若干、空元気が入っているのではないかと。

 ユリーカにとっては、そんなことはないのだが。

「ま、なんだ」

 シュテンは後頭部を搔かきながら、あえてユリーカを見ずに言葉をつづける。

「今回は失敗しちまったけど、両親にゃ何いずれ、会えるといいな」

「え、あ、うん。そう、だね」

「なんでさっきからちょっと口ごもるんだよ」

「そんなことないよ」

 シュテンが彼女を見ていなかったから。彼女もシュテンから目を逸らしていたことに気付かなかった。

 ユリーカはシュテンと同じように空を見上げて、そして小さく微笑んだ。

 金と銀のネックレスは、父と母にあげるつもりだったもの。

 だから、目的は果たされていた。

「おー、あんたらそこに居たのかい! 捜したよ!」

 と、そこにどさどさと、叢くさむらを無造作に踏みしめてやってくる幾人かの足音。

「お、オカンにシャノアールにタリーズに……もうめんどくせえ、ようみんな!」

「あれ!? せめてオイラのことくらい呼んでくれてもいいんじゃねえですか兄貴!?」

 二人してのんびりと草原の真ん中に立っていた、静かな時間はもうおしまい。

 ユリーカは小さく唇を尖とがらせて、つま先で地面を蹴けった。

「もうすこし……」

 雰囲気を楽しんでいたかった。などとは流石さすがに言えるはずもなく。

 か細い言葉を辛うじて聞き取ったシュテンが目線だけを彼女に投げた。

「ん?」

「な、なんでもない」

 慌ててパタパタと眼前で手を振ると、首を傾げつつもシュテンの視線は前に行った。

 草原の向こう、ラシェアンの方角からぞろぞろとやってきた、シュテンもユリーカも見慣れた面々。

 イブキや一号の後ろから、シャノアールにタリーズ……そして、堕天使たちも数人見えていた。その中には、幼いユリーカの姿もある。

「よう、シャノアール。別れの挨あい拶さつってか?」

「身も蓋ふたもないね。それもあるけど、一番最初にかけるべき言葉は別だよ。このボクにとってはね」

「あん?」

 タリーズを抱いて前に進み出たシャノアールが、肩を竦すくめてからタリーズを地面にそっと降ろした。

 一番にかけるべき言葉。それが何なのか分からないシュテンは頭上に疑問符を浮かべながら、彼に向き直る。

 するとシャノアールは一つ咳せき払ばらいをしてから、右手をシュテンに差し出した。

「今回のこと……感謝する。友よ」

「……ははっ」

 納得、と朗らかにシュテンはその手を見つめて。

『きみとは、良い友になれそうだと思ったからね』

『何言ってやがる。もうダチだろうよ』

『……はは、そうか。そうかも、しれないな。良い友を持った、と思っておこう』

 シャノアールの家のバルコニーで交わしたあの時の言葉を思いだし、シュテンの口角が吊り上がる。

 差し出された手を力強く握り返し、二人して笑い合った。

「いつの間にかすっごく仲良くなってるし……!」

 あの会話がなされたのは、ユリーカが眠ってしまってからのことだ。

 ユリーカが覚えているのは、シャノアールとシュテンの盛大な掛け合い。

 こんな風に友情が刻まれてしまった後どれだけの疲労が我が身に降り掛かるのだろうかと思いかけて、首を振った。

 そんな野暮なことを問いかけられる空気でもなかったから。

「水みず臭くせぇこと言ってんじゃねえよ。ああほんと、水臭ぇことしやがって」

「耳が痛い話だよ、本当に。けれど、おかげで本当に助かった」

「……ったく、この野郎」

 耳の穴に小指をつっこみながら、誰も居ない空を睨にらんでシュテンは言った。

 それがどこか照れ隠しを含んでいることを、周りに居る誰もが気づいている。

 だからこそ、無人の天を睨んでいるのだろう。

 そんな彼に、シャノアールは口元を緩めて声をかける。

「……ありがとう」

 感極まったような、吐息のような声を。

「あん?」

 雰囲気が変わった。そう、はっきりと感じさせるシャノアールの真剣さを孕はらんだ声色に、シュテンはシャノアールに向き直った。

 泣き出しそうな、それでいて厳然とした、ムリくり引き締めたような口角。

 たった一言呟いた礼に込めた万感の思いを察して、シュテンはバツが悪そうに舌で横頰をつつく。

「未来の孫娘さんへの届けもんの為にやったことだよ」

「今更取り繕わなくてもいいじゃないか。当たり前ながら会ったことはないけれど、その子に〝祖父を助けてくれ〟なんて言われたわけでは、ないのだろう?」

「察しがよくて鬼いさんちょいと悔しいぜ」

 へへ、といつものように道化じみた笑みを浮かべて、シュテンは言った。

 照れ隠しや、謙けん遜そん遠慮はご無用のこと。そう暗に示されてしまうと、元日本男児のシュテンとしては若干恥ずかしい思いもあった。

 けれど、目の前に立つ〝友人〟は、そのようなことはまるで気にしてなどいない様子で。

「……ああ、そうだ。今回のことに関しちゃ、お前を心配してやったこと。礼ってもんは確かに受け取る義務があるだろうよ。……照れくさいけどな」

「本当に、悔やむ気持ちしかない。きみたちがわざわざティレン城内にまで追いかけてきてくれて、タリーズのことも助けてくれたというのに。それでも怒りを優先してしまったんだ。まだまだ、若いな。このボクも」

「誰かのために怒れるってえのは、俺はすげえ好きだけどな」

「それでも、感情のままに動いた結果がこれだ。シュテンくんたちが居なかったらと思うと、ぞっとするよ」

「……まあ、聞いた話じゃお前は自我を奪われて兵器として扱われる、なんてクソみたいな話だった。それに関しちゃ、俺は本当に……ここにきて良かったと思うよ」

 がしがしと後頭部を搔くこの仕草は、真面目な話をしている時のシュテンの癖だ。

 けれど裏を返せば、それだけ今回の事件については解決に対して安あん堵どしているということでもある。

 ティレン城急襲からの、ラシェアン虐殺。その筋書きを無理やりにでも変えられたことは、シャノアールという友人と出会った今、何よりも大きい。

「まあ、でも!」

「うん?」

 悔悟の拭ぬぐえない表情で、それでも友人の前だからとその後悔や自分への憤りを隠すシャノアールに、シュテンはそのわだかまりを切り裂くような軽く鋭い言葉を投げる。

「やっぱりちょいと、照れくさいのには理由があらぁな」

「……礼は受け取り辛いって?」

「まあ、な」

 感謝する、というシャノアールが差し出した握手には応じたものの、言葉に表すとまた何かが違う。

 そういう理由で彼の感謝を断ろうとするシュテン。

 シャノアールとしても目を瞬かせるものではあったが、黙って周りで聞いていた者たちにとってはより顕著で。

 なんだか仲が良いから口を挟むまいと思っていたユリーカも、何かを訴えたそうにシュテンのことをじっと見つめていた。

 睨む、というほどではないにせよ、あまり好意的ではない強い意志がこもっているように思えるその瞳ひとみ。

 他にも幾つもの疑問を孕んだ目を背に受けながら、それでもシュテンは我を通す。

「……お前は、タリーズの為に怒ったんだろ」

「そりゃ、そうだよ。あれは、娘のようなものだ。否、娘だ。それが、あんなひどいことに巻き込まれたら怒って当然だ、このボクじゃなくてもね」

「だろ? ……まあ、そういうことだよ」

「……ん?」

 いや、だからな。とまたしても口にするのが歯がゆいのか恥ずかしいのか。

 しかし今度の躊躇ためらいは一瞬で、あーだのうーだの意味のない言語を発したのち、改めてシャノアールに向き直ると。

「俺とお前はダチじゃねえか。ダチの為に俺は怒ったんだ。ダチが他の野郎にひでぇことされてるってことにムカついて、元々変える気なかった歴史を変えたんだ。……そこに、打算も情もありはしねえよ。そういうもんだろ、友達ってのは」

 言わせんな恥ずかしい。その一言で締めくくってシュテンは視線を逸らした。

 逸らした先でとろけたような温かな瞳を向ける桃髪の少女と目があってしまい、反対へ目を向けると何やら人情家の女妖よう鬼きが腕を組んで頷うなずいていたので最終的に空へ視界をパーンした。どうにも、温かすぎる理解者が多い。

「……はは」

 何がツボにはまったのか、シャノアールは思わずといった具合の掠かすれた笑い声を漏らした。なんだよ、と胡う乱ろんげに顔を正面に戻したシュテンの肩に手を乗せて。

「ならばこそ、余計に言わせてくれ。受け取らなくても構わない。それはそれとして、気が済まないのだから。このボクのね」

「……」

「そのうえで、誓おう。これから先、このボクの身が人間である以上はどうしようもない部分もあるだろうけれど。それでも、きみは友だ。このボクのね。友の為に、この力を振るおう。……きみに貰もらった恩は、忘れないよ」

「……そう、か。いや、友達だもんな。持ちつ持たれつ、行こうぜ」

「おうとも」

 うんうん、と腕を組んでしんみり頷くシャノアール。

 シュテンもここまでの押しには参ったのか、叩たたかれた肩を竦めておどけるのみだ。

 いつの間にか漏れ出た笑い声は絶えず、そんな光景を眺めながらユリーカは一人思った。彼らが出会った時のような掛け合いも、ユリーカが呆あきれることも、この先はもうないのだと。

「……それでも、未来に戻るんだよね」

 呟つぶやいた言葉は誰も拾うことはなく。

 だからこそ余計に寂しくて、ユリーカは一人俯うつむいた。

 高らかに笑い合うシュテンとシャノアール。

 その間に、てこてこと歩み寄った少女の存在。それに気が付いたのは、ぼんやりとやるせない思いに浸っていたユリーカだった。

「……タリーズ?」

 彼女の登場に目を瞬かせたユリーカ。

 その若干呆ほうけたような声を聴き、彼女はその穏やかな瞳をユリーカに向けて、はにかむように頰を緩めた。

 そして、ちょんちょんとシュテンの着流しのすそを引く。

「んぉ?」

「やぁ、どうしたんだい?」

 シュテンとシャノアールの二人も、タリーズを見下ろす。

 先ほどまで二人の楽しそうな会話に微ほほ笑えんでいるだけだった彼女が前に進み出てきたこと自体が珍しいのだが、彼女はそのままシュテンとユリーカの方に向き直って。

「……」

「ん?」

「どうしたの?」

 もじもじと、手をふともものあたりですりあわせながら。

 顔を真っ赤にして、躊躇いながら。

 それでも、一切二人から視線を離すことなく。

「……」

 背後のシャノアールの表情が変わる。

 先ほどまでの笑顔から、どこかはっとしたような、驚いたような。

 ユリーカは一瞬そんなシャノアールを見て、タリーズに視線を戻した。

 彼女はすぅ、はぁ、と大きく深呼吸して。

「……ぁ」

 シュテンの目が見開かれた。ユリーカとて、言葉が出ない。

 声が一切出ないはずのタリーズの口から漏れた、小さな小さな音。

「……ぁ、ぃ……が……と……」

 静まる、周囲。

 言えた、とばかりに満面の笑みを見せるタリーズ。その瞳にあふれる、滴。

「タ、タリーズおま……」

「あ、あはは」

 上う手まく言葉を返せないシュテンと、どこか感極まったように目もとを拭うユリーカ。

 そして。

「タリーズ!!」

「……っ」

 背後から勢いよく彼女を抱きしめたシャノアールの声色がふるえていて。

「……こいつぁ、……いいや。こちらこそありがとな、タリーズ。……おいシャノアール、タリーズの背中で泣くんじゃねえよ」

「う、うるさい!! 泣く時は泣くさ!! この、ボクもね!!」

「……」

 嬉うれしそうなタリーズと、その背でおいおいと泣きわめくシャノアール。

 感化されたシュテンも乾いた笑みとともに優しい目で彼らを見つめていて。

 ユリーカと、何故か影響されたらしい一号もぼろぼろと泣いていた。

 その背後で、どこか考えるように顎あごに手を当てるイブキ。

「……シャノアールっつったか。あんた、このタリーズって子……魔王軍に連れていく気か?」

「……きみは、シュテンの母親……予定の人だってね。一応、そのつもりだ」

「彼女……無力な妖鬼だよ。魔族の巣そう窟くつに放り込んだら、たちまちあんたの弱みにされる。守れるのかい?」

「……それは、守り抜くしかないさ。このボクの命に代えてもね」

 何かを思い立ったようにシャノアールとの会話を始めたイブキに、周囲の注目が集まる。

 いったいどういう話なのか。瞳を赤くして、手でこすりながら答えるシャノアールには、普段のようなオーラはない。

「一つ提案があるんだが……あんたこの子、あたいに預けてみないかい?」

「……は?」

 その、シャノアールの言葉は周囲の面々の総意であったことは間違いなかった。

 いったい彼女は何を言っているのか。きょとんとした表情のタリーズも、イブキを見据えて動かなかった。