第一幕 最果ての村ラシェアンⅡ『未来へ』



 真昼ですら日輪の恩恵が受けられない大陸──魔大陸。

 二百年後の未来ではその存在を地下に移しているこの場所は、魔王軍が根を下ろす本拠地でもあった。

 とはいえ、魔大陸全体にその支配が及んでいるかというと、そうでもない。

 人類の最前線、魔王軍による人間界侵略を食い止める牙が城じようティレン城じよう塞さいや、魔族でありながら魔王軍には恭順しないという意志をもった者たちの集落がそこかしこに存在している。

 魔大陸は現在、勢力を伸ばそうとする魔王軍と、その行動を是としない人々の対立がまさに臨界点に達しようとしているところだった。

 その先駆けとして魔王軍によるティレン城塞への大規模な侵攻作戦が開始され、かの要よう塞さい最高の実力を持つシャノアール・ヴィエ・アトモスフィアが戦線を離脱した。

 シャノアールを失ったティレン城塞は意気消沈。しかしながらそこで魔王軍は転進、ティレン城塞から姿を消した。

 魔王軍が次に向かったのは、彼らの要求を再三に亘わたって拒絶してきた堕天使の村だった。

 恭順せぬ者に報復を。

 膨大な数の魔族、魔獣を引き連れて襲い掛かった魔王軍。

 堕天使の村──最果ての村ラシェアンは、彼らの擁する堕天使たちの精鋭部隊でもって迎え撃った。しかし、極端に〝日輪属性〟に弱い彼らを嘲あざ笑わらうように、魔王軍現場指揮官のグラスパーアイはシャノアールを使ってこの村を滅ぼそうとする。

 その目論見は失敗に終わったが、しかしそれは天てん秤びんを真逆へ傾けるほど大きな出来事にはならなかった。

 依然不利な堕天使たち、蹂じゆう躙りんせんと襲い掛かる魔王軍。

 そしてそこに、ふらりとやってきた妖よう鬼きが一人──


†


 最果ての村ラシェアンで行われる戦いは熾し烈れつを極めていた。

 黒の太陽はもう暮れて、ほの暗い夜の帳とばりが落ちて。

 それでもなお苛か烈れつな魔王軍の侵攻を、堕天使たちはくい止める。

「まだだ……!! まだやれる!!」

「おうよ!」

「敵の数もだいぶ少なくなってきた! ……日輪の魔導を使える奴も殆ほとんどいない、これなら……やれるぞ!!」

 そして一度は窮地に陥った彼らに、ようやく風が向いてきていた。

 味方を鼓舞する青年が吐いた言葉も、その一つ。

 開戦時に突如舞い降りた日輪魔導、そしてガーゴイルやワイバーンの吐き散らす炎に紛れ込む日輪属性。その双方が彼らの懸念であり、恐怖すべき対象であった。

 だが時間が経って日輪魔導は下火になり、ガーゴイルやワイバーンも粗方駆逐することが出来た。よって、的確に堕天使の弱点を突ける者は、もういない。

 さらに。

 ジャラララララ、と重なった金属が地を這はう音。

 同時に聞こえる魔獣魔族の断末魔の悲鳴と、肉を裂く刃の銀閃。

「ほらほらどうしたァ!! あたいはまだ満足してねぇぞコルァ!!」

 ラシェアンの門前で仁王立ち、彼女がその場に現れてから誰一人村に侵入することは許されない。

 女傑、イブキの存在。

 巧みに鎖鎌を操って、中距離攻撃で複数の魔族をまとめて狩り尽くす。

 いつの日か見張り台の上に積み上げられた堕天使たちは、その強さに苦笑しながらも頼もしさを覚えて己のことに集中出来た。彼女が居る限り、門が破られることはない。

「クソ、デビルとデーモンロードがッ!!」

「空もいっぱいいっぱいだ!! そっちで何とかならねえのか!!」

「無理だ! こっちだってまだ魔族が、ああああああああああああ!!」

 しかし、門という障害をものともしない存在が、往々にして魔族の中には居る。

 堕天使とてそのうちの一種族だ。つまりは、空。

 魔王軍には、翼を持つ者が大量に居た。

 堕天使の村を攻略するからには当然といえば当然だ。ワイバーンにガーゴイルという魔獣が狩られてしまった今でも、デビルやデーモンロードといった主力がまだまだ健在。

 翻って堕天使たちは疲労困こん憊ぱい。

 風が向いてきたとはいっても、体力が回復する訳ではないのだ。

「おいブラッズ!!」

「うああああああああ!!」

 伝達で注意がそれてしまった堕天使に、デビルが三体迫り来る。

 格上の堕天使に対しての多数での攻撃。理にかなったその連携に、さしもの堕天使とて勝てようはずもない。その鋭い爪で引き裂かれる、間際。

「散れ」

 地上にはイブキが居る。けれども、空までカバーする余裕は彼らには無かったのだ。

 さっき、までは。

「……は?」

 死を免れたことに、一拍遅れて気付いたブラッズという男。

 その呆ほうけた、否惚けた声にこそ彼に起こった真実の答えがあった。

 まるで塵じん芥かいのように切り刻まれたデビルたちが、声も無く地上へと落下していく。

 その場に佇たたずむは少女だった。

 自分たちと同じ黒の三対の翼を持った、同じ堕天使の少女。

 だが、彼らは見たことが無い。

 このような、美しく可か憐れんな少女のことを。

 ぽたり、ぽたり、と二本のカトラスから滴る血が、デビルを刻んだのが彼女だということを教えてくれる。この烈火のような戦場にあって静せい謐ひつな表情が、しばらく落ちていくデビルを見下ろしていた。

「え、あの」

「間に合って、良かった」

 声をかけようとして、ふと呟つぶやかれた言葉に被せられる。

 何のことかと思った瞬間、振り返った少女が見せた満面の笑みに息を吞のむ。

「ブラッズさんが無事で、良かった」

「あ、ああ……いや、きみは」

 戦場に咲く一輪の花。

 場違いのようなその可愛らしい笑みは、一瞬のうちに搔かき消える。

 同時に彼女の手に現れたのは、長ちよう槍そう。

「フッ……!!」

 勢いよく振るわれた右腕。風を切り螺ら旋せんを描きながら、さながら弾丸のように飛んでいくその槍の終着点は、上空から子供を襲おうとしていたデーモンロードの眉み間けん。

「げぎゃっ……!?」

 その瞬間魔族の頭から槍は消え、同時に彼女の手には強きよう靱じんな長弓が現れる。

「生きてね……絶対」

「あ、お、おう」

 一言だけ交わすと、凄すさまじい勢いで彼女はさらに飛んでいった。

 その先でデーモンロード十数の群に遭遇し、かと思うと一瞬で彼らを切り刻む。

 先ほどまで持っていた弓ではなく、カトラスの二刀で見せるその剣舞。

「……誰だ、あの子」

 さながら戦乙女ヴアルキリー。

 たった一人で戦況を変えてしまうほどの力量を持ち合わせた可憐な堕天使。

 だが、ブラッズは彼女を見たことが無かった。

 堕天使の村など、ほかにブラッズは知らない。そもそも日の下に殆どでることが出来ない存在だ。だからこそ魔大陸の中に堕天使の生息範囲は限られる。

 それにあの可憐さと、強さ。

 あんな存在が、無名でまかり通るはずがない。

 そう思うのに、出てこない。

「……でも、なんか」

 ちょっとだけ、思うことがあるとすれば。

 今あそこでデビルを相手に大立ち回りを演じているあの少女はどこか。

「ユリーカちゃんが大きくなったら……あんな風に可愛い子になりそうだなぁ」

 いつもてこてことブラッズに弓での勝負を挑んできては、負けてふてくされて。お菓子をあげるとにこにこと笑って帰って、翌日軽くあしらわれたことに怒って戻ってきてまた勝負。そんなことを繰り返す、村の可愛い少女の面影があるような、そんな気がして。

「……負けて、らんないな」

 弓をつがえる。

 引き絞られたその標的は、一体のデビル。

 あの少女の剣閃がぎりぎり届かないところに待避して、隙を見て襲いかかろうとしたそのタイミングで放たれた、ブラッズの一矢。

「ぎゃっ!?」

「ふぇ?」

 墜落するデビルに気づき、すぐさまこちらを向いたあの少女は。

 にこっと笑って、口にした。

「相変わらず上う手まいね、ブラッズさん」

 ああやっぱりもしかして。

 ユリーカちゃん本人なのではないかとそんな気がして。

 そんな訳がないかと首を振った。

「まだまだ敵はいっぱい居る! 頼んだぜ嬢ちゃん!!」

 気付いた時にはもう背を向けて次々と敵を葬っていく少女に声をかけ、自分ももう油断しないように、次の矢をつがえて敵軍を睨にらんだ。


†


 宵闇の中に浮かぶ影。戦火の中にあってなお幽玄とその場にただ佇む男の影は、しかし呆ぼう然ぜんとその状況に凍り付いているわけではない。

 むしろ、冷徹に状況を見下し、見下ろし、冷笑を貼り付けて残虐の宴を嗤わらうことを目的とした玉座とも呼べる観客席。

 世が世ならポップコーン片手に眺めることを許されるような立場にあって、男──グラスパーアイ・ドラキュリアはしかしただ立っていることを是としているわけではなかった。

「……妖鬼、貴様」

「黒幕気取りの大ボスが、こんな木っ端魔族に向けていい表情じゃねえなそいつぁ」

 何故ならグラスパーアイは相対していた。今回の襲撃を不本意な方向へ転がした、眼前の悪童のような妖鬼と。