本好きの姫と、黄金の鍵

「レイ、レティシアは安心して夜を過ごせそうだったか?」

レティシアのところから戻った随身にフェリスは問いかけた。

「はい。殿下。少し女官と話して戻って参りましたが、レティシア様は、殿下の贈られたくまのぬいぐるみを大事そうに抱いて、今夜は、もうおやすみだそうです」

「ああ、疲れたんだろう」

フェリスの美しい唇に、微笑がにじむ。

疲れて、当然だ。

あんなにちいさいのに、こんなところまで、一人で来たのだ。

王たちは何万もの軍勢を伴って戦に挑むが、うら若い姫君たちは、たった一人で敵国に挑む。

しかも自分の意志とは無関係に。

現状のディアナとサリアは敵同士とまでは言わないが、それでも、レティシアがここで孤立無援なのはかわらない。

「くまのぬいぐるみも役立ってよかったな」

物凄い年齢差の花嫁を迎えるにあたり、だいぶ途方に暮れたフェリスは、とりあえず少女の喜びそうなものを準備させていた。

今日、実際に会話して、レティシアが本が好きだと言うので、そのくまのぬいぐるみに図書宮の鍵を持たせた。たぶん喜ぶのでは? と思いつつ。魔法の扉への鍵のような、図書宮の黄金の鍵を。

「何とも不思議な姫が来たねぇ」

「お話しされてる様子が、とても五歳の姫には見えませんね」

「確かにね」

フェリスもレイも、さほど、その年齢の少女と接する機会はないが、それにしても、ちょっと会話が成り立ちすぎでは? と疑問に思う。

「いささか、あやしむほどです」

「まあ、怪しい王族なのは僕もだから、凄くお似合いでは」

「フェリス様」

「早熟な天才少女にしては、押しは弱そうだったな、僕の奥さんは」

レティシアの存在は、ひどくアンバランスだ。

五歳の少女の器の中に、何か違うものが封じ込められている。

べつに悪い力だとは思わないけど、この世界の理を少し歪めている。

あの子が意図してやってるとは、到底、思えないけど……。

誰かが意図したものなのか? それとも何かの手違いなのか?

「……」

訳もなく、身体の中から、楽しい気分が湧き上がってくる。

これは、フェリスの感情なのか、それとも……。

「フェリス様?」

「いや、レティシア、可愛いから、おじい様が喜びそうだなと」

微笑交じりの溜息ひとつ。

不安定なフェリスのところへ、不安定なレティシアがやってきた。

吉と出るのか、凶と出るのか。それはわからない。

ただ、レティシアに約束したように、彼女はフェリスに属するものとなるから、フェリスは全力でレティシアを守る。

おそらく傍目には理不尽なほどに。愛情が、やや錯綜している血筋ゆえ。

「確かに。お好きそうです」

あああ、また面倒が起きないといいですが……と、レイがやや困り顔で頷いていた。

可愛いの基準が、我が一族は、世の常の人とはずれてるような気もするのだが。

あんな小さな、剣もまだ重くて持てぬであろう少女に、

「きっとフェリス様をお守りします!」

と誓われては、滅多なことでは動かぬフェリスの心も動かずにはいられない。

「私の花嫁とはいえ、レティシアはまだ幼いから、いますぐどうこうという危険はないと考えているが、くれぐれも身の安全には気を付けてやって欲しい」

「御意。厳重に精査して、信頼のおける者以外、姫の傍には近づけません」

私たちは似た者同士だね、と言ったら、レティシアはとてもとても驚いて、そしてほんの少しだけ安堵したような顔をしていた。

フェリスと似てる、と言われて喜ぶ者は、このディアナ王宮にはそういないだろうから、くすぐったいような気持ちになる。

いろいろとレティシアにフェリスの本性がバレてしまったら、すっかり嫌われてしまうかも知れないが、少なくともいまのところは、あの小さい花嫁に好かれている、ような気がする。

誰かに好かれたいとか、誰かを手に入れようとか、誰かを守りたいとか、そんな望みを、フェリスは、随分と昔に、捨ててしまったので。

こういうふわふわした感じは慣れないが。

お互いに、望んだ結婚ではないとはいえ、あの子と話すのは楽しい。

異国から来た小さい姫は、大人でも不勉強な者なら知らぬようなことをすらすらと答える。

それなのにときどきはっとして、余計なことを喋りすぎたろうか? と困った様子で、口を押さえている。

あの年齢で、あの聡さや知識はおかしい、と人々に不審がられて、恐らく国許で居心地の悪い思いをしてきたのだろう。

「宮廷人は、自分より愚かな子供が好きだからな」

姫君は少し物知らずな方が好まれると窘められたとレティシアは言ってたが、それは何も「姫」や「女」に限った話でもない。

「殿下?」

聡い子供や、賢い子供は都合が悪い。

自分の思うように、子供を動かしたい者たちにとって。

「いや、賢いレティシアには苦労が多かろうな、と思ってな」

「レティシア様は、私に王弟殿下に恥をかかせたくないから、ディアナの作法を教えて欲しいと仰せられました」

レイの言葉に、フェリスは碧い瞳をみはる。

「私も、大切な我が主に五歳の花嫁とは如何なものか、と密かに不満でございましたが、本日、あの言葉をお聞きして、あのちいさい方を心よりお守りせねば、と思いました」

「うるさ型のレイの忠義を得たレティシアのここでの暮らしは安泰だね」

フェリスは混ぜっ返したが、黄金の鍵を持つくまのぬいぐるみを握りしめながら、殿下に恥はかかせません! とはりきってるレティシアを想像してしまい、あまりにも可愛らしくて、困ってしまった。

レティシアはおもしろくて可愛くて、愛おしい。

深窓のたおやかな姫君らしさが、ぜんぜんないところがまた可愛い。

フェリスは普段あまり目立ちたくなくて、感情も動かさないようにしてるので、氷の美貌の王弟殿下とも称されるが、実のところは、情の強すぎる一族なので、あまり思い入れを持たないようにしたいのだが。

あの無防備な小さい柔らかい手は、若くして世の中を諦め尽くしているフェリスを、いったい、どこに連れて行くんだろう?


レティシアとの結婚の話は、義母上のいつもの嫌がらせだったのだと思う。

婚姻の話を持ち掛けられたのは、半年ほどまえのことだ。

義母である王太后からのフェリスへの呼び出しは、物心つく前から、ろくな用件であったためしがない。

それにしても、兄上も既に王に即位されて久しく、地位は盤石、義母上にも、もっと余裕を持って頂けないものかと、真綿で首を絞められるように虐められるたびにもの哀しくなる。

「王太后様、王弟殿下がいらっしゃいました」

フェリスの訪れに、王太后の宮の若い女官たちが密やかに華やぐ。

それがまた義母上を苛立たせるとはわかっているのだが、フェリス本人にはどうすることもできない。

厳めしそうな仮面でも被っておくべきなのか? と遠い目になってしまう。

「相変わらずお美しいこと、フェリス」

「王太后様のお美しさとは、天と地の差でございます」

「つまらないお世辞はいらないわよ」

王太后は、若いころから、華やかに美しいというタイプの女性ではない。

だが、名家の実家の力強い後ろ盾のもとに、生まれてこの方なにひとつ不自由をしたことがない女性だ。

先王の愛を奪ったフェリスの母さえいなければ、ここまで性格も歪まなかったのでは、と思う。

しかし、フェリスの母も、先王だった父も、もはやこの世の人ではない。

憎い恋敵の息子とはいえ、フェリスにあたり続けるのにも、そろそろ飽きてほしい。

「あなたに縁談があるの、フェリス」

「……縁談、ですか」

今日はどんな嫌味を言われるんだ? と構えていたが、縁談は想定外だ。

「申し分のない相手よ。サリア王国の王女なの」

「ああ……。サリアとの和平の為にですか」

「ええ。もちろん、賢い王弟殿下は、ディアナの為に最良の結婚をして下さるわね」

ディアナの為に、最良の結婚。

政略結婚を嫌がるほど、フェリスに誰か恋しい相手がいるとかそういうわけではないのだが、なんとなく返事をするのに一拍空いてしまった。

「お相手の姫君は五歳と、とてもお若いわよ」

「??? 若いのレベルではないと思うのですが、そんな憐れなことを」

お相手の年齢を聞いて、義母を二度見した。

王太后の冷たい顔は、フェリスの視線に揺るがない。

「憐れなことではないでしょう。サリアとディアナなら、誰の眼にも、ディアナが格上。あなたの妃になれる小さなサリアの王女は、大変な栄誉よ」

「そんな小さな姫が、それを栄誉と喜ぶと、義母上はお思いですか?」

義母にフェリスの言葉が届いたことはいまだかつて一度もないが、それにしてもあんまりではないか。

「王女と生まれて、どのみち誰かの妃になるなら、よりよい相手がいいのではなくて?」

王太后は、むしろ不思議そうに尋ねた。

何を言ってるのだ、このものわかりの悪い男は、と言いたげだ。

「そうだとしても、十五、六歳まで親元で育つくらいの自由はあるべきだと……」

「彼女の親はもう天国よ。血筋はいいものの、やっかい者の先王の娘のやり場に困るというところかしら。あらあら、どこかの誰かと似てるような……」

意地悪く、紫の扇をかざして、王太后は笑った。

なるほど、やっかいもの同士、ちょうどいいと言うことか。

「もしも、あなたがこの姫を断るなら、そうね、先王陛下の弟でいらっしゃるイージス侯爵の花嫁になるかも知れないわね、ディアナとしてはサリアとよき縁を結びたいし……」

「義母上、イージス侯は孫のいる御歳です」

「でも、あの方、若い後妻を欲しがってるのよ。フェリスがどうしても嫌だと言うなら、このサリアの姫には、随分な歳の差婚で可哀想だけど……、イージスのところに……」

「わかりました。私がこの縁談をお受けします」

うまく乗せられたと思った。わかってた。

だけどフェリスだって十七歳で、その五歳の姫から見たらとんでもなく年上の相手なのに、さらにフェリスの叔父の後妻に、などと話に聞いてるだけでもうんざりして、このままでは寝覚めが悪かったのだ。

これから始まる小さな娘の人生を、何だと思ってるのだ。

「まあ。フェリスが受けてくれるなら、王陛下もきっととてもお喜びになるわ」

こんな経緯だったので、結婚が決まった時のフェリスには、とてもではないが、ときめきも喜びもなく、義母へのいつにも増しての忌避感しかなかった。


「フェリス様」

いつものことだが、フェリスは、王太后のもとへ行った日は、気力体力の消耗が激しい。

「お清めの塩はいりますか」

「なんだそれは」

「東方の国の習わしだそうです。自分にとって、不吉な場所に近づいたときは、塩に触れて、穢れを払うそうです」

「なるほど。では、頭から、塩のシャワーを浴びたいほどだね。……レイ、不敬罪で暗殺されてしまうよ」

「私は我が主の身を気遣うただの従僕です。誰も私などの言葉を気に留めたりしません」

「そんなことはないと思うけど……」

落ち込んでるのは、自分の無力さの為なのか。

まだ見ぬ、自分の小さい花嫁の為なのか、わからない。

「レイなら、五歳で結婚しろって言われたらどうする?」

「相手が気立てのいい美人であることを祈ります」

「運にかける?」

金髪を揺らして、フェリスは笑った。幼馴染で乳兄弟の随身と軽口を叩いていると、義母のところで撒かれた毒気が、少しは和らぐ心地だ。

「そうですね。人間、自分ではどうしようもないときは、神頼み以外、術はありません」

「我が国の神様は気紛れで多忙なうえに、万能でもないだろうからなあ」

神様が万能であれば、今までも今この瞬間も、いろいろとお願いしたいこともあるのだが。

「でも、お願いを、叶えて下さるときもありますよ。いつもではないですが」

「……どんなとき?」

「例えば、私の主は、とんでもない美貌で我儘な人ですが、冷たい顔に似合わず、心の優しい方です。私は面倒な主を抱えておりますが、主の気性を好いておりますので、とても嫌な主君に仕えてる人よりは幸せ者だと思ってます」

「……あのね、おまえ、僕を褒めるか、貶すか、どっちかにしたらどうなんだい」

慰められているのか、甘やかされているのか、よくわからない。

でも、照れ屋の幼馴染の随身が、全力で、フェリスの沈む気持ちを宥めてくれてるのは感じる。

「不可能です。日頃から、敬愛しておりますが、手も焼いておりますので」

「そんなに手焼かせてないぞ?」

「さようでございますか?」

にこり。とレイが微笑む。

「レイ、清めの塩の代わりに、シャンパンかワインを。義母上の思惑はともかく、結婚決まって落ち込んでたら、花嫁に悪かろう」

姫があまりに幼すぎるから、ひとまず婚約だけして、もう少し大人になるまで、国許で過ごさせてあげたらどうだろうとも思うのだが、王太后のあのいい様ではサリアでもそんなに快適に過ごせるものでもないのかも知れない。では、ここで過ごす方がましかも知れない。

「では、よいお酒をご用意致しましょう」

フェリスは、顔だけは、娘たちが夢に見る王子のような美貌だが、色恋にはとんと疎い。

色恋に疎いというか、おそらく人間全般への興味がやや足りてない。

だから、通常の十七歳の男子のように、この歳で幼い妻を迎えて、いったい若い夜をどうしろと、公然と愛人を囲えというのか、と怒るわけではないのだが、それにしたって、そんなに小さな子に、何をどうしてあげたらいいんだろう? とは、思う。

歳の離れた妹ができると思って、とりあえず学問でも教えてあげるべきだろうか? と困惑することしきりである。