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 冷えた風の吹き荒ぶ峡谷、積み重なる死し屍しの中、相対するは一対二。

 しかし不利であるはずのその人影は、ただただ不敵に笑うのみ。

 男にも女にも見える、中性的なその風ふう貌ぼう。

 本来見る者を穏やかにさせるであろうその柔和な微笑は、不安と恐怖の対象としてただそこに在る。

 アスタルテ・ヴェルダナーヴァ。

 帝国最強の戦闘者集団〝書陵部〟の頂点にして、図抜けた能力を持つ魔導司書のリーダー。

 彼が持つ神蝕現象は一つ。彼女の使役する神蝕現象は九つ。

 最強の、その体現。

 虹色に輝く双そう眸ぼうが無機質に揺れる。

 見下ろすようにゆっくりと、刃を握る二人の敵対者を視界の中心に放り込んで、徐おもむろにその細く白い手を挙げた。

「……さあ、始めようか」

 ──神蝕現象フエイズスキル【四肢五体分かつ暗き刻限】──

 背後に漂う様々な魔導具の中から一つ、アスタルテの手元に引き寄せられるようにして動いた軍刀。

 その他の武具、魔導司書たちが使うのであろうそれぞれの魔導書はただただ静かにアスタルテの周囲に点在していた。

「余裕ってわけね」

 先に動いたのはユリーカだった。

「古代呪法・車輪転装ッ……!!」

 アスタルテの魔素の揺らぎを見越したバックステップは残像を残すほどの瞬速。

 シュテンの背中を捕ほ捉そく出来る程度にまで後退し、ついで三対の黒翼を羽ばたかせて飛ひ翔しようした。

「……やるっきゃ、ねぇか」

 彼ら二人はただただ前衛。対多に優れていようと、対人に特化していようと。

 目の前の強大な敵は、おそらくそう簡単にあしらえるようなものではない。

 そう考えたからこそ、ユリーカが取った武器は強弓であった。

 背後からのサポートに徹し、シュテンが前で奮闘する。

 その形態を、彼らはとった。

「ほぉう……」

〝車輪〟……魔王軍最強の前衛が、他の者に前を託したその光景にアスタルテは目を細める。

 だが、それ以上のリアクションはない。

 車輪が前を譲るほどに優れた前衛と、車輪のサポートがあるという本来絶望的な状況を前にして、アスタルテが動じることは一切ない。

 握った軍刀の刃渡りとその光沢を確認し、ただ佇たたずむのみ。

 その幽玄にして荘厳たる振る舞いに、シュテンは警戒心を強めて背後の少女へと問いかけた。

 無論、目を向けられるほどの余裕は皆無。

「来るがいいさ、魔界切っての猛も者さ共よ!」

「しゃあねえ、行ってやらあ!」

 シュテンが飛び込むように地面を駆った。

 踏み込みに耐え切れず地面が陥没するのも気にせずに、ただまっすぐ目標に向かって、愚直に正直に正面突破を敢行する。

「サポート、するから」

 ユリーカの声が響いた。

 と同時に、手に握ったその深紅の強弓に矢をつがえる。

 一本の流星が、シュテンと距離を置こうとしたアスタルテを狙い撃つ。

「……ふん」

 つまらなそうに、アスタルテは手を払った。

「なにっ?」

 瞬間、大だい斧ふを振り上げたシュテンに衝撃。

 叩たたきつけようとした斧は何なん等らかの金属に弾かれてシュテンは踏鞴たたらを踏んだ。

 ユリーカの矢など、気づいたら消し飛んでいる始末。

「なに、しやがったこいつ」

 ずざざ、と踏みとどまるように足を地面に摺すらせてスライド。

 何をされたのか分からないレベルの今の攻撃に瞠どう目もくすれば、彼女はこともなげにシュテンを見据えて肩を竦すくめた。

「キミは何をしようとした? 鬼神の影を追う者よ」

「なにって、そりゃ挨あい拶さつ代わりの一撃を」

「そうか、なら──」

 軍刀が、決して速い速度ではなくシュテンへと向けられて。

「──これも、挨拶だ」

「シュテン!」

 ユリーカが叫ぶのと、アスタルテが何かをするのと、どちらが速かったか。

 何いずれにしても事後にして分かったのは、シュテンが何かを受けたことだけ。

「お、おおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 直感じみたものを感じ取って、シュテンは思わず鬼殺しを前に出した。

 結果としてそれが何の意味をなしたかなど分からない。

 けれど、シュテンはそれで怪け我がを負わずに済んだ。

 勢いよくぶつけられた何十もの剣撃。

 それが鬼殺しを酷く痛めつけて、しまいにはシュテンの巨体を吹き飛ばしたのだ。

「ぜひもないな」

 軽く軍刀を一振り。血でも払うかのようなその仕草にとくに意味はない。

 冷めた瞳ひとみは虹にじ色いろ、シュテンを見据えて嘆息する。

「の、やっろ」

 シュテンは無傷だ。

 無傷で放っておかれた。

 舐なめられていると、分かっていてもどうしようもない。

 接近戦において今の理解不能な攻撃をされるのであれば、それは確かにシュテンに存在価値はない。

 だが。

「ふっ!」

 アスタルテと黒陽の間に差した影。それが、三対の翼をもつ少女のものであることくらいシュテンにも分かった。

 彼女のつがえた矢は、今度は四本。全ての指ゆび股またに挟まれた矢羽は、まっすぐアスタルテを向いて離さない。

 放った。

 それが分かったのは純粋に目が良かったからだとか、そんな小さな理由ではない。

 ユリーカの弓が弾けるようにぶれたその瞬間、空気が爆発でも起こしたかのように揺さぶられたからだ。

 どれほどの威力、どれほどの速度。

 魔界一の武芸者は、遠距離を取っても凄すさまじい。

「それも、無意味だ」

 しかし。

 その音速を超える矢で以もつても、アスタルテの身に傷一つつけることはなかった。

「くれてやる」

 しかもその口上。どういう意味かを吟味するよりも先に、シュテン目掛けて飛んできた矢の数は四本。

 ユリーカが使ったその矢がそのままアスタルテに弾かれてシュテンに殺到してきたのだと、悟るよりも身体が動く方が速い。

「ちぃ!」

 鬼殺しを勢いよく横薙なぎに一いつ閃せん。

 その風圧が、ほんの少しとはいえ鏃やじりの切っ先を逸らす。

 同時に一歩踏み込み。強引に切り上げた鬼殺しが矢を全て弾き飛ばした。

「おっも!」

「〝車輪〟の名は、伊だ達てではないようだね」

「お前が言うのそれ!?」

 ツッコミ交じりにシュテンはそう言って、体勢を整えるべく一歩下がった。

 彼の背後に、ユリーカも陣取るように浮遊する。

 一言で言って、今の交錯。何も出来なかった。

 強さの違いは歴然。

 魔界ナンバー2の車輪と、そこそこ以上に強い妖よう鬼きが組んでこれだ。

 様子見と言えばそれまでだが、条件は向こうとて同じこと。

 あれが全力だなんて、夢にも思わない。

 シュテンは一つ舌打ちして、背後のユリーカに問いかけた。

「魔王さん呼ぶこたぁ出来ねぇのか」

 魔王。

 魔界の双そう璧へき〝車輪〟にとっての唯一の上司。

 レックルスの存在によって元居た現代に戻ってきたことだけは分かったのだ。

 なれば、過去に戻る前にユリーカが謁見した魔王が城に居るはず。

 一いち縷るの望みにかけるようなシュテンの問いかけに、ユリーカは小さく首を振った。

「……今の魔王様はあたしより弱い。殺されることは絶対にないけど、アスタルテには勝てないわ……」

「使えねえトップだなおい。……魔力充じゆう塡てん中ってか」

「逆。魔力を常に使わざるを得ない状況になってるから、むしろ魔王様の作業が終わるまではあたしたちが露払いをしなければいけないの。本末転倒よ」

「……それはそれで、嫌な予感しかしねえなあ」

 吐き捨てるように盛大なため息を一つして。

 シュテンは、アスタルテと目を合わせた。

「どうした?」

「いやまあ、やらないで済むならお引き取り願いたいとこだけどよ」

「そういうわけにはいくまいよ。きみは敵対を宣言した。なれば帝国の障害に成り得るきみを排除しない理由がない。それに──」

 アスタルテの目が、シュテンの後方に向けられる。

 ほどよく細められた瞳の奥には、強い意志など微み塵じんも感じられない。

 しかして、そうでありながら明確な殺意が存在した。

「──わざわざ車輪を庇かばうんだ。攻撃しない理由などないだろう」

 魔界と人間界の確執。

 それを如実に感じさせる言葉にシュテンは一寸ちよつと言葉を失った。

 何かを言うその前に、背後から小声で漏れる少女の言葉。

「……そう。そっか。レックルスたちは、あたしを庇って」

「僕やつかれとて、無益な殺生を好むわけではない。しかし、討伐対象が車輪と聞いて我を忘れたように飛びかかってくる魔族は多かったな。……どういった形で統率しているのかは知らないが、あの忠誠心は見上げたものであり、敵としては非常に厄介だ」

 ユリーカが一いち瞥べつした先にあるのは、無数の魔族の骸むくろ。

 おそらくはユリーカを庇い、或あるいは人間の分際で魔界で暴れる帝国書院を憎み、そして散っていった者たちの生きた跡。

「夥おびただしいほどの量だったが、量だけだったな。魔界の者どもも力が落ちた。それは人間界側にも言えることではあるにせよ……魔界のそれは著しい」

「一つ、分かったことがある」

 こともなげに語るアスタルテとは対照的に、俯うつむいて呟つぶやくように吐かれたユリーカの思い。

 その断片に、アスタルテも彼女を見据える。

 たった一言なのに、たった一言のはずなのに、何も語られてはいないのに。

 その言霊の苛か烈れつさに、見据える他なかったと言った方が正しいか。

「人間界と魔界との間に、戦争のあともずっと確執があることくらい分かってる。ううん、分かってた。分かってたけど、それでも今はお互い大人しくして、つかの間の平和があるって思ってた。……それに、あたしはそうでありたい。だって、今の方がずっとずっと楽しいから。だから」

 ユリーカは、憤怒に染まったその顔をアスタルテに向けて言い放つ。

「この人は居ちゃダメだ。魔界を滅ぼすまで止まらない」

「……ほう。幾度となく侵攻を繰り返し、何度も人間を家畜のように踏みにじった貴様らが平和を口にするか。独善的なその醜い意思程度、踏ふみ潰つぶしてくれる」

 おそらくは魔導書の一つである軍刀を握り、アスタルテは虹にじの瞳から魔素を迸ほとばしらせた。

「もし僕やつかれが居てはならない存在だというのであれば、魔王軍というのはより一層この世に存在してはならないものだ。人々を脅かす魔の者よ、とく失うせるがいい」

 ユリーカを一睨にらみして、アスタルテはその魔導を振るう。

 ──神蝕現象フエイズスキル【四肢五体分かつ暗き刻限】──

 またあの何かが、くる。

 それを、シュテンもユリーカも察知した。

「行くよ、シュテン!!」

「分かってら、任せな!」

 警戒も露わに叫ぶ。

 迸った冷や汗が口角をあげた瞬間に弾けたのを感じながら走り出す。

「任せる。ふむ。何をだ?」

 アスタルテ目掛けて一歩を踏み切ったシュテンに白い眼を向け、アスタルテは軍刀の刀身を撫なでて言う。緊張と疲労で凝り固まった身体をほぐすように、シュテンは大斧を振りかざす。

「……前に出て、斧で叩っ切るしか能がねえもんでなァ!!」

 抉えぐれ、弾け飛ぶ地面。大地を割る一撃を放った時にはしかし、アスタルテは空中に舞い上がって攻撃を余波ごと逃れていた。

 同時にユリーカは自慢の翼で空高く。

 アスタルテよりも幾ばくか高いところから、その強弓に番えた矢を放つ。

 その数四本。

 全ての指股に挟んだ矢は、まるで追尾するようにアスタルテを追い詰める。

 先ほどと同じ、全力でのハンティングスタイル。

「まだ、終わっちゃいねえぞ!!」

 大地に叩きつけた鬼殺しの反動を活かして一回転、そのまま運動エネルギーをフルに活用してシュテンは跳躍した。

 幹竹割の如く振り上げた大だい斧ふが、アスタルテを叩き斬らんと押し迫る。

 上と正面。双方向からの同時攻撃に、アスタルテは一度目を閉じて。

 あっさりと軍刀を手放した。

「なにっ!?」

「高潔気取りのその意志、是正する気も起きないな。叩き潰してやる」

 いつの間にか握られているのはオカリナ。

 チャージタイムすらない武器の変換はユリーカの車輪転装と通じるものがあるが、目の前の現あら人ひと神がみにとって武器とは飾り。

 発動するは、神域の魔導。殺さつ戮りくの森羅万象。

 ──神蝕現象フエイズスキル【大だい文もん字じ一いち面めん獄ごく炎えん色しき】──

 その身に宿った魔導こそ、戦闘能力の本質。

「オカリナ女のッ……!? 洒落しやれになってねえんだけどぉ!」

 すんでのところでそばの崖がけを蹴り飛ばしてシュテンは退避。

 アスタルテが音色を奏でると同時、彼の周囲から吹き出る大量の炎。

 まるでそれは生きているかのように踊り狂い、ユリーカとシュテンに差し迫る。

「ちょ、うそっ」

 瞠どう目もくするユリーカの目の前で、放ったはずの矢が全て蒸発でもするかのように紅ぐ蓮れんの彼方かなたへ消え去った。

 空中、地面、或いは地中。

 明らかに伝導体が乏しいところであろうが縦横無尽に駆け回る魔素の炎。そしてシュテンは瞬間的に気が付いた。

 しばらく旅を続けてきた、今だからこそ。

「まさかっ」

 この神蝕現象には、日輪系の魔素が含まれていることを。

 そして日輪とはすなわち、堕天使に対して強烈な特効効果を持ち合わせていることを。

「ユリーカァアアアアア!!」

「っ……!! 車輪転装ッ……!!」

 獲物に食らいつく蛇のように、四方八方から襲いかかる獄炎。

 ユリーカは自前の飛行能力を駆使して徹底的にそのすべてを回避しながら、手元の弓を長ちよう槍そうに切り替える。

「はああああああああ!!」

 限界まで引き絞られた身体から放たれた、先端が燃え尽きるのではないかという速度での長槍。それはあらゆる炎の壁を突き破り、アスタルテの脳天を直撃せんとつっこんでいく。

「おま、なにしてっ」

 しかしユリーカの周囲に炎は残ったまま。

 シュテンはユリーカの近くにまで跳躍し、すべての炎を大斧の風圧でまき散らした。

「追われながら攻撃できんのはさすが車輪ってとこだけどよ……お前死ぬ気かよ」

 日輪系の魔導は、近くに居るだけで堕天使の翼を灼やくほどの弱点。

 それを分かっていながらどうして。

 振り返れば、ユリーカは小さく笑って言った。

「だって、シュテンが守ってくれるから」

「……ぁー、そうかよ。……行くぞ」

「うん!」

 呆あきれながらも、気分は悪くない。

 にこにこと、戦闘中だというのに微ほほ笑えむユリーカの表情に勿もち論ろん油断や隙はないけれど。

 その代わりに感じるのは、過去を共に旅した中で芽生えた絆きずなのようなもの。

 初めて会った時のような営業スマイルではなく、心を預けているからこその、信頼の証。

 着地し、シュテンはユリーカの放った槍の突き刺さった場所をみやる。

 クレーターが形成された中心に長槍はあった。

 しかし、アスタルテに刺さった様子はない。

 彼は相変わらず悠々と佇たたずんでいた。先ほどより、人一人分ほどずれた場所で。

「なあおい、アスタルテさんよ」

「なにかな?」

 アスタルテという巨大な壁に、ラシェアン帰りの連戦を挑まれたが故の荒い息を整えながらシュテンは彼女を見据えて言う。

 鬼殺しを地面に突き刺し、軽くもたれながら。

「確かにまあ、魔王軍ってのはどうしようもねえことをしてきたよ。そら、二百年前にはっきりと感じ取ったし、敵対もした。けど、何も全員が悪者ってこたあねえよ。魔族にも、良い奴と悪い奴が居る。それでもお前は、魔族は根絶やしにするってそう言うのかよ」

「ああ、そういう話か」

 己の周囲を旋回する武器に軽く目をやりながら、アスタルテはシュテンの話を聞いていた。

 意外にも耳を傾けてくれるのかと瞠目するシュテンだが、アスタルテは。

「例えばだ。今も魔界では人間を拉ら致ちし、家畜のように扱う連中が山ほど居る。僕やつかれはそういう連中が許せない。きみは、そういう気持ちが分かるかな。それとも、魔族にとっては人間とはただの家畜でしかないか?」

「そんなわけねえだろ。俺の友達にも、人間は居る。とんでもなく良い奴で、人間だとか魔族だとか、そういうことは関係ねえ。そうだろうが」

「ふむ。なるほど確かにきみは異質なケースなのかもしれない。だが、そのうえで聞こう。同じ魔族で同胞の友が、人間を家畜にするような奴だったら? それが、部下だったら? 止やめろと言って聞くと思うのか」

「……少なくとも、そんな奴は友達にいねえしユリーカは勿論そんな奴じゃねえよ」

「ああ。だが、それが関係ないことも今分かったんじゃないのか?」

「っ」

 虹にじ色いろの瞳ひとみがシュテンを穿うがつ。

 アスタルテの言わんとすることが、理解出来たからだ。

 しかし、それでも。だからと言ってユリーカを討つなどということを、シュテンは許しはしないだろう。

「シュテン……?」

 アスタルテと向き合い、黙りこくったシュテンへ心配そうに背後からユリーカは声をかける。だがその瞳にはシュテンと違い、アスタルテを敵とする割り切りがあった。

「そこの車輪にとっては、魔族は守るべき同胞だ。人間に敵意を持つ魔族や、本能的な殺戮衝動を持つ魔族もそうだ。僕やつかれたち人間が手を取り合おうとした先で魔族は裏切った。それは十年前に分かり切っていることだ。だから、個々が弱い許しがたい者どもを倒すためには、そこの車輪は邪魔なんだよ。魔王共々」

「……はぁ」

 その嘆息は、本当に小さなものだった。

 魔族と人間の確執。

 それをまざまざと過去で見せつけられたあとの、こうして現れた人間側からの刺客。

「嫌になるよな、ほんと」

 見上げた空は赤く黒く。

 魔界の空は人間界の空とは違い、随分とロマンに欠ける色をしていた。

 遠い空の下で生きていた、生きる時代の違う友人を思い出してシュテンは一人ごちる。

 結局、魔族と人間は相いれないのだろうか。

 シュテンのような、中身が人間そのままのような魔族だけが特殊で、人間と魔族は敵対するしかないのだろうか。

 その答えは、馬鹿な上に特殊な境遇にあるシュテンに出せるものではないけれど。

「ままならないもんだなほんと。なあおい、アスタルテ」

「なんだい?」

「それでも、だ」

 決して油断も慢心もない、それでいて自然体で居るアスタルテにシュテンは声をかける。

 突き刺していた鬼殺しを引き抜いて、ちらりと背後のユリーカを見て。

「……シュテン?」

 強弓を構えたユリーカは、しかしシュテンにはただただ心配と信頼の瞳を向けるのみ。

 今の問答でシュテンが裏切るなどとは微み塵じんも考えていない彼女はやはり、シャノアールをあの世界で共に助けた、人間側になって戦った魔族。

「お前の言いたいことは分かった。正しいか間違ってるかは知らん。だがそれでも」

「それでも?」

「俺はユリーカを殺させたりはしねえ」

 大斧を一いつ閃せん。

 殺意も敵意もなく、ただ闘志を向けて吼ほえるシュテンに、アスタルテは冷めた表情で応じるのみだった。

「別に、問答の時間が無駄だった、などとは言わないよ。どの道、ここを潰す間の全ては任務として処理されるだけなのだからね。それにしても──」

 アスタルテは、シュテンの背後に目をやった。

 シュテンとは違い敵意をむき出しにしているその少女の頰は若干赤らんでいて、がらにもなくアスタルテは一度目を閉じて。

「思っていたより、息があっているみたいだね。まさか自らの身を考えずに攻撃してくるとは思っていなかったよ」

 素直な感心を口にした。

「……そうかい」

「ああ……なら、方法を変えるだけ」

 ──神蝕現象フエイズスキル【四肢五体分かつ暗き刻限】──

 再び手に取るは軍刀。

 すらりと目映い光沢を放つ銀閃に、言いしれない凄すさまじい魔力を感じて──シュテンは思わずその場から跳躍した。

 瞬間、今までシュテンが居た場所に、その地面にくっきりと刻まれる大量の剣跡。

 まるで地面が八つ裂きにされたようなその跡に、自らの選択が正しかったことを知る。

「しらねえヤツの神蝕現象ってのは……厄介だなオイ……」

「残念などとは思わないけれど。死んでもらおうか、鬼神の影を追う者よ」

 ひゅー、おっかね。と額を腕で擦りながら気を取られた一瞬、〝見られている〟と気づいてシュテンの表情が強張る。

「……閃」

「っ!?」

 呟つぶやかれた言葉と同時に放たれる膨大な魔力。向けられた軍刀に危機感を覚えてさらに跳躍するシュテンだが、ふわりと感じた風に違和感。その瞬間。

「がああああああああああ!!」

「シュテン!?」

 迸ほとばしる剣撃の嵐。突風のように突き抜けたそれはまるで鎌かま鼬いたち。

 風にふれた左腕をずたずたに切り裂かれ、だらだらと血が指先に伝う。

 錐きり揉もみしながら吹き飛ばされたその先で、地面を削りながら静止したシュテンはアスタルテの放った神蝕現象を理解し、痛む腕を気にしないようあくまでテンションをあげて振る舞い続ける。

 痛みに気を取られたら、それこそ死ぬ。

「……筋はやられずに済んだか……かー、いってぇ」

 油断ともとれるその言葉。その隙を逃してくれるほど、人類最強の戦闘集団の長は、魔導司書の頂点は甘くない。

「……閃」

「これ以上は洒落にならんわボケェ!!」

 だが、それを分かったうえでシュテンはおどけていた。

 軍刀の刀身にかすかに漂う幾何学模様のオーラ。

 あれが放たれる度に大量の剣閃となって襲いかかるのだとシュテンは瞬く間に目星をつける。

 アスタルテの向ける軍刀の矛先から身をかわし、そのまま懐に潜りこまんと突撃。合わせるように空を舞っていたユリーカが弓を携え四本の矢をアスタルテに向けて放つ。

「これでも、受けなさいっ」

 ユリーカ渾こん身しんの気合を入れて放った、魔素の残ざん滓しによって対象を追尾する鋼の矢。

 しかしアスタルテはこともなげに、己に向かってくる矢群を見据えて唇を舐なめる。

「児戯だな」

 ──神蝕現象フエイズスキル【大いなる三元素】──

 見み惚とれるほどの手慣れた動作。

 軍刀が消えたかと思えば、その両手は見覚えのある黒いグローヴに包まれていた。

 アスタルテの周囲に現れた三つの球体が、独自にばらけた軌道で動き出す。

 シュテンの足下に叩たたきつけられた赤の球体と、放たれた矢を刈り取るように迸る白の球体。増幅の緑はアスタルテの肩付近で輝き、ユリーカの弓矢は全て魔素となって散る。

「うそっ……!」

 ユリーカは放った矢が消滅したことに目を丸くしながら、しかし更なる矢をつがえて引き絞る。

 目を眇すがめて放った矢は、それでもなお通用することなく呆あつ気けなく消滅させられた。

「遠距離からは成す術すべなし、ってことなの……?」

 数度に亘わたって矢は軽くあしらわれた。無論毎度惰性で繰り返していたわけではないが、それでもあまりの呆気なさに言葉を失うしかない。

 アスタルテは目を見張るユリーカに対して、さも当然のように鼻を鳴らしながら手を皿のようにして言った。

「車輪の武器は全て魔素で構成されている。その情報さえ知っていれば、対処法など幾らでもあるさ」

 ふわり、と拳こぶし大の〝白〟の球体がアスタルテの周囲を旋回する。

 大いなる三元素の白。力を吸収する、減退の白。

「……日輪属性の炎と、その球体。魔素の矢は効かないってこと」

「察しがいいな。だが、分かったところで何ができる?」

 鼻で笑ったアスタルテは、軽く顎あごでユリーカを指した。

 まるで誰かに「いけ」とでも言っているようなその仕草に、一瞬のラグをおいて。

「くっ!」

 ユリーカに向けて迸る、導火線のような火花。

「その追尾性能は、神蝕現象の中でも随一だ。グリンドルは拳に纏まとわせて戦う方が好みのようだけれど、こちらの方が楽でいい」

 滑空、バレルロールを挟んでユリーカはその炎から逃れるように飛ひ翔しようし続ける。

 歯は嚙がみした表情は切迫した現状を表しているようで。

 アスタルテは次なる手段でもって次々に詰みの形に持っていこうと──

「よそ見してんじゃねえぞ!!」

「眼中にないだけだよ」

 アスタルテは軽く指を振って、緑の球体で増幅したその魔力を足に充じゆう塡てん。

 飛びかかってきたシュテンと壁一枚隔てる程度の距離で、彼女は地面を踏みつけた。

 その瞬間シュテンの足下は盛大に炸さく裂れつし、バランスを崩したシュテンは地面を転がって勢いを殺す。

「ぐっ!! ま、だまだぁ!」

 転がった先で足をバネにして跳躍。幾度とない接近戦で慣れてきた身のこなし。

 さしものアスタルテもこの距離でならもう一度魔素を補充する時間はないだろうと踏んでの、時間にして刹せつ那なの二回攻撃。

 シュテンはそのままアスタルテに鬼殺しの振り下ろしを──

「ずいぶんと荒削りだが、我流かな?」

「ぐっ……」

 ──神蝕現象フエイズスキル【清せい廉れん老ろう驥き振るう頭かぶ椎つちの大た刀ち】──

 膨大なオーラを放つ大おお薙刀なぎなたによって、その振り下ろしが阻まれた。

 バチバチバチィ、と火花が散る。それがアスタルテの持つ大薙刀からではなく、鬼殺しの放つ悲鳴だということくらいシュテンはすぐに理解した。

 この大薙刀はデジレのものと同じだ。つまりは、オーラにふれているだけで魔素を削り取る魔族にとってのチェーンソー。

「ふんっ」

「がああああああああ!!」

 すぐさまそのオーラを最大限にまで強化し、アスタルテは魔族殺しのオーラを鬼殺しを隔てたシュテンにまで届かせる。

 たまらずバックジャンプで距離を取ったシュテンに、まるで玩がん具ぐを自慢する子供のような笑みを浮かべてアスタルテは言った。

「神蝕現象が一つではないと、こういうことも出来る」

「っ!?」

 シュテンが驚くより先に、アスタルテは。

「先ほどの長ちよう槍そうのお返しだ、車輪」

 その大薙刀を、音を置き去りにする速度で投とう擲てきした。

 バウッ、と空気が爆ぜる音がシュテンの右耳を割るように響く。

「ユリーカッ!!」

 それでも歯を食いしばりながら叫んだ少女の名前。本来ならもっとしっかりと忠告をしたいところだが、そんな時間は介在しない。

「大丈夫っ……えっ……?」

 だから、ユリーカも間違えた。

 車輪転装で持ち出したカトラス二刀でその大薙刀を弾こうとして、投擲されたそれが放つ凄まじいオーラに気付く。

 しかし気付いた時にはもう遅い。

 カトラスが大薙刀にふれた瞬間に、その刀身がびきびきと音を立てて文字通り崩壊する。

 シュテンの鬼殺しのような魔導具ではなく、ユリーカの純粋な魔力で精製された武器であるから余計にダメージの浸透率はさらに倍加を積み重ねる。

 おまけに大薙刀が放つオーラがユリーカの身体を削らんと、その間にも侵攻してくるのだ。

 そうでなくともアスタルテの尋常ではない膂りよ力りよくから放たれた大薙刀だ、簡単にカトラス二刀は崩壊する。

「う、そ……」

 花びらの散るその一瞬の風音のようなユリーカのこぼした声。

 火花と共に粒子のように繽ひん粉ぷんと舞う魔素と、反比例するように消えていくカトラス。

「ユリーカッ……!!」

 自分に出来ることは何だ、とシュテンの脳内は一瞬で計算する。

 投擲した状態のアスタルテは無防備だ。今切りかかれば殺せるかもしれないし、或いはシュテンの攻撃を防ぐ為に新たな神蝕現象を繰り出し、あの大薙刀は消滅するかもしれない。

 はじき出した計算に間違いはない。

 シュテンは迷うことなく、アスタルテに斧おので殴りかかった。

「オオオオオオオオオ!」

 今すぐにでも別の神蝕現象をたたき出させる。

 その意志一色に放った一撃は、もくろみ通り何かしらの反動を受けて静止する。

 ──神蝕現象フエイズスキル【四肢五体分かつ暗き刻限】──

 がきん、と金属同士がぶつかり合う音。シュテンが両手で振り降ろした大だい斧ふを、あっさりと片手の軍刀で受けるアスタルテ。

 ことは全て上手く行った……はずだというのにも拘かかわらず。シュテンの表情は、ひきつったままだ。

 背後から、大薙刀の気配が消えていないのだから。

 艶なまめかしい吐息とともに、アスタルテはシュテンに、まるで出来の悪い生徒を諭すような口調で問いかける。

「……いつ、同時に二つ使えないなどと言った?」

「ふざけろ……テメエ……!」

 思わず歯嚙みした。

 振り払われた軍刀によってシュテンは弾かれ、飛び下がる。

 だがシュテンの目論見が失敗したとなれば、ユリーカはまだ危機に瀕ひんしたままのはず。

 よもやそのまま貫かれたのではあるまいかと慌てて彼女の方を振り向いて、シュテンは息を吞のんだ。

「……おい……」

 ユリーカは、無事だった。

 空中で、呆ぼう然ぜんと浮いたまま。

 ばさりばさりと、無情にも黒き翼の音は絶えず。

 大薙刀は、確かに腹に突き刺さっていた。

 誰の?

 こんなところに、上空に、あっさり現れることが出来る男は、この場に一人しかいない。

 空中に開かれたゲートは、明らかにユリーカを庇かばえる位置。

「……なに、してんだバーガー屋……!」

 意識してもいないのに声帯が震える。

 吐かれた言葉は何の捻ひねりもないただの疑問。

 ふざけ上等のシュテンらしくもない、そんな。

「……れ……くるす……?」

「へへ……ユリーカちゃんを……庇えるんなら……満足でさ……」

 ユリーカは、目の前で大薙刀に貫かれた男を見て、シュテンと同じように呆ほうけた声を出してしまっていた。

 彼の恰かつ幅ぷくの良い腹から突き出た、銀の刃。

 自らの身体を削る勢いで放出されるオーラの中で尚、そのまま突き進もうとする大薙刀の柄を握りしめて押さえながら振り返る表情は、どこまでも穏やかで。

「へっ……こいつが一番やべえ武器だってのは……俺にも分かってたんだ……だから、こうしてやる……」

「ま、待って……待ってよレックルス!!」

「待ったらユリーカちゃんに怪け我がさせちまう……そいつぁ、ファンとして許しがたいんですわ」

 レックルスの足下に、黒い渦が現れる。

 彼が生み出したゲートであることは誰の目にも明白で、レックルスは大薙刀だけは絶対に離すまいと、摑つかんだ手をオーラによってずたずたにされながらも、それでも尚意地を見せつける。

「じゃ、足手まといは消えますわ。……四天王が……情けねえなぁ……」

 するり、とレックルスは落ちていく。

 大薙刀を道連れに、ユリーカを庇えたことを誇らしげに。

 ゲートの向こうがどこに繫つながっているのかなどは分からない。

 だから、それでもユリーカは精一杯叫んだ。

「レックルスッ……!!」

 ゲートはあっさりと消滅する。

 まるで最初から無かったもののようにして。

「……大薙刀が持っていかれたか。精製には時間がかかるんだが……仕方がない」

 未いまだに八種の魔導具を浮かせながら、アスタルテは特に感慨も浮かべず呟つぶやいた。

 強力な武器の一つを失って尚余裕の化け物はしかし、死にかけの魔族が一人退場したくらいでは欠片かけらも動揺しない。

 アスタルテの声に反応し、ユリーカがゆっくりと彼を振り返る。

「……許さない。絶対に……レックルスの為にも……お前をッ……!!」

 車輪転装。

 バスタードソードを精製したユリーカは、そのまま上空から直下アスタルテめがけて飛びかかった。

 遠近の二枚看板は、ユリーカの矢を封じられている状態では、全く効かない状態では意味がない。

 それが故に元々タイミング次第では不意打ち宜しく近距離戦を挑むつもりではあったのだが、それでもユリーカは憤りに身を任せた。

 真正面から振りかぶる幅広の剣はまるで壁だ。

 ユリーカの身の丈の三倍はあろうかというその大剣を、ユリーカは力任せに振りかぶる。

 だが。

「……神蝕現象フエイズスキルを同時に使える。それがバレてしまった以上、僕やつかれも手加減する理由はない。きみたちは僕やつかれが思っているよりもよほど強かったよ」

 アスタルテは動じない。

 軍刀を軽く一振り、その瞬間爆発的な風圧が彼女の前を吹き荒れる。

 台風の目、その中心にて。

 アスタルテはまるで睨にらみ据えるように、上空から襲撃を図るユリーカを見上げて言った。

 その余裕を含んだ発言に、ユリーカは声を荒らげてそのまま大剣を振り下ろす。

「馬鹿にしないでッ!!」

「馬鹿になんてしてないさ──」

 吹きすさぶ風圧は、ただの自然現象などではない。

 これは、神蝕による魔素の暴威。

 ──神蝕現象フエイズスキル【大いなる三元素】──

 ──神蝕現象フエイズスキル【四肢五体分かつ暗き刻限】──

 ──神蝕現象フエイズスキル【大文字一面獄炎色】──

「──全力で、お相手しよう」

 空中に漂う三つの球体。

 握るは軍刀、吹かずとも鳴り響くオカリナ。

 襲いかかる炎の大蛇、突風吹き荒れる剣閃、そうして尚炸さく裂れつする赤の球体と、武器を無効化する白の球体が縦横無尽に駆け回る。

 ユリーカは目を見張ると同時に、大剣を軍刀で押さえられてバックジャンプ。

 その一連の流れを見ていたシュテンは思わず叫んだ。

「ラスボスじゃねえか!!」

「何を言っているんだ。僕やつかれは人間の頂点……英雄だよ」

 不愉快だとばかりに眉まゆをひそめ、アスタルテはその荒れ狂う三つの神蝕現象をシュテンへと放った。

 日輪属性の炎を大斧で切り裂き、剣閃の嵐はステップで回避。三つの球体を常に視界に捉とらえて離さず、ひたすらに躱かわしていく。

「なら、これならどうだ?」

 ──神蝕現象フエイズスキル【四肢五体分かつ暗き刻限】──

 もはや危機察知のみで生き延びているシュテンは、剣撃による旋風が今度はシュテンをターゲットとしていないことに気付いた。

 だからと言って、それはユリーカ相手のものでもない。だとすれば、どこに。

 シュテンがステップを踏んで軽く跳躍した、足場そのものが何十もの剣閃によって切り崩された。

「ぐっ」

 踏み込みの足場がぐらりと揺れて、一瞬シュテンの足下がぐらつく。

 その一瞬こそ、命取り。

 この場に不釣り合いな高らかな旋律が耳を突き刺す。

 オカリナによる狂想曲は、放たれる絶望の炎の証。

「ふざけろドチクショウが!!」

 シュテンはそれでも回避に専念し、腰を矯ためて横転。突き抜ける炎と紙一重ですれ違う。

 近づくことさえままならない。そんな状況でシュテンの足ががくんと落ちた。

「ちぃ……」

 疲労だった。

 結局のところ、ラシェアンで戦ってからまだ数刻と隔てていないのだ。

 あれだけグラスパーアイ相手に戦って、その直後にこの化け物だ。

 体にガタが来てもなんらおかしくないこの状況を、むしろよく戦ってきたといえる。

 けれど。それでも、まだ終わるわけにはいかない。

「……ユリーカ!」

 シュテンが明確な隙を晒さらしている間、しかしアスタルテの攻撃がこちらに飛んでくることはない。

 何故か。

 その答えは、まざまざと見せつけられている目の前の攻防が無言で教えてくれていた。

「こんのっ……ぉ!」

「随分と乱暴な闘い方をする。それで身が持つのか」

「それよりも先に貴方あなたを倒せば、終わることでしょ!」

 アスタルテの言葉通り、ユリーカの戦闘方法は荒っぽいなどというレベルのものではなかった。

 カトラス二刀で切り掛かり、それが球体で消されれば強引に次の武器を精製、なおも追撃を加えていく。

 アスタルテは時に軍刀を振り、白球を操り、火炎を交ぜてユリーカの接近を拒むばかり。

 遊ばれている、わけではないだろう。

 いくら何でも、接近戦において最強を誇るユリーカの猛攻をせせら笑うほど彼我に実力差はないはずだ。

 だとすれば、アスタルテに決定打がないのか。

 それとも、時間稼ぎか。

 援軍がくる、というのはあまり可能性として高くない。

 アスタルテに追従するほどの実力者は帝国ではヤタノ・フソウ・アークライト程度のものであろう。

 そして彼女が進んで魔族狩りをするかといえば、答えは否。さらに言うなれば、アスタルテの留守にヤタノまで帝国を離れることなど不可能に近いだろう。

 現時点でさえ、王国、教国、公国とは穏やかならぬ関係にあるのだから。

 そこまで考えれば答えは一つ。

 ユリーカとシュテンは過去帰りで、数時間前までラシェアンで死闘を演じていた。

 魔素が体内に戻り切っていない今、これ以上闘い続ければどうなるかなど自明すぎる。

 あらゆる意味で絶望的なこの状態。

 シュテンは大だい斧ふを振るいながらユリーカとスイッチするようにすれ違い、アスタルテを叩たたき斬らんと迫る。

「あきらめて帰ってくれませんかねぇ!?」

「それは、無理な相談だ。現に僕やつかれは今有利だからね」

「クソ正論死ね!」

 ぎゃーぎゃーと騒ぎながら、しかしシュテンは疲労を誤魔化してアスタルテの神蝕現象フエイズスキルに食らいつく。

 清せい廉れん老ろう驥き振るう頭かぶ椎つちの大た刀ちが封じられているのは、せめてもの救いと言えた。

 鬼殺しが壊れる可能性は消えた。

 ならそれだけで十分だ。

「……それに」

 続けるようにアスタルテは、軍刀から噴出する剣閃をシュテン目掛けて放ちながら顔をあげた。火炎大蛇が彼女を包み込み、吠ほえ立てるようにシュテンを追い詰めていく。

「鬼神の影を追う者。きみがどう頑張ったところで、相方はそう長くは持たないよ」

「……てめっ、やっぱりそれ狙いか!」

 シュテンと代わるように背後に飛び下がったユリーカは、図星を指されて歯は嚙がみした。

 確かにもうこれ以上の魔素は引き出せない。

 そうなれば、アスタルテはシュテンを全力でつぶしにかかるだろう。

 今までのような牽けん制せいではなく、神蝕現象の粋全てを振り絞って。

 そうする、と言われたわけではない。しかし、そうなる予感があった。

 故にユリーカは、小さく息を吐く。

「……仕方ない、か」

「ユリーカ……?」

 ほう、と艶なまめかしい嘆息。

 何かを諦あきらめたような、それでいて何かを決意したようなそんな声色に、たまらずシュテンは振り向いた。

「何をっ」

「少しだけ。少しだけシュテン、頑張って」

「おい!」

 ぴょん、と軽く跳ねるような後退。

 流石さすがのシュテンも、そこまで離れた彼女の様子をぼんやり見ていられるほど吞のん気きではない。

 目の前には、隙を見せれば殺される相手が居るのだから。

「……何をするつもりか分からないけれど、乗ってあげよう」

「どこまでも上から目線だなおい!」

「僕やつかれは現あら人ひと神がみだからね」

「理由になってねえっつうんだよ! お外の女神だってもうちょい人間臭くせぇぞ!」

 一切合切の容赦なく、迫りくる壁、崩れ落ちた崖がけのような怒ど涛とうの勢いで飛んでくるアスタルテの振るった神蝕現象の群れ。

 ちぃ、と声にならない声をあげてシュテンはその場からステップで逃れると、大斧を腰だめに構えてその炎や剣撃を迎え撃つ。

『少しだけシュテン、頑張って』

 真に迫るような声だった。

 それだけに若干の悪寒を覚えるが、しかし現状を打破するなにがしかは存在しない。

 アスタルテの物量をシュテンの力押しが上回らない限り、この均衡は揺らがないのだから。

「埒らちが……あかねえ……!」

「飛び下がっただけ、か。本当に何をするつもりなのか」

「俺は眼中になしですか余裕ですねこの野郎!」

「野郎でも女郎でもないと言っているだろう」

「こだわりのブレンドですねチクショウ!」

「……なるほど」

「感心されても困るんですけどぉ!」

 一撃、二撃、三撃、四撃。

 毎度の如く大きく振るわれる大斧は、ただ力任せというわけではない。

 シュテンをもってしても、その大振りでなければこの猛攻を防ぐことが出来ないのだ。

 それだけ重い、それだけ強い。

 アスタルテ・ヴェルダナーヴァ。魔導司書の第一席は、生半可なことでは乗り越えられない壁なのだ。

「本当に、ほんっとうになんでこんなタイミングで出てくるんだよお前!」

「そんなに僕やつかれにとって好都合だったのか。ふむ」

「ふむじゃねえんだよなぁ!」

 アスタルテは一歩も動かず、ただ振るった軍刀から迸ほとばしる剣閃と、オカリナの獄炎、そして三種の球体による連鎖攻撃で戦っている。

 せめて、せめて接近戦にでも持ち込めれば。

 そう願いシュテンが一歩を踏み込むも、読んでいたとばかりにその足場にした地面が切り裂かれる。

 場数が違った。

 まだ戦いを覚えて少しの妖よう鬼きと、人間きっての戦闘集団のトップ。

 これでは、くぐってきた死線が違うのだとまざまざと突き付けられているようでどうしようもないくやしさがこみ上げる。

「んの、野郎おおおお!」

「自や棄けはミスの元だ」

「うるっせえんだよ!」

 ほざいてろ! とシュテンは今まで以上に強く握りしめた大斧の柄を豪快に振るった。

 突風がアスタルテの髪を揺らすが、それだけだ。

 満まん身しん創そう痍いの状態で、それでもシュテンはアスタルテの放った攻撃を受けることなく立ち回っている。

 なかなかにしぶといなと、アスタルテ自身も軽く舌を巻くレベルだった。しかしそれも、もうそろそろ潮時だ。

 もう、物量でつぶして良い頃だろうとアスタルテが考えた、その一瞬。

 ──古代呪法・車輪転装──

「っ?」

 顔を上げたアスタルテは、流石に勘がいいと言うべきか。

 シュテンはその瞬間にはバックジャンプで距離を取っており、一瞬とはいえアスタルテに隙が生じたように見えた。

「シュテン、下がっ……てるね! 行くよ!」

「……!」

 アスタルテが目を見張った。

 ユリーカが握っているのは、ただの大剣。

 先ほどまでユリーカがアスタルテへの攻撃に、接近戦での得物に使っていたそれと、見ためは殆ほとんど変わらぬ酷似したもの。

 しかし、当然のようにアスタルテは気づく。

 今までのものとは格が違う。否、魔素の構成量が格段に違う。

 凄すさまじい密度を持った、渾こん身しんの一振りであると。

「……魔素が削られるなら、その分濃密にすればいい。なるほど、素直だが実現出来るのであれば悪くない策だ」

「そう……これを見ても余裕なのね」

 一瞬、ユリーカの目が伏せられた。事実、彼女の息は相当に荒くなっている。

 シュテンとアスタルテの闘いを睨にらみ据えながら、じっとただひたすらに錬成したものなのだろう。

 彼女が今持っている魔素の殆どを結集したといっても過言ではないその一振りを構え、ユリーカは空中からアスタルテを見下ろして一つ呼吸を整える。

「余裕ではないさ。首を狙われでもしたらと思うと、ぞっとする」

「……」

 肩を竦すくめ、シュテンの大斧を四肢五体分かつ暗き刻限で弾き飛ばしながらアスタルテはこともなげにそう言った。

 だがもはやユリーカにとってはアスタルテすら眼中にない。

 握りしめた何かにアスタルテは気づき、片かた眉まゆをあげる。

「……パパシユテンが死ぬ、くらいなら」

 その言葉は、シュテンには届かない。

 き、と目を見開いたユリーカは、裂れつ帛ぱくの気合を込めてアスタルテに突っ込む。

 全速力で羽ばたいた黒の翼。空気が破れるような音をその場に捨て去って、彼女の大剣が唸うなりをあげる。

「……ふぅ、なるほどな。来るがいいさ」

「ユリーカっ」

 シュテンと一瞬、目が合った。交錯すると同時、アスタルテに接敵する。

 アスタルテが軽く手のひらをユリーカの前に掲げたかと思ったその瞬間、ユリーカはその大剣を勢いよく振り下ろした。

「はあああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

「ふんっ」

 間をおいて、爆風。

 凄まじい轟ごう音おんとともに揺れる大地。

 シュテンは大地が発した土煙に目をやられ、慌ててその腕で顔を庇かばう。

「ユリーカァ!」

 叫ぶも、返答はない。

 彼女の一撃はしかし、確かにアスタルテに届いたのだ。

 まず間違いなく一撃を加えた。それだけは間違いない。

 もしユリーカが動けなくなっていたとしたら。手負いのアスタルテなら、もしかしたらシュテンもどうにか出来るかもしれない。

 しかして。

 巻き起こった砂すな埃ぼこりの先。

 立っていた、二人。

「……これ、でも」

「危うかった、とだけ言っておこうか」

 アスタルテは、無傷だった。

「ウソだろお前っ」

 思わずシュテンが漏らした言葉が切っ掛けだったか。

「っ!」

 慌ててユリーカは飛ひ翔しようした。一瞬前まで彼女が立っていた場所は、無残に剣撃の嵐を受けて崩壊する。

 ユリーカの手に、剣は無い。

「……お、おおおおおおおおおおおおおおおお!」

 ありったけの魔素を込めたユリーカの攻撃が通らなかった。

 その厳然たる事実を前に、シュテンは多少の諦めを振り払うようにアスタルテへと突っ込む。

「ふむ、攻撃のタイミングだけは、コンビネーションが素晴らしいな」

「お前、お前ほんっとに、どうしようもねえな!」

 毒と一緒に呼吸を吐き、その気合一いつ閃せん、アスタルテに鬼殺しを振り下ろす。

 当然ながら弾かれて、アスタルテは虹にじ色いろの瞳ひとみをただ空中に向けた。

「……任務は、車輪を倒すことだけ」

「だからッ! させるわけねえだろうが!」

「きみはそのつもりでも──」

 眉尻を下げて、アスタルテは続ける。

 見上げた先には、空中で体勢を立て直すユリーカ。

「……それでも、まだっ! やれるんだからぁ!」

 カトラス二刀をその手に出現させ、ユリーカは吼ほえる。

 しかし。

 アスタルテは、その悲鳴のようなユリーカの声を聴いてなお、滔とう々とうと語るように彼女を見つめて言った。

「──もう、車輪は戦えない」

「っ……!!」

「おい、ユリーカ!!」

 バチバチ、とカトラス二刀に稲妻が走る。

 魔導に疎いシュテンでもはっきり分かる、あの現象は。

 魔力切れだった。

「やだ、やだやだ! まだ、戦える!」

「ユリーカ、逃げろ! 俺がなんとか──」

「そんなこと、させられるわけないじゃない!」

 アスタルテとユリーカの射線上に立ち塞ふさがるように、シュテンはステップ、場所を陣取った。

「……負けられない。こんなところで、お前なんかに!!」

 深く息を吐き出して、ユリーカはそれでも空を舞う。

 これ以上の車輪転装は無理だと踏んで、彼女は一番使いやすいカトラス二刀を選んだ。

 だが、それが余計に〝あとがない〟のだとアスタルテに知らせているも同義で。

「ふむ、好都合だ。そろそろ締めと行こうか」

「締め……!?」

 嫌な予感が、大だい斧ふを振るったシュテンの頰を伝った。

 その瞬間、三色の球体が……つまりは大いなる三元素が消滅する。続いて炎もその姿を消した。

 第十席と第八席、その二人の神蝕現象を消して、シュテンと軍刀で戦いながら、アスタルテの吐いた言葉。祝詞のりと。

 その言葉に、シュテンの背筋に寒気が走った。

 なぜならそれは、誰しもにとって絶望の一いち言ごん。

 いくらなんでもこの状況でユリーカ相手に使われるには、三度殺しても殺したりないほどの威力を孕はらんだその攻撃。

 ここまで使わなかったのなら、もはや使えないのではないかとまで踏んでいた、必殺の一矢。

 ──神蝕現象フエイズスキル【天照らす摂理の調和】──

「ユリイイカアアアアア!! 逃げろおおおおおおお!!」

 シュテンは嗄かれそうな喉のどを振り絞って叫んだ。

「知っているようだね。ヤタノには、あまり神蝕現象は人前で使わないように言っているんだが。困ったものだ」

 軍刀を持つ左手とは逆。

 右手に番傘を握りしめたアスタルテは、ユリーカを一いち瞥べつすると番傘から純魔力を放出した。

 その瞬間、〝偶然〟引き起こされた自然現象が怒ど濤とうのごとくユリーカに襲いかかる。

「ヤタノ・フソウ・アークライトの神蝕現象フエイズスキルは少々特殊でね、僕やつかれでは七割程度の力しか発揮出来ないんだが──」

「あああああああああああ!!」

 偶然、ユリーカの足下を落雷が襲った。

 偶然、着地するべき地面から土ど槍そうが突き出た。

 偶然、突風が彼女の翼を薙なぐように吹き荒れた。

「──七割もあれば、十分すぎる」

 落雷、岩いわ雪崩なだれ、竜巻。しかしそのどれも、ユリーカの実力ならかわすことが出来るだろう。だが……

 偶然、地下帝国に日光が降り注いだ。

「ユリーカあああああああああああ!!」

 気付けばシュテンの足はユリーカの方へと向いていた。

 跳躍し、日の光からかばうことくらいならシュテンでも出来る。

 翼を灼やかれ、空中で悲鳴をあげるユリーカの下へ、早く。

 そう思っているのは当然、アスタルテにも読まれている。

「行かせるはずがないだろう? 魔力が乏しくなった彼女なら、車輪転装で盾を出すことも出来ない。せっかく待っていた魔力切れなんだ、この機会を逃したくはない。それに……僕やつかれとてヤタノ・フソウ・アークライトの神蝕現象フエイズスキルは多用したくないんだ。身体は人間だからね、ダメージが厳しい」

「知るかよ!! どけコルァアアアア!!」

「急いては事を仕損じる。先ほどから言ってあったはずだがね。僕やつかれにとっては、ちょうど良いのだけれど」

 疲労のたまったその足で、ユリーカの下へと駆け寄ろうとしたその瞬間襲いかかる大量の剣閃。完全に無防備であった背中に、無慈悲に刃が斬りつけられる。

「があああああああああ!!」

 地面にもんどり打って転がったシュテンは、二転三転とバウンドして地面を擦すった。

 痛みに耐えきれず墜落したユリーカは、それでも運が良かったのかシュテンの近くにあった死体の山が落下地点だった。

 ぼろぼろになりながら立ち上がるユリーカ。

「いってぇ……!」

「シュテン、立てる……?」

 痛みに目を腫はらせて、それでもユリーカはシュテンを守ろうと身体に鞭むち打って彼の前へ。

 しかしそこに〝偶然〟落石が起こる。

「纏まとめて死ぬといいさ、二人とも」

 アスタルテの言葉に、ユリーカは一瞬空を見上げた。

 何も見えない、否降り注ぐ岩雪崩だけが、無慈悲に時間を縮めてやってくる。守るすべなど何もない。

 魔導も武器も使えない。

『大好き』

 そう、一言だけ彼に言った届かなかった言葉が、どうしてか彼女の脳裏によぎる。

 大好きだった。だから。

 一度も見せなかった涙をぼろぼろと流すユリーカの顔に、シュテンの表情が歪ゆがむ。

 まだ終わっちゃいねえんだと、シュテンが起きあがろうとするも間に合わない。ユリーカの翼ではもう飛べない。

「ご、ごめっ……!!」

 自分がシュテンの近くによってしまったから。

 だから彼まで巻き添えにするのだと、ユリーカは痛みと悔しさに涙をこらえながらそれでもシュテンを助けようとよろりと立ち上がる。

 だが、もう時間は無い。

 眼前にはすでに迫る大量の岩石。峡谷の上から降り注ぐ、〝偶然〟の産物。

 ゆっくりと目を閉じ、アスタルテが身を翻したその時だった。

 きらりと、何かが輝いた。




「第十四攻性魔導・冥月乱舞!!」



 周囲に響きわたるその声と同時。

 濁流のような黒き渦の波は濤とう。

 見上げた空にあった〝死〟の象徴が、次々に消滅していく幻想のような光景。

「なにっ……?」

 警戒を露わに振り返るアスタルテと、呆ぼう然ぜんと硬直するユリーカ。

 一気に、脅威が消し去った。

 何があったのかと困惑よりも先に、シュテンは。

 呪文詠唱が聞こえた方角をゆっくりと振り向いて。

 声を震わせながら、それでも口にする。

「なんっ……で……おまえ……が……?」

 ひらりと舞い降りたシルエットは、あのときより幾分か老けて見えるがまだまだ壮健そうな三十前半。

 自信に満ち溢あふれた表情は昔と同じ。

 真一文字に結んだ口が、一歩一歩前に歩んでくると同時に開かれる。