誰もがその場にいたとしても、何を想うかは千差万別
「フェリス様」
レティシアにドリンクを、とフェリスが歩いていると、美しい御婦人に呼び止められた。
「ご結婚お祝い申し上げます。先ほどの王太后陛下への御言葉、聞いておりましたすべての女子が胸を熱くいたしましたわ。これほどにフェリス様に思われて、レティシア姫、何と羨ましい」
幼くして嫁に来て、相手は十二歳も年上のうだつの上がらない王弟で、しかも変人。
婚家先の義母ときたら、結婚式の前から、側妃を選べと言い出す。もはや妖魔の女王みたいな人でもですか? とも言えず、フェリスは曖昧な表情をしていた。
いつも、何といったものだろう、と思って、結局何とも言えないのだが。結果ついた渾名が、氷の王弟殿下なのだが、氷も何も口が下手なだけだと言いたい。
下手というか、話ができない訳ではないのだが、何かと微妙な話が多すぎるのだ。
「ありがとう。妃はこちらに不慣れなので、どうか優しくしてやってください」
「はい。私、レティシア姫を好きになりました。私よりずっと年下なのに、とても勇敢な方です」
「勇敢……」
御令嬢は輝く瞳でレティシアを褒めていて、嫌味という訳でもないらしい。
確かにレティシアは勇敢である。
いまだかつて、マグダレーナ相手に、いや! と啖呵を切った人をフェリスは見たことがなかった。
「結婚式がこれからなのに側妃なんて、と思いましたけど、怖くて誰も王太后様にそんなこと言えませんもの。私も着飾って参れと父に言われて参りましたけど、馬鹿みたい、幾ら何でもお相手のお姫様に失礼よ、ふざけた話だわ、と思ってました。レティシア姫がお断りになられて、正直すっきり致しました」
「何というか……、迷惑をかけたね」
「いいえ。おかげで姫への愛を語るフェリス様を拝見できました。竜王陛下がそこにいらっしゃるようでとてもお美しかったです」
レーヴェ……。レーヴェなら何と言ったろう? もっとうまく言えたろうか?
いやでも、レーヴェ本人でもやっぱり、「いらん。オレの妃は一人だ。結婚式前に、余計な世話にもほどがある。おまえは悪い酒にでも酔ってるのか? まあ少し落ち着け。水でも飲め」としか言わない気がするが……。
「みなフェリス様に愛されるレティシア姫を羨ましがって、だいぶ妬いてもおりますが、集められました私達も、御式の前にこれはやりすぎでは、と思っていたこと知って頂きたくて。……もちろん、みな、フェリス様のたとえ一夜のお相手でもかまわない、と麗しの王弟殿下に恋焦がれておりますけどね」
「ありがとう。もしよかったら、レティシアが困っていたら、助けてやってくれると嬉しい。……どちらの令嬢だったかな?」
「レイス公爵家のクリスティーナと申します。……はい、殿下。わたくし勝手にレティシア様のファンになりましたので、私にできることなどささやかですが、御力になれたら嬉しいですわ」
何処まで本当かわからないが、レティシアの振る舞いを咎められるのではなく、褒められるのは素直に嬉しい。
たとえ、あの場の誰にも褒められなくても、フェリスにとっては、黄金よりも価値のある一言だったけど。
初めて逢ったときの蒼白の表情でフェリスの前に現れたレティシアは、邪神の供物の幼い少女はかくもあらん、という有様だった。
幼くして、何もかも諦めてしまったような瞳が、フェリスに似ていた。
少し話してみると、レティシアは多様な表情を持つ、大人のようなことを言う少女だった。
よく笑い、よく食べ、いつも突拍子もないことを言い出す娘。
けれど、レティシアは、誰よりも強気な娘などではない。格別、豪胆な娘でもない。
レティシアはただあの娘のせいいっぱいで、フェリスの為に、王太后に抗ってくれたのだ。
(フェリス様の心はフェリス様のものです!)
この国で、十七年間生きてきて、まさか、あんな小さな姫君が、フェリスを義母から守ろうとしてくれるとは……。
「嘘みたいな話だな……」
レティシアを褒めてくれた令嬢とわかれて、御茶会のゲストを見渡す。
明るい陽光の下で笑いさざめく、着飾った美しい遠い人々。どんな美しい女にも男にもフェリスの心が動いたことはない。
それはフェリスが、誰も自分と似てるように思えなかったからだ。
竜王陛下の血が、どうこうと言うのではない。
誰もかれもがフェリスから遠く思えて、恋などという気持ちを覚えたことがなかった。
フェリスだけは、何か、人としてきちんと生まれ損なった化け物か何かのような気持ちだった。
レティシアには笑い話として話したが、魔法省の塔を壊したときに強く思った。
子供の頃は無力さに苛立っていたが、長ずるにつれ、学ぶにつれ、フェリスは意図することなく、ほぼ何でもできるようになった。
人より強いフェリスの魔力を、これ以上高めて、どうしろと言うのか?
いまだとて義母上の不愉快な仕打ちを受け流して生きてはいるが、やらないだけで、きっとフェリスは跡形もなく、マグダレーナをこの世から消すこともできる。
恐らく、右手ひとつ捻る必要さえないだろう。
それに気が付いた時、むしろ怖くなった。
この魔力が、フェリスの身体に流れるレーヴェの血の力だとしたら、きっとディアナを守るために使うべき力だろうと、基本的にディアナの為にすべての力を使っている。
でも、ときどきひどく空しい。
フェリスは何の為に生きて、いったいこれは、誰の為にやっていることなんだろうと……。
さっきも王太后の言葉に、怒りのあまりに、
フェリスは自分がされて嫌だったことを、他人にしたいとは思わないが、王太后は父が側妃を持ったことをあんなに恨んだ癖に、フェリスに側妃を持たせたいらしい。
意味不明すぎる。
それでその側妃に、フェリスの子でもできれば、また義母上が困るんだろうに。
血の気が引いていくような、この世にフェリスを繋ぎとめている糸が切れていくような気持ちでいたら、レティシアの白い手に、手をぎゅっと握られた。
あたたかい、ちいさな手。
レティシアは魔力が強いから、なにがしかフェリスの身に異変を感じたのだろう。
この世にフェリスを繋ぎとめる、あのしろいゆびさき。
レティシアは親を失っただけでなく、それまでにも、ひどく苦労をしているようなのに、どうしてあんなにゆがんだところや、よどんだところがないんだろう……?
小さくとも、フェリスがレティシアの年頃には、もうだいぶやさぐれかけていたが……。
「フェリスさま」
レティシアの指先に指をふんわり繋がれて、レティシアの優しい声で呼ばれると、不思議とフェリスもちゃんとした人間のような気がしてくる……。

「王太子殿下!」
レティシアとルーファスがいちご水を飲んでいるところに、半泣きの女官たちがルーファスめがけて走ってきた。
「ルーファス様! お探ししておりました! 御無事で何よりでございます!」
「あ、ああ、アンナ。よく見つけたな」
ルーファス王太子が大きな瞳を瞠っている。
「さきほど、フェリス様が魔法にて私共にお知らせを下さり……、フェリス殿下まことに、まことにありがとうございました」
「ポーラ王妃より義母上は厳しいから。ルーファスが危ないことしないように、気にかけてあげて」
「はい、フェリス様。王太子殿下の御姿を見失い、我ら一同、寿命が縮む思いでございました」
「……悪かった」
おお。魔法って、そういうことも出来るのかー。便利!
この世界にはまだスマートフォンがないから、離れたところにいる人と連絡とるの、ちょっと大変なんだよね。
「フェリス様」
「何、レティシア?」
ルーファスと王太子付きの女官達がきゃあきゃあと感動の再会を喜んでるのを横目に見ながら、
レティシアはそっとフェリスに耳打ちする。
「あのね。このいちご水美味しいから、飲みませんか?」
ここを離れる時点では、フェリスとレティシアは二人だったから、フェリスは二人分の飲み物をとってきてくれた。いざ戻ってみると、かくれ鬼が始まっていて、甥っ子の王太子がいたので、当然のごとく、フェリスは飲み物をレティシアとルーファスの二人に与えた。
フェリス様の分がなくなっちゃった……とレティシアは大変にちいさなことを気にしていた。
こんな華麗な人に、ねーねー、これ、はんぶんこ、どう? とは勧めにくい……のだが、たりなくなっちゃった……フェリス様の分もいちご水……と、凄ーく他愛ないことを思っていた。
ほんのついさっき、義母殿と窮鼠真剣一番勝負! をやってたとは思えない呑気さで。
「レティシアの飲んでるものを、僕に?」
「……あ、あの、私の飲みかけ、汚かったら、ぜんぜん無理しなくてよくて……」
わーん! 恥ずかしい!
なんかね、なんかね、サリアで叔父さん一家にレティシアの分だけない、ってのを結構やられたせいか、自分の分だけないの苦手で……。
もちろん、フェリス様は飲み物になんか全然不自由してないし、あ、それこそ魔法ですぐ、ぽーん! って取り出せるのかもだけど……。
「ありがとう。僕は、そんなこと言って貰ったの、初めてだ」
フェリス様がまた笑ってる。うん。フェリス様、王子様だからね。それは言われないと思うの。
いいの。また笑われちゃったけど、笑って貰えて何よりなの。
フェリス様の気配が暖かくて何より。
先刻、王太后のところにいたときは、なんか凄まじく冷気が巻いて来てたし……。
このせいで、氷の美貌の王弟殿下なの? って思ったくらいに……。
「甘い」
レティシアからグラスを受け取って、フェリスがいちご水をひとくち飲む。
同じ赤い液体がフェリスが持つと、高級なお酒のように見えるから不思議だ。
「レティシア」
「はい」
よかったー。ちゃんと、半分こできたー。
いや、どっちかっていうと、フェリス様、気を遣って飲んでくれたのでは、だけど……。
「僕は、レティシアと結婚できるのが嬉しいよ」
……いちご水、はんぶんこしたから?
よくわからないけど、フェリス様がとても幸福そうなので、レティシアも嬉しい。
「……? 私も、フェリス様と結婚できてうれしいです」
だって、現実的な年齢差はおいといて、だいぶ挙動不審なあやしげな幼女(with雪)にたいして、こんなに理解のある殿方は、きっとほかにはいないと思うの。
「まあ、見て、サリアのお姫様……、いつのまに、ルーファス王太子殿下とまで仲良く……」
「何と……さすが、あのフェリス王弟殿下を虜にした方は、お小さくても私共とは違いますね」
何を言うとるのじゃ、五歳児相手に。
フェリスと、ちゃんと顔は出したし、疲れ果てたしもう宮に帰ろうか、という話になって王太子と三人連れだって中庭に戻ると、美声じゃない雀が囀っている。
ルーファス王太子は、女官からの逃亡を諫められたものの、大好きなフェリス叔父上に遊びに来ていいと許可を貰ったのでご機嫌だった。
レティシア的にも、ルーファス王太子様が遊びにいらしたら、フェリス様、最高ですよね、な、そう思うだろ、って同担トークできるかしら、と楽しみではある(だいぶまちがい)。
大失敗しちゃったけど、王太后様にもお逢いした。
次回はもっとうまく話を収められるように、図書宮で嫁姑本? 後宮陰謀もの? でも読もう! その方面はこれまで全くカバーしてなかった(必要なさすぎたため)。
ところで、王太子とは手を振ってにこやかに別れたけど、これはずっと、手を繋いで歩くものなのかしら?
なんだか手を繋いでるの、レティシアとフェリス様だけの気がするけど……。
「フェリス様」
「ん?」
「どうして、私達、ずっと手を繋いでいるのでしょう? フェリス様が歩きにくくありませんか?」
「レティシアが迷子にならない様に」
「?? ……なりません。王太子殿下ではありませんので」
「僕と手を繋いでるの、いや?」
「いえ。そんなことは……」
「何なら、肩に乗せてても可愛いと思うけど、レティシアのサイズ的に……」
「う……、それは子供っぽいから嫌です」
うーん。こんなところで肩に乗せてもらうのは嫌だけど、フェリス様は背が高いから、あのぐらいの位置から人を見るのってどんな感じかなーと興味はある。
夢で金色のドラゴンに乗せてもらって、下界の街並みを見下ろしたとき、楽しかったなー。
「そう? 可愛いと思うけど。じゃ、手繋いでて。……僕が、心細いから」
「フェリス様が?」
それは嘘だと思うんだけど、たぶんレティシアを心配してくれてるんだよね。
お庭の薔薇や春の花たちの香りは心地いいのに、ねっとりと空気が重い。何というか、瘴気が纏わりつくような気がするので、フェリス様と手を繋いでると確かに安心する。
「ご覧になって、フェリス様よ、やはり素敵……あんなに怒りっぽい、お行儀の悪い、我儘なお妃様を迎えられて可哀想……」
「まあ、あの方が王弟殿下のお妃さま……? とても可愛らしいけど、恐れ多くも、王太后様に口応えをなさったって……ねぇ、あんなちいさな方が本当に……?」
好奇心、揶揄、羨望、嫉妬、たくさんの視線とひそひそ声が纏わりつく。
そうです。
私が、買ってはいけないだいぶ強めのお姑様からの喧嘩を買ってしまったお馬鹿さんです……、しくしくしく。
「雑音は聞き流して、前を向いて、顔をあげててね? ここにいる御令嬢方のなかで、僕のレティシアが一番可愛いし、一番優しい姫君だよ」
「それはだいぶ謎ですが、フェリス様の激甘採点には感謝です」
うん。でも、妬まれても仕方ないかも。
レティシア的には、結婚のご挨拶のお茶で、側妃の相談はないでしょ! 何寝惚けてるのよ! と怒ったけど、もしかしたらずっとずーっとフェリス様のことが好きで好きで好きで、どんなお話だろうと、一縷の望みをかけてた姫君がいるかもだものね。
フェリス様はこんなに素敵なんだし……(ちょっと中身はだいぶ天然だけど)。
大丈夫です!
レティシアが、果物みたいに側妃選ぶとかある訳ないでしょ! ですけど、ちゃんと、うちのフェリス様をとっても大事にしてくださる、真実の恋でしたら全力応援しますよ! とも公表できないので、すみません……仕方ないので、恨まれておきます……。
「お帰りなさいませ、フェリス様」
「お帰りなさいませ、レティシア様。いかがでしたか、御茶会は?」
フェリスの宮に帰りついて、リタとサキの笑顔に癒される。ほわーんて、全身に入っていた力が抜けていく。
「あ、あのね、二人とも、私、大失敗をば……」
これからはレティシアがこの家の女主人、とサキに言われていたのに、面目ない事態である。
王太后様の御言葉は納得できなかったけど、もっとうまく柔らかく躱さなくては……。
「ご立派でしたよ、レティシア様は」
控えていたレイが、声を上げる。
「ご立派にご挨拶されて、当家の名誉を守ってくださいました。多少、誤解は生じたかも知れませんが、あれは王太后様のほうの冗談が過ぎたと私は思います」
レイが生真面目に言ってくれる。ううう。ありがとう。ごめんね。次のときは(次があればだけど……あんな子ダメだと二度と呼ばれないかも)、フェリス様のおうちの名誉を傷つけないように頑張るね。
「何かあったのですか?」
女官たちが不思議がる。
「義母上がね……、僕の側妃をレティシアに選べって言いだして」
戸惑い顔の皆に、フェリスが軽く説明する。
「まあ、なんてひどいことを……!」
「結婚式直前に側妃なんてそんな、王太后様、お若いのにもしやボケはじめ……」
サキは驚きに顔を曇らせ、リタが真剣な顔で悩んでいる。
「これ、リタ。王太后様はあんまりですが、ディアナの国母の君であり、フェリス様のお義母様に失礼はなりません」
「はっ! 申し訳ありません、フェリス様」
「いや。僕も思ったから。義母上、いよいよ、僕を疎んじるあまりにおか……、いや……その……言動が不可解になりすぎだって……ただ何処かで誰かに聞かれて、そんなことで罪に問われてはいけないから、サキの言うように、いつも言葉は慎しんでおくといいよ、リタ」
フェリスも暴言を吐きかけて、上品に口を押さえている。
うん。よかった。みんな変だと思うよね……。
「私では……その……夜のお相手がまだ無理だから、側妃をとのことでしたが、王太后陛下はフェリス様の御子を早く、とお望みなのでしょうか?」
「そんな訳ないよ。ただの僕とレティシアへの嫌がらせだよ。側妃の話も、きっと本気じゃなかったと思うよ。そもそもレティシアとの結婚を奨めたのだって、そんなに早く僕に子ができないように、幼いレティシアを僕に娶らせたんだろうと噂されたくらいなんだし……」
そうかあ。財政支援的にも(もしもフェリス様がある日突然、野望を抱いて、王位とか望んだ場合の)、次世代の後継者を得る為にも、いろいろとレティシアは、フェリス様の封印みたいな感じなのかー。なんだかなー。
「申し訳ないです……」
「何が?」
しょんぼりするちいさなレティシアの顔をフェリスが屈んで覗き込む。
「いろいろと……私、フェリス様のお役に立つことができません……」
「何故? 今日もレティシアは僕を守ってくれたよ? 十七年生きてきたけど、あの人から僕を守ろうなんて勇敢な女の子に、初めて逢ったよ、僕は」
「勇敢ではなく、無謀な方が正解です。もっと上手に笑顔でかわして、ちゃんとお守りしなくては」
「そんなこと十七歳の僕にも、たぶんもっと大人にも難しいことだから」
あの場合、どうしたらうまく躱せたんだろう、と思うんだけど……、何かね……あのとき……、隣にいるのにフェリス様が何処か遠くにいっちゃいそうな気がして、焦りまくってしまって。
「あのとき、レティシアが怒ってくれて、僕は本当に嬉しかったよ。きっと永遠に忘れないよ。僕を含め、誰も王太后には怒れないんだけど、だからってあの人が正しい訳じゃない。おかしいことはおかしいって言えた方が本当はいい、国としても、人としても、家族……としても。さあ、サキ、リタ、御茶会デビューとても頑張ったうちのレティシアに美味しいもの食べさせてあげて?」
「はい。料理長たちが、きっとむこうではゆっくり召し上がれないはず、お疲れの御二人に癒しの食事を、ってお出かけの直後から、本日は腕まくりしておりましたよ」
「まあ、レティシア様、ルーファス王太子殿下にもお会いになったんですか?」
お疲れになったでしょう、まずは着替えましょう、と女官達と自室へ。いつもはお着替えめんどうくさいな……と思うレティシアだけど、さすがに外交疲れしたので、この白いドレスは可愛いけど、のんびりなおうちドレスに着替えたい。
「うん。王太子殿下、女官たちから抜け出してきたんだ、って威張ってて可愛かった」
あ、御無礼かな?
「レティシア様と同い年ですよね」
「まだまだやんちゃなお年頃ですよね」
王太子殿下、可愛かったけど、普通の日本の小さい子よりは大人っぽい。何といっても王太子殿下なら、ちいさいときから参加する国家的な公式行事とか多いしね。
「私には威張ってらしたんだけど、フェリス様には従順な感じで、それも可愛かった」
「王太子殿下はフェリス様がお好きらしいんですけど……」
「本日レティシア様も驚かれた様に、ちょっと複雑なご親族事情なので……」
「どうして王太后様はフェリス様が好きじゃないの? フェリス様、ちゃんとお義母様のことたててるのに……」
義母上、と呼ぶときのフェリス様の声が独特だった。義母上たちを見て育ったから、私は父上のような恋はしたくない、と言ったときの、あの凍てついた冬の月のような美貌。
深い深い静かな絶望と哀しみが、フェリス様と繋いだ指先から流れ込んできた。
「フェリス様が何をしても、王太后様は気に入らないんですわ。当家の主人はちゃんと、どんなに嫌なことを言われても、子として孝を尽くしておりますのに、あの方には大人げというものがないんです! その上、こんな幼いレティシア様にまで意地悪を……!」
「リタ。気持ちはわかりますが、またフェリス様に諫められますよ」
「わかっておりますが、腹は立ちます~!」
うー! とリタは鏡台の前でブラシを持ったまま、怒っている。この悪い気を収めてから、レティシア様の大切な髪に触れますね、と囁いている。
「先王陛下も、フェリス様のお母様も、天に還られて久しいのに、フェリス様だけがずっとディアナ王宮で居心地の悪い思いをされるのは、私もとても納得のいかぬ思いです……王太后様にはぜひとも心穏やかに落ち着かれてほしいものです……、でもいつもの王太后様と逢われて御戻りの憂鬱な御様子と違って、今日、レティシア様と帰って来られたフェリス様は幸せそうでした……」
「御二人で手を繋いで帰って来られて可愛らしかったですね」
「フェリス様ね、私がよっぽど心配だったのか、御茶会のあいだずーっと手繋いでたの。おかげで、王太后様以外には、いじめられずにすんだけど……」
「きっと可愛くて仕方なかったんですわ」
「違うと思う。また私が何かやらかさないか、心配だったんだと……」
「そんなことありませんよ。本当にとっても可愛らしいんですもの、今日のレティシア様」
ただ、もしもできるなら、ずっと繋いでた二人の手から、こないだフェリス様が魔力をわけてくれたみたいに、レティシアからもフェリス様に元気を送れてたらいいのに。
結婚のご挨拶にいって、あの会話は、レティシアとしても困惑以上だったけど、なさぬ仲のお義母様にもほんの少しくらいはまともに祝ってほしかったろう息子のフェリス様の方が、ずっと哀しかったろうから。

「ルーファス、女官たちを置き去りにして困らせたのですって?」
「は、母上、お耳が早い……」
御茶会から戻ってきて、ルーファス王太子は母に捕まっていた。
「そもそもあなたは、おばあ様のお茶会の招待も貰ってなかったでしょ?」
ポーラ王妃は、両腕を組んでお説教の構えだ。
「叔父上と叔父上の花嫁がおいでになると聞きまして……これはぜひお祝いにと」
それは噂の花嫁を見たいと思うじゃないか、だいたいおばあ様もおばあ様だ、最初から呼んどいてくれればいいんだ、呼んでくれなくていいときばかり呼んでくれるのに、とルーファスはモゴモゴする。
「おばあ様も、フェリス様も困らせてはダメ」
「困らせてはいません。おばあ様は僕の訪れを大喜びしてくれましたし、叔父上のところに遊びに行くお約束も出来ました」
大収穫である。やはり、王子宮で女官と母上とばかり遊んでいても、幸せはやって来ない。よその宮に探しに行かねば。
「ホントに? おばあ様、お怒りじゃなかったの?」
「おばあ様はまた叔父上に意地悪して、場が微妙になったところに、僕の顔を見たので大喜びでした」
「………。意地悪の前にお邪魔して、意地悪する気をなくせればよかったわね。王太后様はあなたには甘いから」
「……残念ながらそこまでの力は、僕にはないです。が、叔父上の花嫁が……」
「レティシア様? 可愛かった?」
「可愛いのに、勇敢な姫でした」
あんなに小さいのに、レティシア姫は恐怖のおばあ様に言い返したのだ。
綺麗な金色の髪に、琥珀の瞳。叔父上の瞳の色と同じサファイヤが首を彩ってた。
レティシア姫はルーファスとふたりでかくれ鬼をしてたのに、フェリス叔父上が戻ってきて、かくれ鬼は中止になり、その後ずっと、レティシア姫はフェリス叔父上と手を繋いで歩いてた。
「あの姫、どうしてあんなに歳が違うのに、叔父上の花嫁になったのですか? 僕のほうが……ずっと、あの姫と歳が近いのに」
「どうしたの? 花嫁のレティシア姫が可愛くて、フェリス様が羨ましくなったの、ルーファス? いくら可愛いかったからって、いまからあなたの花嫁にもらい受けるのは無理よ」
「そ、そ、そ、そんなこと、僕は申しておりません! 何を言うのです、母上!」
ルーファスは真っ赤になって反論する。
羨ましくなどないとも! 僕にあのちびをくれなどと一言も言っていないとも!
僕が女官たちに叱られているのに、ひとつのいちご水を仲良く二人で飲んでたんだぞ!
あのちびはあんなに小さいのに、あんなふわふわして、いい匂いがして、いけないんだ!
もっと大きくなったら、もっと美しくなって、もっと大変になるに違いない!
「きっとそうですわ、王妃様。私共、途中から御茶会に参入いたしましたので、詳細はわからないのですが、フェリス様とレティシア姫はそれはもう仲睦まじくて、生まれてからずっと共に育った美しい兄妹かとおもうほどの親しいご様子でした」
「もうずっと御二人でお手を繋いでいらして、王弟殿下があんなに姫君にお優しい御様子は初めて拝見しました。ルーファス様が可愛いらしい花嫁が羨ましくなるのも御無理はありませんね」
「まあ、おもしろい。そんな珍しいフェリス殿下、私も見たかったわ。では王太后様のご機嫌はともかく、御二人は本当に、国王陛下の仰ってたように仲がよろしいのね」
「おばあ様は、ちび姫に叔父上の側妃を選べと言って、ちび姫を怒らせていました」
「それは………」
沈黙。
「怒るわね、結婚目前の幸せな花嫁としては。怒られて当然ね」
「王妃様」
「ポーラ様」
女官たちがくすくす笑いを堪えている。
「内緒よ。おばあ様には。……陛下がうまくとりなして下さるとよいけど。たぶん、おばあ様は御二人が仲良いのが御不快なのね」
「これから結婚するのに、仲が悪いほうがいいのですか?」
「おばあ様の心はいつも複雑なのよ。きっとフェリス叔父上が誰も愛さないのも、誰かを愛すのも、誰かに愛されて幸せになるのも、どれも嫌なのね」
「さっぱりわかりません。とりあえず、僕にはどちらも大事な方なので、おばあ様はフェリス叔父上に意地悪をしないでほしいです」
「本当にね。お優しい王弟殿下の我慢にもかぎりというものがあるわ」
「花嫁のことも苛めないでやってほしいです。何しろ、あいつは、あんな、ちびなんですから」
泣きそうな顔で怒ってた。
おばあ様に、決して奪わせまいとするみたいに、叔父上の手を一生懸命繋いでた。
「……ルーファス、あなた、やっぱりよほどレティシア姫、気に入ったのね」
「ち、違います! ぼ、僕は、お、叔父上の花嫁を、し、親族を、大事に思ってるだけです!」
最後までふたりでかくれ鬼したかった、とか。
あの手で見つけてもらいたかった、とか。
叔父上のところに遊びに行ったら、やはりあいつはいるんだろうか、とか(そりゃいるよな)そんなことは思ってない。
あれは叔父上の花嫁で、僕の新しい家族が増えたから、ちょっとだけ、ちょっとだけ、気にかけてやってるだけだ!
「マグダレーナがおかしな意地悪なんかするから、オトコマエのレティシアに、ますますうちのフェリスが骨抜きだな。まあ気持ちはわかる。勝気なお嫁さんは可愛いよなー」
「レーヴェ。覗き趣味は……」
フェリスが自室で少し書類を確認してると、竜王陛下がもくもく湧いてきた。
「でも呼ばれたぞ、オレ、ちびちゃんに」
「レティシアに……?」
「お願い、フェリス様の心を守って……! ってレティシア、お祈りしてたから。オレの名前は呼ばれてないけど。もうちびちゃん、うちの子だから、ちびちゃんが祈ってるときは、オレの管轄だと思うんだよね」
「レーヴェは、義母上のところにも行ってあげてください。だいぶ壊れ気味ですから」
「マグダレーナはなあ……、オレの名前は呼ぶんだけど、オレの言う事は聞かないんだよ。まあ昔々、一番大事なステファンの心をお引き留めください、って祈られたときに何もしてやれなかったしなあ……そもそもオレは水神であって、人間の色恋になんて、何の力も持たないからなあ」
「レーヴェは一部、恋の神様としても祀られてますよ。アリシア妃愛で名高いですから」
「そりゃオレ自身は千年変わらずアリシア命だけど、他人の恋になんて何の神通力もないわ」
「どんな願いも叶えてくれる万能の神を夢見てしまうのですよ、人は。そう言えば、レーヴェ、リリア神に何か悪いことしました?」
「リリアに? いや何の覚えもないが」
「こう……リリアの僧たちは、我が国と違って勧誘に熱心なのですが、我が国の民を勧誘する、何というか、文言が……呪いに満ちているというか……」
「どんなのだ?」
「レーヴェが邪神で、ディアナの民はずっとあなたに騙されていて、僕はその邪神レーヴェの化身なんだそうです」
「邪神の化身!? なんか凄いな!? 人を勝手に禍つ神にするなよ」
美貌の竜神様が美しい形に眉を寄せている。
「でしょう? そこまで清々しく呪われると、邪神の化身としてはやたら潜入させてくる傀儡や僧や魔術師を多少吹き飛ばしといても恨まれないよな、と逆に安心しますよね」
「おいおいおいフェリス。悪役の顔になってるから。レティシアに嫌われるぞ。ちゃんと白馬の王子様しとけ」
「……自重します」
「リリアの僧は、昔からやたら布教に熱心なんだが、あの狂気じみてるとこがオレは馴染まん。リリア自身は生真面目な女で、昔はそんな怖くはなかったと思うけどなあ。長らく逢っとらんが」
「昔、失礼なことしたりは……」
「してない。ふたりで共にこの幼い人々を導いていきましょうとは言われたけど、オレはオレの手の届く範囲くらいの面倒しか見てやれんからなあ、って話したくらい」
「それは何か知らずに御相手の熱い思いを拒んでるのでは、レーヴェ……」
うろんげにフェリスがレーヴェを見上げる。レーヴェは優しい神様だが、そもそも繊細さが足りない。本当に水の神様なのか? 炎とか万事一気解決系じゃないのか? ってたまに疑いたくなる。
相手の言葉の裏を読む、なんてコミュ障のフェリス以上にレーヴェには出来なさそうである。
「何かこうね、知らずに、リリアの僧に深く恨まれるようなことをレーヴェがしてるんじゃないかと……」
「オレがモテるからじゃないか? うちは信徒拡大の意図はべつにないけど、ディアナの外にもオレの信者はそれなりにいるからな」
「何処がいいんでしょう、こんな顔だけ竜……」
深刻な顔してフェリスが奇妙がる。ご本尊の神様と同じ貌で。
「うちは宗教にしては、ゆるいからじゃないか? オレのこと好きな子はみんなうちの子でもいいぞー、くらいのゆるさだからな。献金も帰依もべつにいらんし。偶像も作りたきゃ作りゃいいし。オレが嫌がるのは、閉鎖的になることと、坊主の儲けすぎくらいかな」
神殿や教会は無駄に豪華にせず、常に皆の帰りやすい家であること、と言うのが竜王陛下の遺言のひとつで、レーヴェの神殿や教会は何処の国にあっても、旅人や貧しい者や病める者の家でなければならない。
「レーヴェがモテてたり、ディアナが豊かだからといって、恨まれる理由にはならないと思うんですが……」
とはいうものの、そんな理由でも、人は妬む。
「リリアの神を抱くガレリアの王がひどく野心的な人らしいのですが、我が国としては、地味にちょっかい出されて、うっとうしく思っています」
「フェリスはそういうことは、さくさく、人が気づかないうちに片づけられるのにな」
双子のような美貌の竜王陛下の白い手が、そっとフェリスの金髪を撫でる。
「なあ、一緒に戦ってくれる、強くて可愛い花嫁が来てよかったな、フェリス」
「……はい……」
子供のように髪を撫でられるのが照れ臭くて、囁くような声でフェリスは答えた。
負けない誰かが、フェリスを義母上の狂った悪意から庇う。
そんな奇跡を夢見たことは、もうずっとなかったから、慣れない幸せに落ちつかない。