魔法の授業

「今日は、魔法の講義があるよ」

と、フェリスから言われて、レティシアは朝からずっとときめいていた。

魔法の講義!

それでこそ、ファンタジー風な世界に生まれ変わって来た甲斐もあるというもの!

サリアでは、魔法に関わる人間は、その職業の者のみに限定されていた。

ディアナでは、普通の人も、魔法と触れ合えるらしい。

「レティシア姫。我らが王弟殿下の妃となる方に、お会いできて光栄ですぞ。私はマーロウ」

「こちらこそ、お会いできて光栄です。マーロウ先生」

魔法の先生は、ランス先生と同じくらいの、白髪、白髭の方だった。

うん。おじいさんの先生の方が、ハリーポッターとかロードオブザリング感が出てていい感じ。

「まずここディアナでは、王族も貴族も庶民も、子供の頃から読み書きと共に、魔法学を習うのじゃが……、王弟殿下のお話によると、姫の国、サリアには魔法の授業はないとか」

「はい。私の国サリアでは、魔法を習うのは、魔法の仕事をする者のみです。選ばれた魔法の才能のある者のみが、魔法学校に入り、修練を積みます」

「なるほど。それでは魔術士以外の者はまったく魔法を使えんのかの」

「はい」

こくんとレティシアは頷く。マーロウ先生は、皺深い瞼の下で、青い瞳を珍しそうに輝かせた。

「それは我らから考えると、やや不便じゃの。才能の多寡はあるが、誰でも、多少の魔法が使えた方が便利じゃからの」

「誰でも? 私でも、何か魔法が使えるようになりますか?」

「もちろんじゃよ、レティシア姫。山を崩したり天気を変えたり姿を変えたりするような魔法は、誰でも出来る訳ではないが、ちょっとした魔法なら、誰でも使えるようになるよ」

「本当に!?

嬉しい!

私にも、魔法で何か出来るようになるのかな? 箒に乗って、空を飛べたりする? 空を飛んだりするのは、高度な魔法なのかな……?

「姫の夫君になられるフェリス殿下などは、とても魔法が達者じゃよ」

「そうなんですか? フェリス様が魔法使ってるところ、見てみたいなー」

マーロウ先生もいかにも古の魔法使いって外見だけど、フェリス様が有能な魔法使いなのもとても似合いそう。

「最近、殿下は大人しくなられて、あんまり魔法を使わぬからのう。魔法省が、ずっと、フェリス様を欲しがっていたのだけれど、殿下は大人になったら魔法が下手になった、と仰ってな」

「そんなことあるのですか?」

天才児も二十歳になるとただの人、みたいなことが、魔法学でもあるのかなー。

「それはあるよ。子供の頃、達者に魔法を操れてた子が、あるときを境にさっぱり使えなくなることは、魔法の世界では多々ある。ただ、フェリス殿下のは、魔法が下手になったんじゃなくて、魔法省に魔力のことを調べられるのが嫌になって、しらばっくれてるんじゃとわしは思うが……」

「しらばっくれるフェリス様」

落ち着いた雰囲気のマーロウ先生とフェリス様に、その単語は似合わなくて、ちょっと面白い。

「ふむ。みんなが、子供の頃にうるさくしすぎたんじゃと思うよ。昔のディアナは、王家の方の魔力が最大だったんじゃが、最近は魔力の薄い方が多いから、フェリス様は、いにしえの王家の魔力再来なのでは! とうちの魔法省がはしゃいでしまってね」

マーロウ先生のお話を聞いてると、昨日のランス先生の「私は殿下をあのまま育てて差し上げたかった」って少し寂しそうな声を思い出す。

マーロウ先生の方が、「しらばっくれてる」っていうくらいの、茶目っ気があるけど……。

「そのうえフェリス殿下が、えらく竜王陛下に御顔が似てきてしまったので、何やら言う奴もいてのう……そんな野心家な方ではないのに。王弟殿下は兄君をたてていらっしゃるから、周りにうるさく言われるのを嫌って、すっかり魔法省に遊びにおいでにならなくなってしもうた。なので、最近お会いできなくて、わしらは寂しがっておる。フェリス殿下が、すっかり自分の宮に引き籠りになってしまわれて、残念じゃ」

「せ、先生、引き籠りって……。よく通ってらしたのですか、フェリス様は」

しょんぼりしてるマーロウ先生。

「昔は、幼いフェリス殿下が、魔法省に入り浸ってたころもあったのじゃよ。新しい魔法を覚えるのが楽しくて仕方ないという様子での」

「フェリス様は勉強熱心だったって、昨日、ランス先生が……」

「そう。学ぶのが好きな御方での。御本人は、何もかもいろいろと飽きてしまったんだよ、と笑ってらっしゃるが、隠れて御一人で研究してらっしゃるんだろうと、わしらは思うておるよ。……おやおや、ずいぶんと余計な話をしてしもうたな」

「いえ」

年寄りは話が長くていけない、と笑うマーロウ先生に、ぶんぶんレティシアは首を振る。

「嬉しいです。幼い頃の王弟殿下のお話。フェリス様のこと、何も知らないので」

ちっちゃいフェリス殿下は、昨日から聞き齧ったところによると、お勉強好きで、なんで? どうして? っていっぱい質問する可愛い少年だったんだろうなーと……。

思うに、いまよりは外向きの少年だったのでは?

「姫様はフェリス様をどう思いになった?」

「……? とても綺麗で、優しくて」

「ふむふむ?」

「少し、寂しい瞳をした方だなと……」

あんなに綺麗で、何でもできそうな人なのに、何処か諦めたような、あの硝子細工のような碧い瞳が何だかもったいないなあ、って。

レティシアだって、せっかく生まれ変わってきたのに、またお父様もお母様もいなくなった。

婚姻て言われたけど、ただ誰かの邪魔にならない場所に行くだけ、と思って、かなり後ろ向きな気持ちで、ここに来たんだけど……。

どうしてかな。フェリス様には幸せでいてほしいって思うなあ……。

「そうさのう。王弟殿下は魔法に限らず、いろんな才に恵まれているけれど、いろいろとお立場的に不自由な御方だ。可愛らしいレティシア姫が、孤独なあの方を幸せにしてくださるとよいのう」

「私……」

悩みごとの相談相手になるにも、今のレティシアでは小さすぎるだろうし(中身はけっこうな大人ですから、どんとどうぞ! と言われたところで、フェリス様もただ困惑だろうし……)。

いまのところ、変なこと言って、大笑いして頂くのが、関の山では、なんだけど。

でも、肩の凝ることも多い王宮暮らしのなかで、少しでも気晴らしになれるといいなー。

「そんなに難しく考えなくても、レティシア姫はすでに、陽の気をここに連れて来てるよ。では、大事な御夫君のフェリス殿下の昔話はさておき。レティシア姫の、初めての魔法学じゃ」

「はい、先生!」

うんと簡単な魔法を教えてもらって、覚えてフェリス様に見せたいなー、と初めてのお使い気分のレティシアである。

「この世界のすべては、四つの元素から成り立っておる。レティシア姫、この四つの元素が、何かわかるかね?」

にこにことマーロウ先生が問う。

「え……と、水と炎と……、土と、風?」

ここに第五のエレメントが足りない、とか、よく本や物語ではあるのよ。第五のエレメントが何だったかは忘れたけど。

「左様。本日の生徒は優秀じゃ」

よしよし、と褒めてくださる。先生、優しい。褒めて育ててくださる。

「風、火、水、土。世界はこれらの要素によって始まり、これらの要素によって構成される。たとえば姫が立っている大地、これは土属性だ。土は全てを育む。時に隠す。死したものを分解し、再構成する。農作物や、木の葉、虫、獣、人に至るまで。それゆえ、自然界で生まれたすべてのものは、土に還っていく。土に還ることの叶わぬものは、自然なものではなく、異質なものとされる」

「異質なもの……」

「なかなか人の手では、何千年も土に還らぬもの、というのはいまのところ、作りがたいがね」

「お母さまから、魔法学というのは、あまりにも赤子のような人間がこの世界や、神様のことを少しでも知りたくて始まった学問、とお聞きしました」

だから、何処の国であろうと世界中の神殿や魔法の塔は、高く高く天へと聳え、神様に近づこうとするのだと。

まるで、叶わぬ恋のように、人が神様や世界の秘密に近づこうとすればするほど、遠ざかるのだと。

「姫の母君の言葉は正しい。魔法学も、神学も同じ。人間が、この世界や神様のことを知りたくて始めた学問だよ。だが世界のことなど、生まれたばかりの赤子のような人間に、全て知りえる筈もない。神様を理解しようとするなど、レーヴェ様を理解しようとするようなものだ」

「竜王陛下は、難解な方ですか?」

レーヴェは我儘、と言ったフェリス様の美しい貌を思い出す。

言葉の内容より、なんだか我儘な友人に手を焼いてる風なフェリス様の様子が可愛いかった。

「太古の、竜王陛下自身のお言葉を書き留めた書物によると、竜王陛下は大変単純で好みのわかりやすい御方なのだそうだが、神ならぬ人間の身には、陛下の御心は測りがたいね」

「このディアナは、レーヴェ竜王陛下の守護のもとにある地だ」

「はい」

「レーヴェ様は、水を司る水竜。故に、ディアナの者は水の属性の者が多い」

「人間にも、属性があるのですか?」

「もちろんだよ。姫もまた、いまの名を持つ以前、この世界に生まれる以前から、水に属していた筈だよ」

「私も?」

「水竜の王の血脈を継ぐ一族の花嫁に、いかなる縁を結ぼうとしても火の娘は来られない。火は水に戻されてしまうから。レティシア姫もまた、水の属性を持つからこそ、ここにいるのだよ」

「水の属性……」

水の属性なんて、あるのかなあ?

せいぜい、レティシアは、前世で二月生まれで、魚座だったくらいしか……。

ああ。

生まれた国である日本は、その世界では有数の水の綺麗な国だったけど……。

蛇口を捻った水道の水が、そのまま安心して美味しく飲める国なんて、この世界に、そんなにいくつもないんだよ、って優しいおばあちゃんに教えられて育った。

「ディアナの国の方、すべてが、水の属性を有してらっしゃるのですか?」

「いや。レーヴェ様のお膝元だから、水属性の者がよそよりは多いというだけで、土の気の者も、火の気の者も、風の気の者も、もちろんおるよ」

穏やかに、マーロウ先生が続ける。

「それぞれの物質を構成する元素の性質を理解することで、それらを扱えるようになる」

マーロウ先生の手がテーブルの上に差し出されて、その中にぽうっと明るく、炎が灯った。

炎は小さな球になり、勢いよく燃え始める。

「……先生! 大丈夫ですか? 熱くないですか?」

うう、魔法の火だから、熱くはないの?

でも、あんまり勢いよく燃えてるから、先生の指が心配……。

「大丈夫。これはわしが燃やしてる炎だから、主のわし自身を傷つけることはない」

「そ、そうなのですか」

ぽう、ぽうと、マーロウ先生は、炎の球をいくつか増やしてくれた。

魔法学のお勉強の灯りがわり?

「ディアナでは火の魔法を扱える者は少ないから、火魔法を覚えるとすぐ出世するよ」

「やはり、水魔法が得意な方が多いのでしょうか?」

「左様。水の魔法が得意な者が多いし、レーヴェ様の気に満ちたこの土地では、水の魔法は発現しやすい」

「なるほど……。例えば、砂漠では、水の魔法は使いにくいってことでしょうか?」

「正解。ねぇ、レティシア姫。……サリアのこんなちいさなお姫様が、どうして、砂漠なんてものを知ってるんだい? ここから遠い遠い国に確かに砂漠はあるのだが……、あんまり貴族の小さいお姫様が詳しい話ではないんじゃが」

マーロウ先生が、不思議そうに、そしておもしろそうにレティシアの顔を覗き込んでいる。

フェリス様を思い出させる、魔法を使う人の碧い瞳。

「………!」

口に手をあてる。

いけない。そうなのか。ううう。

サリアでは、普通の少女らしい言動を、と一応気をつけていたのだけれど、こちらに来て、「普通」を気にするのを忘れて話してても、フェリス様が奇妙がったり、聞き咎めたりしないものだから、「普通の貴族の少女っぽい、かくあるべき姿」の擬態をすっかり忘れてしまってた……。

あれ?

よく考えると、なんでフェリス様は何もレティシアを奇妙がらないんだろう?

マーロウ先生の不思議がる反応の方が普通だよね、きっと。

フェリス様御自身が、竜の血を受け継ぐ、不思議な血族の方だから?

そもそも、フェリス様が変わった方だから?

ただの、おなじく変わった子(レティシア)に対する思いやり?

「私、本を読むのが……とても好きで……」

落ち着いて。深呼吸して。

何もマーロウ先生は、変なこというな、ってレティシアを責めてる訳じゃないんだから。

さんざんサリアで、奇妙な王女、気味が悪い、って白い目で見られたトラウマが疼くけど……。

いまは、ただ、どうして? って優しく尋ねられただけ。

「ほう」

「サリアでも周囲に不気味がられるほど、本を読んでいたので……、砂漠のことも、本で読みました」

「左様ですか。それは随分と、書物を読み漁ったと拝察致します。……本好きの博学のお姫様は、フェリス様にはぴったりですの」

「フェリス様は私にここでは、本をたくさん読んでもいいって言ってくださいました」

御顔が綺麗なことより何より、それが一番レティシアが、フェリス様、好きだー、いい人だー、と思う理由。

あまりに綺麗すぎて落ち着かないので、御顔はもうちょっと綺麗すぎなくてもいいくらい……。

「それは、ああ見えて、フェリス様も本の虫だからでしょうね。昔よく少年の頃、舞踏会の予定などを忘れて、魔法省の図書室に引き籠ってらっしゃいましたよ。気になった本を読むのに没頭されると、他のことを忘れてしまわれるらしくて」

うんうん、と言いたげにマーロウ先生の作った炎の球たちが揺らめいている。

「そうなんですか?」

マーロウ先生の言葉で、大きな魔法書の山に埋もれてる、ちいさいフェリス様が浮かんで可愛い。

こちらの世界の本て、そもそもわりと大きくて、子供の手には重いのだ。

元の世界みたいに軽い紙は、まだ生まれてないからだろうけど。

じゃあ、フェリス様、魔法省の図書室行けなくなったの、残念なんじゃないかな?

それこそ、そこにしかない魔法書とかたくさんありそう……。

こっそり、魔法で行ってたりするのかな……?

レティシアもお父様が亡くなられた後に、触れさせて頂けなくなった書架があって、悲しかったな……。

世の中、腑に落ちない理不尽なことは、いっぱいある……。

元いた日本にも、いまの異世界にも。

「たとえば、砂漠に雨を降らすような魔法は、かなり高度な魔法になるので、誰にでも出来る訳ではない。それができるものが、魔術師や、魔導士と呼ばれる」

「魔法を仕事になさる方は、この世界のどこでも、お仕事に困ることがなさそうですね」

サリアでは、魔術師は少なかったので、厚遇を受けていた。

「そう言えんことはないが……。だいたいは変わり者が多いな。苦労して魔法を学ぶ者もいれば、生まれつきの魔力を持て余して、制御を覚えん事にはとてもまともに暮らしていけない者もいる」

「生まれつきの魔力……」

「そう。わしが思うに、レティシア姫も、とても潜在魔力が高いよ」

「わたし、ですか?」

生まれつきの魔力!

そんなの高かったら素敵だけど、昔から霊感とかあったためしないんだけど!

日本でも両親を早くに亡くしたので、私に霊感があったら、お父さんやお母さんとお話できるのにね、って二人の写真に話しながら、いっぱい泣いた。

「でも、わたし、ぜんぜん魔法的な力とか感じたことないですが……あ!」

「何じゃね?」

「唯一、不思議なことといえば、ディアナに来てからときどき、男の人の凄くいい声が聞こえます」

「どんなときに?」

「最初は、竜王陛下のタペストリーの前にいたときに……」

「どんなことを言ってるんだい?」

「おもに、フェリス様のことを心配してるのかな……、という感じのことを」

「ディアナの精霊が、王弟殿下の若き妃に興味を示して、レティシア姫に話しかけておるんじゃろうかの?」

「精霊」

フェリス様の宮に来てから、あの声聞こえるようになったから、フェリス様を守ってる精霊さんなのかなー。

「レティシア姫から悪いものの気配は何も感じぬから、よき精霊の類いだとは思うのじゃが」

「はい。私も悪い気配は、何も感じません。なんて言うか……どちらかと言うと、どこか守られてるような……、不安になるんじゃなくて、安心するような声なんです」

「うむ。よき精霊が、フェリス様の花嫁を歓迎しておるのじゃと」

「だったら、嬉しいです」

うん。ぜんぜん怖い気配じゃないんだけど、マーロウ先生に、きっといい精霊だって言ってもらうと、なんか安心した。

御伽噺で、子供が生まれたときに、精霊が祝いにきて祝福を授けてくれる、ってよくあるけどそれの結婚式版なのかなー。

悪しき気配や、害意は、何も感じない。

その声が聞こえるときは、いつも、とっても優しい気配を感じる……。

フェリス様を守護してる、優しい水の精霊さんとかなのかな。

アニメとかゲームなら、水色の髪で、ちょっとフェミニンなかんじのキャラだよね。

「そういう無自覚な力も、きちんと魔法を学ぶと、自分の思うとおりに使えるようになりますぞ、レティシア姫」

「ホントですか? じゃあ、フェリス様の守護霊様とも話せるようになりますか?」

いや、オレとはいつでも話せるんだけどね、フェリスから、レティシアにちょっかい出すなって言われてるだけで。しかもマーロウよ、なんかレティシアに微妙に誤解させとるぞ、とレーヴェが聞いてたら、大笑いしそうだ。

「左様。姫の中にある力を、うまく操れるようになれば、この世界がまた違った顔を見せますぞ」

「私にも、何か出来るようになると嬉しいです!!

いまのところ、レティシアは、何もできないので。

手に職をつけると、もし、フェリス様との婚約が破綻したりしても、サリアに帰れなくても、何処かで一人で生きていけるのでは……。

いえ、決して、フェリス様を疑うとかじゃないけど、お互い、恋しあっての結婚でもないから、あんなにイケメンのフェリス様が、いつか運命の恋の相手に出逢うかもしれないし。

そしたら、いっぱいお世話になってる大事な推しのフェリス様に、後顧の憂いなく、御自分の望む人生を選んで頂けるように、さまざまな修練を積んでおかねば!

推しの足手纏いになるようでは、信者の風上にもおけない!

「女の子の騎士はなかなか難しいですが、魔法使いは体力差は関係なさそうですね?」

そもそも女騎士になれるほど、前世も今世も、我が身に運動能力を感じない。

フェリス様が暴漢に襲われたときに守ってあげられるくらいだと、とってもかっこいいんだけど……、戦闘方面にはまったく才能を感じない。

「ほう。姫は職業をもつ婦人に憧れておるのかね?」

「はい。手に職をつけられたら、よいかと」

「ディアナの未来の王弟殿下妃に、手に職は要らぬと思うがの?」

マーロウ先生が、楽しそうにくすくす笑ってる。

「でも、マーロウ先生、人生、何が起こるかわかりません。今日は、王弟殿下の妃でも、明日の私は、街でおだんごを売る娘かもしれません。やはり、自分に何かできることがあったほうが、心強くいられます」

だって、こないだまで、サリアの父様と母様の自慢の幸せな王女だったけど、あっというまに、親を亡くしたやっかいものの王女になって、さらにディアナの王弟殿下の婚約者になったよ。

意外にも、ディアナの王弟殿下のフェリス様、とってもいい人だったけど。

そのさきに、落とし穴がないとは、誰にも保証できない。

未来なんて、誰にも、保証できない。

「なるほど。これはフェリス殿下も退屈せんのう……。では、姫君、未来の偉大な魔女をめざして、まず手始めに、魔力でちいさな水球か、火球、どっちか作ってみるかね?」

「はい、先生!」

レティシアの覚悟を、ちっとも本気にしてないマーロウ先生は、にこにこしながら、魔術の初歩の教本を広げた。

飾り罫線

「レティシアが倒れた? 今日はマーロウ師の魔法の授業だったのでは?」

フェリスが誰かを大切に思うのは、随分久しぶりのことだ。

「は、はい、フェリス様。レティシア様は、大変熱心に授業を受けてらっしゃったのですが、魔法の実践の授業で、魔力の制御がうまくいかなかったらしく……」

フェリスはレーヴェみたいに無敵でも最強でもないから、誰かを大切に思うことは、怖い。

「初日から、そんな大技を習ったんだろうか? もっと初歩的な講座だと思ってたんだが……」

フェリスの大切な人は、いつも傷つきやすくて、失われやすいから。

「それで、レティシアの容態は?」

「大事ありません。お医者様も、マーロウ師も、疲れて眠っていらっしゃるだけだと仰られました。マーロウ師からはフェリス様にお手紙をお預かりしてます」

「ありがとう」

手紙を受けとり、レティシアの部屋へと足を向ける。

勝手にかまうな、と自分で牽制しておいて、なんでレーヴェは、こんなときにレティシアをちゃんと見ておいてくれないんだ、と苛立つという……。我ながら、身勝手この上ない。

「フェリス様?」

レティシアの寝室の前で悩んでいるフェリスを、女官のサキとリタが促す。

「眠っている女子の寝室に、勝手に立ち入っていいものだろうか……?」

そもそもここはフェリスの宮なのだが、フェリス自身が己のプライベートをぜひとも死ぬほど尊重してもらいたい人間なので、他人のそれも大事にしたい。

「………。フェリス様は、レティシア様の夫になられる方です」

「それは、そうだが……」

そんな、国と大人達の都合で勝手に決められた夫に、何でも勝手にされたら嫌だろう、と思うのだ。

その点では、少しは安心感を与えられる、かも知れないので、わりと女性に好かれるほうの顔でよかったかもしれない、と最近やっとフェリスは思っている。

「どうか、お傍にいらして差し上げて下さい」

リタが躊躇うフェリスをそっと促し、寝室のドアをあける。

広いベッドに、レティシアは一人で眠っていた。

眠るレティシアの隣には、くまのぬいぐるみがいる。

あのくまのぬいぐるみはフェリスが贈ったのだが、レティシアは気に入ってくれたらしくて、とても喜んでくれていた。レティシアが喜んでくれたので、フェリスとしても、ほっとした。

何といっても、フェリスは、生まれてこのかた、女の子の機嫌をとろうと思ったことがない。

なので、女の子が何を喜ぶのかわからない。

女の子というか、大人の女性である義母上の機嫌は、いつも何とかとろうとして、長い年月ずっと失敗し続けた。

もう自分には、女性の機嫌をとる才能はまるでないのだ、と諦めて久しい。

「……ん……、……ん……」

レティシアが魔法の鍛錬に疲れて悪夢でも見ているのなら、それこそ魔法で払ってあげよう、と思ってフェリスは、レティシアのベッドに近づく。

「……ん……」

遠方から来た心細いであろう幼い姫君の気持ちが安らぐ内装に、と整えさせたレティシアの可愛らしい部屋だが、果たしてこれで正解なのかは、フェリスにはわからない。

記憶にあるフェリスの子供時代の部屋は、うず高く積まれた本と、謎の科学と魔法の道具だらけで、これまた参考にならぬと思う。

「……ん、……い、や……」

フェリスが食事にあまり興味がないと言ったら、ごはんはちゃんと食べてくれ、とレティシアに泣かれてしまった。フェリスの食事事情どうこうより、いろんな悲しいことを思い出させてしまったんだと思うのだが。

あの頃のフェリスにそっくりの、親を亡くした、居場所のない小さな子供。

「……ん……」

フェリスが、レティシアの額を撫でると、安心したような顔色になった。

「夢魔よ、疾く去れ。我が花嫁を、我に還せ」

レティシアに何をどうしてあげたらいいのか、的な難題に比べると、フェリスにとって魔法は大変扱いやすい。昔から、気心の知れた友人のように。

人の心の複雑さに比べたら、フェリスにとっては、魔法の呪文のほうがよほど読み解きやすい。

「……フェリス、さま……? ……わた、し……?」

レティシアが瞳を開き、フェリスは安心した。

レティシアが受けた魔法授業は初歩も初歩で、高度で危険な呪文とは縁がないと知ってはいるが、それでも稀に、魔術習得中に、身体や心の一部、あるいはすべてを失う者がいる。寧ろ、魔力の少ない者より、魔力の多い者のほうが、事故は起こりやすい。

「魔法の授業で気を失ったそうだ。レティシアは慣れていないから、身体がびっくりしたんだろう」

「まあ……。マーロウ先生や、皆様に、ご心配を……かけてしまいました」

驚いて、レティシアは身体を起こそうとしている。

「寝てていいよ」

とはいえ、寝たまま、フェリスと話すのも落ち着かないらしい。

それはフェリスがレティシアの立場だとしても、そうだと思う……。

「いえ。何処も痛くないんです」

「何の実践をやってたの?」

「火球と水球を作ろうとしてて……」

「ああ。物質の構成に触れるのか……」

フェリスは、空間に、マーロウ師の手紙を浮かべてみる。

レティシア姫は魔法の素質があること、レティシア姫も興味があるようなので、魔法の授業は増やしてはどうか、との進言。そして、魔法省の者は、常にフェリス殿下の訪れを楽しみにお待ちしている、との結び。

「マーロウ師が、レティシアには素質があるって書いてる」

「マーロウ先生お優しい……初日から倒れてては、魔法使いの初級弟子、落第です」

赤くなって困っているレティシアが可愛い。

レティシアに魔法の素質があるのは、マーロウのお世辞ではなくて、ホントなんだけどな。レティシア本人が気づいてないだけで。竜王陛下の御墨付きだし。

「そんなことはないよ。魔法の授業、レティシアが楽しいようなら増やすけど、歴史や行儀作法の授業よりは危険もあることだから、無理はしないって約束して欲しいな」

あぶないことしないでください、いくら魔法学が得意だからって無茶はダメです、フェリス様、とレイやサキからずっと叱られる役だったので、こんなことをレティシアに言ってると、ちょっと大人になったような気分だ。

「はい。殿下……」

レティシアは、反省、しょんぼりという様子だ。

レティシアの身を案じているだけで、決して叱ってる訳ではないんだけどな……。

「ん、何?」

ひどく沈んだ顔をしている、うちのちいさいお姫様。

「私がはしゃぎすぎたせいで、マーロウ先生が叱られたりは……」

「そんなことはしないから、心配しなくていいよ」

「安堵いたしました」

レティシアのほっとした顔。

そう。それは王族や貴族の家なら、よくあることだ。

たとえ何の罪科もなくても、大切な婚約者を倒れさせた、という理由で教師を罪に問う者すらいる。

フェリスは、そういうことが嫌いなのでやらないが。

子供の頃、こんな悪しき風習は僕が大人になったらすべて滅ぼしてやる、と思っていたことがたくさんある。すべては無理でも、僕がこの手で変えられることは変えていく。それがどんなちいさなことでも。

「そんな顔しないの、レティシア。大丈夫だよ。僕なんて、魔法の鍛錬していて、魔法省の塔ひとつ吹き飛ばしたことがあるよ」

蒼白な顔のレティシアが落ち込んでいるようなので、そんな話をしてみる。

「……え? 塔?」

「あのときは怒られたよね、サキ」

「はい。ただ、塔がひとつ吹き飛んだだけで、魔法の塔の方に誰もお怪我はなく、真によろしうございました。やはり子供の頃からのフェリス様のお優しさが、爆破の魔法にも顕れております。あの塔はだいぶ老朽化しておりましたので、そろそろ新しく建て替えによい時分でございました」

「物凄く苦しいフォローありがとう、サキ」

澄ました顔のサキは、どうにか、レティシアの気を晴らしたいというフェリスの気持ちを汲んでくれて、昔話を面白おかしく語ってくれてるようだ。

「フェリス様でも、そんな失敗をなさる……?」

きょとん、としてるレティシアが可愛らしい。

「失敗の連続と言った方が正しいかも。子供の頃の僕は、力の制御がうまくできなくて難儀した。たとえばね……手を、レティシア」

「はい?」

レティシアの手に触れて、フェリスの力を少し彼女に分け与える。

「……フェリス様、あたたかいです」

レティシアは少し緊張した不思議そうな顔をしている。

実際、フェリスも、この手の魔法は普段ほとんどやらないので、だいぶ緊張している。

「そう。僕も、こういう癒し系の魔法も……全くできないって、訳じゃないんだけど」

ああ、でも、なんだか、レティシアに触れると、凄く心地いいな。

レティシアが生まれて初めて体内の魔力を動かそうとして消耗してる筈だから、フェリスの魔力を少し与えるつもりなのに、何故だろう、与えてる筈なのに、フェリスにもレティシアの力が自然と還ってきてる。

「はい」

「僕は、壊す方が、たぶん得意」

「フェリス様」

冗談だと思って、レティシアはくすくす微笑っているが、残念なことにただの事実である。

フェリスの場合、ヒーリング(治療)系の魔法は、意識してやらないと発動しないが、攻撃の魔法系なら、ほぼ考える前に発動する。ちっとも優しくない根っこの性格が出てるようで、嫌である。

「うん。きっとね……、レティシアはこういう系の魔法の方が向いてるんじゃないかな」

綺麗な波動だな……。

どうやったって、こうして身体の一部に触れていると、レティシアの本来の気に触れるけど、なんて濁りがない波動なんだろう……。

レティシアの失われた気を補填するつもりだったフェリスが、何故か逆に癒されていく。

「……はっ! フェリス様! これもしかして、私、フェリス様の御力を吸い取ってるんじゃ……」

大人しくフェリスにされるままになっていたレティシアが一転、吃驚した顔で、フェリスの手を放そうとする。

それ以上、後ろがないのだが、何とか、ベッドのなかでずるずる後退ろうとしてる。

なるほど。

自分のものじゃない力が流れ込んできてるのに気づいたんだ。

ホントに聡いんだな。

それにしても、相変わらず、反応がおもしろい……なんでこうなるんだろう?

「レティシアが吸い取ってるんじゃなくて、僕が分けようと思ったの」

「……! そんなのダメ! フェリス様の元気が減ります!」

フェリスの意思というところを強調しようと、説明したが、聞き入れて貰えない。

「元気……、いや、元気じゃなくて魔力、レティシア」

「ダメです! もうフェリス様、私に触っちゃダメ! 私、もう元気です! フェリス様、ありがとうございました!」

ぷるぷるぷるぷるぷる、レティシアが金髪を振ってる。

見開いた、琥珀の瞳。

まるで……治療を嫌がる、仔猫とか仔犬のよう。

ダメだ。

可愛すぎて、笑い死にしそうだ……。

「フェリス様? 何かおかしいことありました? 私から何か変な菌とか、病気とか、フェリス様に行ってません?」

「……だって、あんまり可愛すぎて」

可愛すぎて、涙がでそうだ。

この世にフェリスから何かを欲しがる人間はそれなりに数いるんだが、ほんのちょっとした力を分け与えるのさえ嫌がるこのちいさい婚約者殿、どうなってるんだろう、おもしろすぎる……。

「……? よくわからないけど、笑うとこでしょうか?」

「じゃあ、ここ泣くとこかな。僕の可愛い花嫁殿の手を、僕が初めて握ったら、振り払われて、哀しみで、この心臓が壊れてしまいそうって」

笑いがとまらなくなったフェリスを、女官のリタがきょとんとした顔で見つめている。あまり大笑いするタイプの人間でもないので、無理もない。サキはなんだか嬉しそうだ。

「いえ、あの……振り払ったわけではなくて、あの……あの、フェリス様の御身が心配、で」

うう、治療してもらってたのに、振り払ってしまった……、そんなつもりでは……、と困っている。

「それにね、僕はレティシアに少しだけ力を分けたけど、レティシアからも貰ったよ」

「ホント、ですか?」

「うん。なんかね、僕、こういう治療系、あまりやらないから、わからないんだけど、レティシアからも還って来たよ。凄く綺麗な波動に、浄めてもらった感」

「私も、凄く、あたたかく包まれてる気持ちでした」

うまく言えない、と言いたげに、レティシアが言葉に迷っている。

「ね。だから僕は、逆にレティシアから貰ったくらいで、何も力を失ってないから、心配しないで」

金髪を掻き揚げて、レティシアの白い額にくちづける。琥珀色の瞳が、呆然と、フェリスを見上げている。闇の中の魔物を払うと言われる宝石の色をした瞳。

「……お、おでこに……」

レティシアの真っ白な頬が、真っ赤になった。