サリアの姫君

「レティシア、お嫁に行くって本当なのか?」

少年は不愉快そうな声で言った。

「王太子殿下」

「アレク殿下、レティシア様のところにはいらしてはいけないと、王妃様が……」

叔父夫婦にはアレクとアドリアナという子供たちがいて、父母の生前はレティシアとも仲良くしていたのだが、先王だったレティシアの父が亡くなり、叔父が王になって以来、叔父も叔母も、子供たちとレティシアの交友を喜ばない。

「うるさい。おまえたちはさがれ」

アレクは女官たちを追い払った。

「本当なの?」

「ええ」

お嫁に行くのは本当だが、アレクが機嫌が悪い理由がレティシアにはよくわからない。

レティシアの結婚とアレクに何の関係があるのか?

「嫌じゃないの? 凄い年上で、変な奴なんだろ、ディアナ王弟て」

「レティシアもおかしな娘だから、お似合いって叔母様……いえ、王妃様が……」

ディアナの王弟殿下がどんな人かは知らないけれど、変人同士でお似合いと言われればそうなのか、と思ってしまう。

それに、可哀想なのは五歳で嫁ぐレティシアもだけど、五歳の花嫁を貰う十七歳のフェリス殿下の方もだいぶ可哀想なのでは……。

「ディアナは大陸で一番って言われる豊かな国よ。そんなところに嫁げるレティシアは羨ましいくらいよ」

いつのまにか、アドリアナもやって来て、レティシアを嘲笑っていた。

レティシアが悲しいのは、凄く年上の変人の王弟殿下に嫁ぐことよりも、このあいだまで優しかった従妹たちが、両親が死んで以来、まるで物語の悪役のように、意地悪になったことだ。

二人の身分は、以前よりあがったはずなのに、何が不機嫌でレティシアにあたるのかよくわからない。

「年下好きだといいわね、王弟殿下!」

アドリアナは十二歳で、レティシアより七歳年上。

本当なら、アドリアナのほうが、フェリスと似合いの年頃だし、フェリス本人に逢っていたら、アドリアナにも別の意見があったかも知れない。

だが、魔法も限られた者しか使えず、他国の情報に疎いサリア王族の子供たちにとって、竜の神の血を継ぐと言われるディアナ王弟は遠い異国の化け物のようなものだ。

「……私が嫁げば、サリアの役に……」

返答に困って、レティシアはそう言った。

絵姿すら貰えてないディアナ王弟のことをどうこう言われても、レティシアも正直困る。

噂より、優しい変人さんだといいな、と祈るばかりだ。

「やっかい者のちびの癖に、御立派なことだな!」

やっかいもの。

どうして、そんなこと言われなきゃいけないの。

レティシアの生まれた国なのに。

どうして、こんな……。

「……アレクも、やっかい者の私がいなくなったら、嬉しいでしょう?」

邪魔者がいなくなって嬉しいなら、盛大に嫁入りを祝ってもらいたい。

いても邪魔にするのに、どうして、遠くにいくことまで文句を言われるのか。

「……おまえなんか、幸せになれるものか!」

呪いのような言葉を、桜色の唇を噛み締めながら、レティシアは聞いていた。

王太子殿下でなければ、殴ってやりたいくらいだった。


レティシアの父母、サリア先王アーサーと先王妃ソフィアが亡くなったのは、サリアを襲った恐ろしい流行り病のためで、叔父ネイサンや叔母イザベラのせいなどではない。

「アーサー王崩御……! 新王は……!」

ただ、先王アーサーが失われて、叔父ネイサンの即位に関しては、叔父の評判が芳しくなかったせいもあり、サリア宮廷でも大歓迎された訳ではなかった。

さりとて、その当時、王太子であったアーサー王の娘レティシアは五歳だ。

五歳のレティシアを女王にしたところで、結局、誰か摂政がつくしかない。

どうしようもない。

その為、協議につぐ協議の末、幼い王女であったレティシアにかわって、ネイサンが王として、たてられることになった。

ネイサンを王として、レティシアを王位継承権一位のままに、という意見もあったのだが、ネイサンが王になる条件として、王太子にはアレクを、という、叔父夫婦の強い希望が叶えられた。

サリア宮廷内のネイサン新王へのくすぶる不満から、操りやすい若年の王女レティシアに貴族たちが群れることを叔父ネイサンはひどく怖れた。

その病的な恐怖から、苛烈な迄に、先王の王女レティシアを迫害した。

幼いレティシアに心を寄せる者は、権力のある大貴族から、何の悪意もない乳母や小間使いに至るまで、すべてレティシアから遠ざけた。

「呪わしいレティシア、子供の癖に、おかしなことばかり言って……まるで、魔物にでも憑かれてるよう……」

「そうだとも……不気味としかいいようがない。あの娘には、悪いものでも憑いているのだ」

レティシアが日本からの転生者で、折に触れ、大人のような言葉を紡ぐことも、この場合は、ネイサン王とイザベラ王妃の心理に、非常に悪く働いた。

(アーサー王の優しい心を受け継ぎ、小さくとも、あの聡明なレティシア様ならばきっと……)

このような間違った考えを持つ貴族たちを、ネイサン王朝としては、当然、跡形もなく、叩き潰さなければならない。

(ネイサン陛下は、浅慮な御方。レティシア様がせめてあともう少し大きければ……)

世の中には、七歳の王、何なら二歳の赤子を王にして、強い摂政をたてて、何事もなく平和な大国もあるので、五歳の王女を怖れて迫害するなど、とあながち笑うこともできない。

(おとうさま……、おかあさま……)

若すぎる父母の死を悲しむ幼いレティシアの心は、残念なことに、兄の死で突然降って湧いた玉座の魅力に夢中の叔父には、まるで共有してもらえなかった。

(ディアナの王太后殿が、ディアナの王弟殿下の花嫁に、レティシアをお望みと? それはまことか? まさか、こんな幸運があろうか?)

ディアナの王弟殿下とレティシアの婚姻話は、大国ディアナと小国サリアが血縁の絆で結ばれるうえに、国内にいては邪魔すぎるレティシアをサリアからやっかい払いできる大義名分として、この上もなかったのである。


「……ゆたかなディアナ王室のどんな気紛れかはわかりませんが、この婚姻は、サリアに利があるとともに、レティシア様の御身を守ってくれます。変人の風評などささいなこと。ディアナ王弟は富も権力もある御方、必ずや花嫁様をお守りくださいます」

レティシアから遠ざけられてしまった父の廷臣、ウォルフガング公が言っていた。

「サリア国内では、いまだ現国王陛下をよしとせず、レティシア殿下を女王に、という勢力があります。ですが、レティシア様は普通のお子様より聡明な御身といえど五歳。……この勢力とともに、サリアを摂るには、いささかお若く……、さりとてこのままサリアにおられては、姫様の御命を狙われる危険がございますし、いらぬ悪評ばかりたてられます。こんなに小さい姫様を相手に、何とも腹立たしい事です」

叔父王がレティシアの評判を執拗に貶めるのは、依然としてレティシアにもサリアの王位継承権があるからなのだ。そして人柄のよかった先王の人気が高く、叔父の人気はいまだ低い。

「じぃ……」

「サリアを離れることは心残りでしょうが、フェリス殿下の妃となり、ディアナの王族の一人となれば、フローレンス大陸のどなたもレティシア様を傷つけることは叶いません。姫様、じぃは、この婚姻をお薦めいたします。……何よりも、姫様に、生き延びて頂きたいのです」

「私がディアナに嫁げば、サリアはディアナから手厚い庇護を得ることができ、私は生命を守られるのね……」

何の希望もないとはいえ、レティシアは生きねばならない。

レティシアが生きることが、両親の望みだ。

正確には、レティシアが生きて幸せになることが望みだと思うが、いまのところ、幸せまで探せる力はない。

生きるだけでも、せいいっぱいだ。

「左様でございます。そして、姫様、案外と、嫁いでみれば、ディアナの王弟殿下とお気があうやも知れません」

「そうね。ご迷惑をかける王弟殿下の為にも、少しは気が合うと嬉しいわ。……じぃ、もうここへ来てはダメよ。叔父上はずっとおかしいわ。じぃに何かあったら、私今度こそ生きていられないわ。約束して。私が遠くに嫁いで、たとえ二度と逢えなくても、無事でいて。……無事でいてくれたら、それでいいの」

「もったいない御言葉。……何の。死にませんよ。姫様のお父上の為に死ねなんだこの死にぞこないの爺め、姫様の御無事を見届けるまでは死ねませんとも」