「――天竜山脈を越えてきた? その竜に乗って? 本土では竜を飼いらしてるのか。そんなことができるとは……」

 仮面のせいで、ハルの表情はうかがい知れない。でも、かなりびっくりしていて、動揺してさえいるみたいだ。

 長身のリヨは、羽を畳んだ竜の首をでたり、胸のあたりをさすったり、いやがるでもなく顔をめさせたりして、まめまめしく世話している。ヨリも自分の竜にかまっているけれど、リヨと違ってハルと話しながらだ。

「飼い馴らしてるって言っても、見習い五人のうち三人は竜に殺されちゃうし、そう簡単じゃないよ。あと、竜は育ての親の言うことしか聞かないから、乗りたいならヨリたちみたいに、卵から面倒見ないといけない。ああっ。ちょっ、キャランビット、耳はくすぐったいって、こら、もお、ふふっ……」

 それにしても、ヨリにせよ、リヨにせよ、あの生き物に、あんなふうにべろべろ舐めまくられ、あまみなのだろうがときどき嚙まれたりもして、よく平気でいられるものだ。竜の口は人間の頭を丸のみできそうなくらい大きくて、びっしりと生えた歯は鋭くとがっているのに。あの歯の感じ。絶対、肉食だ。慣れっこになっていて、怖くないのか。竜がちょっと加減を間違えただけで、大変なことになりそうだし、普通に怖いと思うんだけど。どう考えても怖い。マナトは背中がぞくぞくした。怖すぎて、笑える。

 本当は、ヨリとリヨの竜に近づきたくてたまらない。ただ、ハンターの勘で、マナトが近寄ったら竜は怒ると確信している。そうなったら、マナト自身はともかく、ヨリとリヨがとばっちりを食いそうだ。それはまずいので、マナトはぐっとこらえている。かなり撫でてみたいけど。

 すぐそこに、古びた塔にしか見えないはこぶねが立っている。ルミアリスの帰依者をしっかり始末したあと、マナトたちはオルタナを離れてこの丘に上った。ヨリが竜と一度顔を合わせておきたいというから、呼んでもらったのだ。どうやって呼ぶのかと思ったら、ヨリとリヨが竜笛という丸っこい石製の笛を吹くと、二頭、いや、羽があって飛べるから二羽か、でも大きいからやっぱり二頭の竜が、天竜山脈のほうから飛んできた。

 竜笛の高く澄んだ音はさして大きくなかったが、見晴らしのいい場所ならそうとう遠くまで届くらしい。そして、ある種の竜にだけよく聞こえるのだとか。マナトには聞き分けられなかったけれど、竜飼いそれぞれに固有の吹き方があって、誰が吹いているのか、竜にはわかるのだという。

「心が通ってさえいれば、翼竜はかわいいし、頼れる相棒だよ。あたりまえの愛情を注いでれば、そんなに手も掛からない。ご飯だって自分でどうにかするしね。ちなみに、血の匂いがするから、山で何か食べてきたみたい。天竜山脈越えで無理させちゃったし、おなかがいてたんだ。かえって呼ばないほうがよかった? そんなことないか。ヨリに会いたかっただろ? ヨリもだよ、キャランビット。会いたかった。よーしよしよし」

「あぁーっ……!」

 マナトはつい頭を抱えて叫んでしまった。二頭の翼竜がこっちを見て、ピリッとした空気が流れた。

「何? 突然」

 すかさずヨリが自分の翼竜の首を抱えこんだ。翼竜は目を細めてヨリの頰を舐めた。

「……いや、ごめん。さわってみたくて。だめだよね。わかってる」

「そのとおりだよ。許さない」

「だよね。食べられちゃいそうだし」

「キャランビットを怒らせたら、食べられてもおかしくないね。ヨリでも止められない。というか、止めないし。ところで、の具合はどうなの、マナト?」

「怪我?」

 マナトは両腕を上げて体をひねったり、軽く跳んで着地してみたりした。

「うん。もう平気。痛くないし。ふさがったっぽい」

「……あきれた自然治癒力だな。きみ、本当に人間?」

「人間だと思うけど。ううん……でも、父さんとか母さん、ジュンツァたちとは、ちょっと違うのかな? みんな、怪我したらなかなか治らなかったし。治らなくて、そのまま死んだ仲間もいるしな」

「死んだ……仲間が?」

「けっこう死んじゃったね。結局、生き残ったのは、自分入れて四人かな? もっといたんだけど。あ、これ、ニホンの話ね。グリムガルじゃなくて」

「……ニホン? グリムガルじゃない? もしかして――きみもひいおちゃんと同じなの?」

「ひいお祖母ちゃん? リヨの? あ、リヨとヨリって呼んでいい?」

「かまわないけど。ヨリはヨリで、リヨもリヨだし。ひいお祖母ちゃんがつけてくれた名前なんだ」

「へえ。ひいお祖母ちゃんか。お祖母ちゃんっていうのは、母さんの母さんだよね。見たことはないけど、聞いたことはある」

「ひいお祖母ちゃんは、お祖母ちゃんのお母さん」

「めっちゃお母さんだ!」

「……めっちゃお母さん? まあ……いや、何だよそれ」

「お母さんのお母さんのお母さんだから、めっちゃお母さん?」

「……とにかく、ヨリやリヨの母親がリンカで、リンカの父親がルオン。ルオンはヨリやリヨにとっておちゃんにあたる」

 マナトは腕組みをした。

「お祖父ちゃん……」

「ルオン……」

 そう呟いたのはハルだった。

「ルオンの母親が、ヨリたちのひいお祖母ちゃんで――」

 続けようとしたヨリを、ハルが遮った。

「待て。……ちょっと――待ってくれ。ルオン……ルオンだって? その、母親……?」

「ルオンはお祖父ちゃんだけど。会ったことはないよ。ずいぶん前に亡くなったから」

「三十八年以上前」

 リヨがぽつりと言って、翼竜の背を押した。

「ウーシャスカ。またあとで」

 リヨに声をかけられた翼竜ウーシャスカは、クィィ、と一鳴きすると、翼を羽ばたかせながら丘の斜面を駆け下りていった。翼竜はああやって飛び立つのか。ウーシャスカの助走はそれほど長くなかった。翼の力が強い。脚力もすごい。ウーシャスカは間もなく地面を離れて浮き上がり、みるみるうちに高度を上げていった。

「祖父ルオンが亡くなったのは、ヨリが生まれる二十年近く前の、アラバキア王国暦七二四年二月二十三日。ヨリは七四四年四月三日生まれで、わたしはその翌年、七四五年十月三日に生まれた」

「おぉう……数字が……」

 頭がこんがらかる。マナトはすぐに考えるのをやめた。

「行け、キャランビット」

 ヨリも翼竜を押しだした。キャランビットは一瞬、抵抗したが、ヨリがしょうがないなぁというふうにひとしきり頰ずりしてやると、納得したようだ。キャランビットも丘を下って飛び立った。

 ハルは左手で仮面を覆うように押さえて、少しまえかがみになっている。

「オルタナ、だよね」

 ヨリははいきよに目をやった。

「ひいお祖母ちゃんは、オルタナにまだアラバキア王国の辺境伯がいたころ、仲間たちと一緒にこのグリムガルで目を覚まして、義勇兵になった。そのときの話をよく聞かせてくれた」

「赤の大陸に渡ってからの話も」

 リヨは方舟を見上げている。

「一族とカンパニーが天竜山脈の南に進出して、連合王国を建国するまで。その後の話も、たくさん聞いた」

「リヨ。すぐそうやって話の腰を折る」

「ごめんなさい」

 リヨはうつむいた。無表情で、声音は平板だったが、へこんでいるのかもしれない。

「……教えてくれないか」

 ハルは仮面から手を離さずに、うめくように言った。

「きみたちの、ひいお祖母ちゃんの名を。ひょっとしたら、おれの――知っている人かもしれない」

「ひいお祖母ちゃんは」

 ヨリはハルに向き直った。

「一族の生き字引で、みんなからは、おおばばさまとか、たいさま、グレートマザー、ゴッドマムなんて呼ばれてた。ヨリがひいお祖母ちゃんって呼べるのは、誰よりも大切で、偉大で、大好きで、心から愛さずにはいられないあの人の血を、間違いなく引いてるから。ひいお祖母ちゃんは、一族に子供が生まれると、決まって自分で名前をつけた。ひいお祖母ちゃんに名づけられた者は特別なの」

「……ヨリ。その名に……覚えがある。今、思いだした……」

 ハルは仮面で顔を隠しているから、視線の行方がわからない。でも、ハルは下を向いている。ヨリの顔をまともに見られないようだ。

「おれの、仲間が……友だちが、言ってたんだ。生まれてくる子が女だったら、ヨリにするつもりだった、と。でも、男だった」

「ヨリはね。一族で二人目のヨリ。一人目のヨリは、ルオンの娘。最初の娘。幼くして亡くなってしまった。その子と同じ名前を、ひいお祖母ちゃんはヨリにつけてくれた。ひいお祖父ちゃんと一緒に考えた大事な名前を、ヨリにくれたの」

「……馬鹿な。……そんな。……うそだ。……いや。……きみが――ヨリ、きみが噓をついてるなんて思ってない……そうじゃないが、ただ……あれからもうすぐ百年だ。百年もったんだ。……ありえない。その名を、ふたたび耳にするなんて。……何だって? きみに、名前を? きみは七四四年生まれ……今年、十八歳か」

「ひいお祖母ちゃんは、自分の年齢がわからなかった。グリムガルで目覚めたとき、名前しか思いだせなかったから。でも、すごく年をとっていた。とても長生きで、元気だった。ヨリを膝の上にのせて、お話ししてくれた。たまに、リヨも一緒に、二人でね。あのときはまだ、リヨは小さかったし」

「……いつだ? 彼女は……いつ?」

「五年半くらい前かな」

「アラバキア王国暦七五六年十二月二十四日」

 リヨが低い声で、でも、よどみなく言った。

「ひいお祖母ちゃんが息を引き取った日。一生、忘れない。忘れられない日」

「五年……?」

 ハルはがくっと地べたに膝をついた。

「……たった五年半前……」

 うなだれて、力なく首を振る。

「最近じゃないか……そんな……生きてた……少し前まで……おれは……とうてい、そんなこと……あるはずが……あぁ……おれは、何をやって……こんなところで、ずっと……おれは、なんで……」

 マナトはハルに歩み寄って、隣にしゃがんだ。何かしてあげたいのだが、どうすればいいのかわからない。とりあえず、笑うのは違うと思う。少なくとも、ハルは笑える気分じゃないだろう。

 困った。

 マナトも笑えない。

「ユメ……」

 ハルがつぶやいた。よじれた喉から絞りだしたような、ひどくいびつな声だった。

「ユメは……生きてた。生きていてくれたんだ。あの子を――ルオンを守って……グリムガルを脱出した。あぁ……ルオンに、子供が……ルオンの孫たちが、グリムガルに……それなのに、おれは……何をやってた? 何か、できたはずなのに……そうだ……できたんだ。何もできなかったはずがない……」

 マナトはちょっと迷ったが、ハルの背中をそっとさわった。

「ハル、大丈夫?」

「……ああ」

 ハルは返事こそしたものの、微動だにしなかった。

「おれは、大丈夫だ。大丈夫じゃないなんて、言えない」

「ね」

 ヨリがハルの正面に回りこんだ。ヨリはしゃがまなかった。身を屈めもせずに、ハルを見下ろした。

「ヨリたちは名乗って、身の上を明かした。次はあなたの番だよ。あなたは誰? ハルっていうのがあなたの名前らしいけど、ひいお祖母ちゃんがハルくんって呼んでた人がいることは知ってる。仲間で、友だちで、お兄ちゃんみたいな人だって言ってた。ひいお祖父ちゃんは別格だけど、ひいお祖母ちゃんはハルくんのことを心から信頼してた。何回も、数えきれないほど、ハルくんに助けてもらったって。でも――」

 ヨリは一つ息をついた。

「ハルくんは、ひいお祖母ちゃんと同じ日にグリムガルで目を覚まして、だいたい同年輩だった。エルフでもドワーフでもない、人間だから、こんな言い方はしたくないけど、生きてるわけない。亡くなるまでハルくんに会いたがってたひいお祖母ちゃんも、たぶん本当はあきらめてたと思う」

「ハルくんは、ひいお祖母ちゃんなりの呼び方」

 リヨが淡々と言った。

「本名は、ハルヒロ」

「ああ……」

 ハルはようやく顔を上げた。

「おれがそのハルヒロだ。たしかに、きみの言うとおり、本来ならとうに死んでいる。おれは死に損ないだ。生き恥をさらしていると言ってもいいだろう」

「顔を隠してるのは?」

「ただの仮面じゃない」

 ハルは顔全体と、耳まで覆っている仮面の縁に手をあてた。

「機能がある」

遺物レリツク?」