くまのぬいぐるみとお夜食

「おかしくない?」

「とても可愛いらしいですわ。襟元とお袖口のそのレースは、セレンディールの職人の手によるもので、本当に繊細なんですの」

お寝間着。このレティシアのお寝間着の製作費用だけで、社畜の雪なら、一か月以上暮らせそう……。

新婚の妻ではあるものの、レティシアの寝間着は可愛らしくて、寝心地のいいもの。

「レティシア様、御一人で平気ですか? お荷物もありますから、私共が途中までお持ちしましょうか?」

「ううん。軽いから大丈夫。私一人でいって、フェリス様、驚かせようと思って」

「それは驚かれますとも」

「きっとフェリス様、喜ばれますわ」

今夜のレティシアは! フェリス様に夜這いをかける予定!

夜這いといっても、夜伽目的ではなく(そんな機能は未装備です)、フェリス様がレティシアが食べるのをニコニコ見守りつつ、ちっとも御夕飯食べてなかったから、フェリス様のお部屋に、お夜食を持っていこうと思うのだ。料理長に、美味しそうなサーモンやチキンのサンドイッチなど作って頂き、可愛いバスケットに詰めてもらった。

一食くらいぬいても死なないとは知ってるけど、今日は御茶会で嫌な思いもされたから、夜、フェリス様を一人にしときたくないなーって……勝手に遊びに押しかけるつもりなのだ。

押しかけパジャマパーティー予定!

ディアナの人はお米、食べるのかな?

お米、手に入ったら、レティシアもフェリス様に、おにぎりとか作ってあげたいな。おにぎりなら食べるのも簡単で、気に入るんじゃないかな。

こちらで生きて二度目の家族だけど、フェリス様は不思議と、何かしてあげたい気になる。

なんだろう……、凄く何でもできる人なのに、大丈夫、問題ないよ、とか言って食べるの忘れて、何日も平気な顔でひとりで仕事してそうで……。

今日みたいに凄く傷ついてるときも、何でもないふりで澄ましちゃうとこが、心配。怒りたいときに怒れなくて、泣きたいときに泣けないと、どんどんどんどん降り積もっていってしまう……。

「レティシア様、そちらのくまさんも持って行かれるんですの?」

「うん。この子凄く安眠にいいから、フェリス様に貸してあげようかなと思って」

レティシアの手には、フェリスから贈られたぬいぐるみ。

「……そ、それは……」

「す、すみません、レティシア様のお姿が可愛すぎて……」

リタとサキが笑いを堪えて震えている。

「もー、みんな、信じてない! ホントによく眠れるんだよ、この子と一緒だと」

「も、もちろんです。それを祈って、レティシア様の為に、フェリス様がその子を御用意されたのですから」

「可愛らしかったですよ。遠くから一人で嫁に来るレティシア姫の為に何を用意してあげればいい? って悩んでらしたフェリス様。フェリス様御自身が子供の頃一番嬉しかったのは、同じ歳の子はちっとも喜ばないぶ厚い魔法書だったり歴史書だったりで、いまも昔も、僕には普通のその年頃の子の喜ぶものがわからない、って困ってらして」

「フェリス様、最初に逢った時も、私の気持ちを聞いてくれてたの」

相手の気持ちを考える、って人付き合いの基本だけど、フェリス様クラスの身分の人で、それができる男性はそんなに多くないと思う。

だって、何なら誰の気持ちも考えなくても一生許されちゃう立場なので。

生まれながらの王子様で、しかも神様似って……。

「うん。行ってくる。フェリス様に怒られたら、みんな慰めて」

「そんな筈ありませんわ。怒ったりなさいません」

「でもとっても驚かれるとは思います」

「驚かすつもりだもん!」

レティシアは右手にバスケット、左手にくまのぬいぐるみを持って立ち上がる。

いざ出陣!

そんな可愛いらしい攻撃力の高い戦闘機の来襲予定は知らず、フェリスは自室でレーヴェとのんびり語らっていた。


「ねぇ、くまちゃん、みんな笑いすぎだよねー。くまちゃん凄く偉大なのに」

うんしょ、うんしょ、とバスケットとくまのぬいぐるみを抱えて、レティシアはフェリスの部屋を目指す。皆が心配したように、レティシアの身体が小さいので、ふたつも荷物を持つと、なかなか進まない。そして、御邸が広すぎて廊下が長すぎる。フェリス様のお部屋、遠い!

なんと、今夜はフェリス様の部屋に夜這いだ! と夕食後にとっても名案を思い立ってから気づいたのだが、レティシアはフェリスの部屋の場所を知らなかった!(ひどい)

王弟殿下の正妃なのに、王弟殿下の部屋の場所すら知らない。

それ、どうなの?

善意でも悪意でも、思い立って逢いに行こうと思っても勝手に行けないじゃない!

だけど、まだフェリス様の宮に来て一週間も経ってないしね……、と気を取り直してリタやサキや料理長に相談して、身体によさそうなお夜食の準備などを整えて貰った。

皆はレティシアの計画に驚いたけど、とっても喜んでくれた。

「レティシア様は、立派なお妃様になられます。フェリス様のお食事のことを気にかけてくださる姫がいらしてくださって、私たち厨房の者は本当に嬉しいです」

料理長ラムゼイが白い髭を揺らしながら、本当に嬉しそうにそう言った。

きっと、みんな、フェリス様の心配してるけど、御主人だから、きつくは言えないんだよね。

「竜王陛下ー、フェリス様のお部屋への夜這い成功を応援してくださいね!」

竜王陛下のタペストリーの前でお祈り。

ああ、なんだかやっぱり落ち着く、竜王陛下のとこ。

きっと今日、ドレスの戦闘支度大変すぎて、竜王陛下にお祈りしてくの忘れたから、御茶会があんなことに……。

「竜王陛下、王太后様が、フェリス様に意地悪しないようにしてください。私にも意地悪しないようにして欲しいけど、何なら私は多少我慢できますので。フェリス様のほうが辛そうです」

あの、空間を振動させるほどの深い哀しみ、痛み、怒り。それはやっぱり、血の絡みがある一族だからだろうなー。

レティシアも今日は、いきなりとんでもないこと言われてびっくりはしたけど、哀しいというのとはまた違う。

何を言ってるの!? レベル。

レティシアにとっては、王太后様はこれからお義母様になるものの、まだ初めて逢った人でこれまでの思い入れはそんなにないから。

レティシア的には、直近でいうとそれまでは優しかった叔父様たちが、お父様お母様が亡くなった途端に、レティシアへの態度が豹変したほうが衝撃だった。

それはこれまで、よく知ってる、親しいと誤解してた人の裏切りだったので。

ああ、ダメダメ。

それは思い出しても、どうしようもない。

いやなことは思い出さない。

レティシアは、これからはここディアナで、フェリス様と生きていくのだ!

「竜王陛下?」

ぷるぷるぷるぷる、嫌なことを思い出して金色の髪を振ってたら、ふわん、と何か柔らかい優しい風が、レティシアを取り巻いた気がした。

「竜王陛下ー。竜王陛下は御顔もフェリス様そっくりで素敵ですけど、アリシア妃一途なとこも大好きです!」

願わくば、竜王陛下のように、って王太后に言った時の、そこだけは優しかったフェリスの声を思い出した。

(ありがと。オレもちびちゃん大好きだよ。早くフェリスの部屋襲撃して、うちの子孫、喜ばしてやって)

いつもの幻聴が聞こえたような気がしたが、きっと竜王陛下も応援してくれてるんだー、とレティシアは呑気に解釈して、くまのぬいぐるみとともに、フェリスの部屋へぽてぽてと進軍を再開した。


こんこんっ、と扉を叩く音がした。

「入っていいよ」

フェリスはレーヴェと話したのち、治水工事の報告資料を読んでいた。先日の水害で壊れた水路の修繕の報告だ。

先ほどレーヴェに話していたリリアの僧の度を過ぎた振る舞いの報告書も気になる。あまりに悪質なので、リリアの僧の布教に対しては、最近、強い規制をかけている。

領主の仕事にしろ、官吏の仕事にしろ、大半はこういう人々の生活を影で地味に支える仕事である。山積みの書類が嫌いな人にはおそらく向かない。

皆が喜んでくれるのは、式典の日に着飾って、正装で馬を操る美しいフェリスの方だけれど。

「……? レイじゃないのか?」

入室の許可をしたが、訪問者が入って来ない。

レイかと思ったが、サキがレティシアの様子でも話しに来てくれたんだろうか? それかだれか家の者で、フェリスの部屋に直接来るのに慣れない者だから、勝手に入るのを遠慮しているのか?

不思議に思って、フェリスは書類をおいて、ドアを開けに行った。

家の者には、仕事上の疑問点や気になることや報告したいことがあるときは、遠慮なくフェリスの部屋を訪れるように言ってあるのだが……。

「フェリス様!」

「……レティシア!?

フェリスが扉をあけると、月光を浴びて可愛らしい金髪の天使が立っていた。

正確には、レティシアがバスケットとくまのぬいぐるみを抱えて、一人で立っていた。