「フェリス様、レティシア様のお部屋は、こちらのフェリス様のお隣のお部屋に如何でしょうか? 続き間に改造して、中で御二人で自由に行き来できると、夜にお小さい方が一人で心細い想いをされることもなくてよいかと……」

「そうだね。……いや、でも、それだとレティシア姫は嫌じゃないか? 夜中に、僕が食べに来たらどうしよう? て怖いのでは……ちいさな姫が落ち着けるように、部屋はもっと僕の部屋から遠くにしてあげたほうがいいんじゃないかな」

「フェリス様。いいですか、おいでになるのは、フェリス様の花嫁様です。何故そんな食われる生贄の娘設定なのです?」

サキが呆れた顔をする。

「でも、そちらの気分のほうが近いのでは……。サリアはあまり竜や魔法と親しくない国だから、竜神の末裔の王子に嫁ぐなんて、悪い竜の生贄気分なのでは……」

ディアナにいるとレーヴェは優しい守護神であり、ディアナ人はレーヴェを愛してるので、女性の髪飾りから建物の建築にいたるまで、何処へ行っても竜の細工ものだらけだが、フローレンス大陸も果てのほうへいくと、竜が悪鬼のように扱われる国もあるというので。

「フェリス様、私はこういう言い方はあまり致しませんが、ディアナは大国であり、フェリス様は、何処に御出しても恥ずかしくない、恵まれたディアナの誰よりも御美しい第二王子であらせられます。未開の蛮族に攫われた気分になる奇怪な姫君はいらっしゃらないかと。私のお育てしたフェリス様は、フローレンスで最も美しい王弟殿下とも謳われる方です。……生贄を待つ古城の不気味な吸血公爵のような想定はおやめ下さい。大切にお育てした私共が哀しくなります」

サキがフェリスの後ろ向きな思考を正す。

「……だって、サキ、僕には想像もできないよ。父母が亡くなってまもないのに、五歳で嫁がされる姫の気持ちなんて」

フェリスが、母が亡くなってすぐの五歳の頃の自分を考えても、結婚の話なんてされても、誰が結婚するんだろう、気分の暗い時に、おもしろくもない冗談だ、と思ったろう。

「左様でございますね。きっとお父様お母様と逢えなくて、お辛い気持ちでいらっしゃると……、私共も誠心誠意、ちいさな可愛いお姫様にお仕えして、お気持ちを明るくしたいと……」

「うん。そうしてあげてくれると嬉しい。本当はね、もう少し大きくなってから、僕の処に来てもらおうかと思ったんだけど……」

「はい」

婚姻を承諾したので、いろいろと調べたところ、現在のレティシア姫はあまりサリアでよい扱いを受けていない。それならもうこちらに迎えようとフェリスは思ったのだが。

思ったのだが、フェリスが成長してのち、そんな小さな可愛らしい生き物がこの宮に存在したことはないので、少々、フェリス宮全体でサリアの姫の受け入れの準備にそわそわしている。

「サリアの様子が、あまり僕の花嫁にふさわしいとは思えなかったから、こちらに迎えようと思ったんだ」

「はい。サキは、フェリス様の御婚礼のおかげで、ちいさな女の子のお世話をする夢を叶えて頂けそうです」

「ああ。僕もレイももう大きな男になっちゃったもんね。サキ、女の子も欲しかったの?」

サキはフェリスの乳母であり、随身のレイの母親である。

フェリスもレイもどちらもサキの育てた子供達だが、ちいさな可愛い女の子とは程遠い、よそより背の高めの男子群である。

「はい。女の子にいろんなお洋服を着せる夢もございました」

「ではぜひ、レティシア姫を着飾らせてあげて」

「はい。それはもう楽しみにしておりますが、フェリス様、些か、ドレス揃え過ぎでは……あまりこちらで勝手に揃えてもダメですよ。姫君には好みというものがありますから。いらしてから、レティシア姫のお好みでいろいろとお仕立てしましょう」

「そうか。書物のように、ありとあらゆるものを、たくさん揃えておけば、どれか好みにあうだろうというものではないか」

「書物と違って、お洋服にはその年ごとの流行りもございますからね」

「なるほど勉強になる」

ちなみにフェリス自身の衣類関連は、馴染み王宮の仕立て屋にお任せ感である。それに加えて、サキやレイや身の回りの者達の意見が反映されている。

本人の知らぬところで、ディアナ王宮の貴公子の流行を常に牽引しているのだが、フェリス本人は実は衣服は着れれば何でも、ぐらいの男である、

「それに、御二人でご一緒にお選びになる楽しみ、フェリス様のお好みのデザインを纏いたい娘心というものもございます」

「なかなか遠い達成目標だな」

溜息をついていてはいけない。

遠くから参戦する小さな姫に申し訳ない(そもそも戦ではない)。

苦手な分野は百も承知だ。

自分と似た境遇の幼い姫を、大人達の勝手で不幸にはさせまい、この手で守ろう、とフェリスが自分で決めたのではないか。

(だが準備をしていると、慣れない分野ゆえ、少々挫けかける)

「そんなことはありません。きっと可愛らしい方がいらして、楽しく二人で姫のドレスをお選びになれますよ」

サキのフェリスを励まそうとする予言は後日成就して、可愛らしいレティシアがやってくるのだが、いまはまだ、フェリスにとって、レティシアは想像の中に棲んでいる、うまく会話が成立するかどうかすら心もとない幼い姫である。

「フェリス様、ロマーノ様の最高にして最後の傑作、届きました!」

興奮を抑えきれないリタが駆け込んできた。

「あら。可愛らしい! きっとレティシア姫もお気に召しますね」

リタの胸には、ふかふかのくまのぬいぐるみが自慢げに抱かれている。

「ロマーノの爺はもう制作してないんじゃなかったのかい?」

ロマーノベアは、ディアナの人気のくまのぬいぐるみであり、国内のみならず、人気輸出品でもある。アントニオ・ロマーノ爺さんが一代で成したくまのぬいぐるみの工房が、いまやたくさんの作家や職人の生活を支えている。

「はい。ですから、ロマーノ様の工房に、御一族なり御弟子様なり、ロマーノ様と手の近い方を希望で依頼させて頂いたのですが、ロマーノ様御本人が、フェリス殿下の結婚祝いと聞いたら、老いぼれたりとはいえ、小僧っ子たちなどに任せられん、わしの仕事じゃ、わしの生涯最後の御祝い仕事を掠めとる奴は破門にするぞ、と御自ら製作ご復帰下さったそうです!」

「それはありがたいけど、無理しなかったかな。爺はいつでも作りたいんだよね。やりだすと、根を詰めてしまうから、周りが止めているというか……」

ロマーノ爺自体はもう作ってないとは聞いてたのだが、やはり、他の工房は考えられなくて、爺のところに依頼した。

「やはり、他の方の手とは違いますよねぇ、『幸せを呼ぶロマーノベア』」

男女問わず、ロマーノのぬいぐるみと共に成長した子供達が、出世したり、世に名を成したりして、子供時代の思い出の品に「ロマーノじいさんのくま」をあげた為、そのくまのぬいぐるみと共に育った子供は幸せを得るのだ、と逸話が生まれた。

いまやオークションで天井知らずの値をつけられるロマーノの作品だが、当初、ごく常識的な値段で……どころか、豊かな家にはとんでもない高値で、苦しい家の子にはただ同然の値段で与えられていた。みな、作家としてのロマーノの性格を承知していたので、余裕のある家の者は、喜んで高額を支払い、ロマーノの作品を支える者としての誇りを抱いていた。

「うん。レティシアにも幸せを運んでくれるといいな」

こんなに大きくはなかったが、フェリスも、昔、母から贈られたロマーノ爺のくまを持っていた。それはいまも健在だ。

優しい顔立ちのくまのぬいぐるみは、誰も知らない涙を知っている戦友だ。

「きっと気に入られますよ。レティシア姫。甘いものが嫌いな子供はいるが、ロマーノじいさんのくまのぬいぐるみを嫌う子供はいない、とまで言われる逸品ですもの」

「頼むよ、じぃの自慢の最後の息子。遠い国から、小さな姫が来るから、君はその子の最初の友達になって、僕には言えないような辛い話も聞いてやってくれ」

まさかのこのときは、ディアナの偉大な守護神が、ロマーノ爺さんの最後の息子の仕事を横から奪いに来るとは思わず、くまのぬいぐるみにレティシアの優しい相談役をお願いしていた。

「僕は怖がられる顔だから、君がレティシアを安心させてくれると嬉しいよ」

怖い程に美しいけれど人間味がない、とか、整いすぎて温かみというものがない、とか、まあまあひどいことを言われる貌である。

花嫁に贈る、くまのぬいぐるみの額に、フェリスはくちづけする。

承りました、王弟殿下、僕、責任重大だね、と言いたげに、くまのぬいぐるみは拝聴している。

「フェリス様、そんなことありません! サリアではどんな御顔立ちが人気かわかりませんが、フェリス様の御顔が苦手な女の子なんて、この世にいませんから!」

「ありがとう、リタ」

若い女官のリタが真っ赤になりながら励ましてくれた。

それにしても、何故、真っ赤になっているのだろう?

もしや、くまのぬいぐるみにキスしたのがいけなかったろうか……?

不審な行動だったろうか?

まあ、まあまあ不審な男なのだが……。

「それから、フェリス様。ロマーノ様が、どんなにお代をお尋ねしても、フェリス殿下の結婚祝いだから代金は要らんと……」

「それなら爺は受け取らないだろうから、ロマーノ工房へ、僕から、日頃の活動に相応な寄付をいれておいて。これからもたくさんの子供達の心を育んで、支えて欲しいって」

「畏まりました、殿下」

礼がてら、ロマーノの爺に逢いに行こうかと考える。

嫁いできたレティシア姫が、フェリスに懐いてくれるようなら、一緒にロマーノの爺のところへも御礼にいけるといいんだが……。

(いやはや、あの小さかったフェリス殿下が御結婚とは! そりゃあ、この爺も、若いのに邪魔にされるほど、歳をとるはずですのう)

白髭を撫でながら、ロマーノの爺の喜ぶ姿が目に浮かぶ。

まるで小さな生贄のようなレティシア姫の気持ちは心配だが、『フェリス殿下の結婚』という行事自体は、国をあげてのディアナの慶事となり、多くの業者の喜びとなる。

ロマーノのようにお代は要らないなんて変わり者は珍しく、皆、祝事に、今年の大きな稼ぎを期待している。

逢ったこともない、言葉も交わしたことのない、お互い好きになれるかどうかもわからない、幼い二人の結婚に、いろんな人の思惑や生活がかかっている。

「フェリス様、そろそろお夕食はいかがですか?」

「ああ、少し書き物をしたいから、食事は後でいい」

いつものようにフェリスがそう言うと、サキは困った顔で、畏まりました、と返事をした。

フェリス様、お食事はちゃんと食べなきゃダメです! とフェリスに可愛らしい声で訴える、金髪に琥珀の瞳の、ちいさな花嫁がやってくるまで、あと少し。

フェリス宮の庭園の凍てついた冬の薔薇さえも、何か可愛らしい、未知なるものが、遠くからやって来る予感に、いつになく、ざわめいていた。