魅惑のお誘い
「レティシア、今日、お忍びで街に行こうか?」
「街? ですか?」
朝食のお茶はマンゴーティー。グラスで貰ったマンゴーのジュースも、甘くて美味しい。
そしてもりもり春野菜のサラダを食べる。
昨日、かりかりしたから、たくさん野菜を補充しなければ。
お肉ばかり食べてると好戦的になるよー。
そしてフェリス様もちゃんと食べてるかこっそりチェックするよー。
「うん。レティシアにディアナの街を見せたいな、と思って」
「フェリス様と一緒に?」
それは嬉しいけど、そんなお時間あるのかな?
レティシアと違って、忙しいのでは……。
「うん。昨日のお詫びもかねて」
「嬉しいですけど、フェリス様、そんな気を遣って頂くようなことは何も」
王太后様、怒ってるかなあ。側妃は選ばないけど、御茶会では失礼いたしました、って御詫び状でも書こうかな。なんと無礼な嫁だ、って言われてまたフェリス様が嫌な思いしてもいけない。
「いや、僕がレティシアと出かけたいだけだから。……レティシアは?」
「私も……、一緒に、お出かけしたいです」
お外にお出かけ! しかも公式行事ではなく! なく!
だいたい王族のお外にお出かけって、いつも馬車の中から、お手振りなの。沿道にたくさん並んでくれてる人達に、笑って手を振るのがお仕事。もちろん、みんな並ぶのすごく大変なのに、待っててくれて嬉しいんだけど。でも、普通の人みたいに、街を歩いたりする機会はないから。
式典の時じゃない、沿道に警備兵の並んでない、普段の街ってどんななのかな? と思う。
「僕達の結婚式のときも馬車で巡るけど、その前に、普段のディアナを見せたいな、と」
ときどき、不思議。
フェリス様とレティシアは何も似てないのに、どうしてフェリス様にはレティシアの思ってることがわかるんだろう? って思うときがある。
僕達はよく似てる、ってフェリス様は最初に逢った時に言ったけど。
私たち、似てる……?(いやいや何も似てない)
「ディアナの街には竜王陛下の絵姿だらけ、とお聞きしました。フェリス様お忍び可能ですか?」
レティシアはともかく、フェリス様、すぐバレてしまうのでは……。
「眼鏡をかけておくよ」
「………?」
それで何とかなるもの? と謎だけど、行ってみたい。
ちょっとでいいから、特別な式典のときじゃない街に行ってみたい。
「フェリス様は、よく街には行かれるのですか?」
レティシアとフェリスは、六頭立ての馬車に乗って街へ移動中である。そもそもこんな普通の人は乗れそうもない馬車で出かけたら、ちっともお忍びにはならないのでは……。
「そうだね。王宮にいると息が詰まりそうなときに」
そうなんだー。意外だー。深窓の姫君じゃないけど、フェリス様こそ王宮の中にこそ咲く花みたいな外見の方なので。
昨日も王太后様の御茶会に出かける為に、この六頭立ての馬車で王宮内を移動したのだけど、やはり結婚相手のお義母様に初めてお会いしにいくのと、二人でちょっと街に出かけるのでは気楽さが全然違う。
「ごめんね、レティシア。レティシアにとってディアナでの母になってくれるような義母上だったらよかったんだけど……いや、王太后も、僕以外にはよき母なんだけど」
二人を乗せた馬車がゆるやかに昨日と違う道を曲がっていくときに、フェリスも思い出したのか、少しその話に触れる。
「サリアのお母様はきっと、フェリス様が優しい人でよかったわね、って言うと思います」
まず面識もないディアナの王弟殿下がどんな恐ろしい人かと思っていたのだから(失礼すぎる……)、結婚相手の義母上も大事だけど、何よりもフェリス本人と気が合う事が一番大事だ。
「レティシアのお母様はどんな人? レティシアに似て優しい?」
「私よりずっと優しいです。最初にお父様が疫病にかかられて、お母様は皆がとめたのに、お父様の看病されてたら伝染してしまって……、だから、レティシアを近づけてはダメって。最後も見送らせてもらえませんでした。私が幼かったから、後十年、五年でもいい、レティシアがもう少しだけ大きくなるまで生きたいと嘆いてました」
「……うちと一緒だ」
「………?」
「僕の母も、せめて後十年、フェリスが成人するまで生きたい、と僕に詫びてた。……いまの僕ならもう少し、僕が母を長生きさせられたろうに」
もしかしてフェリス様が、親を亡くしたばかりの五歳の花嫁との縁談を断りきれなかったのは、それも理由のひとつなのかなー、と思ったりした。
「フェリス様のお母様がフェリス様見たら、きっと喜ばれますね。凄く立派になられて」
「どうだろう? あなた随分ひねくれたわね、って驚くかも」
「そんなことないですよ。あ……竜王陛下そっくりになってて驚くかも」
「それは確かに驚くな、きっと」
「子供の頃から似てらしたんですか?」
「子供の頃は、そこまででは……。何より、子供の頃のレーヴェを誰も知らないから、もしかしたら、子供の頃から似てたのかな……」
「私は父と母なら母に似ているのですけど、鏡に映った姿に母に似てる部分を見つけると、母が私の中にいるみたいで嬉しいです」
「僕はレーヴェに似てると、悪いことができない気がする」
「神様に似てるから? フェリス様、いったい、どんな悪いことしたいんですか?」
フェリス様と悪行。それもあんまり似合わない。なんか据わりが悪いもん。
「うーん。わからないけど……、たぶんレーヴェならここで諦めないよな……とか、レーヴェはここで見捨てないかも……とか思って、いろいろ放り投げられないときがある」
「竜王陛下が、フェリス様の生き方のお手本なんですね」
だいぶ偉大なお手本である。
「お手本……? あんなお気楽竜が僕のお手本なんだろうか……?」
オレよりフェリスのがだいぶ面倒見いいけどな、フェリスは真面目ちゃんだけど、オレ、基本ざっくりだから、と御本家のレーヴェが聞いてたら、言いそうではある。
「フェリス様、フェリス様、船がたくさん見えます!」
王宮を出て程なくすると、見えてくる景色が変わり、レティシアは馬車の窓にかぶりついている。
「港に近づいてるからね」
「ディアナは王宮のお近くに海があるのですか!」
「そう。サリアは海のない国だと聞いたから、レティシアには珍しいかもと……」
「私、海、初めて見ます!」
この世界では、だけど! 海、懐かしい!
「王宮へ来るときに、海側通らなかったんだね」
「来るときは、輿の中で、緊張で震えてて、景色なんてぜんぜん……」
「これから、ディアナの変人王弟に頭から食べられるんじゃないかと思って?」
「……ううう。ごめんなさい、そのくらい怯えてました……」
御伽噺の怪物のような人を想像してたら、御伽噺の王子様がやってきた。
「なんて透き通った碧い海……、フェリス様の瞳みたい」
海洋汚染のない世界の美しい海! 本物の帆船が出入りする港! 毎日、海風に洗われてると思えないような、瀟洒な白い街並み。美しく手入れされた、王宮のお膝元の街。
「賑やかそうです! 栄えてます!」
「レティシア、窓に張り付きすぎ……」
あんまりレティシアがはしゃぐので、フェリスがついに笑いだす。
「だって嬉しくて! ディアナの方々、みんな楽しそうですね……!」
海鳥の鳴く声、人々の笑う声、何かを売っている商人が客に説明する声。活気のある街だ。市民の着ている服もなかなかお洒落で、表情も明るい。見える限りには、生活に困っている人はいなさそうだ。
「あ。御歌……」
広場に吟遊詩人がいて、恋歌を唄っている。それにあわせて、美しい踊り子が舞を舞っている。足をとめて聞いてる恋人達、子供、老人。優しい竜神に守られて、平和で、幸せな国……。
「降りてみる? 用心のため、マントは着ててね」
「はい。フェリス様」
一応レティシアは、王宮の中にいるときよりは、控えめなドレスを選んでもらっていて、その上から、御伽噺の赤ずきんのように頭も髪も隠す赤いケープマントを被る。
とても可愛らしい。
フェリスも黒いケープマントを着るようだ。
それはぜひその方がいいと思う。眼鏡をかけても、華やかな顔立ちは隠しようもない。
フェリス様の竜王陛下そっくりの美貌は、被り物の下に隠すべき。
「レティシア、魔法で髪と瞳の色を変えてもいい?」
「は、はい」
「何色がいい?」
「茶色とか?」
馬車の窓から眺めた道行く人に茶色い髪の人が多かったので、そう答えた。
「じゃあ、茶色にしよう」
レティシア自身の姿は見えないが、フェリスが何か呪文を唱えると、フェリスの金髪と青い瞳が、茶色い髪と茶色い瞳に変わった。それだけで、ずいぶん印象が変わる。
「嫌な色じゃない?」
折り畳みの小さな手鏡をフェリスが見せてくれる。
鏡の中には、フェリスと同じように、茶色い髪と瞳になったレティシアがいた。
わ……! ちょっと変装させて貰った!
「はい。大丈夫です。フェリス様とおそろいになりました」
「そうだね」
これなら、やたら面倒見のいい兄が美形の、貴族の兄妹くらいに見えるだろうか……?
「じゃあ、行こう? レティシア、手を」
馬車から降りるのに、フェリスが自然に手を貸してくれる。
レティシアは、フェリスの手に手を重ねながら、昨日、王太后様の御茶会に出かけるときも、フェリス様が一緒だから怖くなかったな、と思いだしていた。

「フェリス様。私、ラベンダーのアイスクリームというものを買ってみたいです」
「ラベンダーのアイスクリーム?」
「はい。サリアで読んでた御本で、街で少女がラベンダーのアイスクリームを買うお話があって、それがとっても羨ましく思えて」
「色は綺麗だろうけど、味は個性的そうだな」
ふわふわとしたレティシアのリクエストに、現実的なことをフェリスが言っている。
「ラベンダーフレーバーがあるかどうかは保証できないけど、アイス屋はあると思うよ。たしか、あの路地の奥にあったと思うんだが……」
「フェリス様」
「うん。少し離れてついてきて。何処にいても、僕よりもレティシアを気にしてあげて」
フェリスが護衛の者に指示を出し、二人で歩くようにしてくれた。
フェリス様と二人で歩けるの、嬉しいな。護衛をぞろぞろ連れてたら、いつもと変わらないし。
でも街歩きで、フェリス様に何かあったら、あぶないかな。
頑張って、お守りするぞ。ディアナの人はレティシアを誰も知らないだろうから、レティシアには心配していただくほど、危険はないと思うの……。
「ねぇねぇ聞いた? 花屋のランビ、フェリス王弟殿下の結婚式にお花納品するんだって」
「そりゃー景気のいい話だなー。国王陛下の挙式以来の王家の婚姻! しかも竜王陛下そっくりのオトコマエのフェリス殿下の婚姻! 街中が花で埋まるよなー。何処の花屋も儲かるだろうなー」
露店の八百屋には、紫に輝く茄子や、真っ赤なトマト、黄色いレモン、新鮮な食材が木箱に入れられて所せましと並んでいて、人々はそれを選びながら、自由にお喋りしている。
私たちの結婚式のお話! と思わず、ぎゅっとフェリスと繋いでいる手を握って、レティシアは聞き耳赤頭巾になってしまう。
本当に、話に聞いてたように、王族の結婚式は経済を潤すんだな……。
ディアナほどでなくても、サリアのお花屋さんやお菓子屋さんも潤ってるといいな。
お嫁入り前、レティシア姫婚姻の号外がでたので、お祝いの御菓子がたくさん出きてるって話してたな。そのとき、あいついで両親を失ったばかりで、レティシアの気持ちは生ける屍だったけど、サリアの誰かの幸せの役に立てるといいな、って思ってた。
「でも、サリアからの花嫁はまだ子供なんだろ? 気の毒だなあ、男盛りだろうに、フェリス様」
すみません、花嫁、ちびで。
「もー、おまえ、下賤な話すんなよ! フェリス様は俺らとは違うんだから! あの方はなあ、もっとこう高潔な御心で、我が国のためにだな……!」
「おまえな、こんど、いい娘、紹介してやるから。フェリス様の絵姿飾るのはやめとけよ」
まあ……フェリス様の絵姿を……、私、この方とはお話があうのではないかしら……?
「まあまあ、フェリス様もお若いのにすげぇ切れ者でいらっしゃるけど、まだまだ小僧っ子の歳なんだから、小さい姫さんが綺麗な娘になる頃に、ちょうどフェリス様も一人前になりなさるよ」
小僧っこ! フェリス様、小僧っこ!
でも確かに、フェリス様ってもう大人みたいな雰囲気だけど、まだ十代だもんね。
十七歳といえば、前世の日本では、受験、サッカー、高校野球、部活、ディズニーランド、オタ活、デート、バイト、友達との通学、お喋り、他愛ない喧嘩……。
進学するか就職するかだけど、向こうだと、結婚は十八歳以上からだから……。
「レティシア。ふわふわしてると、転んでしまうよ」
「あ……すみません」
は! お話に聞き耳を立てるのに夢中になってて、足元が疎かになってました。
「もし、足が疲れたなら、僕が抱いて運んであげてもいいよ」
「……? 疲れておりません! めちゃくちゃ元気です!」
これ、フェリス様、からかってるつもりじゃなくて、本気っぽいところが、天然さんだと思うの。
「本当? レティシア、あまり外を歩き慣れてないだろうから……」
「外は不慣れですが、私、庭を駆け巡って鍛えてあります」
王宮の庭園で母様とかくれ鬼をよくした。かくれ鬼は終わったのに、母様がでてこない……。
「さっきの方々、私たちの結婚式の噂されてましたね」
「ああ。久しぶりの、ディアナの慶事となるからね。僕達の結婚式であり、民にとっては、よき気晴らしのお祭りになるといいと思うが……」
そうなの。いつもこんな感じのとてもよく出来た方なので、フェリス様が十七歳の少年なこと、きっとみんな忘れてるんだよね……。
「それにしても、僕の婚約者を子供扱いするな、と僕は決闘を申し込むべきだろうか?」
「え? いえ! ホントの事ですし!」
ぷるぷるぷるぷる、レティシアは首を振る。
フェリス様、物騒……。決闘とかダメ、絶対。フェリス様があぶない。あんな筋肉質そうなおじさんとフェリス様が殴り合うとか、想像するのすら無理。
「人間、本当の事なら、何を言っても許されるという訳ではない」
「それはそうですが……あの人たちはただフェリス様を気の毒がってただけで、悪気がある訳ではないので」
「………? 僕はレティシアといて幸福なので、見知らぬ他人に気の毒がってもらう必要はない」
フェリスは、さきほどかけた魔法でいま茶髪に茶色い瞳だが、海辺の明るい太陽の光に、まるで本質の金髪碧眼が透けて見えるようだ。
そう言って貰えてほっとして、レティシアはぎゅっと、フェリスと繋いでいる手を握った。
それにしてもお外にお出かけするときって、ずっと、フェリス様とは手を繋いでるものなのかな?
レティシアが小さいから、フェリス様、心配してるのかな? 安心するけど……。
「幸福、ですか?」
「うん。レティシアが来てからの方が、毎日楽しい」
「……それは、毎日笑い転げてるからでは……」
うん? とレティシアは小首を傾げる。
レティシア本人だとて、並んでたら似てない兄弟に見えるかなあ、どう考えても夫婦には見えないと思うの、と思うからディアナ国民もサリア国民も、何か言いたくなっても仕方ない。
でもいま、一週間前サリアにいたときより、レティシアが幸せなのも本当だ。
「それに我が家の者が、毎日、感動してる。フェリス様、大人になって……人間らしくなって……って。これに関しては、よほど普段の僕が人としてひどいみたいじゃないか、と思うが」
「少なくとも、御夕飯のかわりにチョコレートはひどいと思います。マカロンもダメ。子供よりダメです」
「……誰が教えたんだ……」
フェリスが晴れ渡った青い空を仰ぐ。
「私に優しいフェリス派の密偵さんたちがたくさんいらっしゃるんです」
レティシアは左手の人差し指を、桜色の唇にあてて微笑んだ。
「それはフェリス派じゃなくてレティシア派だろう」
「そんなことありません。私達みんなフェリス派なのです」
リタが、レティシアの髪を梳いてくれながら話してた。フェリス様のところで働く者は、メイドも厨房の者でも下働きも、望めば読み書きを学べるのです。どんな者も字は読めた方がよい、そのほうが生きることが楽しい、ってフェリス様が仰って。そんな御仕事先は、他にはありません。
でもフェリス様は、皆には優しいのに、自分自身の事には本当に無頓着なのです。
だから邸の者はみな、食べることも忘れて、無理ばかりなさるフェリス様が心配です。
勝手にフェリス様を悪く言われるのも悲しいです……よい方なのに。
リタの話を聞いていて、レティシアは思った。
フェリス様の庭園の薔薇が、他の宮より綺麗に咲くのは、精霊さんの仕業ではなく、庭師の働き心地がいいからかもしれない。
なのであまり何もできないけど、これから彼の小さな妃になるレティシアの至上のお仕事は、フェリス様に栄養のある食事を摂っていただくこと。無理をさせすぎないこと。人の世話ばかりで自分を疎かにしがちな優しい王弟殿下をお守りすることである。

「ああ、ここだ。ラベンダーがあればいいんだが……」
「可愛いお店!」
アイスのお店は露店のお店ではなく、きちんとしたお店だった。店内のディスプレイが外から見えるが、可愛らしい造りでカフェのように、店内に席があるようだ。
「こういう甘いものの店は多いよ、ディアナは。遅くまで飲んで、最後には甘味で終わりたくなるような甘党が多いから」
「そういう意味では、甘いものをご飯にしちゃうフェリス様は、とてもディアナ人なのですか?」
「いや? 僕は食に熱心ではないけど、ディアナ人はよく食べる人種だから。スイーツはスイーツ。食事は食事で別口だな」
フェリスが扉を開けてくれる。
そうだ! 雪は前世でもデートなんてしたことないから、これ、人生初デートかも!
(現在、もうすぐ結婚式予定のちいさな王女だけど……)
なんて可愛いお店! さすがにテンションあがるー!
「いらっしゃいませ。まあ、フェリス様どうなさいました? 珍しく可愛いらしい方をお連れで」
フェリス様、やっぱり髪の色と眼鏡くらいじゃ、変装、ばればれみたいです……。
と言うか、お馴染みのお店だったのですね……。
「僕の妃が、ラベンダーのアイスを食べたいと言うのだが……、ここにあるだろうか?」
「まあ、こちらがお噂の……。ラベンダーは普段はお出ししてはおりませんが、御祝いに御作りしてみましょうか?」
「作って貰ってみる?」
「はい!」
わああああ、ラベンダーアイス、本当に食べられる! あったらいいな、と思ってたけど、無理かな~ないかな~、なくてもフェリス様が一緒に探してくれるだけでも嬉しいな~と思ってた。
「苺や桃やキャラメルは?」
「う。それも美味しそうです……」
誘惑。ラベンダーも食べたいけど、苺も……キャラメルも……。
「盛り合わせでお作りしますよ。お好きなフレーバーをいくつかお申し付けください」
「本当に?」
「はい。どうぞ、お席のほうへ」
テーブルセットのあるほうへ、向かう。幸い、お客さんのいない時間帯みたい。
おかげで、人目を気にしなくていいのも嬉しい。そうだよね。朝からそんなにみんなアイス食べに来ないよね。きっと午後三時とかが多いんだろうね。
「こちらからお選びください」
渡されたメニューにアイスのフレーバーがたくさん並んでる。……悩む。
「紅茶アイスとかも美味しそう……」
「凄く真面目に悩んでるね」
「はい! 真剣です! 種類が多すぎて迷ってしまって……ちょっとずつたくさん貰おうかな」
「うん。いろんな味が試せたほうがいいのでは?」
「フェリス様は? 何にされます?」
「僕はお任せで。レティシアが選んでくれてもいいよ」
「……余計に目移りしてしまいます!」
メニューを読み込みながら、あれもこれも気になる~と困っているレティシアを眺めて、フェリスはひどく楽しそうだった。
「フェリス様が街のお店に入ったりされるのは意外でした」
悩みに悩んだ末、注文完了! ラズベリー、ストロベリー、桃、キャラメル、紅茶でお願いした! 欲望に任せすぎて、味の統一感がぜんぜん保ててない……。
「……昔ね」
「はい」
「山側の街の景気がよくないようだけど、何がいけないんだろうと悩んでたら、そりゃろくに自分で歩いたこともないのに、紙の報告書ばかり読んでてもわからんだろうよ、とレー……年長の親族に笑われて。それからは、行ける範囲で自分で確認してみるようにしてる。……流行ってる街、うまくいってない街、景気のいい通り、犯罪の起こりやすい通り」
親族。そんなにフェリス様に気安い感じでお言葉をかけられる御親族は、どんな方なのかしら? フェリス様の叔父様とかかしら? きっと素敵な方なんだろうなー。会ってみたいなー。
「フェリス様のような方が自分で行かれるのは珍しいのでは……」
「うん。でも、僕は兄上と違って自由な立場だから……、いろいろと兄上がお立場的にできないようなことを僕が手伝えたらいいかな、と思って」
フェリス様とお兄様の国王陛下は仲がいいのかなーとレティシアはお話に耳を傾けている。お兄様のお話は、王太后様のお話をするときほど、フェリス様に忌避感がない感じ。さきほどの親し気な叔父様よりはちょっと距離、遠い感じだけど……。
フェリス様と仲のいい人、微妙な間柄の人、いろいろ覚えたいなあ……。
「お待たせいたしました。少しは、姫様の探してたものに近づけてるといいんですけど……」
「きゃー! 可愛い!」
ガラスの平皿の上には、ラベンダーの紫の小花と生の木苺や桃やベリーがふんだんに飾られ、何とも可愛らしく各種類のアイスがデコレーションされている。
「こちらはお任せの方で……、時計回りに、ローズ、ラズベリー、マンゴー、キウイ、ラブポーションのアイスです」
レティシアはセンスに自信がなかったので、フェリス様のはお任せにしたのだ。こちらも赤い薔薇の花びらが散らされ、ラズベリー、マンゴー、キウイとフルーツもふんだんに飾られている。
そしてどちらの皿にも小さく控えめに、HAPPY WEDDINGと、御祝いの言葉がチョコレートソースで書かれている。
「ううう。可愛い……お写真撮りたい……」
「ん……? しゃしん……?」
「何でもありません! 嬉しいときの擬音です!」
「……そうなの?」
あまりの可愛らしさにほわーんとしてしまい、余計な事を言ってしまった。
「ラブポーション(愛の薬)とは?」
「あ、それはどちらにもいれました。御二人の愛が高まりますように、と。……あら、フェリス様、そんな顔しないでください、おかしなものはいれてませんから。害のないハーブです。とても健全なやつ。姫様には、まだ大人な恋薬は早すぎますから」
「レティシア。この人は王立魔法学校の元優等生なんだけど……昔から、おかしなものばかり作る天才で……」
「魔法使いでいらっしゃるんですか?」
「はい。姫様。いまは魔法使いのアイス屋でございます。簡単な氷魔法を使って、楽しく商いをさせて頂いてます」
確かに、冷蔵庫のない世界で、アイス屋さんの厨房とは、どうなってるんだろう? 厨房に、氷室とかあるのかな? と思ってた。
「王立魔法学校の優等生でいらしたなら、きっと、あちこちの就職を断られて……」
ひっぱりだこだと思うの、きっと。魔法使いさんて、就職難と縁なさそう。なのでレティシアもお勉強したい。
「雇われ魔術師をやるには、少しならず協調性が足りなくて……さささ、私の話などより溶けないうちに、私の作品をこそ美味しく召し上がって下さい。ラベンダーアイスはラベンダーリキュールをかけてみましたが、お口にあうとよいのですが……。このたびの御二人のご結婚、まことにおめでとうございます。ご結婚前の御二人に御菓子をお出しできた数少ない職人の一人になれて、本日は望外の喜びです」
エプロン姿で綺麗な礼をして、御祝いを述べてくれた。
ホントだ、溶けないうちに、と口にいれたアイスは、紫色のラベンダーリキュールがかかっていて、ほんのりと甘く癒しの香がした。
「美味しい!」
そんなに主張が強くない。上品な甘さって感じ。前世で雪は海外旅行したことなかったけど、海外行った人いわく、甘いものはこれでもかというほど甘い! と聞いたけど、そんな激しい甘さではない。ラベンダーのリキュールならラベンダーのリキュール、木苺なら木苺の本来の味が前に出ているから、それ自体の甘さって感じ。
「よかった」
向かいで微笑んでるフェリス様が、アイスが美味しいせいか、いつもよりさらに輝いて見える。
可愛いお店で可愛い女のコとデザートとか食べたいよー、残業ばっかりもうやだよ。だいたい、毎日こんなの何の為に誰の為にやってるの、ってしょんぼりしてた前世の社畜時代の雪の夢を、アフタヌーンティーに続いて何も知らずに叶えてくれてありがとう、フェリス様。
可愛い女の子との部分は叶ってないけど、フェリス様はじゅうぶん可愛いくて綺麗だからいい。
は……! 違った! デートだった! 人生二度合わせて、初のデート!
「ラベンダーアイスは、レティシアの理想通りの味だった?」
ラベンダーにそれほど理想の味はイメージしてなくて、街を歩いてアイスを買う女の子というスタイルが夢だったのだと思う。レティシアが、あの本をサリアで読んでた当時(今もだけど)、王宮から一人で出かける想定がなかったので。
「こんな味です。フェリス様もひとくち召し上がってみてください」
嬉しくて仕方なくて、フェリス様にも食べさせたくて、銀のスプーンをフェリスの方に差し出してから、いけない、この人、由緒正しい王子様だった! と焦る。で、でも、どうやって、これ戻そう。
「あ、すみませ、お行儀の悪いことを……」
さ、さりげなく、スプーンを戻そうと往生際の悪いことをしていたら、レティシアの気まずさを察したのか、フェリスが唇を開いて、レティシアの差し出したラベンダーアイスを食べてくれた。
わー! フェリス様を餌付けしてしまった!(まちがい)
「うん。美味しい」
「フェ、フェリス様、無理させてすみま……」
「いや、本当に美味しいと思っている、多幸感の伝わりにくい貌ですまない」
整いすぎてるせいか、笑ってないときのフェリス様のお顔には少し緊張する。
「レティシアも食べるか?」
「は、はい」
それぞれのプレートの味が違うので、ならばこちらも味見させるべきだ、と思ったのかフェリスが銀のスプーンで薔薇のアイスをすくって、レティシアに食べさせてくれる。ひな鳥に餌を食べさせるのに慣れない親鳥のような慎重な面持ちで。
手ずから食べさせてもらった薔薇のアイスは美味しいけど、き、緊張する……。
フェリス様の端正なお貌が近すぎて……。じ、自分でひとくちどうぞってやっといて、御返しのアイスがかえってくるとは想定してなかった……!
「レティシア、甘い?」
「はい。薔薇の方が甘いです」
でも、薔薇の花があまいわけじゃないよね、きっと……。
「どちらが好き?」
「んー、どちらも美味しいです。フェリス様、苺も……」
フェリス様、真面目な方だから。レティシアが全てのアイスの味を味わいたいかもしれない、と思ってくれたんだと……。
「まあ……、王太后様が意地悪して、王弟殿下にちいさすぎるお妃を、って街の人も私達も心配してましたけど、ずいぶん幸せそうですね、フェリス様。そんな御顔もなさるんですね……」
御茶を持ってきてくれたらしい店主が吃驚している。
「ち、違うの……お行儀悪いのはフェリス様じゃなくて、私が無理やり……!」
弁明しなければ、とレティシアは焦る。
「そんな貌もどんな貌も、うちはご先祖の代からこんな貌だが」
フェリスが眉一つ動かさず答えると、ん? 誰か呼んだか? と言いたげに、店内に飾られている竜王陛下の肖像画が不敵に微笑んだ。
「いえ、レティシア様、お気になさらず。とても、いいことです。人間がましくて。もうね、ひどかったんですよ、昔。王立魔法学院でフェリス王弟殿下に甘い誘いなどしかけようとした者は、そりゃあもうことごとくゴミでも見るみたいな冷たい目で黙殺されて……」
「そもそも学問をしようとしてるところで、何故、訳の分からぬ鬱陶しい誘いをかけたがるのか、僕には理解できない。だが、誰のことも粗末に扱った覚えはない。呼びかけられたときに視線を返したら、大概の者は何故か倒れるか、黙るか、逃げ去るのだ。もう自分でも、人に怖がられる貌なのは自覚している」
フェリス様、きっとその倒れた方々は、フェリス様と瞳があってテンパりまくっちゃっただけで、決してフェリス様のお貌が怖い訳では……。
「王弟殿下の認識が独特なだけで、学校っていうのは、学問したり恋愛したり友達作ったりするとこなんです。オンリー学問と魔法の技だけ極めまくるところじゃありません」
「そうなのか? レティシアもそう思う?」
「……は、はい」
それはそうだと思うんだけど、レティシアが頷いたら、フェリスが沈黙して困ってたので、ちょっと可哀想になった。
「……では、善処しよう。来世で学校に行く機会でもあれば」
「今生は無理なんですか?」
何故、来世、と思ってレティシアは尋ねる。
「少なくとも、ディアナ国内の学問所関係は飛び級して十五歳迄に卒業してしまった」
「レティシア姫、どんな魔法を使えば、こんなにフェリス様が可愛らしく聞き分けよくなるんですか?」
「いえ、私は、何も。フェリス様はこちらに来たばかりの私を心配して、私のいう事はよく聞いて下さるのだと……」
まるで性格のとても難しい馬でも手懐けた人みたいに言われてしまった。
何故に? フェリス様はいつも優しいのに。
「とても、そんな次元じゃないと思うんですけど……」
「笑いすぎだ。カエラ。これ以上余計なことを言わないでくれ。レティシアに怯えられたくない」
「わかりました。これまでに拝見したことないほど、お優しいフェリス様。可愛らしいお妃様の大事な印象を損なわないように、お口に気をつけますね。……レティシア様、お慶び事ですから、御祝いに桜茶を淹れました。ディアナの桜の花びら漬けを、お湯で溶いたものです。お召し上がりくださいね」
慶事に桜茶。桜の香の紅茶ではなくて、ほんものの桜の花びら漬けにお湯を注いだもの。主に、御祝いの席で出される桜茶。桜の花が開くように、この先の人生が花開くようにと。
そ、そんな、日本と同じ風習あるのー!? それはもしかして、昔、レティシアみたいに日本からディアナに転生してきた人が伝えたのでは!?
ほんのり、期待を込めて疑っちゃう。
「ありがとうございます。とっても、とっても美味しいです、アイス。こんな可愛いお店にフェリス様と二人で来られて、幸せな気分になりました」
「光栄でございます、姫君。こんな可愛いお妃様にでしたら、それは氷の王弟殿下もお優しく様変わりもしようというものですね」
「………? いつもお優しいです、フェリス様。私にだけでなく、フェリス様に長く仕える家の者も皆、そう申します。優しすぎて、無理ばかりされて心配だって」
レティシアは、にこっと微笑ってお返事した。ご学友? だからただの親しみを込めての御言葉だとは思うんだけど、フェリス様が優しくないって言われるのは、ちょっとだけ違うの……。
「海のほうへ行ってみる、レティシア?」
二人で綺麗に食べて、アイスの店を出てフェリスが尋ねる。
「はい!」
頭のてっぺんにうさぎ耳でもついてたら、盛大に振りそうな勢いで、レティシアがお返事する。
海までお散歩ー!
庭園を駆け巡って鍛えた小さなレティシアの脚力が、日の目を見るときが来た(とは言っても、ディアナ王宮内やフェリス家の邸内移動なども広いので、結構毎日歩いてはいる)。
「……滅びよ、邪神よ!」
晴れ渡った青空の下、フェリスと手を繋いで上機嫌で歩いていたら、何か禍々しい声がした。
「目覚めよ、ディアナの民たちよ! 汝らは騙されておるのだ! 正しき神、リリア様のもとへ、いざ、帰り来たれ!」
「……な、に?」
午前中からたちの悪い酔っ払い? とレティシアが声のする方を見ると、広場の隅で目深にフードを被った何人かの僧侶らしき者たちが、何かを燃やそうとしている。異様な様子だ。
レティシアは、声を荒げる僧侶なんて、サリアでもディアナでも見たことがない。しかも、火は危ない。街中で、
「え……!? 竜王陛下、燃やさないで!」
思わず、レティシアは声が出てしまった。
その人たちが燃やそうとしてるのが、ディアナの神様、竜王陛下の肖像画なのだ。
もちろん、レティシアは、他人の持ち物にいかなる権利も持たない。
とはいえ、フェリスそっくりの竜王陛下を目の前で燃やされるのは心が痛む。
「やめろよ、何やってんだよ、坊さん!」
「ふざけんなよ、よりにもよって、ディアナのどまんなかで、竜王陛下を燃やすなんて……!」
「まったくだ、ここを何処だと……!」
腕力に自信のありそうな街の男たちが、僧たちが竜王陛下の肖像画を燃やそうとするのをとめようとして、一騒ぎ起こる。
「レティシア。ごめん。海へ行くのちょっと待ってもらってもいいかな」
「は、はい。もちろん」
フェリスがレティシアに許可をとる。
「フェリス様」
「フェリス様」
「いかが致しましょうか」
和やかならぬ気配を感じて、離れていた護衛の者たちが近づいてくる。
「そうだね。とりあえず、迷惑だね。この広場で、焚火は許可してない」
いまにも喧嘩が始まろうとしているが、喧嘩もだけど何より、あの燃え盛る火が……。
「うちの御先祖、そんなに憎々し気に燃やさないでもらいたい」
フェリスも、レティシアと同じことを思っていて、なんだかほっとした。
「……ここで水を呼んだら、邪神の使徒すぎかな?」
フェリスは一瞬、レティシアを見てにっこり微笑って、白い手を少し動かした。
「……な、なんだ!? 火が……!?」
「な、何か降ってくる……! あ、熱い! なんだ、この花びらは!?」
「痛い……目が痛い……!!」
ふわり、と風が動いて、いまにも竜王陛下の肖像画を焼こうとしていた炎が、最初から何処にもなかったもののように消える。
そして、天から、何か白い柔らかいものが降ってくる。
「おかーさーん、空から、お花が降ってきたー」
「ほんとね。綺麗ね。何かしら……」
「わー綺麗ー」
空から、白い花がたくさん降ってくる。
騒ぎを起こしていた僧たちは、その花びらや花粉に触れると苦痛を伴い、大量の花びらに埋もれて、目を押さえて呻いている。
が、それ以外の者には、ただの綺麗な花に過ぎないらしく、時ならぬフラワーシャワーに広場にいた人々は喜んでいる。
「フェリス様、これは……?」
「リリアの花。ディアナには咲かないけど、綺麗な花で鎮静作用があるよ。生だとちょっと無理かな。……すまないが、あのへんを縛りあげて、市中警備の者に連絡してやってくれる? 君たちには、この花、何の毒もないから触れても平気だよ」
「心得ました」
前半はレティシアに、後半は身辺警護の者たちに、フェリスは告げた。
「私も触れても大丈夫ですか?」
「うん。レティシアにももちろん害のない花だよ」
目の前に落ちてきた花を、掌でうけとめて、レティシアは不思議がる。
「さて、海、行こうか、レティシア」
「だ、大丈夫でしょうか?」
呑気に、海をお散歩していても、いいのだろうか?
「うん、平気。どこの神様を信じるのも個人の自由なんだけど、うちの神様、焼かないでほしいよね。うちの国で焼かれると、必ず誰か怒って、喧嘩になるし……」
「はい。竜王陛下、焼かれるの、嫌です」
ディアナ中に何枚も竜王陛下の肖像画はあって、古くなった推し様のポスターのごとく、日々廃棄もされるだろうが、邪神扱いされて悪く言われて目の前で焼かれるのはひどすぎる。
「広場を掃除する人が可哀想だったかな……やっぱり水にするべきだったか……」
水の神様の末裔の王子様は、花だらけになった広場を見て、ちょっと反省していた。
広場の子供たちは、花びらを投げ合って、きゃっきゃっ喜んでいたけれど。
「歩ける距離だけど、レティシアの靴はとても華奢だから、馬を」
とフェリス様が、護衛の方々に言った。確かにお姫様の靴はとても華奢。デザイン時点で、あんまり外歩きは考慮に入ってない(普通のお姫様は外歩きしないので)。
でも、フェリス様と手を繋いで、お外、のんびり歩いてるのも楽しいんだけどな。ずっと繋ぎっぱなしすぎではという疑問はあれど。
「レティシア、ちょっと安全上、僕と一緒に乗ってくれる?」
「はい」
レティシアも、早くから騎乗を教えてもらってるので、五歳児とはいえ一人でも乗れるのだが、確かにこの状況だと、フェリス様のいう事もわかる。
「うん。自害させぬように、だれか魔術師をつけて。ただあの類は拷問したところで、どのみちたいして喋らないと思うよ」
うちの王子様が虫も殺せぬようなお貌で、何だか側近のレイ相手に物騒そうなお話してる。
「こんにちは! 可愛いね!」
レティシアは、目の前に連れて来られた、立派な白馬のつぶらな瞳を見上げる。プライドの高そうな白馬が、軽く
「おいで、レティシア」
「……きゃ」
ほとんどフェリスに抱き上げられるようにして、レティシアは騎乗させて貰う。
「……ち、ちかいです、フェリス様」
二人乗りしてるのであたりまえだが、レティシアの背中にフェリスの体温が暖かい。
「うーん。これは、これ以上どうしようもないかな。……では頼む。少しレティシアと海にいるから。何かあれば呼んで」
「御意」
そろそろ、呼ばれた市中警備の人たちが、遅ればせながら辿り着いたのか(減俸かも)、広場には制服の人間が増えている。
花びらは石畳に降り積もっていたけれど、何事もなかったように野菜や果物を見る人、焼き菓子を焼く人、歓声をあげて遊ぶ子供たち、花びらをつついている鳩と平和な風景に戻っている。
「レティシア、お父様と二人乗りして以来?」
フェリスが白馬に指示を与えたので、スピードが上がる。
「それはものすごく、ちいさいときのことで、それにそれとはぜんぜん……!」
「ぜんぜん?」
違うと思うの。
うちのお父様と、フェリス様との二人での騎乗は、ぜんぜん!!
お父様と二人で騎乗してるときは、レティシアは小さかったから馬はまだ少し怖かったけど、のんびりとした安心感でいっぱいだった。
お父様の腕の中で、守られてるーって。
いやいまも、フェリス様の腕の中で守られてはいるけれど……いるけれども!
お父様はこんなにいい匂いはしないし、こんなに何だか落ち着かなくはならない!
「レティシア、もっと僕に体重預けていいよ?」
「う……は……は、い」
久々の速く駆ける馬上からの景色は楽しいのだけど、なんだか景色に集中できないー!!
「ああ、ほら、見えてきたよ」
「あ……、うみー!」
水! 碧い! 碧い水がたくさん! 見たことないほど、碧い水がたくさん! と、この世に生まれてそれほど経ってない、ちいさな五歳の身体もはしゃいでいるようだ。
太陽の光を弾く碧い海。港には停泊している帆船が見える。
帆船! 人気漫画の海賊船くらいしか知らない! 本物の帆船!
「あ。レティシアのご機嫌がなおった」
被っていた赤いフードが外れてしまって、レティシアの髪にフェリスの甘い吐息が触れる。
「……? ご機嫌なら、ずっといいです」
「ホントに? なら、よかった」
レティシアの背中に、フェリスがほっとした気配が本当に伝わってくる。
うん。とっても、とっても、落ち着かないけど。
お父様とは、ぜんぜん違うけど。
フェリス様が、レティシアをとっても大切にしてくれてるのも、触れてる体温越しに伝わってきた……。
「うみー」
碧い空の下で、白い波が静かに寄せては返す音を聞いてたら、ひらがなで話してしまう。
レティシアは二十七歳だった雪でもあり、生まれて五年のレティシア、でもあるので。
このちいさな幼い身体の気持ちが、大人の記憶のある意識より、もっと前に出てくることもある。
嬉しくて嬉しくて訳もなく走り出したいとき、泣き出したいとき、どうしても我慢できなくてお義母様に怒りたかったとき、理由はわかんないけど一人にさせちゃダメ、フェリス様のとこにぜったい行かなきゃダメ! と思ったとき。
そういう、頭で考えるよりも素直な身体の気持ちは、転生したいまのレティシアだけでなく、本当は前世の大人のレティシアにもあったんだと思う。
もうあそこに行きたくないよ、もういやだよ、眠りたいよ、泣きたいよ、休みたいよ、遊びたいよ、ねぇもうがんばれないよっていっぱい言ってたろうに、前世だと、常識や、言葉で綴る表層意識の方が強いから、その本当の望みをちゃんと聞いてあげられなかった。
フェリスの腕に抱かれて、馬上から、碧い碧い空とつながる碧い碧い海を眺めてると、見たことない程に世界は美しくて、とても幸せで、そして少しだけ寂しくなった。
まえのわたしのからだ、もっと大事にしてあげられなくてごめんね。お父さんとお母さんのぶんも長生きしなきゃ、って思ってたのに、日本の我が家、私の代で絶えさせちゃってごめんね、と。
千年続く竜王家の末裔で、うちの御先祖燃やさないでくれ、とお散歩デートしてても、普通に世の中で起きてることに干渉してしまうフェリス様といるから、そんな風に思うのかもだけれど。
「フェリス様、さっきのお花、フェリス様……?」
ですよね? と控えめに尋ねてみる。
「うん。でも内緒ね」
碧い海ばかり見てた視線をあげて、レティシアはフェリスを見上げてみる。
「どうして、内緒……?」
水戸黄門みたいに、フェリス様が皆の前に出ていってあげたら、ディアナの街の人もはしゃいで、きゃっきゃっ喜びそうなのに。
「うちのレーヴェがやつあたりみたいに燃やされなくて、街の人の安全が脅かされないなら、それでいいから? 何も僕が悪目立ちしなくても」
「でも、街の人は、フェリス様が守ってくれたって知れたら、嬉しいかも……」
「市中の警備は僕の仕事じゃないから、人の仕事をとってはいけない。だいたい僕はそれでよく怒られる。……レティシアの髪、いい匂いがする」
「あ! 髪はね、フェリス様の領地で作ってらっしゃる薔薇の石鹸で洗ってもらっててね……この薔薇の石鹸、凄ーくいい匂いで優れものなの! あ、すみません、言葉が……」
この薔薇の石鹸、有名で、異国から買い付けに来る商人が競って奪い合うんですよー、と髪を洗ってくれながら、リタが自慢していた。ディアナの人の、お国自慢可愛い。あ、ご領地自慢かな?
「敬語じゃなくていいよ? レティシアは僕の部下じゃなくて、僕の妃になるんだから」
「……でも、きっと、敬語にはなっちゃう……」
「……僕とは、心の距離があるから?」
「ち、違います! そんなのじゃなくて! フェリス様は、えーっと、えっと、年上だから?」
心の距離があるとかじゃなくて。
たぶん、いま、フェリス様は、レティシアにとって、この世界で一番近しくて信頼している人だけど、……なんとなく、敬語にはなってしまうの!
「それはそうだけど、レティシア、女官には普通に話してるようだから、僕にも普通の言葉で話してくれたらいいな、と、あんまりずっと敬語で話されると、距離感じるから」
「じゃあ、ときどきは。……ずっとは、逆に緊張します!」
「よくわからないけど、レティシアの楽なほうで」
「はい」
波の音だけ聞いて、白馬の背で揺られながら、ずっとフェリスと他愛ないことを話していた。
馬に二人乗りしてるので、ふたりの距離がとても近くて、何を考えてるのか全部はわからなくても、フェリスもこの散歩をとても楽しんでいることは、レティシアにも体温で伝わって来た。
「レティシア、風、冷たくない?」
「海からの風、気持ちいーです! とっても!」
「少し砂浜歩いて、それでもう今日は帰ることになっちゃうけどいい? ちょっと午後から、僕」
「もちろんです! 私、朝からたくさんお忙しいフェリス様を独占してしまいました! はやく帰りましょう?」
「ううん、もう少しだけ、僕がレティシアといたいから」
幸せ過ぎて、このままここにいたい、仕事に戻りたくない、とか人間って本当に思うんだな、とフェリスは十七歳にして実感した。遅いのか早いのかわからない。
サボりたい人の気持ちが、人生で初めてわかった。
「さっきの騒ぎで、怪我する方がなくてよかったですね」
「そうだね」
人々の宗教と思想と信条の自由は、可能な限り保証したいけど、我が国の守り神を邪神扱いして、平和な街中で火を燃やしだすような奇妙な異教の怪僧には、そのままその弄ぶ火で炙って軽くお灸をすえてやろうかと思うのは、竜王陛下そっくりの貌を持つ王弟殿下としては、きっとよろしくない。
そもそも人生初デートの日に、いきなり凶悪な邪神の使徒と化して、うちの可愛い姫君に怖がられて、嫌われてもいけない。
人から畏れられることには慣れているのだけれど、ちいさなレティシアはフェリスを怖がらない貴重な人材なのだから。
レティシアはまだ幼くて、でもたぶん幼い器のなかに、何か違う存在が入っている。
そのせいか、いろいろ不安定なのだけれど、なにものが入っているかはわからないが、基本的に、善良な、優しいものだけで構成されている。
人生でひどいめにあったとしても、何度間違えても、闇に落ちたりはしない体質だ。
ときどき、何処かにさらわれそうになるフェリスとしては、そういう光属性の花嫁にそばにいてもらえるのはいいことだと思う。
そんな訳で不埒者には、頭から冷たい水でもかけて冷やしてやろうかと思ったが、水も水神レーヴェを思わせるかと、花にした。
広場に撒いたのは純然たる花で、騒ぎを起こしていた者達に落としたのは、軽い幻覚作用のある花だ。
フェリスが何かしたかと言えば、何もしてない。
あれは、己のなかの恐怖に食われていくたぐいの花だ。
心から善良なリリア僧侶であれば、怯える幻影など何もあるまいが、後ろ暗いところのある者ほど、襲ってくる幻影の花は多かろう。
「あ!」
「どうしたの? レティシア?」
「リタとサキにおみやげにアイス買えばよかったと……でもアイスとけちゃいますね」
「何か用意させるよ。おみやげあげたいの?」
「はい。いつもとってもよくしてもらってるので。……フェリス様のお話もたくさん聞かせてくれて」
「僕の? 悪い話じゃない?」
「いい話ばかりですよー」
綺麗な貝殻を探したい、と言うレティシアの華奢な身体を腕に抱いて、白馬から下ろした。
レティシアとふたり、手を繋いで、貝殻を探して、晴れた砂浜を歩きながら、そう言えば僕は国王だった父とも、幼い時に亡くなった母とも、海辺を手を繋いで歩いた記憶なんてないな、とフェリスは思っていた。