ラヴレス公爵家との商談に向けて

「それで、ファラ様がご立腹になったのですか。あはははは」

「ぷっくく。そんなに笑ってはリッド様に失礼ですよ。ク、クリス様」

「そ、そういうエマだってさっきから震えてるじゃない。それにしても、『木彫りのファラ様』を提案して怒られるなんて、くっくく。あっははは」

「むぅ。二人してそんなに笑わなくてもいいじゃないか」

「も、申し訳ありません。で、でも……」

クリスに頬を膨らませて抗議するが、机を挟んで正面に座る二人は笑いの壺に入ったらしく、止まる気配が無い。

今日は、クリス達がラヴレス公爵家に向けて木炭車で出立する日だ。その為、こうして最終確認の打ち合わせを第二騎士団宿舎の来賓室で行っている。

なお、クリスとエマが笑い転げている原因は、ファラの機嫌を取る方法を僕が相談を持ちかけたのがきっかけだ。実は『木彫りのファラ』の一件がまだ尾を引いており、ファラが未だにご機嫌が斜めなのである。謝罪は受け入れてもらえたけど、「反省してくれるまで許しません」と口を尖らせたままなのだ。

宿舎の執務室で一緒に事務処理中、エルティア母様のような冷たい眼差しに晒され続けるのはさすがに辛い。

そこで打ち合わせのついでに相談しようと経緯を伝えたら、二人が笑い出して話が進まなくなってしまったのだ。

「はぁ。さっきの相談の件はもういいよ。それより、話を進めようか」

「す、すみません。くっくく」

クリスは平謝りをしながら、左手で腹を押さえて右手で涙を拭う。再びため息を吐いて肩を竦めると、机の上に一通の封筒を置いた。

「ここからは仕事の話だよ。いい加減、笑うのは止めてください。クリスティ商会代表、クリスティ・サフロン殿とエマさん」

あえて微笑むと、二人の顔が真っ青になり引きつった。

「……お見苦しいところをお見せして、大変申し訳ありませんでした」

クリスが襟を正して座り直すと、深く頭を下げた。

「うん、分かってくれれば良いよ。さて、この封筒には『ラヴレス公爵家』から届いた手紙が入ってる。クリスティ商会がバルディア家の紹介で来たことを示す証しとして、これを持参してほしいそうなんだ」

そう言うと、机の上にある封筒に目を落とした。

ラヴレス公爵家からの親書には、クリスティ商会が屋敷を訪れる際はこの手紙を門番に見せれば取り次ぎが早いこと。加えて、身分証にもなると記載されていた。実際、ラヴレス公爵家の親書には、細輪の中に水から太陽が昇るような紋章印が押されている。

紋章印は、その貴族以外が勝手に使うと厳罰に処されるから、紹介や取り次ぎの時の身分証に使われることはよくあるそうだ。

「畏まりました。大切にお預かりいたします」

クリスは丁寧に封筒を手に取ると、エマに渡した。封筒をクリスから受け取ったエマは、持参した大きめの鞄にその封筒を大事そうに入れる。

「それと、ラヴレス公爵家が見たいと言った商品。それから、売り込む商品は問題なさそうかな」

「はい。リッド様のご指示通り、ラヴレス公爵家からの手紙に記載があったという懐中時計と化粧水はバッチリです。他にも、人気商品を一通りもっていきますからね。何があっても対応はできると思います」

クリスの顔つきは、先程とは全く変わり自信に満ちた商売人になっている。

「わかった。でも、木炭車が欲しいって言われた時はうまく断ってね」

「勿論です。クリスティ商会が使用している木炭車は、バルディア家から借りているだけだとお伝えしておきますね」

「うん、それで問題ないよ。木炭車の件は、何を言われてもこっちに回してくれれば良いから」

帝都で懇親会をして以降、クリスティ商会とバルディアには問い合わせが殺到している。

懐中時計、化粧水、料理のレシピなど様々あるけど、やはり圧倒的に多いのは『木炭車』についてだ。

木炭車は、この世界で初めて開発された『内燃機関』が載せてある。人、動物、魔物、魔法のどれにも当てはまらない『動力』の仕組みは、分かる人には相当凄い物であることはすぐに理解できたはずだ。

問い合わせが多いのはやむを得ないけど、技術を安売りするつもりはない。現状では木炭車の問い合わせは全てお断りしている。当分、技術は秘匿扱いで独占するつもりだからね。

次の技術開発に目処が付いた時、木炭車の技術を公開して販売する。そうなれば、バルディアは常に最先端の技術提供。他の家は、古い技術を追いかけることになるだろう。どんな世界でも、まずは先駆者が新たな市場を切り開けるのだ。

でも、一つ気がかりなことがある。何処で聞いたのか、ドワーフが治める国のガルドランドからも木炭車を購入。もしくは見学したいという問い合わせがあったのだ。無論、丁重にお断りしたけどね。手紙から伝わってくる熱意は凄かったから、そのうちに押しかけてくるかもしれない、まぁ、その時はその時だろう。

次に問い合わせが多いのが『懐中時計』。こちらは受注生産で日々受付しており、稼ぎ頭になっている。何はともあれ、バルディア家の売り上げは右肩上がりを続けている。

今回のラヴレス公爵家との取り引きが成功すれば、帝都の貴族達からの注文が増え、売り上げはさらに飛躍することだろう。

商売で得た資金を元に、バルディアはさらなる発展を遂げていく。それこそ、将来に潜む断罪の運命を撥ねのける程にである。ふふ、今から楽しみだ。

「リッド様。何だか、悪い顔になっていますよ」

クリスにジト目を向けられハッとする。

「そ、そんなことないよ。僕はほら、まだまだあどけない少年だからさ」

慌てて微笑むが、クリスは呆れ顔でやれやれと首を横に振った。

「ただの『あどけない少年』だったら、こんなに商売は成功しません。今みたいに、少し可愛げのある悪人顔を浮かべるぐらいが丁度良いと思いますよ」

「うん、ありがとう……って、あんまり褒められている気がしないんだけど」

聞き返すと、クリスとエマは揃って「ふふ」と忍び笑った。

どうやら、揶揄われたらしい。むっと頬を膨らませると、クリスが「あ、そういえば」と話頭を転じる。

「狐人族の領地と接する『狭間砦』が大分きな臭くなってるみたいですね。差し支えなければ、バルディア家としてどう対応されていくのかお伺いしても良いですか」

「そうだね。実は、今日はその件をクリス達とも共有したかったんだ」

僕はクリスとエマに現状を伝え始めた。

帝国に属するバルディア家と獣人国に属するグランドーク家。

いま、両家両国の状況は『緊張状態』と言って良い。その主な原因は、グランドーク家の対応だと断言できる。きっかけは、バルディア領の工房施設が所属不明の狐人族に襲撃され、獣人族の子供達の一部が拉致された襲撃事件だ。幸い、襲撃犯の撃退と拉致された子達の回収には成功したけど、事件はこれだけでは終わらない。

撃退した襲撃犯達は、狐人族の領地に逃走。当然、狐人族の領地を治めるグランドーク家に抗議を行い、同時に襲撃犯確保の協力を依頼した。でも、彼等からの回答は敵対的だった。

グランドーク家は、襲撃事件の解決には非協力的であり、むしろ、『バルディア家が獣人族の子供を奴隷としている』と言い掛かりを付けてきたのだ。

僕と父上は、彼等の対応に憤りを覚えたけど、ここ最近におけるバルディア家の躍進をやっかむ帝国貴族達の動向と両家両国の今後を考え、できる限り穏便に済ませようと努力した。だからこそ、先方から申し出のあった会談に応じて、丁重に対応したわけだ。そんな思いは踏みにじられ、会談は決裂に終わったけど。

次いで彼等は、会談決裂の情報を自分達の都合の良いように公開した。その結果、帝国内外で誤情報による混乱が起きてしまい、父上は帝都に呼び出されて対応に追われている。

同時期、グランドーク家はバルディア家との国境地点間近で軍事演習を行った。当然、関係悪化を煽る挑発行動を僕達が許せるわけもなく、バルディア騎士団副団長のクロスと騎士団を該当の国境地点にある当家管理の『狭間砦』に派遣。そして、現在の緊張状態まで一気に進んでしまった。

おまけに公開された誤情報のせいで、帝国世論はバルディア家にとって逆風である。獣人国のズベーラに抗議もしたけど、「この一件は、グランドーク家に任せている」と我関せず、素知らぬふりをする始末。

父上は、これまでの狡猾な一連の流れを見て、グランドーク家に加担する帝国貴族がいると見ているみたい。

確かに会談決裂の情報公開だけならまだしも、バルディア家の躍進に不満を抱く帝国貴族達と帝国世論を誘導するとなれば、グランドーク家だけでは難しいと考えるのが妥当だ。

僕も父上と同じく、帝国貴族が絡んでいる可能性は高いと見ている。

「……とまぁ、現状はこんな感じかな」

状況を整理して説明すると、クリスは難しい顔を浮かべた。

「では、ラヴレス公爵家がグランドーク家と繋がっている可能性もある。そうお考えなのでしょうか」

彼女の発言に、エマの顔が強ばった。

これから商売を行おうとする相手が敵かもしれない。そう言われたら、誰だって緊張するだろう。でも、僕は首を横に振った。

「その可能性はゼロではないけど、限りなく低いと思う。マチルダ皇后陛下の実家だからね。それに皇后陛下は、母上やクリスと仲が良いみたいだから敵対する利点がないよ」

「そうですか。そう仰っていただけると少し安心できますね」

クリスは、ほっとした様子で胸をなで下ろした。

彼女もラヴレス公爵家が敵である可能性は低いと考えているのだろうけど、やっぱり不安があったのだろう。だけど、クリスはすぐに表情を切り替えた。

「では、リッド様。改めて、お伺いしますが、グランドーク家に対してどう対応されていくおつもりなのでしょうか」

「そうだね。取りあえず、こちらからは何もしないよ」

「え?」

想像していた答えと違ったのか、クリスは目を瞬いた。

「勿論、向こうから仕掛けられたら動くと思うけどね。でも、先方の挑発には絶対に乗るつもりはない。今は、耐え忍ぶ感じかな」

「は、はぁ。耐え忍ぶ、ですか」

クリスが首を傾げると、彼女の隣にいたエマが「リッド様。私からもよろしいでしょうか」と手を上げた。

「うん。どうしたの」

「恐れながら、その対応で緊張状態が解決するとは思えないのですが……」

エマがそう言うと、クリスも「私もそう思います」と頷いた。

商売人の彼女達ならわかりそうだけど、さすがに『軍事』となると勝手が違うらしい。

「まぁ、『何もしない』というより、グランドーク家の消耗を待つんだよ」

「消耗、ですか」

クリスとエマがきょとんとして顔を見合わせる。

「そ、消耗。軍事行動っていうのはとても経費がかかるんだよ。兵士達の武具、兵糧、国境地点に待機させる維持費とか。軍事演習をすれば尚更ね」

「あ……」

クリスがハッとする。どうやら、意図を理解してくれたようだ。

「そういうこと。加えて言うなら、グランドーク家。正確には、狐人族の領地の経済状況はバルディアよりかなり悪いんだ。ただでさえ、自領の子供を口減らしでバルストに流す愚行をしているからね。そんな部族が、いつまでも国境地点で軍を維持できるわけがない」

先日の会談に伴って、グランドーク家の状況は色々と調べている。

かの家が軍拡政策を推し進めた結果、領地は段々と荒れているのは外から見ても明らかだった。多少の蓄えや他家の支援があったとしても、グランドーク家が国境地点に配備した軍を長期間維持できるとは到底思えない。

「なるほど。時間が過ぎれば、それだけグランドーク家の力は弱まり、自滅していく。ということですか」

合点がいったらしく、クリスの顔から不安の色が薄くなる。

「うん、その通りだよ。あと、時間が過ぎれば帝国世論の熱も冷めていくからね。『人の噂も七五日』というやつさ」

とはいえ、耐え忍ぶ理由はまだある。帝国とズベーラのそれぞれが『今回の一件は、対応を両家に任せる』という態度を取っていることだ。

帝国側は、バルディアの躍進に不満を抱く貴族達と帝国世論の動向が原因だが、ズベーラは違う。時期獣王候補と目されるグランドーク家と当家をぶつけることで、かの家の消耗。共倒れしてくれれば尚良し、とでも考えているのだろう。

両家に対応を任せるという曖昧な態度を取ったということは、グランドーク家の言動は『言い掛かりに近い』という認識がズベーラ側にも少なからずあるはずだ。

間違いのない明確な大義名分であれば、ズベーラはかの家を大々的に支援すれば良い。それをしないということは、ズベーラでも色々な思惑が渦巻いており、一枚岩でないことは察せられる。

「畏まりました。では、私達クリスティ商会は、リッド様とバルディア家の方針に準じますね」

「うん。あ、でも、信用できる人達にはグランドーク家が公開した内容があちらに都合の良い情報であることを説明してくれると嬉しいかな。こちらでも情報発信はしているけど、いまいち浸透が悪くてね」

僕はため息を吐くと、肩を竦めた。

「あれ、そうなんですか」

クリスは首を傾げた。

「うん。僕達は当事者な上、帝都と離れた辺境からの発信になるからさ。父上も帝都で頑張っているみたいだけど、なかなか大変みたい」

エルバ達が行った誤情報の発信により、多くの人に先入観が持たれてしまった。

こうなると、どんなに正しい情報を伝えても言い訳がましく聞こえてしまう。情報発信者が当事者であれば、尚更ね。でも、信用できる商会の言葉なら、多少は聞く耳を持つ可能性はある。

「人の噂に戸は立てられない以上、新たな噂で上書きするしかないと思うんだ。クリス達の方がその辺はうまいでしょ」

「承知しました。サフロン商会にも連絡して、正しい情報の流布にご協力します」

「ありがとう。でも、くれぐれも狐人族の領地には暫く近づかないようにしてほしい。バルディアを襲撃した奴らの所在も不明な上、エルバ達の行う挑発の矛先がバルディア家と関係が深い人達に向かう可能性も十分に考えられるからね」

「はい。その点も注意していますからご安心ください」

クリスは、白い歯をみせて自信ありげに頷いた。帝都に続く道は狐人族の領地とは真逆に位置しているから、襲撃される可能性はかなり低い。それに帝国内で騒動を起こせば、それこそ帝国と帝国世論を敵に回すことになる。

エルバ達が、会談決裂から今までの動きで生み出した、彼等に好都合な状況を自ら壊すような真似はさすがにしないだろう。

『通信魔法』を扱える鼠人族三姉妹の末っ子、セルビアをクリス達に同行させるのは、ラヴレス公爵家との商談を円滑に進めるためだけじゃない。万が一のことを考えての部分もあるわけだ。

「私の側にはエマもいますから」

僕が考えていることを察したのか、彼女は自身の隣に座るエマに目をやった。

「はい。こう見えて、私は結構強いんです。少なくとも獣化した私は一対一でしたら、ディアナさんやカペラさんにも後れを取らないと思いますよ」

エマは八重歯を見せて微笑むが、すぐにハッとして「あ、今のは言い過ぎたかもしれません」と舌をペロッと出して可愛く会釈する。

「わかった。二人には秘密にしておくよ。でもそっか。エマは猫人族だもんね」

自信が垣間見えた言動から察するに、二人に後れを取らないというのは彼女の本心だろう。少し驚いたけど、商売で大陸を回るクリスと商会には常に危険が伴うはず。エマは獣人族だから、護衛としてそれぐらいの実力があって当然かもしれない。

「そうなんです。エマって過去に何度も盗賊を撃退しているから、実戦経験も意外と豊富ほうふなんですよ」

クリスが嬉しそうに補足すると、エマは謙遜するように首を横に振った。

「いえいえ。私より、クリス様が放つ魔法の方が凄いですよ。突風で盗賊達が空を舞いますからね」

「ちょっと、エマ。あんまり余計なことを言わないの」

「へぇ、クリスは風の属性魔法を使うんだね」

クリスが魔法を扱えると聞いたことはあるけど、実際に見たことはない。

盗賊達を空に舞い上げる程の『突風』を起こす魔法か。とても興味を掻き立てられるな。

何かを察したのか、ハッとして青ざめたクリスが両手を前に出して勢いよく首を横に振った。

「そんな大した魔法じゃありませんよ。エルフの大半が風の属性素質を持っています。私に限らず、エルフなら誰でも使える程度の魔法です」

「そうなんだね。でも、バルディアにいるエルフは少ないからさ。今度、クリスの扱う魔法を教えてよ」

身を乗り出すと、クリスが何やら観念したように俯いた。

「はぁ。畏まりました。では、ラヴレス公爵家との取り引きが終わって、時間ができましたらその時はお見せします」

「うん、クリスの魔法。楽しみにしてるよ」

期待しながら頷くと、僕は「それと……」と話頭を転じた。

「本当に騎士団の護衛を断るの? 父上からも了承をもらっているんだよ」

ラヴレス公爵家に向かう帝国内の移動だけど、エルバ達と連動して動く帝国貴族が何か仕掛けてくる可能性はある。その為、騎士団の護衛を以前から提案しているけど、クリスからは丁重に断られていた。

「はい。有り難い申し出ですが、帝国内でバルディア騎士団護衛の一緒に移動とすれば目立ちますし、現状だと変な噂も立ちかねません。対外的にあまりよろしくない上、ラヴレス公爵家の方々も警戒すると思います。大丈夫、クリスティ商会はそんなにやわではありませんからご安心ください」

クリスは、自信に満ち溢れた表情を浮かべる。

「でも……」

僕は言葉を続けようとしたが、彼女は首を横に振った。

「バルディア騎士団の皆さんは、領地の混乱とグランドーク家の対応で大変じゃないですか。それに自衛できる力を持った商会に騎士団の護衛まで付けては、クリスティ商会をリッド様が依怙贔屓えこひいきしていると見なされかねません。どうか、ご容赦ください」

今まで少し違った毅然とした言葉に、クリスの意志が固いことを実感する。

「わかった。この件はもう言わないよ。でも、何かあったらすぐにセルビアを通して連絡してね。彼女を同行させるのは、そのためなんだから」

「はい、勿論です」

クリスは自信に溢れた様子で微笑んだ。

打ち合わせが終わり、宿舎を出ると外にはエレンとアレックス。狐人族の子達が木炭車と荷台の準備をしてくれていた。

「あ、リッド様。クリスさん」

僕達に気が付いたエレンが、こちらに駆け寄ってきた。

「木炭車と荷台の準備は終わりました。いつでも出れますよ」

「ありがとう。でも、エレン。顔が少し汚れているよ」

「え!? す、すみません」

彼女が慌てて顔を服で拭っていると、少し丸みのある耳が頭に生えた小柄な女の子がやってきた。

「リッド様。お待ちしておりました」

「セルビア。君もここにいたんだね」

「はい。いつでも出発できるように待機しておりました」

鼠人族のセルビアは、第二騎士団の中で言葉遣いや礼儀作法がしっかりしている子の一人だ。クリス達に同行させても、彼女なら問題を起こしたりはしないだろう。

「あ、そうだ。改めて君に紹介するね。クリスティ商会の代表のクリスと彼女を補佐しているエマだよ」

二人に目をやると、セルビアは畏まった。

「バルディア家に来る時にお世話になった方々ですから、よく存じております。クリス様、エマ様。改めて、セルビアと申します。本日より、よろしくお願いします」

「こちらこそよろしくね。セルビア」

クリスとエマが優しく答えると、彼女は嬉しそうに目を細めた。彼女達のやり取りが終わると、顔が綺麗になったエレンが手を挙げる。

「えっと、よろしいでしょうか」

「あ、ごめん。木炭車と荷台は準備完了なんだよね」

「はい。それから故障時のことを兼ねた人員なんですが、予定通りトナージ君を同行させたいと思います」

エレンは、木炭車を整備しているゴーグルを掛けた男の子に目をやった。

狐人族のトナージは、エレンとアレックスに技術者として将来有望と太鼓判を押されている子だ。木炭車は故障時の事を考え、技術者である狐人族もしくは猿人族の子を一人は必ず同行させている。今回、その一員に選別されたのがトナージというわけだ。

この人選には、エレンとアレックスの思惑も絡んでいる。帝都に行った際、トナージはクリスに色々なお店を案内してもらう予定にもなっているのだ。

エレン達は、バルディア家に仕える前は大陸をあちこち転々としていた時期がある。その時々で、学んだ技術や得た発想というのは、今とても役に立っているそうだ。

トナージの将来を見据えれば、とても良い機会になるだろうと、エレン達は言っていた。

「それなら、一緒に行けば良いんじゃない」

話を聞いた時、そう提案すると、エレンは自分の尖らせた口の前に人差し指を立て、その指を舌打ちに合わせて横に振った。

「リッド様。それじゃ、駄目なんです。自分の目で見て、感じて、考え、悩んで、閃かないと進歩はありません。まぁ、可愛い子には旅をさせろというやつですよ。ボクとアレックスがいると、ついつい頼って何でも聞いてきますからね。ボク達が側に居ることで、トナージ君の成長が止まってしまう。そんなことだって時にはあるんです」

エレンはため息を吐くと、さみしそうにどこか遠くを眺めた。

「そ、そうなんだ。エレン達も色々と考えてくれているんだね。じゃあ、僕から言うことは特にないよ」

こうして、トナージがクリス達の乗る木炭車の整備士として同行することが決まった。

「リッド様。彼の同行は予定通りで問題ありませんか」

木炭車の整備に没頭しているトナージを見つめていたけど、エレンに声を掛けられてハッとした。

「あ、うん。問題ないよ」

「畏まりました。では、木炭車はいつでも出れますよ。あと、クリスさんとリッド様の打ち合わせの間に荷物も荷台に積み込み終わっています。念のため、再確認されますか」

エレンが尋ねると、クリスは首を横に振った。

「いえ。ここに来る前に確認は終わっていますから、私達が持ち込んだ荷物を荷台に移していただいたなら問題ないと思います」

クリスはそう言うと、畏まってこちらに振り向いた。

「では、リッド様。クリスティ商会はラヴレス公爵家との商談に向けて出発します」

「うん。よろしくね」

僕が右手を差し出すと、彼女はその手を力強く握り返してくれる。

両陛下に初めて献上する時も、クリスはしっかりと商談を成功させてくれた。きっと、今回も彼女なら大丈夫だろう。

「リッド様」

突然に名前を呼ばれて振り向くと、ダナエとディアナがこちらに走ってやってくる。

「二人とも、どうしたの」

労うように声を掛けると、ディアナが息を整えて会釈した。

「申し訳ありません。メルディ様を見られませんでしたか。木炭車を見たいと仰せになって、あちこち走り回っている間に見失ってしまいまして」

「え? 僕は今ここに来たばかりで見ていないけど、誰か見た」

そういえばこの間、メルは帝都に行くクリスにお土産をお願いして、見送りたいと言っていたな。周りの皆に尋ねると、エレンが手を挙げた。

「さっき見ましたよ。いつものクッキーとビスケットを連れて、宿舎の屋上から木炭車を見てみるって仰っていましたけど」

「屋上ですね。ありがとうございます。すぐに向かってみます」

「もう、メルディ様。勝手にあちこち行っては駄目ですと、いつもあれだけお伝えしておりますのに」

ディアナとダナエは焦った様子で一礼した。最近のメルは、以前にも増して足が速くなっている。騎士見習いの子達に交ざって行う武術修練のたまものだろう。でも、こんな弊害が出ているとは知らなかったな。

兄として、少し申し訳ない。

「いつもごめんね」

彼女達の動きに合わせて僕も頭を下げるが、顔を上げると二人の姿はなかった。

「あれ……?」

「リッド様。お二人とも、急いで行っちゃいましたよ」

クリスは、宿舎に向かって走る二人のメイドの後ろ姿を指差した。

「あ、本当だ」

騎士団上がりのディアナの足が速いのは当然だけど、意外にもダナエも俊足だ。メルとの追いかけっこがダナエの足を結果的に鍛えているのだろう。

今度、ダナエに欲しい物を聞いてみようかな。

ふと上を見上げると、宿舎の屋上から僕達に向かって手を振るメルの姿が目に入った。

でも、クッキーとビスケットの姿は見えない。きっと、メルの足下にでもいるのだろう。そう思いながら、僕はメルに手を振った。

クリス達が乗り込んだ木炭車は荷台を牽引し、第二騎士団の宿舎から帝都に向けて出発。宿舎の執務室で事務作業をしてくれていたファラとアスナ、カペラも出てきて皆で見送った。この時、ファラは僕と目が合って嬉しそうにはにかんだ。

良かった、少しは機嫌が直ったみたい。そう思ったのも束の間、彼女はすぐにハッとして、プイッと視線を逸らしてしまった。

見ている分にはとても可愛らしいけど、まだご機嫌斜めらしい。苦笑していると、やり取りを見ていた周りの皆は「毎度、ごちそうさまです」と目尻を下げていた。

見送りが終わると、ファラとアスナはレナルーテの文化を中心とした芸事の練習があると新屋敷に移動する。ファラは、僕に最後までツンとしていた。まぁ、そんなところも可愛いけどね。

彼女達と別れると、僕はディアナとカペラと宿舎の訓練場に向かった。今日のお昼から、第二騎士団のとある子達に協力をお願いして特殊な訓練を行う日でもあったからだ。


訓練場に着くと、その子達は僕達に向かって三人縦一列に並び、若干の高低差を付けて体を上下に回し始めた。うまい具合に彼等の顔が重ならず、それぞれの顔で円を描いている。どこぞで見た『踊り』のような動きだ。

「リッド様。お待ちしておりました」

「うん、お待たせ。でも、ダン。どうして三人で奇妙な踊りをしているんだい」

「あれ。この動き、結構面白くないですか」

挨拶はするも狸人族の三つ子のダン、ザブ、ロウが動きを止める気配はない。カペラは無表情だが、ディアナはやれやれと呆れ顔で小さなため息を吐いた。

この三人は、第二騎士団の中でも悪ふざけ、悪乗り、悪戯と子供三大悪行が特にすごい子達である。子供三大悪行という言葉は、彼等に振り回されたメイド達の気持ちを代弁したディアナの造語だ。とはいえ、子供なんてそんなものだと思うけど。

「じゃあ、こうやったらもっと面白いはずですよ。ザブ、ロウ。応用化おうようばじゅつ部分化ぶぶばけだ」

「よっしゃ」

「任せて」

僕達の呆れ顔が不満だったのか、ダンの掛け声で彼等は化け術を発動する。一瞬で先頭のダンが僕、二番目のザブがカペラ、三番目のロウがディアナの顔に変わった。身長はそのままだ。

「どうですか。これなら面白いでしょう?」

満面の笑みを浮かべ、動きを続けるダン達。

すーっと顔から血の気が引いていき、僕は感情が冷めていくのを感じた。

なるほど、自分の顔をおふざけに使われるというのは、人を逆撫さかなでする行為らしい。そう思った時、ディアナが彼等に拳骨を食らわせた。

「あだ!? ねえさん、酷い」

ダン達の顔は、拳骨の衝撃で元に戻った。

彼等は目に涙を浮かべ、上目遣いでディアナをあざとく見つめている。だけど、彼等の仕草を見慣れている彼女には通用しない。むしろ、ディアナに青筋を立てさせた。

「面白いわけないでしょう、失礼にも程があります。馬鹿にしているんですか」

ダン達は狸人族の三兄弟と皆から呼ばれており、顔だけならかなりの可愛い美少年だ。でも、性格と素行が最悪過ぎると、評判はあまり良くない。特に女の子からは敵視されている。

根はそんなに悪い子ではないけど、『化け術の探求』と称してお風呂場を覗く、体を触らせてほしいとか、ちょっと危ない言動が多いのだ。その上、三人に悪意はなく、本当に好奇心と探究心からの言動である。

『探求のどこが悪いのでしょうか。僕達が高度な化け術を使えるようになること。それは、必ず皆様のためになりますよ』

指摘してもあっけからんとしていることがほとんどで、反省の色が見えない。逆に質が悪いと感じるほどだ。

「お前達。ディアナさんの言うとおり、悪ふざけはそこまでだ。リッド様の前だぞ」

カペラが一歩前に出て凄むと、ダン達はビクリと体を震わせた。

「か、畏まりました。申し訳ありません」

三人は揃って頭を下げる。

ダン達は、第二騎士団内に設立された諜報機関である辺境特務機関(以降、特務機関)。その中において、情報収集が主な任務である特務諜報分隊に所属。特務機関の管理はカペラに一任しているので、彼等にとってカペラは直属の上司になる。ディアナは、第二騎士団での立ち位置は僕の護衛兼補佐官だ。

カペラの言葉に従った三人を見たディアナは、疲れた様子でため息を吐いた。

「どうして私の言うことは聞かないのに、カペラさんの言うことは聞くのでしょうか」

「え? だって、姐さんは優しいですもん」

「うんうん。さっきの拳骨げんこつも愛があったもんね」

「カペラさんの拳は冷たい。そう、まるで氷で冷えた鉄のように冷たく容赦ないのです」

三人は嬉しそうに目を細めるが、ディアナはやれやれと首を横に振っている。彼等の表情だけは、本当に可愛い美少年と言えるんだけどね。

カペラに目をやれば、彼は何も言わずに無表情のままだ。カペラは元レナルーテの暗部組織に属していたから、僕も知らない冷酷な部分があるのだろう。

ダン達はその点を『鉄のように冷たい』と評しているのだろうけど、ディアナは納得がいかないようだ。気持ちはわからないでもないけど、彼女が心優しいのは事実だし、第二騎士団の皆にとってのお姉さんのような存在だから甘えているだけだろう。

「さてと、そろそろ始めようか。いつも通りよろしくね」

僕が話頭を転じると、ダン達が顔を見合わせて頷いた。

「畏まりました。では、カペラさんに僕達は化けます」

ダン達はそう言うと、瞬く間にカペラと瓜二つの姿となった。

「では、参りましょう」

「うん、お願い」

側にいたカペラが彼等に近寄っていくと、僕は目を瞑る。

少しすると、「リッド様。よろしいですよ」とカペラの声が重なって聞こえてきた。

目をゆっくり開くと、正面には四人のカペラが同じ立ち姿、無表情でこちらを見つめている。何も知らないと、彼等が四つ子と思うだろう。

「よし、じゃあ行くよ」

深呼吸をして集中を高めると、『電界』を発動し、気配だけでなく魔力の違いを探っていく。

「……右から二人目のカペラが本物だね」

「お見事です」

カペラが会釈すると、すぐに他のカペラ達が元の姿に戻った。

「むぅ。さすがではありますが、見破られた僕達としては残念です」

ダンが頬を膨らませると、ザブとロウも同じ顔で頷いた。

「でも、これは君達が協力してくれたおかげだよ。ありがとう」

お礼を言われるとは思っていなかったらしく、三人は「え!?」と目を瞬いた。

「い、いえ。お役に立てれば幸いです」

彼等は嬉し恥ずかしそうに揃って頬を掻き始める。こうして見ると、根は案外素直な子達なんだよな。

今行っているのは、対象の気配を感じる魔法、『電界』の精度をより高めることで魔力による擬態を見破る訓練。つまり、『化け術』の対策というわけだ。

ダン達曰く、化け術とは全身を魔力で覆い、術者が頭の中で描いた想像通りに擬態する魔法らしい。術者と擬態する対象の体格差があればあるほど消費魔力は増加。想像力が弱いと中途半端となり、化け術は発動しても見た目は似ても似つかない。事実上、失敗してしまう。

だからこそ、魔法の成功精度を上げるため、ダン達は日々努力をしているそうだ。まぁ、その方法が全部正しいとは言えないと思うけど。

「リッド様。最初の頃と比べると、かなり精度が上がっておりますね」

側にいたディアナが、嬉しそうに微笑んだ。

彼女の言うとおり、最初は電界を発動しても全然違いが分からなくて悔しい思いをしたものだ。でも、やっていく内、魔力も人によって若干の違いがあることを感じられるようになった。コツさえ掴めば、後は反復練習あるのみ。

今では集中する時間さえあれば大体わかるようになったけど、実戦や現場で運用できるものじゃない。僕は軽く首を横に振った。

「ありがとう。でも、まだまださ。パッと見てすぐに分かるぐらいにならないとね」

そう言うと、ダンが不敵に笑った。

「そんなこと簡単にはさせませんよ。僕達だって、このまま黙って見破られ続けるわけにいきません。リッド様が感知できる理由を伺い、さらに『化け術』の精度を上げてご覧にいれましょう。この訓練には、そうした目的もありますからね」

「わかってるよ、ダン。『化け術』は使われると怖いけど、使う分には優秀な魔法だからね」

良い言い方をすれば、切磋琢磨せっさたくま。悪い言い方をすれば、いたちごっこ、と言ったところだろう。その後もダン達に協力を得て、僕は化け術を見破る訓練を行った。


化け術を見破る訓練が終わると、カペラとダン達は第二騎士団の宿舎に帰り、僕はディアナと一緒に馬車で本屋敷の帰途に就く。

父上が不在で本屋敷の管理を任されている関係上、最近は新屋敷よりも本屋敷で過ごすことが多くなっている。尤も執事のガルンがほとんどやってくれるから、特にすることはないけどね。

ファラとアスナも本屋敷の出入りを自由に許可されている。侍女であるダークエルフのダリアやジェシカ達。彼女達も、ファラと一緒であれば数名は出入り可能だ。

本屋敷には帝国やバルディアの重要な情報が保管もされており、人の出入りは厳重に管理されている。情報を守る危機管理の都合上、ファラがバルディアに嫁いでくるにあたり、新屋敷が新造建設された経緯もある。

僕やファラが本屋敷に泊まっても、新屋敷の管理はカペラ。清掃はメイド達がしてくれるから問題はない。時折、メルが新屋敷に泊まりに来ることもあるからね。

本屋敷に到着すると、あたりは夕闇に覆われつつあった。

「思ったより遅くなったなぁ。でも、夕食には間に合ったね」

懐中時計を確認すると、まだ少し時間がある。

「はい。まだ、少々時間があります故、さきに入浴をされてはいかがでしょうか」

「そうだね。結構、汗を掻いちゃったからそうするよ。ディアナも入って来て大丈夫だよ。夕食の時間には、食堂に行くからさ」

実は、彼女。お風呂、もとい温泉が大好きなんだよね。非番の日でも新屋敷、宿舎、本屋敷の温泉入浴許可を出した時は、目を輝かせていた。

僕の専属護衛で色々と気苦労を掛けているから、これぐらいの特権はディアナにあってもいいだろう。

「お心遣いありがとうございます。では、お言葉に甘えさせていただきます」

「うん。じゃあ、また後でね」

本屋敷に戻ると、僕はディアナと別れてすぐに温泉に向かった。

以前、クッキーが掘り当てた温泉は本屋敷、新屋敷、第二騎士団の宿舎、第一騎士団用とそれぞれに引いている。浴槽は少し小さめだけど、本屋敷で働く人達用の温泉も増設された。小さいとはいえ、温泉を楽しむには十分な大きさだ。おかげで、バルディア家に仕える人達はいつでも温泉が楽しめるようになっている。

温泉で一日の汚れと疲れを洗い落とすと、僕はその足で食堂に向かった。

「あれ、メルは?」

いつも食堂に一番乗りしているメルの姿が見当たらない。

「クリスティ商会の見送りから帰った後、体調が優れないと部屋でずっと横になられているそうです」

教えてくれたのは、先立って食堂に居たディアナだ。

「え、クリス達が出発したのは午前中だけど、ずっと部屋に籠もっているの」

目を丸くして聞き返すと、彼女は「はい」と顔を曇らせ頷いた。

「ダナエからの報告だと、診察のためサンドラ様を呼ぼうとしたそうなのですが、メルディ様が暫くすれば良くなると、頑なに止められたそうです」

「えぇ。それで、ダナエは」

メルがサンドラの診察を頑なに拒否した……確かに、サンドラには『狂気的』なところがあるけど、さすがにメルにそんな対応はしない、と思う。ダナエだって、それがわかっているから診察を依頼しようとしたはずだ。

「彼女はメルディ様の部屋の前で待機しております。今のところ、変わった様子はないそうなのですが、屋敷の皆で心配しているようです」

ディアナの顔は曇ったままだ。報告を受けたメルの言動、何か解せないな。

「わかった。食事の前に、メルの様子を見てくるよ。ディアナは、ここに居て。ファラが来たら、僕がメルの部屋にお見舞いに行っていると伝えてほしい」

「畏まりました」

僕は足早にメルの元へ向かった。

メルの部屋が見えてくると、扉の前に控えているダナエがこちらに気付いた。

「あ、リッド様」

彼女は畏まって頭を下げようとするが、「そのままでいいよ」と声を掛けて制止する。

「それよりディアナに聞いたけど、メルがずっと寝込んでいるって本当かい」

「はい。サンドラ様の診察を受けるよう勧めたのですが、少しすれば良くなると、頑なでして。いつもはこんなことないのですが……」

ダナエは心配そうに、扉を見つめた。部屋の中にいるメルが気がかりなのだろう。

それにしても、ディアナの報告通りか。その時、ふと脳裏に嫌な予感が走る。

「と、ところで、メルがサンドラに人体実……じゃない。研究に協力したとか、そんなことあったかな」

メルは僕同様、属性魔法の発動に必要な属性素質を全て持っている。加えて、魔法を教える先生は僕と同じサンドラだ。そんなことはしないと思うけど、何かの拍子にたがが外れる。そんなことも、万が一あるかもしれない。

「いえ、そのようなことはありません」

ダナエは首を横に振った。

「むしろ、魔法の授業は特に積極的です。ナナリー様のこともあり、サンドラ様のことはとても信頼されているご様子でした」

「あ、そうなの。じゃあ、僕の思い過ごしか」

そうだよね。魔法と研究がいくら大好きといっても、サンドラも人としての分別はわきまえているはずだ。疑ってごめんよ、サンドラ。

心の中で謝罪を述べて胸をなで下ろすと、ダナエがきょとんと目を瞬いた。

「思い過ごし、ですか」

「あ、ごめん。こっちの話。でも、サンドラのことを信頼しているなら、余計に解せないね」

「はい。まるで、いつものメルディ様じゃないみたいです」

彼女の一言で、脳裏に電流が走った。

「ねぇ。クッキーとビスケットは、メルと一緒にいたかな」

「あ、そういえば、今日はお昼から見ていませんね。多分、屋敷のどこかには居ると思うのですが……」

返事を聞くと、僕は「ごめん」と彼女を押しのけて扉を強く叩いた。

「メル、僕だ。入るよ」

「え、リッド様!?

驚くダナエを振り切り、ベッドに駆け寄ると、メルが隠れるように被っていた布団をはいだ。

「メル。ちょっと、ごめんよ」

「えぇ!? 兄様、どうしたの」

メルは目を丸くするが、僕は直ぐさま『電界』を発動して気配を探る。そして、愕然とした。彼女は、メルじゃない、スライムのビスケットだ。

「ビスケット、メルに化けてどういうつもりだい。メルは、本物のメルはどこにいる」

声を荒らげると、メルの姿をしたビスケットは「ひぇ!」と顔引きつらせて声を裏返す。でも、すぐにわたわたと両手を前に出し、誤魔化そうと笑い出した。

「あ、あははは。兄様、そんな、どうしたの。私は、どこからどう見ても私でしょ」

「ビスケット。僕はいま、怒りを抑えてる。でも、正直に言わないと本気で怒るよ。それに、襲撃事件以降、化け術の類いを見破るための訓練をしているんだ。この意味がわかるよね」

「う……」

メルの姿をしたまま、決まりの悪い顔を浮かべたビスケットは観念したらしく、ティアの姿に変わった。そして、ベッド上から飛び降りると、その勢いで土下座する。

「申し訳ございませんでしたぁ」

「えぇえええ!?

一部始終を見ていたダナエが、口元を手で押さえながら驚きの声を上げた。

「それより、メルはどこ」

「え、えっと、そのですね」

土下座から顔を上げたビスケットは往生際が悪く、目を泳がせている。その時、携持している受信機から帝都の父上に同行しているシルビアの声が発せられた。

「リッド様。ライナー様より緊急通信。緊急通信。至急応答願います」

こんな時に。全身から嫌な汗が出るのを感じながら、ビスケットをじろりと凄む。

「ちょっと待ってて」

「ははぁ」

彼女は畏まり、また床に頭を突っ伏した。

「こちら、リッド。シルビア、どうしたの」

急いで通信魔法を発動すると、受信機からすぐに返事が聞こえてきた。

「リッド様、ライナー様より緊急の言付けです。ラヴレス公爵家の親書は、偽物の可能性が極めて高い。急ぎクリスティ商会に連絡を取り、バルディア領へ引き返すよう指示を出せとのことです」

「な……」

耳を疑った。ラヴレス公爵家の書類は紋印のある紙であり、念のため筆跡も過去のものと照合して印章も間違いなく本物だったはずだ。

「ラヴレス公爵家の親書が偽物だって。どうしてそんな」

「リッド様。ライナー様が今は一刻を争う。理由は後で説明するから、まずはクリスティ商会に連絡をとのことです」

「わかった。すぐに、連絡する」

シルビアとの通信が終わったその時、ビスケットが血相を変えていた。

「リッド様。メルちゃんは、メルちゃんは黒猫さんとクリスさん達が運転する木炭車の荷台にいるはずです」

「やっぱりか」

メルは、ずっと帝都に行きたがっていた。

昨日、皆でお茶をした時、クリスティ商会の出発時間を聞いてきたのは荷台に忍び込んで帝都にいく算段を考えていたのだろう。

途中で気付かれても、クリス達ならメルを無下にはしない。帝都に着けば、怒られるだろうけど父上も居る。でも、それは何も問題が発生しなければの話だ。

急いで、通信魔法を最大出力で発動。クリス達に同行しているセルビアへ直通で発信する。

「こちら、リッド。セルビア、緊急事態だ。至急応答して」

「リッド様。こちら、セルビアです。如何されましたか」

すぐに受信機から彼女の声が発せられた。

「要点は二つ。一つは目、荷台にメルが忍び込んでいるはずだ。すぐに確認してほしい」

「えぇ、メルディ様が荷台にですか。すぐ木炭車を止めて確認します。少々お待ちください」

「いや、その前に二つめを聞いてほしい」

返事がこない。どうやら、木炭車を止めてメルを探し始めたようだ。

「セルビア、セルビア。応答して」

声を掛け続けると、「リッド様」と受信機から彼女の声が発せられた。

「メルディ様を無事に発見しました。荷台の奥でクッキーと一緒に寝ておられましたよ」

「良かった。でも、セルビア。最後まで話は聞いて。要点の二つ目は、ラヴレス公爵家の親書は偽物だった。これは罠かもしれない。クリスティ商会と一緒に、すぐバルディアへ引き返すんだ」

「わ、罠ですか。わかりました。すぐに、クリス様にもお伝えします」

「うん、ともかく急いで。何かあれば、何時でも構わない。僕かサルビアに直ぐ報告をするんだ。良いね」

「承知しました」

通信魔法が終わると、思わず深いため息を吐いた。

「リッド様……」

名前を呼ばれて振り返ると、ビスケットの顔が真っ青になっている。

「ごめん。先に父上に連絡を取らなきゃいけない」

そう言うと、再び通信魔法を発動する。

「こちら、リッド。シルビア、応答して」

「はい。こちら、帝都のシルビアです。リッド様。ライナー様より、クリスに連絡は取れたか、とのことです」

連絡が来るのを待っていたらしく、彼女はすぐに反応した。

「うん。だけど、こっちでも問題が起きたんだ。実は、メルが帝都に行こうと、クリス達が乗っている木炭車の荷台に忍び込んでいたみたい」

「メ、メルディ様がですか。え、あ、ちょ、ちょっと待ってください。あ、あわわ、ライナー様が、ライナー様が怒ってます。なんでそんなことになっているんだって、青筋立てて、眉間に皺を寄せながらめっちゃ怒ってます」

シルビアの戦慄した声が受信機から響いてきたその瞬間、父上が浮かべた鬼の形相が脳裏に浮かんだ。帝都から父上が帰ってきたらその顔を、僕も間近で拝むことになるだろう。

その後、彼女を介して父上と情報交換を行った。

ラヴレス公爵家の現当主アウグスト・ラヴレス公爵と父上が顔を合わせた際、クリスティ商会の件を話題に出すが話が全くかみ合わない。不審に思った父上は、バルディア領に届いた親書の件を含めて尋ねたらしい。

「そのような親書は送っておらんぞ。身に覚えがない」

アウグスト公爵はそう言って首を横に振ったそうだ。

父上は驚愕すると同時に、帝都でアウグスト公爵と今日まで会えなかったことに違和感を覚えたらしい。そして、以前から親書を送付。会談を申し込んでいたことを告げると、アウグスト公爵は「それも初耳だ」と目を丸くしたという。

会えなかった、ではない。父上とアウグスト公爵が今日まで会えないよう、何者かが親書を握り潰す画策していたのだろう。

こんな手の込んだことをする理由はただ一つ。バルディアからクリスティ商会、もっと正確に言えば、代表であるクリスを帝都におびき出すためとしか考えられない。

それが、父上の導き出した結論だった。

「……ライナー様からは以上です。最悪のことを想定し、明日にはバルディアに向けて帝都を立つとのことです」

「わかった。こっちも何かあれば、すぐに連絡するよ」

通信が終わると、僕は傍にあった椅子に力なく腰掛けて項垂れた。

なんてことだ。過去の親書と照らし合わせ、検品したラヴレス公爵家の親書が偽物とは想像もしていなかった。

類似品を何者かが製作したのか。いや、その可能性は低い。カペラが行った検品には僕も立ち会ったけど、過去の親書と今回の親書は、物も筆跡も全く同じだった。

ということは、ラヴレス公爵家が黒幕もしくは、『獅子身中の虫』。裏切り者か敵の工作員が公爵家の内部に潜り込んでいるということだろう。

「あの、リッド様。よろしいでしょうか」

ビスケットが恐縮しながら、恐る恐る声を発した。

「あぁ、ごめん。少し考え事をね。どうしたの」

「いえ、あの、本当に申し訳ございませんでした」

彼女は心底後悔した表情で、再び土下座した。

「ビスケット、顔を上げて。今回の件は、メルが言い出したことなんでしょ」

優しく聞き返すと、彼女はくしゃくしゃになった顔をあげた。

「そ、それはそうですが、私と黒猫さんが折れて協力しなければこんなことには……」

「ありがとう、ビスケット。メルを大事に思ってくれているんだね。その気持ちを大切にしてほしい。でも、今はそれより、君にしてもらいたいことがある」

「はえ?」

首を傾げる彼女を、真剣な眼差しで見つめる。

「ビスケット。君は事態が落ち着くまで、メルに変身。もう暫くこの部屋にいてほしい。下手な混乱は避けたいからね」

「わ、わかりました」

彼女の返事を聞くと、僕はダナエに振り向いた。

「ダナエ。混乱を避けるためにも、今の話は内密で他言無用だよ。メルは、体調不良で休んでいる。それで通すんだ。いいね」

メルが不在の事実は、此処に居る僕達と父上達しか知らないことだ。今の状況で屋敷の皆に伝えれば、無意味な混乱を招くことになる。ただ、本屋敷の執事を任されているガルンには伝えておくべきだろう。

「承知しました。ですが、その、ナナリー様には如何しましょう」

ダナエが心配そうな面持ちを浮かべる。

「母上には、僕と父上で話し合って伝える時期を決めるよ。それに、メル達が無事に帰ってくれば済む話だからね」

「畏まりました」

ダナエとビスケットが揃って頭を下げたその時、切羽詰まったセルビアの声が受信機から発せられた。

「リッド様、敵襲です。応答、至急応答願います」

部屋が緊張に包まれ、僕はすぐさま通信魔法を発動する。

「セルビア、どうしたの」

「リッド様、襲撃です。所属不明の敵に襲撃されました」

「な……!?

「今、クリス様やエマさんが防戦しています。多分、工房の襲撃犯と同じ奴らかと。至急、応援を……きゃああああああ!?

「セルビア!? どうしたの、セルビア」

悲鳴が受信機から聞こえ、こちらから声を掛け続けるが返答はない。

恐れていたことが、現実となった。最初にセルビアと通信した時、メルを探すため、クリス達は木炭車を止めたはずだ。おそらく、そこを襲撃されたのだろう。

僕の中に凄まじい怒りと後悔。様々な感情が駆け巡り、やがて何かが切れた。すると、自分でも驚く程に頭が冴えていき、すべきことが明確になっていく。

ガルンと情報共有をして、宿舎にいるカペラに指示を出す。父上は、連絡しても帝都にいて動けない。第二騎士団の宿舎に着いてから連携を取るため、改めて連絡をすれば良い。

いや、それよりもまずは……。

「り、リッド様、大丈夫ですか」

考えを巡らせている中、聞こえてきたダナエの声に「うん」と頷いた。

「二人は、さっき僕が言った通りにお願い。後は、こっちで対処する。わかったね」

「は、はい」

ダナエとビスケットに微笑みかけると、メルの部屋を後にした。

グランドーク家、本当に度し難い奴らだ。

平静を装い、普段通りの足取りで廊下を進みながら通信魔法を発動。情報局のサルビアを介してカペラにクリスティ商会の馬車が襲撃されたこと伝え、至急第二騎士団による救援部隊の編成指示を出した。

食堂に着くと、ファラが席に着いていた。どうやら、僕とメルを待ってくれていたらしい。でも、彼女と話す前に先にすべきことがある。

「ディアナ。悪いけど、今すぐガルンを執務室に呼んできてほしい」

「畏まりました」

控えていた彼女は会釈して食堂を後にする。

「ファラ、ごめん。君も執務室に来てくれないかな。少し大事な話があるんだ」

「わかりました」

本来、執務室は父上が使う部屋だけど、今は不在なので僕とガルンだけが出入りを許されている。僕と一緒に執務室にやってきたファラとアスナは、心配そうに僕を見つめた。

「あの、リッド様。何かありましたか」

「姫様の仰せの通りです。何だか、とても怒っておられるようにお見受けしますが」

「うん、そうだね。でも、その理由は、ガルンとディアナがやって来たら話すよ」

そう答えた時、扉が丁寧に叩かれた。

「リッド様、ガルンです。ディアナと一緒に参りましたが、入ってもよろしいでしょうか」

「うん。二人とも、入ってきて」

二人が入室して扉が閉まると、僕は口火を切った。

「帝都に向かったクリス達が襲撃された」

「……!?

「そ、そんな!?

皆が目を丸くするが、僕は淡々と続ける。

「襲撃犯は、前回と同じでグランドーク家の息のかかった奴らだろう。現地のセルビアから、通信魔法で報告があったから間違いない。そして、クリス達の荷台には、帝都に行こうとしたメルも忍び込んでいた」

驚愕の事実が続くことで、皆は唖然としている。

「よって、これよりバルディアはグランドーク家を仮想敵国とし、クリス達とメルの救出作戦を開始する」

この一件で、グランドーク家とバルディア家の敵対は決定的となった。

まさか、ラヴレス公爵家を巻き込む……帝国を敵に回すようなことまでして、クリスティ商会を狙ってくるとはね。いいだろう、そこまでするなら、こちらもそれ相応の対応をするまでだ。もう、謝っても絶対に許さない。