夜空に大きな満月が浮かんでいる。
吹き抜けた冷たい風が、尖塔の頂に立つ俺の頰を撫でた。
ちょうどその時、眼下に広がる屋敷で暗殺の任務が完了し、二つの人影が外へ姿を現した。
ホッと息をつきたくなるが、まだ気は抜けない。
二つの人影──俺の従兄妹たちは緊迫した任務を終え、すっかり安心した様子で庭園を歩いている。肩の荷が下り、警戒心が薄れてしまっているのだろう。
しかし、それでは駄目だ。
一応、常に首と目を動かし周囲を見回しているようだが、巡回している警備兵の位置を正確に把握できていない。このまま進むと鉢合わせになる。
「伝え方が悪かったか……」
最後の最後まで高い集中力を保て。
以前から何度も言ってきたように、今日も繰り返し注意したのだが。
俺はポケットに手を入れたところで、ふと動きを止め、思案を巡らした。ここは手助けをせず、一度くらい痛い目に遭っておいた方が、彼らの今後のためになるのではないだろうか。
「……いや、これは仕事だ。馬鹿な真似はよそう」
ミスが許されない暗殺稼業において、ものの数十秒で殺しに気付かれるほど愚かなことはない。
個人での任務を二件終え、次はサポート役として眠る暇もなくその足で従兄妹たちに同行してから二日。かれこれ五日も睡眠を取ることなく時が流れてしまった。
疲労のせいか浮かんだ柔な思考に頭を振る。
そして警備兵の近くに狙いを定め、俺はポケットに入れておいた小石を高速で弾き飛ばした。
大気を切り裂き、勢いよく地面に着弾した小石が音を立てると、すぐにルートを変える警備兵。訝しげな表情を浮かべながら、兵士は音が鳴った方へと向かい従兄妹たちから離れていく。
これで何事もなく敷地外へ出られるはずだ。
遠くの空から雨雲が迫っていることを確認し、俺は身を翻す。
纏った暗黒色の外套が風に靡いた。
最後に塔の下で気を失っている男──おそらく今回の標的を護っていた同業者だ──が、まだしばらくは意識を取り戻さないことを確かめ、軽いステップで屋根に飛び移る。
それなりの実力者だったのでサポートとして俺が先ほど意識を刈り取っておいたのだが、無駄な殺しをせずに済んだのは良かった。察知されることも、姿を見られることもなかったからこそだ。
夜に溶け込み従兄妹たちを追う途中、去り際に屋敷を一瞥する。
浮上してきた空虚な思いを埋めるように、俺は空に浮かぶ月を見上げようとした。……が、既に月は雨雲に吞み込まれた後だった。
深く息を吸い、そして吐く。
「…………」
以前から、この仕事に違和感を覚えていた。身体を動かして働いていると、徐々に気持ちが肉体と乖離していくような気がするのだ。初めは些細なものでしかなかったその感覚は、今ではもう目を逸らすことができないほど大きなものになっている。
力の使い方。
自分の在り方。
もしかすると心の底では答えが出ているのに、現状維持に甘んじているだけなのかもしれない。ここではない何処かを憧憬しながらも、日々手元にある課題を必死にこなし、目を背けながら。
いつか諦念と共に、暗殺稼業に充足感を見出す日がくるのだろうか。
悪天の気配がする夜空を見上げ、珍しく感傷に浸る自分にきまりの悪さを感じた俺は、そっと視線を落とした。
雨が降る。
早く家に帰ろう。
従兄妹たちはまだ、それほど遠くへは行っていない。