暗雲は戦雲へ
帝都のラヴレス公爵邸に向け出発した木炭車が、道中で襲撃されたという連絡があってから数日が経過した。この短期間で、バルディア家とグランドーク家の関係はさらに著しく悪化。
互いの国境地点には、今まで以上に軍が配備されていつ衝突してもおかしくない。一触即発の緊張状態となっている。切っ掛けは勿論、メルが忍び込み、クリス達が運転していた木炭車の襲撃事件だ。
襲撃の一報が入った当日のこと。僕は、第二騎士団の団員達で即座に救援部隊を組織。カペラを部隊長にして、すぐに出発させた。
ラヴレス公爵邸までに使用する道は、クリス達と事前に決めて情報共有している。そのため、襲撃現場にカペラ達に行ってもらうことは容易だ。ただ、クリス達が木炭車で出発して五時間以上経過後に襲撃は行われている。
故にカペラ達が現地に到着した時には、戦闘が終わっている可能性は高く、救援という意味では絶望的だった。それでも、戦闘による怪我人の救助、事件現場から得られる情報。可能性が少しでもある限り、救援部隊を出さない選択肢はあり得ない。
僕も現地に行きたかったんだけどカペラ、ディアナ、ファラ達から大反対されてしまった。
敵の規模、目的が不明であり危険度が高いこと。今回、襲撃自体が僕をおびき出す罠の可能性もある。襲撃事件が発生した時間帯を考えれば、現地に到着するのは深夜前後になることも反対された理由の一つだ。
電気がまだ存在しないこの世界では、夜の闇を照らすのは火の明かりと月明かりだけ。闇の中に溶け込む技術に長けた者達に襲撃されると、二次被害発生の可能性もある。
皆からの説得により、僕はカペラ達に同行するのを諦めた。それに、他にも色々としないといけないことが山積みだったこともある。
現地に向かう途中、通信魔法で指示を出し続ける方法もあったけど負担が大きい。指示系統の効率、不測の事態が発生した時の対応を考慮した結果でもあった。
救援部隊が出発後、父上に襲撃事件の報告をした時の憤怒は凄まじく、通信魔法要員で帝都に同行していたシルビアが戦々恐々となり声が震えていたほどだ。
「明日の朝一、皇帝陛下に事の経緯と今後の方針を伝えたら、すぐに帝都を立つ。私がバルディアに戻るまで、襲撃事件とメルの件は内密にしておけ。不明確な情報では、余計な心配を煽るだけだ」
僕の報告を聞いた父上は、シルビアの通信魔法を介してそう言っていた。
父上との通信が終わり、暫くすると救援部隊に選別された鳥人族のアリアから通信が入る。その内容は、傷だらけのエマとクッキーを保護したというものだ。
報告を受けた時、執務室に居たファラやディアナ達は喜んだけど、僕は冷静にメルやクリス達の安否を尋ねた。程なく、アリアがエマから聞いた状況を語り始める。
曰く、木炭車がバルディアに引き返そうとした際、狐人族で構成された所属不明の部隊に襲撃を受けた。襲撃犯達は、セルビアが最後の通信で言っていた通り、バルディアの工房を襲った一味と同じく、クレア、ローゼン、リーリエと名乗ったという。
クリス、クッキー、エマ達は必死に抵抗したが、個人の戦闘力で考えれば多勢に無勢という他ない。
「私が囮になるから、エマとクッキーは『親書』を持って逃げてほしい」
劣勢になっていく中、メルがそう提案したという。クリス、エマ達は反対したがメルは聞かなかった。
「私とクッキーだけじゃ、すぐに追いかけられて逃げ切れないでしょ。バルディア家の長女である私が名乗り出て囮になれば、エマとクッキーが逃げられる隙が生まれると思うの。なら、そうすべきでしょ。きっと、父上と兄様だったそう考えるもん」
震えながら告げるメルの意志は固く、クリス達は提案を受け入れた。でも、受け入れた理由は、メルの意志だけではない。
今回の動きが何者かの策略であったことを証明する物的証拠となり得るのが、ラヴレス公爵家から届いた『親書』の存在だ。
『親書』は何者かが帝国貴族、それも由緒正しいラヴレス公爵家の名を語り、バルディア家を貶めるために利用した証拠になる。
これは、帝国に喧嘩を売ったと行為と言って良い。親書が僕達の手元にあるだけで、バルディア家の正当性は帝国内で証明される。
メルは賢い子だ。普段から僕と父上のやり取りをよく聞いていたから親書の重要性にいち早く気付き、現状と今後に重要な存在は襲撃からメル自身が助かることではなく、親書がバルディア家の手元に残ること。そう判断したのだろう。
アリアを介した通信魔法で報告が終わると、ファラとディアナは沈痛な面持ちを浮かべ、執務室には重い空気が漂い始める。
「わかった。何にしても、エマとクッキーが無事で良かったと伝えてほしい」
「は、はい。畏まりました」
通信が終わると、救援部隊はエマの案内を頼りに襲撃現場へ直行。
現場にはエマ達と襲撃犯達が戦った痕跡こそ残っていたけど、クリスを含めたクリスティ商会の面々とメル。そして、木炭車と荷台も消え失せていたそうだ。
カペラ率いる救援部隊は、その後も現地で調査を行うが有力な情報は得られなかった。
その後、救援部隊はバルディアに帰還。エマとクッキーに直接事情を聞く内に、夜は明け始めていた。だけど、僕の夜はまだ終わらない。
救援部隊、エマとクッキー、手元にある『親書』から得た情報をまとめ、襲撃犯の裏にいるであろうグランドーク家の目的に僕なりの仮説を立て、帝都にいる父上に報告。
シルビアを介した通信魔法で僕と会話をした父上は、事件発生当時により冷静だけど憤怒が言葉の端々から感じられた。報告が終わり、襲撃事件は父上がバルディアに帰って来るまで口外しないように
帝都から父上が帰ってきたのは、それから二日後のことだった。あまりに早くて驚いたけど、木炭車の運転者を一定時間で変えながら最低限の補給で帰ってきたらしい。
そしてその日、見計らったかのように狐人族の部族長ガレス・グランドークから父上宛の『親書』がバルディア家に届いたのだ。
『獣人国ズベーラと狐人族を愛してやまない一部の過激派が、貴殿達と懇意であるクリスティ商会の荷を我等の与り知らぬところで襲撃。その際、捕えた商会の面々をグランドーク家に連れてきた。両家両国の関係を考えれば、非常に残念な行いである。
重ねて記すが、この襲撃事件にグランドーク家は全くの無関係である。
しかしながら、国内でこうした過激派達の声が日に日に高くなっていることも事実であり、この機にクリスティ商会の面々と貴殿達が奴隷とした獣人族の交換をすべきである。なお、交換以外では、クリスティ商会の面々を解放する考えは当家にはない。良き返事を期待する。以上』
挑発的かつ馬鹿にした内容に、僕達は憤慨した。
父上は即座に狭間砦の騎士団を増員、グランドーク家には抗議文書を送付。
『貴殿達の申し入れを受け入れることは、一切できない。両家両国の関係を考えるのであれば、即刻クリスティ商会の面々を解放し、襲撃事件を起こした過激派なる者達をバルディア家に引き渡すこと。そして、襲撃事件現場には、バルディア家の長女メルディ・バルディアがいたことも確認している。この件を隠し立て、当家の要求を飲まない場合、一連の出来事は貴家による宣戦布告と見なすことも辞さない。以上』
こうして、バルディア家とグランドーク家の間に漂っていた暗雲は戦雲と成り、低く垂れこめたのである。
「リッド、大丈夫」
「え? あぁ、はい。ちょっと、色々と考え事をしておりました」
母上の声で我に返ると、目を細めて微笑んだ。
今僕は、ファラ達と一緒に母上の部屋を訪れている。
「そうなの。でも、あまり考え過ぎては駄目よ。リッドの可愛い顔が、今から父上みたく仏頂面になるのは残念だもの」
「ぶ、仏頂面」
確かに父上はいつも難しい顔をしているけど、そんな言い方できるのは母上だけだよ。
唖然としていると、ファラが「ふふ」と吹き出した。
「そうですね。私も、リッド様には今の可愛らしい顔でいてほしいです」
「あはは、善処するよ」
頬を掻きながら苦笑すると、ファラと母上は楽しそうに笑みを溢した。
母上はクリス達の襲撃事件に伴ってメルが誘拐された事実を既に知っている。父上と僕から話を聞いた時、母上は普段通りで取り乱すことなく凜としていた。
「わかりました。リッド、それに皆も。悪いけれど、少し外してくれるかしら。ライナーと二人だけで話したいの」
その後、母上と父上がどんな話をしたのか僕は知らない。でも、暫くして僕の部屋を訪れてきた父上は、とても悔しそうに怒りを滲ませていた。
「リッド。明日以降、ファラと一緒にナナリーの傍に出来る限りいてやってくれ。気丈に振るまってはいたが、とても落胆している」
「はい。わかっております」
「……頼むぞ」
母上の事を心配する父上の瞳は、とても優しいものだった。
その日以降、僕はファラと必ず母上の部屋を朝から訪れている。僕が行けない時は、ファラだけでも必ず顔を出すようにお願いしたところ、「はい。お任せ下さい」と彼女は二つ返事で了承してくれた。
皆で談笑していると、部屋の扉が叩かれてガルンが入室する。
「リッド様。ライナー様がお呼びでございます。急ぎ執務室に来るようにと仰せでございます」
彼の言葉で室内の空気が張り詰める。現状で父上に呼び出される理由なんて、一つしかない。
「わかった。じゃあ、行ってきます。母上、ファラ」
「えぇ。行ってらっしゃい」
「はい。リッド様」
二人に見送られ、僕は父上の待つ執務室に急いだ。
◇
執務室を訪れた僕は、いつも通りに机を挟んで父上の正面になるようソファーに腰掛ける。厳めしい表情の父上は、一通の封筒を机の上に投げ置いた。
「グランドーク家からの返事だ。目を通してみろ」
「拝見します」
封筒を手に取ると、親書を取り出して目を通していく。
『今回の一件、双方に様々な主張があり、親書によるやり取りでは解決できない。従って数日以内にグランドーク家の三男、アモン・グランドーク。並びに次女シトリー・グランドークを交渉の使者としてバルディアに訪問させる』
要約すれば、こんな感じだ。前回の使者は長男エルバと次男マルバスだったけど、今回は違うらしい。あの二人が来ると言われたら、さすがにこちらからお断りするけどね。
「お前は、これをどう見る」
「どう、ですか。時間稼ぎか、また何かしら良からぬ事を企んでいるのでしょう」
今までの経緯から、グランドーク家がまともな交渉をしてくるとは考えられない。
「私も同意見だ。しかし、交渉を求められている以上、受けぬわけにはいかんだろう。メルとクリス達も人質に取られている以上、無闇に攻め入ることもできん。それに、戦争を始めるのは簡単だが、終わらせるのは難しいものだ。感情に任せて良いものではない」
自分自身に言い聞かせるよう、父上は悔しげに言った。
バルディア家は、グランドーク家に『宣戦布告と見なすことも辞さない』と毅然とした強い姿勢で臨んでいる。
帝国貴族の名を語った親書でクリスティ商会を呼び出し、メルやクリス達を攫った横暴を許せるはずはなく、今も父上の怒りは言動の端々に表れていた。
領主という立場がなければ、本当はすぐにでもメル達を助けに行きたいんだろうな。
ふと親書のある内容が気になり、「それにしても……」と切り出した。
「三男のアモンと次女のシトリーは、使者だけではなくバルディア家に人質として来る意味もあるんでしょうね」
「うむ。グランドーク家はメルとクリス達を人質に取っている。我等と本気で交渉したいという意味を込め、人質をこちらにも寄越したのだろう」
「彼等が囮。『捨て駒』ということも考えられますよね」
父上の眉がピクリと動き、顔がより険しくなった。
「あまり考えたくはないがな。その可能性もゼロではないだろう」
「それでしたら万が一の事を考え、狭間砦の騎士と傭兵を増員しておくべきです。加えて、民兵に後方支援を依頼しておくべきかと」
バルディア領にある戦力は正規軍と言えるバルディア騎士団。
ギルドからの情報や戦雲のきな臭さを嗅ぎつけてやってきた冒険者、剣士達で構成された傭兵団。
各地で緊急募集したバルディア領を守らんとする領民で構成された民兵である。
「よかろう。レナルーテ側の国境警備に当たっている騎士達を狭間砦に回そう。あの国は信用できるからな」
父上はそう言うと、深いため息を吐いた。
「どのような結果にしろ、次がグランドーク家と行う最後の交渉になるだろう。お前も心しておけ」
「承知しました。それから御父様のエリアス王に連絡を取り、レナルーテ側の国境地点に兵を待機してもらいたいと存じます。いざとなれば、ファラや母上達はそちらに逃げてもらえれば良いかと」
グランドーク家がバルディアに攻め込んでくれば、退路は帝都かレナルーテになる。でも、帝国貴族がグランドーク家と裏で繋がっている可能性がある以上、帝都は安心とは言えない。母上の治療の件もあるから、退避場所はファラの実家でもあるレナルーテが安全だろう。
「わかった。その手配は、お前とファラに任そう」
「ありがとうございます」
会釈すると、僕は再び親書に目をやった。
アモンとシトリーとは、おそらく『あの子達』のことだろうな。
エルバ達は信用ならないけど、彼等は少し話せるかもしれない。僕は淡い期待を抱きつつ、父上と打ち合わせを続けた。
そして、数日後。狭間砦に在中している鳥人族のサリアより、通信魔法で連絡が入る。
アモン・グランドークとシトリー・グランドークが、バルディア家と会談を行うため、本屋敷を訪問したいということであった。