柔らかそうな金髪に、空を写したような青い瞳。

夢に出てきそうな王子様だ。

この人のほうがお姫様で、超大国との政略結婚に使われそうなくらいの美貌だ。

「そうか? 熊のような大男よりは、怖くはないか?」

「はい。いえ、あの、熊さんがいけないわけではないのですが……」

こんな綺麗な人の花嫁が、子供の自分で、かえって、なんとなく申し訳ない。

「姫も綺麗だぞ。とても」

「………」

ぶんぶんぶん、とレティシアは首を振る。

いや自分が超絶不細工とまでは言わないが、こんな美形ではまったくない。

ディアナの王族は、美貌の方が多いのだろうか……。

「……触れても、大事ないか?」

「は、はい」

おっかなびっくり。

慣れない小動物にでも、手を伸ばすように、フェリス王弟殿下が、手を伸ばしてくる。

この人は、レティシアぐらいの年齢の者と接した経験がないのかも知れない。

フェリス様は、王室でも孤立してる方だと噂されてるし……。

「私はずいぶん年上の夫で、幼いあなたには、とても不本意なことだとは思うが」

不思議だ。

この綺麗な変人の王子さまは、レティシアの都合や気持ちを聞いてくれる。

小さなレティシアの気持ちなど、誰にとっても、どうでもいいことなのに。

「あなたは私に属するものとなるのだから、私が約束する。これ以後、誰にもあなたを害させない。私が、ここでのあなたの安全を保障する」

何と、曇りのない、美しい碧い瞳。空と海から、透き通った碧だけを、集めたような瞳。

両親を失い、厄介払いのように、五歳で嫁に出されたレティシアの身の安全を保障してくれるという、美しい王弟殿下。

いい人だ。

私も、この優しい王弟殿下をお守りしよう。

少なくとも、聞かされてきた、恐ろしい変人というのは、誹謗中傷に思える。

「レティシア……?」

「姫様、いかがなされましたか……」

いけない。

この国に来て、初めて優しい言葉をかけてもらって、嬉しいのに、感極まりすぎて、涙が出てきた。

お礼を。

お礼を、言わなくては。

「……、……っ」

「大丈夫か、姫。長旅の疲れがでたのか?」

美貌の王弟殿下が、心配そうな顔をしている。

この人、綺麗な顔過ぎて、無表情に見えるけど、ちゃんと細かく表情あるんだ、とレティシアは、こんなときに妙なことに感心している。

「あり、……がとう…、ございま……」

「……絹を……、姫の御顔を拭くものを……、レティシア、泣いていいから、焦らず、息を吸って」

「……、は……い……」

涙で、よく、婿殿が見えない。私もお守りしよう。婿殿は、無理やり押し付けられた、こんなちびの花嫁にも、敬意を持って接してくれる、お人よしの美形殿だ。そんないい人は、人生、苦労が多そうだ。私も、きっと、この美しい、優しい婿殿をお守りしよう。

「ちいさい姫と言えど、きっと、私の風評は聞いておろう? 私の妃では、この宮廷ではあまり楽しく過ごせぬかもしれぬが……」

フェリスが、レティシアの小さな手をとる。

「……あの」

「ん?」

聞きにくい。でも、気になる。

「どうぞ、何でも遠慮なくご質問を。姫?」

遠慮して言い淀んでいたものの、フェリスに促される。

「どうして、フェリス様は悪く言われるのですか」

「うーん。どうしてだろうね」

困ったように、彼は笑った。

「私としては、邪魔にならぬように、気を付けているつもりなのだが……、何だろう、ただそこにいるだけで目障りな男なのかも知れない」

現ディアナ国王マリウス陛下は、フェリス様より十歳年上の二十七歳。フェリス様とは母親の違う異母兄弟だ。

「そんなことないです。フェリス様は目障りじゃないです」

謙遜? だとは思うのだが、思わずぶんぶん首を振って、真面目に否定してしまった。

悪い言霊になってはいけない。ちゃんと否定しておかなくては。

この国に、言霊の概念があるのかは謎だが。

「……ありがとう。レティシア」

ちょっと眩しそうに、嬉しそうに、フェリスが笑った。

「私の方こそ、サリアでは、居場所のない身の上です。殿下のおかげで、こちらに呼んで頂けましたが……」

なんと。あのやっかい者の姫様がディアナ王家に輿入れとは。変人の王弟殿下とはいえ、ずいぶんな玉の輿ではないか? と嘲笑していた大臣がいた。

確かに、変人だろうと何だろうと、大陸一のディアナ王国の王弟殿下の花嫁になりたい妙齢の姫君は星の数ほどもいるだろう。

しかも、王弟殿下は、噂より、ずっと美男だし、優し気な方だ。

レティシアにしてみると、相手が八十歳の老人だろうと、話がまったく通じない男だろうと、本国でこの結婚に拒否権などなかったので、美貌もさることながら、フェリスが少しは話が通じそうな人なのがありがたい。

「では、私たちは似たもの同士だな」

「え?」

「生まれた場所に、居場所がないというところが」

「殿下……」

「フェリスだよ。臣下ではないのだから、ちゃんと名前で呼んで、レティシア」

「フェリス……様」

「様もいらないよ」

「いえ、それは、ちょっと……」

逆に呼びにくい。

「私たちが二人で決めたことじゃないとはいえ、あなたは私の正妃なんだから、私に何も遠慮することはないよ」

「フェリス様、不思議な方ですね」

「変わってると、よく言われる。でも、姫も、ちょっと不思議な感じがするな」

「そ、そうでしょうか」

ドキリとする。何もかも見透かされそうな、透き通った青い瞳に見つめられて。

「うん。なんだか、姫くらいの歳の子と話してる感じじゃないな。大人と話してるみたいだ」

わあ。

鋭い。

背の高い立派な青年なのに、猫っぽいというか……、犬っぽいというか……、金色の美しい甘えたな獣のような人だなあ。

人がましくないというか……。仲良しの大型犬に似ている……。

「レティシア、食事はとった?」

レティシアの前に片膝を折って、レティシアと視線の位置を同じにして、フェリスが尋ねる。

「え……」

さすがに、初の婿殿との謁見に緊張して、今日は何も食べていない。

「軽いものを運ばせるから、私とお茶を?」

「は、はい。お時間が許すようでしたら」

フェリスとお茶は、それはそれで緊張するが、フェリスが想像よりずっと優しい人だったので、安心して、少しお腹も減った気がする。

我ながら、現金なものだ。

「ケーキは? 甘いものは好きか? 昨日読んだ本に、子供はみんな甘いものが好きだと誤解して、押し付けてはなりませんと書いてあったんだが……」

「フェリス様」

「ん?」

「私との会見に備えて、いったいどんな本を読んで下さったんですか」

ここは、子供扱いにヘソを曲げるべきなのか、幼い花嫁と接するために傾向と対策を検討してくれてたことを、喜ぶべきなのか?

「すまない。この場合、子育て本では間違ってると思ったのだが、どうにも見当がつかなくて」

「いえ……」

子育て本はだいぶ違うと思う、と思いはしたが美貌に憂いを浮かべるフェリスを見てたら、ちょっとおかしくて笑いそうになってしまった。

「ありがとうございます。甘いものは大好きです」

レティシアは何を喜ぶんだろう? と考えてくれたのだと思うと素直に有難い。

「では、運ばせよう」

甘いもの、嬉しいな……。

それに、相手が美形の婿殿すぎるけど、お茶の卓を囲む誰かがいるっていうのも、ちょっと嬉しいな。ディアナへ婚礼のための旅をしてきて、こちらの女官も丁重に接してくれるけど、慣れない国で、食事もずっと一人だったから……。

(なんだか、姫くらいの子と話してる感じじゃないな。大人と話してるみたいだ)

それにしても、フェリス様、なかなか勘の鋭い方なのかも。

せっかく優しくして頂いてるんだから、怪しい不気味な姫だと不審がられないように、気をつけねば。我ながら、どうにも怪しい姫なのだけれど。


レティシアは、ディアナに政略結婚で嫁がされた、サリア王国の先代王の娘だ。

それは間違いのない事実なのだけれど、五歳のレティシアの頭の中には日本という国で、二十七歳で交通事故で死んだ春乃雪の記憶がある。

日本という国は、探しても探しても、こちらの世界の地図にも、歴史の本にもなかったので、いわゆる小説や漫画でよく読んだ異世界転生という離れ業を、雪はとげたのだと思う。転生なんてアニメや映画で見るもので、自分で体験するものだとは全く思っていなかったのだが。

二十七歳。初恋も初デートもなく、薄給で残業に身を捧げ、確かに未練で化けて、ジゼルになりそうな死に方ではあったが……。

でも最初から転生ならいいけど、まさか、このもともとのレティシアちゃんの魂を弾き飛ばしたりしてないだろうな……、こんな小さい子にそんなご迷惑かけてないだろうな……、と我ながら激しく不安だ。そこらへんの原理はどうなっているのか、雪にはさっぱりわからない。

不慮の事故で死んで、こんなきらびやかなファンタジーな世界に、王家の者として生まれ変わっても、まさかまさか他人様にご迷惑はおかけしてないだろうな、と思ってしまう雪(レティシア)は、典型的な日本人の庶民である。

「レティシア? 私はそのままで可愛らしいと思うんだが、姫はお茶用のドレスに着替えたい?」

「え。いえ、そんな、めんど……」

うぐぐ。つい、そんな面倒な、このままでお願いしたいです、と言いかける。

いけないいけない。自分で慌てて自分の口を押さえる。

小さい身ながらも、女子としては、姫君のドレスは可愛らしいと思う。

うだつのあがらない姫とはいっても、前世のおしゃれ上手とは程遠かった機能性重視の庶民女子(まあまあ他人様に不快でない真っ当に見える恰好なら何でもいい的な……)の雪からは考えられないような可愛らしいリボンとレースと絹のドレスに満ちた暮らしだ。

しかし、王族というのは、何故、行事ごとに、いちいち着替えるのだ。

せっかく一度袖を通した服に申し訳ないじゃないか。せめて一日くらい最初のドレスと添い遂げるべき。どれも可愛いドレスなんだから、そんなに替えなくても大丈夫だ、と思ってしまう。

「だよね。そのままでいいよ」

にこっと、フェリスが微笑む。ゲームのキャラのイケメンも真っ青な、悪戯っぽい麗しの微笑だ。もごもごと誤魔化したものの、面倒くさいは、たぶん伝わったな。

「僕達も儀礼礼装とか、面倒だけど、女の子はもっと大変だよね、衣装替えは」

「フェリス様なら、一日に何度お着替えになっても、とってもお着替えの甲斐があると思います」

いけない。だいぶ、ダブルスタンダード。

自分は面倒だと思うのに、婿殿には、にこにこ勧めてしまった。

この方なら、何度着替えても、さぞや見栄えがするだろうなあと……。純粋に、観賞的欲求が……。

「そ? じゃ、今度、レティシアの為に、うんと着飾るよ。普段、面倒だから怠けてるけど」

「楽しみです」

男性の衣装に興味を持ったことは、前世の社畜時代も、いまのレティシアになってからも全くないが、婿殿はたいへんに絵心をそそる素材だ。

この世界にスマートフォンは生まれていないし、そんな言葉も流行ってないが、前世の日本の言葉で言うなら、『映える』というやつだ。

「おいで。庭でお茶にしよう。宮殿内は息が詰まるだろう?」

お庭でお茶。

嬉しいなあ。

春の花の咲き乱れるディアナ宮殿の広大な庭園を、大きな窓から一人でこそっと背伸びして眺めながら、ああ、和みそう、お散歩したい……。いやいや、ダメダメ、婿殿と顔合わせ……。ここでお互いに気が合うか合わないか、王弟殿下に気に入られるか気に入られないかに、わりとレティシアのこれからの人生がかかってる、と追い詰められた気持ちでいた。

年も違いすぎることだし、偏屈な人だそうだし、ばっちり気が合うとはいかなくても、そこそこ友好的に向かい合えたらなーと思っていた。

これから生涯を誓う相手に逢うというのに、恋に落ちることなんて、全く想像してなくて。

ただただ、物凄く嫌な人じゃなければいいな……、と思ってた。

「お手を? レティシア」

ディアナに来るまで、怯えたレティシアが見たさまざまな悪夢を覆す、なんとも優美な婿君。

「は。……恐れ入ります」

「なんでそんなに恐縮してるの? 新人の武官じゃないんだから」

この国に来て初めてかけられた優しい、気の置けない声。甘い声で話す人だ。


「殿下、本日はお二人のお顔合わせまで、とのお話で……」

レティシアについてくれていたディアナの女官が、戸惑いがちに言葉をはさむ。

「ああ、理解してる。レティシアと気が合ったから、私は彼女を引き留めたいんだ」

フェリス殿下と私、気が合ってたのか、それは嬉しい!

言われたレティシアも驚く。

麗しの王弟殿下と春の庭園でお茶、魅力的だけど、急な予定変更ってダメなんだろうか……としょんぼりしかけてたので。

「何か、姫には、この後の予定が入っているのか? であれば、また改めて誘うが」

「い、いえ。ただ、姫がお疲れではないかと」

「お気遣いありがとう。私は元気なので、殿下とお茶がしたいです」

今日はフェリス殿下との顔合わせ以外の予定は聞いていない。

許されるなら、婿殿ともう少し一緒にいて、話してみたい。

「ほら、私たちは気が合う」

悪戯の成功を喜ぶ少年のような青い瞳で、フェリスは微笑んだ。

「フェリス様、いつもの気まぐれで、初日から姫様を困らせてはいけませんよ。急がなくても、これからずっと一緒に過ごす御方なのですから」

フェリス殿下の随身が、主人を諫めるように、小さく言葉を挟む。これはたぶん、主人のフェリスにというよりは、困惑顔のレティシア側の女官に気を遣った感じだ。

「……困らせてるか、レティシア?」

「いえ」

どちらかというと、喜んでます。

気が合ってる。

人生二回目だけど、初対面でそんなこと言われたの、男女問わず初めてだ。

本当なら嬉しいし、お世辞でもじゅうぶん嬉しい。

「フェリス様のお言葉、嬉しいです」

フェリス様みたいに絵のようには微笑めないけど……、と思いつつ小さなレティシアはせいいっぱいの笑顔で、背の高い婿殿を見上げた。

「…………」

フェリス王弟殿下が、フリーズしている。

いけない。レティシアの笑顔が変だったろうか。全力の感謝を表したかったのだが。

「あ、あの、フェリス様?」

「可愛い」

ぽんぽん、と柔らかく髪を撫でられた。

「レイ、想定外の吉祥だ。僕の花嫁がとても可愛い」

「想定外は余計です、フェリス様。レティシア姫。我が主の感情表現の不器用さをお許しください。これでも、我が主はとてつもなく喜んでいるのです」

黒髪の随身はレイと言うらしい。

なんだかボケとツッコミの漫才(失礼)主従というか……。

可愛いお二人だな。

いかにも浮世離れした印象のフェリス様には、似たような年恰好の、しっかり者の若い随身がついてるようだ。とレティシアは心にメモをとる。

「レティシア様が、とても可愛らしい方で、よかったですね。フェリス様、どんな方がいらっしゃるのか、怯えておいででしたから……」

「そうなんですか」

男の方も、お見合い結婚(?)の相手に怯えるものなのか。王子様のほうが、正妃が気に入らなくても、寵妃とかもてるあたり、王女やこの時代の女子達より、ずっといい気がするけど……。

「だって、十二歳も年上の、変人の爺さんのもとに嫁にやられるんだよ。僕なら病む」

それを言うなと言いたげに、美しい金髪にフェリスが半ば顔を隠す。

「どう見ても、爺さんには見えませんが……」

「相対的な評価としてね。そんな無謀な婚姻を、拒んであげられなかった自分の無力さにもうんざりしてた」

無力なのはお互い様だ。人生の重大事に関して、選択の自由がなかったという点で。

「……でも、私は幸運だと思います」

正直に、レティシアは言った。

嘘はない。

「十二歳も年下の子供をおろそかにせず、ちゃんとお話をして下さる婿君を得られて」

中身は二十七歳の雪の記憶もあるから、十七歳のフェリス様より、何なら年上なのだけれど。

二十七歳の雪とて、恋愛や結婚経験は限りなくゼロなので、そのあたりのスキルは五歳児と変わらないが。あどけない五歳の姫に、異国の残業に疲れ果てた、大人の娘の心が入ってるなんてことは、レティシア以外、誰も知らない。

この状況で、押し付けられた五歳の花嫁と、ちゃんと話をしてくれる十七歳の婿なんて、どう考えても、そうそういない。

むしろ、フェリス様が変人でよかった。レティシア的には、物凄くラッキーだ。

「うん。私も幸運だ。子供なのに、大人のような気配のある花嫁に逢えて」

「…………」

う。うう? 中身、バレてる?

いやいやそんなはずはない。

きっとこれはフェリス様流の、風変わりな誉め言葉? に違いない。

随身の人も言ってる。フェリス様は、喜びの表現が独特だと。

「私たちはきっといい共犯者になれる」

「共犯者に?」

何か、二人で一緒に、罪を犯すのだろうか? 悪の手先? になるには、雪時代も現在も、悪知恵とか、機敏さとか機転が利かないと思うが……。

「そう。いろいろ宮廷には居心地が悪い同盟」

「ああ、そういう意味でしたら、ぜひ」

思わず、頷いてしまった。

敵陣とまでは言わないが、これからディアナで人生やっていく為に、まず婿君のフェリス殿下と仲良くなって、それから何かとしきたりにうるさそうなディアナの女官たちとうまくやって、さらに宮廷のディアナ貴族達とも上手に社交を……と考えただけで、ああもう、こんなチビいらないと王弟殿下に叩き出されて、山奥で修道女にでもなったほうが快適なのでは……? とだいぶ気が遠くなっていた。

平凡な庶民育ちの雪の社交のキャパシティを超えすぎている。

レティシアとしての潜在能力に期待するしかないところだった。

「フェリス様! レティシア様もフェリス様の戯言に頷かないで下さい。男子たるもの、奥方を迎えて、人生に後ろ向きにならず、やる気を出してください」

め! と言わんばかりに怒られている。

か、可愛いな……。うんと若い爺やと我儘王子というところだろうか……。

「ちなみにね、レティシア、レイは私の乳母の息子で、私とは乳兄弟なんだ。こんなふうに私に小言を言うのが彼の仕事。いつも叱られてばかりの私は、今日からレティシアという新たな強い味方をえたよ」

「何が叱られてばかりですか。いつも好き勝手してるじゃないですか、フェリス様。我が主はこういう甘え上手の困った方ですからね、レティシア様。これから何かお困りのことがあれば、私に言ってください」

「は、はい」

わあ。フェリス様のこと、この人に、相談していいんだ。こちらに来てから、それとなく、女官から、フェリス様の情報収集しようにも、誰もあまり王弟殿下に詳しくないみたいで、途方にくれてたんだよね……。

「こら。私の花嫁に、私の悪い情報を吹き込むな」

「とんでもありません。我が君。私は誰よりも忠実なフェリス様のしもべ。大切なレティシア様には、本当のことしかお伝えしませんよ」

「怪しいものだよ。とはいえ、レティシア、私に直接言いにくいことは、このレイに言ってくれたら、善処してくれると思うよ。こう見えてとても有能なんだ」

「こう見えて、は、余計です」

「とても有能そうです。率直に申し上げて」

そしてお二人の主従漫才は、ほのぼのして和みます、とは、声には出さずに、心で思っていた。

「おいで。庭に行こう」

あらためて、フェリスと並んで立つと、レティシアは、フェリスの半分くらいしか、身長がない。よく言って、ぜんぜん似てない腹違いの兄妹(貴族としてはよくあることだ)。それでもだいぶ歳が離れている。並んで歩くのに、ちょっと気後れしてしまう。

「レティシアは馬は好き?」

「はい? 好きです。私がまだうまく馬に乗れなかった頃、私を乗せてくれたとても賢い美しい馬がいて……」

あの子と、一緒にここに来たかったな。

ねぇねぇ、凄くかっこよくない、婿君? びっくりしたよね? てあの子に話を聞いてもらいたかったな。お友達がいなくても、あの子が隣にいてくれたら……。

「レティシア?」

「姫様。いかがなさいましたか」

「あ? あれ? すみません。何でもないのに……」

よかったね、ご主人。心配してたけど、この婿殿なら、ひとまず安心かも。

無口なあの子が、満足げに鼻を鳴らす。そんな気配を想像してしまった。

「もしかして、愛馬が亡くなったのか?」

「いえ。故郷にいる愛馬のことを思い出しただけです。元気かな、て」

私がいなくなったら、あの子は誰のものになったんだろう……。私よりずっと賢いから、誰にも愛されると思うけれど……。

「何故、私の可愛い妃は、愛馬を共に連れて来られなかったんだ? こんな小さい身の上で、単身、遠い国にやってくるのは心細いだろうに、愛剣の帯刀や、愛馬の帯同は、男であろうと女であろうと許されるべきだと思うんだが。それはほとんど我が身なんだから」

「確認致しましょう。特別のしきたりなどなければ、こちらに呼び寄せられるように計らいます」

純粋に疑問だ、と言いたげなフェリスの言葉に、レイが呼応する。わ、本当に、有能そう……。

「い、いえ、そんな我儘は……」

う、嬉しいけど、たぶん、無理だと……。

「ん? これは我儘とは言わない、レティシア。当然なことが、おそらく他愛ない手違いで、うまく運んでなかっただけだ」

うーん。

フェリス様が、お世辞? 励まし? で、私たちは似たもの同士だな、て言ってくれたけど、ぜんぜん違うと思う……。

さすが、生まれついてのディアナの王弟殿下。何かを望むことに、躊躇いがないというか……。

「そうです。レティシア様。我儘というのは、フェリス様が普段おっしゃるような無茶苦茶のことを申すのでして、これはただの確認事項です。どうぞ、お気になさらず」

普段のフェリス様、そんな我儘なのかな? とレティシアは疑問に思う。

「レイ、後半が余計だぞ。僕の人格を不必要に毀損するな」

「ありのままのお人柄を、レティシア様に気に入って頂くのがよいかと思われます」

とりあえず、フェリス様は気になることはそのままにはしないお人柄なことは、わかったかも。

「フェリス様は私がいままで見た殿方の中で最も美しく、そして、とてもお優しい御方です」

レティシアはいま思ったことを、素直に言ってみた。

「………」

フェリスがちょっと驚いている。本当に綺麗な御顔だなあ、と思う。驚いた表情も、さっきの、何故小さな心細い姫に愛馬くらい帯同させてやらぬのだ、と機嫌を損ねた顔すらも美しい。

現世の五歳のレティシアも、二十七年生きた日本の雪も、男の人というか、女の人でもこんな綺麗な人、見たことがない。

人間、顔ではない。とは言うものの、これくらい綺麗だと、一種の芸術作品の域だ。

神という名の匠が刻んだ美しい造形。

「前半はまあまあ言われるが、そうそう優しいとは言われないよ、僕は」

いままで逢った人の中で一番美しい、は、よく言われるんですね、と妙なことに感心してしまう。

「そうですか? フェリス様は、とてもお優しいと思います。私の気持ちを聞いて下さる方なんて、いまも昔も、そうそういませんでした。ましてや、王弟殿下のようなお生まれの方で、相手の気持ちを尋ねる方など、そうそういないかと……」

「ねぇ、レティシア」

「は、は、はい?」

知る限り、この世で最も美しい顔が、ぎょっとするほど、近づいてくる。

「……昔って? 五歳の人生で、昔ってどのくらい昔なの?」

「あああ、あの、それは……」

べつだん、何か糾弾されてるわけではなく、楽しそうにフェリスは尋ねている。

「ね、どのくらい?」

「え、えっと……二歳か、三歳くらい……?」

まさか、こことは別の世界での、二十七年の地味目の人生で、とは言えない。

とても綺麗に微笑んで尋ねられるので、誤魔化そうとレティシアも微笑む。やや引き攣りつつ、笑顔。

こ、困る。

慣れない美形に困るのと、そんなの説明しようもないし。本当のことを言ったところで、信じてもらえると思えないし。レティシアだって、他人の話なら、夢でも見たのでは? と思うだろう。

「……お二人とも、楽しそうなところ、お邪魔して申し訳ありませんが、お茶の支度が出来たようですよ」

「……無粋な男だな、レイ」

「申し訳ありません、私の主人に似て、私は細やかな情緒にやや疎く……」

「僕のせいにするな」

困ってる。いろいろ困ってる。フェリス様が美形すぎたり、優しすぎたり、主従漫才が面白すぎたり。でも、楽しい。フェリス様の極上の笑顔に釣られて微笑んでしまうくらいには、想定外に初顔合わせはとても楽しい。

「薔薇が見事ですね。ずっとお庭、歩いてみたいな、って思ってたので、嬉しいです」

季節は春で。花も鳥も草木も、春に浮かれているようだ。レティシアも、庭園でのお茶と散策に誘って貰えて、ご機嫌だ。

「レティシアは、今夜から、私の宮で眠るんだろう?」

「はい。たぶん、そのはずです」

詳細は聞いてないが、王弟殿下の宮の一室を頂くのだと思う。

「では、我が宮の女官には、我が花嫁の自由を保障するように、よく伝言しておこう。散策もお茶も、花でも衣装でも装身具でも、レティシアが欲しいものはちゃんと望んだらいいからね。僕は影の薄い地味めな王族だが、妃の暮らしを不自由させない程度の財産はあるから」

「影の薄い……地味な……?」

人生で出会ったなかで、もっとも派手な顔の王子様が、真面目な顔で冗談を言っている。

「そう。いつも、誰かに虐められないように、壁際に隠れてるんだよ」

悪戯っぽくフェリスが言う。

「それは……、ずいぶん、壁が華やかになりそうですね」

なんて目立つ生きた壁画だ。

「はい。いつも、壁に、令嬢方が並んで、次のダンス待ちの列ができますよ」

絶妙な感覚でレイが横からあいの手を入れてくれる。

「レイ。可愛い花嫁に、僕が浮ついた男に思われるだろう」

「でも、その方がよほど想像できます。きっとフェリス様と踊りたい方たくさんいるだろうと」

ああ! ちょっとミステリアスな、モテモテの美男の王弟殿下! いいなあ! どうせ生まれ変わるなら、雪も、男の子になって、モテてみたり、勇者になってみたりも、楽しかったかも?

「そこは喜んでないで、いてくれなきゃ、我が妃よ」

微笑してとがめるフェリス様と白薔薇が、なんと似合うことかと。輝く太陽と薔薇を背負っていらっしゃる。

「は。すみません。至らず」

だって、ヤキモチなんて、そんなにわかに起こるはずもない。今日初めて逢った人だし。現世上は十歳年上、過去世ならば十歳年下。頑張っても、自慢の美貌の兄か、弟が、やたらとモテてて嬉しいぐらいの感覚だ。

「舞踏会のフェリス様、とっても、絵になるだろうなあ、って……」

「おかしな、可愛いレティシア。じゃあ、うんと着飾って一緒に出よう、舞踏会」

「え……」

それはどうだろう。レティシアもこの華やかな王子殿下と一緒に出るのは、なかなかにいろいろ言われそうな気がするが。とはいえ、うんと着飾ったフェリス様はちょっと見たい。

「大丈夫。誰にも、私の花嫁に文句など言わせないから」

「あ、ありがとうございます……」

うん。やっぱり。いろいろ言われるだろうなーとは、フェリス様も思うよね。この組み合わせだし。でも、美貌の婿殿は、微笑んでても、なんか強そうだ。

(異様に、迫力がある……)

レティシアも、優しい彼にあまり恥をかかせぬように、いろいろ頑張ろう。

「いや、礼には及ばない。我が家が意地悪されやすいのは、僕の顔? 性格? のせいであって、何一つとして、貴方のせいではないから。それを覚えておいて、小さなお姫様。いまもこれからさきも」

甘い声の王弟殿下は、薔薇の花やケーキやティーカップ以外、似合わないような白い手をしてるのに、何故か静かに戦う人の気配を纏っている。

「ご、御心配には及びません!」

がっし! とレティシアも勢い込む。

「花もはじらう可憐な令嬢にはちょっと程遠いですが、私、丈夫さと悪運には自信があります!」

ここは強運と盛りたいところだが、一度若い身空で死んでから蘇ってるので、それは強運と言えるのか? と自信がなくて、悪運なら許されるだろうか、と遠慮して、運を保証する。

「舞踏会に出ても、きっとフェリス様をお守りします!」

ちょ、ちょっと、ボディが小さいのが玉に瑕だけど、ちびならちびなりに、有利なこともあるはず! 宮廷のお喋り雀どもから、この繊細そうな美しい方を、お守りするわ! ああ。何か、闘志が湧いてきた。謂れなき誹謗中傷に悩まされる美貌の王弟殿下をお守りするわ!

自分の宮廷での評判とかを気にするのは、ああもうそんなのどうでも、となっちゃいそうだけど、誰かのためだと、人間、少しは、気合入るなあ……。

「私の小さな騎士は、なんて勇ましいんだろう、レイ」

何故かフェリス様が笑い死にしそうになってる。

なんで? ちびなのに、気持ちだけ、がんばりすぎかな?

「まことに。こういう、心の清い方と暮らすと、きっと、我が主の心もきよらかに」

「とりあえず、僕達に意地悪する人はここにはいないから、マカロンでもお食べ、お姫様」

「……???」

笑い死にしかけてたフェリスが、銀の盆からピンクの丸い塊をとって、レティシアの口にいれてくれる。餌付けされている。これは、礼儀作法の教師にバレたら叱られそうだが、こんなに嬉しそうに差し出されるものを拒むのも感じ悪いのではと、勇気を出して、パクっと口の中にいれる。

「……! 美味しい!」

行儀が……との理性も何のその、蕩ける甘さに、歓声をあげてしまった。

「ね。この薔薇のマカロン、僕も好きなんだよ」

「美味しいです、とっても。こんな美味しいマカロン、初めて頂きました」

さすが美食の国とも言われるディアナ、デザートも手が込んでる、と感じ入ってしまった。

それに、緊張してずっと食欲がなかったけど、フェリス様と何とかやっていけそうだと思えたせいか、安心してとってもお腹がすいた気がする。よく晴れた青空の下、テーブルに並べられたお茶のセットがとても魅力的に見えてきた。

「飲み物は? 紅茶は飲める? まだ早い? あたたかいミルクのほうがいい?」

「紅茶、飲めます」

子供扱いに、ぷくっとレティシアは頬を膨らました。飲めるとも。何なら、学生時代の夢は、ティーインストラクターとか、紅茶とケーキの店の女主人とか素敵だよねぇ、だったのだ。

もちろん、ただのふんわりした夢で。現実は、死ぬまで、一介の社畜だった訳だが。

能力がなくて出来なかったというより、そんな勇気なかった。

普通にいい学校に行って、普通にいい会社に行って、誰かいい人と出会って結婚したかった。

ごく普通の女の子の夢。

アイドルになりたいとか、世界的な発明をしたいとか、そんな壮大な夢は抱いたこともない。

量産型? の一般人女子としての夢を見てた。

学校と会社までは、まあ真面目だったので可能だったが、最後の一つは縁がなかった。

あんなに若くして死ぬ予定だったんなら、もっとがんばって、出会いを探すべきだった。

(いやでも、うんと頑張って若くして出会って結婚しても、二、三年とかで奥さんに死なれたら、相手の人可哀想すぎるね……)

そしたら、現世は、やたらと早く結婚の話が来た。嫁に行けなかった我が呪いだろうか……。

「じゃあ紅茶と、冷たいものは、シャンパン? 薔薇水?」

「それこそ、シャンパンはまだ早いと……」

五歳児にシャンパンとかやんちゃだな、ディアナ王弟。

「僕、五歳くらいから、飲んでた気がする」

「水よりシャンパンの方が安いと言われるディアナならではでしょうか?」

おもしろいけど、小さい子にお酒は害はないのかな?

「そうそう。そんなことも知ってるの、レティシア」

「少しだけ。どんなところなのかなあ、と本を読みました」

「賢いね。まだ人形遊びしか興味ない子がたくさんいるだろうに」

「いえ。どちらかというと、小さいのに、本ばかり読んで、気味が悪い子、と評判はあまり芳しくなく……」

しょんぼり、レティシアは肩を落とす。まあ、それは生まれ変わる前と変わらないというか……。

「そうかなあ。僕は、賢いお嫁さん、嬉しいけどね」

「女性は少し愚かに見えた方が、殿方に好かれます、殿方はあどけない姫を好みます、と礼儀作法の先生にたしなめられました」

「前時代の化石のようなマナー講師だな。そもそも、子供に嘘を教えてはいけない」

「そう思われます?」

「うん。人見知りだから、世の中の男全部のことは到底知らないけど、僕は賢い人と話す方が好きだよ。僕があまり賢くないから、いろいろ教えてもらえるし」

「とても聡明に見えます、フェリス様は」

「ほんとに? そんな優しいこと言ってくれるの、レティシアくらいだよ。何なら、顔しか取り柄がないとか言われてるからね」

まあ、これだけ綺麗な人が頭もよかったら、他の人はいったいどうしたら? というのはあるけど、少し話してるだけでも、お馬鹿さんにはとても思えない。なんていうか、賢くて、ひどく落ち着いていて……、そう……、どこか……遠いような……、隙のない感じ。

「じゃあ、薔薇水と、ディアナの名品、シャンパンも一口だけ舐めてごらん」

テーブルの上に、優雅に茶器やグラスが並び、お茶の支度が整っていく。遠くで鳥の声がする。

「フェリス殿下、オレルアン侯爵がお目通りをと」

「サイラスが? なら、姫にも紹介したいけど、結婚式がすぎるまで、あまり余人に逢わせてはよくないだろうね」

「そうですね。軽はずみをして、レティシア様のお立場が悪くなってはいけませんね」

「………」

美味しい紅茶なのに、喉につまりそうな話。花の描かれたティーカップが可愛らしい。フェリス様のカップとは違うから、レティシアにあわせて、厨房の者が、選んでくれたのかもしれない。

うーん。こちらに慣れるまでは、大人しくしてないと、確かに、評判落としそう……。

そもそも勝手にフェリス様とお茶をしてるのも、慎みがないと叱られるかもしれない。

「では、サイラスには、花嫁と歓談中だから、またの機会にと」

フルーツの皿から、葡萄を一粒とりあげながら、フェリスが告げる。

「殿下、大事なお話でしたら、私のことはお気になさらず」

「ん? 気にすることではないよ。サイラスは数少ない友人なんだ。今度、ゆっくり姫にも引き合わせよう」

席を立たないんだ。レティシアとの時間を優先してくれるんだ。こんな子供とのお茶の方を。

「すみませ……」

「何故、謝るの?」

いけない。つい謝っちゃう、日本人的な癖が……。

「僕がレティシアを引き留めてるんだから、姫が謝ることはないよ。……サーモンのサンドイッチ、お食べ。生まれて初めての長旅で疲れたろう?」

「……初めて、国の外に出たので、凄く……疲れたのですが、見るものみな全てが珍しかったです」

「国外に出たの初めてだったの? じゃあ、ずっと覚えてるね」

「はい」

きっと一生覚えている。うんと、不安な思いで、花嫁の輿こしに揺られてたこと。誰も、味方がいない、と思ってたこと。前評判が散々だったので、フェリス様を絵本で見た瘦せ細った怖い顔の吸血鬼とかで、想像してたこと……。

(本当にごめんなさい)

近づいてくる王弟殿下の足音を、死刑執行の合図みたいに聞いてたこと。

(重ねて、ごめんなさい)

そうしたら、こんな綺麗な人が現れて、花の盛りの春の庭でアフタヌーンティーをしている。なんていうか、三度目に生まれ変わったような気分。

「レティシア。生まれて初めての旅で、何が一番珍しかった?」

「………」

ここに来るまで、旅の途中、いろいろ怯えつつも、いろんなものが珍しかったけど、ここに辿り着いたら……。

「ん?」

「フェリス様ご本人が一番……」

「……僕? そうなの? それは光栄?」

ディアナの街も、それはレティシアの故国より、ずっと華やかだろうけど。花婿たるフェリス王弟殿下に、やっぱり、一番、びっくりした。いろんな意味でびっくりした。

「悪い衝撃でなかったんならいいんだけど……」

「いい意味で! です。悪い驚きじゃないです」

ぶんぶん、と忙しく、レティシアは首を振る。

「そうか。ならば、よかった」

少し照れ臭そうに微笑する王弟殿下は本当に美しく、そして何だか可愛らしかった。

「シャンパンは? レティシア」

王弟殿下の手の華奢なフルートグラスのなかで、シャンパンが金色の泡を立てている。何でも絵になるフェリス様が持ってると、シャンパンもとっても高貴に見えて、美味しそうだ。

とはいえ、レティシアは、いまはとても小さい身だし、日本時代の妙齢? の二十代の娘の雪だったときも、シャンパンの味なんてわかったためしがない。優雅なお金持ちは、ビールでなくお洒落なシャンパンで乾杯するらしい? くらいの認識だ。ビールも苦いから苦手だけど。

あ! もしかして、レティシアのちいさいボディは、西洋風の王国生まれだから、シャンパンやワイン好きの遺伝子を受け継いでるかも?

「私の可愛い花嫁に」

「麗しのフェリス殿下に」

フェリス様がレティシアに乾杯してくれたので、レティシアもシャンパンのグラスを持って、フェリス様の幸福を祈る。本で読んだことしかないような言葉がすらすら出てきて、それがちっともお世辞じゃないのが凄い。

「……美味しい?」

「あまり、わかりません」

シャンパンを一口舐めてみたレティシアは、首をかしげる。

アルコール好き遺伝子は受け取ってないか、まだ目覚めてないのかも。

「もう少し大人になってからかな。いまのレティシアには、薔薇水のほうが口にあうかも?」

「はい」

薔薇水は、可愛い名前からして、シャンパンより楽しみだ。転生して気が付いたけど、王族や貴族ってよく食べる。全員、太らないのが不思議なくらい。

アフタヌーンティーって日本でも流行ってたから行ってみたかったんだよね。平日の昼下がりとかにやってて、会社から帰るのが遅い社畜の雪には夢だった。

ありがとう、神様。こんな美貌の王子様付きでアフタヌーンティーの夢、叶えてくれて。仲良しの女の子同士の女子会が夢だったけど風変わりな美貌の王弟殿下でも文句言わない。

「いい香りです」

シャンパンは金だけど、薔薇水は淡いピンク。グラスが並んでいると、お互いの色が映える。

「薔薇水は東方から伝わったのだけれど、ディアナでも女性を中心に広く愛されてね。いまでは薔薇の谷で、多くの人々が千も万もの薔薇を育てて加工品を作り、生計を立てるまでになった」

遠い東方の国から伝わったのかあ。交易の盛んなディアナらしい話だなあ。

「甘い」

シャンパンの後のせいか、大人っぽい味を想像してたら、薔薇水は、うんと甘かった。

「ああ。じゃあそれは、花嫁さん用に甘くしてあるんだね。甘くないのもあるんだよ。美味しい?」

「美味しいです」

美味しくて、思わず笑顔が浮かぶ。いろいろ緊張してるせいか、甘いものに凄く癒される。

「気に入ったら、姫の部屋にも用意させよう。飲むのとね、肌につけるものも」

「薔薇の化粧水的なものですか?」

嬉しいな。これがお部屋にも。とレティシアは瞳を輝かす。

「そう。綺麗なレティシアの肌には必要ないくらいだけどね」

「いえ。乾燥してたので……嬉しいです」

生まれ変わってとても若いので、お肌は艶々なのだが。ここ数日、肌がザラザラしていた。

「ああ。レティシアの国と、気候が違うからかも知れないね。旅の疲れもあるだろうから、今夜は早く眠るといい」

「はい」

少なくとも。昨夜よりは、ずっとよく眠れそう。王弟殿下が、レティシアが想像してたような怖ろしい人ではなかったので。

「あ……」

真っ白いテーブルクロスの上に、興味津々と言いたげに、可愛らしい小鳥が降り立った。

小鳥的には、スコーンやサンドイッチのパン屑狙いだろうか?

「おや、小鳥が」

王弟殿下も、小鳥に気づく。

「も、申し訳ありません、殿下、姫様」

女官が慌てふためいている。

「いま追い払いますので」

「大丈夫。可愛い……」

あ。可愛いはマズかったかな。フェリス様が生き物苦手とか、潔癖症だったら……。

「きゃう……」

美味しいものある? と言いたげに、小鳥がレティシアを見つめている。

「フェリス様、何かあげてもいいですか?」

「いいよ。でも、この子、何が好きなんだろう?」

「パンのかけらとかかなと……」

これじゃ君には大きいよね、とミニサンドイッチをさらにちぎってみる。

「レティシアは鳥が好き?」

「はい。鳥も好きです。フェリス様は?」

「僕は……ん? 何だい? 祝いか?」

パン屑のお礼なのか、小鳥が、テーブルに飾られていた薔薇の花をくわえて、レティシアに捧げ、もう一輪、薔薇をくわえて、フェリスに捧げた。

「いい子だね。僕とレティシアが、初デートだから祝ってくれてるのか?」

よかった。フェリス様は楽しそうに小鳥をかまってる。生き物嫌いではないらしい。

「殿下。レティシア様。大変仲睦まじく微笑ましい光景ですが、その子だけならよいですが、どんどん小鳥が寄ってきたら、お茶が台無しになりますよ」

レイに窘められる。

「確かに。まあまあな惨劇になってしまう。お祝いありがとう。ほらおゆき」

指にとまらせていた鳥を王弟殿下が青空に返す。まるで午睡の夢のような、平和で、幸せなひととき。


「送っていただいてありがとうございます」

「どうぞ、御礼は無用に。レティシア様は、我が殿下の大切な方ですから」

アフタヌーンティーを終えて、王弟殿下の指示で、レイがレティシアを送ってくれた。

「フェリス様に、ふさわしい姫になれるよう、日夜精進致しますので、お力添えをお願いします」

殿下、予想を裏切って(失礼だな、我ながら)、とっても、いい方だったなー、おつきの人もいい人だなー、としみじみしつつ、お願いする。

望外の幸運なので、この滅多にない幸運を逃さないよう、努めたい。

「レティシア様、そんなに構える必要はございません。我が主のあんな楽しそうな御様子は久方ぶりに拝見しました。いまのままのレティシア様で、いらして下さい」

「そ、そうでしょうか……」

フェリス様も、同じような趣旨のことを、お茶のときに言ってた気がするが、何というか、そのままでいい、というのに慣れない。

努力目標とか、攻略目標があったほうが、落ち着く。

あ。せっかく生まれ変わっても、どうしても優等生からの社畜根性が消えない。

も、もう少し、ゆったり生きて、今世の幸せを求めなければ。

「はい。ディアナの習慣ですとか、我が主ならではの振る舞いなどは、必要に従ってお伝えしますが、本日の顔合わせをフェリス様は、ことのほか、楽しんでおいででした」

「嬉しいです。私も楽しかったです」

フェリス様の話になると、レティシアも、自然に笑顔になる。

フェリス様は、何というか、前世でも今世でも、いままで逢った、どんな人類とも違う感じ。

超絶、綺麗な顔の、テンポの独特な人というか……。

超、マイペース!

もちろん、いままで逢ったこともないほど、美しい男の人ではあるんだけど。

そういうことではなくて。

なんだか、自由……。

僕が窓際王族で申し訳ないね、レティシア、って気を遣ってらしたけど、ちっとも、そんなこと気にしてそうに見えなかったし。あの、若くして、なんだか人生達観した感じは見習いたいなあ……。

「レティシア様、我が主は……その……少々変わっておりますが……」

王弟殿下命であろう随身のレイが、何か言いにくそうに言葉を選んでる。

「そこがいいと思います」

レティシアは、小さく、頷いた。

「フェリス殿下は、とても風変わりな、とても優しい方。お逢いして、大好きになりました。殿下に、恥ずかしい思いをさせぬよう、こちらの宮廷の作法を頑張って覚えたいと思ってます」

大好きは言い過ぎか? と思ったが、そこは五歳児の素直さで言い切った。

恋も愛も、このちびっこボディでは、ちっともぴんとこないけど。

いや。転生前の二十七歳の娘のときも、ぴんとこなかった残念な娘なんだけど。

少なくとも。

あの風変わりな美しい王弟殿下が、これから、レティシアの新しい家族になるんだあ、と思うと、嬉しい。

いじめられやすいって言ってたから、レティシアが守ってあげなきゃ、と保護欲が湧いてくる程度には、嬉しい。

優しい兄か弟のように、慕わしい。

「レイ?」

「御意。レティシア様がこちらで嫌な思いをなさらぬよう、私も全力を尽くします」

………? 何だろう? レイ、凄い感じ入ってるような……。やけに気迫感じるな。

突っ込み漫才のように、フェリス様の傍らでうるさく意見しつつも、フェリス様が大事で仕方ないって様子が見てとれるから、どんな花嫁が来るのか、そうとう心配してたのかな?


「はうう……」

レイが下がって、女官も下がって、レティシアは広いベッドに倒れこんだ。

広すぎる、このベッド。

何なら、レティシア七人くらい寝れるのでは。

白雪姫の森の小人にでもなった気分……。

「つ、か、れ、たー」

ベッドには、レティシアの年齢を思ってか、くまのぬいぐるみが置かれている。

そうだよね。

五歳といえば、くまのぬいぐるみ抱いて、お菓子食べたいばかり言ってる年頃だ。

間違っても、嫁に行く歳ではない。

「ん? なんか、このクマさん、リボンに……」

赤いリボンに手紙が結ばれている。

「レティシアへ。何か不自由なことを、僕に言いにくかったら、手紙を書いてくれたらいいよ。本が好きだと言ってたから、図書宮の鍵をあげる。いつでも出入りができるようにしておくよ」

「フェリス様、神……?」

クマが抱えていた金色の鍵を、レティシアは輝く瞳で見つめる。

嬉しい!

本が読める!

そして、うちの王弟殿下は、小さな少女がたくさん本を読んでても嫌がらない!

神!

「御恩、感謝……!」

ディアナは古い王国で、レティシアの国サリアでも、ディアナ文字が使われている。

かつての英語すら苦手な日本人の雪からすると、魔法の文字のようなのだけど、昔から文字を読むのが好きだったので、転生しても、貪るように楽しく読んでいたら、(小さいのに、本ばかり読んでいるおかしな姫様)と不評を買った。

失敗した。

普通の子供らしさがたりなかったのかも知れない。

自分がレティシアなんだけど、ちいさなレティシアの評判を傷つけて、とっても申し訳ない気がした。

本来ちゃんと得るべきだった可愛らしい愛らしい姫様、の評判のかわりに、小さい癖に、本好きで理屈っぽい、おかしな姫様の悪評を着せてしまった……。

「うう。フェリス様、いいひと……」

金色の図書宮の鍵を胸に抱きしめて、レティシアは喜びを噛み締める。

王弟殿下は、レティシアが、普通に話しても、奇妙がらない。

ま、フェリス様、幼児と触れ合う機会なさすぎて、「小さい女の子とはこうあるべきもの」の基準がないだけかもなんだけど。

どころか、「人見知りだから、僕は、他の男がどうかはあまり知らないけど」って言ってたから、総じて、人間全般の基準に疎いだけかもだけど。

それでも、ありがたい。

ここなら、少し、楽に、息ができる。

生まれた国(生まれ変わった国)なのに、ずっと、遠慮して暮らしてきたから……。

「ほっとしたら、ねむくなった……」

ええと。

この後、もう行事なかったかな。

夕食、とらなきゃダメなのかな。

でも、とりあえず、眠い……。

寝ちゃう……。

ひとくちだけのシャンパンのせいか、薔薇水のせいか、花婿との顔合わせを無事終えてホッとしたせいか、ちいさなレティシアは、くまのぬいぐるみと、図書宮の金の鍵と、優しい王弟殿下の手紙を抱いて、満足そうに眠りに落ちた。