父上は正面を向いたままに呟くと、帯剣の抜剣をして眼前迫る黒炎を斬撃によって薙ぎ払った。その瞬間、雷鳴が轟いて暴風が吹き荒れる。

気づけば、父上が普段まとめている後ろ髪がはだけていた。以前、身体属性強化・烈火を教えてくれた時と同じ姿だ。でも、あの時とは雰囲気は全く違う。背中からも殺気が溢れており、怖くても優しい父上ではなかった。

「ほう。加減したとはいえ、黒炎を一刀で相殺そうさいするとはな。さすがは、帝国の剣と称されるライナー殿だ。しかし、これはどういうつもりかな」

エルバの問い掛けに答えず納剣した父上は、殺気あふれるままに眼光を光らせた。

「貴殿が言ったことだろう。『傷一つでも付ければ、私闘の件は不問にして引き下がる』とな」

父上はそう言うと、エルバの腕を指差した。

「貴殿の両腕を見れば一目瞭然だろう。この立ち会い、リッドが放った先程の一撃で勝負は付いた」

その指摘でハッとする。エルバが獣化している時はわからなかったけど、確かによく見ると彼の両腕から少し血が出ていた。

「傷を負った貴殿の『負け』だ。約束通り、引いてもらうぞ。もし、約束を反故にするのであれば、私が相手になろう」

父上は帯剣の柄を握り凄むと、再びエルバを睨み付ける。彼は自身の両腕をゆっくり見つめ、「なるほど」と頷いた。

「ライナー殿の言うとおりだ。どうやら、熱くなり過ぎたらしい。この立ち会い、リッド殿の勝ちだな」

エルバは口元を緩めると、背中を見せて歩き始めた。

「マルバス、引き上げるぞ」

「は、はい」

エルバは慌てるマルバスを従え、楽しそうに笑いながら訓練場を後にする。

彼等の姿を見つめながら後ろ髪を元に戻した父上は、「悪漢あっかんどもが……」と吐き捨てた。

「リッド。私は、奴らを一応の礼儀と監視を兼ね見送ってくる。お前は此処で休んでいろ」

「いえ、僕も行きます。あいつら、何をするかわかりませんから」

「そうか。だが、無理はするなよ」

僕は乱れた身嗜みだしなみを軽く整えると、父上と一緒に彼等の後を追いかけた。

馬車の前に到着すると、エルバは僕達を見回して口元を緩める。

「言っただろう。大人しく引き上げるとな。では、ライナー殿、リッド殿。いずれ、また会う機会もあるだろう。その時を楽しみにしている。いくぞ、マルバス」

「それでは、失礼します」

エルバとマルバスが馬車に乗り込むと、バルディア騎士団のダイナスがこちらにやって来た。

「ライナー様。それでは、彼等を国境地点まで送り届けて参ります」

「うむ。警戒を怠るなよ」

「畏まりました」

ダイナスがいつになく真剣な表情で頷くと、エルバ達を乗せた馬車がバルディア騎士団の先導のもとに出発する。

来た時は、『来賓に失礼の無いように』という畏まった雰囲気に包まれていた。だけど、今は全く違った『脅威を監視する』という緊張感がある。

僕と父上は、エルバ達が乗った馬車が遠目に見えなくなるまで、警戒を解くことはなかった。完全に馬車が見えなくなると、父上は小さく息を吐いた。

「リッド、体は本当に大丈夫か」

「はい。魔力消費はかなりありましたけど、最後は父上が守ってくれましたから」

元気よく体を動かすと、父上は僕の頭の上に優しく手を置いた。

「そうか。なら、良かった。悪漢相手に頑張ったな、格好かっこう良かったぞ」

「は、はい。ありがとうございます」

急に褒められて、顔が少し熱くなった。照れ隠しに頬を掻いていると、父上の表情が厳しくなる。

「しかし、難しい会談になるとは思っていたが、グランドーク家がここまで強硬姿勢をとるとはな」

「そうですね。全く、譲歩するつもりが無かったように思えます。あのような言動から察するに、会談の目的はバルディア家との敵対を明確にすることだったのでしょうか」

エルバ達の傍若無人な振る舞いに、改めて怒りがこみ上げてくる。でも、同時に『敵対』の先に起こりえることが脳裏を過って不安を覚えた。

「おそらくな。だが、これ以上は立ち話で語ることではない。屋敷に戻り、今後のことを練るとしよう」

「承知しました」

父上と屋敷に戻ると、パタパタと可愛らしい足跡が聞こえてくる。その足音の主は、僕を視界に捕らえると勢いよく飛び込んできた。

「兄様!」

「おっと!?

両腕で抱きかかえるように彼女を受け止めると、勢いを無くすためにその場でくるりと一回転する。

「メル、どうしたの」

「えへへ。兄様。とっても格好良かったよ」

「えっと、どういうこと」

意味を測りかねていると、メルは僕から離れて父上にも抱きついた。

「勿論、父上も格好良かった」

「う、うむ」

嬉しそうに頷いているけど、父上も言葉の意図がわからないらしい。二人揃って首を傾げていると、再び足音が聞こえてきた。

「リッド様」

「ファラ。それに皆も揃ってどうしたの?」

声のした方に振り向くと、そこに居たのはファラだけでない。アスナやダナエを始めとした屋敷の皆がやってきた。皆が集まると、何故か心配顔のファラが一歩前に出て僕を抱きしめた。

「ど、どうしたの」

「訓練場での立ち会い。皆で見守っておりました。ご無事で何よりでございます」

「あ……」

彼女の言葉で全てを察した。

本屋敷の一部の窓からは訓練場の動きが遠巻きに見える。突然、エルバとの立ち会いが行われたのだ。会談に参加していなければ、何事かと思ったことだろう。

「ごめん。心配かけたね」

小声で謝ると、ファラは「いいえ」と首を横に振った。

「リッド様が謝ることではございません。ある程度の経緯は伺っております。これは、私の『我が儘』です」

彼女は幼くても元王族だ。

『国、領地、領民を守るため命を賭す』ことが、貴族の役割であることを理解しているのだろう。

「そっか。ありがとう」

彼女の背中を優しく叩いたその時、わざとらしい父上の咳払いが聞こえた。

「リッド。そろそろ、執務室に行きたいのだが」

ファラと二人してハッとすると、慌てて離れた。

「は、はい」

「も、申し訳ありません。御父様」

顔を赤くして二人揃って頭を下げると、父上はニヤリと笑う。

「まぁ、お前達が仲睦まじいことは良いことだろう。私は先に部屋に行っているぞ」

父上は、メルの頭を撫でてから執務室に向けて歩き始める。

「はい、直ぐに僕も行きます」

返事をすると、ファラに振り返った。

「じゃあ、また後でね」

「はい。あ、それからこれをお持ちしました」

彼女は頷きながら、自身の懐に手を入れて『ある物』を取り出した。見覚えのあるそれを見て、僕はギョッとする。

「それは、例の『原液』だね」

勿論、魔力回復薬の原液である。

彼女は満面の笑みで「はい」と頷いた。

「訓練場で凄い魔法を放っていましたからね。この後も打ち合わせをされるのでしょう。でしたら、これは必須です」

差し入れで栄養ドリンクを渡すようなノリである。

彼女が言っていることは正しいけど、あれは激烈にまずいのだ。可能なら後で飲みたい気もするけど、ファラの気持ちは無下にはできない。

「ありがとう。いただくよ」

「どうぞ、お召し上がりください」

彼女から『原液』を受け取ると、覚悟を決めて一気に飲み干した。屋敷の皆がいる手前、あまり情けない姿は見せられない。

「ふぅ。ありがとう。じゃあ、行ってくるよ」

飲み干した空き瓶を渡すと、ファラは目を細めて頷いた。

「はい。いってらっしゃいませ」

気合いで爽やかにこの場にいる皆に微笑みかけると、父上の後を急いで追いかける。その後、執務室に辿り着いた僕は水をがぶ飲みするのであった。

帝国に属するバルディア家と獣王国に属するグランドーク家。

両家両国の領地が接する国境地点には、バルディア家が築いた『砦』があった。砦の前後には高原が広がっているが、左右どちらかに進むと深い森と大中小様々な丘に囲まれている。

少し離れた小高い場所から見れば、深い森で鬱蒼うっそうとした丘の隙間に『砦』があるように見えるという。両家両国の国境地点という位置も相まって、この砦は『狭間砦』と呼ばれていた。

日が沈み始めたある日の午後。狭間砦に、バルディア騎士団に囲まれた大型の馬車がやってきた。遠目では、馬車を騎士団が護衛しているように見える。しかし、間近で見れば、騎士達が馬車に対して殺気立っていることがわかるだろう。

一団は狭間砦の中に入ると進行を止め、騎士の一人が馬車に近づき扉を丁寧に叩いた。

「エルバ殿、マルバス殿。この先は貴殿達、狐人族の領地となります故、我等はここまでとなります」

「そうですか。それは、ご苦労様でした」

車内にいるマルバスが淡々と頷いたその時、エルバが騎士を見て、眉をピクリとさせた。

「お前の名は何という」

「クロスと申します」

エルバは「ふむ」と頷いた。

「どこかで聞いた名だな」

「エルバ殿。おそれながら、よくある名前だからでしょう」

クロスが答えると、エルバは肩を竦めて鼻を鳴らした。

「そうかもしれんな。では、バルディア家の方々によろしく言っておいてくれ」

「畏まりました」

どの口が。という言葉を飲み込み、クロスは一礼する。

程なく、エルバ達が乗った馬車は動き出して狭間砦を後にした。馬車が狐人族の領地に入ると、車内にいたエルバはマルバスの顔を見て笑い出す。

「不満そうだな」

マルバスは口を尖らせ、興奮気味に両手を広げた。

「当然でしょう。形式上とはいえ、兄上があのような子供に負けたことをお認めになったのです。それに伴い、造反残党ぞうはんざんとうの処分は有耶無耶うやむやとなりました。これでは、尻尾を巻いて帰ったようではありませんか」

「そう言うな。揉めることは最初からわかっていたことだろう。ライナーが出てきた以上、引き時だった。今はまだ、その時ではなかったからな」

「兄上は、楽しそうですね」

「ふふ、そう見えるか」

「やはり、あの子供。リッド・バルディアがお気に召したのですか」

「まぁ、そんなところだな」

エルバは、自身の両腕にある傷に目をやった。

「さすが、ラファが目を付けたことだけはある。将来が楽しみだ。しかし、それ故に残念だがな」

「残念、ですか。それはどういう意味でしょう」

「十年だ」

「はぁ、十年ですか」

マルバスが首を傾げると、エルバは口元を緩めた。

「あと、十年。それだけの時間があれば、リッドは俺に近い力を得られたかもしれん。今から潰すとなれば、味気なくてつまらん。それが残念なのさ」

「なるほど。さすがは兄上です」

エルバの答えに合点がいき満足したらしく、マルバスの表情に笑みが浮かんだ。しかし、すぐにハッとして彼の顔が再び曇った。

「兄上。ところで、ライナー・バルディアはどう見ておられるのですか」

「あぁ、そうだな」

ライナーと睨み合った時のことを思案すると、エルバはゆっくりと口を開いた。

「おそらく、グレアス以上は強かろう。だが、俺よりは弱い。と言ったところだな」

「おぉ……」

感嘆の声をマルバスが漏らすと、「それに……」とエルバは続けた。

「いざとなれば、親父殿やお前達と共闘すれば良い。そうすれば、ライナーは確実に仕留められるはずだ」

「畏まりました。その時は、万全の用意をいたしましょう」

マルバスが笑みを溢して会釈すると、エルバは目を細めた。

「さて、これから忙しくなるぞ」

「えぇ、承知しております。次は、挑発ですね」

確認するようにマルバスが聞き返すと、エルバは「そうだ」と頷いた。

「我等がこれまでに築いた人脈を生かし、バルディア家が孤立するよう徹底的に挑発する。勿論、『ローブ』を通じて、『あの男』にも我等のために動いてもらうとしよう」

エルバはそう言うと、馬車の窓から遠くを見つめて喉を鳴らした。

「さぁ、これからが本番だ」

二人の会話が終わるのとほぼ同時刻。完全に日は沈み、辺りは夜の闇に包まれていった。

この日、バルディア家とグランドーク家で行われた会談は決裂という結果に終わる。そして、決裂したという事実は様々なところに波紋を起こし、うねりを生み出すことになった。