三章 最後の一人


 になって初めての仕事を終え、おれは王都にかんした。

 ピトに別れを告げると、なみだを流し「いやだぁあああ~」ときつかれたのが、今となっては遠い昔のことのように感じる。

 長い仕事だったような気もするが……実際のエルフの村でのたいざい期間は二日だけ。

 行きと帰りの移動の方が長かったくらいだ。

 かつて俺が経験してきた暗殺任務の数々に比べても、格段に楽なものだったと言えるだろう。

 しかし、じゆうそく感や達成感に至っては、今回にまさるものをいまだかつて経験したことはない。

 たとえ同じようにだれかのために働いていたとしても、ぐに感謝されることはなかった。

 様々なおもわくから金をはらい、確実に標的ターゲツトを殺すことを求める。そんならいしやのためではなく、たすけを必要とする人々のために力を使うことが、自分からどこか後ろめたい気持ちを遠ざける。

 仕事をして世界からのがい感とも言えるせきりようを感じなかったのは、今回が初めてだ。


 そんなことを感じた帰還の翌日。

「ん~……よくたなぁ」

 とっくにリーナの物が姿を消し、れいになった部屋で俺は目を覚ました。

 朝の準備を終えると、騎士団服を羽織り宿舎の食堂へと向かう。

 時間が少し後ろにずれているので、食事をっている騎士の姿はまばらだ。

 だんから良くしてもらっている食堂のおばちゃんにあいさつをし、大盛りでよそってくれた朝食を平らげる。

 それから俺は、騎士団本部に行くことにした。

「今日はあの紅玉について本格的に調べないとな……」

 昨日、報告作業はリーナが行ってくれたので、まだ紅玉について団長から話を聞けていない。

 次の仕事の命があたえられるまで気楽に過ごしてくれ。そう団長が言っていたとリーナから聞いたので、しばらくは紅玉関連の調査に時間をけるだろう。

 何しろ紅玉が体内に吸収されたことによって俺は様々なえいきようを受けている。

 りよく総量の増加、あとは動体視力などの身体能力も向上しているような気がする。

 実感として確かな変化がわかるため、いつだって意識してしまうのだ。

 どうしたって気にせずにはいられない。


 宿舎からほど近い騎士団本部内。

 その四階にある第六騎士団室。

 事務所のようなそこに入ると、中央に置かれたソファーでだらけているヴィンスの姿があった。

「あれ、ヴィンスがいるなんてめずらしいな」

「んあ? なんだお前ぇかよ。……あぁー、団長なら客と話してんぞ」

「客?」

「おぉ。なんか分かんねぇけどじいさんが来てな。オレもちと用事があっただけなんだけどよぉ、先をされたらこれだ。ちッ、全然部屋から出てきやしねえ」

「そうか……」

 だるそうにソファーに顔をうずめていたヴィンスに示され、『団長室』と書かれた札がかっているとびらの方を見る。

 するとそのおくから、時折団長の笑い声が聞こえてきた。

「こりゃ、どれくらいかかるか分かんねえな」

「……だな。俺もここで待つとするか」

 ヴィンスの向かいに回り、低めの机をはさむように置かれたもう一つのソファーにこしを下ろす。

 それにしても団長に来客かぁ。どんな人なんだろう。

 なんとなく気になったので、俺は気配を探ってみた。

 すると。

「え」

「ぁ? どうしたんだよ」

「いや、なっ、なんでもない。そんな……まさか、な……?」

 思わず出てしまった声に、欠伸あくびをしていたヴィンスがいぶかしげにたずねてきた。

 とつに首をって否定したが、時間がつにつれて予想が確信に変わっていく。

 探ってみた来客の気配が──俺のよく知る人物と似ていたのだ。

 いいや、全く同じだった。

「っ!?

 居ても立ってもいられずに席を立つ。

「う、うぉい! 待つんじゃなかったのかよ……んなに急ぎの用っつーことかっ?」

 はやる気持ちをおさえながら団長室へ足を進める。

 ねるように起き上がったヴィンスが後ろを追ってくるが、今は返事をするゆうもない。

 ならこの気配のらぎ、落ち着いた独特の──希薄な存在感

 ちがいない。

 俺はこんな気配を持つ人物を世界でたった一人しか知らない。

 似たような気配を持つ人物が他にいることは想像もつかない。

 もしもこれで人違いだったら、どれだけ謝っても足りないほど失礼な行動になる。

 だが、勢いよく扉を開けずにはいられなかった。

 開いた扉の先には──


「……じいちゃん」


 やはり、俺が想像していた通りの人物がいた。

 家を追い出された日のことを思い出す。

 俺のであり現ガーファルド家当主のゴルドーと共に、かんどうを言いわたしてきた祖父の冷たいこわと表情。

 団長室でジン団長と向かい合ってすわっていた祖父の姿が、あの時のことを思い出させた。

 そのまま続く言葉を口にできないでいると、ぼうぜんと立ちくす俺を見て団長が微笑ほほえんだ。

「やあ、ちょうどいいところに来たね」

「テオル、お前も立派にやっておるようじゃの。話はジンから聞いとるぞ」

 そして当の祖父も、何事もなかったかのようにつうに話しかけてきた。

 団長とじいちゃんは紅茶を飲みながら、クッキーをつまんで楽しい一時を過ごしていたようだ。

「えーっと、これはどういう……」

「いやぁー、びっくりしたよ。まさか君が家を追い出されてここに来てたなんて。こいつ、全くそんなこと言ってなかったからさ。ごめんね、手厚いサポートができなくて」

「はっはっ、まあまあ流れというやつじゃよ。『テオルがここの入団試験に参加する』と手紙を出した後じゃったからの、ゴルドーの鹿がいきなり『追い出す』と言い出しよったのは。結果的にあわててあやつのわるだくみに便乗する形になってしまったが、とかくくいって良かったわ!」

 昔からつかみ所がないと思っていた祖父が、団長とそろうとこんなことになるのか……。

 二人の間で、俺には理解が追いつかないセリフが次々と飛び交っている。

 混ぜるな危険だ。これは絶対に。

「まあ、これであやつがテオルの才に気づいたとて、自ら勘当した手前なかなか手出しはできんじゃろうて。いくらわしに感謝してもし切れんのう、ジン?」

「いやいや。もとからぼくは、何があってもそう簡単にゆうしゆうな団員を手放すつもりはないんだけどね。新たな仲間をしようかいしてくれたゼノスに感謝がないと言えばうそになるんだけどさ」

「うむ、そう言ってくれると儂も安心して孫を任せられるというものじゃ。かっはっは!!

「──ちょ、ちょっと! いつたんストップストップっ!」

 ワッハッハ、と楽しそうに笑っている二人を止める。

 このまま何も言わなければ、俺を無視して話が先へ先へと進んでいってしまいそうだ。

 一応、たがいにゼノス、ジンと呼ぶあいだがらであることはわかったが……。

 あ、ゼノスというのは祖父の名前である。

 ゼノス・ガーファルド。伝説の暗殺者の名前だ。

「どうしたんだい?」

「気になることでもあったかの?」

「大ありだ! むしろ、きたいことしかないんだがっ!?

 何から訊けば良いのか整理がつかないほどだ。

 俺の頭の中がぐちゃぐちゃなのをに二人はキョトンとしている。

 絶対にわざとだろ、これ。

 揃ってふざけて……。流されないように気をつけないとな。

 とりあえずだ。

 一つ一つていねいに問いただすのは確定として、その前に。

 きようしんしんな様子で部屋をのぞんでいるヴィンスがいるので、俺は勢いよく扉を閉じる。

「おま──」

「で! まず、二人の関係は?」

 ていこうむなしくめ出されたヴィンスがとぼとぼとソファーに帰っていったようなので、俺は空いていた団長の横の席に座り、語気を強めて二人を問いめた。

「古い友人じゃよ」

「うん。かれこれもう……出会ってから四、五十年になるかな?」

「じゃな」

「いやいや、流石さすがにそれは……。だって団長は──えっ、ほ、本当なんですか?」

 またじようだんを、とまともに取り合わず流そうとしたが、目に入った団長は真顔そのものだ。

 噓をついている気配がいつさいしない。

 ひとみの動きや呼吸のリズム、筋肉のかん具合をかくにんしてもあやしい点は少しも見当たらず、真実ではないだろうと疑う自分が馬鹿らしいほどの正直さがそこにはあった。

「うん、本当だよ。かなり昔のことだから正確な時期は思い出せないけど、ごめんね。それでも僕たちが出会ったのはたしか四、五十年前だったはずさ」

「そんな……し、四、五十年前? 団長って何さいなんですか!? おっ俺、聞いてないですよ!?

「そりゃそうだよ、だって聞かれてないんだもん」

 明らかに俺よりも年下に見える外見なのに、この人は一体何歳なんだ。

 もしかして人族じゃなかったのか?

 いや、でも今も感じる魔力系統や気配は人族のもの。他の種族ではないと思うが。

 それに、じいちゃんと友人だったって?

 遠くはなれた国で、初めて出会った人に「祖父と知り合いですか?」だなんて尋ねるわけがないんだから、あっちから教えてくれれば良かったのに。

 本当に団長はなぞばかりの人物だ……。

 いやいや。

 そんなことは置いておいて。

 先にハッキリとさせておきたいことが別にある。

「ご、ごほんっ。まあ、このことは後で話を聞くとして。その前にじいちゃん、俺は家を追い出されてから自分の意思で騎士になろうと思ったんだ。それなのにどうして試験に来るって団長に手紙を出せたんだ? それも、俺がゴルドーに勘当を言い渡されるよりも前に」

 一番なつとくがいかない、引っ掛かっている点はこれである。

 さきほど、祖父は団長との会話の中で『テオルが入団試験に参加すると手紙を出した』と言っていたが、どうやらその時系列は『ゴルドーが俺を追い出す』前だったらしい。

 俺は家を追われ、それから自分で思い立ち、騎士になるため試験を受けに来たというのに。

 何故、祖父は俺が家にいるうちから、試験に行くだなんて手紙を送れ……た──

「あ」

 その時。

 家を出た後のことを思い出し、ハッとした。

「くくくっ、思い当たる節があったようじゃの?」

「俺、そういえば……試験の話、じいちゃんから聞いて……」

「そうじゃよ。儂があらかじめ意識の底に刷り込んでおいたんじゃ。まあ元はといえばお前さんが騎士に興味を持っておったからの。どうか『操った』、ではなく『背中をした』としておくれ」

「……え?」

「前々から自ら決心する形で好きなことをさせてやりたい、そう思って準備をしておいたんじゃ。しかし先ほど言ったがゴルドーのやつがの……そのせいで結局こうなってしまったわ。テオルさえ許してくれるのなら、最終的にばんばんざいの結果になったので良かったのじゃがな」

…………

 じいちゃんは、俺がこの国の騎士に興味を持っていたことを知ってくれていたのか。そして暗殺者を続ける自分に感を覚えていたことも。

 つまり俺が外の世界に行けるようにと背中を押そうとしてくれていた時、ゴルドーとのいざこざがあって、あの時はそれを利用して演技を……?

「いらんことをしていたとしたら申し訳ないのう。十分に話し、説明する時間もなく」

「いや、騎士が気になっていたことに間違いはないから問題ないけど……ほら、今はこうなって良かったと俺も思っているし。だけど、それにしても良かったのか? ガーファルド家の仕事もあるのに」

 暗殺一家ガーファルド家を創り上げたのは祖父だ。

 そこから俺がけてしまって良かったのだろうか。

 ルドとルウにはまだかくてき簡単な任務しかこなせないだろうし、と現役の働き手の少なさを心配してしまう。

「なんじゃ、そんなさいなことは構わんよ。我が一族に生まれたからといって嫌々やる仕事でもないからの。それに当主がおろかであれば、いずれ看板を下ろす時が来るというものじゃ」

 ──が、祖父はあっけらかんとそう言った。

 そういえばこの人は昔から、仕事に関してはどこまでも実力主義でドライな人だったな。

 なにしろちよう一流の暗殺者。

 その力量ただ一つで、一代にして家をあそこまで大きくしたのだ。


 それからしばらく、俺たちは話を続けた。

 団長と祖父の関係。俺の意識に入団試験に向かうよう刷り込んだ方法。ゴルドーたちの前での祖父の演技や、ガーファルド家のその後について。

 三十分にも満たない時間だったが、楽しく言葉をわし様々な話をした。

 祖父が時計をちらりと確認する。

「おっと、もうこんな時間じゃ。次の用事があっての、あまり長居をしてはおくれてしまう。今日のところはこれで失礼するが、とにかくじゃ。テオル、家を出てもお前さんが儂の孫であることに変わりはないのじゃぞ? これからは自由に、無理につらい思いをせずに存分に生きなさい」

 やさしいしようたたえ、祖父は温かな声音でそう言うと席を立った。

 ニコニコと様子を見守っていた団長が俺のかたたたき、じいちゃんに声をかける。

「孫のことがこいしくなったらいつでも来なよ。かんげいするよ」

「おお、それは良いことを聞いた。どうやらここは、ジンらしい最高の職場のようじゃな」

 二人は若い悪友同士のようにニヤリと口角を上げた。

「じいちゃん、今日は──いいや、全部ひっくるめてありがとう」

「そうか、儂はとにかくきらわれんくて良かったわ。テオルが家を出た後、ゴルドーにおどされたとか適当な理由をつけて弁解しようと思っていたんじゃがな。お前さんの足が速くて追いつけんくて……ようやく時間ができた今日、きもを冷やしながら来たんじゃよ。やはりいかんの、過ぎた悪戯いたずら心は」

 祖父は最後に苦笑いをかべ、ほほくと俺の耳元に顔を寄せる。

 そして。


「魔力も増えたようじゃの。その力で、多くの人々を救うんじゃぞ?」

 そう言い残し、第六騎士団室を後にした。

 何かっ切れた気がした、さわやかな、いつもと変わらない午前のことだった。


◆ ◆ ◆


「うーん、申し訳ない。昨日もリーナから話を聞いて考えてみたんだけどね、やっぱり僕は知らないなぁ。ドラゴンの心臓がけつしよう……そして体内に吸収されたか……。おそらく何かしらの魔法、それかじゆじゆつの類だとは思うんだけど……」

 祖父が去った後。

 団長に紅玉の話を訊くと、すぐにそんな答えが返ってきた。

 今回の仕事の報告とともに、すでにリーナからある程度の話を聞いていたらしい。

「あっ、そういえば今日だったね」

「今日……?」

「うん。ひめさまの護衛で王都を離れていたもう一人の団員が帰ってくるんだ。かのじよは博識だから、何か知ってるかもしれないな……」

 第六騎士団のメンバーは団長を除き、俺以外に三人いるという。

 そういえばあと一人、まだ会っていない人がいるんだったな。

 新しいかんきように慣れるのに必死で、すっかり忘れていた。

 最後のどうりようはどんな人なんだろう。

 彼女、ということは女性のようだが。

 リーナとヴィンス同様に、かなりうでが立つ人物であることは間違いないだろう。

 第一印象は重要だからな。

 れいとしてしっかりと挨拶もしたいし、紅玉の質問ついでに帰還を待つか。

「なるほど、ちょうどいいタイミングですね。それならその方が来るまでここに──」

「でも、手紙で団員を増やすって知らせたらかなりおこってたからなぁ。話を聞くのは厳しいかも」

「……団長。それって結局、全団員が俺の入団を嫌がってたってことになりませんか?」

「ま、まぁそれはそれさ。アマンダが帰ってくるのはもう少し後だからさ……ほ、ほらっ、それまでは大図書館にでも行って調べて来てみたらどうだい? 君だって時間をにするのは嫌だろうっ?」

 冷ややかな視線を向けると、団長は目を泳がせながらあいまいな笑い方をした。

 どうやらどうようかくす気はさらさらないようだ。

 ここぞとばかりにワタワタとされ、俺は頰を引きらせた。

 けれどまあ、まだ時間があるというのなら団長の言う通り先に大図書館に行くとしよう。

 リーナに街を案内してもらった時に見た、あのきよだいな図書館でなら一つくらい情報を得られるかもしれない。

 話に聞くところ、騎士と証明できる騎士団服を着ていけば、いつでも無料で利用できるそうだ。

 本当に騎士とは良い職業である。

 普通は図書館を利用しようとすると、それなりの金銭をはらう必要があるというのに。

「はぁ……わかりました。じゃあ、その団員の方との間を団長が取り持ってくれるということで」

「りょ、りようかい……」

「とりあえず今は何か手がかりがないかぶんけんを当たってみます。それではまた後で」

「あっそうだ。これ、生活のために給金の一部をまえばらいで用意したから渡しておくよ。手持ちがそこまで多くないだろうってゼノスから聞いてね。おそくなってすまないが、ほら、受け取ってくれ」

 ひとまずの予定を決め部屋を出ようとすると、団長がこうの入ったふくろを渡してきた。

「っ! ありがとうございます。正直困っていたので助かります」

 ほとんど必要がないとはいえ、少々こころもとなかったからな。

 頭を下げ感謝を伝えてから退室する。

 ソファーで寝ているヴィンスにからまれないように俺はしのび足で外に出た。

 魔力昇降機エレベーターに乗ってから袋の中を覗いてみると、思ったよりも金額が入っていた。

「これが全体の一部って。十分な大金だぞ……」

 使いやすいように銀貨と銅貨が中心になっているが、ジャラジャラと音を鳴らす袋の中には黄金色にかがやく金貨が数枚入っている。

 これならあのにくくしきるまで食べられるだろうな。

 ……それにリーナに世話になった分の恩返しも、給金を待たずして買うことができる。

 ようやく安心できる程度にはふところが温まった。

 俺はさまざまな書物が揃っているという、街の中央区にあるしん殿でん──のような大図書館に軽い足取りで向かうことにした。


◆ ◆ ◆


「はぁ~。結局なんにも見つからなかったな……」

 大図書館の中は三階までかべいちめんほんだなめ尽くし、外観だけではなくせつ内を流れる空気まで本当に神殿のようなそうごんさがあった。

 管理された気温に湿しつ

 やわらかいじゆうたんにどこかじゆうこうな照明の光。

 落ち着くようなつかれるような、そんな静けさの中を俺は時間をかけて歩き回ってみたが、お目当ての紅玉に関する情報は見つからなかった。

 他にも目星をつけている本の中で、まだ中を確認できていない物もある。

 あとは午後からにしよう。

 腹の虫が鳴ったので気分てんかんね少し早めに昼食を、と俺は外に出たのだった。


 館内の静けさとのギャップで、いつもよりもそうぞうしく感じるにぎやかな街をふらふらと歩く。

 すると一けんの店の前を通りかかった。

 ここはそういえば……リーナが最近人気だと言っていたカフェだ。

「ちょうどいいし入ってみるか」

 ピークには行列ができるそうだが、今は列が見当たらない。

 このタイミングをのがすと行く機会は当分やってこないだろう。

 俺はこれ幸いと、店内に足を進めた。

「いらっしゃいませ。おひとり様ですね、こちらへどうぞ」

 扉を開けるとチリンとすずの音が鳴る。

 店員に案内されたのはカウンター席だった。

 まだランチには少し早い時間帯だというのに、ほとんどの席が埋まっており、店の中にただよう紅茶のかおりがこうをくすぐる。メニューを見ると値段はそこそこするようだが、ここは味が良いとリーナが力説していたからな。しやふんだけが取りじゃないのよ、なんて言って。

 椅子の背もたれに羽織っていた騎士団服をかけ、注文を済ませる。

 しばらくすると柔らかい白パンで肉を挟んだ料理と、紅茶が届けられる。

 リーナの言葉に噓はなかったようで、口にしてみると料理も紅茶も想像以上にかった。

 一人で感動していると、ちょうど入店してきた客がとなりの席に案内されてやって来た。

「こちらの席でよろしいでしょうか?」

「ああ」

 気がつくと、いつの間にか店内は満席になっていた。

 本当におとずれるタイミングが良かったらしい。

 ゆっくりとくつろぐのが目的だったわけではなく、単に食事をしに来ただけだからな。

 なるべく早くおいとまするとしよう。

 店員に案内されて来たのは、まっすぐに背筋がびた背の高い女性だった。眼鏡の奥にあるりんとしたむらさきの瞳と美しいボブカットのくろかみに思わずハッとさせられる。

 ちらりと見ただけのつもりだったが、目が合ってしまったので軽くしやくすると、彼女は席につきながら話しかけてきた。

となり、失礼する。それにしてもうわさには聞いていたが、まさかこんなに客が多いとは……何分初めてこの店に来たのだが、運良く最後の一席に座れて良かった」

「そうですね。俺も初めてなんですけど、正直びっくりしました。気付いたらこのせいきようぶりで」

「お、殿でんも初めてなのか。どれ、何をたのむべきかわからないことだ、私も同じものを頼むと……ふぁ……。す、すまない。欠伸などして……」

「ああ、いえ! お気になさらず。お疲れ、ですか?」

「実は仕事で長らく遠くに行っていてな。先ほど王都にもどってきたばかりなのだ。長期間の仕事を終え肩の荷が下りたからといって、まったく私としたことが……本当に失礼した」

「はぁ、なるほど。それはお疲れさまでした。長期の仕事で遠くへというと、商人の方──」

 女性は今も必死に欠伸をみ殺している。

 ぼうを極める商人か何かだろうか?

 そう思い俺が尋ねようとした時、近くのテーブル席に座っていた俺と同年代の二人の少女が寄って来て、ねむたげな目をしているりんせきの女性に声をかけた。

「あの、もしかして……アマンダ様、ですか?」

「ん? ああ、そうだが……」

「きゃあっ、やっぱり! あのっ、あ、あたしたち大ファンで!! その、あっ、あくしゆしてもらってもいいですか!?

 女性がうなずいたしゆんかん、少女たちは飛び跳ね、勢いよく手を差し出した。

 興奮気味なその声に反応して、店内の他の席からもはばひろねんれいそうの女性たちが立ち上がり、握手を求めてやってき始める。

 隣の席の彼女は、そんなに有名人なんだろうか……?

 時折さわがしくなりすぎないように注意しながらも、握手にこたえる女性の前には列ができ、そくせきの握手会がかいさいされることに。若い女性店員に至っては、握手とともに色紙にサインを求めている。

 ただの名の知れた人物というわけではなさそうだ。

 特に女性に、ねつきよう的な人気がある……か。

 うーん、そういえば。

 確かに俺も本当につい最近、アマなんとかという名前を耳にした気がする。

 答えはのどもとまで出ているのだが、あと一歩が足りない。

 どこで聞いたんだったか。

 気になったので答えが出てスッキリしてから店を出ることにしよう。

 案内待ちの列ができていても、カフェということで許してほしい。

 紅茶のおかわりを注文し頭をなやませる。


「はぁ……王都は王都で落ち着くことができないな」

 ようやく握手をし終え、解放された女性は溜息をついてそう言った。

 見るとさっきよりも一段とろうの色がくなった顔をしている。

「大変、ですね」

 じようを聞き出すきっかけになればと思い、ねぎらいの意を込めて声をかける。

 すると彼女はメニューをながめてからあきらめたようにそっと微笑んだ。

「いつものことだ。それよりも席が隣だったばかりに騒がしく、めいわくをかけてしまっただろう。すまないな。謝罪──になるかはわからないが、ここは貴殿の分も私に持たせてくれないか?」

「……え? いえいえっ、流石にあれだけのことでそんな……いいですよ、自分で払います!」

「いいんだ。ものごしが柔らかで、しんを感じる。貴殿のような立派な人物に出会えた礼だと思ってくれ。これでも一応それなりの余裕はあるからな。国に仕える第六騎士団の一員としていそがしくしているのだから、これくらいはしないと私も示しがつかないのだ」

「そう言っていただけるのはもちろんうれしいですが──」

 ……ん、あれ?

 今なんて?

 言葉が詰まり、表情が固まる。

 俺は今しがた聞き取り、脳内ではんきようしている言葉をゆっくりとり返した。

「──第六、騎士団……?」

「ああ、そうだが……む? も、もしかして私が誰か知らずに話していたのか? だとすると、こ、これはずかしいな。貴殿もこの国にいるのだから聞いたことくらいはあるだろうとばかり……」

「……いや、まあ騎士団の名前は、聞いたことはありますけど……でもすみません。どなたかは分からずに話していました」

「おお、そうか! 騎士団の名を聞いたことはあるのだな。だが自らの知名度におごり有名人気取りとは、まったく私は……。不在中に新たに団員を入れたと聞いて帰ってくるのも億劫おつくうでな、思考がになっているのかもしれない」

 ちよう気味に目をせると、女性──俺の同僚のアマンダさんは、深く鼻から息をいて続けた。

「気を入れえる機会を与えてくれたこと、深く感謝する」

 頭を下げられる。

 俺は今、きっと遠い目をしていることだろう。

 だって、こんな出会い方になるなんて。

 それにやっぱり、俺が入団したことで帰ってくるのも億劫だったらしいし。

 そうだな……。

 これは、一体全体どうしたものか。


◆ ◆ ◆


「うむ。これはなかなか美味だな」

 その後、俺と同じ料理と紅茶を注文したアマンダさんは、パンを一口食べてからまゆを上げた。

 団員が増えて億劫だと聞いた手前、「自分がその新団員です」なんて言えるわけもなく、俺は必死の思いで背もたれにかけている騎士団服を隠し続けている。

 席を立ったらバレてしまうからな。

 彼女が先に店を出るのを待とう。

 自分の正体を隠すと、後で挨拶をする時に逆に変なことになるような気もするが。

 そう頭ではわかってはいるのだが……ここはとにかく乗り切るしかない。

 気まずさは、未来の俺にたくす!

「ちなみに、貴殿は何をされている方なのか?」

「へっ!? あ、あー……職業ですか? 職業はそのっ、に、肉体労働を……」

「なるほど、それでバランスの良い筋肉をされているのか。いや、人の重心などを見るのが少々得意でな。どうしても気になって聞いてしまった」

 何か気付かれたのかと思ったが、単純に気になっただけだったらしい。

 だいじよう、騎士の仕事も肉体労働のうち。一応、噓はついていない。

 だから何がしたいのか良くわからないこんな言動にも、別に心を痛める必要は……うっ。

「そ、そうだ。この紅茶もかなり美味しいですよ」

「ほう。っ! ……これは確かに。ここまで多くの人が集まるのも納得の味だな」

 俺は先のことを考えることなどめ、ひとまず話題をらすことにてつした。

 アマンダさんがこちらを見るたび、俺の騎士団服が目に入らないかヒヤヒヤする。

 や、やっぱりここは自分で支払うと言って先に席を立ってしまおうか?

 例えばまず上手いこと彼女の視線をゆうどうする。そして次に、タイミングよく体の後ろに騎士団服を隠せば、ばんなんとかなる……か?

 なんとかなるかどうかは誰にもわからない。

 いや、多分なんとかならないんだろうけど。

 問題はそれ以前にあるのだ。

 そう、せっかくおごってもらえる流れになっているのに、いまさら断って足早に去ることは流石に礼儀に欠けるこうだろうという問題が。

 それにやはりだ。

 後で顔を合わせた際に乗り切る方法が、別人のふりをするくらいしか思いつかない。

 まあどうせ、それをやったところで失敗に終わると思うしなぁ……。

 今からでも名乗り出るか、それとも今は大人しくし成るように成るさと流れに身を任せるか。

 俺は究極のしやたくいつに神経をすり減らしながら、結局答えを出せないでいる。

「ふぅ……」

 そして、俺の頭がばくはつしそうになったころ

 最後に紅茶を飲み終えたアマンダさんが満足げに息を吐いた。

 よし、食事も終わったことだし、これでひとまずお別れだな。

 いやぁ~、仕方がない。

 任務や仕事でゆうじゆうだんになることは決してないが、今はオフだからな。

 それに今回も、俺が決断する前に時間が来ただけだ。

 うん、そういうことだ。

「さて、そろそろ行くとするか。私が奢ると言ったばかりに待たせてしまったな。時間は大丈夫だったか?」

「はい。自分はそこまで忙しい人間ではないので。それより、ごそう様です」

「気にしないでくれ。いちいちの出会いへの感謝と、迷惑をかけてしまった謝罪を込めた私のわがままだからな。またどこかで会えると願っている。──っと、そうだ」

 誠実さに欠ける自分から早くだつしたくて仕方ない。

 ようやくこの場はしゆうりようだとホッとしたのだが……しかし。

 ここで本日最後の難関となる質問を彼女が口にした。

「再会のときのために、最後に名前を聞いても良いか? 私はアマンダだ」

 できれば名前を言わずに別れて、団長やリーナがいるところで挨拶をしたかった。

 もしかするとすでに俺の名前を手紙の中で知っているかもしれない。

 これが第六騎士団の新たな団員だとバレるきっかけにならないといいが……。

 けれど、別にそこまで珍しい名前でもないからな。

 ここでめいかたることこそ、後でツケが回ってくることの原因になるかもしれない。

 みっともなくしな話だ。

「……テオル、です」

 いつしゆんであれこれと思考をめぐらせ、俺は腹をくくって名乗った。

 みような間が空きアマンダさんの口角が上がる。

 まさか、気づかれた?

 きんちようが走るが、表情でさとられないようにポーカーフェイスを保つ。

 ひそかにゴクリとつばを飲み込むと──。

「テオル、いい名前だな。では私は先に失礼する。またどこかで会おう」

 そう言って、アマンダさんは会計を済ませると振り返ることもなく店を出て行った。チリン、と鈴の音がまくを揺らす。

 窓の外の道を彼女が歩いていき、姿を消したのをしっかりと確認する。

 店内をわたすと、いまだ客入りがピークの状態だった。

 それじゃあ俺もそろそろ出るとするか。

 まるできんぱくした仕事をすいこうした直後のように、肩の力を抜き紅茶でのどうるおす。

「……ふぅ」

 どっと押し寄せてくる疲れを感じながら、深く息を吐いていると、

「あれ? あんた、来てたのね。声をかけてくれたら私もいつしよに来たのに」

 とつぜん、後ろからリーナの声がした。

 振り返ると後頭部に少しぐせが残り、眠たそうな目をしているあおかみの少女がいる。

 どうやら彼女はいま来店して、ついさっきまでアマンダさんが座っていた席に案内されたらしい。

 この広くて人が多い王都でも珍しいことがあるものだ。

 世間は広いようでせまいな。

「お、リーナ。ほら、前に教えてもらったからな。大図書館で紅玉のことを調べるついでに来てみたんだ。……もしかして寝起きか?」

「ええ、まあね。昨日は少し遅かったから」

「報告を任せてしまってすまないな」

「あぁ、いいのよいいのよ。これくらいしないと、ドラゴンの一件ではあんたに助けてもらってばかりだったから」

 彼女は立ったまま椅子の背もたれの上に手を置き、そう話してから騎士団服をいだ。

 そしてそれを、俺と同じように背もたれにかける。

「そういえばさっきアマンダさんに会ったんだ」

「へえ、もう帰ってきてるのね。……て、あれ。あんた初対面だったんじゃない?」

「まあ、そうなんだけどさ。アマンダさんってそんなに厳しい人なのか? 団長から聞いていたよりも優しそうな感じだったけど」

 眠たそうな目をこすり、椅子を引こうとしていたリーナに気になっていたことを尋ねる。

 そう、そうなのだ。

 聞いていたアマンダさんの印象と、実際に会ってみて感じた印象がかなり違う気がしていた。

 勝手にもっとこう、おにのような……話が通じないじんなタイプかと。

 それか、暴れ馬のようなタイプ。

 リーナは椅子にかけた手を離し、あごに手を当て「うーん」とななめ上を見る。

「厳しいっていうか、どちらかというとって感じね。あの人、かなりしっかりした人だし」

「しっかりした人……か」

「うん。ジンなんかよりはよっぽどしっかりしてるわよ? 結構優しいところもあるから心配しないで大丈夫じゃないかしら。ま、時々同じ騎士として、私たちにはちょっとこわい時もあるけど」

「そ、そうか……。人間、そう単純じゃないもんな。けどな、実は俺のことを──」

 アマンダさんは俺の入団を快く思ってないらしく、さっき会った時も名乗れなかったんだ。リーナにそう伝え、相談を持ちかけようとした。

 しかし、その時。

 小走りでこちらに近づいてくるひとかげが目に入った。


 視線を向けると、そこには先ほど別れたばかりの眼鏡をかけた黒髪の女性が。


「テオル、まだいたか。良かった……うっかり忘れ物をしてしまってな。これをなくすと大変な問題になって仕事に支障が──あれ?」

「あ」

 アマンダさんが、リーナと顔を見合わせて固まった。

 何が何だかと言った感じで、ゆっくりと彼女はリーナが座ろうとしていた椅子を引く。

 そしてその席に置かれていたのは──。


 自分の物を隠すのに夢中で忘れていた。

 アマンダさんは騎士としての仕事から帰って来たばかりなのだから、彼女も持っていて当然なのに。オフだからと言っても、流石にぼうっとしすぎだろ俺!?

 忘れ物と言ってアマンダさんが手に取ったそれは、テーブルの下に入っていた椅子の座面に置かれていた。

 丸められた、俺やリーナの物と同じデザインの騎士団服だ。

 そんなところに……忘れ物があるだなんて。

「久しぶりだな、リーナ。すすめられた通りこの店に来てみたが、確かに料理も紅茶も美味かった。それで……その様子は、もしかしてリーナもテオルと知り合いなのか?」

「えっ? あぁいや。アマンダさん、こいつは──」

 じようきようを正しく理解できていないリーナがすべてをばくしそうになる。

 俺は慌てて決意を固めると立ち上がった。

 もう、どうにでもなれっ!!

「──だまっててすみません! 実は俺が、第六騎士団の新団員なんです!」

 限界まで深く頭を下げる。

 数秒の後、あまりの無音にえきれず顔を上げて様子をうかがうと。

 俺の顔を見ていたアマンダさんは、ゆっくりと口を開いた。

…………は?」


◆ ◆ ◆


「──で、こうなったのよ」

 リーナが腰に手を当てて、俺とアマンダさんがここに来るまでのあれこれを、団長とヴィンスにざっと説明する。

 かなり端折はしよっていたが、簡単にまとめるとカフェでの一幕についてだ。

「なるほどね……それでか。なんかテオルと誰かさんで、前にも同じような光景を見たような」

「あ? んなことあったのか……?」

「い、今はいいのよ! それはっ!」

 以前、リーナと手合わせを行った騎士団本部の地下訓練場。

 カフェを後にした俺は、現在そこでアマンダさんとたいしていた。

「……はぁ」

「あんた、ビシッと気合い入れなさいよ? 認めてもらわないといけないんだから」

「まあ……やるけどさ。なんでリーナも、それに団長とヴィンスも間を取り持ってくれないんだ」

「そ、それは……ねえ? あ、あれよ、ほらっ。ちょっとジン、なんとか言いなさいよ」

「僕たちにだっていろいろとあるのさ。だからがんってくれよ、テオル」

「オレぁ、シンプルにおもしろそうだからな」

 後ろに立つ三人がそれぞれの反応を見せる。

 こうは言っているが、結局は三人とも俺を冷やかしに来ただけなのだろう。

 一体どこから聞きつけたのか、気がついたら団長とヴィンスもいたし。

 どうして俺が楽しみを提供しないといけないのか。いまいち納得できないが、ここまで来たのだからもうやるしかない。

 カフェで俺が新団員だと白状すると、アマンダさんが言ったのだ。

『──貴殿に、第六騎士団の仲間としてそうおうの能力があるか見させていただきたい』

 優しさが消えたするどい眼光を、眼鏡の奥できらりと光らせて。

「そろそろ始めるが良いか?」

「あっ、はい」

 すぐ近くにいるリーナたちを半目で見ていると、アマンダさんが声をかけてきた。

 彼女は俺の前方三ミトルほど先にいる。

 なんか妙に近いし、後ろの三人もそこにいたら危なくないか?

 リーナとやったように手合わせを始めるのだから離れるように言おうとしたが、その前に、背後から肩にぽんっと手を置かれた。

 リーナだ。

「実力を見るって言っても別に戦うわけじゃないと思うわよ? 団員として最低限の素質があるか、ひとまずアマンダさんの〝アレ〟があんたを確認するんじゃないかしら」

 なんだ、せんとうを行うわけじゃなかったのか。

 いつでも気配を消せるよう体内の魔力のじゆんかんを確認していたんだが。

 それにしても……アレ?

 なんのことを言っているんだろうと疑問に思い、アマンダさんの方を見る。

 すると眼鏡を外した彼女の右目があかい光を放ち、あやしく輝いていることに気がついた。

「なるほど……悪魔か」

 悪魔。

 それは異界にみ、ごくまれにこの世界にけんげんする種族の名だ。

 俺たち人族などとは違い、生まれ落ちたその瞬間から強大な力を持ち、世界のありとあらゆる場所の伝説や伝承に登場する。時に人々の敵であり、また別の時には味方でもあるやみに生きる種族。

 アマンダさんの体内にはそれがいるようだ。

 しかも、かなり強力な。

 世界には体内に悪魔がふういんされている人物がいる。

 だが、それは本来集落などの神職者の務め。選ばれし者が悪魔を代々引きいでいくのだ。

 そもそも体へのが大きいため、その者たちが外の世界に出ることはないという。

 決して騎士として、人があふれる都にいるはずがない。

 ならばアマンダさんは悪魔との……? いや、この気配からは体内に悪魔を押し込み棲まわせている、そんな印象を受ける。それじゃあやっぱり封印されているのか?

いでよ、イシュイブリス──ッ!

 彼女がそうさけぶと、右目の光はより一層強くなった。

 のうみつな魔力があたりに吹きれる。

 そして次の瞬間。

 魔力が赤黒いもやへと姿を変え、俺たちの前でだいに人の形を作っていく。

 最後にかたまりとなった靄がさんすると、そこには闇のけんまとった絶世の美女がゆうしていた。

『何の用かしら、アマンダちゃん? いきなりび出したりなんかして』

「その者の力量を測ってくれ」

『もう! 人使いがあらいんだから……。でも好きよ、そういうところ』

 気がつくと俺のそばに悪魔の女が移動していた。

 布地の少ないかなりきわどい服装をしているけれど、その辺りは俺たちとは感性が違うのだろう。

 明るいむらさきいろの髪を垂らし、黒い目に金色の瞳で俺の顔を覗き込んでくる。

『じっとしててね。すぐに終わるから』

 悪魔はそう言うと返事も聞かず、一方的に腕を伸ばし俺の体に手をわせてきた。

 魔力や筋肉のつき方、思考のパターンまで。

 様々な情報を読み取られ、満足いく者かどうか試されているのがひしひしとわかる。

 まるで俺という人間を採点されているみたいで、あまり居心地は良くないが抵抗はよそう。素性がわからない悪魔にあらがうことほど危険で愚かなことはない。

 大人しくじっとさわられ続けていると、険しい表情でこちらを見るアマンダさんが口を開いた。

「そいつは魔天十三王の一人、かのしんえんおうが腹心、イシュイブリスだ」

「えっ、深淵王の……腹心?」

「ああ。危険はないとちかうから安心してくれ。結果によっては入団を反対することにはなるがな」

「……わかりました。でも、あの、このままだと──」

 アマンダさんが言うには、このイシュイブリスという悪魔は十三体存在する悪魔の王、そのうちの一体に仕えている存在だそうだ。

 すごいな。そんな悪魔を体の中に飼っているのか、この人は。

 あまりの特異さにおどろくが、その前に早くこのしんを終わらせなければならない。

 でないと、いくらなんでも危険すぎる。

 そう伝えようとしたが、すでにおくれだったらしい。

……っ! こ、これは……いったい、どういうことなの……ッ!?

「どうしたイシュイブリス」

『い、いや、アマンダちゃん。このぼうや……いえ、このお方は……』

 とつじよとして張り詰めた表情になったイシュイブリスに、アマンダさんが尋ねる。

 イシュイブリスの手がそっと引かれたのを確認してから、俺は先ほどからずっと「出せ出せ」とうるさかったしんえんけんを取り出すことにした。

「闇魔法〈しんえんけん〉」

 しつこくの闇が集まり、波打つ一振りの剣が手元に出現する。

『や、やっぱり! こんなところでお会いできるなんて……っ!!

 俺がしんえんけんを持つと、イシュイブリスが後ろに下がりかたひざをついてこうべを垂れた。

 状況を見ていたリーナたち三人と、アマンダさんがいつせいに目を点にしたのがわかる。

 驚くのも無理はないだろう。悪魔が人間に対して頭を下げるなど、本来はあり得ないことなのだ。

 ゆいいつ口を開くことができた団長が興味深そうに訊いてくる。

「テオル、それって君が使ってる……」

「はい。いつもは剣の形を保っていますが、でも正体はこいつなんです」

 俺が応えた瞬間、しんえんけんは手をすり抜け、やがて巨大な人影に変化した。

「ほう……これは面白いね」

「な、なによこの気配……!? もしかして、こっちも悪魔っ?」

「おいッ、こりゃげねえとやべーだろ!?

「……こ、これはっ」

 団長とリーナ、ヴィンス、アマンダさんがかげを見上げる。

『イシュイブリス、久しいな。この身の程知らずが』

 感じる魔力は確かに悪魔のものだが、そう発声した影はイシュイブリスとは違い顔を窺うことができない。

 髪やはだの色もわからず、ただあわがいとうの下、人に似た形を取っていることだけがわかる。

 その深い闇を前にして、イシュイブリスはさらに頭を下げた。


『お、お久しぶりです──深淵王様っ!』


『余のけいやくしやに対してなんというこう。再度、教育が必要か?』

『めっ、めつそうもございません! 陛下の契約者様だとはつゆ知らず、馬鹿げたを……』

 数秒前までの態度からガラリと変わり、額を地面にこするイシュイブリス。

 そこにはただ静かに、深い闇がちんしている。

 俺がけいやくし、ごろからしんえんけんとして使用しているかれこそが、イシュイブリスが仕えているという悪魔の王だったというわけだ。

『ア、アマンダちゃん。私は今すぐこの方の実力を認めるわ! だからあとは自分の目で見て判断してちょうだい。そ、それじゃあ今日のところは失礼するわね……っ』

 プルプルとふるえるイシュイブリスはそう言って、深淵王に深く一礼する。

 そしてすぐに靄に変化し、アマンダさんの瞳の奥へと消えていった。

『……うむ、では余も去るとしよう』

 最後になぜか満足げな深淵王も姿を消し、訓練場内にちんもくが降りる。

…………

…………

 深淵王が暴れなくて良かったけど……イシュイブリスがいなくなってしまった。

 俺のことを認めるとは言ってくれていた。

 けれど、これで合格ということでいいのか?

 口を開いて呆然とし、固まっているアマンダさんに目を向ける。

「あの、こういう場合は……」

「よ、よくわからないが、とりあえず貴殿の入団に異議は唱えない。……いや、待て。イシュイブリスは『自分の目で判断しろ』と言っていたな。だったらまだ保留か? だが、深淵王と契約している化け物を認めないなど、そんな愚かな話が……」

 アマンダさんはぶつぶつと独りごちている。

 その結果。

「よし! とにかく今は、仮で入団に賛成するという形にしておこう!」

 俺は、曖昧な判断を下された。


◆ ◆ ◆


 そのままの流れで団長が紅玉のことをアマンダさんに尋ねてくれたので、より細かな部分を俺がてき付け加えながら説明することになった。

「……その心臓から変化した紅い石を持ったら突然割れたらしいんだ」

「はい。本当にいきなりだったんですけど、粉々になって俺の体の中に吸い込まれて」

「それで魔力が増えたって聞いたんだけど、テオル、そのあたりも合ってるかい?」

「そうです。魔力の総量と全体的なパワーが上がった気がします。まだちょっと、他にも違和感があるので何かしら変化があるとは思いますが……」

 アマンダさんは顎をでて話を聞いている。

 リーナとヴィンスもあのみような一件のことが気になるらしい。

 どんな返答がくるのか興味ありげに耳をかたむけ、真剣な表情で会話に参加している。

「そういえば、一瞬だけどものすごい風が吹いたわよね。爆発したみたいに」

「だな。テオルのやつも苦しそうにしてよ」

 二人から客観的な情報を聞いて思い出す。

「確か、あの時……体がこわって、その後に爆発したみたいに風が吹いたんだったよな」

 伝えらしがないように事細かく話をし、アマンダさんの反応を待つ。

 彼女は目を閉じ、難しい顔をしていた。

 この場ですぐに答えがわかればいいんだが……。

 そうすれば、あの時の現象に関して何か対応を要するのであれば、すぐに行動に移すことができる。場合によっては、リーナたちに協力をあおぐこともできるだろう。

 そして、数秒後。

 アマンダさんが目を開くと、再び彼女の体内にいる悪魔──イシュイブリスが姿を現した。

「すまないが私の知識に思い当たるものはない。だが、こいつと対話をしたところ、何か良い案があるらしくてな。ではイシュイブリス」

『ええ、任せて。じゃあ少しだけ話を聞いてくれるかしら?』

 対話……か。

 悪魔との関係にも色々とあるんだな。

 適度なきよかんを保っている俺と深淵王とは違い、彼女たちはかなり親しい間柄のようだ。

 イシュイブリスは俺たちが頷いたのを確認すると、人差し指を立てた。

『うん。つまり……たんてきに言えば、他の上位りゆうに話を聞けばいいのよ』

 その言葉に対し、対話したと言ってもくわしい内容までは聞いていなかったのか、アマンダさんがまゆを寄せて口先をとがらせる。

「お前、それは厳しいのではないか?」

『え、どうしてかしら?』

「確かにこいつらがたおしたドラゴンと同等の存在ならば何かを知っている可能性は高い。だが、まずもってそもそも居場所がわからないだろう? それもおん便びんに話ができるドラゴンに限るのだぞ」

『わかってるわよ、もう! アマンダちゃんったら……。私がその穏便なドラゴンの居場所に心当たりがあるから言ってるに決まってるじゃない!』

「そっ、そうか。いや、本当かっ!?

 ここまで協力的で友好的な悪魔も珍しいな。

 道をひらいてくれたイシュイブリスの言葉に、俺たちもアマンダさんと同じように目を丸くしていると、長話にちゆうで飽きてよそ見をしていたヴィンスが尋ねた。

「……んで。結局、どういうことなんだよ」

「何か知っているかもしれない上位竜の居場所を彼女が教えてくれるってことさ」

 シンプルに話をまとめろ、といった感じのヴィンスに団長が説明する。

 続きが気になる俺は先をうながすように、イシュイブリスに目を向けた。

「それで、思い当たるドラゴンはどこにいるんだ?」

 するといきなり、

『アイライ島でございます』

 イシュイブリスがかしこまった態度になった。

「そ、そうか……。あそこか」

『はい。数百年前からあの島にいんきよし、知識を集め、研究にはげんでいる者がいるのです』

 俺が深淵王と契約しているからなのか、えらくうやうやしい接し方だ。

 それにしても。

 ドラゴンの中にもそんなやつがいるんだな。

 数百年も前からぞくを離れているのなら、同じく長い時を生きるイシュイブリスがいなければ、居場所を知ることはできなかっただろう。

「ありがとうな、教えてくれて」

『い、いえ! この程度、当然でございますっ!』

 感謝を伝えると、彼女は目を逸らしすぐに消えていってしまった。

 慌てたように去ってしまったけど、何か対応を間違っただろうか。

 話を聞き、これからどうするかと考えていると、それまで静かにしていたリーナに突然、わきばらかれた。

「痛っ……な、なんだよ」

「なんでもないわよ! ふんっ」

「……えぇ」

 よくわからない。

 何をねているんだか。

「ははっ。まあ、とりあえずそうだな……」

 俺が理不尽な態度のリーナにまどっていると、団長がおかしそうに笑ってから提案した。

「アイライ島に行ってみたらどうだい? みんな仕事を終わらせたばかりだし、きゆうも兼ねてさ」

 一応、と団長は言葉を継ぐ。

「全員が王都を離れるわけにはいかないから、僕は残るよ」

「えっ、アイライ島に? 本当にいいのよね、ジン!? 感謝するわっ!」

「……そうだな。イシュイブリスも事の真相が気になるらしい。私も行くぞ」

 高速でげんを取り戻したリーナにアマンダさんが続く。

 アイライ島での滞在期間に行きと帰りの移動をふくめると、最低でも全部で半月はかかるはずだ。

 自分の身に起こったことに関する調査とはいえ、こんなにも休暇をもらっていいのだろうか? 仕事を終えたばかりだからなのか、のんびりしている時間の方が長い気がする。

 そんなことを考えながらとうわくする俺は、まだアイライ島行きへの参加を表明していないヴィンスを見た。

「お前も行くか?」

「いや、オレぁいい。いくらなんでも遠すぎんだろ。めんどうくせえから後で結果だけ教えてくれ」

 ヴィンスは気になってはいても、休暇をもらえるなら王都でゆっくりと過ごしたいようだ。

 島へは三人で行くことに決まった。