「は、母上。どうされたのですか」
思わず目を瞬くと、母上は僕の耳元で囁いた。
「こんな時だけは、母親として貴方の才能が嬉しくも怨めしいです。決して、命を粗末にしてはなりませんよ」
「承知しております。決して、そのような真似はいたしません。必ず、メル達と共に帰って参ります故、ご安心ください」
「約束ですよ」
母上は微笑んで頷くと、僕を胸の中から解放して視線を父上に向ける。そして、メイド達の力を借りて車椅子から立ち上がった。その動きに合わせるように前に出た父上は、母上を優しく抱きしめる。
「どうか、必ず生きて帰ってきてください。ご武運をお祈りしております」
「わかっている。勝利して君達を守ってみせよう」
父上は母上を車椅子に戻すと、ガルンに振り向いた。
「後のことは、手はず通りに頼むぞ」
「畏まりました」
ガルンが会釈すると、父上は「うむ」と頷き玄関の扉を開けた。その先には、数多くの木炭車と連結された荷台が並んでおり、騎士達がいつでも出陣できるよう整列している。
馬車や馬で編成された部隊はすでに狭間砦に向かっており、この場にはいない。その部隊を率いて先に出発しているのはダイナス達だ。
「では、これより、狭間砦に向けて出陣する」
「はい、父上」
僕は返事をしながら、考えを巡らせた。
バルディア家とグランドーク家の『戦争』が、いよいよ本格的に始まったことになる。メモリーを通して前世の記憶を探ったけど、この事変に関する情報は何も得られなかった。
母上を救おうと行動したことで、何かの歯車が変わったのだろうか。僕と同じ境遇であるヴァレリの意見も聞きたいけど、彼女は帝都にいるから不可能だ。
それとも、死の運命からは逃れられないというある種の暗示だろうか。いや、そんなことはないはずだ。現に、母上は生きている。
ガレスとエルバを筆頭としたグランドーク家。
もし、お前達が断罪と死の運命が寄越した死神だというのなら、必ず僕がその運命を変えてみせる。そう決意し、改めて眼前に広がる木炭車と荷台。そして、第一、第二騎士団の団員達を見回すと、手に力が入って拳となり震えた。するとその時、ぽんと僕の肩に手が置かれた。
「どうされたのですか、父上」
「そんな顔では、皆が緊張する。こんな時こそ、笑うのだ。それに、お前は後ろの皆に言うことがまだあるだろう」
そう言うと、父上はふっと口元を緩める。
ハッとした僕は振り返ってファラ達を見回してから、目を細めて微笑んだ。
「じゃあ、行ってきます」
バルディア家の本隊は、こうして狭間砦に向けて出陣した。