いつ、どうやって、ニホンからグリムガルにやってきたのか。

 マナトには見当もつかないが、かなり腹が減っているから、最後に何か食べてからずいぶん時間がっているようだ。それだけはまず間違いない。

「――うわ、立派!」

 塔の中に戻ってせんかいだんを上がり、ハルが案内してくれた場所は、壁と天井が灰色で、床はもう少し濃い色の、広々とした部屋だった。

「そうか?」

 ハルは壁際のほうに歩いていって、物入れらしい大きな直方体の扉を開けた。物入れの中は棚になっていて、何かの容器がずらりと並んでいた。ハルは容器を二つ取り出すと、物入れの扉を閉めた。

「適当に座ってくれ」

 部屋の中央あたりは何もなくてがらんとしているが、物入れの近くにテーブルがあって、椅子が四脚、置いてある。

 マナトが走っていって椅子に座ると、ハルはテーブルの上に二つの容器を置いて蓋を外した。片方の容器の中身は植物の実か根だろうか。赤っぽい色のものや、白いもの、緑色のものが液体に漬けこまれている。くんくん匂いを嗅ぐと、酸っぱいような香りがした。もう片方の容器の中身は、たぶん動物の肉だ。黒っぽい、柔らかくはなさそうな肉のかたまりが、ぎっしりと詰まっている。

「おれはあまり食べなくてもいいんだが、それも味気ないし、保存食を作ってたまに口に入れるようにしてるんだ」

 ハルは別の物入れを開けて、食器を持ってきた。皿とフォーク、それからナイフだ。

「好きなだけ食べてくれ」

「いいの?」

うりと根菜の酢漬けと、ガナーロという牛みたいな動物の肉を塩漬けにして干してから、くんせいにしたものだ。他にも、まめとか、干した果物が何種類かあったかな。乾燥させた豆はしばらく水にけて戻さないと食えないから、もし食べたければやっておく」

「すごい。充実してる」

「……時間だけはあるからな。食べられそうなものをかき集めて、保存がきくように処理しておいても、食べきれなくて捨ててしまうことがある」

「もったいないよ、それ。ちゃんとぜんぶ食べないと」

「そうだな」

 ハルは仮面の奥で少し笑ったみたいだ。

 マナトはフォークを使って、小さく切り分けられている酢漬けをいくつか皿に移した。酢漬けはあっちでも食べたことがある。白いものを口に入れてみると、漬かりすぎなのか酸っぱいを通り越して少し辛いが、味が濃くてうまい。

「いけるよ、これ」

「口に合ってよかった」

「肉も食べていい?」

「もちろん」

「肉好きなんだよね」

 マナトは燻製肉のかたまりを一つ容器からつまみ出し、ナイフで薄くいだ。

「おぉ……」

 しやくすると、かなりしょっぱい。でも、だんだんと肉のうまが顔を出してきて、濃厚な脂も感じられる。おかげでしょっぱさが薄らいできた。

「うまっ。何これ。めば嚙むほどおいしいんだけど。のみこむの、もったいない」

 結局、燻製肉のかたまり三つと、酢漬けは容器の半分ほども、マナト一人で食べてしまった。ハルがやけに軽いコップと口の細い容器に入った水を持ってきてくれたので、水分もしっかりと補給できた。

「やばい。腹いっぱいになったせいかな。ちょっと眠いかも。寝ていい?」

「……かまわないが。ベッドは今、おれがたまに使っている一台しかない」

「ベッド? や、いいよ」

「いい……とは?」

「床で平気。横になるね」

「あ、あぁ……」

「少し寝させて」

 マナトは床に寝転んで目をつぶった。

 ハルが戸惑っているのがわかる。悪い人じゃなさそうだ。仮面なんかつけてるけど。なぜ顔を隠しているのだろう。何の理由もなく、ということはないはずだ。素顔はどんなふうなのか。

 まあ、何にしても、大丈夫な人だ。そんな気がする。

 すとん、と眠りに落ちて、ぱっと目が覚めた。

 マナトが起き上がると、壁際で何かやっていたハルがびくっとして振り返った。

「……もう起きたのか。早いな」

「すっきりした!」

 立って、あらためて部屋を見回した。ハルが前にしているのは、作業台だろうか。いいや、キチンだ。キッチンだったか。カリザの家にもキッチンはあった。炊事をするための台やら何やらが一箇所にまとめられた設備だ。それから、あれは本か。本らしきものが並ぶ棚があって、そのそばにベッドがある。ハルが使っているベッドだろう。ベッドの近くに小さな机が置かれていて、その上に本が一冊、開いて伏せた状態で置いてある。

 しかし、窓がないのに明るい部屋だ。天井のところどころに照明器具が設置されていて、それらが光を放っている。明るいけれど、まぶしくはない。

「不思議だな……」

 マナトは深呼吸をしてみた。

 酢漬けと燻製肉の容器は片づけられていて見あたらない。そのせいか、酢や肉の匂いはしない。

 この部屋には匂いらしい匂いがない。

 匂いを発しているのは、おそらくマナト自身だけだ。

 それに、空気が暖かくも冷たくもなく、とくに湿ってもいないし、乾いてもいない。

「何が不思議なんだ?」

 ハルにかれて、マナトは一瞬、考えこんでから答えた。

「ぜんぶかな」

「そうか」

 ハルはさっきマナトが食事をしたテーブルに歩み寄って、片手をついた。

「言っておくが、グリムガルがこういう場所だとは思わないほうがいい。このはこぶねの中は特殊だ。ここだけが別世界と言ってもいいだろう。外は――どう表現したらいいか。楽園じゃないことだけはたしかだ」

「地獄みたいな?」

「地獄……」

 ハルはその言葉を繰り返してから、そっとため息をついた。

「ある意味、それに近いかもな」

「仲間が言ってたんだ。人が死んだら、地獄っていう場所に行くんだって。そこはひどいとこで、とんでもない目に遭うらしいよ。その話、聞いて、すっごい笑って」

「……笑った?」

「うん。だってさ、生きててもわりとひどいんだから、死んだあともひどくたって、たいして変わらなくない?」

「それのどこが面白いんだ……?」

「や、面白いっていうか。笑えるなぁって。ひどい場所で死んで、ひどい地獄に行くんだったら、なんかそのままでしょ。何それって思って。てことは、死んでも同じってことだし、どうなってんの?」

「どう……なってるんだろうな」

「ね? で、そしたらさ、ジュンツァが――あ、地獄の話、教えてくれたの、仲間のジュンツァなんだけど、そういう、何だっけな、説? みたいな。そんな考え方もあるっていう話だって。考え方って! それでまた笑っちゃって」

「……笑っちゃったのか」

「だって、死んだらどうなるなんて、わかんないよね。どうやって確認するの? 死んだ父さんと母さんと話せるっていうなら、訊いてみるけど。無理じゃない?」

「まあ、無理だろうな。それは」

「どうやってもわかんないことを、考える人がいるんだなって。やばいよね。変わってるよ。あっ」

「……どうした?」

「外、行きたいんだけど。また出られる? それとも、ここにいたほうがいい?」

「いや……かまわないが」

「ハル、一緒に行ってくれる?」

「きみが嫌じゃなければ」

「嫌じゃないよ。なんで?」

「きみはおれを怪しんでいないのか」

「怪しんでるけど」

「……怪しんでるんだな」

「うん。ちょっとはね。だって、ハルのこと、何も知らないし」

「それはお互い様ではあるんだが」

「あぁ。だよね。でもなんか、大丈夫かなって気はしてる。マナトだし?」

「……どういうことだ?」

「友だち」

 マナトはつい笑ってしまった。

「言ってたよね。ほら。友だち? 仲間が、マナトって名前だったんでしょ」

「ああ……そうだ」

「たとえばだけど、ハルが何かたくらんでたとして」

「一応、言っておくが、とくに何も企んではいない」

「たとえばね。悪いこと? しようとしてたとしても、マナトにはやりづらいなぁ、とか思わない? こいつマナトだしなぁ、みたいな」

 ハルは腕組みをした。でも、すぐに腕をほどいた。

「おれはきみに危害を加えたりしない。もしきみがマナトじゃなくても同じだ。でも、偶然、友だちと同じ名前のきみと出会えた。それは……やっぱり、うれしいんだと思う。うまく伝わっていればいいんだが。と話すのは、久しぶりだから……」

「大丈夫だよ」

 マナトは自分の胸をたたいてみせた。

「ちゃんと伝ってる。ハルは、いい人だね。なんか、わかるんだ」

 ハルは仮面の顔を少しだけうつむかせた。

「……だといいな」



 ハルの部屋を出ると、せんかいだんの様子が変わっていた。というか、別物になっていた。壁や床、天井、照明器具はハルの部屋と似ている。もう階段ですらない。そこは通路だった。まっすぐ延びていて、両側のところどころに扉がある。突き当たりにもどうやら扉があるようだ。

 そういえば、ハルの部屋に入ったときは、扉を開けたわけではなく、螺旋階段の手すりがない場所をすり抜けた。そうすると、部屋の中の扉の前にいた。

「……出るときは扉を開けたから、別の場所に出た……ってこと? え?」

「説明が難しい」

 ハルは通路を歩いてゆく。