なるほど。

いままで考えたこともなかったが、キスとはこういうときにしたくなるのか。

愛しいとか、可愛いとか、大事にしてあげたいとか、怯える小動物みたいなこの子を安心させてあげたいとか、いろんな気持ち……。

なかなか、慣れない感覚だな。

「癒しの魔法、おしまい。もう悪戯しないから、怒らないで、レティシア?」

「お、怒ってませ……」

うううう、と困り果てている。弱ってる子を、困らせたくないんだけど……。

「レティシア、マーロウ師は元気だった?」

マーロウ導師と古馴染みで、いまだにフェリスをよく魔法省に誘ってくれる。

魔法省では、だいぶ、昔、好き放題したのだが……。

「あ……、はい」

「マーロウ先生、僕の悪口言ってなかった?」

「先生、凄くフェリス様を褒めてらして。フェリス様が魔法省においでにならなくなって寂しいって仰ってました」

「ああ……」

行ってないこともないんだけど。どうしても見当たらない本があるときとか。皆に見えるようには、行ってないんだけど。

「フェリス様、魔法がお上手だって」

レティシアに、魔法学の先輩に憧れるような瞳をされても、何とも扱いに困る。勝手なことばかりしてて、魔法学院の優等生とは言い難いと思うので。

「昔ね。いまは、ほら、レティシアに嫌がられる癒し魔法くらい」

「嫌がってはいないです! フェリス様の体力とっちゃダメ! って思っただけで……」

「僕が与えたがってても?」

「うう。でも……そんな、申し訳な……」

「レティシアは、手に職をつけたいから、魔法がんばって覚えたいと言ってて、まだいろいろご不安なようだ、ってマーロウ、手紙に書いてきてるけど……」

「ち、違います、フェリス様、あの、いえ違わないんですが、それは……」

レティシアにこんな顔させたい訳じゃないんだけど、マーロウの、蛇足ながら殿下、未来の妃殿下におかれましては……、の言葉を知らないふりしておくのもなあ。

「わりと、僕とレティシアは考えることが似てるから、一人で城を出ても、魔法が一番食べていけそうかな、とか考えてる?」

「ど、どうして、それを……」

可愛い。

考えてること、ぜんぶ顔に出ちゃうんだな……。

「城を出て何処かへ、は僕も昔思ったし、いまも時々思うからかな? 何処か遠くの誰も知らない森で、流行らない魔法使いとして、微妙な出来の魔法薬を売って暮らすのはよさそうだなって」

「上質の魔法薬を錬成されて流行りそうです、フェリス様」

「それは困る。最低限の生活が維持できる程度の依頼しかいらないからな。……レティシア、マーロウは敵ではないけど、宮廷には思いがけない伏兵もいるから、もし僕と離婚して何処かへ行きたくても、あまり適当な者には喋らない方がいいよ」

フェリスが幼い花嫁に逃げられたら、それはそれで宮廷としてはおもしろい事件にはなるとは思うが……。

「あの、わたし、決して、フェリス様と、りこん、したい、わけでは……」

「うん。わかってる。そんな意味でないことは。ただレティシアに妙なものが寄ってくるといけないから」

それもこれも、フェリスの足場が盤石とは言い難いからであって、本当に申し訳ない。

薄氷の上に立ってバランスをとるような不安定な生活を長年やってはいるが、こんな無邪気な婚約者まで、そんな暮らしにつきあわせるのは、心が沈む。

やはり隠遁して魔術師生活は、フェリスにとっても、かなり魅力的な夢ではある。

「私が、手に職を、などと言ったら、私がフェリス様との結婚を疎んじているように聞こえますか?」

「聞く人によっては、もしかしてね。僕とレティシアが仲良しだっていうのは、みんな知らないからね」

「仲良し」

「……だと、僕は思ってるんだけど、違う?」

「いえ! 私……たち、仲良し……です!」

女官たちが苦労して笑いを堪えている。

うん。うちのお姫様、可愛すぎて、笑いを堪えるの、苦労するよね。

「一目逢った途端に恋に落ちた、とか、そんな物語のようなことは言わないけど、僕はレティシアを大切に思ってるし、守ってあげたいと思ってるよ」

「わ、わたしも、フェリス様を大切に思ってるし、お守りしたいと思ってます! 頑張って、魔法の修行を積んで、いつか、フェリス様を守れるくらいになります!」

「期待してる。でもぜったい、危ないことしないで。さっきも、レティシアが倒れたって聞いて、僕の心臓が軋んだ」

「……す、すみません、いろいろ御心配を」

フェリス自身はわりと無茶な魔法を試す方なのだけれど、なるほど、危ないから無茶をしないで、っていうのはこういうときに思うんだな、と初めて実感。

レティシアが倒れた話を聞いたとき、理由は不明だが本当に心臓が痛んだので、フェリスの身勝手ながら、レティシアには危ないことをしてもらいたくない……。

「謝らないで、レティシア。迷惑をかけてるのは、僕の方だから。ややこしい家に、お嫁に来させてごめんね」

「そんなことないです! 王家なんて、何処もみんな、ややこしいです!」

力いっぱい、レティシアが保証してくれて、フェリスはまた笑ってしまいそうになる。

うん。

この子、好きだ。

めげない、おもしろい、可愛い。

フェリスの人生で、義母上から頂いた贈り物のなかで、唯一、嬉しい贈り物かも。

「フェリス様のおうちのよい精霊さんも祝福してくれてるって、マーロウ先生も言ってました」

「精霊?」

そんな可愛いらしい、優しい響きのもの、我が家にいたか?

「マーロウ先生が、私に魔力があるって仰って」

「うん。それは僕もあると思うよ」

「……でも、私、ぜんぜん、何も魔力的なこと感じないんですけど、フェリス様のところに来てから、ときどき、声が聞こえて」

「………、どんな声?」

それはあれだ。我が家の精霊なんて可愛いらしいものじゃなくて、女たらしというか人たらし? 生きてる者も死んでる者も、何でも隙あらばたらしこみそうな、我が国のたちの悪い竜王陛下だ。

「いい声です。優しい声。優しい気配。いつも、竜王陛下の絵のところとか……、フェリス様のこと考えてるときに聞こえてくるから、きっとフェリス様の守護霊様なのかなーって。御心あたりあります? フェリス様?」

「……、いや……」

きらきら輝く琥珀の瞳に、尋ねられてしまった。

「ないな。きっと、ディアナの花嫁のレティシアのことを歓迎してくれてる、優しい御先祖の御婦人の霊かもね」

優しい御先祖までは、嘘ではない。嘘では。

「男の人の声なんです。……あ、でも、低い声の御婦人かも知れませんね」

「そうなのか。魔力の低い僕にはわからないな」

「………」

「………」

レティシアのみならず、なんだか女官たちからも、やや疑わしい視線を頂いたが、まさかそれはレティシアの好きなディアナの竜王陛下、レーヴェだよ、とも言えない。

レーヴェ的には喜んで、レティシアに自己紹介したがりそうだけど……。

「フェリス様が、御存じないうちに、大切に見守って下さってるのかもしれませんね。いつもフェリス様を案じるような声なんですよ」

子供だからなのか、元来、そういう性質なのか。

レティシアは、善意で出来ている。

ぜったいレーヴェ、僕について何か余計なこと言ってるんだろうに、聞き手の性質が優しいと、優しい精霊さんに聞こえるんだな……。

それこそ、魔法だな……。