空と海のサファイヤ

「レティシア、サファイヤは好き?」

「はい。フェリス様の瞳と同じ色の宝石ですね」

そうだ。サファイヤにして貰おうかな、今日のジュエリー。フェリス様の瞳と同じ色の……。

「フェリス様?」

「これ、レティシアに、どうかなと……」

「綺麗です」

清楚なサファイヤの耳飾りと、首飾り。

朝の光を受けて輝くサファイヤがフェリスの瞳の色のようだ。

「昔、亡くなった祖母が、これは僕の瞳の色に似てるから、いつか大きくなって大事な子にあげなさいって言ってたのを思い出して……、うん。レティシアには、まだ大きいかなと思ったけど、大丈夫そう」

「フェリス様、そんな大事な宝石」

「うん。大事な宝石なので、レティシアにつけて欲しい」

レティシアの金髪をかきあげて、フェリスが首筋に首飾りをつけてくれるけど、どうにもこそばゆい。

「く、くすぐったいです、フェリス様……」

うにゃー。

フェリス様がそっとしてくれるので、余計にこそばゆいよー。

「ごめん。出来上がり。……今日のレティシアのドレスの色とあう?」

「ありがとうございます。これにあわせたドレスにして貰います。いまみんなが凄く悩んでくれてて……」

凄く高価そうだけど、何となく可愛らしい優しいサファイヤ。

このサファイヤのブルーにあわせるなら、同じブルー系のドレスがいいかな?

それとも、白いドレスがいいかな?

あ、ドレスアップ大作戦に、つい魂逃亡しかけてたけど、やっと、やる気になってきた……。

不思議。

王太后様に逢うのは不安だけど、フェリス様に初めて逢う前の恐怖を思えば、少しも怖くない。

あの日のレティシアは一人きりだったけど、いまは、フェリス様もおうちの人も、一緒に心配してくれる。

フェリス家チーム、ありがたい(プロジェクトチームみたいに言ってしまった。お姫様をやってるのに、いまだ前世の社畜が抜けきらない)。

「母からもらった宝石もレティシアに貰って欲しいけど、今日は、おばあさまのジュエリーを」

うん。義理のお母様に逢いに行くのに、実のお母様のジュエリーは、御二人が仲良しでないと、ちょっと難易度高そうだよね……。

おばあさまのジュエリーも、まだレティシアにはもったいないけど。

落としたり、傷つけたりしないよう、大事に取り扱わねば……!

子供なせいか、ご機嫌でわーっと走るとね、頭からごん! てコケちゃうの。

「フェリス様の瞳が凄く綺麗なブルーなので」

「うん?」

「ここに来てから、ブルーが好きな色になりました」

耳飾りもフェリス様につけてもらった。やっぱりくすぐったい。

耳飾りは自分では見えないけど、首飾りのサファイヤブルーが目に入ると、なんだか安心する。フェリス様の瞳とおんなじ空と海の色だーって。

あ! 昨日の夢の金色のドラゴンもフェリス様と同じ碧い瞳だった! それで、フェリス様かな? って思ったのかな。

「フェリス様?」

気が付いたんだけど、フェリス様って、ちょいちょいフリーズしてる気がする。

あまりにも綺麗な御顔なので、フェリス様が黙ってたら、フリーズしてるとか、困ってるとか、戸惑ってるとか、他人から見てもわからないと思うんだけど、何気によく戸惑って稼働停止してたり、笑ってたりする、とても可愛い方な気がする……。

「昔から僕は王太后のところへ行くのが苦手なんだけど」

「………」

「今日はレティシアが一緒だから、いろいろ負けない気がする」

「ホントですか? フェリス様の足を引っ張らないよう頑張りますね!」

よしっ! と気合入れて拳を握りかけて、いかん、衣装がお姫様ドレスだった、と誤魔化す。

なんだかツボに入ったらしく、またフェリス様が笑ってた。

笑いすぎですから。

うん。でも。私も元気を頂いたので、感謝です。


皆で悩んだ末に、レティシアの本日のドレスは、サファイヤのジュエリーの映える白いドレスになった。流行の、袖のふんわり膨らんだパフスリーブの白いドレスに腕を通していたら、サリアで花嫁衣裳の仮縫いをしていたころのことを思い出した。

あの頃は、地の底までも落ち込んでいたので、ただ人形のように着せ替えをしていた。女の子に生まれて、これほど花嫁衣装にときめかない花嫁もなかなかいまい、と思っていた。


「花嫁道具には、何もかも最高のものを用意させたと言うのに……、レティシアは少しも嬉しそうではないのだな」

サリア王ネイサンが、少しも華やがぬレティシアの態度に不満を漏らした。

「申し訳ございません、陛下」

だが、レティシアの持って行きたいものは、何一つディアナに持っていくことが許されない。

仲良しの愛馬。大事にしている本。父上、母上と遊んだ、他愛ない玩具。

何もかも花嫁道具には向かぬと、婚礼の支度を仕切る王妃の差し向けた女官に却下された。叔父にも叔母にも、女官達にも、こんなに意地悪される理由が、正直レティシアには思いつかない。

王冠は既に叔父の頭の上にあり、サリア王宮の孤児に過ぎなくなったレティシアを苛める必要などないと思うのだが。

「レティシア、あなたは喋らなければ可愛いのだから、フェリス王弟殿下に気に入られるために、くれぐれも余計な事を喋らぬように。子供は子供らしくしていればよいのです」

叔母のイザベラ王妃の言葉に、不思議な気持ちになった。

「はい、王妃様」

そもそも、あたりまえの子供というものは、五歳で嫁には行かぬ。

花嫁から年相応にかくれ鬼でも誘われても、十七歳のフェリス王弟殿下は困るだろうに。

何もかもが、嘘のようだ。

何もかもぜんぶが嘘ならいいのに。

父母が病で死んだことも、両親がいなくなったら、叔父たちが、急に人が変わったように意地悪になったことも。

「レティシアの出立はもう三日後か」

「時が過ぎるのは、まことに早うございますね……」

サリア王もサリア王妃も、レティシアが旅立つことがいかにも嬉しそうだった。

とても哀しい。

叔父と叔母に疎まれてることよりもさらに、サリア王とサリア王妃という父と母の座っていた場所に、レティシアを疎ましく思う人達が座っていることが、悲しい。

レティシアの生まれた国が、レティシアの帰れる場所ではなくなってしまったことが哀しい。

(レティシア姫の婚礼は姫にもサリアにも吉兆、レティシア姫はサリアにあれば不和の種となる)

と占い師が告げたそうだ。

もっとも、それくらいなら、占い師でないレティシアにもわかる。

レティシアが、生きているだけで、ただそこに存在してるだけで、邪魔なのだ。

五歳のレティシアはやがて成長し、年頃になり、そのレティシアが臣下の若者に嫁せば、その者はサリア王家の血を引く子を得られる。

幼くして父王を失った悲劇の王女レティシアを旗印にサリア王位を狙うこともできる。

それを怖れて、ネイサン王やイザベラ王妃たちは、『不気味な娘』『奇妙な王女』とレティシアの名を汚し、とてもそんな重責は背負えない娘だと印象づけている。

前世は存在感の薄さを心配していた雪が、ただ生きてるだけで、誰かの邪魔になるとは驚きである。

(ディアナの王弟殿下の妃となれば、フローレンス大陸の誰も、姫様を傷つけたりできませぬ……フェリス殿下の妃であることが、姫様を守って下さいます)

ウォルフじぃの、命がけの、あの言葉……。


「レティシア? ドレスがきついのでは? 顔色がよくないよ?」

「フェリス様」

優しい声が、レティシアの名を呼ぶ。血の繋がった親族達の冷たい声とは違う。

「気分が悪いのであれば、このまま帰ろう」

王太后宮へと向かう六頭立ての馬車のなかで、フェリスがレティシアを案じている。

「いいえ、いいえ、帰りません。大丈夫です。参ります」

みんなで頑張って支度したのに、このまま帰るなんて、ダメそんなのー!

フェリス様の婚約者として、今日は頑張る!(予定)

「ドレスのことを考えてたら、……少し……嫌なことを……思い出して……」

何であんなこと思い出したの。

「嫌なこと?」

「御嫁入りの支度をしてた頃のことを……」

「凄い年上の、変人の王弟殿下のところへ嫁ぐの怖いなあ、嫌だなあ、って?」

そのときは、聞かせて貰ってなかった。どころか、きっとサリアの誰も知らなかった。

そのディアナの王弟殿下が、こんなに美しい方とも、優しい方とも。

「フェリス様ったら……違います。いえ、まだお逢いしてないフェリス様のことも怖かったんですけど、自分が……」

「うん?」

「私の嫁入りの日を待ちわびる王や王妃と切ない気持ちでお話しながら、ここにいちゃいけないんだなあ……って。もうここには私の居場所はないんだなあ、って思ったのを……」

レティシアの母様の愛した花の咲くお庭。

レティシアの父様の守っていた、レティシアの生まれ育ったサリア。

もちろん、フローレンス大陸でもっとも美しいと称えられるディアナに敵うべくもない、小さなサリアだけれど、ほんのついこないだまで、レティシアを優しく育んでくれた場所。

そこにはもうレティシアの居場所はなく、レティシアは災いの種、不和の種にしかなりえないのだ。

「僕もよく感じる。とくに、こんな風に、義母上のところへお伺いするときは。僕の居場所はないなあって」

「そんなことないです。役立たずの私と違って、フェリス様はちゃんとディアナでたくさんお役に立ってて、皆様に大事に……」

ふるふる、レティシアは綺麗に整えて貰った髪型が乱れんばかりに首を振る。

「人間、役立ってるから、愛されるとは限らない。多少何かの役に立とうとも、邪魔になる人間は邪魔にされるし、愛される人というのは、何もしなくても、ただそこにいるだけで愛されるものだよ。……僕の優しい兄上や、僕の可愛いレティシアみたいにね。ただ、そこにいてくれるだけで、愛らしくて、癒される」

「フェリス様、いまの私の話を聞いてらっしゃらな……、私は嫌われ者のサリアの王女で……」

フェリス様のお兄様はディアナの国王陛下ですから、愛され体質このうえもないと思いますが、それとレティシアはまったく……。

「僕は、レティシアがここにいて、ただ笑ってくれるだけで、とても嬉しい。……幼くして親を失ったレティシアは僕と境遇が似てる気がして、僕はレティシアを守ってあげたいと思ってたけど、逆に、毎日、僕がレティシアに幸せにしてもらってる。想定外の、嬉しい誤算だ」

とても優しい貌でそう言われて、レティシアは文句が言えなくなった。

「フェリス、様……」

多少何かの役に立とうとも、邪魔になる人間は邪魔者として扱われる。

自嘲気味のフェリス様の言葉が、幼いレティシアにもわかる。

せめて、サリアの国益の役に立とうと思って、ディアナにお嫁に来たけど、そんなのはきっとレティシアの自己満足で、サリアにとっては、不和の種になりそうなレティシアがいなくなってくれることが、幸いなのだと……。

「私も幸せです、フェリス様のところに来られて」

僕達は似てる、とフェリス様は言うけれど……。

フェリス様にもレティシア同様、それ以上に逃げ場はない。

何も悪い事してなくても、ただ生きてるだけで、竜王陛下にうりふたつのその貌が、出来の好いその振る舞いが、その存在自体が邪魔だと思われるような、ここで、この場所で生きていかなければならない。

レティシアがウォルフじぃから心配されたように、不必要にフェリス様の名が汚されたり、御命が狙われることもあるかも知れない。

「私、お父様とお母様を守れなくて、死ぬほど後悔したので、フェリス様のことは、きっと、どんなものからも、私が守ります」

病魔から誰かを守れるなんて驕りだろうけど、それでも、じゃあ何の為に転生したの、何か意味があるのなら、今度こそ家族をこの手で守れるはずじゃなかったの? 幸せに溺れて、何かの予兆を見落としていたの? と涙が枯れるまで泣いた。

あんな思いは、二度で充分。三度目は死んでもいやだ。

「僕の可愛い、愛しい騎士殿。僕にもレティシアを守らせて」

レティシアのあどけない白い指先におくられたフェリスのキスは、何かの約束のようだった。