陛下のもとを辞して、王宮を歩いていると本体の竜の姿を背後に、剣を手にした竜王陛下の絵姿の前を通りかかる。

ディアナ人は、創始の竜王陛下の絵や銅像を飾るのが大好きなので、王宮内も、街も、至るところに竜王陛下だらけだ。

(本当にもう……、何処にでも、飾られすぎですよ)

おかげで、フェリスは何処ででも、自分と似たような顔の神話の人に出逢う。

なかなかの災難である。

昔々、竜王陛下本人が生きてた頃は、

「いらんいらん。似てない絵姿も銅像も何もいらん。オレ本人がここにいるんだから、そんなこそばゆいものはいらんだろう」

と陛下が明るく笑い飛ばして、何も作らせて貰えなかったそうだ。

しかし、竜王陛下が天に帰って久しく、寂しがったディアナの人々は、愛しの神を恋うて、似姿を作りまくった。

もちろんディアナ人にも、ちゃんと、言い分がある。

魔や闇が集いそうな場所に、尊い竜王陛下の御姿を飾れば、きっと竜王陛下が守って下さる。

天上の竜王陛下がお忙しくても、その似姿にすら小さい魔物なら怯えて逃げるだろう、という護符替わり的な存在理由もある。

それは確かに、まあ遠からずというかいろいろと護符として、機能してもいるのだが……。

(マリウスはまた老けてなかったか? おまえの結婚で、なんで、あいつが老けこむんだろうな?)

「また私を守れなかった、と兄上らしく密かに気を揉んで下さったのかもしれません」

話しかけてくる絵姿の竜王陛下に、フェリスは答える。

「レーヴェ。兄上のことより、今朝、レティシアに何か構ってませんでしたか?」

(ん? 何もしてないぞ)

いつにない、この即答ぶり。

とても怪しい。

「僕の花嫁に、悪戯しないで下さいよ」

不安だ。

果てしなく。

(悪戯なんぞしないが、あのちびちゃん、自分で気づいてないみたいだが潜在魔力がひどく高いんだろう。オレの声を、意識してる訳じゃないのに拾ってる)

やっぱり!

レティシア、きっと、違和感に気づいてた。

タペストリーの前で、きょときょとしてたから。

「そもそも喋りかけちゃダメですって」

悪戯っ子なご先祖の竜王陛下を諫めつつ、じんわり静かに、フェリスのなかに喜びが湧いてくる。

ああ、やっぱり。

あの子には、レーヴェの声が聞こえるんだ。

僕と同じように。

僕と同じように!

(おまえ、意地悪だな。フェリスの嫁だぞ。新しいうちの家族だぞ。そりゃ、構いたくなるだろう)

「いや、そんなお父さん根性で、僕のお嫁さんにちょっかい出してないで、兄上の国政の悩みでも聞いてあげて下さい」

(無理だなー。マリウスは、びっくりするほど、鈍いんだ。あれじゃ、悩んでても、何の啓示も与えてやりようがない。歴代ディアナ王の中でも、あそこまで、オレの気配を感じない奴はなかなかおらん)

「そうですか……」

フェリスは美しい貌で、残念そうに溜息をつく。

たぶん、義母上にバレたら、殺される。

何故、マリウスじゃなくて、おまえが神の声を聴いてるの! 何故おまえが! と。

(あの小さかったフェリスも、立派になって、もう嫁が来るようになったんだなー)

「レーヴェ。僕と同じ貌で、年寄りぶるのはやめて下さい」

(おまえより、年食ってるのは間違いないぞ?)

それはまあ確かに。何といっても、フェリス達のご先祖なんだから。

「フェリス様? 王弟殿下? こちらにおいでですか?」

「ああ、ここに」

誰かに呼ばれて、フェリスは答える。

「どなたかいらっしゃいました?」

「いや? 私一人だよ」

フェリスは、話しかけてきた貴婦人に答える。壁の絵の中の竜王陛下は、現世の人とお喋りなどする筈もなく、神話の英雄らしく雄々しく大剣を構えていた。

えーと。誰だったかな。この御婦人は。

フェリスは無表情のまま、呼びかけられた貴族の御婦人に応じる。

いつも影のように付き従ってくれるレイを宮においてくると、こんなとき不便だ。

とはいえ、レティシアを一人にするのも心配で、最も信頼しているレイに任せてきた。

(おかしな教師が来たら、撃退するように)

フェリスも多くの家庭教師をつけられたが、博識で、学ぶということの楽しさを教えてくれる者もいれば、ただもう苦痛で無駄としか思えない時間もあった。

後年想うに、あれは学習の内容より、教師と波長があうかどうかが大きく影響してると思う。

「フェリス王弟殿下、サリアからの麗しの花嫁ご到着とのこと。おめでとうございます」

「ああ、ありがとう」

御婦人の好奇心に満ちた猫のような瞳が、フェリスを見上げている。

その昔、小さかった子供の頃は、後ろ盾のない王宮の孤児に向けられる、こういう貴族の好奇や冷やかしの眼が、本当に苦手だった。

でも、いまは、昔より大人になった。

無遠慮で無神経な貴族たちに、上から見下ろされる機会も減った。

フェリス自身の背が伸びて、フェリスの視線の方が、上にある。

これだけでも、心理的にだいぶ違う。

「サリアの姫様は、こちらに不慣れでございましょうから、どうか、妃殿下の数あるお話相手の一人として、私共にもお声かけ下さいませ」

なるほど。そんなリクルートもあるのか……。

「ご親切に。妻がディアナに慣れるように、御力をお借りすることもあるかも知れません」

うちの宮は、僕しかいないから、貴婦人のことはさっぱりだからなあ……。

「フェリス様。ディアナで当節流行りのドレスでしたら、シャルル伯爵夫人にご相談なさるのがよろしいですわよ」

「当節流行りのドレス。そうですね、レティシアは、目下、レーヴェの話に興味津々のようですが」

ああ。こんなこと言ってたら、レーヴェが喜びそうで嫌だ。

「竜王陛下のお話に? まあ。お小さいのに、勉強熱心な方なのですね」

そうかも。図書宮の鍵のプレゼント、よほど嬉しかったのか、今朝、凄く凄く力を込めて御礼言われたし……。

「レティシア様は、幸運なお姫様ですね。こんな美しい、優しい殿方と御縁を結ぶことができて。

王弟殿下に憧れるディアナ中の娘たちが羨ましがりますよ」

「どうでしょう。ずいぶん歳が離れてますから、私との暮らしが苦痛にならぬよう、配慮してあげたいと思っています」

「まあ、フェリス様。十二歳なんて、ほんの、ひとまわりです。そんなに違いませんわ」

いや? そこは、だいぶ違うと思うぞ?

「私なら国同士の為の婚姻で、こんな素敵な婿君と出会えたら、きっと毎日レーヴェ様に深い感謝の祈りを欠かしませんわ」

「慣れないところで、寂しい思いをしないといいのですが……」

結局、あまりこの御婦人の話に内容はないようなんだが、ここは新婚の身として、結婚を祝ってもらってることを穏やかに喜んでおかないと、王弟殿下は結婚がご不満で御不快そうだった、レティシア姫の話をするのさえ嫌そうだった、などと自由に創作されても困る、とフェリスはお相手をしていた。

それにしても確かに、レティシアが御婦人方の会などで、気まずい思いをしないように、流行りのドレスなどもちょっと気にかけてあげないと、だな……。

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午前中、礼儀作法の授業を受けて、先生が帰られてからランチ。先生とお茶しながら、お菓子も摘まんだんだけど、ランチの春野菜のパスタもとっても美味しかった。

菜の花とアスパラとお肉の入ったクリームパスタを、薔薇の咲くテラスで給仕してもらって、一人で食べながら、レティシアは、フェリス様は何を食べてらっしゃるかな? と考えていた。

「推し活っぽい……」

「レティシア様、何か仰いました?」

「ううん。何でもない」

レティシアは小さく上品に首を振った。上品に心がけただけで、出来ているかどうかだいぶ謎だけど。

昨日から接していると、フェリス様の仕草があまりにも優雅なので、少しは真似よう……と密かに思って、ちいさく真似してみる。

そもそも素材が違うから、無理があるとは思うのだけど、人の子の身として、努力は大事。

「何をしてるときも、推し、どうしてるかなあ、推しならこんなときどうするかなあ、って思うの」

昔、推しの為にバイトしてる、と言ってた女の子がそう言っていた。その子はとってもよく働く気の付く子で、同じシフトにその子が入ってると、ほっとしたものだった。

「毎日、推しがこの世に生きてるってだけで、もう人生、本当に幸せ!」

なんだか凄いパワーだ、羨ましい、と思ったものだ。

まだまだ、推し活初心者のレティシアは、その高みまでは至れてないが、

(フェリス様はランチ、何を食べてらっしゃるんだろう?)

と、不意にそんな思考がふんわり浮かんできて、驚いた。

これこそが、まさに、推し活というものなのでは?

ディアナに輿入れが決まって、何か月も前から、準備に入った。

でも、絵姿も送られてこなかったので「変わり者」「変人」「冷や飯食いの王弟」「氷のように冷たい男らしい」との悪い噂ばかり伝わってきて、正直、まだ見ぬ婚約者に怯えこそすれ、何の期待もしていなかった。

「いくら噂にしても、もう少し、真実を伝えるべきでは」

レティシアは、だんだん腹が立ってきた。

勝手に怯えていた旅の前の自分はおいといて、罪もないフェリス殿下の名誉が汚され過ぎてる。

美しくて優しい方なのに。

「何の噂ですか、レティシア様」

「王弟殿下の噂です。変わった方だとか冷たい方だとか、あまり真実を伝えてない気がします」

「変わった方なのと、そんなに誰にでも優しい方でもないのは、真実ですよ。殿下は、レティシア様を気に入られたので、レティシア様には特別にお優しいですが」

フェリスの影のようなレイが、あっさり認めている。

そこは認めないで、フェリス様の名誉の為に、一緒に怒って欲しい。

大事な、フェリス様の推し仲間として。

(勝手に心で、推し仲間として認定中)

「それは……、殿下はきっと、はるばる遠くから来た子供を気の毒に思って下さって……」

そういう殿下の自然な優しさを、世の人にもちゃんと伝えたい。

だって悲惨ルートなら、こんな子供、用はない、何処かに捨て置け、って邪険にされるパターンもありだったと思うの。

「それも真実ですが、いつになく楽しそうですよ、レティシア様を気遣うフェリス様は」

そうなのかなあ。でも、そうだったら嬉しいなあ。

レティシアも、フェリス様のこと考えてると、何だか、とても楽しいので。

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「ディアナというのは、フローレンス大陸の右側に位置する国だ。その昔は、哀れな、みすぼらしい、呪われた大地と言われていたのだよ」

午後からの先生は、立派な白髭を蓄えたロマンスグレーだった。優雅なお辞儀の仕方や歩き方を教わった午前中と違い、机に座っての座学である。

「いまの姿からは、想像できません」

レティシアが知っているのは、祝福された王国、大陸でもっとも豊かな国、誰もが憧れる竜の神に守られたディアナだ。

「そうだねぇ。痩せた荒れ地で、泥だらけで戦っていたアリシア姫を、レーヴェ竜王陛下が助けてから、この世界はディアナに優しくなった。戦に負けることはなくなり、ディアナの農地は豊かになり、商業も栄えるようになった。よその国から見下されることもなくなり、ディアナの民はやがて失っていた自信を持つようになった。愛や喜びや誇り、挑んだことに失敗しても何度でも挫けず立ち上がる強さ、それまで夢にさえ見られなかった、いろんなものをレーヴェ様は、貧しかったディアナの民に与えて下さった。ディアナには竜王陛下の絵姿や銅像がとても多いのだが……」

「はい。街中に竜王陛下が溢れていると、お聞きしました」

もう少し慣れたら、ディアナの街に行ってみたいなあ。

「あれは、栄えてのち、どんなに時を経ても、ディアナの民は、竜王陛下への感謝を忘れない証なのだよ。この世界でたった一人、レーヴェ竜王陛下が情けをかけて、辛抱強く支えて下さるまで、この地はよそから見向きもされない貧しい国だったのだ」

「竜王陛下は、アリシア妃をとても愛していらしたとお聞きしました」

そおかあ。

竜王陛下、何もお美しいから、絵姿が愛されてる訳じゃないんだね。

貧しかったディアナを裕福にしてくれた、建国の大恩人なんだね。

「そう。隣に私がついていないと、この姫は本当に無茶苦茶をするから、と笑ってね。ディアナの娘たちは、みな、いつか、レーヴェ竜王陛下のような、愛情深い夫と連れ添いたいと思って大きくなるのだよ。アリシア妃はとくだん絶世の美姫ではないので、それもまた多くの少女たちの希望の星であり続けるね」

「せ、先生……」

真面目な顔して、何を言ってるんですか。確かに、タペストリーで拝見したアリシア妃は、可愛らしい自然な感じの方で、神をも惑わす美姫! という描かれ方ではなかったけど……。

「午後の授業は眠くないかい、レティシア姫」

「いえ、全然。お話楽しいです」

竜王陛下のお話も楽しいし、昨日、久しぶりに、とってもよく眠れたのだ。

きっとあのフェリス様の贈り物の、くまのぬいぐるみと、図書宮の鍵のおかげ!

ああ、いつ、図書宮行けるかなー。しばらく忙しいのかな?

でもあの鍵を貰ってるだけで、果てしない安心感!

「私の講義を眠たがらずに聞いてくれるなんて、小さい頃の王弟殿下を思い出すよ」

「先生は、小さいころのフェリス様も教えてらしたのですか?」

小さいフェリス様! 可愛かったろうな~!

「王弟殿下は私の教えたなかで、一番、聡明な生徒でね」

さすが、我が推し!

レティシアが目を輝かせて食いつくと、先生も愛しげに自慢の生徒の話をしてくれた。

「凄まじい速さで、知識を吸収する子供でね。学び、思考し、他の者とは違ったことに対して疑問を持つ。私には大変可愛い生徒だったが、優秀すぎて、生半可な教師だと、すぐに殿下の学びの歩みについていけなくなってしまう。姫ぐらいの御歳の頃に、持てる力を持て余して、途方に暮れてらしたよ」

「途方に?」

「ランス、僕は質問をしすぎか? 先日、数学の教師が僕の授業のあと、倒れたと言うのだ。僕は僕のささやかな疑問を解き明かしたいとは思っているが、何も人を病気にしたいとは思っていない。僕はランスの授業がいちばん楽しくて、いちばん楽だ。他の者だと、他愛ないことを尋ねたつもりで、ひどく教師を困らせてしまうんだ。僕は誰かを困らせたいわけじゃないのに。いったい、あたりまえの五歳の王子とは、どんな振る舞いをするものなんだ? 何故、そんなに僕は人と違うんだ?」

「か、可愛い……」

可愛いけど、可哀想。

早熟すぎる天才少年の悲劇と言うか。

フェリス様、自分が天才少年で周りにあわせるのに苦労したから、雪の入ってるレティシアが、子供らしくない振る舞いしても、変に思わないでいてくれるのかなあ。

「じゃろう? いろんな才能のある方で、それなのに、誰かを脅かしたりせぬ、可愛い王弟でいなければ、と子供の頃から気苦労が多くてね。いまは随分大人になられて、いろんなものを隠すのもすっかり上手になってしまわれましたが、私はあの頃の、この世界に対する興味を隠せない不器用な殿下のまま、育ててあげたかった」

「フェリス様は、ランス伯の自慢の弟子なのですね」

「いやいや、そんな恐れおおい」

可愛いなあ、ちっちゃいフェリス様。

逢いたいなー。

もう大きくなってるから、逢えないんだけど。

(どうして、僕は)

「あの鍵……」

図書宮の黄金の鍵。

あの鍵をくれたのは、どうして僕は人と違うんだ? と途方に暮れてたちいさな男の子なんだ。

それは、生まれた時から万能に見える美貌の王弟殿下に頂いたよりも、もっと愛しいような……。

「鍵?」

「私が、本が好きだと言ったら、フェリス様が図書宮の鍵を下さったんです。私、国許では、本ばかり読んでる小さな女の子はおかしい、と言われて居心地が悪かったので、とてもとても嬉しかったです」

たくさん本を読んでもいい。

ちいさな女の子が、難しい本を読みたがっても変じゃない。

初めて認めて貰えた気がして。

「それは、同族への贈り物だね。私も本好きだからその贈り物は宝石より嬉しいね」

「ですよね、先生!」

先生、フェリス様の推し仲間に勝手に心で認定致しますね!

「フェリス様と、タペストリーに描かれた竜王陛下が似てるのに、私がとても驚いてたら、フェリス様、僕はこんなに我儘じゃないよ、と笑っておいででした」

「フェリス様は成長するに従って、竜王陛下にどんどん似てこられたからね。そう言われることが増えて、王弟殿下御本人も戸惑って、レーヴェは神で、僕は地べたを這う、哀れな人の子だ。似てる筈なんかないのにな、とやさぐれていたよ」

「フェリス様のほうが少し愁いを帯びてらして、竜王陛下のほうが、なんだか明るい方なのかなと……」

朝見たタペストリーでも。

レーヴェ様、血塗れの戦場のなかにいても、へこたれないで、笑顔を見せるような神様だったんだなーと。

「この世の誰も、レーヴェ様を制限できないからね。昔々、レーヴェ様を神殿に捕らえて、その力を得ようとした他国の者もいたそうだけど、められた神殿ごと破壊するような御方だから」

「神様を生け捕り……大胆にして、無礼過ぎる」

ぽかん、とレティシアは口を開けた。

「全くね。昔も今も、人間というのはこの世界の中で小さな存在なのに、神を敬わずただ神の名と、神の力のみを利用しようという悪しき者もいる。神の力というのは、人が使役するようなものではない」

「ディアナの方は、レーヴェ様を尊敬しながらも、とても愛してらして、微笑ましいです」

普段、ちっとも信仰のあつくなかった、日本人の雪も、車にひかれるときは、神様……! って思った。

生まれ変わって、レティシアになってる! と気づいた時も、神様どうして? と思った。

それは、レーヴェ様やサリアの女神様みたいに、ちゃんと貌のある神様じゃないんだけど。

漠然と、名前も顔も知らない神様を呼んでしまうのは、人の何か本能的なものなのかなー。

「でも、神様に似てるって言われるのは、確かに大変そう……」

まして、レーヴェ様みたいに、こんなに現役で、愛されまくってる神様だと……。

「ディアナの神の代理人は国王陛下なのだよ」

「そうなのですか?」

神の代理人。

ということは、この場合は、レーヴェ様の代理人てこと?

「そう。男であれ女であれ、レーヴェ様の竜王剣を抜ける者、レーヴェ様に最も近しい御方が、ディアナの王になるのだよ」

「レーヴェ様にもっとも近しい御方が、ディアナの国王陛下」

レティシアは、ランス先生の言葉を繰り返してみる。

そういう風習の国で、やたらレーヴェ様に似たフェリス様が、お兄様の国王陛下にお仕えしてたら、何だか、ちょっと、変な絵面に見えるかも……?

顔が悪いから虐められるのかも、と笑ってたフェリス様の言葉が、違った意味で、現実感ありすぎる……。

「……のせいで」

「ん? 何だね、レティシア姫」

「この顔のせいで、人に嫌われて困る、って笑っておいででした。昨日、初顔合わせのとき」

あれは、嘘ではなかったんだ。

レティシアを笑わせようとしてたんではなくて、あの綺麗な人は、本当のことを言ってたんだ。

神話の神様みたいに美しいのに、孤独な影の見える婚約者様。

何でだろう?

不思議。

本物の神様の竜王陛下のほうが、フェリス様より、よほど人懐っこそうに見える。

まあでも、描いたのは、後世の画家だろうから、現実の竜王陛下というよりは、多くは、人々の幻想の中の竜王陛下なのだろうけれど……。

「好かれすぎて困る、と言って過言ではないと思うが」

先生は悪戯っぽく笑った。

妙に安心。フェリス様の子供の頃からの先生がよさそうな人で。

「王弟殿下は、人あしらいが苦手でいらっしゃるから、過剰に好かれるのも嫌われるのも、どちらもうまく扱いかねて、困惑なのだと思うよ」

あれ……? そう言えば、今朝、誰かが……

(性格は全然似てないのに、顔だけオレに似て派手だから、可哀想すぎるな)

って言ってた……。

あれ、何だったんだろう?

う、うん?

フェリス様が似てるのって、竜王陛下……?

「天性の人たらしの竜王陛下に御気性も似てらしたら、フェリス様ももう少し、楽なのだろうけどねぇ」

「きっと……、もう少し、フェリス様が我儘を言うべき! ということですね」

「我儘を?」

なんだか、ランス先生が、白い御髭をぴくぴくさせている。

ん? 先生? もしかして、笑いを堪えてる? へ、変なこと言ってるかな、私?

「フェリス様、きっと、いろいろ気を遣ってご遠慮しすぎで……竜王陛下のように我儘に、己の望みに正直であるべし! ということかなあと……」

幻聴もそう言ったし。もう少しうまくやればいいんだ、って言ってた。

「そ、そうだね、姫」

「な、なんで涙ぐんでるんですか、先生。違ってました?」

先生、泣くほど笑うってどういうこと? そんなにはずした?

「いや、違ってない。レティシア姫は正しい。王弟殿下はもっと我儘を言っていい」

「先生ー、賛成なのに、なんで笑うんですかー」

「いや、おかしいやら、可愛らしいやら。こんなに小さな人が、まっすぐに一番正しいことを言うんだな、と」

小さくはないんですよ、本当は。中身は、見かけよりもちょっと老けてるんですよ。

「失礼ながら遠方よりいらした姫の幼さを、私は少しばかり案じておりましたが、何の何の、王弟殿下のところへよき方がお嫁に来てくれました」

「は、はあ……」

めちゃくちゃ笑われたけど、喜んでくれてるみたい。それは何より。

ごめんね、先生。大事な愛弟子の花嫁、小さいうえに、中身がちょっと怪しい姫様ですけど。

「レティシア姫の明るさや、清らかさが、末永く王弟殿下を守ってくださいますように」

何故か、ランス伯から、膝をついて正式な騎士の礼を頂いてしまい、慌ててレティシアは居住まいを正す。

「こちらこそ。王弟殿下の敬愛するランス先生が、ずっとフェリス様と未熟なこの我が身を導いて下さいますように」

レティシアは、今朝習ったばかりのディアナ風の所作で、ランス伯爵に祝福を与えた。

飾り罫線

「お帰りなさいませ、フェリス様」

「ああ、レイ。レティシアの様子は? 学問は、どうだった?」

随分と、あちこちで、祝いを述べる人々に捕まって、戻ってくるのが遅くなってしまった。

ここで邪険にして、レティシアの評判を落とす訳にもいかん、といつになく愛想笑いを顔に張り付け続けたので、フェリスは著しく顔面が疲労した。

「滞りなく。午前中はセドリック伯爵夫人がマナーの講義に、午後はランス伯がディアナの歴史の講義にいらっしゃいました」

「ランスが来てたのか。それは、僕も講義を聞きたかったな」

子供の頃、いくつも受けていた授業の中で、ランスの授業が一番好きだった。彼の語り口が好きだったし、彼だけはフェリスの「先生、それは何故?」の質問に、嫌な顔一つしなかった。知ってることなら教えてくれたし、知らないことならフェリスと一緒に考えてくれた。

ランスは、昔から決まっていることに、子供は疑問を持ってはいけない、という顔をしなかった。

「レティシア様も、フェリス様のように、ランス伯と気が合われたらしくて、遅くまで楽しそうに講義を受けてらっしゃいましたよ」

「うん。それはきっとそうだろうな」

レティシアも、ちいさな姿と魂があってない様子だから、ランスの講義は、幼いころのフェリスと同じように居心地がいい筈だ。

本ばかり読んでいる小さな娘はおかしいと不評で、としょんぼり語っていたうちの花嫁殿。

「セドリック伯爵夫人にはいじめられてなかったか?」

「御二人で竜王陛下とフェリス様の話をされて、お茶の時間に盛り上がってらっしゃいましたよ」

「午前中の世俗、午後の知恵、だな」

「どちらも肝要かと。どちらか一つでは、宮廷ではとても生き残れません」

レイの返事に、確かに、とフェリスも頷く。

人は、愚かさでも滅ぶけれど、賢さだけでも簡単に足を掬われる。

何処であろうと、生き残るには、雑草のような強さが必要だ。

「フェリス様! お帰りなさいませ!」

愉快でもない思いに包まれかけていたら、庭からピンクの花びらを散らしながら、小さな弾丸が飛び込んできた。

「レ、レティシア?」

「すみません、薔薇を摘んでいいと言って頂いたので、どれにしようとたくさん悩んでたら、戻るのが遅くなってしまって」

レティシアは、フェリス帰還と聞いて、急いで戻ってきたのか、頬とお鼻が赤くなっている。

林檎のほっぺをした少女が、摘みたての薔薇を両手に抱えて、弾丸のようにフェリスめがけて走ってくる。

なんと……平和なんだろ、我が家は。

「謝らなくていいよ、何も」

兄君や、話しかけてくる貴族たちに、ずっと気を張っていたのが、いっきに解けた気がして、思わず笑ってしまった。

「髪に花びらがついてるよ、レティシア」

フェリスは指を伸ばして、レティシアの金髪から薔薇の花びらをとる。

「あ、ありがとう……ございます。……フェリス様? 何か楽しいことありました?」

「どうして?」

「とても楽しそうに見えます」

「そうかな。帰ってきて、ほっとしたからじゃないかな」

生まれた時から、フェリスは、この広い宮殿に住んでいるものの、自分には帰る場所なんて何処にもない、と思っていたのだけれど。

なんでだろう?

昨日会ったばかりの、ちいさなレティシアの顔を見て、家に帰って来たような気持ちになるのは、どういう心の動きなんだろう?

不可解すぎて、おもしろい。

「お勉強はどうだった、レティシア?」

「とても楽しかったです! ディアナの歴史や、現在のことなど、いろいろ教えて頂きました!」

白い頬に赤みがさしているレティシアを、少し安心して、フェリスは見下ろす。

よかった。レティシア、本当に楽しかったみたいだ。

「教師たちの講義は、退屈ではなかった?」

「少しも! 先生方、お話がお上手なので」

昨日初めて逢ったレティシアは、紙のように青ざめた顔色をしていた。

怯えた瞳でフェリスを見上げ、かすかに震える声で、

(王弟殿下におかれましては、ご機嫌うるわしう……)

と言ったのだ。

蒼白の少女の顔を見下ろしながら、フェリスは、哀れな姫君をさらう伝説の魔物とは、こんな気分だろうかと思っていた。

ずいぶんな役回りだ。

十七歳の若さで、少女をさらう悪逆の魔物公爵役とは。

いったい、僕が前世でどんな悪業を……? と空を仰ぎたくなった。

ディアナの守護神レーヴェの生まれ変わりにしろ、悪逆の魔物にしろ、どちらにしてもフェリスでは力不足だと思うのだが。

もっとも、怯えていたのはレティシアだけでなく、フェリス自身もだったから、レティシアの気持ちはよくわかった。

フェリスだとて、見知らぬ姫君を警戒していた。

兄君はまだしも、義母上に鬼のように憎まれている前科からいって、フェリスが花嫁にも鬼のように嫌われるという不幸な未来もないとは言えない。

それはできたら、避けたい。

政略結婚で出逢った姫と、逢った瞬間に恋に落ちるような奇跡は全く期待してなかったので。

(それこそ自分がレーヴェのような男なら、そんな奇跡もあるのかも知れないが。顔はともかく、フェリスはあんな性格では全くない)

せめて平和的に、できれば友好的に、妃となる者とつきあいたい、と考えていた。

妃となる娘が、薔薇を抱えて嬉しそうに走ってフェリスを迎えに来てくれるなんて、そんな未来は予想してなかったので、現段階でかなり幸せな状況といっていい。

「ランスが来ていたのだって?」

「はい」

「僕も子供の頃、彼に教わっていたんだよ」

「はい。ランス先生に、伺いました。幼いころのフェリス様のお話を……」

「おやおや。僕の悪口言ってなかった?」

「フェリス様はとても賢い生徒だったと、ランス先生は褒めていらっしゃいました。フェリス様が聡明すぎて、先生たちが追いつけないほどだったと……」

「ただ、手のかかる子供だっただけだよ」

「いえ! そんなことはないです!」

ほろ苦い幼い思い出を誤魔化そうとしたら、何故か厳しく咎められた。

「私とランス先生は、フェリス様は他人の手を煩わせることを気にしすぎる、フェリス様はもっと我儘になられるべきだ! という結論に達しました」

「………???」

何がどうなってそうなったんだ? とフェリスは首を傾げ、答が聞けるだろうかと控えるレイの顔を見てみたが、レイもただただ驚いている。

「フェリス様は竜王陛下の子孫でいらっしゃるのですから、竜王陛下のように、己の心に正直に、もっと我儘であられるべきです」

「いやそれは……どうだろう?」

ダメだ。おかしい。レティシアがたぶん、心から、フェリスを思って言ってくれてるのだろうなとは感じるのだが、何がどうなってその結論になったのかわからなすぎて、笑いが……。

「あ。フェリス様も笑ってる。ランス先生にも笑われました。どうして笑われるのでしょう? 真剣に申し上げてるのに」

「いや……レティシアの好意は……嬉しい……でも、何だか……、レティシアが……可愛すぎて……」

笑うとこではないんだろうとは思うのだが、可愛いくて、おかしい。

レーヴェの気配がいまは周りにないが、たぶんこの我儘推奨宣言を聞いてたら、竜王陛下も大爆笑だ。

「そんなに泣くほど笑ってらして、可愛いと言われても、まったく信じられません」

ぷくっとレティシアは頬を膨らました。