ごき、ごき、と首に手を当てて軽くマッサージを施す着流しの妖鬼。片手で振り回すは身の丈ほどもある巨大な斧おの。それが〝鬼〟に対して絶大な威力を発揮する魔導具であることくらい、グラスパーアイも容易に把握することができた。

 同時に、歯は嚙がみする。吸血鬼も、分類上は鬼の一種。

 なればこそ、あの大だい斧ふから受ける攻撃は、たとえ一発であっても重傷に成り得るということだ。

「此度のこと、貴様が主軸に立って邪魔立てしていることくらい、見抜けぬとでも思ったか。ティレン城で妙なことをしていると思ったら、本命はこちらとでも言うつもりか」

「本命っつか。ティレン城はヴェローチェさんの用件で来た場所だし、こっちはユリーカのお願いにつられてきた場所だし、目的に上下はねえんだけどよ。いや、そういう言い方をすると本命ってちょっとあれだな。俺なんぞにあの二人選べって、パンピー相手のアイドル街角調査じゃねえんだぞ」

「なにをごちゃごちゃと。貴様、シャノアールにも要らぬ吹き込みをしたのだろうが。日輪の魔導で根絶やしにすればこんな余計なことをせずとも。先ほどの子供に関してもそうだ。あれは程よく調整すれば相応の戦力になったものを」

 余計なことをしやがって。

 暗にそう言って、家一軒分ほど離れた地面に立つ地母神の眷けん属ぞく──妖鬼を睨み据える。

 今回のラシェアン襲撃がこれほど上手く行かないのは、ティレン城に居た所属不明のイレギュラーたちが無駄に立ち回るからだ。目の前の男然り、先ほどの見たこともない堕天使の少女然り、もう二人の妖よう鬼き然り、そしてシャノアールの行動然り。

 そのどれもが、このふざけた面の妖鬼を中心にして動いていることは火を見るより明らかな事実。だってそうだろう、一番好き放題動いているのだから。

「あーあ、うるっせえなあこの吸血鬼」

「なに?」

「だぁからうるっせえっつうんだよ。お前、計画を台無しにしやがってとか余計なことをしてくれたとか言うけどよ。現状──」

 ぐるりと周囲を見渡して、妖鬼──シュテンは言葉を切った。

 シュテンとグラスパーアイの距離は家屋一つ分。

 空中に浮かぶグラスパーアイと地に足つけたシュテンの間には直線距離以上に攻撃までのラグが生じるだろうが、それはそれ。

 シュテンの背後も、グラスパーアイの背後も。

 夜更けだというのに煌こう々こうと赤が踊り狂って眩まぶしいくらいだ。燃え盛る街、血ち飛沫しぶきが舞い、闘いに吼ほえる者たちの覇気も怒りの色に染まりあがっている。

 襲ってきた魔族たちと、防衛に徹する堕天使たち。どちらにしても犠牲の数は絶え間なく増え続け、平穏な日常を送ってきた優しい表情は誰の顔からも奪われている。

 増え続ける怒号と裂傷。重なり続ける崩れた家屋と骸むくろ。

 その全てにしらけた目を向けて、シュテンは言う。

「──台無しになってんのは、余計なことをされたのは、誰の人生だと思う?」

「はっ」

 その問いかけに応じたのは、言葉ではなく嘲ちよう笑しようだった。

 無機質な瞳ひとみを刺すようにして、シュテンは嗤うグラスパーアイを眺めていた。おどけたように両手を広げ、馬鹿にしたように口角を吊り上げる。

 その様子に真面目なものは何一つとしてなく、怒りに染まっていた先ほどよりもむしろ砕けた空気が窺うかがえた。

「なぁんだ、ただのヒーロー気取りがしゃしゃり出てきただけっていうのか。ふざけるなよカスが。貴様が介入したのはもはやそんな感情論がはたらくような状況を通り越したあとのお話だ。再三にわたって魔王軍との交渉を拒絶してきた者たちに対する制裁だ。これは見せしめになるはずだった。いいか妖鬼。貴様が正義を振りかざしたいんだったらなぁ、もっと早くに出てくるべきだったんだよ。そこんとこ、分かってんのか」

「あ?」

 苛いら立だち半分嘲笑半分にぶつけた言葉の羅列。

 しかしそれを受けた本人は、怒りというよりは当惑を顔に貼り付けてグラスパーアイに向き直った。何を言ってるんだとでも言いたげな、きょとんとした瞳。諸々の素直な感情を置き去りにした、一瞬だけ見せた混乱。

「何言ってんだお前。別に俺ぁ、ここを守りたかったとかそんな高尚な考えは持ち合わせてねえよ。正義のために魔王軍を倒す! なんて思ってるとでも勘違いしたか。違ちげぇ違ぇ、全くもってお門違いだ」

「……なんだと」

「単純に」

 分かってねえなあ、とため息交じりに侮ぶ蔑べつの言葉を吐きながら、シュテンはグラスパーアイにその指を突きつける。いいかよく聞け、と前置きして。

「お前のやってることが気に入らねえ。だから、お前を潰つぶす。そのためにこうして目の前に出てきてんだよ。分かったか、今回の黒幕さんよぉ」

 宣言ともいえる、シュテンの宣戦布告。大斧を大仰に振り回し、着地点として肩にとんと戻してから。

 まるで歌舞伎か何かのように、実際それを真似るように、シュテンは宣戦布告を言い放った。

 一瞬の、間。

 燃え盛る炎の轟ごう音おんと、重なる魔族の悲鳴だけが両者の間にこだまする。

「……は、はは。貴様……」

 その、およそ沈黙とも呼べないような刹せつ那なを食い破ったのはグラスパーアイの漏らした掠かすれ声。額に手を当てて、呆あきれたような、肩の揺れに合わせた絞られたような笑い声。

「そうか……そうか、貴様、気に入らないか……」

「ああ、全くもってな」

「……それだけか! ふざけやがって!!」

 瞬間、だった。

 グラスパーアイの周囲に展開される、まるで雨のような弾幕。

 それぞれが炎や風、水や雷で構成された矢や投なげ槍やり、ダーツといった投とう擲てき武器。

 ターゲットに視線を合わせるようにぎょろりとその切っ先全てがシュテンに向けてロックされる。煌く鏃やじりは明確な殺意となって、シュテンを静かに睨んでいた。

「死に腐れ! 古代呪法・森羅驟しゆう撃げき!!」

「ひゃはっ、やってみろってんだ蝙蝠こうもりがァ!!」

 シュテンの足が一歩前の地面を踏み砕くのと、刃の雨が篠しの突くようにシュテンに向けて殺到したのはほぼ同時の出来事だった。

 戦闘、開始。

 散弾銃のようにてんでばらばらな箇所へ散らされて飛ぶグラスパーアイの森羅驟撃を、シュテンは小刻みなステップを交えることで回避していく。

 彼ほどの妖鬼が放つ回避行動ともなれば、一瞬一瞬で電光石火の如く駆ける位置が変わると言っても過言ではない。

 それが故に遠距離からの射撃は難しく、決め撃ちを放つか或あるいは、グラスパーアイのように面で圧す弾幕を張るのが正しい戦い方だった。

「オラオラオラァ!! まだ、足りねえだろうがァ!!」

「はっ、吠え面かくな劣等種が!」

 炎を纏まとった矢がシュテンの頰をかすめ、かと思うと太ももを抉えぐるように紫電が迸ほとばしる。

 視界に映る以上のスクリーンいっぱいいっぱいに埋め尽くされた幾千幾万もの投擲武器は、それぞれがそれぞれの属性を孕はらんでシュテン目掛けて襲い来る。

 しかしシュテンは、その表情に笑みを浮かべて、ただひたすらに駆け抜ける。

「痛くねえ痛くねえ痛くねえ!! ちぃっともなあ!!」

「こんのっ」

 グラスパーアイは後衛の闘い方を心得ている。

 目の前の男のような苛か烈れつな前衛をいなし、躱かわし、そして退きながら戦うことを徹底して、そのうえで彼の猛攻を押し返すほどの濁流を、森羅驟撃という形で放ち続けている。

 しかし、それでもなお。

 この男は、平気な顔をしてその荒波を退ける。

「ハッハァ!!」

 大きく振るわれた大斧。

 そのたった一撃で、風圧に負けた武器が大量に散らされた。

 どうなっているんだ貴様の筋力は、と叫びたいところをこらえてグラスパーアイはさらに多くの武器を精製する。この程度で大きく魔力を持っていかれるほど、魔界四天王は安くない。魔王軍四天王は軽くない。その肩書は、薄くない。

「ほらほらどうしたァ! 鬼いさんガンガンいっちまうぞ!!」

「そんな台詞せりふは、私に傷一つでもつけてから言うんだな!!」

 実際。

 シュテンは既に幾つもの裂傷を抱えていた。

 それはそうだ。どんな魔族もハチの巣になっているはずの、強大かつ強烈な投擲武器による大嵐。

 これを受けてただただ走り続けている方が異常で、斧の風圧なんぞで弾いている方がおかしいのだ。

 しかしそれでも一撃を振るうのにかかる時間を考えれば、幾つもの武器が彼の身体を貫く。

 それが分かっていてか、分からないのか。

 妖鬼シュテンは嗤いながら、そして華麗に大きな傷だけを避けながら、両手両足に軽い裂傷ばかりを作ってその弾幕の中を突き抜ける。

「言いやがったなっ……!」

「っ!」

 しかしシュテンは地を駆ける獣。空を自由に舞う吸血鬼を捉とらえられるはずなどない。

 それでも斧の射程圏内から外れるように立ち振る舞ってきたグラスパーアイだが、ことここに至って虚を衝つかれた。

「そんなっ」

「こんなところに足場があるなァ!! おい!!」

 森羅驟撃による弾幕の、重みのある短たん槍そうだけを選び抜いて。燃える足場、紫電を纏った足場、風の魔素を孕んだ足場、そのどれもを踏み抜いて、槍が消滅する前に次の足場へと飛び移る。

「そんな芸当が、出来るはずがっ」

「出来るんだなあ、これが!!」

「短槍の投擲を止やめればいいだけの話だ、そんなもの!!」

「そいつぁ、どうかな」

 慌てたように、グラスパーアイは短槍の射出を停止する。長年連れ添ってきた古代呪法だ、そのくらいのことは造作もない。

 だが、ダメだった。

 ダメ、という訳ではない。勿もち論ろん、短槍以外に切り替えることは出来た。

 しかし、それでも。

「チェックメイトだ」

 追いつかれては、どうしようもない。

 背後から囁ささやくような言葉を受けて、眼球をぎりぎりまで背後に向ける。

 が、それで見えたのは一瞬の煌き。

 大だい斧ふによる一振りの軌跡。

「があああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 大きく腹部に受けた大斧の一撃。もんどり打って地面を転がり、バウンドするようにして身体を打ち付けられること二、三度。そのはずみを活かしてようやく着地し、グラスパーアイはもう一度空中へ舞い戻る。

「ちっ、お前防御もかてえなおい」

「……このっ」

 グラスパーアイは自らが攻撃を受けた腹部を押さえた。プロテクトの魔導を入れていたその鎖帷子かたびらは、あっけなく砕け散ってその効力を失う。二度はない、そう無言の宣言を受けた不愉快な気分にグラスパーアイは歯は嚙がみした。

「オラ、行くぞコラァ!」

「ちぃ」

 舌打ち一度、シュテンを睨にらみ据える。

 余裕、とまでは行かないものの、血を流しながらも悠然と立つ妖鬼に、しかし攻撃手段として近接戦を選ぶのは愚の骨頂だ。

「……もう、二の轍てつは踏まん!」

「さあ、そいつぁ、どうかな」

 グラスパーアイは空中に転移、迫り来る脅威に手をかざそうとして──

「そらよ!!」

「がああああ!?」

 一瞬で吹き飛ばされた。

 地面に叩たたきつけられる寸前で留まり、コウモリの翼で空へと舞い戻る。

 その刹那、今の今まで彼が居た地面に轟音。クレーターの中央は間違いなく自らが叩きつけられようとした場所。

 中心から見上げる金の瞳は、さらにグラスパーアイを見つけるや跳躍する。

「っ……!!」

 手をかざし、風の弾丸で弾幕を張った。雨あられと降り注ぐは、一発でも当たればその肉を抉り取る炸さく裂れつ弾。だがそんな攻撃をものともせず、黒い髪を靡なびかせその巨大な斧を縦横無尽に振るいながら、グラスパーアイへと肉薄した。

「ぐぅ……っ!?」

「オルァアアアアアアアア!!」

「なにっ!?」

 苦し紛れに繰り出した風と炎の矢。的確に追跡者を狙ったその攻撃は、あろうことか大斧によって全てはじき返された。

 驚きよう愕がくに目を見開きながらしかし、その一瞬の隙を突いて追跡者の背後に風矢を具現化。貫かんとした瞬間、気配に気付いたその追跡者が振り返ることもせずに斧で背後を打ち払う。

 一いつ旦たんの呼吸を許されたグラスパーアイが着地するのと、追跡者──妖よう鬼きシュテンが地面に落ちてくるのはほぼ同時だった。

 相対する、二人。

 村の入り口にまでつき戻されたグラスパーアイは、猛追の末トドメを刺されずに済んだことを、しかし安あん堵どではなく疑念をもってシュテンに問うた。

「貴様ッ……何故……!?」

 先ほどまでの均衡が、一瞬で崩れたこと。もう、短槍を飛ばしたりはしていない。だというのに、的確にグラスパーアイが転移、飛ひ翔しようする場に家屋や木々を足場に使って狙い撃つ。そんな芸当、先ほどの短槍跳躍よりも理解が出来ない。

「何故つっても、もう速度が読めてんだよ。あんだけやり合えば、それなりに目も追いつく。二度はねえ、ってのは。お前のことだ」

「おのれ……貴様本当に妖鬼かっ……!」

「それなりにな。……お前さ」

 圧倒的不利を悟り、グラスパーアイが血走った瞳ひとみをシュテンに向ければ、シュテンはシュテンで何かを考えているようだった。

 がしがしと後頭部を搔かいて、しかしグラスパーアイの動向を見逃さないよう瞳だけは彼に固定しながら、問いかける。

「シャノアールとタリーズをどうするつもりだったんだ。……道化だとか、ほざいてたが」

 す、とその大斧を突きつけるように前へとだし、斧の先をグラスパーアイに固定する。

 その仕草はまるでこの妖鬼がシャノアールとタリーズを守ろうとしているかのようで、思わずグラスパーアイは失笑した。

「……なにを笑ってやがる」

「正義のヒーロー気取りは止めていなかったのか? ……シャノアールにそれほど思い入れがあるとは、残念だったなぁ、おい」

 ありったけの殺意と憎しみを、あざけりの言葉に込めてグラスパーアイは吐き出した。不可解そうに彼を見据えるシュテンに、いい気味だと思いながら。

「……あ?」

 ぴくり、と眉まゆを動かす妖鬼シュテンに、「気付いているのだろう?」とグラスパーアイはせせら笑う。会話をしている間にも魔力を充じゆう塡てんし時間稼ぎをしながら、グラスパーアイはその赤い瞳をシュテンに向けた。

「テメエの、魔眼じみた洗脳か? シャノアールほどの野郎には効かねえと、思ってたんだが」

「ああ、普通はな。だが、極度の不安定な精神状態か、魔力の枯渇。そのどちらかがあれば、操ることくらいは出来る。……そのどちらも、失敗したがね。貴様が影響しているんだろう?」

 まったくもって腹立たしい。そう毒づきながら、グラスパーアイはよろりと体勢を崩した。

 シャノアールと、タリーズ。どちらも今回の計画の肝であり、そして目の前の男に覆された最たるもの。

 苛いら立だちも募れど、この状態からシュテンを殺すのは難しい。

 せっかく村の入り口にまで吹き飛ばされたのだ。

 周囲を見渡し、何か使えるものを探る。しかし、先ほどまでこの場所に居たはずのもう一人の妖鬼が見当たらない。

 ……魔導で操ることも考えていたのだが、明らかに自分の能力が警戒されていることを理解してグラスパーアイはさらに憤りを露わにした。

「さぁて、どうだろうな。……っつかあれかテメエ。その不安定な精神状態とやらを作り出す為に……タリーズ、殺やるつもりだったろ」

「それもそうだが……やはり策士たるもの、一つの行動に二つ以上の効果を求めたくなるものでな。まあ貴様には関係のないことだが」

「……あ?」

 間抜けた顔で、シュテンは耳に指を突っ込んで捻ひねっていた。

 その指にふっと息を吹きかける心から間抜けな動作を嘲ちよう笑しようしつつ、グラスパーアイは先ほどより充塡していた魔力を発動する。

「貴様ら妖鬼のような下等種族は、魔力は殆ほとんどない癖にほかの魔族以上に魔素を体内に蓄えている。それが全部筋力値に行っているんだから脳筋だよなぁ? ……こういうことに気づけないようにな!!」

 瞬間、シュテンの周囲を大量の風矢が取り囲んだ。

 その展開速度たるや、開戦時に放った森羅驟撃をも上回る。シュテンが構え、身動きを取るよりも先に既に彼は籠かごの鳥と化した。

 斧の風圧にも負けないよう大量の魔素も込めた必殺の構成。思わず口元が緩む。

「……時間稼ぎをされていると、気づかなかったのか? 周囲の魔素の動きも捉えられないのか? だから脳筋だというのだよ、妖鬼という種族は」

「……で、タリーズを殺す以上に、プラスアルファでなにがしたかったんだテメエは」

 が、シュテンがそれを冷めた目で見つめていることに、気が付かなかった。

「強がるなよ。……まあ、冥めい土どの土産に教えてやる。タリーズは殺した後で魂を贄にえに、シャノアールを完全な洗脳下に置くつもりだ。今からでも遅くはない……貴様のせいで遅れを取ったがな。……そう考えると、やはりシャノアールは良い道化だったよ!!」

「そうかよ……」

「そうとも! なぁにが『それが親というものなんだ』だ! 笑わせる! そちらの方が子を餌にする行為だとも知らずにさァ……!! 妖鬼の潤沢な魔素ならば、あの最高峰の魔導師でさえもされるがままだ! ハッハッハ、低能共! 最っ高の茶番だろう!?」

 高笑いするグラスパーアイが、ふと何かに気づいてシュテンへと目をやった。

 棒立ちし、鬼殺しを下ろして俯うつむいたその背から、言いようのない凄すさまじい覇気が漏れだしている。

 先ほどまで散々自らを睨み据えていた金の瞳は見えないが、見えないだけに不気味であることも確かだった。

 つう、と頰を伝う汗を拭ぬぐい、グラスパーアイは景気付けに叫ぶ。

「そのままハリネズミのようになって死んでしまえ!! バカが!!」

 ゆっくりと顔をあげたシュテンの瞳は、普段以上にぎらついていた。

 風矢が、一切の容赦なく彼に向かって突撃する。

 風矢同士が干渉しあって炸裂する轟ごう音おんと、巻き起こる土煙の中で。

 すん、と鼻を突き刺す血の臭いに、グラスパーアイは口角をあげる。

「は。ははは。どれだけ強大な魔族かと思ったら……やっぱり所しよ詮せんは妖鬼か」

 実際のところ、あのプレッシャーは尋常ではなかった。

 一歩間違えれば串くし刺ざしにされていたかもしれないほどに。

 だから、危なかった。

 頰を滴っていた汗を拭い、グラスパーアイは現場から背を向ける。

 その時だった。

「……人にはよ。まっすぐ気高く天高く……誇る信念ってもんが、あんのよ」

「……はぁ?」

 思わず、呆ほうけた声が出た。

 あれだけの、死角のない多面攻撃。串刺しになっていておかしくない者の声が、耳に触れて振り返る。

 するとそこには。

 三十を数える矢を体中に突き刺して尚、佇たたずんでいる妖鬼の姿があった。

「おいおい、生きているのか……」

「悪わりぃが……死ぬほどの痛みにゃ慣れてんだよ」

「化け物が」

 口では悪態を吐つきつつも、グラスパーアイは後ずさる。

 この男には洗脳が効かない。その上で、速度も筋力もあちらが上だ。頼みの綱の魔導の発動が、間に合うかどうかわからない。

「シャノアールには、目指す道があった。あの夜楽しそうに語ってた、最高にかっこいい野郎の言葉を俺ぁ忘れねえ」

「……なにが言いたい。べらべらと抜かしやがって」

「テメエはその〝道〟を汚したんだ。土足で踏み荒らして高笑いしやがったんだ。……人の浪漫を侮辱するような奴ぁ、俺は絶対に許さねえ」

 一本一本、突き刺さった風矢を抜きながら。

 その度に顔をしかめつつ、それでも尚シュテンはグラスパーアイから瞳を逸らそうとはしない。その憤怒に燃える瞳が、グラスパーアイを捉とらえて離さない。

「浪漫? ……バカじゃないのか貴様。合理的な計画の前に、貴様のヨタが通用するとでも思っているのか」

 グラスパーアイは内心ほくそ笑んだ。この状態、悪くない。

 魔素を操り、シュテンをもう一度刺し殺す猶予がある。

 ごちゃごちゃと訳の分からないことを言っている間に状況を整えて、時間稼ぎに徹して、今度こそ。

「テメエの行動は、シャノアールの全てを踏みにじった。タリーズを殺そうとし、シャノアールを罠わなにハメ、精神的にすり潰つぶし、今尚タリーズを生いけ贄にえにしてシャノアールを洗脳下に置こうとしている。……そうだな」

「なにを今更! それでこそ魔王軍! そして、魔王軍のさらなる強大化に繫つながるというものだ!」

 魔素の準備は整った。

 あとはもう一度、身動きを取れなくするだけ。

 そう思って赤く染まった瞳でシュテンを睨にらみ据えるのと、シュテンが声を上げるのはほぼ同時だった。

「だってよシャノアール!!」

「……なに?」

 居るはずもない相手に向けたシュテンの声に動揺するグラスパーアイ。

 だが、もしやこれも策略の一つなのかとシュテンから目を逸らすことはなかった。

「……いや引っかけとかじゃねえから。そこに居っから」

「戯たわけたことを……奴は牢ろう獄ごくにぶち──」

 そう、言いかけて。

「助けてもらったよ。彼にね」

「っ!?」

 聴こえた涼やかな声に慌てて振り向いたグラスパーアイは、目の前に現れた状況を一瞬で把握して、把握してしまったがために目をむいた。

 そこには、ぐったりとした様子のタリーズを抱きかかえる青年と、その背後で親指を突き出して歯を向くごつい男。

 高らかに笑うはシュテン。グラスパーアイに一歩詰め寄るようにして、その後方に立つもう一人の妖よう鬼きに声をかける。

「やっぱ一号の嗅きゆう覚かくは伊だ達てじゃなかったな」

「造作もないことっすよ!!」

 一度見た強者の居場所がわかるというその尋常ではない能力。

 豪鬼族ハイオーガの一号だからこそ出来たその所業に、シュテンは苦笑しつつも彼のサムズアップに応えるように朗らかな表情を見せた。

 グラスパーアイをおいて、茶髪の男が歩み出る。

 その男こそ、グラスパーアイが先ほどまでなじっていた張本人。今はもう洗脳の為に何処かへ放り込まれているだろうと高をくくっていた当代最高の魔導師。

 シャノアール・ヴィエ・アトモスフィア。

「シュテンくん……すまなかった」

「一人でカッコつけっからそうなるんだ。ダアホ」

「返す言葉も、ないな。このボクでさえ、ね」

 肩を竦すくめるシュテンに対し、シャノアールはやりきれなさそうな笑顔でもって応えていた。

 もし、あのままであったなら。

 そう思うとぞっとする。

 今ここでグラスパーアイがぺらぺらとぬかした言葉が全て真実であればきっと。

 数日前にシャノアールの家までわざわざ訪れた二人の若者の言葉は、シャノアールがここで精神的に脱落するが故のことであったのだから。

 無造作にただ魔導を放つ生体兵器。そんなものに成り下がっている可能性を考えたら、ここで救われたのは奇跡としか言いようのないことなのだ。

「き、貴様……貴様らッ……!!」

 取り囲まれた状況で、一人歯を食いしばりシュテンを睨みつけるグラスパーアイ。

 その怨えん恨こん籠こもった瞳ひとみを真正面から見返して、シュテンは言った。

「時間稼ぎをしてたのはテメエだけじゃなかったってこった。カッコつけたバカに、どうしてもテメエの本心聞かせたかったんでよ」

「……貴様アアアアアアア!!」

 魔素の充塡は出来ていた。

 勢いよく、先ほどの倍以上の風ふう槍そうと炎の矢をシュテンを取り囲むように展開する。

「死ねえええええええ!!」

 収束。

 シュテンに向かって大量の、魔導武器が襲撃を図る。

 だが。

 四方八方からの狙撃ともいえるその攻撃を前にして、シュテンが見せたのは笑み。

「はっ、なめんな」

 一度耐えきったから余裕ぶったつもりかと、煽あおり文句をグラスパーアイが続けるよりも速く、鬼殺しの軌跡が迸ほとばしる。

「……な……ぇ……?」

 数百年研けん鑽さんを積んだグラスパーアイでさえも、目で追えないほどの斧おの捌さばき。

 あっという間に魔導武器の全てが弾かれて、グラスパーアイは言葉を失くす。

 周囲の地面に突き刺さった数々の魔導武器。

 軽く息を吐いたシュテンは、肩に大だい斧ふを担いで笑う。

「さっきまでは手ェ抜いて悪かったな。そうでもないと油断しねえだろうし、逃げられても困ったからよ」

 強い。ただの妖鬼などとはくらべものにならないほどに。

 思わず一歩退いた。退いてしまった。

 明らかに埒らち外がいの覇気を放つこの男を、今グラスパーアイは畏い怖ふしてしまっていた。

「ぐっ……この、理のグラスパーアイがっ……!!」

「腰が引けてんだよ」

 さて、と一言間をおいて、シュテンは続ける。

「一人でカッコつけたバカ野郎に真実は全部聞かせたし──」

 顔を盛大にひきつらせたグラスパーアイを見据えて。

「──こっからは全力で、潰してやるよ」

 大きく一振り、巨大な風圧を巻き起こして鬼神が咆ほう哮こうを放った。


†


 空で戦っていた堕天使たちは、その異常さに気が付いた。

 地で猛威を振るうイブキ、空で皆を助けるユリーカ。二人の立ち回りに助かっていたところに現れた、グラスパーアイ。

 先ほどあっさりとバリケードを突破されただけに警戒度はかなり高く、どこに潜伏しているのかと戦々恐々としていたところに、とうとう彼は姿を現した。

「っ! グラスパーアイ!」

「ち、姉御を守れ、妖鬼じゃ分が悪い!」

 戦いの真まっ只ただ中なかだ。ただでさえ堕天使よりも魔王軍の方が戦闘要員が多い状況で、ここに最高戦力であろうグラスパーアイが現れるのは危機的状況以外の何物でもなかった。

「っ……!」

 警戒するように〝姉御〟と呼ばれた妖鬼イブキは飛び下がる。先ほど堕天使の誰かが言ったように、妖鬼とグラスパーアイの相性は最悪だ。魔導によって精神を狂わされては、肉体がいかに屈強であろうと意味がない。魔導抵抗値の低さが仇あだになったと歯は嚙がみしつつ、イブキは周囲のワイバーンを倒していくほかなかった。

 そして先ほど村の入り口を守っていたところにグラスパーアイが現れたからこそ、撤退してこの場を任されたのだ。何度も逃げるようでは妖鬼がすたるし、だからといって立ち向かう訳にもいかない。

 グラスパーアイは、自分の息子に任せてあるはずだった。

「……おぉのれえええ!」

 しかし。

 警戒する堕天使たちなど眼中にないというように、グラスパーアイは彼らの間を駆け抜ける。吸血鬼の翼を活かした低空飛行で滑空するように突き抜け、空に上昇するサマはまるで何者かから逃げているかのようで。

「なんだ……?」

「分からん、何か来るかもしれん気をつけろ!」

 グラスパーアイという男の恐ろしさを知らない者は、この村には殆ほとんどいないだろう。

 それこそ女子供には隠している部分もあったが、どう足あ搔がいてもこの村に住む戦士たちでは立ち向かえないほどに、魔王軍四天王というのは伊達ではなかった。

 故に、堕天使たちは共に過ごしてきた仲間たちとのチームワークでもって、声を張って互いに生きる道を模索する。

 グラスパーアイがどんな攻撃を仕掛けてきたとて、その種さえわかればどうにか出来るかもしれない。

 そんな一いち縷るの希望を見出しながら、〝何かが来るぞ〟と全員に情報を共有した。

 もし、たとえ、誰かがそれによって倒れてしまっても。それで他の全員が助かるならと、自己犠牲の精神を発揮して慎重に構える。

 だが。彼らの情報共有で、正しかったのは〝何かが来る〟ということだけだった。

 確かに、何かは来た。しかしそれは彼らに仇あだ為すものではなく、むしろ。

「ヒャッハアアアア!! 逃げてんじゃねえぞ、黒幕気取りがあああ!!」

 ダン、と地面を打つ音がした。その瞬間グラスパーアイが通った道が割れ、突き抜けるような風圧が追うように大地を揺るがせた。

 何事かと思うよりも先に、グラスパーアイに追いすがるように飛び込んでくる一人の妖鬼。

 ……妖鬼?

 そう、妖鬼だった。彼らが守り、そして守られている旅の女妖鬼とはまた違った、群青色の着流しに身を包んだ男の妖鬼。

 それが、あのグラスパーアイを追いかけている。

 何がどうなっているのか理解が追いつかず、故に「待て」と忠言を発する暇もなく。

 だからこそ、次に見た光景に堕天使たちは啞あ然ぜんとするほかなかった。

「おのれ、この、劣等種がああああああ!!」

「はっはああ!! その劣等種に手も足も出ねえお前は何なんだよ、なあ!?」

 グラスパーアイが張る、殺さつ戮りくの古代呪法・森羅驟しゆう撃げき。数々の投とう擲てき武器が展開し、対象に向けて殺到するそれを、その妖鬼はただ大斧の一振りその風圧で弾き飛ばした。

「は……?」

 誰かが漏らした、まるで理解出来ない状況を脳が拒んだような、そんな声。

 しかしそんな小さな、ため息にも似た声に反応するような戦闘者はいない。

 ばらばらに塵ちりのように飛ばされた森羅驟撃は魔素となって空気中に消え、残るは苦虫をかみつぶしたような表情のグラスパーアイと、奇き天て烈れつな破壊力を持つ妖鬼だけ。

「その程度か!? 違うだろぉ!? シャノアールの……ダチの恨みは、こんなもんじゃねえぞ、おい!!」

「こんの、チクショウがあああ!!」

 さりとて張った森羅驟撃はその全てが大斧によって吹き飛ばされる。

 そのまま地面を駆ってグラスパーアイを追い詰める妖鬼は、堕天使たちに目もくれちゃいない。グラスパーアイは彼らに気付き、おそらくは今のみじめな自分に怒りが差してか身をひるがえし、さらに逃げていくだけ。

「そぉこだァ!!」

「ぐ、ぁ!? あああああ!!」

 しかし、堕天使たちに気を取られた一瞬が仇となったのだろう。瞬時にグラスパーアイの脇へと現れた妖鬼が、飛び蹴げり宜しくその腹部に足裏を喰くいこませた。

 それも刹せつ那なの出来事。地面に向けて叩たたき落とされたグラスパーアイは、エネルギーそのままに家屋に突っ込み地面にクレーターを生み出した。

 一瞬の沈黙はあれど、グラスパーアイはすぐさまその場を飛び出し空へと舞い上がる。

 なぜなら。

「ウォラアアアアアア!」

 叩きつけられた地面には次の瞬間、豪快に大斧が振り下ろされたからだった。

 家屋がはじけ飛び、残るのはグラスパーアイが撃ち込まれたクレーターだけ。

 まるでバーサーカーだとは、だれが言ったか。

 グラスパーアイは血の混じった痰たんを吐きながら、大空に舞い上がり魔力を充じゆう塡てんする。あれでもまだ戦う意志が消えていないあたり、こちらも筋金入りだった。

 ここまでされたのだ、必ず殺してやる。その心がひしひしと感じられる、殺意に濡ぬれたその瞳。それをまじまじと覗のぞき込んでしまったのが、堕天使のミスであった。

「……なに、見てやがる。雑ざ魚こが!」

「しまっ」

「アスベル!!」

 アスベルと呼ばれた堕天使は、たまらず一歩下がった。しかし、空中で一歩も二歩も関係ない。それがグラスパーアイ相手となればなおさらだ。

 空中に展開した森羅驟撃が、一斉に彼の方を向く。

 まるで、それは殺意そのものだった。

 攻撃の意志そのものがアスベルと呼ばれた堕天使に向き、ぎらぎらとその鏃やじりを輝かせてグラスパーアイの合図で殺到する。

 先ほど、見たこともない堕天使の少女に助けられた命。だが、それもまた一瞬の延命でしかなかったかと己の死期を悟り、周囲で叫ぶ堕天使たちに心の中で謝罪して。

 煌きが流星群のようにアスベルに殺到したその直後。

「お前の相手は、俺、だろうがああああああああ!!」

 影がアスベルの前に立ち塞ふさがった。

 大きな背中。大斧を担いだ、暴力的なまでの覇気を縦横無尽に迸らせた、〝姉御〟よりも数段上の妖よう鬼き。

「うおぉらあああああ!!」

「ちょ、まっ」

 危ない、とも待って、とも言えず。彼が自分から弾幕に突っ込んでいくのを、さりとて庇かばいに行く勇気もなく。

 だが、そんな心配は無用だった。担いでいた大斧を一いつ閃せん。ただそれだけで殆どの投擲武器を空高くへ舞い上がらせるその風圧。アスベルは思わず目を腕で庇った。

 だが、彼が目を閉じたその一瞬の間にはもう妖鬼はその他全ての〝あまりもの〟を大斧で力ずくでねじ伏せて、さらにグラスパーアイへと肉薄する。

「ま、またしても、邪魔をっ……!」

「悠長だなァ!! 八つ当たりしてる暇があったら、俺に傷一つでも入れてみやがれってんだ吸血鬼!!」

 雄たけびにも似た彼の咆哮は、グラスパーアイを引き下がらせるには足りたもの。

 這ほう這うの体でさらに跳躍と転移を繰り返し、村の中ほどまで一人で撤退する彼を、あのバーサーカーはさらに追い詰めていった。

「……た、助かった?」

 ほっと一息ついたアスベルに、しかし背後から声がかかる。

「おい! そっちにデビルが!!」

「……デビル」

 げぎゃぎゃ、と宙を舞う一対の翼。先ほどまでは恐ろしく感じたそれも、今の攻防を見たあとでは怖くない。

「分かった、任せて!」

「おう!」

 負けるわけにはいかない。

 なぜかは知らないが、最大の懸念を勢いだけで払ふつ拭しよくしてくれる存在が居るのだ。

 それならば、今この目の前に迫った魔族たちを追い払えばいいという任務は、相対的に軽く見える。このくらい出来ないで、先ほど自分を助けてくれた女の子に顔が立つものか。

「はっ、あっちはあたいの息子に任せておきな。行くよ!!」

 その横を、鎖鎌が突き抜けていく。

 アスベルは、気づいた。

 なるほど、あの親あって子があるのかと。


†


 身体が宙に浮いた。

 妙な浮遊感。それに気付いた時には、もう遅い。

「オルァアアアアアア!!」

「がっは……!?」

 めり込んだ斧おのの石突、鳩尾みぞおちを中心に浮いた身体。視界に入る、高速で迫る踵かかと。

 クリーンヒットした顔面から、勢いよく遠方へと弾き飛ばされる。

 叩きつけられたのは民家の壁。

 反動でバウンドするように内臓を揺さぶられ、たまらず吐き出す血。しかしそれで攻撃は終わらない。

 今にも肉薄する脅威に対し、死にものぐるいで魔眼を発動させる。

「……穿うがてッ……!!」

 土より突き出る大量の槍やりが、迫る男を貫かんとホーミングする。だがその攻撃ですら、彼の速度に届かない。

「化け物めェ……!!」

「ほざけ、ダボがッ!!」

 大だい斧ふを振るい、高跳びの要領で石突を地面に叩きつけて跳躍したシュテンが、器用に大斧を回転させながらグラスパーアイの脳天めがけて振り下ろす。

「くっ……!」

 たまらず転がって回避するも、その風圧に吹き飛ばされて空を舞う。

 コウモリに守護されながら空へ空へと上昇し、妖鬼の届かない位置にまで向かおうとした、だが。

「っしゃあ!!」

「がっ!?」

 巨大なクレーターを形成するほどの攻撃を叩きつけた直後だというのに、シュテンの体勢は既に元通り。

 亀裂の入った大地を思い切り踏みつけると、なんと地面から反動で土塊がいくつも浮かび上がった。

「四番センター、シュテン!! ピッチャー返しは得意ってなァ!!」

 斧の腹で以てその土塊をかっ飛ばす。明らかに空気摩擦で燃焼し始めているメテオさながらの攻撃に、たまらずグラスパーアイは降下する他ない。

 しかしそれこそシュテンの思おもう壷つぼ。

 降りてきたところには既に大斧を担ぎ待ちかまえる妖鬼の姿。

「クソ、クソ、クソッ……!!」

 悪態を吐きつつも現状は変わらない。

 魔眼を行使し、周囲の民家から大量に木々をかき集めてなけなしの魔力でそれをシュテンに向かって放つ。

「くたばれ、化け物!!」

「っとと!!」

 樹木による怒ど濤とうの襲撃。

 しかし、その全てをシュテンは見切り、弾き、切り捨てていく。

 にっちもさっちもいかない状況。

 全ては順調であったはずなのに、どうしてこんなことに。何故、こうも無茶苦茶に。

「おおのれええええええええええええええ!!」

 ここまで圧倒的な差を見せつけられて、大人しく正攻法で戦ってやるほどグラスパーアイという男は戦士ではなかった。

 魔王軍四天王の矜きよう持じ? 襲撃者としての信条? 絶対強者としてのプライド?

 確かにそういったものを今まで持ち合わせていたからこそ、どうにかして目の前の男を殺さねばという憤怒の激情に身を任せていた部分はある。

 だが、冷静に考えてみればどうだろう。

 これほどまでに全ての計画を土壇場で覆されて、あまつさえ最高戦力であるはずの自分はここまで追い詰められて。

 加えていうなればシャノアールを魔王軍の兵器へと転換させる方針も頓とん挫ざした。

 その全てが、この男によるものだ。この男と、その一味によるものだ。

 許すわけにはいかない。許してはならない。

 猛たける心をそのままに、己の内在魔力と共に吐き出して吼ほえる。

「貴様さえッ……貴様さえ居なければァ!!」

「こっちの台詞せりふじゃ、ボケ」

 対してシュテンは白い眼を無感情に向けた。

 グラスパーアイが余計なことをしなければ、シャノアールは今も気楽に魔導具店を営んでいたことだろう。それこそ、タリーズなどは隠れて生きていかねばならなかったが彼女がそれで不幸だったかといえば答えは否だ。

 聞いた話では、旅していた頃よりも遥はるかに平穏な人生を歩んでいたと言っても過言ではない。

 堕天使のこの村だってそうだ。

 ユリーカがずっと捜していた両親は、今回の襲撃時に鮮烈に残っている記憶の断片。彼女だってグラスパーアイの計画とやらがなければ、今もこの村の中で静かに、しかし楽しく幸福な人生を歩んでいただろう。

 それを言い出せばキリがない。ティレン城の無む辜この人々が魔王軍の蹂じゆう躙りんという憂き目にあったのも。かの城の軍事でシャノアールとトップの間に軋あつ轢れきを生んだのも。ラシェアンの堕天使たちの命が現在進行形で失われていっているのもそう。

 その全て、グラスパーアイさえ居なければまた違った形の未来が見えていたに違いない。

「こんの、匹夫めがあああああああああ!!」

「はっ、言ってろ」

 グラスパーアイの魔力が全放出。

 彼の持つ覇気が拡散され、暴風とも言うべきオーラの烈波が彼を中心に村一帯に吹き荒れた。

 崩れかけの家屋さえ、止とどめを刺されたように倒壊するその勢いは、塵ちりのように折り重なった骸むくろをも弾き飛ばす。

 疲弊はあれど、これがグラスパーアイの全力。

 それを、シュテンはただじっと見つめていた。

「この、村ごと消し飛べ!!」

 魔素を限界まで展開。グラスパーアイの周囲に顕現する、大量の魔導武器。

 それを理解した次の瞬間、シュテンはあの武器全てを振り払わねばと一歩を踏み込んだ。

 風槍、炎の矢、氷の剣、土の鎚つち。その全てに付与された魔導属性。あきらかにグラスパーアイの魔力許容量を超えるその規模に、シュテンは舌打ち一つ。

 あれをそのままにすれば、シュテンどころか。

「……テメエ」

「纏まとめて死んでしまえ、ゴミ共がァ!!」

 ひゃっはあ、と先ほどまでのシュテンのような声を出し、炎の矢を地面に向けて一斉掃射する構えを見せる。あれは、ダメだ。

「最終手段でも持ち出してきたつもりか!」

「貴様のせいで何もかもが台無しだ!! このままおめおめと帰って魔王軍に顔が立つものか……!! なれば、村ごと消し飛ばしてやる!! 私の魔導で!!」

「やけっぱちってぇのは、つくづく鬱うつ陶とうしいもんだな!」

 諦あきらめ半分ヤケクソ半分に叫んだシュテンは、さらに一歩。発生源であるグラスパーアイに近づければ近づけるほど、あの投とう擲てき武器も弾きやすくなるだろう。

 要ようは扇だ。要かなめに近づけば、その分カバーしなければならない範囲も減るというもの。

 振り返れば、魔力の残っていないシャノアールと生身の一号、そして抱かれたタリーズの姿。シュテン一人なら守りきれるだろうが、村全体となれば、わざわざユリーカたちと共に決意してこの場に躍り出てきた意味がない。

「村……燃えさせてたまるか」

「死ぃねええええええええええ!!」

「ちっ」

 シュテンは迷わず前に出た。

 グラスパーアイは既に満まん身しん創そう痍い。心身ともに疲弊した状態。

 あと一撃。

 あと一撃さえ入れられれば、もしかしたら、同時に魔導も消え去ってくれるのではないか。

 祈りにも似た行動だが、そうでなくてもグラスパーアイに肉薄すればするほど魔導武器に対する処置もしやすい。

「さようならだ、シュテン!!」

「ふざけろ!」

 しかし、一歩届かない。

 勝者の笑みを貼り付けて、グラスパーアイが叫ぶのと、同時のことだった。

 しかし。

「ぎゃぱっ……!?」

「……あ?」

 人のものとは思えない叫び声に、シュテンは目を瞬かせる。

 宙に浮いたままのグラスパーアイの喉のどに突き刺さる、一矢。

「……間一髪、かな?」

 涼やかなソプラノを耳にしながら、ゆっくりと墜落していくグラスパーアイを、跳躍し損ねたシュテンはぼんやりと眺めていた。

「俺の経験値返せ」

「ひっど!? 助けてあげたのにそれはないんじゃないですかー!?」

 シュテンの、頭上。

 三対の黒翼を羽ばたかせた、堕天使の少女がそこに居た。

 大の男でも引き絞ることさえ厳しそうな強弓を片手に。

「かっはっ……」

 どさり、と地面に倒れ伏す一人の男。

 同時に、展開されていた魔導が全て搔かき消える。

「喉に直撃とか、結構えげつないことするね、お前さんも」

「……村のみんなの仇かたきだし、やっちゃっていいと思う」

 ちょっと考えて、彼女は言った。

「そうかい」

「うん」

 併せて、ユリーカはシュテンの隣にふわりと舞い降りる。握った強弓を軽く空気中の魔素に溶かして消して。安あん堵どからか、ほっと息を漏らした。

「……ありがと、シュテン」

「これに関しちゃ、俺がやりたかったことでもあるから気にするない」

 へら、と笑って。

 同じように、少し先で倒れたままのグラスパーアイを眺めながら言葉を交わす。

「……魔王軍は?」

「まだ戦ってる。けど、頭をやったんだから少しは大人しくなるんじゃないかしら」

 南の空を見上げれば、確かにまだ魔獣たちが堕天使たちと交戦の最中だった。

 怒声と悲鳴の狂想曲は、まだ終わってはいないのだ。

「……もう一仕事ってぇところかねえ」

 大斧を担ぎ、シュテンが言う。

 グラスパーアイは倒した。なればあとは、統率の取れていない烏合の衆の処分だけ。

 そういうことであれば、そこまで難しくはないだろうと、疲労した身体に鞭むち打うって。

 と、そこへ現れる一人の影。

「その辺に関しては、うまくやろう。このボクがね」

 見上げれば、どこか自じ嘲ちようの笑みを浮かべた青年がポケットに手を突っ込んで立っていた。

「シャノアール!!」

「ああ、迷惑をかけたね、ユリーカちゃん」

 申し訳なさそうに、困ったような笑みを見せるシャノアールに対し、ユリーカはただただ首を振った。若干目に涙を湛たたえながら、それでも嬉うれしそうに。

「そんなことない。シャノアールも無事で、よかった。タリーズも」

 シャノアールの後方で、タリーズを肩車している一号の姿が見える。

 わっしょいわっしょいと歩き回る一号に、タリーズも先ほどまでの気力を失ったぐったりとした状態から、幾分か元気を取り戻しているようだった。

「おかげさまで、ね」

「で、シャノアール。うまくやるってのはどういうことだ?」

「……もうティレン城は抜けた身だ。魔王軍には、行こう。このボクがね」

「っ?」

 ぴくり、とシュテンが眉まゆを動かした。

 ユリーカもそれなりに驚いているようで、目を丸くしてシャノアールを見つめる。

 そんな二人の疑惑を含んだ視線に、しかしシャノアールはおどけつつも瞳ひとみは真剣に見返した。

「グラスパーアイがああなったとはいえ……魔王軍に入るという約束を交わしたのはこのボクだ。けど、そうであるからこそ都合がいい」

「……ってーと?」

「魔王軍の側に入って、こんな悲劇が起きないようにしよう。そうすると誓おう。幸いポストは悪くない。それにきみたちが出会うという孫娘は……魔王軍に居るんだろう?」

「や、言いたいことはわかるけどよ。ヴェローチェさんはぶっちゃけ魔王軍に居ない方がいいんじゃねえかと……」

「そもそも魔王軍にこのボクが向かわなければ、彼女は生まれないかもしれないんだろう? だったら、それも悪くない。人間に愛想が尽きているのも……本心だ」

「あー……や、別に……うーん……いいの、か? それ……」

 大だい斧ふを背中に戻し、腕を組んで首を傾げるシュテン。

 そんな彼を見て、シャノアールはカラカラと笑った。先ほどまでの遠慮したものではなく、心のそこから愉快そうに。

「はっはっは。それにね、シュテンくん。いずれにしてもグラスパーアイが居なくなった今、ここに居る魔王軍の現トップはこのボクだ。とりあえず攻撃を止やめるように、とだけ言ってこよう。この、ボクがね」

「お……おう……」

 くるりと背を向けると、シャノアールは片手をあげて去っていった。

 一号に二言三言呟つぶやいて、彼もタリーズを肩車したままついていく。上手く口先で言いくるめる算段でもあるのか、それはわからない。

 けれども今のシャノアールであれば何とかしてくれるのではないかと、シュテンはそう思った。既に魔王軍の動きは精彩を欠き、このままなら時間の問題で片付くようにも思えてくる。いずれにせよ、何とかなったようだった。

「……終わった、な」

 シュテンは周囲を見渡して、ユリーカに問いかけた。

「グラスパーアイは、殺しちゃったけどね」

「そうか、俺たちにとっての二年前まで生きてた奴を、殺したのか」

 この時点で、タイムパラドックスが起きることは確定した。

 元々レックルスのゲートを使ってのタイムスリップは、歴史を改変することを前提にしたものだ。

 このままシュテンとユリーカが現世に戻れば、おそらくはグラスパーアイはここで死んだものとなっているのではないだろうか。

 と、考えるのであれば。

「どうだい。あの時と、同じか?」

 その問いかけは簡素なものだった。

 けれど、ユリーカは意図を察したようでぐるりと村の中を見渡して。

 そして、微笑んで首を横に振った。

「……ううん。もっとヒドかったし、みんな死んじゃったし……きっと、あたしは守れるものを守れた」

「そいつぁ、なによりだ。親父さんとお袋さんは俺の方じゃ見つからなかったんだが、どうだった?」

 何の気なしに、ついでと思って聞いたつもりだった。

 少なくとも、シュテンにとってはそうだった。

 だがユリーカの顔が、とたんに真っ赤に染まり上がって。

「…………ぁ、ぇ……ぁ、うん……」

「あん?」

「よ、よくわかんない!! あはは、あたしったらそっちの目的すっかり忘れてたかも!」

「あぁ? 忘れてたってお前……元々この過去行きの目的は──」

「わーわーわー! いーの!! いーったらいーの!」

「いやいやいやいや」

 いいわきゃねーだろ俺の苦労はどこへ……。

 とぶつぶつ呟くシュテンに対し、耳まで赤く染めながらもユリーカはにへらとした表情のまま彼を見つめていた。その視線に気付いたシュテンが、いぶかしげな表情でちらりと彼女を見れば。

「大好き」

「ああ!?」

「なんでもなーい。へへ」

「いやお前今確実になんかこうこっぱずかしいことを」

「べっつにー? シュテンの耳腐ってんじゃないの? あ、角?」

「角は耳じゃねえよ!!」

 え、なに。俺の耳? 俺のせいなの? いやでもこいつ今明らか俺に向かって……あ、もしかしてあれか? アイドル病? 今俺のこと見てたー的なサムシング?

 いやいやいやいや。

 背を向けて、頭を抱えるシュテンに対してユリーカはちろりと舌を出す。

 さしものシュテンも、直撃には弱いらしい。

 そんなことを胸に刻みながら、ユリーカは空を見上げた。

 既に戦いは終局して。朝焼けの、しかし血でも炎でもない気持ちの良い空が広がって。

 おそらくはきっと、シャノアールが上う手まくやってくれたのだろうことが、教えられずとも察することが出来た。

 過去に来た目的は、果たされなかったけれど。

 それでも、ユリーカは満足だった。


†


 そよりと吹いた小さな風は、数時間前まで巻き起こされていた戦いの烈風とはくらべものにならないほど穏やかで、先っぽを軽く撫なでられた草が集団でざわめいて耳をくすぐる。反射する月光が波を打つ草原の真まっ只ただ中なかに、シュテンはぼんやりと立っていた。

 天に向かって吐息を投げてみても、白く染まったりするほど寒くはない静かな夜を感じて目を閉じる。

 がさり、と草を踏む足音を身近に聞いて、シュテンは目を開いた。

「っつか……バーガー屋が送り込んできた場所ってのぁ随分ラシェアンと近かったんだな」

「ラシェアン自体、隠れ里みたいなものだから。あたしも驚いちゃったけど」

 後ろ手を組んだユリーカが、ひょっこりとシュテンの脇に顔を出した。

 同じように見上げる空は暗く、星々が瞬く綺き麗れいな景色。

「ま、上手く行って良かったかもな」

「うん」

 ここはシュテンが目を覚まし、ユリーカが降り立った始まりの場所。

 そんなに長い旅ではなかったが、それでも十日以上は経っていた。

 ラシェアンから歩いて来ることが出来るほどの距離であったことに若干釈然としないものを覚えつつも、〝秤はかり〟のレックルスがどれほど正確な転移をやって退のけたのかということを思い知らされる状況。

 先ほどまで堕天使たちと一緒に居た彼女に、シュテンは舌を横頰に突き刺しながら問いかけた。

「……シャノアールの奴は?」

「戦後会談? とかなんとか言ってた。このまま魔王軍を退ひかせるみたいだけど、そこにはシャノアールも同行するし……とりあえずぼろぼろになっちゃったラシェアンを直す為のお金とか、そういうのを話しあうみたい」

「シャノアールで大丈夫なのかそれ……半分部外者だろあいつ」

「んー、そうよねー」

 ふと、会話が途切れる。

 そよ風が頰を撫で、シュテンの長い髪が靡なびいた。ユリーカはそんな彼の髪を眺めながら、ぽつりと呟く。

「……ありがとね?」

「あん?」

「や、だから。あたしがこうして今ここに居るのも、うじうじしないでみんなのこと助けられたのも、全部シュテンが居たからだから、さ」

「んなこと言ったら浜に打ち上げられてた俺を拾ったお前の功績だろ。そのあたりの問答ってやつぁ堂々巡りだ。やめておけ」

「いーじゃないべつに。ほんとに、嬉しかったんだから」

「あ、そ」

 素っ気ない返事に、若干頰を膨らませながら。

 とがった唇を元に戻して、ちょっと笑う。

 過去に来てからたった十日。

 レックルスとの約束までは、まだまだあと二十日くらいはあるだろうこの状況。それでも、凄すさまじい密度の日々だった。

 この場所に降りたって、ティレン城に行って、戦って、ラシェアンに来て、こうして、ぐるりと。

 その途中にあった色んなこと。

 一号と出会って、シュテンに笠かさを作ってあげて、シャノアールとタリーズに出会って、魔族と人間の確執を改めて知って、シュテンの母親にも出会って、ティレン城を防衛して、シャノアールが魔王軍に付いてしまって……あの時のユリーカは、不安でいっぱいだった。ラシェアンを魔王軍が攻めるタイミングと被ってしまったこともそうだが、過去で出会った友人が見せた辛そうな表情と、自分がなにもしてあげられなかったもどかしさ。本当に、本当にいろいろなことがあった。

 そして、そのすべてを。

 隣で欠伸あくびしている青年は、当たり前のように切り抜けた。

「……一足先に、シャノアールとはお別れだね」

「用が済んだんだから、あいつらに付いていくのも面白いたぁ思うがな」

「それで未来に帰れなくなったらどーすんのよ」

「ああ、そういやここ離れちゃまずいんだった」

 そうかぁ、シャノアールとはもうここでお別れか。

 と、ぼんやりシュテンは言う。

 サインを貰もらっておこうかとか、おみやげでも持たせるかとか、訳の分からないことを口にする彼を横目に、ユリーカはふと思った。

 思って、つい口にした。

「しばらくラシェアンにお世話になろうとは思ってるんだけど──」

「ん?」

「──そのまま……時代が追いつくまで一緒に居るのも……いいかなって」

 堕天使の村には、異種族も結構居る。

 堕天使の数が少ないからではあるが、だからこそ妖よう鬼きが一人紛れ込んだところでなにも問題はないだろう。だったら、二百年くらい、そんなに大した年数でもないし。

 少し照れくさくて、顔を赤くしながら。

 そんな希望というか願いというか、そういうちょっとした提案は。

 しかしシュテンに笑って却下された。

「はっはっは、そいつぁ無理だ」

「えっ」

「ここで二百年生きちまったら、本来よりも二百年短い寿命しか生きられねえじゃんか。そいつぁ勿もつ体たいねえよ。過去だって楽しいが、未来にこそ更なる浪漫がある。それを寿命で見られないなんてことになったら……俺は死んでも死にきれねえよ」

「……そっか。……ちょっと、残念かも」

 ちろりと舌を出して、ごまかす。

 そんなユリーカの表情に、シュテンは何か思うところがあったのか。

「ま、過去の連中ともう会えなくなるってのは確かだしな。……出会いも別れも、するときゃするもんだ。名残惜しくはあるが、そこで足踏みしてたら次の新しい出会いはやってこねえってもんよ」

「それでも、ちょっと寂しいよ」

「その辺は人情よ。また会いたいと思える出会いが山ほどあれば、きっと人生楽しみは尽きねえさ」

「なんかシュテン、自分勝手」

「はっはっは、自分にも素直に生きられねえ奴の人生のなにが楽しいってんだ」

「……むぅ」

 からからと、シュテンの笑い声が草原に響きわたる。

 数羽の野鳥が空に向かって飛び立つのを眺めながら、彼の言葉の意味を咀そ嚼しやくして。

 もしかしたら、自分のところからもあっさり居なくなってしまうような気がして。

 ふと、ユリーカはポケットをまさぐった。触れるのは、幾つかのアクセサリー。

『せっかくなんだ。親父さんとお袋さんに手土産でも買っていったらどうだ?』

『やっぱり、パパにはこれが似合うのかな……』

『ご両親の分決まったのか?』

『うん! シュテンのおかげだよー!』

『これでパパたちにプレゼントもできるし、いいことずくめだー!』

『そりゃ良かったな。ご両親で一個とかいうオチじゃねえだろうな?』

『そんなアホの子じゃないもん!』

 あの日ティレン城でシャノアールに出会う前、出がけの露店で購入した〝四つ〟のアクセサリー。

 両親の分と、自分のと。それから、一緒に旅してきた隣のアホな妖鬼の分。

 そう、思っていたのだけれど。

「……パパ、か」

「あん? どうした」

「ううん、なんでもないよ」

 思わず呟つぶやいた言葉を拾われて、少しだけ焦ってユリーカは首を振った。

 怪け訝げんそうにユリーカを見つめるシュテンに、彼女はポケットに突っ込んだ片腕を引き抜いて。取り出したのは、金のネックレス。

「……こいつは?」

「一緒に旅してくれたお礼、かな? あの時、一緒にってシュテンの分も買ったの。金の目に似合うなあって」

 一瞬、きょとんと目を丸くしたシュテンは彼女のにこにこした表情を見て、緩く口元に弧を作ると。そのごつごつとした手を彼女の前に伸ばした。

「……ああ、貰っとく。わざわざさんきゅーな。……両親は、見つからなかったようだが」

「ぇあ!? あ、ああ、うん、そうね!」

「なんでちょっとびびったんだよ」

 なんでもないなんでもない。そう繰り返して、ユリーカはシュテンの手に金のネックレスを載せた。載せて、少し考える。

「……つけたげよっか」

「ん? ああ、さんきゅ。しゃがもうか?」

「飛ぶからいい。ちっちゃいの馬鹿にすんな」

「あー、そうね。飛ぶなんて手段があるのね」

 片手でパチンとその金細工を外して、シュテンの後ろに回って。

 軽く首の裏にそのネックレスを通しかけて、小さく笑う。

「ふふ」

「楽しそうだなおい。俺にゃ見えねえんだけど」

「自分の首だもんね。……なんか、楽しいな」

「なにがだよだから」

「教えなーい」

 プレゼントしたアクセサリーをつけてあげる。

 そんな小さなことではあったが、それがユリーカにとっては楽しかった。

 ポケットの中には、まだ三つのアクセサリー。

 自分用にとってあった銀色のそれを、シュテンが振り向く前にさらりと自分につけて。

「……よし、出来た」

「お、さんきゅ。へえ、なかなかかっちょいいじゃん」

「でしょー、センス良いんだから。あたし」

 後ろ手を組んでシュテンの前に躍り出たユリーカは、軽く顔を突き出して見せる。

 あたりまえのように彼女の胸元で揺れる、色違いのアクセサリーにシュテンが気づかないはずもない。

「……お前ほんと、油断も隙もないのな」

「なんのよ」

「妙に俺の首元から手の感触なくなってラグがあると思ったら」

「へへー、なんのことでしょー」

「ったく」

 呆あきれ交じりの嘆息は、決して嫌悪が生んだものではないことをユリーカ自身も分かっていて。だから猶なお更さら、胸を張って笑みを作る。

「で、どう?」

「しらばっくれんのかどっちかにしろよ。悪くねえんじゃねえの」

「そっか。なら、一緒でいいよねっ」

「あー……はい、はい」

 シュテン自身、ユリーカをぽんぽんといなしながら虚空を見上げて鼻を鳴らすしかなかった。

 ユリーカは結局両親を見つけることが出来なかったのだから、目的が達成されたシャノアールの案件とは違い今回の件は骨折り損だ。

 もちろんラシェアンを救うことが出来たというのは彼女にとって小さくない出来事だったろうが、それでも両親に会うという一番の目標は不発に終わった。

 だからこそ、シュテンはユリーカの笑みを少し勘違いしてしまっていた。