「ここがはこぶねのコントロールだ」

 ハルが通路の扉をどうやって開けているのか、ようやくわかった。何のことはない。扉の脇にある目立たないボタンを押す。すると扉が開く。それだけのことだった。

 扉は滑らかに右側に吸いこまれていって開いた。ヨリとリヨはその扉の動き方を興味深そうにじっと観察していた。マナトは電気で動く機械をニホンで見たことがあるし、こういうものがあってもおかしくはないという受け止め方をしたが、二人にとってはずいぶんめずらしいようだ。

 ハルがマナトたちを案内してくれたコントロールとかいう部屋は、グリムガルよりもニホンに近い印象を受けた。ツノミヤでもメバシでもカリザでも、そのあたりを仕切っているヤクザたちしか立ち入れないような地域があって、そこには立派な建物がひしめき、ケートラとは別物の自動車が走っている。ヤクザに見つかったら、殺されるかもしれない。やばいとわかっていながら、何度かこっそり足を踏み入れて見物した。さすがに建物の中にまでは入れなかったが、ガラス張りで内部が見えたり、窓からのぞき見たりしたので、少しは様子がわかった。

「やぁ、でも、違うか……」

 倉庫ほど広くはない。ぼんやり明るい程度の照明器具が設置された天井も、そこまで高くはない。机なのか、台なのか、そういうものが整然と並んでいて、椅子もある。コントロールには段差があった。入ったところが一番高くて、奥に進むに従って低くなっている。階段もあるし、坂道状の通路もある。

 ハルは階段を下りてゆく。

 ヨリとリヨは戸惑っているようだ。

 マナトはハルを追いかけることにした。

「ね、ハル。何なの、コントロールって?」

「方舟全体の機能をつかさどっている。……といっても、おれが把握しているのはそのうちのごく一部だ」

「へえ。機能かぁ。さっぱり意味不明!」

「この方舟が、グリムガルのものじゃないということだけは間違いない。方舟はどこか別の世界から渡ってきて、ここに落ちたか、着地したのか。おそらく、方舟にはおれたちとは異なるものが乗っていた」

「あぁ、船だったんだ。それで、方舟? 船っぽい見た目じゃないけど」

「外観は偽装できる。外だけじゃない。中もいじれる」

「通路も最初、せんかいだんだったもんね」

「方舟に限らない。この仮面もそうだが――」

 ハルはまたあの仮面を装着している。もう素顔を隠す必要なんてなさそうだが、ずっとつけていたみたいだし、外すと落ちつかないのかもしれない。

「グリムガルには異界由来のものがたくさんある。何かそういったものを引き寄せる場なのかもしれない」

「異界……ニホンのこと? ニホンも異界の一つ?」

「だと思う」

 ハルは階段を下りきると、長い机の前で足を止めた。ただの机じゃなさそうだ。突起があったり、図形のようなものが描かれていたりする。

 ヨリとリヨも階段を下りてきた。

「あの塔の中がこんなふうになってるなんて……」

 ヨリは鋭い目つきで、やたらときょろきょろしている。かなり警戒しているみたいだ。ヨリに従えられているリヨは無表情だから、何を考えていて、どんなふうに思っているのか、マナトにはよくわからない。

 ハルに気絶させられて負けてしまったが、リヨはすぐ目を覚ました。見たところ、ダメージはそんなになさそうだ。ハルは首を折られて、顔面を破壊されても、リヨにはほとんどをさせなかった。結局、ハルはあえてそういう勝ち方をしたのだろう。

「戸惑うのも無理はない」

 ハルは右手の手袋を外した。白すぎるほど白かった顔と同じで、手も白い。ハルは机に描かれている図形にその手を置いた。

「コントロール。認証を要求する」

 ハルがそう言うと、あちこちに光がともったので、マナトはびっくりした。

「うわっ……」

 声こそ出さなかったが、ヨリもびくっとした。リヨの目が妙にぱっちりしている。見開いているのだ。

 ハルが右手を置いた図形が青白く光っている。

『認証。コントロール、起動』

「……誰?」

 マナトは首を巡らせた。ハルでも、ヨリでも、リヨでもない声だった。

 ハルの眼前というほど近くはない場所に、白い文字列が浮き上がっている。マナトはいくらか読み書きができるが、まったく見覚えのない文字だ。黙りこくっていぶかしげに文字列を凝視しているヨリとリヨの様子からすると、二人も読めないらしい。

「コード・予備室A、及び、コード・予備室B、偽装を変更」

 ハルが言うと、例の声が答える。

『偽装変更を受諾』

「そうだな……サイズ・三番、スタイル・モダン、タイプ・生活目的ワンルーム、予備室Aはシングルベッド、予備室Bはツインベッドで」

『受諾。偽装を実行しますか』

「実行してくれ」

『受諾。偽装完了まで百八十秒』

「カウントは不要だ」

『受諾。カウントを破棄』

「……ハル?」

 マナトはハルのマントをつまんで軽く引っぱった。

「さっきから誰と話してるの?」

「コントロールだ」

 ハルが手を離すと、図形の光が消えた。

「正確には、誰でもない。方舟を制御する装置の――ああやって会話することで方舟を動かす、機能の一つだな」

「……これ」

 ヨリは眉をひそめて、苦い顔をしている。

「もしカンパニーが知ったら、面倒なことになりそう。総力を挙げて奪いにくるよ。こういうわけわかんないのとか、あの人たちの大好物だから」

「カンパニーというのが何なのか、おれにはわからないが、方舟を奪取するのは簡単じゃないだろう。コントロールを動かすには、認証が必要とされる」

「ハルヒロしか、その認証っていうのができないってこと?」

「ああ。基本的には」

「余計なお世話かもだけど、ハルヒロ、べらべらしゃべりすぎ。ヨリがカンパニーの関係者だったらどうするの」

「論理的じゃないときみは思うだろうが、おれはユメとランタの曽孫を疑いはしない」

 ハルは手袋をめた。

「とくに、きみとリヨはユメを直接知っている。どう言ったらいいか。おれはきみたちにユメを感じるんだ。ユメから、何かを――たぶん、とても大事なものを、しっかりと受け継いでいる」

「……ひいお祖母ちゃんを持ちだすのは、きよう

「すまない。おれは卑劣なんだ。おかげで、こうして生きながらえている」

 ハルは机の前から離れた。

「ついて来てくれ。きみたちに部屋を用意した」



 通路に戻って、ハルがコントロールとは別の扉を開けた。その扉の先は、何というか、普通の部屋だった。マナトたちがカリザの奥で見つけた家の部屋にもやや似ている。そこそこの広さで、天井の高さは跳んだらさわれるくらい、ベッドが二台あって、戸棚、机、椅子も二脚置かれている。その部屋には出入り口以外の扉もあった。ハルが言うには、服を脱いだり着たりする小部屋、脱衣所と、入浴できる浴室、それから、トイレまでついているらしい。

「ここにとどまるなら、ヨリとリヨ、二人で使うといい。何か足りないものがあれば言ってくれ。特殊なものでなければ、なんとか融通できると思う」

 ハルはヨリとリヨを見た。

「もしかして、二人一緒の部屋じゃなく、別々がよかったか?」

「うんん……」

 ヨリは腕組みをしてうなった。

 リヨは即答した。

「一緒がいいです」

 ハルはもう一つ、部屋を用意してくれていた。ヨリとリヨの部屋と大きさは変わらないが、そちらにはベッドが一台しかなかった。マナトの部屋だという。

「一人部屋? おぉ。初めてかも」

「食糧はおれの部屋に蓄えがある。おれはともかく、きみたちは若いし、かなり食べるだろうな。滞在期間にもよるが、調達法を考えないといけない。オルタナの菜園にしても、まだ使えるかどうか……」

 マナトはハルに浴室の使い方を教えてもらい、水浴びならぬお湯浴びをした。蛇口をひねるだけで、少し熱いほどの湯がとめどなく出る。ニホンでもそういう設備があるところにはあると聞いていたが、自分が使用することはないだろうと思っていた。

「シャワー、気持ちいい……」

 浴びすぎなくらい湯を浴びて、脱衣所に置いてあったふかふかの布で体を拭いた。脱衣所には上半身が映る大きな鏡があった。体をひねって背中を確認してみたが、盛り上がった傷痕しか残っていなかった。この傷痕も明日にはすっかりなくなっているだろう。

「しっかし、髪、伸びたよなぁ……」

 布を首にかけただけの全裸で部屋をうろうろしているのも何だし、ベッドに座った。脱いだ衣服は適当に丸めて部屋の隅にまとめてある。せっかくハルが見つけてきてくれたのに、背中が破れてしまった。

「直せるかな。あ。血がついたままだった。洗える? 体みたいに勝手に治ればいいんだけど。……普通は治んないんだっけ。ううん……ていうか、ヨリもリヨも強かったなぁ。ハルもだけど。いいな。強いのって。強くなりたい……のかな。どうだろ。ジュンツァとかがいれば、自分が強いほうが便利かなって思うけど。ヨリもリヨもハルも、強いしなぁ。あぁ……でも、強くないよりは、強いほうがいいかな? 強かったら……何だろ。そうだ。うん。足、引っぱらなくてすむし……?」

 マナトはベッドの上で寝転んでみた。上掛けはやわらかくて、でも、その下のものがマナトの体をしっかりと支えている。想像を絶する寝心地のよさだ。

「すっげぇ。これ」

 マナトはため息をついて、笑ってしまった。

「何だっけ、こういうの。極楽? 天国、だっけ。ジュンツァが言ってたんだ。人が死んだら、たいてい地獄に行くんだけど、極楽だか天国だかに行く人もいるとか。地獄はめちゃくちゃひどい場所だけど、極楽はそうじゃなくて……なんでそんな話になったんだっけな……あぁ……ジュンツァが怪我したとき、痛がって、眠れないとか言って……それで、アムがジュンツァにくっついて、色々さすったりとかして。そのとき、ジュンツァが……あんなに痛がってたのに……『いいわ。極楽だ』って。何それ、どういう意味って、いたんだっけ。それで、地獄と、天国……極楽の話になって……そうだ、そうだ……ジュンツァ……なんか言ってたな。『俺、アムと子供作ろうかな』とか。えぇ、何それって……笑っちゃったな。そしたらジュンツァ、微妙にキレて……なんでキレてんのって、余計、笑って……『マジな話、マナトはアムとネイカだったら、どっちがいい』……やぁ、マジ、よくわかんない……考えたこともなかったしな……子供かぁ……子供ができたら、親のほうが先に死ぬから……子供の前で、死ぬのは……ううん……なんか、ね……いやかな、それは……父さんと、母さんは……死ぬとき一緒で、よかったけど……うん……父さんも、母さんも……びっくりするだろうな……グリムガル、かぁ……――」

 いつの間にか眠りこけていたようだ。

「……ぁ?」

 目が覚めると、部屋の明かりがだいぶ控えめになっていた。それに、体の上に毛布がかかっている。寝ぼけて自分でかけたとは思えない。そもそも、この毛布がどこにあったのか、マナトには見当もつかないのだ。首に巻いていた布は、離れたところでくしゃくしゃになっている。

 起き上がると、机の上に皿とフォーク、ナイフが置いてあることに気づいた。皿には何か盛りつけられている。ほのかに匂いがする。食べ物だろう。

 マナトは毛布をどけて、ベッドから下りた。椅子の背もたれに、オレンジと黒のツナギがかけてある。シャワーを浴びる前に脱いで丸めておいたものだ。

 マナトはツナギを手にとって広げてみた。

「あぁ! 破れたとこ、縫ってある。血も、拭いた感じ……? 勝手に直るわけないし、直してくれたんだ。でも、誰が……?」

 不思議だが、それよりもまずは食べ物だ。皿はなかなか大きい。盛られているのは、酢漬けとくんせいにく、豆を調理したもの、紫色や赤い物体は干した果物だろう。種類が豊富で、量もけっこうある。

「うっわぁ……ちょうど寝ちゃっておなかすいてるし。自分で何もしてないのに食べ物があるとか、最高なんだけど!」

 マナトはツナギをほっぽって、椅子に座った。

「んっ……」

 すぐに椅子から立って、ツナギを拾った。誰かが直してくれたものだ。ぞんざいに扱うのはよくない気がする。着ようかな、とも思ったが、早く食べたい。マナトはツナギをいそいそと畳んで、少し迷ったが床にそっと置いた。それから椅子に座って、フォークを手にした。

うそ。肉、薄く切ってある。食べやすく……」

 マナトは薄切りされた燻製肉を手始めに、皿の上の食べ物を片っ端から頰張り、しやくして、胃に送りこんでいった。

「うっま、うま……うまっ……んんっ」

 喉が詰まりそうになった。見ると、水だと思われる液体をたたえた瓶のようなものが皿の近くに鎮座している。食べ物のほうに気をとられていて、目に入っていなかった。マナトは瓶の蓋を外し、口をつけて、水らしき液体をごくごく飲んだ。

「水。あぁっ。水だ。そういえば、喉も渇いてた。ありがたいっ……」

 あっという間だった。食べ物も水もぜんぶマナトの腹の中に収まって、皿についた酢漬けの酢までめてしまったから、きれいに何もなくなった。

「……うわぁ。まだぜんぜん食べられるけど。でも、満足……」

 マナトは天井を仰いで目をつぶった。

「いい暮らしだ……」

 笑えてくる。大声で笑うわけじゃないが、くすくす笑ってしまう。

『ピヨピヨ……ピヨピヨ……』

「ん?」

 マナトは目を開けて、部屋中を見回した。

『ピヨピヨ……ピヨピヨ……』

「何、これ?」

『ピヨピヨ……ピヨピヨ……』

「……声? 違うか」

『ピヨピヨ……ピヨピヨ……』

「んん?」

 マナトは椅子から立って耳を澄ませ、音の源を探した。

『ピヨピヨ……ピヨピヨ……ピヨピヨ……ピヨピヨ……ピヨピヨ……ピヨピヨ……』

「ううん……」

 どうも天井のどこかから音が鳴っているようだが、はっきりしない。

『ピヨピヨ……ピヨピヨ……ピヨピヨ……ピヨピヨ……』

 やがて奇妙な音に別の音が混じりはじめた。これはおそらく、壁だとか床だとか、そういったものをたたいている音だ。

「ドアのほうかな……?」

 マナトは出入口の扉に歩み寄った。扉に耳をつけてみると、たしかに音がする。かすかにだが、どんどん、という音に合わせて振動してもいる。

 この部屋の扉は通路とは違って、ニホンの家とあまり変わらない。ハンドルとツマミがついていて、ハンドルで開閉、ツマミで施錠できる。マナトは解錠してからハンドルを回し、扉を開けた。

「お」

 扉の向こうは通路で、ヨリが立っていた。後ろにリヨもいる。

「ドア、叩いてた?」

 マナトは首をかしげた。

「……よね? 変な音もしてたけど――」

 ヨリは口を少し開け、眉根を寄せている。リヨも両目をみはっているし、二人とも何も言おうとしない。

 だいたい、二人はどこを見ているのだろう。マナトの顔じゃない。もっと下のほうだ。

「あっ……」

 マナトは両手でその部分を隠そうとしてみた。収まりきらないので、後ろを向いた。

「……裸のままだった。そんなもの女に見せるなって、アムとかネイカに何回も怒られたっけ。ごめん。うっかりしてた」

「お尻はいいわけ?」

 ヨリに訊かれて、答えようとしたら、つい半分前を向いてしまった。

「あっ――」

 マナトは慌ててふたたびヨリとリヨに背を向けた。

「……お尻もだめか。でもなんか、前よりはいいんじゃない? こういうの、前にしかついてないし」

「とりあえず何か着て」

「うん」

 マナトは服を取りに行こうとした。ヨリに止められた。

「ドア! 一回、閉めて」

「そっか」

 扉を閉めるとき、またヨリとリヨに体の正面を向けてしまった。ヨリは片手で目を覆って、ため息をついてみせた。

「……もう!」

「ごめん」

 謝っておいて何だが、笑ってしまった。マナトは扉を閉めて服を着てから、あらためて扉を開けた。

「よく眠れた?」

 ヨリは平然としていた。リヨは基本的に無表情な人なので、よくわからない。

「いつの間にか、ぐっすり寝ちゃってたみたい。あれ? なんで知ってるの? 寝てる間に部屋に入った?」

「ハルヒロがね。ヨリもリヨも入ってない。一応、男の子の部屋だし。……一応っていうか。まあ、完全に男の子だし」

「ヨリとリヨは女だもんね。なんか、そういうの、あるよね。あんまり裸にならないほうがいいとか?」

「……一般的にはね。あんまりじゃなくて、特別な間柄じゃなければ、裸は見せない」

「何? 特別な間柄って。あっ! ヨリとリヨに裸、見せちゃった。だったらもう、二人とは特別な間柄? なの?」

「そういうことじゃない……」

「違うんだ。ううん。ややこしい。たとえば、ヨリと特別な間柄だったら、裸を見せるってこと?」

「……そう、かな?」

「裸なんか見せて、どうするの?」

「どう……って」

「見せ合うってこと?」

「それは……見せ合うわけじゃ、ない……ような……」

「男だと股のとこについてるけど、女はついてないよね。あと、女は胸が出っぱってるでしょ。あれって、子供を産んだらお乳をあげるんだよね。獣もそうだし。あぁ。男と女は違うから、見せ合うのかな。ここ違うね、とか。そういうこと?」

「……ヨリに訊かれても」

「ヨリは詳しくないの? じゃ、リヨは?」

「わたしは――」

 リヨはそこまで言って、固まった。口が開いたままだし、明らかに顔が、というか、全身が硬直している。マナトは首をひねった。

「ん? どうしたの?」

「リヨに妙なことかないで!」

 急にヨリが怒鳴った。

「熟睡して、すっきりしたでしょ。行くよ!」

「行く?――って、どこに?」

「外!」

 ヨリに腕をつかまれて、引っぱられた。

「こんなとこにずっといたってしょうがない。せっかくグリムガルに来たんだから、この目で色々確かめないと!」