「ごめんね、メル。今回の件が無事に終わったら、今度こそ皆で帝都に行くって約束するよ」

「はい、私やアスナと一緒に帝都を見て回りましょう」

「うん……」

僕とファラの声に泣きながら頷くメルを見て、母上が微笑んだ。

「そうね。それに体調が良くなってきているから、次の機会となれば私も一緒に行けるかもしれないわ」

「え、本当」

メルがハッとして泣き止むと、母上は言葉を続けた。

「勿論、本当よ。皆のおかげで、ベッドの上から起きて歩く練習も少しずつ始めているの。だから、次は家族皆で帝都に遊びに行きましょう」

「うん。母上、約束だよ」

「えぇ、約束ね」

母上とメルが小指で約束を交わすと、寄り添っていたクッキーとビスケットがメルの頬を伝う涙を優しく舐めた。

皆が安堵したその時、部屋の扉が丁寧に叩かれる。僕が返事をして扉を開けると、父上が決まりの悪い顔を浮かべていた。

「父上、どうされたのですか」

「いやなに、メルが泣いていると耳にしたものでな」

父上が照れ隠しのように頬を掻くと。母上が「あらあら」と笑みを溢した。

「いま、そのことで帝都に皆で行く約束をしていたのよ」

「む。リッド、そうなのか」

「はい。狐人族との一件で、近々帝都に行く予定が頓挫してしまいましたからね。今度行くときには、きっと母上も一緒に行けると思いますから」

「なるほど。そういうことか」

相槌を打った父上は、母上の腕の中で目を赤くしているメルの側に寄り添うと、咳払いをした。

「私も約束しよう。今起きている問題が落ち着いたら、皆で帝都に行こう」

「本当!? 父上、約束だからね」

「あぁ、勿論だ」

父上はメルと小指を交わした。

「良かったわね、メル。でも、あなた。約束はちゃんと守らないと駄目ですからね」

「わかっているさ」

釘を刺すような母上の言葉に頷くと、父上はこちらに視線を向けた。

「それはそうと、リッド。お前にも少し話がある。執務室にいいか」

「承知しました。じゃあ、僕は父上と先に失礼しますね」

「うん、兄様。また後でね」

部屋にいる皆に見送られ、父上と一緒に退室する。

執務室に入ると、父上は執務机の上に置いてある『封筒』を手に取って僕に差し出した。

「狐人族。エルバ達と行う会談の日程が決まったぞ」

「畏まりました。いよいよですね、父上」

狐人族の狙いが何であれ、会談の場で失敗は許されない。バルディアを守る為、ここが一つの正念場になることは間違いないだろう。僕は深呼吸をしてから、封筒を受け取って中身に目を通していった。

僕はその日、本屋敷の自室で会談に使用する資料を何度も目を通していた。勿論、漏れや問題がないかを確認するためだ。

「よし、これで事前にできることは全部やった。だけど、やっぱり少し緊張するなぁ」

今日は、狐人族との会談を行う当日であり、本屋敷は只ならぬ緊張が漂っていた。

帝都から父上が帰って来た日に狐人族から届いた、会談申し入れの親書。これを承諾する内容の親書を父上が返送すると、会談を行う場所はバルディア家の本屋敷に決定となった。

会談を行う場所は国境付近にある砦で行う案もあったけど、狐人族の狙いや出方が明確でない以上、油断は禁物。まずは来賓として丁重に扱うべきではないか、そう父上に進言したところ、意見を汲んでくれたというわけだ。

とはいえ、襲撃犯達であるクレア達や事件解決に協力してくれたアーモンド達が狐人族だったこと。加えて、逃げ込んだ領地が狐人族だったという全体の動きを見れば、先日の襲撃事件に狐人族が絡んでいるのは間違いないはずだ。

でも、問題はそれだけではない。事件発生と同時期に帝都でバルディアの悪評が流布されたことを考えれば、事件の黒幕もしくは協力者が別にいる可能性も高い。何にせよ、絶対に良からぬことを考えているはずだ。

資料を見ながら考えを巡らせていると、部屋の扉が叩かれた。返事をすると、ディアナが入室して会釈する。

「リッド様。間もなく狐人族、グランドーク家の方々が到着されるそうです」

「わかった。じゃあ、出迎えにいかないとね。この資料なんだけど、会談を行う来賓室にお願い」

「承知しました」

彼女に確認していた書類の束を渡して退室するべく部屋の扉を開けると、ファラとメルを始めとした面々が心配そうな表情を浮かべて集まっていた。

「あれ、皆どうしたの」

「私達は会談の場には出られませんから、ここでお見送りをしたいと思いまして」

「あ、そっか。そうだったね」

今回の会談、バルディア家の代表として参加するのは僕と父上だけだ。

狐人族の狙いや目的が明確でない以上、ファラやメルはグランドーク家の前に軽々しく出すべきじゃない。父上が決めたことだけど、僕も賛同している。

ファラに返事をして頷くと、子猫姿のクッキーとビスケットを肩に乗せ、頬を膨らませたメルがこちらをジトッと睨む。

「兄様。これから来る人のせいで、帝都に行くのが先延ばしになったんだよね」

「え? えっと、まぁ、それはそうかもしれないね」

あまりに刺々しい雰囲気のメルに、少したじろいでしまう。

「やっぱりそうなんだ……」

メルは俯いて忌々しそうに呟くと、パッと顔を上げた。

「兄様。よくわからないけど、絶対に負けちゃ駄目なんだからね。約束」

メルはそう言うと、僕の顔の前に右手の小指を立てて差し出した。

「わかった、約束するよ」

指切りを行うと、メルは嬉しそうに「えへへ」と顔をほころばす。その様子を見ていたファラが少し顔を赤らめ、同じようにスッと小指を差し出した。

「あ、あの。私とも約束してくれますか」

「う、うん」

彼女と小指をからめたその時、ふいにファラと目が合って胸がドキッとする。

「国が違い、代表同士の会談となればこれもまた一つの戦です。どうか、ご武運を」

「そうだね。ファラ、ありがとう。それにメルもね。じゃあ、行ってくるよ」

「はい」

「兄様、頑張ってね」

笑顔を浮かべて頷くと、来賓を出迎えるべく改めて足を進める。

廊下を歩く束の間の道中、会談相手について事前に得た情報を頭の中で整理していく。

獣人国ズベーラに属する狐人族の領地を代々治める部族長の一族。それが、グランドーク家だ。現在の部族長は『ガレス・グランドーク』であり、彼とは父上も面識があると聞いている。そして、ガレスには五人の子供がいるそうだ。

第一子、長男のエルバ・グランドーク。

第二子、長女のラファ・グランドーク。

第三子、次男のマルバス・グランドーク。

第四子、三男のアモン・グランドーク。

第五子、次女のシトリー・グランドーク。

今回の会談でバルディアを訪れてくるのは、『エルバ・グランドーク』と『マルバス・グランドーク』である。二人と顔を合わせるのは、父上も初めてらしいけど、エルバやマルバスの情報を集めた結果、とても友好的な会談が望めそうな相手ではなさそうだった。

獣人国ズベーラの獣王として現在君臨しているのは、猫人族の『セクメトス・ベスティア』という女傑だ。彼女には僕と同い年の子供がいて、『ヨハン・ベスティア』と言うらしい。名前と年齢から察するに、『ときレラ』に登場する王子の一人で間違いないだろう。

気になるのは、セクメトスに代わる次世代の獣王として目されているのが『ヨハン』ではなく、会談相手の『エルバ・グランドーク』と噂されていることだ。

この点について、メモリーを通じて前世の記憶を調べてみたけど、これといった情報は得られなかった。でも、それはしょうがないことかもしれない。

前世の記憶にある『ときレラ』の情報は、あくまでも今から『約十年後』に起こることだ。それまでの間に何が起きるのか。それは『ときレラ』でも語られていなかったはずだ。

おそらく、僕同様に前世の記憶がある少女の悪役令嬢こと『ヴァレリ・エラセニーゼ』を含め、誰にもわからないことだろう。

目下の問題は会談相手のエルバだ。彼は父上がバルディア領を継いで辺境伯となった同時期、狐人族の領内で起きた内乱を瞬く間に武力で鎮圧したらしい。

内乱の首謀者は、部族長ガレスの弟グレアス・グランドーク。つまり、エルバにとっては叔父に当たる人物だったそうだ。

しかし、彼は一切の容赦なく、叔父のグレアスをその手で処刑。内乱の企てに関わった者達は家族や関係者を含め、エルバの指示により一族郎党、幼子にかかわらずことごとく断罪されたそうだ。この事件は、獣人国内外にエルバ・グランドークの名を轟かせることになったらしい。

現在のエルバは部族長であるガレス同様の発言力を持ち、狐人族の軍拡を推し進める中心人物ということだ。そんな彼を裏で支えていると言われている人物。それが、エルバの弟であり、政務に優れた『マルバス・グランドーク』らしい。

マルバスについて調べたけど、彼にはエルバのような武勇は特になかった。でも、狐人族の軍拡を進めるのに必要な政務はマルバスが一任されており、彼の手腕は国内外に問わず高く評価されている。

実際、狐人族の状況を調べる限りでは、決して経済豊かといえる感じではなかった。それなのに、ここ数年を見る限り着実に狐人族の軍拡は進んでいる。エルバの発言力と影響力に加え、マルバスの優れた政務手腕が組み合わさった成果なのだろう。

何にしても、未来に起きる『断罪』に向けた準備を進めていただけなのに、何の因果か。とんでもない人物の相手をしないといけなくなってしまったわけだ。

まぁ、どんな人物が相手だろうと、バルディアは僕が守ってみせるけどね。

屋敷の玄関が見えてくると、そこには父上の姿があった。

「来たか、リッド」

「お待たせして申し訳ありません、父上」

辺りには父上の他、ガルンを始めとした屋敷に仕える皆が勢揃いしていた。だけど、皆の表情はいつもより硬い感じがする。辺りを見回すが、原因となる人物は見当たらない。

「グランドーク家の方々は……まだみたいですね」

「うむ。だが、もう間もなく到着するだろう。何を考えているのかわからん。油断はするなよ」

「はい。畏まりました」

そう答えた時、玄関の扉が叩かれた。

「バルディア騎士団、副団長のクロスです。狐人族、グランドーク家の方々が到着しました」

声が聞こえると、執事のガルンがこちらに視線を向ける。父上と僕が静かに頷くと、彼は扉のドアノブに手を掛けてゆっくりと開けていく。

そこには普段の少しおどけた雰囲気とは違う、畏まったクロスが立っていた。彼の背後には、父上の身長よりもかなり高い狐人族の大男が黄色い長髪を靡かせ不敵な笑みを浮かべている。

彼がエルバ・グランドークだと直感する。また、エルバの隣には彼同様の黄色い髪をした狐人族の眼鏡を掛けた青年が畏まっている。彼がエルバの弟、マルバス・グランドークだろう。マルバスの身長は父上よりも小さく、一般的な帝国人と同じぐらいだ。