ゴブリンに服を着させるのは、そこまで手間取らなかった。ヨリとリヨにはあっちを向いてもらい、マナトが一度、自分の服を脱いで、着てみせた。そうすると、ゴブリンは見様見真似で服を着た。マントはどうするのか。ゴブリンは、ハルが同じ見た目の替えのマントをつけているのを確かめた。そのあとで、ハルからもらったマントを羽織った。しかも、わざわざハルのほうに顔を向けて、いいのか、と尋ねるように首を傾けてみせた。
「もちろんだ」
ハルが少しだけ笑ってうなずくと、ゴブリンはなんと、頭を下げた。
「……アァー……トォ」
これにはマナトだけじゃなくて、みんな一様に驚いた。
「ありがとうって言った……」
「たいした学習能力だな」
ハルはマナトに仮面を向けた。
「昨日、彼に助けられたと言っていたが」
「そうだよ。命の恩人。あと、ゴブリンたちをあの
「そういえば」
リヨが片手を上げて言った。
「外にいたゴブリンが一人、檻の中に引き返した。逃げようとしない仲間たちを引っぱって、わたしを手伝ってくれた。思えば、あれもその子かもしれない」
「おぉ……」
マナトはなんだか無性にゴブリンに抱きつきたくなった。でも、いきなりそんなことをしたら怖がらせてしまいそうだ。
「すごいね、きみ。なんか、すごいよ。仲間思いで、関係ないこっちのことまで助けてくれて。それなのに、一人きりでここまで来たのかぁ……」
むずむずしてきた。この気持ちは何だろう。一暴れしたい。かといって、叩いたり蹴ったりしたいというわけじゃない。とにかくじっとしているのが苦しい。何かしたいというか、なんとかしたいというか。
「ついでに持ってきたんだ」
ハルがゴブリンに布の包みを差しだした。包みを開けると、中身はマナトたちも朝食のときに食べたパンだった。コメともムギとも違う穀物の種子を粉にし、水を加えて練って少し寝かせ、焼いたものらしい。ふかふかしているというよりもっちりしていて、若干酸味を感じたが甘みもあり、なかなかおいしかった。
ゴブリンがマナトを見た。
「……ゥムァ?」
「あぁ。それは、食べ物。食べられる。食べる。わかる?」
マナトは手でパンを
「あむあむあむ。食べ物。きみ、おなかすいてるんじゃない? おなか。ぺこぺこなんじゃない?」
「……ゥグゥ」
ゴブリンはぺろぺろと唇を
「口に合うかわからないが、食べてみるといい」
ハルはパンを持つ手をゴブリンに近づけた。ゴブリンはパンに鼻先を寄せて、匂いを嗅いだ。顔をしかめている。かなり迷っているようだ。でも、やはり空腹だったのだろう。両手でパンを摑むと、ハルの掌の上から静かに持ち上げた。
ゴブリンはまずパンを舐めた。何度も舐めた。焼いたパンの表面はやや硬いし、何だこれ、という感じかもしれない。次に、ちょっとだけ
「……ンン……ゥフ……」
よくわからない、という表情だ。ただ、食べられなくはなかったらしい。ゴブリンは一度目より大きく口を開け、パンにかぶりついた。
「ンン……ォフ……」
ゴブリン的に、おいしくはないのか。それでも、あっという間にパンを口の中に入れてしまった。両手で口をふさいで、よく
「ハァ……」
ゴブリンは口から手を外して一息つくと、右手の親指を立ててみせた。マナトが親指を立て返すと、ゴブリンはハルに頭を下げた。
「アァートォ」
ハルはくすっと笑った。
「どういたしまして」
「よし!」
マナトが右拳で左手を
「あっ、ごめん。びっくりさせちゃった? えっと、じゃなくて、だから、きみ、一緒にいるのはどうかなって。どこかに行きたいなら、止められないけど。そうじゃなかったら。一人だと……ううん、何だろ、きっと危ないし? 困ると思うんだよね。色々。それこそ、食べ物とかもさ。だめかな、ハル? ヨリとリヨはどう思う?」
「おれは、とくに――」
ハルはゴブリンを見た。
「彼次第だな」
「ウゥ?」
ゴブリンは自分を指さして頭を
「きみ次第かぁ」
マナトは中腰になってゴブリンと目の高さを合わせた。
「ハゥ……」
ゴブリンは右方向に倒していた頭を左方向に傾けた。
ヨリがマナトの隣に並んで腰を
「きみはどうしたいの? ヨリはマナトに賛成だけど。ていうか、きみの意思を無視すれば、ヨリたちが保護したほうがいいと思う。もし隷属に見つかったら、捕まって養殖場に逆戻りか、食べられるかでしょ」
「……ヮウ」
「うん。よくわからないのは、わかってる。だけど、きみは頭がよさそうだし、一緒にいれば、だんだん理解できるようになるよ。こうやって目を見てれば、感じる。きみはすごく考えてるし、ヨリが言ってることをわかろうとしている。ね、きみ、そのマント、気に入ってるの?」
ヨリはゴブリンが身にまとっているハルのマントをちらっと見ただけだった。他に何の身振りもしていない。それなのに、ゴブリンはマントをぎゅっと摑んだ。そうして、長い裾をたくし上げようとするようにマント全体を持ち上げる。ゴブリンはうなずいた。
「マァ……ト。キィ……テゥ」
「そっか」
ヨリは
「名前」
リヨが呟いた。
「その子に呼び名があるなら、教えて欲しい」
「どうだろうな。名前か……」
ハルは腕組みをした。本人に
「マナト。マ、ナ、ト。マナト!」
「……マァ……ト?」
「あぁ、それだとマントとい一緒になっちゃう。マ!」
「マ」
「ナ!」
「ナァ」
「ト!」
「……ト」
「そう。マナト!」
「マナァト」
「うん。そんな感じ。で――」
「ヨ、リ」
ヨリは自分の顎に人差し指を当ててみせた。それから、マナトを指し示して「マナト」と発音し、人差し指をもとの位置に戻した。
「ヨリ」
ゴブリンはうなずいた。
「……ヨリ」
「そっ。ヨリ」
「わたしは」
リヨは手で胸を押さえた。
「リ、ヨ」
「……リヨ」
「おれは、ハル」
ハルがそう名乗ると、ゴブリンは
「ハル」
「そうだ。おれは、ハル。きみは?」
「……キミィ」
ゴブリンはハルを
「マナト。ヨリ。リヨ。ハル。……キミィ。アァ……ワダ……フィイ……カッカァ……」
「グリムガルのゴブリン語?」
ヨリが小声でハルに訊いた。ハルは首を横に振った。
「いや。ゴブリンは独自の言語を持っていたが、どうもそれとは違うようだ」
「ヨリは竜飼いの師匠から少しだけゴブリン語を教わったけど、共通点がない感じがする。ゴブリン語には、
「アァク」
ゴブリンが自分を指さして、舌を、チチチッ、と鳴らしながら、顔の前で両手を何度か交差させた。
「チャア。イァ。ナァ。バァ。ボォ」
「おぉ」
マナトが二、三回うなずくと、ゴブリンは両手の指で自分の顔をさわった。
「タァ、タァ。ワダァ。フィイ」
「そっかぁ」
「ボッペェ。バァ。ボォ」
「なるほどね」
「わかるの?」
ヨリが目を
「この子、なんて言ってる?」
「や、わかんない」
「完全にわかってるふうだったでしょ……」
「なんとなくね。名前っていうのはないんじゃない? 呼び方みたいなのしかない、みたいな。そういう感じ。だよね?」
マナトが尋ねると、ゴブリンは大きく首を縦に振ってみせた。
「タァ、タァ」
「タタ!」
マナトはゴブリンの肩に手を置いた。ゴブリンは少しぎょっとしたようだが、マナトの手を振り払おうとはしなかった。
「……タタァ?」
「うん。タタ。マナト、ヨリ、リヨ、ハル、で、きみは、タタ」
「キミィ……タタ」
「タタ!」
「タタ」
ゴブリンは自分を指さして、繰り返した。
「タタ」
「これでいこ。タタ!」
「コェーデ……コ。タタ!」
「タタ、仲間。みんな、タタの仲間。マナトも、ヨリも、リヨも、ハルも、タタの仲間だよ。みんな仲間!」
「ナカマァ。マナト。ヨリ。リヨ。ハル。タタ。ナカマ。ミンナ」
「仲間!」
マナトが右手の親指を立てると、ゴブリン、いや、タタもすぐさま同じ
「タタ! 助けてくれてありがと! 一人でここまで来てくれて、ありがと! よかった。マジよかった。仲間だよ、タタ!」
「……フォ……ゥオ……」
タタは全身を硬直させて
「ははっ! タタ!」
マナトは笑ってタタを持ち上げた。そのままぐるぐる回った。一応、タタがいやがったらすぐにやめるつもりだった。
「オゥッ、ウォウッ」
でも、笑っている。と思う。
「もっと!? もっと回る!?」
「ワァウ、ホァッ」
「まだまだ!?」
「フゥオッ」
「……いいかげんにしときなさいよ?」
ヨリに言われた。
「え!? なんで!?」
「目が回るでしょ」
「大丈夫! ぜんぜん回らない!」
「マナトが大丈夫でも……」
「アゥッ、オフッ、ゲェッ、ブフォッ……」
「タタ!? どうしたの!?」
「だから言ったのに……」