含めて既に四人いる。もう子が成せずとも、問題あるまい」

「ぐ……はぁ……はぁ……」

怨めしそうにガレスが凄んでも、彼は表情を一切変えない。それどころか、エルバはガレスの後頭部を片手で鷲づかみし、勢いよく床に叩きつけた。

「あんたがいま、部族長の座に座っているのは誰のおかげか忘れたらしいな」

エルバはそう言いながら、ガレスの顔を床にめり込ませていく。当然、ガレスは苦悶に満ちた表情を浮かべて悲痛な声を上げるが、エルバは力を弱めない。

「親父殿。あんたの運営に不満を抱いた輩をまとめ上げた叔父のグレアス。手に余る奴を始末したのは、誰だ。言ってみろ」

「お、おまえだ。エルバ・グランドークだ」

「そうだ、俺だ」

エルバはガレスの後頭部を鷲掴みにしたまま持ち上げた。

「俺が親父殿から部族長の座を奪わない理由は、俺達の目的達成ためにはその方が都合が良いと判断したからだ。だが、あんたが部族長であることに支障があれば、俺はいつでも成り代わる。あんたも、理解していたはずだよな」

「あ、あぁ。勿論だ」

「それなら、だ。表向きの立場に関係なく、俺が上であんたは下だろうが」

エルバは無表情のまま、再びガレスの顔を床に叩きつけた。

「俺は今日、謁見室でクリスとメルディに手を出さんと言ったんだ。当然、格下のあんたは、格上である俺の指示に従うのが道理だろう。違うか、あ?」

「ま、魔が、魔が差したんだ」

「良いか。俺達の目的は、獣人族を武力によってまとめ上げ、その力を持って大陸支配をすることだ。その為には優秀な人材と様々な手札が必要なんだよ。クリスは優秀な人材であり、メルディは帝国貴族達との交渉に使うための重要な手札だ。それを親父殿の私欲と私怨を晴らすため、早々に使い捨てられてはたまらん」

エルバはそう言って深呼吸すると、ガレスの耳元で叫んだ。

「テメェも部族長なら、感情ぐらい制御しやがれってんだ。この穀潰しが」

「う……す、すまない。私が悪かった。だから、だから、どうか許してくれ」

力なく懇願するガレスの姿を見つめ、エルバは深いため息を吐く。そして、掴んでいた彼の頭を離した。

「子は親を選べねぇ。全く、ままならねぇ話だ」

エルバは吐き捨てると、満身創痍まんしんそういのガレスを放置してその場を後にした。