まだ日が高いから、ダムローにも行ってみることになった。ハルは気乗りしないようだったけれど、ヨリが見たがっていたし、マナトもスカルヘルの隷属には興味がある。リヨはヨリが行く場所にはついてゆくだろう。

 ダムローは、デッドヘッド監視砦跡はおろか、旧オルタナとも次元が違う規模を誇っていた。ニホンのツノミヤもそうとうな大都市だったが、面積だけならきっとダムローもひけをとらない。

 ハルによると、ダムローは北西部の新市街と、南東部の旧市街、大きくこの二つに分かれている。

 ざっくり言えば、ダムローは人間の街だったが、二百年くらい前、他の種族に一度攻め滅ぼされた。旧市街ははいきよのまま残り、ダムローの新たな支配者となったゴブリン族が新市街を再建した。

 百年前に色々あって、そのゴブリン族も壊滅したらしい。

 その後、スカルヘルの隷属たちがやってきて、住みついた。

「大半の隷属は新市街にいる。旧市街の外縁部は見てのとおり、廃墟のままだ――」

 ダムローはかつて市街地の全域が防壁で囲まれていた。往時の名残がまだ残っている。といっても、ところどころに石が高く積み上げられているだけで、壁と呼べるような代物じゃない。壁の残骸を越えると、何らかの建物を形づくっていたのだろうれきが散らばり、たまに積み重なって盛り上がっている。草が生い茂っていて、あちこちに木立もある。小動物や虫のたぐいは見かけるものの、隷属らしき人影はない。

「旧市街は無人ってこと?」

 ヨリがくと、ハルは首を横に振った。

「いや。養殖場がある」

「養殖? 動物でも飼ってるの?」

「動物といえば、そうだな。動物には違いない」

 遠からず緑地と化してしまいそうな旧市街外縁部をしばらく進むと、壁が見えてきた。壁のさらに向こうには、黒々とした高い建物の影がある。いつだったか、山の中で驚くほど大きな蜂の巣を見かけた。その巣は樹上じゃなく、木の根元にこんもりと膨れていた。あの蜂の巣をもっと、ずっと、とてつもなく巨大化させたような形をしている。本当に建物なのだろうか。でも、自然物とは思えない。

 それより、まずは壁だ。

 ハルは姿を隠しやすそうな木立の中にマナトたちを導いた。ここからあの壁までは、まだ少し距離がある。走っていっても十秒かそこらはかかりそうだ。

「高さは六メートルくらい?」

 ヨリは木陰から顔を出し、手指を動かして何かやっている。

「幅、二百か……二百五十メートルってとこかな。何かを囲ってるの? もしかして、あれが養殖場?」

 ハルはそうだとも違うとも言わずに、壁の端のほうを指さした。

「見張りがいる。体表まであくしゆしているな。れいへいだ」

 たしかに、ハルが指し示したあたりに誰か立っている。人間のような形をしているが、ハルのように黒ずくめに近いかつこうをしているのか。全身が黒っぽい。マナトはジュンツァたちより目がよくて、夜目も遠目もきくほうだ。このくらい離れていても、なんとなく顔の識別がつく。ところが、あの見張りの隷兵とやらは、どんな容姿をしているのかよくわからない。

「見張りは何人くらい?」

 ヨリが尋ねた。ハルはかすかに首をひねった。

「どうかな。隷属は、帰依者たちのように統率がとれているわけじゃないみたいだ。おれもダムローはだいぶ見て回ったが、そのときどきで様子が違う。養殖場に常駐している隷属は二人か三人。一人ということはないだろう。出荷の際は、別の隷兵がくる」

「出荷……って、養殖場で飼育してる、動物の?」

「おれは帰依者たちが何かを食べているところを見たことがない。今のところは、だけどな。ただ、隷属は食事をする」

「肉食ってこと? 主食は、養殖場で飼育してる動物の肉?」

「調理はしない。おれが知っている限りでは」

「サシミ?」

 マナトも獲物の内臓や肉を生で食べることがあった。何でも食べられるわけじゃないが、新鮮ならけっこうおいしい種類、部位がある。そのあたりは両親に教えてもらった。

「……あれをそう呼んでいいのか。おれには何とも言えない。とにかく、隷属は生きたままか、殺してから、手を加えずに食べる。やつらは狩りもするようだが、それだと足りないんだろう」

「あっ。ハル、言ってたよね。大型の獣はずいぶん減ったって。あれ、隷属に狩り尽くされちゃったから?」

「そうだ。やつらは食って殖える」

「でも、生き物ってそういうものなんじゃない?」

 ヨリが肩をすくめてみせた。

「基本的にはヨリたちだって同じでしょ。生きるためには食べなきゃいけないし、子孫繁栄のために繁殖する」

「あの中で養殖されているのは、ゴブリンだ」

「……え?」

 ヨリはリヨと顔を見合わせた。二人とも、ぼうぜんとしているようだ。

「ゴブリンって――」

 ニホンではたぶん聞いたことがないと思う。ハルの話には何度か出てきた。マナトは記憶を辿たどってみた。

「ダムローを、何だっけ、占領? 占拠してた、ええと……種族? ちょっと違う、人間みたいな? え? 人間みたいなのを……食べてるの?」



 養殖場はダムロー旧市街に数箇所あるらしい。ハルが言うには、石の壁に囲まれているだけじゃなく、地面が掘り下げられていて、その中でゴブリンが養殖されている。

 壁には一箇所だけ門が設けられ、そこを開けると出入りできる。

 マナトたちが今、木々と瓦礫による複雑な複合体に隠れて見守っているのが、その門だ。門扉は鉄の棒を格子状に組んだもので、かなりびている。かんぬきは外側に掛かっていた。ということは、中から出られないようにするためのものだ。

 日が傾いてきた。

 新市街のほうから何かが近づいてくる。

 車だ。四つの車輪を取りつけた荷車らしい。小さな車じゃない。ニホンでわりとよく見かけたケートラよりもずっと大きい。ケートラの、ゆうに倍はある。荷台というより、おりに車輪を付けたような車だ。ケートラはエンジンで動くが、あの車は違う。檻から前方に出っぱったコの字形の持ち手を、人がつかんでいている。一人じゃなくて、二人だ。ずいぶん大柄な――あれは、人間なのか。肌が緑色だ。

「オーク……」

 ヨリがつぶやいた。緑肌の種族。オーク。そういえば、神兵の中にもいた。二人のオークが並んで持ち手を握り、かんしやを牽いている。オークの神兵は目が光っていたが、あの二人は黒い。白目がない。隷属オークは左右の目全体が黒々としている。

 檻の中は空っぽだ。何も積んでいない。けれども、檻の上に黒っぽい人間型の生き物が腰かけている。あれはオークじゃない。見張りと似たようなやつだ。体表まで悪腫化している、とハルが言っていた。隷兵か。

 檻車を門の前でめると、オークたちは閂を外して門扉を引き開けはじめた。オークたちはかなり力がありそうだが、開けるのに難儀している。錆びているせいか、ゆがんでいるのか。かなり建て付けが悪いようだ。

 檻車の上の隷兵は脚を組んでみたり、片膝を立ててみたりするだけで、そこから動こうとしない。オークたちに手を貸す気はさらさらないようだ。

 やっと門扉が開いた。オークたちはふたたび檻車を牽いて、門から養殖場の中に入っていった。

 壁の上には見張りの隷兵がいる。でも、ここから見える範囲にはいない。

 門は開きっぱなしだ。

 檻車はすぐに見えなくなった。

 養殖場内部は掘り下げられ、低くなっているという。檻車はその低いところに降りていったのかもしれない。

 何か声らしきものが聞こえる。マナトにはわからない言葉だが、怒鳴りつけているような調子だ。この甲高い叫び声は何だろう。怒鳴っている声とは、また別の声だ。悲鳴だろうか。騒がしい。

「……何をしてるの? あいつら……」

 ヨリはハルに訊いたのか、それとも疑問を口に出しただけなのか。ハルは黙りこくっている。

 養殖場を調べたいと言いだしたのはヨリだ。ハルは引き返したがっていた。

 マナトは正直、よくわからない。

 獣を狩って食べるのは、マナトにとってごくあたりまえのことだ。逆に人間が襲われて獣に食べられることもある。それがひどいことだとは思わない。ただ、いくら空腹でも、同じ人間を殺して食べるかというと、食べたくはないような気がする。

 食べたくなくても、食べなければ死んでしまうのなら、食べるしかない。

 でも、たとえば、えていたらジュンツァたちのような仲間を食べるか、と訊かれたら、どうだろう。

 どうだろうも何も、仲間は食べない。

 もし、たまたま自分が死にかけていて、仲間たちが死ぬほど腹をかせていたら、どうか。他に食べ物がなければ、どうせ自分はそのうち死ぬし、食べていい、いっそ仲間に食べてもらいたい、と考えるかもしれない。仮にマナトがそう望んだとしても、仲間は食べてくれるだろうか。よっぽどのことがないと、結局、食べないんじゃないか。

 仲間じゃなければ、食べられるだろうか。

 相手が見知らぬ他人だったら、食べ物と見なせるのか。

 空腹のときに、人間の死骸を見かけたことがある。ツノミヤ以外の街では道端によく死体が転がっていて、はえなどの虫がたかり、からすや犬、豚に食われていたりした。ハンター暮らしをしていると、鳥、山犬、豚に似たいのしし、何でも狩るし、蛇や一部の虫だって食べる。獣、虫が人間の死体を食べるなら、人間が人間を食べたってかまわない。

 そのはずなのに、人間は食べられないと、マナトは感じている。

 理由はわからないが、人間は人間を食べない。

 それはたぶん、やってはいけないことだ。

「ゴブリンは、人間?」

 マナトはハルのがいとうを摑んで小声で尋ねた。ハルは少し間を置いてから答えた。

「おれは昔、このダムロー旧市街でずいぶんゴブリンたちを殺した。彼らは言語や固有の文化を持っていて、人間に似たところがある。でも、おれたちは彼らを人間扱いしていなかったんだ。彼らには共食いをする習性があった。誤解を恐れずに言うと、ゴブリンはおれたち人間より頭が悪くて、見た目も醜い、野蛮で下等な種族だと思っていた」

「……それ本気で言ってる?」

 ヨリが口を挟んだ。

「ゴブリンは体こそ小さいけど、瞬発力も、持久力も、ヨリたち人間よりむしろ上だよ。頭だって悪くない。同族の遺体を食べる風習にも、ちゃんと弔いの意味がある。赤の大陸のゴブリンたちは続けてるみたいだけど、連合王国に渡ってきた一派は、他の種族と共存するために遺体を食べるのはやめた。竜飼いにはゴブリンが多い。危険な職業だし、尊敬されてる。ちなみに、ヨリとリヨの竜飼いの師匠はゴブリンだよ」

「……そうか。ゴブリンたちも、赤の大陸に。天竜山脈の南には、彼らもいるんだな」

 ハルはため息をついた。

「彼らがきみたちの同胞になっているという事実は、おれ個人としてもそこまで意外じゃない。彼らはダムロー新市街に独自の王国を築き上げていたし、他の種族と交わるゴブリンもいた」

「養殖なんて」

 ヨリはうつむいて唇の端のほうをぎゅっとんだ。完全に頭にきているようだ。というか、ずっと怒っていたのだろう。

「ありえない。なんでそんなこと――」

 ヨリが顔を上げた。リヨがヨリの腕をそっとさわったからだ。

 開け放たれた門の先に檻車が見えてきた。やはり一度、低いところに下りて、上がってきたようだ。

 オーク二人が牽く檻車の上に腰かけていた隷兵は見あたらない。

 来たとき檻は空っぽだった。今は何かを満載している。大勢が乗っている、いや、乗せられている、と言うべきだろうか。

 彼らは小柄だ。人間の子供くらいだろうか。腕や脚は細く、胸は狭くて薄い。あばらが浮き出ているのに、腹は膨れている。体格のわりに頭が大きい。それとも、痩せているせいで大きく見えるのか。

 オークの肌は緑色で、彼らの肌も似た色合いだが、いくらか黄みがかっている。頑丈そうな衣類を身にまとっている二人のオークと違って、彼らは何も着ていない。素裸だ。

「……ゴブリンたち」

 ヨリがうめくような声で言った。

 あるゴブリンは座っている。立っているゴブリンもいる。座れるゴブリンは座って、座る場所がないゴブリンは立っているしかないのだ。外側で立っているゴブリンは檻に摑まり、檻に手が届かないゴブリンは近くのゴブリンにもたれかかっている。檻車はがたごと揺れるので、何か支えがないと倒れてしまうのだろう。とんでもなく窮屈そうだし、押し合いへし合いしてもおかしくないが、そんな元気はないのかもしれない。彼らは見るからに弱っている。

 檻車が門を通過した。れいへいは檻車の後ろにいた。手に何か持って歩いている。あれは何だろう。小さいものじゃない。けっこう長い。腕一本分くらいはありそうだ。半ばほどで折れ曲がっている。

 オークたちが檻車から離れ、門扉を閉めはじめた。

 隷兵は檻車の脇をゆっくりと歩きながら、手に持っているものを顔に近づけた。

 何をするのか。

 あれは何なのか。

 隷兵は黒っぽいというか、全身ほとんど真っ黒だ。黒いうろこのようなもので体が覆われているように見える。

 口を開けた――のだと思う。隷兵の下顎が下方に動いた。口の中も黒い。

 隷兵は手に持っていたものに、かぶりついたのか。

「……食べてる」

 ヨリがそう呟いて、片手で自分の口を押さえた。

 だいたい腕一本分くらいの大きさだった。腕であれば肘にあたるところで折れ曲がっていた。緑色で、やや黄みがかっている。一部、赤黒い。

 腕くらい、というか。

 あれは、腕そのものだ。

 隷兵はゴブリンの腕を食べている。

 養殖場の門扉は閉められ、閂がかけられた。オークたちが並んで持ち手を摑み、檻車を牽きはじめた。隷兵は檻車の横を、そのまま歩いてゆくらしい。

 檻車に乗せられたゴブリンたちは静かだ。すぐそこで、隷兵がくちゃくちゃ、ごりごりと仲間の腕を食べている。檻の中からそれを見ているゴブリンもいるのに、何も言わない。じっとしている。

「えぇ……と」

 マナトは檻車に目をやってから、ヨリとリヨを順々に見た。

「助けないの? あの――人たち?」

「っ……」

 リヨが驚いたように両目を見開いて息をのんだ。ヨリは赤い剣のつかに手をかけて、ぐっと膝を曲げた。

「いや、それは――」

 ハルが駆けだそうとするヨリを手で制した。

「待ってくれ、ヨリ。ダムローは隷属たちのテリトリーだ。隷兵一人でも侮れない。二人、三人と集まってきたら、手に負えるかどうか。それに、あのゴブリンたちを檻から出して自由にしたところで……」

「ハルヒロ。あなたの言いたいことはわかる。ヨリは馬鹿じゃない」

「……そんなふうには思っていない」

「本当に? ヨリは激情に駆られて、後先考えずにあのゴブリンたちを助けようとしている。ハルヒロはそう思ってるんじゃないの? 言っとくけど、大間違いだよ」

「何を……考えてる?」

「ゴブリンの養殖場は何箇所もあるんでしょ」

「旧市街には、おそらく四箇所」

「ぜんぶ潰す」

「……何だと?」

「閉じこめられてるゴブリンたちを全員救うのは難しい。だけど、養殖なんてさせない。そんなこと、ヨリは認めないし、許さない。手始めに出荷を止める。それから、養殖場を一つずつ潰す。壊滅させる。リヨ」

 姉に呼びかけられると、妹は無言でうなずいた。

 ヨリがやるつもりならリヨは当然、手伝う。姉妹だと言われたらそう見えるが、似ているかというと、それほど似てはいない。双子じゃないし、年齢は一歳半、離れている。妹のほうが姉よりずっと背が高い。外見だけじゃなくて、性格も違いすぎるほど違う。それでいて、二人はきっと一心同体なのだ。

「ハル」

 マナトはハルの肩を軽くたたいた。べつに何もおかしくはないのだが、ついちょっと笑ってしまった。

「……わかった」

 ハルはうなだれた。

「ただし、退くべきときは退くと約束してくれ。スカルヘルの隷属はグリムガル中にいる。養殖場がいくつあるのか。これはきみが想像しているより、はるかに長い戦いになるぞ」

「ヨリがへこたれると思う? あのひいおちゃんとひいおちゃんの血を引いてるんだよ」

「よしっ」

 マナトは掌を下に向けて右手を出した。

「何?」

 ヨリは小首をかしげながらも、マナトの右手の上に自分の右手を重ねた。

 リヨも、姉がそうしたからだろう、ヨリの右手の上に右手を置いた。

「……何だ?」

 ハルは手を出そうとしない。

「んっ」

 マナトが顎をしゃくってうながすと、ようやくハルはリヨの右手の上に自分の右手をのせた。

「何これ?」

 ヨリは解せないようだ。

「さあ?」

 マナトは笑った。

「なんとなく。一緒にがんばろうみたいな感じ?」

「一緒に……」

 リヨはヨリを見てからハルに目をやって、最後にマナトに視線を向けた。そして、顎を引くようにして少しだけうなずいた。

「がんばる。一緒に」