二人の護衛として控える狐人族の戦士達は、マルバスと身長があまり変わらない。エルバが特別に大柄なのかもしれない。
「マグノリア帝国、バルディア領にようこそ」
父上がエルバの前に一歩踏み出し、右手を差し出した。
「私がこの領地を治める辺境伯、ライナー・バルディアです。貴殿がエルバ・グランドーク殿とお見受けするが、お間違いないかな」
「あぁ、そうだ。今回は突然な訪問の申し出にも拘わらず、丁重な出迎えに感謝する。改めて、エルバ・グランドークだ」
意外なことに、エルバは父上の差し出した手を丁寧に握り返している。エルバが自身の隣に視線を向けると、青年が頷いて右手を父上に向かって差し出した。
「私は、マルバス・グランドークです。以後、お見知りおきを」
「こちらこそ」
父上とエルバ達のやり取りは一見すると、雰囲気が良くて仲が良さげだ。でも、互いに目が笑っておらず、どことなく空気が張り詰めている。腹の探り合いはすでに始まっており、挨拶は社交辞令なのだろう。
「それで、こちらの少年がライナー殿のご子息殿ですかな」
エルバが僕にふいに視線を移し、にやりと口元を緩める。彼が浮かべた笑みに嫌なものを感じつつ、僕は一歩前に出て右手を差し出した。
「はい。リッド・バルディアと申します。グランドーク家の皆様にご挨拶できること、嬉しく存じます」
「ほう、年齢の割にしっかりしているようだ。私の姿に怯えるわけでもなく、こうして手を差し出すとはな」
エルバはそう言って、こちらが差し出した手を握った。彼の手はとても大きく、まるで赤ん坊と大人が握手をしているようだ。次いで、マルバスとも握手を行うと父上が咳払いをした。
「では、そろそろ部屋に移動しましょう。互いに話したいことは多くあるでしょうからな」
「ふふ、確かにそうですな」
エルバは不敵に笑いながら頷いた。
彼の表情には先程同様、何か嫌なものを感じる。相手の気配を察知できる魔法、『電界』を通じても彼等から良い印象は受けない。この二人、やはり良からぬことを考えてきたのだろう。直接対面したことで何かしらの悪意を確信した僕は、表情に出さないよう密かに警戒心を強めていた。
◇
彼等を父上自ら貴賓室に案内すると、エルバ達と机を挟んで向き合うように席に着いた。僕達が腰掛けた席の後ろには騎士団長ダイナス、副団長クロスの他、ルーベンスやディアナも控えていた。
エルバとマルバスの後ろには狐人族の戦士達が並んでおり、貴賓室は異様な緊張感が漂い始めていたその時、貴賓室の扉が叩かれる。
父上が返事をすると、執事のガルンがメイド長のマリエッタと副メイド長のフラウと一緒に紅茶とお茶菓子を持ってきた。
緊張感漂う室内の中、ガルン達は一切の粗相なく紅茶と茶菓子を机に並べ、一礼して静かに部屋を後にする。
「さすがはバルディア家に仕える執事とメイド。見事な所作だったな。我が家にもあのような者達が欲しいものだ。なぁ、マルバス」
彼等の姿を見ていたエルバが、ゆっくりと口火を切った。
「はい。それに、この紅茶や茶菓子。どれも一級品の物ですね。丁重な扱い、痛み入ります。ライナー殿」
「いえいえ。獣人国のグランドーク家は、我がバルディア家と領地を接する隣人です。最大限の礼をもって接するのは当然でしょう」
含みのある言い方で父上が答えると、エルバはふっと鼻を鳴らした。
「なるほど。では、そろそろ本題に移らせてもらおう。我等が送った親書。あちらはすでに目を通していると思うが、貴殿達の返答は如何なるものか、尋ねに来た次第だ」
瞳に
「任せよう」
「ありがとうございます、父上」
目を細めて頷くと、エルバとマルバスを見据えて咳払いをする。
「勿論、頂いた親書は目を通しております。しかし、グランドーク家の皆様は何か誤解をしている。そう考え、この場を用意した次第です」
眉をピクリとさせたエルバは「ほう」と相槌を打ち、背中をソファーに深く預けた。
「ならば、我等が何をどう誤解しているというのか。リッド殿の意見を聞かせてもらおう」
「では、まずお二人にこちらの資料に目を通して頂きたいと存じます」
挑戦的で威圧的な物言いのエルバに、少し苛立ちを覚えるけど、感情的になれば交渉は負けだ。自分にそう言い聞かせながら、予め用意していた資料を彼等に配る。
「これから行う説明にあたっては関係者も呼んでいます。二人とも、入ってきて」
貴賓室の扉が丁寧に開かれ、二人の女性が入室する。彼女達は僕の側に来ると、エルバとマルバスに向かって一礼した。
「エルバ様、マルバス様。初めてお目にかかります。私はクリスティ商会の代表、クリスティ・サフロンと申します」
「同じく、クリスティ商会でクリスティ様の補佐をしております、エマと申します」
彼女達が顔を上げると、僕はエルバとマルバスに説明を始める。
襲撃事件後、グランドーク家に父上が送付した親書は、大まかにまとめると四点の内容に分けられる。
『一つ目、狐人族で構成された所属不明の集団により、バルディア領内の工房を襲撃されたこと。
二つ目、襲撃犯の一団がバルディア領の国境を越え、狐人族の領地に逃走したこと。
三つ目、今回の襲撃による工房の被害は少なく、襲撃犯達によって拉致された技術者はバルディア騎士団の対応で奪還できたこと。
四つ目、前述の通り、狐人族で構成された集団によるバルディア領の襲撃に加え、犯人達がバルディア領の技術者拉致を企て狐人族の領地に逃走しようとした事実。
以上を踏まえれば、グランドーク家とバルディア家だけの問題に止まらず、獣人国ズベーラとマグノリア帝国の関係悪化に繋がりかねない重大な事案である。従って、バルディア家として襲撃事件の全容解明にグランドーク家の全面的な協力を求む』
まぁ、こんな感じだ。でも、残念ながら彼等の返事は敵対的に近いものだった。
『バルディア領で起きた工房襲撃事件について、まずは心よりお見舞い申し上げよう。
しかし、我等狐人族に犯人がいるという決めつけは甚だ遺憾である。グランドーク家として、そのような者達が領内に逃げ込んだという情報はなく、襲撃事件の全容解明に協力できるようなことはない。
証拠もなく両家両国の関係悪化という物言いは、ある種の脅しや挑発とも取れる発言であり大変軽率だ。付け加えるなら近年、獣人国内の各所において子供の行方不明者が多数出ており、その子供達の所在がマグノリア帝国のバルディア領という情報がある。
事実であれば、これこそが両家両国の関係を悪化させる原因となるだろう。従って、バルディア家は速やかなる情報開示。もしくは、当家との会談に応じるべきである』
グランドーク家はこちらの言い分を一切認めず脅しや挑発と受け取り、むしろバルディア家が保護した獣人族の子達が両家両国の関係悪化になり得ると主張してきたのである。
僕と父上は、憤りをさすがに覚えたけど、政治と交渉は感情的になれば負けだ。だからこそ、あえて彼等をバルディア領に招いて会談の場を設けた。勿論、勝算を持った上だ。
バルスト経由で獣人族の子供達を購入する際、今回のような因縁を付けられることは想定している。クリスティ商会のクリス達は、そのために獣人族の子達を購入した正当性を主張できる経緯と資料を準備していた。
経緯はこうだ。クリスティ商会でクリスを支える猫人族のエマ。彼女がバルストで獣人族の子供達が奴隷として販売される情報を得たことが『切っ掛け』だ。
同族の奴隷販売に胸を痛めたエマは、自身が所属する商会の代表のクリスこと、クリスティ・サフロンに「何とかできないだろうか」と助力を求める。
クリスはバルディア家から人員募集の相談を受けていたことを思い出し、「依頼されていた人員募集と奴隷販売を絡めることで、獣人族の子達を救えないか」と考えた。
しかし、マグノリア帝国では奴隷は禁止されていることから、クリスは一計を案じた。手始めにバルストで奴隷販売された獣人族の子供達を、クリスティ商会でまとめて購入。次いで、『保護』という名目で子供達をバルディア家が身分を保障、領民として受け入れる。
奴隷購入に掛かった費用は元々依頼していた『人員募集』の報酬として、バルディア家がクリスティ商会に支払う。そして、『保護』に掛かった費用をバルディア家は頭数で平等に分配、子供達に貸し付けた。
ちなみに貸し付けた金額の中には、子供達の今後に必要な教育に掛かる費用も含まれている。つまり、表向きはクリスティ商会が今回のことを立案。バルディア家が『人道支援』として協力したというわけだ。
本当の立案者は僕と父上だけど、対外的には当分伏せておく。今回、用意した『資料』には、クリスティ商会がバルストと行った奴隷売買のやり取りが記載されている。取り引き全てが、各国の法律に沿った合法的なものであることを証明する資料というわけだ。
クリス、エマ、僕の三人は、前もって用意していた経緯と資料を用いて丁寧に説明をしていくけど、狐人族のエルバとマルバスの反応はあまり良くない。
「……以上の点から、当家では獣人族の子達を『奴隷』として扱っておりません」
僕が大体の説明を終えると、隣で補佐をしてくれたクリスが頷いた。
「恐れながら申し上げますと、子供達を引き渡した後、私は彼等の様子を時折確認しております。その際、子供達はいつも生き生きした表情を浮かべておりました」
「クリス様の仰せの通りです。同じ獣人族である私は、彼等と話すことも多々ありました。でも、皆揃ってバルディア領に来れて良かったと言っています」
「ほう」
エマが訴えかけるように補足すると、エルバが相槌を打った。
猫人族である彼女の言葉が少しは響いたのだろうか。そんな相手ではないと分かってはいるけど、淡い期待を胸に抱いて再び口火を切る。
「クリスティ商会を通じ、子供達を各国の法律に従い『保護』した後、第二騎士団で働いてもらっているのは事実です。しかし、それはあくまで人道的支援の延長です。従いまして、グランドーク家の皆様が危惧しているようなことはありません。両国と両家の関係を考えれば、お伝えした『襲撃事件』の全容解明にご協力いただきたく存じます」
説明を黙って聞いていたエルバとマルバス。ふいにマルバスが手元の資料から視線を上げた。
「ライナー殿も同様のお考えでしょうか」
「無論だ。リッドやクリス達が今申し上げたように、当家は獣人族の子達を保護して領民としたまでのこと。貴殿達が危惧するようなことはありませんな」
「なるほど。そちらの主張は理解しました。兄上、如何でしょう」
マルバスに尋ねられ、エルバは不敵に笑って鼻を鳴らした。
「ふん、話にならんな。今の説明に加えこの資料、どちらも都合良くまとめられたものに過ぎん。保護、人道支援、領民として受け入れた。どう言い繕っても、バルディア家が獣人国で行方不明者となった子供達を働かせているという事実に変わりはない。そもそも、借金の
エルバは不敵に口元を歪め、手に持っていた資料を机の上に放り投げた。彼の仕草はあまりに挑発的であり、室内の空気が痛いほどに張り詰める。
「……エルバ殿。
眉間に皺を寄せて父上が凄むけど、彼は涼しい顔を浮かべている。
「そうか、それは失礼した。だが、送付した親書にも記載があったはずだ。我等狐人族の中に襲撃犯が潜り込んでいると、先にあらぬ疑いをかけたのはそちらであろう。これでお互い様というわけだ」
「ほう……」
父上が含みのある相槌を打つと、エルバは肩を竦めておどけた。
「まぁ、何にしてもだ。こちらの主張は先に述べた通りで変わらない。従って、バルディア家で保護されている子供達は即刻全員、こちらに引き渡してもらおう」
「失礼ながら、資料を通じて当家に落ち度がないことは先程ご説明したはずです。そのような申し出、到底受け入れることはできません」
感情を抑えて僕が言い返すと、マルバスが資料を片手にして口元を緩めた。
「それこそ、可笑しなお話でしょう。リッド殿は、この資料で我が国の行方不明者を『保護』した、と仰いましたね」
「えぇ、そうです。それがどうかされましたか」
聞き返すと、彼はしたり顔を浮かべる。
「でしたら、行方不明だった子供達は親や親類が居る
「マルバス殿、我が父が言動に気をつけるように指摘されたこと、もうお忘れですか」
「いえいえ、そのようなことはありません。ただ、事実を述べただけのことです」
「そうですか。ならば、こちらも言わせていただきましょう」
エルバとマルバスの悪意ある挑発に乗らぬよう冷静に、でも、明確な怒りを持って切り出した。
「私達は、保護した獣人族の子供達の口から直接聞きました。どのようにして、故郷から奴隷として売りに出されたのか。経緯の全てをです」
怒気を込めて語尾を強めると、エルバは楽しそうに頷いた。
「それは興味深い。是非、聞かせてもらおう」
「彼等のほとんどは『金』、『口減らし』、『役に立たない』という理由で、各部族の貧しい村から奴隷に出されたと言っています。他にも、部族長に従う豪族の指示もあったと聞きました。そのような状況で国から見捨てられた彼等に、帰るべき故郷が貴国にあるとは思えません。だからこそ、彼等は自分達の意思でバルディアの民となったのです。従いまして、彼等を貴殿達に引き渡す道理はありません」
そう告げると、エルバは父上に目を向けた。
「リッド殿はこう言っているが、これについてもライナー殿は同様のお考えかな」
「あぁ、そうだ。彼等の言葉は私も直接耳にしていることだからな。息子の言葉に
「ふむ、なるほどな」
エルバは何やら思案するように俯くが、程なく肩を小刻みに震わせる。僕達が訝しんでいると、彼は顔を上げるなり豪快に笑い出した。
「まさか、奴隷落ちした年端もいかない子供の言うことを真に受けたというのか。これは面白い。そもそも、子供の言うことなぞ大人の指示でどうとでも変わるものだ。それを、我等に信じろとは片腹痛い。もう少しまともな言い訳がほしいものだ」
あまりに傍若無人な彼の言動に、いい加減に堪忍袋の緒が切れそうだ。父上とクリスも黙っているけど、顔を顰めている。怒りをぐっと堪え、彼を凄む。
「ここは会談の場です。今の言動はあまりにも無礼でしょう。それに、私も奴隷の彼等と年齢は変わりません。私の言葉にも真実はないと仰りたいのですか」
言葉の揚げ足を取るようだけど、彼の発言はそういう意味にも繋がることは間違いではない。
「気に障ったならお詫びしよう。だが、リッド殿はバルディア家の嫡男。奴隷の子供達とは『立場』が違う故、貴殿の言葉が全て嘘であるとは考えておらん。それに……」
エルバはもったいぶると、口元を不敵に緩めた。
「仮に子供達の言ったことが事実としても、会談には関係の無いことだ。行方不明であった獣人族の子供達を元の国に帰還させること、その事実が両家両国の関係において重要であろう。国に帰った後の子供達に居場所があるかどうかなど、我等の知ったことではない」
「な……!?」
僕を含め、この場にいる皆が目を瞬いた。だけど、父上だけは冷静に身を乗り出し、エルバを真っ直ぐに見据える。
「平和的な解決を望み、我等が黙って聞いていれば随分な物言いをするものだ。ならば、こちらもはっきり言ってやろう。保護した獣人族の子供達は、我等バルディア領の民だ。従って、貴殿達の申し出を受けることはできん……これ以上の会談は無意味だろう。即刻、この場からお帰り願おうか」
「そうか。では、そうさせてもらおう」
「帰国後、部族長のガレス殿に伝えるが良い。バルディア家は、領民をむざむざ渡す真似はせん。そして、お前達の言動を決して許しはせぬとな」
父上が毅然とした態度を示すが、エルバは動じることなく頷いた。
「わかった。その言葉、そっくりそのまま伝えよう。だが、一つだけ忠告しておこう。ズベーラ国内には、同胞の奴隷を救わんとする過激派が一部存在する。今後、そういった輩にバルディア領は狙われるやもしれん。せいぜい、気をつけることだな」
彼は、ゆっくりと立ち上がった。
「帰るとしよう、マルバス。会談は決裂だ」
「畏まりました、兄上」
こうして、会談は終わりを告げる。
親書の時からある程度の予想は付いていたけど、想像以上に敵対的かつ挑発的な言動が多かった。むしろ、敵対したいと言わんばかりである。結局、この会談におけるエルバとマルバスの目的は何だったのだろうか。
一応の礼儀で彼等を外の馬車まで見送りに外に出たその道中、第二騎士団の制服に身を包んだ狐人族の女の子と男の子の姿が視界に入る。二人は僕のよく見知った顔だったから、慌てて彼等に駆け寄った。
「ラガード、ノワール。こんなところでどうしたの」
訝しむように尋ねると、二人は思い詰めたような顔つきで頭を深く下げた。
「リッド様、御恩を仇でお返しすること、どうかお許しください」
「俺もです。お許しください」
「えっと、どういうことかな」
突然の言動に困惑していると、二人は顔を上げるなりエルバの前に足を進めた。
「私の名は、ノワール」
「俺の名は、ラガード」
名乗りを上げると、ノワールはエルバを睨み付ける。
「エルバ・グランドーク。亡きグレアス様の仇、今ここで私たちは決闘を申し込みます。言っておきますが、これは私闘。従って、バルディア家の皆様は関係ありません」
「な……!?」
この場にいる皆が目を丸くした。
二人がここ居ること自体、予定に全くにないことだ。その上、決闘を申し込むなんて、そんな馬鹿な話は誰からも何も聞いていない。
一方のエルバは何かを察したらしく、「ほう」と相槌を打ってノワールを見据えた。
「
「いきます」
「ちょっと待った」
ノワールとラガードが構えた瞬間、僕は二人とエルバの間に割って入った。
「二人とも、冷静になれ。どんな事情があるにしろ、君達はバルディア家に仕える騎士団の一員なんだ。『私闘』だなんて、僕は認めない」
「リッド様。この男、エルバだけは許しておけないのです。どうか、止めないでください」
「リッド様、どいてください」
「駄目だ。君達がどう言おうと、ここで争えばバルディア家とグランドーク家の問題になる。それがわからないのか」
興奮している彼等を抑えるため、声を荒らげた。
「ぐ……!?」
二人はエルバを睨みながら歯を食いしばっているけど、構えは解いた。
少しは落ち着いてくれたらしい。僕は深呼吸をすると、後ろに振り向いた。
「エルバ殿。どのような事情があるかは存じ上げません。しかし、私に仕える騎士が無礼を働いたこと、お詫びいたします。申し訳ありませんでした」
「リッド様!?」
「そんな!?」
深々と頭を下げると、ノワールとラガードの驚愕した声が聞こえる。
会談が決裂した現状、これ以上に事を大きくするわけにはいかない。頭を下げて解決できるなら、頭ぐらい何回だって下げる。程なくして顔を上げると、エルバは首を軽く横に振った。
「いやいや、お詫びしなければならないのはこちらの方だ。これは、『俺の不始末』が原因だからな」
「どういうことでしょうか」
眉を顰めると、彼はノワールとラガードに目をやった。
「数年前のことだ。父の弟でありながら
「何が造反だ。グレアス様は、
ラガードが咄嗟に怒号を発するが、エルバは鼻を鳴らした。
「下らん。何を言おうが『造反』したのが事実だ」
「エルバ、あなたという人は」
ノワールがさらに怨めしそうに睨み付ける。
「しかし、造反した叔父上縁の者となれば、俺も放っておくことはできん。グランドーク家の問題だからな」
エルバは、不敵に口元を緩めた。
「良いだろう。先程、お前達が言った『私闘』を受けてやる。どのような結果であれ、バルディア家は関係ない」
「な……!? そんな勝手なこと、こちらは認めないぞ」
すぐに声を荒らげて拒否するが、彼の隣に居たマルバスが前に出る。
「認める、認めない、ではありません。我等からすれば、そこの二人は極刑となるはずだった造反者の生き残り。つまり、我が狐人族の中では、極刑に値する重犯罪者なのですよ。それを庇い立てするということが、どういうことなのか。説明するまでもありませんよねぇ」
「ぐ……」
痛いところを突かれた。他国で極刑となるはずの重犯罪者を公に庇えば、大変な政治問題に発展する。その上、バルディア家とグランドーク家は会談が決裂したばかりだ。
「それとも、重犯罪者を庇い立てする理由があるのでしょうか。例えば、数年前の我が領地で叔父上が起こした造反事件。その裏にバルディア家が絡んでいた、とか」
「そ、そんなわけ……」
声を上げようとした瞬間、辺りの空気がまるで体全体を押しつぶすように重くなる。ハッとして振り向くと、父上からとんでもない圧が発せられていた。
「マルバス殿、黙って聞いていれば随分な物言いだ。それは、当家に対する侮辱であろう。それとも、我等を逆撫でして一戦交えたいとでも言うつもりか」
「と、とんでもないことでございます。失言でした。何卒お許しください」
父上に睨まれた彼は、戦いて後ずさりすると頭を深く下げた。しかし、エルバは戦くどころか、むしろ楽しそうに笑っている。
「その迫力。さすが、帝国の剣と言われるだけのことはありますな。しかし、先程申し上げた通り、二人をみすみす見逃す訳にはいきません。弟の言うとおり、我が部族では極刑に値する者ですからな」
「私闘を認めろ。そう言いたいわけだな」
「ライナー殿は話が早くて助かります。二人も、やる気満々のようですからな」
ノワールとラガードを嘗めるように見つめ、エルバは挑発する。
「ライナー様、リッド様。どうか、私闘をお認めください」
「お願いします」
二人が必死の形相で行う懇願に、父上が深いため息を吐いた。
「わかった。認めよう」
「正気ですか!?」
止めに入るが、父上は首を小さく横に振ると視線をエルバに向けた。
「だが、場所は変えるぞ。エルバ殿もそれで良いな」
「えぇ、構いませんよ」
こうして、エルバ対ノワールとラガードの私闘が急遽行われることになってしまった。
私闘を行う場所に移動を開始する道中、僕は父上の側に行き小声で尋ねた。
「どうして、私闘をお認めになったのですか」
「どちらも引かない以上、私闘を一度認めるしかない。その上で、新たな落とし所を見つけるしかなかろう」
「それはそうかもしれません。でも、エルバは次の獣王に一番近いと言われている人物なんですよ。あの二人が太刀打ちできるとは、とても思えません」
あの状況を落ち着かせるには、やむを得ない判断だったのかもしれない。
エルバ達は挑発を続けただろうし、ノワールとラガードも引き下がらなかったはずだ。だけど、エルバという男の言動には底知れぬ悪意しか感じなかった。奴が、まともな私闘をするわけがない。僕の胸の中では、不安と確信が渦巻いていた。
「万が一の時は、飛び込んででも二人のことは僕が守ります」
「私もそのつもりだ。二人はバルディアの民であり、騎士団の一員だからな。お前は、決して無茶をするなよ」
心配する父上に、僕は返事をしなかった。
エルバ達と移動を始めて程なく、僕もよく使っている訓練場に到着する。見送りの場に居合わせたクリス、エマ、ディアナ達も一緒だ。
「当家の訓練場だ。ここなら、思う存分動けるだろう」
「お心遣い、感謝する。ライナー殿」
エルバは相槌を打つと嫌な笑みを浮かべ、訓練場の中央に向けて歩き始める。
ノワールとラガードは、こちらに振り返ると深く頭を下げた。
「リッド様、ライナー様。我が儘を言いまして本当に申し訳ありませんでした」
「俺も、お詫びします。申し訳ありませんでした」
小さくため息を吐くと、二人に顔をあげてもらう。
「できれば、こうなる前に教えてほしかったけどね」
「全くだ」
父上はやれやれと首を横に振ると、彼等をじろりと睨む。あまりに怖い眼差しに、二人の体がビクッと震えた。その様子に苦笑しながら、「だけど……」と切り出す。
「君達にも譲れないものがあったんでしょ」
二人は決意を瞳に浮かべ、こくりと頷いた。
「じゃあ、思う存分やってきなよ。その代わり、後でちゃんと説明してもらうからね」
「はい。では、行って参ります」
二人は一礼すると、訓練場の中央に向けて走って行く。彼等の後ろ姿を見つめていると、僕の背後に控えていたディアナが心配そうに呟いた。
「リッド様。あの二人、大丈夫でしょうか」
「わからない。今は見守るしかないよ」
会談に向けて集めた情報の中には、エルバの実力も当然含まれていた。その内容が全て本当であれば、結果は厳しいものになるだろう。
でも、ラガードとノワールが力を合わせた時の実力は、第二騎士団の中でも最上位に位置している。エルバに勝てずとも、一矢報いることはできるかもしれない。二人の感情を考えれば、その時が『私闘』の止めどきであり、落とし所となるはずだ。
二人の前を進むエルバが、訓練場の中央で足を止めた。
「さて、獅子は兎が相手でも全力を尽くすらしい。だが、紳士である俺は、私闘を求めたお前達の気持ちを汲んで機会を与えてやろう」
絶対的な自信があるらしい。彼は両手を広げ、楽しそうにおどけた。
「機会、ですって」
ノワールが眉を顰め、訝しむ。
「そうだ。いくら反逆者であるグレアス縁の者とはいえ、お前達はまだ子供。従って、これから三分間。『俺から』は手を出さないでやろう」
「てめぇ、馬鹿にすんな」
ラガードは怒号を発し、尻尾が二本となった毛色が黄色い姿に獣化する。ノワールも獣化するが尻尾は一本のままであり、毛色は少し淡い黄色だ。
「ほう、その歳で獣化を扱えるとは将来が楽しみだな。部下にほしいぐらいだ」
不敵に笑うエルバを、ノワールは忌ま忌ましげに睨む。
「グレアス様の、皆の仇です。やりましょう、ラガード」
「あぁ、わかった」
二人は帯剣を同時に抜刀すると、素早くエルバに襲い掛かる。鈍い音が訓練場に鳴り響いたその瞬間、誰もが目の前に起きたことに唖然とした。
ラガードの剣はエルバの首に、ノワールの剣は心臓のある左胸に突き立てられている。しかし、彼に損傷は無い。
「少し期待はしたが、やはり『野狐』と『気狐』ではこの程度か」
彼はつまらなさそうに鼻を鳴らすと、首と胸に突き立てられた剣をそれぞれ片手で掴んだ。
『野狐』と『気狐』。
聞き慣れない名称が聞こえ、クリスが不安そうに首を傾げた。
「リッド様。『野狐』とか『気狐』ってどういうことなんでしょうか」
「ああ、それはね」
言い掛けたところで、マルバスがわざとらしく咳払いをした。
「間違いのないよう、その件は狐人族を代表して私がお教えしましょう」
「……よろしくお願いします」
クリスが会釈すると、彼は自慢げに語り出して説明を始めた。
曰く、狐人族は個々人の魔力量に応じ、獣化した際に尻尾が多くなっていくそうだ。
一般的な獣化に該当する『
マルバスは語り終えると、ご満悦な笑みを浮かべた。
「まぁ、八狐と九狐は狐人族の中でも伝えられるのみで、その姿を見た者はほとんどおりませんがね。尻尾の数が多ければ多いほど、その実力は推して知るべしです」
「ご教授いただき、ありがとうございます」
クリスは合点がいったらしく、再び会釈した。彼の説明は、エルバの情報を集めていた時に得たものと同じだ。でも、残念ながら、グランドーク家の中心人物達が獣化した際の情報は得られなかった。この際、尋ねてみてもいいかもしれない。
「くそっ!? このぉおお」
「は、はなしなさい」
ラガードとノワールの怒号が響く。見やれば、二人はエルバに握られた剣を動かそうと躍起になっていた。
しかし間もなく、高く乾いた破裂音が響き渡る。エルバが剣を握り潰し、砕いたのだ。
目の間に起きた光景に、ノワールが唖然としている。
「け、剣が……」
「ノワール、一旦下がろう」
剣を無くした二人は、飛び退いて一旦距離を取る。
エルバはその場を動かず、不気味に喉を鳴らして笑い始めた。
「参考までに教えてやろう、俺が獣化した時の尻尾の数は『七本』だ。勿論、お前ら如きに全力を出すつもりはないがな。優しいねぇ、俺は」
嘲笑するような物言いに、ラガードが眉間に皺を寄せて凄んだ。
「だからどうした。そんなこと、やってみなくちゃわからないだろ」
「そうです。尻尾の数なんて、ただの飾りに過ぎません」
「ほう、良い目だ。もう少し、楽しませてくれそうだな」
エルバが口元を緩ませると、ラガードとノワールは同時に攻撃を仕掛けていった。
剣は折られてしまったので、二人は獣化で鋭くなった爪による爪撃や足技など体術を繰り出している。だけど、損傷を全く与えられていない。
エルバは彼等の攻撃を見切っている。その上で避けるだけでなく、わざと受けては意地悪く笑みを溢している。
彼等の動きを見ていて、一つの疑問が脳裏に浮かぶ。何故、最初の剣撃でエルバに損傷を与えられなかったのか。今にしても、獣化で鋭くなったノワールとラガードの爪撃は、下手な剣よりはよっぽど鋭利なはずなのに。
「おそらく、身体属性強化の『金剛』と呼ばれる類いの技だろう」
僕の疑問を察したのか、父上が小声で呟いた。
「『
聞き返すと、父上は「あぁ」と頷き、エルバとノワール達の激しい動きを見つめながら教えてくれた。
「でも、そうなると……」
言わんとすることを察した父上は、厳しい表情を浮かべた。
「うむ。今のノワールとラガードでは、一矢報いることすら難しいかもしれん」
「そ、そんな!?」
クリスが心配そうに目を瞬いた。周りを見れば、エマやディアナもどこか悔しげな表情を浮かべている。
「泣いたところでどうにかなるものではありません。あの二人の運命は、兄上と相対した時点で決まっていたのです」
マルバスは、皆が心配する様子を横目に口元を緩めた。
「まだ、どうなるかわかりません。バルディア家に騎士として仕えるノワールとラガード。彼等をあまり見くびらない方が良いですよ」
凄むと、彼は一瞥して「ふん」と鼻を鳴らして腕を組んだ。
あの二人には『奥の手』があるから、それをどこで使うかだろう。
懐にある懐中時計を確かめると、私闘が始まり『三分』がそろそろ過ぎようとしている。視線を前に戻せば、エルバは両腕を組んでまま笑っていた。彼に消耗している様子は見受けられない。そもそも、エルバは獣化すらしていないのだ。
対するノワールとラガードは、肩で息をしており、明らかに体力を消耗している。獣化を維持して猛攻を続けているせいだろう。
「頑張れ、二人とも」
小声で呟いたその時、エルバが組んでいた腕をおもむろに解いた。
「さて、そろそろ時間だ。覚悟は良いな」
「はぁ……はぁ……。く、くそ……」
肩で息をするラガードが悔しそうに吐き捨てると、ノワールが何かを決意したようにエルバを睨んだ。
「ラガード。やりましょう」
「え!? で、でもさ、この場でそれを使ったら」
「いいえ。私の全てを託します」
「……わかった」
ラガードは頷くと、ノワールを守るように前に出る。
いよいよ、あれを使うのか。
「何だ、命乞いでもするつもりか」
エルバが首を傾げると、ノワールが祈るように手を合わせた。次の瞬間、『
「ラガード。貴方に燐火の
面前で起きた事態に、マルバスが目を丸くした。
「燐火の灯火だと、馬鹿な。あの一族はすでに滅んだはずだ」
「滅んだとは、どういうことでしょう」
ノワールは、狐人族の中でも特殊な一族の出身ということだろうか。
「……これは我が部族の問題故、お答えは控えさせていただきます」
僕の問い掛けにマルバスは口を
舞い上がった燐火の灯火がラガードに注がれていくと、彼は獣化した状態のままに青炎を纏った姿となる。これが、あの二人の奥の手だ。
ノワールが発動した『燐火の灯火』は『対象者の能力を上昇させる補助魔法』である。
僕との鉢巻き戦の時にも使用していたけど、当時のような付け焼き刃とは違う。今の二人があの魔法を使用すれば、第二騎士団の中でラガードの実力は最上位に位置すると言っていい。
「ラガード。後は、お願いします」
魔法発動に体力を使い果たしたのか。息も絶え絶えとなったノワールは、その場で両膝を突いた。
「あぁ。必ず、エルバをぶっ飛ばしてやる」
ラガードは力強く返事をし、目の前に立つエルバを睨み付ける。
一方のエルバは、二人の変化で何かを察したのか。急に小刻みに両肩を震わせ始めた。
「ふはははははははは、ぬははははは!」
奇怪にも急に笑い出したエルバの言動に、この場にいる皆が訝しむ。
「な、何が可笑しい」
相対するラガードが怒号を上げると、彼は首を横に振りながら喉を鳴らして笑い続ける。
「これが笑わずにいられるか。なるほどな、そうか、そういうことか。まさに、グレアスの遺志。いや、亡霊と言ったところだな。良いだろう、直ぐに終わらせてやる。さぁ、掛かってこい」
「馬鹿にしやがって。さっきの俺と一緒だと思うなよ」
ラガードが目にもとまらぬ速さで飛び込むが、エルバの首元を狙った彼の
「な!?」
ラガードが目を見開いたその時、エルバは彼の後頭部を背後から鷲づかみにしていた。
「さっきのお前と一緒だ。馬鹿が」
そのまま勢いよく、エルバはラガードを地面に叩きつけた。その衝撃によって彼等を中心に大地が窪んだ。辺りには轟音が鳴り響き、激しい土煙が空を舞う。
「ぐぁあああああああ」
悲痛なラガードの声が響き渡る中、エルバは冷淡な笑みを浮かべる。
「さぁ、どうする。このまま虫けらの如く惨め叩き潰されるのか。地面に這いつくばったまま情けなく命乞いをするのか。どちらか選ばせてやろう、俺は紳士だからな」
「ふ、ふざけ、ぐぁああああ」
「くく、いいぞ、もっとだ。もっと歌え、断末魔を響かせろ」
エルバは高々に笑いつつ、地面に押しつける力を強めているらしい。ラガードの声がさらに悲痛なものになっていった。
気付けば、ラガードが纏っている青炎が弱々しくなり始めていた。あの青炎がなくなれば、能力上昇効果が無くなってしまう。そうなればラガードは今の状況に耐えきれず、最悪の場合は死んでしまうかもしれない。
「やり過ぎです。もう勝負は付いたでしょう」
あまりの惨状にクリスが声を荒らげるが、マルバスは首を捻る。
「はて。勝負が付いたとは、どういう意味でしょうか」
「見たらわかるでしょう。もう、これ以上の戦う必要はないと言っているんです」
「クリス殿。失礼ながら、これは勝ち負けを決める『勝負』ではありません。仇を討つか、返り討ちにするかの『私闘』なのです。それをあの二人は申し込み、兄上は受けた。今更、相手を生かしたままの決着などありえませんよ」
彼は、やれやれと首を横に振った。
「確かに、あの二人は『私闘』を申し込みました。しかし、彼等はまだ年端もない子供なんですよ。加えて、我がバルディア家に仕える騎士であり領民です。その点を加味して両家の今後を考えれば、情状酌量の余地は十分あるはずでしょう」
僕が抗議すると、彼はわざとらしく思案するそぶりを行い、「ふむ」と相槌を打った。
「リッド殿のお気持ちも理解はできますがね。まぁ、止めたければどうぞご自由にしてください。しかし、その時は我等狐人族の内政にバルディア家が干渉したということになる。そのことをどうかお忘れ無きようお願いします」
「な……!?」
マルバスは勝ち誇ったように笑った。
この時、僕は理解する。こいつらは始めからまともな交渉を行うつもりはなく、徹底的にこちらを挑発することが目的だったんだ。
その先にある考えは、グランドーク家にとって都合の良い大義名分を得てバルディア家と敵対したい、ということだろう。そうでなければ、互いの関係性を著しく悪化させる『死』による決着なんて誰も望まない。
「こ、この……」
怒りのあまり手が拳となり力が入ったその時、僕の肩に手が置かれる。振り向くと、父上が小さく首を横に振っていた。
「マルバス殿、確認のために伺いたい。当家に仕える騎士をエルバ殿が私闘とはいえ『殺害』する。それが両家にとってどのような結果をもたらすのか。それを全て理解した上、グランドーク家の総意として受け取って良いのだな」
「ふふ、そうですね。そう受け取っていただいて構いませんよ」
マルバスと父上の間に不穏な空気が流れたその時、再びラガードの悲痛な叫び声が響いた。
「ラガード」
彼を助けるために飛び込もうとするが、「お待ちください」とノワールが大声で叫んだ。
「ライナー様、リッド様。これは私達の私闘なんです。死んでも悔いはありません。どうか、どうか捨て置きください」
必死な彼女の声で、思わず体の動きが止まる。だけど、エルバはノワールの言葉を聞くなり喉を鳴らし始めた。
「死んでも悔いは無い、か。ならば、冥土の土産に聞かせてやろう」
彼はそう言うと、片手でラガードの頭を鷲掴みにしたまま引きずり歩き、ノワールの面前に迫ると顔を寄せた。
「グレアス、あの男は実に愚かだったぞ。俺の下で働けば、命までは取るつもりはなかったのだがなぁ。『民のために生きる』と俺の制止を無下に断り、
「の、ノワール。耳を貸すな。こ、コイツが本当のことを言っている証拠はないんだ」
ラガードが頭を捕まれたままの状態で必死に顔を上げ、エルバを横目で睨み付けた。
「ほう、傷つくねぇ。しかし、だ」
エルバは口元を歪めた。
「
「ふ、ふざけるな。あの人達は……」
ラガードが何か言い掛けたその瞬間、エルバは彼を地面に叩きつけた。
「うがぁ!?」
「俺が話している途中だろう」
「ラガード!?」
ノワールが彼の名を叫ぶが、エルバは彼女の顎を掴み強制的に目を合わせる。
「そもそも、だ。貴様がここにいるということは、母親はすでに死んでいるのだろう」
彼女は目に涙を浮かべ、悔しそうにエルバを睨み付けている。
「だが、その死に様など想像にたやすい。わずかな金銭と食料のため、あさましく体を売り、
「母さんを、母さんを馬鹿にしないでください」
必死にノワールは叫び返した。彼女の声は、とても震えている。
「母さんは言ってました、私の父は、沢山の苦しむ民を救うために立ち上がった。人のために命を賭けることのできる父は、母さんの誇りだった。父の想いを、絶やしてはならない。そう言って、必死に私を守ってくれました。私の、私の家族を
「そういうのが馬鹿だというんだ。民、誇り、家族だと。そんな愚かな考えだから、奴は惨めに死んだのさ」
鼻を鳴らして吐き捨てたエルバは、ノワールに向けてラガードを無造作に投げ捨てる。
「あう!?」
重なり倒れた二人を、エルバは飽きたように
「お前の母親が言った『想い』とやらも、これで終わりだな」
彼はそう言うと、右手を高く掲げて
「グレアス同様、この『
このままだと、二人は彼に殺される。そう思った瞬間、気づけば体が勝手に動いていた。
「そこまでだ、エルバ」
「ぬ……!?」
気配を察知したエルバは、咄嗟に右手で生み出した『黒炎』で僕が放った『火槍』を相殺する。同時に、辺りに激しい爆音と土煙が発生した。そして、もうもうとした煙の中から、楽しげに口元を緩めるエルバが姿を現す。
「これは何の真似かな。リッド・バルディア」
「二人は、お前なんかに殺させやしない。これ以上やりたいなら、僕が相手をしてやるよ」
「ほう。それは面白い」
奴が相槌を打つ中、マルバスが両腕を広げて躍り出る。
「随分と乱暴なことをされますね。先程、申し上げた通り、これは狐人族の内政干渉したことになります。その認識で、よろしいですね」
「異なことを仰いますね。散々と言ったはず、ノワールとラガードはバルディア家に仕える騎士であり領民です。彼等の現状を全く考慮せず、貴殿の国の都合を帝国に属する当家に押しつけることこそ内政干渉でしょう。ここは、獣人国の地ではないのです。そんな基本的なこともお忘れですか」
「な……!?」
言い返されるとは思っていなかったのか、マルバスは目を剥いている。
「こちらが両家両国。あの二人の想いと貴殿達の立場を考え、穏便に済ませようと黙っていれば、随分と好き勝手にされましたね。あまりに幼稚な外交であり、呆れてものも言えません」
「こ、この、言わせておけば」
わなわなと怒りに震えた彼は、凄い剣幕で父上に迫った。
「ライナー殿。いくら貴殿のご子息とはいえ、この暴言は看過できませぬぞ」
「マルバス殿。わかりやすく説明した結果、言葉が少し不躾であったことはお詫びしよう。だが、リッドの言ったことは概ね事実だ。そもそも、暴言と言うのであれば、貴殿達が我等にした発言を少し顧みては如何ですかな」
「な、なんですと」
父上の毅然とした切り返しに彼が目を丸くすると、エルバが大声で笑い始める。
「なるほど。バルディア家の言い分にも一理ある。いいだろう。ならば……」
彼はそう言うと、右手の人差し指で僕を指差した。
「リッド・バルディア。俺に傷一つでも付けられれば、私闘の件は不問としよう。我等は大人しく引き下がろうじゃないか」
「兄上。そいつらは、造反組の生き残りですよ」
目を見開き、マルバスはノワールとラガードを指差した。だが、エルバはそんな彼を横目で睨み付ける。
「少し、黙ってろ」
「も、申し訳ありません」
マルバスが戦き会釈すると、エルバは口元を緩めた。
「さぁ、リッド・バルディア。ここに来い。俺の相手をしてくれるんだろう」
「わかった」
歩き出そうとすると、父上が僕の前に腕を出して制止する。
「勝手に話を進めるな。エルバ殿、バルディア家の当主として貴殿の相手は私がしよう」
「ライナー殿。残念だが、俺にあれだけの口を叩いたのだ。リッド・バルディアでなければ認めんよ」
エルバは喉を鳴らして笑うと、首を横に振った。
「貴様……」
二人が睨み合う中、僕は父上の腕を潜って前に出た。
「僕が彼の相手をすれば、この場は一旦収まるのです。これが今回の落とし所でしょう。ご安心ください、無茶はしませんから」
父上は顔を顰めるが、程なくして深いため息を吐いた。
「無理はするな。何かあれば、すぐに止めるぞ」
「はい。よろしくお願いします」
僕は笑みを浮かべて頷くと、重なるように倒れている二人の元に急いで駆け寄った。
「二人共、大丈夫かい」
「はい。でも、私のせいでラガードが……」
彼女は
「り、リッド、様。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
ラガードは息も絶え絶えでこちらに視線を向ける。彼の瞳には、様々な感情が複雑に交ざり合っているのが見て取れた。
「本当だよ。でも、君達が無事で良かった」
あえて冗談交じりに答えて微笑みかけると、二人の頭を優しく撫でた。
「よし。じゃあ、行こうか。ノワールは動けるかな」
「は、はい。何とか」
頷く彼女からラガードを丁寧に受け取ると、「よいしょっ」と両腕で抱きかかえる。
いわゆる、お姫様抱っこだ。間もなく、エマとディアナが駆け寄ってきた。
「リッド様。後は引き受けます」
「うん、お願い」
エマの言葉に頷くと、彼女はノワールを抱きかかえた。
「あ、あの。私は歩けます」
困惑するノワールに、エマは「駄目です」と首を横に振った。
「万が一のこともありますし、走れないでしょ。ここに居ては、リッド様の邪魔になりますからね」
エマとノワールのやり取りを横目に、僕はラガードをディアナに手渡した。
「すぐに二人をサンドラに観てもらって」
「畏まりました」
ディアナはラガードを抱えて会釈すると、すぐに屋敷に向かって走り出した。その後ろから、ノワールを抱えたエマが追いかける。手を拳に変えて彼女達の背中を見送る中、「ゴミの片付けは終わったか」と背後から声が聞こえた。
「ふぅ」
息を吐きながら、ゆっくりと振り向いた。
「言った通り、お前の相手をしてやるよ」
「ようやくだな」
エルバは、ゆっくりと腕を組んで喉を鳴らした。
「あいつら同様、まずは三分やろう。さぁ、せいぜい楽しませてくれよ」
「そうかい。なら、お言葉に甘えさせてもらおうかな」
身体強化・弐式を発動して瞬時に間合いを詰めた。
悔しいけど、エルバは強い。今の僕では勝てないだろう。でも、油断している今の奴になら『傷を付ける』ことぐらいはできるはずだ。
「む……!?」
何かを察したのか、エルバが眉を顰めた。
「出し惜しみはしない。最初から全力だ」
吐き捨てると、身体属性強化・烈火を発動。次いで、密かに両手の拳の中で圧縮していた魔法を解放した。
「
「こ、これは!?」
エルバは腕を交差させ、『螺旋槍』を受け止めるが押し込まれて吹き飛ばされていく。だけど、そんなことで防げる魔法ではない。
父上から教わった『烈火』は、身体能力だけでなく『火の属性魔法』の威力を強化する。つまり、全属性の魔槍が混ざり合う『螺旋槍』の威力も上昇するというわけだ。
バルディアが襲撃されて以降、僕は武術と魔法研鑽の密度を高めている。短期間とはいえ、威力は以前とは比べものにならないはずだ。程なく、吹き飛ばされたエルバを中心とした爆発が起こって辺りに轟音と爆風が吹き荒れる。
「はぁ……はぁ……」
魔力をほぼ使い果たしてしまい、その場で片膝を突いた。
最大火力で放つ螺旋槍と烈火の組み合わせは、体に掛ける負担がやはり大きい。この点は今後の課題だな。ふとそんなことを思いながら、爆発した場所を見据える。
『燐火の灯火』で強化されたラガードを圧倒した奴が、これぐらいで倒れることはないはずだ。案の定、もうもうとした煙の中にうっすらとエルバの姿が浮かび上がる。でも、よく見れば、彼の背後にゆらりと動く七本の影がわずかに見えた。
「まさか、俺が獣化させられるとはな」
「あれが七尾の金狐か」
爆煙の中から現れたエルバは、金色の毛に覆われている。しかし、その姿は神々しいと言うより、奴の欲望と禍々しさが表面化したように感じた。
「今の魔法は中々の威力だったぞ。次は、俺の魔法を見せてやろう」
「三分間。手は出さないんじゃなかったの?」
立ち上がって息を整えながら構えると、こちらにやって来るエルバを見据えた。
「想像以上だったのでな。特別に三分短縮だ。とはいえ……」
奴は嘗めるように僕を見ると、獣化を解いた。
「何の真似だ」
「消耗したお前には、この姿で十分だろう。さぁ、耐えてみせろよ」
エルバはそう言うと、右手を掲げて『黒炎』を右腕全体に纏わせた。あまりに禍々しい魔力の気配に、背中で嫌な汗が流れ始める。
「あれは、何だかやばそうだな」
僕の呟きが聞こえたのか、奴は不敵に笑い出した。
「いくぜぇ」
エルバは掲げた右腕を振り下ろし、纏わせた『黒炎』を僕に向けて撃ち放った。轟音が鳴り響き、真っ黒で禍々しい
「こんなもの」
自身を鼓舞するように叫ぶと、『魔障壁』を残っている魔力を全て注いで展開した。
必ず、耐えきってみせる。覚悟を決めたその時、目の前に人影が現れた。
「父上!?」
見知った大きな背中に、目を見開いた。
「リッド、よくやった」