仲が悪い、などという言葉では表現しきれないほどに敵対していた相手が、当然といった風に彼女を背にしているのだから。

 いつ刺されてもおかしくはない。そういう関係であったはずなのに。

 ところが驚きに目を見開く彼女を放って、ヴェローチェは唇を尖とがらせてレックルスを見やる。

「レックルスもお爺じいさまのところに飛ばしてくれれば良かったんですー」

「いや無茶言うなよヴェローチェの嬢ちゃん。俺もあん時はマジで頭回ってなかったんだって」

 ユリーカの隣でボリボリと後頭部を搔かくレックルスの表情には、以前あったはずのヴェローチェへの警戒が無くなっていて。

「はー、これだからレックルスは」

「すまねってほんと」

 ぱん、と手を合わせるレックルスに、いつも通りとばかりにヴェローチェは嘆息した。

 関係を知っているが故に混乱するユリーカをおいて、ヴェローチェはレックルスから視線を離した。

「えっと……?」

 呆ほうけた表情でユリーカがレックルスからヴェローチェに目を移すと、彼女は少しバツが悪そうに視線を逸らした。

「……今回は、その……これで貸し借りなしってことでー」

「え……?」

 言うが早いか、ヴェローチェはあっと言う間にシャノアールとシュテンの下へと飛んできた。

 お気に入りのフリルアンブレラは、いつも通り健在で。

「なんとか魔力持ち直したんでー……加勢とか要るっすかー?」

「ヴェローチェ、その気力を損なうテンションはやめてくれよ。いいところなんだから。このボクのね!」

「あーはいはいいつも輝いてますよー。……ぁの、シュテン」

「久しぶり……でもねえのか? ヴェローチェさん」

 あたり前のように会話する、ヴェローチェとシャノアール。

 それがどこか新鮮で、シュテンは少しの間二人を観察していた。

 しかし張本人であるヴェローチェがシュテンに向き直ったことで、その会話は終わりを告げる。若干、シャノアールは不服そうではあったが。

「どもー、ヴェローチェですー」

「あ、これはどうもご丁寧に」

 そうじゃない。シュテンは己に突っ込みを入れつつ、がしがしと頭を搔いた。

「あー、えーっと、何から話せばいいか?」

 視線を合わせたヴェローチェは、あの時と同じように気だるげで、ジト目で、表情も動かなくて。

 それでもどこか、以前よりも柔らかい印象が表にあって。

「今は、やらなきゃいけないことを。あとで、お話がありますー」

「体育館裏か……」

「え」

「いや、何でもねえ。そうだな、とりあえずは──」

 瞳ひとみをきょとんとさせたヴェローチェと共に、まず処理しなければならない案件の方を振り返る。

 相も変わらず、空中にただ在るだけで威圧を放つアスタルテ。

 彼はこともなげに首を傾げ、シュテンを見やる。

「用は、もういいのかい?」

「悪いな、待ってもらってよ」

「別に。今不意を討とうとしても、どのみちそこの導師が動くだろうから」

 あれだけ攻撃を加えても。どれだけシュテンがボロボロになっても。

 それでも傷一つない状態で、魔導司書は佇たたずんでいた。

 ヴェローチェはそんなアスタルテを一いち瞥べつして、まるで荷馬車無き街道でヤタノを相手にしたときのような面倒臭そうなため息を吐いた。

「あー、あれほんとやばいっすねー。わたくしも魔力回復したとはいえー、シュテンとお爺さまのサポートに回らせてもらいますー」

「もう少しこう、覇気を持ったらどうだい? たとえばそう、このわたくしがね!! とか」

「死んでも無理ですー」

「そうかい……」

 がっくりと肩を落としながら、それでもシャノアールは大量の魔導を空中に展開させていた。

 城一つなら軽く落とせそうな勢いの魔法陣の数に、頰がひきつったのはシュテンだけではないだろう。

「火力バカはお爺さまに任せるとしてー……前衛のシュテンに、少しサポート入れますかねー」

「んあ? サポートなんて出来たのヴェローチェさん」

「……さぁ? 〝今は〟出来ますよー」

 軽く小首を傾げてとぼけながら、相変わらずの無表情でヴェローチェは言った。

 同時に両手をシュテンに向けて、どこか癒されるような水色の粒子を彼にふりまく。

「古代呪法・闘志精錬」

「……お」

「ま、気休めというかー……戦えるってだけですがー」

「や、さんきゅさんきゅ。ありがたい」

「……そですか。がんば」

「うい」

 くるりと背を向けて、ぱたぱたと手で追い払われるようにシュテンは前にでた。

 ひしゃげたはずの左腕は元に戻り、流血は止まらないながらも動く分には支障がない。

 おそらくは魔力の流れを整え活性化させる術式なのだろう。

 手のひらを閉じたり開いたりしながら、シュテンは調子を整えた。

「……三人か。どんどんハードになっていくね。僕やつかれも、あまりこういうどんどんきつくなる展開は嬉うれしくないんだが」

「うっせえアホ。こちとら試す手試す手潰されてどんどん容赦ねえテメエ相手にしてんだ。もうちょいまけろ。なんなら負けろ」

 シュテンの軽口は健在。しかしながらアスタルテはシュテンの口上に構うようなことはせず。

「……それにしても、ヴェローチェ・ヴィエ・アトモスフィアにシャノアール・ヴィエ・アトモスフィア。とんでもない爆弾が、二つになってしまった原因はやはりきみか」

「いや、なんで分かるんだよ」

「わからいでか。きみがうっかりかどうかは知らないが、僕やつかれの前で吐いた言葉から想像してみるといい」

「突然の問題!」

 ──神蝕現象フエイズスキル【九つ連なる宝燈の奏】──

 突っ込むシュテンをさしおいて、祝詞のりとが周囲に響き渡る。

「さぁ、続きと行こう」

 ──神蝕現象フエイズスキル【精せい錬れん老ろう驥き振るう頭かぶ椎つちの大た刀ち】──

 ──神蝕現象フエイズスキル【大文字一面獄炎色】──

 ──神蝕現象フエイズスキル【大いなる三元素】──

 ──神蝕現象フエイズスキル【四肢五体分かつ暗き刻限】──

「うわー……マジっすかー。四つ同時とか出来たんですかあの現あら人ひと神がみー……」

 次々に魔導書が展開され、アスタルテの周囲に強大な魔力が渦を巻く。

 その威圧感たるやとてもこの世に当たり前のように存在していいようなものではない。

 歴戦のヴェローチェであってもげっそりと面倒臭そうに言葉を漏らすほどだ。

 だが、それでも。

「古代呪法・混沌冥月ゼーブルフアー」

 黒き奔流がアスタルテに向かって放たれる。

 速度だけならシャノアールの冥月乱舞を抜き去るその凄すさまじい一撃に、アスタルテは目を細めて白の球体を繰り出した。

「っ……ごりごり魔力削られますねー」

 ぶち当たると同時に大幅に威力が削られ、果てはアスタルテにはそよ風程度しか届かないありさま。

 そんな状況を、ヴェローチェは不快そうに眉まゆをひそめて。

 第十席グリンドル・グリフスケイルの神蝕現象の一つであるその白い球体は、魔素を打ち消すアンチスキル。

 さらに緑の球体で己の魔導を増幅し、赤の球体を発火剤に地中から急襲。

 これを駆使して、精錬老驥振るう頭椎大刀と四肢五体分かつ暗き刻限の二刀流。

 加えて日輪の炎を自在に操る化け物が……今のアスタルテ・ヴェルダナーヴァ。

「……ほとほと、尋常じゃねえな帝国書院」

「それでも、全盛期は終わってしまったよ」

「ほざけ」

 筋力活性により敏びん捷しよう性の上がったシュテンが地面を駆ける。

 結局近づいて殴ることしか出来ないが、出来ないなら出来ないなりにその一点で最大限の仕事をする。

 それが今、シュテンが心に決めた戦い方だった。

 一人ではない。

 バックには今、頼もしい後衛が二人も居る。

 なら自分はただ、真っ向からなにも考えずに叩たたくだけだ。

「遊ぼうぜ最高の魔導司書!!」

「きみだけに構っていられないのだが」

 跳躍と共に振り降ろす大だい斧ふ。

 一撃を大おお薙刀なぎなたで防がれて、その直後死角から斬り込む軍刀を回避。

 まるでただブレただけかと錯覚するほどの連続した大薙刀のラッシュを、同じ速度の大斧の応酬で防ぎきる。

「……ちっ」

「苛いら立だってくれる程度には、なかなかなもんだろぉが!」

 シュテンが吼ほえる。

 大薙刀と軍刀による、アスタルテの乱舞。

 地盤沈下などものともしない、身軽で高速の連続斬撃。

 シュテンの一撃必殺とは大違いのそのスタイルは、しかしそうありながらシュテンの大斧の全てを弾く。

 だが、だからといってシュテンが敗北するかといえば、そんなことはない。

「おりゃりゃりゃりゃりゃりゃ!!」

「……本調子のきみ相手は、少々つらくなってきたかもしれないな……!!」

 剣戟のラッシュ。

 飛び散る火花さえも回避する余裕があるアスタルテに対し、シュテンは思わず笑みを浮かべる。

 余裕などどこにもない。化け物を相手に、しかし勝利はあると信じてシュテンはひたすら大斧を振るう。

「負けるわけにゃ、いかねえよなぁ!!」

「そうだね、このボクもね!!」

「なにっ……!?」

 大文字一面獄炎色は確かに放っておいた。

 シュテンとの距離が近すぎる以上、シャノアールの魔導も封じられると。

 しかし、だというのに、なぜか。

 シャノアールは、魔導放出の準備を終えている。

 シュテンが離脱した瞬間を狙って回避するかと思考を挟んだと同時、アスタルテは気づいた。

「へ、こいつで仕舞いよ!!」

「……まさかっ」

 目の前で打ち合うシュテンの存在感が薄くなっていく。

 まるで消えてしまうかのような、そんな。

「お爺じいさまー、はやくしてくださいー」

「ヴェローチェ・ヴィエ・アトモスフィアか!」

 見上げた空に、明らかに魔導を行使しているヴェローチェの姿。

 ──古代呪法・連れん環かん避ひ縁えん──

 いつの日かヤタノ・フソウ・アークライト戦でヴェローチェが見せた〝その場に居なかったことにして転移する〟という術式の古代呪法。

 それが今、シュテンに発動している。

 つまり、今ここに、シュテンは居なくなる。

 いや、すでに居ないのかもしれない。

 何いずれにしても、アスタルテは手を放すことが出来ず。

 そのうえで、攻撃を回避する隙もない。

「わかっている……覚悟はいいか、アスタルテ!!」

 叫ぶはシャノアール。

 その手には、明らかに今の今まで凝縮していたであろう膨大かつ強烈な魔力の波動。

 シュテンに前衛を任せ、己は一撃でアスタルテをしとめる気であった。

 そう、まさに言わんばかりのその計略。

「……三人の組み合わせが、恐ろしく良かったということか」

 ふ、と。

 ほのかな笑みを見せたアスタルテが、シャノアールに視線を合わせる。

 あきらめた、とでも言いたげなその表情に冷たいものを感じてシャノアールは術式を手繰るその手を速めた。

「いいさ、消えてなくなるがいい。第八攻性魔導・改──滅めつ龍りゆう崩ほう牙が!」

 その溜ために溜めた魔導を、放った。

 瞬間、アスタルテの居た地面が爆散する。

 風圧は極大、後衛として距離をとっていた魔導師二人も突風から身を守る術式を発動させるほど。

 しかしそれもつかの間で、まるでブラックホールが収束するように一定の空間が消失する。直前まで打ち合っていたシュテンの姿は、すでにヴェローチェの付近にある。

 暴風が消し飛び、無言の空間がその大地を支配して。

 アスタルテの姿は、どこにもない。

 戦いの音は止やんだ。

 静かなこの場所で一人、シャノアールは確かな手ごたえを感じて言う。

「……おわった、か」

 ふう、とシャノアールが息を吐いて。

 まっさらな大地にぽっかりとあいた空間を、シュテンが覗のぞき込む。

 前衛と、連環避縁。そして極大魔導による合わせ技。

 一切の打ち合わせなくその闘いを演じた三人は、荒れた呼吸を整えてわらう。

「ああ、終わったな」

 しんみりと、シュテンは今までの怒ど涛とうの展開を思い出しながら、よく生き残れたと安あん堵どして。

 旧友シャノアールと顔を見合わせ、頷うなずき、笑顔で拳こぶしを打ち合わせ──


「いや、終わってないさ」


 空中から聞こえてきた、男とも女ともつかないその声色に慌てて顔をあげた。

「っ!?」

「おいおいおいおいマジで!?」

 そして、当然のように先ほどと変わらぬ空中に佇たたずむ、アスタルテ・ヴェルダナーヴァ。

 だが、おかしかった。

「回避のために転移術式。なるほど、考えられたものだ」

 アスタルテは酷く感心したように頷く。

 彼を視界に入れて、シュテンは口元をひきつらせた。さすがにあれだけの魔導を食らったのだ。いくらなんでも。

「ん、どうかしたか。三人とも随分と間抜けな面を浮かべているが。……かといって、警戒を怠っているわけでもなさそうだ」

「いや、だってよ……」

 アスタルテが生きていた。

 これはいい。よくはないが、百歩譲って理解出来る。

 殺しきれなかったか、倒しきれなかったか。

 そういうことなら、まだ戦う意志だけで己の疲労を塗り固めることも出来るだろう。

 けれど。

 だからといって。

 無傷というのは、ないだろう。

「お前……本当に化け物かよ……」

 あれほどまでに徹底して、考え得る最大の攻撃を叩き込んだにも拘かかわらず。

 それでもアスタルテはただ悠然とそこに居る。

 もはや目を見張る程度では収まらず、シュテンは絶句して空を仰いだ。

「……で、本当に全くの無傷なのかな。彼は」

 だが、シャノアールはそうは取らなかったようだった。

 静かに、ただ問いかけるようにアスタルテへと目線を投げる。

 すると彼女は、静かに首を振ると。

「いや、危なかったさ……というか、死んだよ」

「は?」

 一聞して意味の分からない言葉の羅列。

 しかしその魔素の放出が、ゆっくりと意味を語りだした。

 ──神蝕現象フエイズスキル【十三武錬不敗の巨塔】──

「僕やつかれの命が一つであれば、死んでいた」

 こともなげに。普段通りの口調でアスタルテはそう言った。

「……なぁおい。聞こえてはいけない数字が聞こえてしまった気がしたんだが……十三っつったか? 今……?」

「……? きみはよく聞き間違いを気にするが、安心するといい。今のところきみの耳に落ち度はない」

「アッテホシカッタナー」

 耳の穴をほじりながら、シュテンはため息交じりにアスタルテを睨にらみ据える。

 どれだけ、目の前の現人神は強大なのだ。どれだけ、勝利への道はほど遠いのか。

 絶望を通りこして呆あきれ返るような状況の中、しかしアスタルテは肩を竦すくめた。

「いや、殺されてしまうのは予定外だ。僕やつかれは結構慎重でね。一度死んでしまったからには、今回は引かせてもらうとするよ」

 すぅ、と背後の魔導具たちが消え去る。

 周囲の空気が一気に軽くなった感覚がして、しかしシャノアールは相変わらず腕を組み、じっとアスタルテを横目で睨み据えていた。

「……どういう腹積もりだい?」

「なに。優先順位を考えたまでさ。……最初に殺さねばならないのは車輪ではなく」

 そこまで言って、アスタルテはゆっくりとシュテンの方をみた。

 虹にじ色いろに染まっていたはずの瞳ひとみは黒く戻り、す、と手をシュテンの方に伸ばして言う。

「運命をゆがめた張本人らしき〝鬼神の影を追う者〟。きみは……ある意味で一番の危険因子だ」

「あー……まあ、うん。自覚はある」

「あるのか」

「うん」

 ぽつん、とアスタルテは目を点にして。

 吹き出すのを堪えるかのように、顔を背けると。

「また何れ……きっときみを殺しに来るよ。その時は……覚悟をしておくといい」

「あ……そ……もういいよ、見たくねえよお前……」

 背には縦の一文字。

 シュテンは、しっしと手を払うようにしてアスタルテから目を背ける。

 アスタルテはそんなシュテンを振り返ることはなく、コートのすそを払って飛び立つ。

 帝国書院書陵部最高の魔導司書が、踵きびすを返して空中に去っていった。

 一瞬の間。

 まだ警戒を怠ってはならないと身構えたままのシュテンと。自然体でありながらアスタルテの行った先を睨んでいたシャノアール。

 そして。

「……背中から撃ちますかー」

「いやいやいやいや止めてお願いだから!!」

 す、とフリルアンブレラを去っていく背中に向けたヴェローチェを、慌ててシュテンはとどめて。

 冗談ですー、と相変わらずの無表情でつぶやく彼女にほっと一息。

「しかしあれですねー、なんというかー」

「あん?」

「終わりましたねー」

「……そうだな」

 ちらりと、目を見れば。やはり以前と変わらぬ眠たげな瞳。

 彼女はシュテンと目を合わせると。

「あー、うん、おつかれさまでしたー」

 と吞のん気きにぺこりと頭を下げた。

「お、おう」

 突然なんだ、と思いつつシュテンがそれを問おうとして。

 だが、ヴェローチェの言葉はそこで終わらず。

 彼女は、ぽつりと。

「わたくしは、全部……おぼえていますー……」

 そう、ほんのりとした笑みを見せた。


†


『わたくしは、全部……覚えていますー』

 その言葉が、いやに響いた。

 アスタルテという名の暴風がこの峡谷を去ってから、少し。

 大量の魔族の死体をレックルスがどこかに送り込み続ける作業中。

 久々の再会だからか、助けてもらったからか、それとも……記憶が混線しているのか。

 それでも嬉うれしそうにシャノアールに抱きついて泣きわめくユリーカを、シュテンとヴェローチェの二人はぼんやり眺めていた。

「……不思議な、感じですー」

「あん?」

 シュテンがヴェローチェを見れば、彼女はシャノアールとユリーカのじゃれあいを眺めているままだ。

 しかし、どうしてだろうか。

 あんなに嫌っていたはずのユリーカを見つめているはずなのに、口元はとても穏やかで。

「記憶が、二つある……っていうんですかー? あれだけこう、嫌な気分だったのに……お爺じいさまと過ごしたあったかい記憶もあって。車輪、と呼んで敵対していたはずの彼女に、偉そうに姉として世話された記憶も。……まあ、どっちみち嫌いですけどー」

「おい」

「……でも、嫌いだけど、嫌いじゃないんですー。……なんでですかねー。何れ殺す敵だと思ってたのに……ムカつく姉になってるというかー……周囲の環境も結構違うというかー……さすがお爺さまというかー……。わたくしの怒りってこんなもんだったっけ……なんて、思ったりしてー……」

 こつん、と転がっていた石ころを軽く蹴る。

 ころころと転がって、しかしその石は何かを起こすこともなく。今なら無防備なユリーカの背中を第三宇宙速度で貫くことも出来るというのに。

「ちゃんと覚えてるんですー。ユリーカとの間にあった確執も、全部、全部。けど……一緒に過ごした記憶が、言うんっすよ。誤解、ばっかりだったんだって……。アホですねー、わたくしも……あのポンコツ堕天使もー……」

 ふ、と自じ嘲ちようの笑み。なぜかそんな表情が似合ってしまうヴェローチェは、ゆっくりとシュテンの方に向き直った。

「……全部、シュテンがやってくれたんですねー」

「いや、どーだろうな。ユリーカも必死だったし、ヴェローチェさんの魔力がなきゃ土台無理だったし、バーガー屋が居なきゃ実現出来なかった。それに、過去でシャノアールたちも……必死だったしな」

「……変なとこで謙虚ですねー。過去に行く、なんてシュテンが言い出すことがなければ……今頃わたくしはきっと……もう、壊れていたかもしれないのに」

「んー」

 シュテンが、目を空に向けた。

 相変わらずの暗い空は、地下帝国に戻ってきたことを教えてくれる。

 星の瞬きがあっただけ、魔大陸の方が幾分かまともだったのかもしれない。

 シュテンとヴェローチェの他にもう一組、会話をするグループがある。

 人目は殆ほとんどないけれど、数少ない知己ばかりの中でわんわん泣きながらもう一方の人物の服を摑つかむ少女の姿。

「シャノアールぅ……もう……会えないかと……!!」

「おいおいシャノアールお兄さんだろう。というかもう会えないってなんだ。全く、シュテンくんが来ているというのなら呼んでくれてもいいだろうに、このボクをね」

「へっ……? あ、あれ? あれれ? な、なんで……あたし、だって……でも……」

「ん? どうしたんだい?」

 ふ、とシュテンは口元を緩めた。

 シャノアールとユリーカの会話は、平和そうだ。

 シュテンには〝書き換えられたあと〟の世界の記憶がない。己が最初からたどってきた記憶が全てだ。

 だからこそ、シャノアールが居ることにも驚いたし、ヴェローチェが記憶を二つ所有しているというのも、新鮮だ。

 これが、女神の言っていた記憶のダブりだとすれば。

 干渉を受けずに済んだのは、ヴェローチェという人間だから、なのではないだろうか。

 ユリーカも、どうも記憶に混乱があるらしいがそれでも、シャノアールの話を聞くうちに「そうだったかもしれない」などと口にしているあたり怪しいところだ。

 穏やかなシャノアールとユリーカの話を聞きながら、シュテンはヴェローチェに向き直る。

 そうだな、と前置きして顎あごを撫なでると、ヴェローチェの吸い込まれそうな瞳と目線を合わせて。自分なりの答えを出した。

「壊れてなんか、なかったんじゃねえか?」

「え?」

「あれだけの試練を乗り越えて、おまえさんは今も両足で立ってる。ユリーカとの仲違いに気づくのも、遅いか早いかだけだった。俺はたまたまそれを手っとり早く気づかせる方法を見つけた。……それだけだろ」

 思い返すのは、過去での出来事。

 少なくともユリーカは全力でシャノアールを助けようとしていたし、シャノアールはシャノアールで魔族に対しての偏見など一切持ち合わせていなかった。

 それを見るだけで、ユリーカはヴェローチェがただ人間だから毛嫌いしていたわけでも、排除しようとしていたわけでもないと分かる。

 もし、この二人の間に何なん等らかの軋あつ轢れきがあったとしても。それはそのうち、きっと溶かすことが出来たのではないかとそう思えた。

「……もし、シュテンにとってそう見えるのであれば……本当はそうだったのかもしれません」

 頰を緩めて、シャノアールとユリーカのやり取りにもう一度目をやったシュテンの横顔をヴェローチェは眺めていた。

 大して強くもなかったはずなのにここまでがらりと世界を変えてしまった妖よう鬼き。

 そんな彼が言うと、不思議とそうだったかもしれないと思ってしまうけれど。

 でも、やっぱり。

「もしそうだったとしても」

「しても?」

「視界が全部真っ暗な中、手探りでたった一人だったわたくしの前から、一瞬でありとあらゆる闇が消え去った。消し去ってくれた存在ですー……だから……だから……」

 蒼色の瞳が、揺れる。

 それは動揺にあらず。

 ただただ瞳に溢あふれだしてきてしまった何かが目元を潤ませて、そのせいで、今の弱い彼女の表情が殊更弱々しく見えて。

 それでもその弱さは、間違った弱さではなくて。

 強きよう靭じんに保ってきた外骨格がゆっくりと剝はがれ落ちた、こちらが彼女の本質なのだと、シュテンにもはっきりと分かった。

 色々あった。

 本当に、指折り数えられるほどに。

 車輪と導師、並べたてられて卑下されて。

 手を差し伸べれば払われて。

 道具として生きるしかなくて。諦てい観かんに染まり切ったその瞳の濁りが、気づいたら清々しく晴れていた。

 だから。

「……ありがとう、ございました……。こんなっ……返しきれないような……恩を……大好きな……家族を……わたくしは……わたくしは……」

 だから、礼を言おう。ありがとう、助かりました、と。

「……まあ、泣くな。受け取っといてやるから」

「泣いて……ませ、いやウソですけどー……」

「知ってるから」

 ぽん、と頭に乗せられた手に温かさを感じて、余計に涙るい腺せんが緩んだ。

 今までたった一人で生きてきた。

 誰からの干渉も阻害して。

 それでも、自らの仲間に飢えて。

 祖父なんて知らなかった。

 姉なんて知らなかった。

 家族なんて知らなかった。

 だから、ヴェローチェ・ヴィエ・アトモスフィアは。

 ヴェローチェ・ヴィエ・アトモスフィアは。

 こんな無条件に愛されて、周囲の魔族たちから慕われて、まっすぐに生きた〝記憶〟がどうしようもなく愛おしかった。

 温かかった。幸せだった。

 十五年、生きてきて。

 初めて貰もらったプレゼントは、幸せな十五年間と、きっと自分が笑顔で居られる未来だから。

「だから……だから……ありがとう……シュテン……」

「あ、はは。いやぁ、なんというか。十五年がプレゼントになるってんならそりゃぁこれも一つの」

 ふぅ、と鬼殺しを担ぎ直した。

 周囲を見れば、丸く収まった最高のエンディング。

 なれば、これは、そう。

「浪漫、なんじゃねえの」

 珍しくシュテンは、心から穏やかな笑みを浮かべた。


†


「それじゃあ、最高の友人との再会を記念して……乾杯!!」

「うぇーい」

「かんぱーいっ!!」

「かんぱーい」

「か、乾杯! い、いいんですかね俺まで招かれちゃって……!!」

 ぐるりと五人で囲む、大きな円卓。

 並べられる料理はどれも温かく美お味いしそうで。

 かち合わせたジョッキからこぼれ落ちる滴が料理の上に落ちないようにと五人ともが必死だった。

 上座に、シャノアールとシュテン。

 その両サイドにヴェローチェとユリーカが座り、男二人の正面にはレックルスが正座している。

 なんと、アトモスフィア家の食卓はちゃぶ台であった。

 シュテンはぐいっと粟あわ酒しゆをのどに流し込みながら、シャノアール宅に案内された時の衝撃を思い出す。

 生け垣に囲まれた、古き良き和風家屋。下がっている表札に『あともすふぃあ』と書かれていた時は思わずシュテンも「噓だろおい」と声を漏らした。

 靴やら下駄やらを脱いで上がったその家の、広いリビングに敷かれた絨じゆう毯たんとちゃぶ台。

 今日は宴会だ、とテンションをあげるシャノアールをさしおいて絶句していたシュテンだが、それはもうすぎたことだと肩を竦すくめる。

 ちゃぶ台に似合わない豪勢なシャンデリアが下がるリビングルームは、五人で座っても尚広さにかなりの余裕があり。

 居心地はとても良かったからもうそれでいい。

「あ、シュテン。それあたしが作ったんだ」

「マジ? じゃあ不ま味ずい訳ねーな」

「取ってあげるね。これと……これ。はい。この煮っ転がしもおいしいよ」

「和風すぎねえかアトモスフィア家!?」

 隣に女の子座りしたユリーカが、シュテンの取り皿に一つずつ料理を載せていく。

 シュテンの左隣に居る癖に右手を伸ばして料理を取ろうとするせいで、シュテンの肩に彼女が否応なく触れて。

 柔らかい感触に、改めて女の子だと思うと同時、若干の気恥ずかしさがこみ上げて酒で誤魔化すダメ妖鬼。

 と。

「つーかユリーカ近すぎませんかねー……なんですかあれべったりしちゃってー」

「二百年前もこんな光景を目にしていた気がするよ。……いや、もっとべったりだね。あの時よりもね」

 かーんかーんとフォークで皿を軽く叩たたきながら、行儀悪く目つきも悪くヴェローチェは茶々にも似たぶーたれた声を上げる。

 それをなだめるシャノアールとの相性は、確かに家族の絆きずなを感じられるものだった。

「へー……ほーん……ふーん……?」

 だからといって腹の虫が収まるわけではないのだが。

「なんだか怖いよヴェローチェ?」

「気のせいですー……」

 じと、というよりはぶわりと巻き起こった殺気に、一番びくついたのはレックルスだ。

 状況は傍目にも一いち目もく瞭りよう然ぜん。

 どうしようもないあの妖鬼に何とか気づかせられはしないかと思いを凝らし、ふと正面のシャノアールに目をやった。

「そ、そうそう。導師とシュテンの二百年前の話とか、聞いてみたいなと」

「そうかい? あれはなかなかおもしろい出会いだったよ。このボクにとってもね。……本当に、再会出来て良かったよ」

「全くだ。命を救われたこともそうだが……お前とまた現代で会えるなんて、思わなかった」

 こつん、と拳こぶしをぶつけ合う二人。

 結局どんな出会いだったのかは聞けず仕舞いで、シュテンとシャノアールの会話に華が咲く。やれ今までどうしていたんだの、やれあのあとの状況はだの、二人ともとても楽しそうだ。

 ユリーカも彼ら二人の久々の会話に思うところがあるのか嬉うれしそうに彼らの言葉を聞いているし、ヴェローチェもぽけっとしながら、興味ありげに耳を傾けている。

 悪くないなぁ、とレックルスは一人バーガーをかじる。

 どうしてそう思ったのかはわからない。

 だって、日常にシュテンという客が招かれただけなのだから。

 それでもどうしてか、この温かい光景がとても良いものに思えて。

「ところで、シュテンくん今いくつだい?」

「二十三か四か」

「え!? あたしよりそんなに年下だったの!?」

「んぁ? ああ、まあそうだな」

 魔族で二十三にしてはずいぶんと出来た男だ、とシャノアールは楽しげに笑う。

 しかし何故だろう。

 ここに来てレックルスは、死ぬほど嫌な予感がした。

「二十三か、その頃だったよ。このボクもね」

「なにが?」

「結婚。まあ一度目は子供も作らずに別れたんだけどねえ……シュテンくん、そういう相手居ないのかい?」

「そういう相手ねぇ……」

 粟酒のジョッキをあけながら、酔った勢いで進む会話。

 シュテンの脳内にまず浮かび上がった女性は、何故か全力でパワームーブをしていた。

「いや居ねえな」

「そうか。あっさりしてるね。じゃあ聞くけどさ」

 やばい、とレックルスの脳が警鐘を鳴らす。

 だが、時すでに遅しといえた。

 一気に、部屋の温度が五度下がる。

「このボクの孫娘二人だったらどっちがタイプ?」

 瞬間、凄すさまじい覇気が周囲を埋め尽くした。

 もうそれアスタルテ戦でやってたらあの魔導司書も逃げてくれたのではないかと錯覚するほどに強烈な温度変化。

 どうしようもなく冷えきった部屋で、全く動じないのはシャノアールただ一人。

「あ、あー、あんまりこうほら、どっちがタイプとかそういうのするのいくないとおもうんだ」

「なんでカタコトになってるんだい。夢想したものだよ、きみがこのボクの家族となるような未来もね」

「ちょ、待って。ほんとに待って」

 ストップをかけるシュテンに、きょとんとするシャノアール。

 敢えて見ないようにしていた方角からかかる、声。

「ユリーカとヴェローチェ〝さん〟だもん。聞かなくてもわかるんじゃない? シャノアールお兄さんもあんまり意地悪言わないであげて。ね、シュテン?」

「くっつきすぎてうざいですねー、そこの貞操観念すっからかんの堕天使は。だから堕天使なんじゃないっすかー」

「なっ……な、て、ていそっ……!」

 シュテンの背中にくっついて、気持ちよさそうにのんびりしていたところにヴェローチェからの爆弾投下。

 顔を真っ赤にして口をぱくぱくと動かすも、なかなか声が出せない様子のユリーカ。

 ここに来て、ようやく事態のヤバさを察して乾いた笑いを見せるシャノアール。

 そんな彼らをさしおいて、ヴェローチェはじとっとした目をシュテンに向ける。

「っていうかなんでわたくしは〝さん〟付けなんですかー?」

「なんでだろうな? バーガー屋がバーガー屋みてえなもんだろ」

「だからいい加減そのふざけたあだ名止やめろよテメエこの野郎!!」

 外野が何か言っているようだが、取り合う気はシュテンにもヴェローチェにもない。

 そこで、ふむと一つシャノアールが頷うなずいた。

「まあヴェローチェの雰囲気だと〝さん〟付けしてみたい気持ちも分かるんだけど。そういえば、きみが〝さん〟付けしているヴェローチェは唯一の年下なんじゃないかい?」

「……そういや、そうかもしれねえな」

 ふと、思い出す。

 たとえばヒイラギ。

 たとえばヤタノ。

 たとえば女神。

 隣のユリーカ、そしてオカンに、その他諸々。年下メンバーも居ると言えば居るが、共に旅した仲間や密接に関わった人物は大半が年上で……何故か年下のヴェローチェだけを〝さん〟付けで呼ぶなんだこれ状態。

「……でもさー、そうなるとさー、ヴェローチェがシュテン呼び捨てにしてんのもおかしーんじゃないのー」

「なに俺の背後に隠れてんだお前」

「ぶーぶー」

 シュテンの肩からひょっこりと顔をだし、未だ赤い頰を隠しつつヴェローチェにブーイングをかますユリーカ。

 そんな彼女を一睨にらみして、ヴェローチェはシュテンに向き直る。

「ということで、呼び方の変更を要求しますー。ここまでしておいて他人行儀はちょっとあんまりだと思いますー」

「ヴェロっち」

「殺しますよー」

「え、ダメ!? わりかしハマったと思ったんだけど!?」

「シュテンセンスないですねー。レックルスのあだ名は秀逸でしたが」

「それは無いぜヴェローチェの嬢ちゃん!?」

 愕がく然ぜんとするレックルス。

「いやまぁ、別に呼び捨てにするのは俺もいっこうに構わないんだが──」

「じゃあさ」

 シュテンとしては、別に呼び捨てにしようがなにをしようが特に思うところはなく。

 むしろ他人行儀な印象を与えていたことに少し申し訳なくなるくらいではあったのだが。そこに、しばらく黙っていたシャノアールがふと呟つぶやく。

「ヴェローチェの方から歩み寄ってみよう。いつも受け身なのはヴェローチェの美徳でもあるが、積極的になってみるのも一興だろう?」

「ちょっと待てなにを吹き込んでやがるシャノアール」

「いやなに、そんなに難しいことではないさ」

 ニヤリと笑って、シャノアールは隣に座るヴェローチェの下へと近寄ると、何事か耳打ちした。徐々にあの無表情なヴェローチェの頰が赤くなるのを見て、シュテンは「ろくなことじゃねえな」とどこか達観にも似た感情を抱く。

 それから、文句を言わないからといって肩にそのまま顔を置いて抱きついたままのユリーカのこともそろそろどうにかしたい。頰が触れる。

「さあ、頑張ろうヴェローチェ」

「……ぇ、と……」

「酔っぱらって絶対よけいなこと言ったろおっさん!!」

「誰がおっさんだ!!」

「シャノアールがね!!」

「アイデンティティを利用するんじゃないよ、このボクのね!!」

 好き勝手にぎゃーぎゃーと騒ぎ立てるシャノアールとシュテンの二人組。

 と、膝ひざの上で両手を握りしめたヴェローチェが、呟く。

「あの」

「あん?」

「わたくしと……その、歳近いじゃないですかー……一番……」

「ま、そうだが」

 はて。

 唐突なその発言に首を傾げつつも、様子のおかしいヴェローチェを見るシュテン。

 彼女はまっすぐに向けられたシュテンの視線を、若干逸らす。それはもう、すいー、といつものように無表情を装って。でも頰は赤い。

「だ、だから……呼び捨てに、して貰もらいたいというかー……ええっと……」

 本当になにを吹き込んだのかと横目でシャノアールを睨みつければ、かわいい孫娘の恥ずかしそうな反応に両拳を握りしめている。ダメだこの爺じじバカ。

「だ、だからこう、わたくしも……呼び方変えようかなと……そのー……」

「え、そうなの」

 視線が泳ぐどころか、顔が完全に横を向いてしまったヴェローチェが、そっと目だけをこちらに向ける。

 半顔で、若干口を尖とがらせながら。

「……兄さん、とか」

「シャノアアアアアアアアアアル!!」

「な、なんだいいきなり大声出して」

「お前本格的になにを吹き込んでんだバカが!」

「最初から伏線は張っていたよ、きみを家族のように思いたいとね!!」

「誇らしげにサムズアップしてんじゃねえよ見ろ顔真っ赤にしてうつむいちゃったじゃねえか!」

「可愛いだろう、孫娘だ。このボクのね!!」

「うるっっっっっせえよちょっとこっぱずかしいわ!!」

 いい笑顔のシャノアール。

 シュテンがここまで良いようにあしらわれること自体が珍しく、さすがは二百年越しの友情だぜと数時間前の熱さを全て台無しにするような発言。

「……えっと、ダメ……ですかー……?」

「や、むしろ本当にそれでいいの?」

「……わ、わたくしは別に……なんか……悪くないかな……って……」

「……あー」

 ぼりぼりと後頭部を搔かいて。

 シュテンは諦あきらめたように、一度シャノアールのわき腹に拳をたたき込んでから、

「じゃ、これからよろしくなヴェローチェ」

「ごふっ」

「……はいっ……兄さん……。ちょ、ちょっと恥ずかしいですー……」

 よし、一段落だ。

 そうほっと胸をなで下ろして、何の気なしに左を見ると。

「むぅ」

「うのぁ!?」

 ユリーカのむくれ顔がドアップ。

「じゃーあたしシュテンのことダーリンって呼ぼうかなー」

「もう勘弁してくれえええ!!」

 あのシュテンが、音を上げる叫び。

 こんな珍しいことはない、とまずシャノアールが指をさして笑いはじめて。

 ヴェローチェも照れ隠しに声を上げ、ついでレックルスも苦笑い。

 むくれていたユリーカも吹き出して、リビングは笑いに満ち溢あふれて。

 魔王城近くの、『あともすふぃあ』の表札が下がった一つの屋敷。

 全てが終結したその場所の明かりは、夜遅くまでずっと灯ったままであった。