「ど、どうしたの、レティシア? 迷子になったの?」
レティシアが迷子になれる程度の広さはある。
「違います。フェリス様のお部屋に夜這いです!」
「よ、夜這い!?」
心底驚いて、軽い眩暈を感じかけたが、とにかくレティシアを座らせてあげないと。
何てことだ。山積している書類の山より、よっぽど強敵来襲だ。
「入って、レティシア。どうして一人なの? レティシア付きの女官たちは?」
邸内といえど、レティシアひとりきりで歩かせるなんて心配だから、あとで女官たちには言っておかないと……。
それにしても何故、レティシア、くまのぬいぐるみと一緒に来てるんだろう?
とても可愛らしいけど……。……一人で歩くの、心細かったのかな?
「夜這いだからです! 内緒で、一人で来なくちゃと思って」
ちっともわからない!
でもとりあえず、くまのぬいぐるみとバスケットを持ったレティシアはめちゃくちゃ可愛いけど、その言葉はぜったい間違ってると思う!
「僕の部屋、遠かったでしょ?」
「はい。教えてもらったとおりに来たのに、遠くてびっくりしました。どうして、私のお部屋とフェリス様のお部屋、こんなに遠いんですか? もう少し近くてもいいのに……」
レティシアはあまりの距離が不満そうだ。
「それは……もしお嫁に来たレティシアが凄く僕を嫌った場合、部屋は遠いほうがいいだろうと思って……」
歯切れ悪く、フェリスは答える。自分でもたいがい後ろ向きな性格だとは思う。
「フェリス様」
真剣にレティシアが不思議そうな顔をしている。
「フェリス様はこんなに美貌で優しい方なのに、ちょっとネガティヴ思考すぎでは……」
レティシアが小首を傾げまくっている。
「僕が人生で一番多く接した女性があの義母なので、ちいさい花嫁とはいえ、僕が女性に好かれる絵があまり想像できなかったんだ」
「……それは……とんでもない誤解です。今日だって、ディアナのたくさんの綺麗な令嬢方が、どうしてあんなちびがフェリス様の妃なの、って怒ってましたよ? あの人たちはきっとみんなフェリス様が大好きなんですよ」
「それは竜王陛下似の麗しの王弟殿下が好きなんであって、僕のことが好きなわけじゃないよ」
「フェリス様ったら! 違いますよ! 竜王陛下じゃなくてフェリス様人気です! ちゃんとごはん食べないから、そんなネガティヴな考えになるんですよ! 一緒にお夜食食べましょ? フェリス様めちゃくちゃ人気者でしたよ! 私、私は悪く言われても、私の推しが人気で嬉しかったです!」
「………? 推しって何、レティシア……?」
「きゃ! 推しって大好きな、応援してる人のことです。フェリス様は私の初めての推しなのです!」
「そうなの? 僕、レティシアの推し、なの? 推しでなくて、夫だと思うんだけど……」
推しと夫はどう違うんだろう? とフェリスは首を傾げる。
そもそもその言葉はディアナにない。聞きなれない言葉だが、サリアでは恋人や夫のことを、推しと言うのだろうか?
なんだかレティシアが楽しそうだから、まあ、僕が推しでもいいんだけど……。
「はい。レティシアは夫のフェリス様が推しという大変な幸運に恵まれましたが……、推しというものは、会えなくても、会話することはなくてもその方のことを心に思うだけで、どんなに辛い時も頑張れる、と思えるような存在なのです」
「………??? レーヴェみたいな存在???」
激しくわからなかったが、そこで竜王陛下が想い浮かぶあたりが、王弟殿下のファザコン(御先祖コン?)の病もだいぶ極めている。
「あ! そうですね。竜王陛下のような……何処か、信仰に近いのかも……」
「それが、サリアでは流行っているの?」
「いえ! サリアでは流行ってません。遠い……とても遠い遠い国の流行で……」
推しの話はちっとも要領を得なかったが、遠い国を語るレティシアの表情が懐かしそうで、とても五歳の子供の表情には見えなかった。
「何処の国?」
「フェリス様はご存じないと……」
「僕が知らない国がこの世にあるかな?」
わりと無駄に詳しいんだけど、ディアナと何ら関わりない国にも。
引き籠りの読書家であり、いつの日か誰も知らない国に行きたいものだという気持ちもあって。
「あ、あの、お話の……、そ、そう、本の中の国なのです……」
我が妃が、挙動不審だ。
挙動が不審なのはかまわない。
何か隠し事があってもかまわない。
どういうニュアンスでかはよくわからないけど、レティシアはフェリスを、好いてくれてるから。とりあえず、いまの話からいくなら、ディアナの民が竜王陛下を思うくらい、レティシアはフェリスを好いてくれているらしい……?(それ、だいぶ凄いけど)
「どんな本? サリアにしかない本なの? 読みたいな」
「もう、なくしてしまったのです。子供の頃に読んだ本で……」
齢五年の人生で、子供の頃とはどのあたりなんだ、とは思うもののフェリスはレティシアをそれ以上追いつめない。
いつかレティシアが話したくなったら、秘密を話してくれるかも知れないし、たぶん……ずっとレティシアの秘密が聞けなくても、フェリスにとってこの琥珀の瞳の姫君が、大事なことは間違いないから。
「レティシアの大好きな本だったの?」
「はい。もう、なくしてしまったけど、大事な本なのです」
くまのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめて、レティシアが言った。
それを見ていると、これからさきレティシアのその手の中から何も失われないように、レティシアがもう悲しい思いをしなくていいように、守ってあげたいな、と思った。
「フェリス様、お話に夢中で、ちっとも夕飯召し上がってなかったでしょう?」
お話に夢中だったのではなく、せっせと食べるレティシアがリスのようだな……とのんびり思っているうちに、なんとなく食べたような気になっていたのだが、また食べ忘れていたのだろうか。
「ラムゼイ料理長に、お夜食作ってもらったのです。一緒に食べましょう!」
レティシアの可愛らしい藤のバスケットはおしゃれではなく、糧食が入っているとは……実用向きなんだな……とフェリスは感心していた。
「レティシア、何か飲む?」
食事ということは、飲料もいるだろうな、とフェリスは尋ねる。
「は! 紅茶を持ってくるのを忘れてしまいました!」
意気揚々と、藤のバスケットを開いたレティシアが困っている。
「いや、レティシアは、それ以上、荷物持っちゃダメだし……紅茶がいいの? 何の葉がいい?」
「……フェリス様は?」
「うん? 僕は何でも。レティシアが飲みたいものを僕も飲みたい」
本当にそう思ったのだが、僕は何か間違えただろうか……?
レティシアが赤くなって、困っている。そう言えば、ルーファスと話していたときに、うちのレティシア、と呼んだときもレティシアの白い頬がぱああっと赤くなって、可愛かったな……。
「じゃ、じゃあ、桜の紅茶はどうかな? 春だし」
「……美味しそう」
レティシアが赤面してフリーズしてしまったので、勝手に御茶を選んでみることにした。
「……わあ!」
魔法でさらさらと桜の茶葉を呼び出して、空中に浮かせたティーポットに、銀のスプーンで数杯。お湯を注いで、暫し待つために砂時計。あとは、可愛らしいティーカップ。レティシアがとても驚いた様子で、魔法で淹れる御茶に喜んでるようで何より。
「フェリス様、いつもこうやってお茶淹れてらっしゃるんですか?」
「いや? 遅くに、家の者起こすのもな……ってときくらい」
「この御茶道具は何処から出てくるんですか?」
「これ、普通にうちの厨房のだよ。魔界から呼び出してたりしないから、心配しないで」
「し、してません、そんな心配」
レティシアが大きく首を振るたびに揺れる金髪が可愛い。
「凄い! いい匂いがします」
誰の手も借りずティーポットが自分でティーカップに紅茶を注ぐさまを、くまのぬいぐるみを胸に抱いたまま、琥珀の瞳を瞠ってレティシアは見つめている。
それにしても、このぬいぐるみ、気に入られ過ぎなのでは……?
「フェリス様」
「はい?」
レティシアとくまのぬいぐるみの座っている長椅子を奨められた。確かに、そこに僕とレティシアの二人座る幅はあるが……、だが、これは、近すぎないか?
「どうぞ!」
「……う、うん」
レティシア的に、絶対僕に食べさせたい! という熱意なのだろうか? サーモンのサンドイッチを手ずから持って、渡された。
なんだか逃げられない。
……御前試合でも、僕はこれほど圧に負けることはない気がする。
「美味しいですか?」
「う、うん、美味しい……」
「あ、またフェリス様、笑ってる」
あんまりレティシアが、僕にこれを食べさせるぞ! と真剣なので、笑えてきた。
……いや、でも、そうだよな。
真剣じゃないと、夜中に、謎の夫の部屋にくまのぬいぐるみ抱えて乗り込んで来ないよな……。
「チキンも食べてください」
「うん。食べるよ。……レティシアは?」
レティシアの一生懸命さに負けて、フェリスはチキンのサンドイッチも食べている。別にフェリスは食べられないわけではないのだ。他のことに気をとられると、つい飲食を忘れがちなだけで。必死な可愛い妃の安眠のために、このバスケットの中身くらいは平らげよう。
「私は、夕飯、たくさん食べてしまったので……」
そうだね。レティシアが食べてるのを見てて、僕も食べた気になってたくらいだしね。
「いちごのムースくらいならどう?」
「きゃー」
レティシアの喜びそうなものを出してみる。
こんなに喜んでくれると、魔法も甲斐があるなあ……。
「あの、フェリス様、明日、厨房の方たちが、困りませんか?」
「レティシアのお夜食隊で、僕が食欲湧いてたくさん食べたって、みんな喜ぶんじゃない?」
「そうですね! 厨房の皆さん、フェリス様の健康を心配してらっしゃるので……!」
凄いよね。ここに来て三日くらいなのに、もう厨房メンバーと連携あるらしい、レティシア。
僕の奥さん、実はとても有能なのでは……。
「フェリス様」
「何?」
「ディアナの方は、お米は食べますか?」
「お米? 食べるよ? ディアナ東部とかは、お米が主食だよ。お米が好きなの、レティシア?」
フェリスの言葉を聞いて、レティシアの琥珀の瞳がきらきらと喜びに輝いている。
そんなにお米が大好きなんだろうか? では、お米をたくさん取り寄せてあげないと……。
「はい。私、お米大好きなのですが、お米の簡単な料理があるのでそれを作って、フェリス様に食べて頂きたいなと」
「ホント? レティシアが作ってくれるの? 楽しみだな」
「あ、あの、本当にとても簡単な料理なのですが……」
「うん。何でも。レティシアの手作りなら、喜ぶよ」
レーヴェが覗いてたら、幸せに輪郭溶けかけてるぞ、フェリス、と絶対からかわれる。
「フェリス様、ちゃんと食べてるー」
「合格?」
「はい! 合格です!」
可愛……、ああ、なんか、美味しいかも……。
フェリスはあまり食べ物に感動を覚えない残念な男なのだが、サンドイッチ食べただけで、こんなに幸せそうな笑顔向けてもらうと、食べてるものも、不思議といつもより美味しく感じる……。
これ、逆の立場じゃないのか?
レティシアはこんなに小さいんだから、僕がレティシアがちゃんと食べてるか心配してあげなくてはと反省しつつ、まるでフェリスが生きてるだけで嬉しい、みたいな顔をされると、それはやはり嬉しい。
フェリスとて、こう見えても、人間なので。
(どうしておまえはここにいるの?)
(何故、おまえは生きているの?)
それは言葉にならない悪意で。
昔は、義母上は、もう少しフェリスへの悪意を抑えようとする理性があった。
ああいけない、そんなことは思ってはいけない、と自制をかけようと苦労してた。
必要以上に魔力が高いので、少年のころから、そんなことを肌で感じて育った。
だから、フェリスとしても努力してた。
できるだけ、義母上たちの邪魔にならないようにしよう……と。
学問も、剣術修行も、魔法修行もフェリスは好きだったので、とりあえずそれらに没頭していた。居場所がなくても、何かに没頭しているあいだは、纏わりつく悪意から自由になれて気も紛れる。それに没頭してると、それなりの成果が出て、そこに居場所もできてくる。
だが、フェリスが竜王陛下に似てくるに従って、義母上が悪意を制することができなくなっている。
貌がレーヴェに似てしまったことに関しては、さすがにフェリスの力ではどうしようもない。
最果ての森で魔術師の夢も、戯言ではおさまらず、フェリスが何処かよそに、義母上がフェリスの顔を見なくていい処に行ってあげなければもう無理なんじゃないか、という気がしてる。
「そうだね、お米の……東ディアナの水田とか……、ああ、西の領地の薔薇畑でもいいかな、連れて行ってあげたいな、レティシアを」
ディアナ国内だとフェリスの領地のあるところとか。国外の何処か景色のいい処にレティシアと旅に行くのも楽しそうだけど。
「………! 行きたいです!」
「田舎、大丈夫? 虫がいっぱいいるよ」
「私、美味しくないから、そんなに嚙まれません」
「いや、そんなことはないと……」
自信満々なレティシア。何故、そんなに美味しくない自信が。
「きっと、連れてってくださいね。……今日、なんだか……」
「ん? どうかした?」
レティシアの表情が少し沈む。
「フェリス様が一人で何処かへ行っちゃいそうな気がしたので……」
「……今日? いつ?」
「……王太后様とお話……してたとき」
言いにくそうに、レティシアが言う。
そうか。
これはやっぱり諸々心配して、レティシアは夜襲して来てくれてるのか。
面目次第もないな。
知らない王宮で、ずっと僕より不安だろうレティシアに心配して貰って。
「何処にも行かないよ。何処か行くときは、レティシアも一緒に連れていきたいな」
いまのところは予定してないが、もう何もかも嫌になって失踪するにしても、諸事万端、後任に仕事内容わかるように申し送ってから、失踪したい。性格的に。
「はい。フェリス様と一緒に田舎暮らし、してみたいです。フェリス様に田舎は似合わなそうですけど……」
「そんなことないよ。洞窟とか山奥とかずっと籠りたいタイプだから……」
「それは田舎というのとはちょっと違うような……」
桜の紅茶と、いちごのムースの甘い香がする。
とりあえず、人生は相変わらず、ちっとも思うが儘にはならないけど、フェリスがご飯を食べない、と心配してくれるこんなに可愛い人が、ここにいてくれる。
これ以上の贅沢はないかもしれない。
「レティシア」
「ど、どうされました、フェリス様?」
フェリスが長椅子を降りてレティシアの足元にひざまずいたので、レティシアが不思議そうに見ている。
「改めて、御茶会の詫びを。初めての挨拶だったのに、義母上が妙なこと言って嫌な思いさせて、申し訳なかった」
むしろ、今夜、僕が、レティシアのところへ訪れるべきだった。
こちらの義母(諸説あるが、形式上、義母には違いない)の無礼なんだから。
「フェリス様が謝ることでは……」
ぷるぷるぷるぷる、レティシアが首を振る。
フェリスを責めないちいさな姫君。
こんなふうに許されることに、フェリスは慣れてない。
「あの場でも言ったけど、王太后が何と言おうと、僕は妃は一人しか持たないから」
母が寵妃であったため、母もフェリスも、どれだけ不愉快な思いをしてきたか。
いま、現在もしているか。言葉に尽くしがたいし、尽くしたくもない。
「あの……あの……フェリス様」
「うん?」
「私達は、互いの家の意図で結婚するので」
「うん」
「王太后様のお話は謹んでお断りしましたが、もしもフェリス様がどなたかと真実の恋に目覚められたら、そのときは御遠慮なく、私を離縁して頂いて……!」
この世界でたった一人、僕を守ろうとしてくれる小さい姫は、あらゆる意味でおもしろい。
ぬいぐるみ抱えたまま、何を真剣に言い出すのかと思ったら。
「僕はレティシア一途なのに、レティシアは僕を捨てる気なの?」
「いえ! そうではなくてですね、決して私がフェリス様を独占して、御心の自由を縛ろうとか、そういうつもりではないことを……」
「でも、レティシア、すぐ離縁したがってない? やっぱり、こんな変人の花嫁は嫌で……」
「違います! 私にはもったいない方ですので、いつもフェリス様の幸せを望んでるのです!」
「いま、僕、幸せなんだけどな、とても」
「いま?」
「うん」
「いまですか? サンドイッチ、そんなに美味しかったですか?」
小首を傾げるレティシア。
「うん。配達の妖精さんが可愛くて、美味しさ増した」
「妖精とは程遠いですが、ではまた配達しますね。フェリス様のお部屋覚えましたから」
「楽しみだけど、夜這いは言葉間違ってるからね。……未婚にかぎらず、女性が夜這いの悪習に苦しんでる地方もあるから、その言葉はレティシア、使ってはダメ」
「………! はい、殿下」
「ごめんね。叱ったわけじゃないからね。それが戯言になるくらい、不安のない夜にしていかないと……なんだけどね」
なかなかそうはいかない。
義母上にかぎらず、他人なんて農民であろうと貴族であろうと、そうそうフェリスの想定通りにはならない。
もちろんレティシアも、フェリスの想定外の動きだらけなのだけど。
「あの、フェリス様。フェリス様が下さったこのくまさん抱いてると悪い夢を見ないので、今夜はこの子をフェリス様に御貸ししようかと」
「……? これを僕に……?」
「変ですか? みんな笑ったけど、ホントに悪い夢を追い払ってくれて有能なんですよ、このくまさん……フェリス様、笑いすぎですってば」
レティシアの想定外は、たいがい微笑ましすぎて、フェリスはいつも笑い崩れる。

笑い上戸のフェリス様が、チェスでもする? この部屋、あまり女の子の喜ぶものはないんだけど……、と誘ってくれたので、レティシアは頷いた。
フェリス様ってまるで日本人みたい。自邸のお部屋の中にまで、お仕事の書類らしきものがたくさん……と思ってた。
ふたりで初めてチェスをして、ほんのひとくちだけ、レティシアも甘い桜のお酒を舐めさせてもらった。
くまちゃんの真価を、フェリス様にも理解させられないのが無念……偉大なのに……。
ディアナ、お米あるみたいだから、おにぎり作ろう……。
レティシアの手、ちっちゃいから、ちっちゃいおにぎりになるかな……?
梅干しってあるのかな? うーん、梅干しはなくても、鮭はあるよね、きっと……。なかったら、何かおいしそうなもの、つめる……。
いつも作って、厨房の戸棚に置いといたら、フェリス様、お腹減ったとき食べるかな……?
たどたどしい手つきでチェスを指しながら、琥珀色の瞳の姫君は、おにぎりの具について悩んでた。

「う……、ん……」
レティシアは、おひさまの気配を感じて、白い瞼を震わせる。長い金髪がもつれてくる。眠い目を擦りながら、起き上がろうとする。
「んー……よく寝た……、ひゃうう!?」
レティシアのものではない、金色の髪。レティシアの隣で、白い瞼を閉じてベッドに横たわる、精巧なつくりの人形のような美貌の主。
「フェリス様だー。よく寝てるー」
ということは、フェリス様を安眠させたい! 作戦は、成功みたい。
「レティシア、起きた?」
「フェリス様、私、昨夜……?」
手加減して貰ってるのに、チェスに勝てない、と思ってたあたりから記憶がない。
「昨夜ね、レティシアが、僕が眠るまでお部屋に帰らない、って言ってて。レティシアを寝かしつけてお部屋に運ぼうかなと思って寝たふりをしてたら、僕も眠ってしまったらしい」
「悪い夢は見ませんでしたか?」
「うん。レティシアとくまのぬいぐるみのおかげ、かな? 久しぶりによく眠った」
「やっぱり! くまちゃん、偉大なのです。いい仕事するのです」
「………、………」
「あ、フェリス様、笑っちゃダメ」
「……くるしい、笑いを堪えるのが」
シーツに肘をついて、フェリスが笑いの発作に耐えている。フェリスの乱れ髪も目に新しい。
「……フェリス様? 起きてらっしゃいますか? 女官方が、レティシア様がお部屋に戻っていらっしゃらないけど、フェリス様のところにいらっしゃるかと心配されて……」
ドア越しに、レイらしき声がする。
「きゃー! 心配かけてしまいました」
予定では、お夜食提供して、フェリスがやすらかに眠ったところを確認して、レティシアは自室に退却予定だったのだ。
「レティシアはここにいるから、皆に心配しなくていいって伝えて。……レティシア、部屋に送っていくよ。この部屋には、レティシアの着替えがないから」
「お、お手数を……」
何だか、朝帰りだ。同じ邸内といっても、すぐ隣のお部屋ではないから……。
「ううん。お夜食と安眠をありがとう」
レティシアの白い額に、フェリスのキスが触れる。ううう。フェリス様、人嫌いとか言いながら、こういうキスの仕草はやたら慣れてるの何故……。

「レティシア様!」
「レティシア様、御無事で、ようございました!」
フェリスに送られて、レティシアが自室に戻ると、慌てふためいた様子のリタとサキが駆け寄ってくる。
「ご、ごめんなさい、心配かけて」
皆に心配かけてるのに、フェリスの部屋で、気持ちよく眠ってしまっていたレティシアは反省する。いつももう少し早く目が覚めるのだが、昨日はフェリスと二人で夜更けまで遊んでいたので、寝坊してしまった……。
「いえいえ。フェリス様のところでお休みだったのなら、よいのです」
「はい。フェリス様とご一緒ならいいのです。レティシア様が、御戻りの途中で迷子になったりしていらっしゃらないかと、私共、慌ててしまっただけで……」
大反省だけど、リタもサキも昨日も今日も、まるでずっと一緒にいた女官みたいに、レティシアのことを心配してくれて、嬉しいなあ。
「僕が、レティシアは僕の部屋にいるよ、って連絡しておけばよかったね」
フェリスが一言、詫びてくれる。
「とんでもありません、フェリス様。おつきの女官たるもの、慌てず騒がず、状況を把握できてなくて、失礼いたしました」
「御二人で、楽しい夜になったようで、何よりでございます」
二人が綺麗にフェリスに礼をする。
「うん。ありがとう。レティシアの意向を叶えてくれて。レティシア、着替えておいで」
「はい」
御顔洗って、少しは綺麗にしなければ。
何故フェリス様は、起き抜けから、髪を梳かしたわけでもないのに、輝いてるのかしら。
「レティシア様、いかがでしたか?」
「フェリス様、お夜食喜ばれましたか?」
フェリスが立ち去って、レティシアの部屋に入り、レティシアとサキとリタだけになってから、いつもの鏡の前で、綺麗にして貰いながらの報告会。
「うん。フェリス様、お夜食、美味しかったって。……サキ、どうしたの?」
「いえ、坊ちゃまも大人になられたものだ……と感慨が」
鏡の中、レティシアの金髪を梳かそうとブラシを持ってるリタの隣で、嬉しそうなサキは拝むように両手を組んでいる。
「ごめんね、二人とも。夜のあいだに帰るつもりだったんだけど、フェリス様とチェスしてたら、いつのまにか眠っちゃったみたいで……」
「いえいえ。フェリス様のお部屋においででしたら、私共のことは何もお気になさらず」
「初めてのお泊りですね、レティシア様! どうでしたか、フェリス様のお部屋?」
リタが若い娘らしく、ちょっとはしゃいでいる。
「これ、リタ……」
サキが諫める。
「フェリス様のお部屋は、フェリス様のお部屋って感じだった」
「………?」
「………?」
「なんかね、凄く綺麗で、真面目で、優しくてちょっと寂しそう……かな」
あんなにお仕事の書類、お部屋に持ち込んでちゃダメだと思うの。
そんな年中睡眠不足のワーカーホリックは、うっかり、車に轢かれちゃうんだから(実体験)。
「でもきっと、昨夜は寂しくなかったでしょう、フェリス様も。……レティシア様も、髪もお肌も輝いてますよ。また何か、フェリス様に治療魔法かけて頂いたのですか?」
「ううん? 昨日は何も。二人でたくさん寝たからじゃないかな?」
フェリス様の贈り物のくまちゃんも偉大だけど、フェリス様本人も偉大なのかも。
安眠の守り人として。
「フェリス様、お夜食喜ばれたって聞いたら、料理長も喜びますよ」
「うん! 凄く美味しかったって言ってたって伝えて! またお夜食持ってく約束したから」
お夜食運ぶの楽しかったけど、フェリス様の部屋、隣ならいいのになーとレティシアは思った。
ふと、「もしもレティシアが僕を嫌ったら、部屋が遠いほうがいいだろうと……」と答えたフェリスを思い出した。
フェリス様は全然信じないけど、フェリス様は愛され体質なのに!
自信過剰なオレ様は苦手だけど、フェリス様はもう少しドヤってもいいと思うの……と勿体なく思う。
でも人間、近しい人にずっと否定され続けると、自信を削られまくるから。
これからは、お義母様より、レティシアがフェリス様の近くにいられるといいな。
たいへん微力ながら、レティシア、推して推して推しまくるので。
本来、フェリス様のものであるべき、正当な自信を取り戻して欲しい。

「フェリス様。レティシア様は、夜に御一人で、フェリス様の部屋にいらしたのですか?」
「うん。僕が夕食あまり食べてなかったと気にして、夜食持ってきてくれたんだ」
何もしなくても朝から輝いているとレティシアを驚かせたフェリスだが、流石に鏡の前に座って、レイに身繕いしてもらっている。
自分でやるよ、と言うのだが、フェリス様は何事に関しても細やかな方なのに、こと自分のことは恐ろしく省略しようとなさるからダメです、と言われている。
「お夜食?」
「レティシアが、ラムゼイに作らせたんだって」
「何と。いつのまにそこに連携が」
「糧食の確保って重要だから、レティシア、一兵卒として軍隊入ったら、すぐ小隊長に出世しそうだよね」
「フェリス様……どうして話がそちらに……。姫君の資質を評するには、もう少しそれらしき優雅な表現がある筈ですよ……」
レイが、我が主人ながらなんともかんとも、という顔をしている。
「ああごめん。ついそっちを思っちゃった」
「とはいえ、確かに、レティシア様は名将です。あんなに可愛らしい方が、まさかのあの王太后様を迎撃されましたから」
「ね。当主の僕よりずっと勇ましいよ、うちのちいさなお姫様は」
しかも同胞に、目に見えない損傷がないか、戦場離脱後も気にしてくれる。
あんなに小さいのに、だいぶフェリスより優秀だ。見習わなくては。
「でも、無防備だから、ちゃんと気をつけてあげないと……」
昨夜、フェリスはきちんとレティシアを部屋に送り届けるつもりだったのに、あんまり幸せで心地よくて、そのまま寝てしまった……。
このあいだレティシアに魔力を与えたときのように、何かレティシアから力が流れて来たのか、やけに身体が軽い。いつもの義母上と逢ったあとの疲労感がまるでない。
「左様ですね。純粋なレティシア様のよきところが損なわれない様に、うまく宮廷慣れしていけるとよいかと……」
かろやかなぱたぱたする足音と、明るい笑い声と、レティシアの使ってる石鹸なのか香水なのかやわらかな花の香りが、いまだこの部屋に残るような。
「よきお披露目となりましたよ。王弟妃は、何もかも母后の言いなりにはならぬという。フェリス様の側妃になりたかった姫君には残念でしょうが……」
「本気でそんなつもりの姫なんていないよ、ただの気分の悪い余興だよ。……それより、レイ、レティシアがお米好きらしいから、お米たくさん仕入れてあげるように手配しておいて」
「お米ですか? かしこまりました。レティシア様、随分、大人びた好みでいらっしゃいますね」
「うん。何か簡単なお米の料理、作ってくれるって言ってたよ」
「ほお。お米の料理ですか……どんなものでしょうね?」
「どんなものか予想できなくて、僕も楽しみだ」
フェリスは変人の風評はかまわないが、レティシアの名誉の為に、あまり夜に部屋に来させないほうがいいのではと思うのだが、レティシアとふたりの時間がフェリス自身もとても楽しかったので、我が家の気紛れな姫君の来訪をとても拒めそうにない。