閑話 憧れの姉様
僕はカーマイン。
ノースマーク侯爵家長男で、次期当主として教育を受けている。
長男として生まれたのだから当然の事。周囲もそう言うし、この国の爵位は基本的に長男が継ぐものと学んだ。
けれど、僕はその流れに疑問を持っている。
理由の一つは、両親からそれを告げられた事がないから。まだ幼いけれど、弟が生まれた事もあって、両親は様子を見ながら、後継の指名を遅らせているのかもしれない。
そして理由のもう一つ、僕の疑問の最大の根拠が、スカーレット・ノースマーク、僕の姉様だ。
三つ上の姉様は優秀の言葉だけでは収まらない。
勉強を始めると知識をみるみる吸収して、今では七か国語を使いこなし、領地の作付け状況をまとめて、気候・地質調査と統計学の知見から改善案を作成する。経営や行政を学べば、教えられた事とは異なる意見を持ち、新しい角度からの独自解釈で文官達と議論を重ねた事もあるという。
僕も勉強を本格的に始めて既に三年。姉のようになれるイメージはまるで持てなかった。
姉様が侯爵家を継いだ方が良いのではないか。
葛藤は常について回った。
侍女のアンジュは、僕も十分優秀だと言ってくれる。護衛見習いのアレクスは、このまま努力を続ければ次期侯爵に相応しくなれるという。スカーレット姉様はお嫁に行くから、侯爵位を脅かす事は無いと。
「でも、スカーレット様の方が優秀なのは事実っスけどね」
言った瞬間に部屋が凍り付いたし、僕付きの全員に睨まれていたけれど、執事候補ヘキシルの言葉は僕の代弁だった。
僕の部屋にいる間はプライベートだと言わんばかりに言葉を崩す、この執事見習いを、僕は嫌いじゃない。
第一、空気を読めとアレクスがヘキシルを叱っているけれど、それは彼の言葉を肯定してるのと同じだよね。どうも、彼は僕を持ち上げればいいと思っている節がある。
側近の入れ替えを、またお父様に頼まないといけないかな。
次期侯爵が内定している僕の側近という立場は魅力的らしくて、幼い頃から擦り寄ってくる者が多い。僕に付けられる前に
使えない側近も、信用できない護衛も必要ないからね。
幼い頃から信頼できる優秀な侍女に囲まれた姉様が羨ましい。
そんな中で、ヘキシルだけ毛色が違う。
彼は割と最近僕に付けられた側近だ。彼は姉様付きのフランの従弟なのだけど、素行が悪いと、僕に付けるのを見送られていたらしい。教育し直したらしいけれど、効果がなかったのか、これでも更生しているのか判断し辛い。
でも、飾らない彼の言葉はありがたい。
「ヘキシルは、僕が姉様みたいになれると思う?」
「なれる、なれない以前に、そうなる必要、あるんスか?」
何気ない質問に、思わぬ質問を返されてギョッとした。
アレクスが口を挟みかけたのを黙らせて、ヘキシルに続きを促す。
「スカーレット様は確かに優秀で、革新的っス。でも、それが誰にでも受け入れられる訳じゃありません。カミン様が劣等感を抱いているように、優秀過ぎる彼女に反発する教師もいますよ」
そう言われてみれば、姉様を担当した教師が何人か辞めている。姉様を侮ったり、悪意を持って対応したりする者は、姉様は寛容でも、フランが処理するだろう。けれど、そう言った話は聞いていない。
ならば、どういった理由で辞めてゆくのか? これまで疑問を持つことも無かった。
「優秀な生徒を受け持つことは、教師側にも良い事じゃないの?」
当人の実績になるのだから、メリットしかないと思う。
「姉様大好きのカミン様からすると、優秀なスカーレット様に教える役目はどんな場合でも誇らしい事なんでしょーね」
ヘキシルの言葉を否定しない僕に、視界の端でアレクスが驚いた顔をする。
驚くような要素、どこかにあったかな? もしかしてだけど、姉様大好きに反応したの?
恥ずかしいから一々肯定しないけど、姉様みたいになれない自分を不甲斐なく思っているだけで、あの人を嫌った事なんて一度もないよ。
「憧れってのは、手が届きそうに見えるから持てるんスよ」
アレクスの今後の取り扱いは後で考えるとして、今はヘキシルの話を聞く。
「オレみたいに、地を這う獣は空を羽ばたく鳥を見上げる事しかできません。獣は空行く鳥に憧れなんて抱きません。飛べない事を受け入れてついて行くか、種が異なるのだと諦めて離れるか、どっちかっスね」
「僕と姉様は同じ鳥だから、ヘキシルは姉様を目標にするのは間違ってるというの?」
「間違いとは言いません」
大切な事を伝えたいからか、ヘキシルの言葉遣いが普段と変わる。
「カミン様は、お姉様のように高く、速く飛べないと悩んでいるのでしょうけれど、高く飛ぼうとするあまり、周りや下を顧みない主にはならないでほしいです。スカーレット様は自由であるから輝く方で、何があろうとついて行くつもりのフランもいます。けれど、カミン様は我々と共にある主であってほしいと思います」
「あんまり高く飛ぶと、ついて来れないから?」
「カミン様の足を引っ張りたい訳じゃないですよ。でも、目標にはジェイド様を据えていただきたいです」
「あ──」
父様の名前を出されてハッとした。次期侯爵を目指す上での明確な目標。だからと言って、決して楽にはならない道程。
「大切なお姉様に追いつく事を諦めるのは難しいですか?」
「ううん──考えてみるよ」
納得できた訳じゃないけれど、考えないといけない事は分かった。
八歳になって、魔法の勉強が始まった。
僕の属性は水、母様と同じ属性だった。魔力から水を生み出し、冷気を操る。高位の魔法使いは天候に干渉して雨を降らす事もできるという。
同じく水属性のヘキシルは、夏に便利ですと言っていた。
同意はするけど、他にも使い道はあるんじゃないかな。
水球を作り出し、溜まった水を凍らせる。水魔法の基礎には困らなかったけれど、強化魔法の習得には引っかかった。
もっとも、強化魔法の習得率は四割に満たない。
一言に魔法使いと言っても、強化魔法を得意とする騎士タイプと、属性魔法を主とする術師タイプに分かれる。両方を扱える万能タイプは全体の一割もいないと言われている。
だから僕は術師タイプなのだろうけれど、我が家は父と姉が万能タイプなので、僕もそう在りたかった。我儘でしかないと自覚はあったけれど、姉様が教えられたその日に使いこなしていたと聞かされていたから、尚更に。
全く強化ができない訳ではない。
身体全体に魔力を行き渡らせるのが難しく、部分的な強化になってしまう。そのままの状態で激しい動きを行うと、強化の弱い部分に負荷が掛かって体を壊してしまうかもしれないと、止められている。
不甲斐なく思っていたら、姉様が声を掛けてくれた。
「私が教えてあげましょうか?」
一も二もなく飛びついた。
僕以上に忙しい姉様が時間を割いてくれる事が嬉しかった。
それに、貴族の子女は、十二歳になると王都の学院に通う。もうすぐ出発する姉様と一緒にいられる時間は貴重だった。
ワクワクしながら訓練場で姉様を待つ。
あんまり目を輝かせているものだからとヘキシルにからかわれたけれど、今は全く気にならない。
だって、姉様の強化魔法は、騎士団長だって敵わないんだよ? もしかしたら国で一番かもしれない。そんな人に教われるのだから、期待しない筈がない。
強化魔法に限らず、初めの習得の時点でコツを掴めなければ、それ以降にその魔法を扱えるようになる事は難しいと学んでいる。けれど、類稀なる魔力制御を行える姉様ならもしかして、とも思ってしまう。
「待たせてごめんね、カミン」
姉様の登場に、その場の全員が凍り付いた。
いや、僕を除くヘキシル達男性陣は、凍り付く前に姉様から慌てて顔を背けた。
姉様が全身タイツ姿だったから!
え? なんで!?
指先から足まで全て覆われて、姉様の綺麗な金髪も、束ねた上でタイツの中に収納されている。顔の部分だけ開いて素顔が見える。
家族の僕はともかく、身体のラインがはっきり分かる状態の姉様を、男性の視界に入れられる訳がありません。身体の凹凸が乏しくて色気が少ない事は全く別の問題だしね。
「……姉様、その格好、どうしたの?」
「私が考案した、強化魔法の練習着よ!」
凄く得意気だ。
後ろに控えるフランを見ると、表情を無くして明後日を向いていた。
なるほど、強行する
「カミンの分も用意してあるから、着替えていらっしゃい」
「え──!?」
僕もそれ着るの?
いつ用意したの?
この状況を予想してたの?
……絶望的な気持ちになった。
善意そのものな笑顔の姉様に否と言える訳もない。悪意の欠片も無い純真な笑顔が逃がしてくれない。
着替える前に、笑いを堪えているヘキシルは殴ろう。肩、めちゃくちゃ震えてるからね!
姉様を視界に入れられない僕の側近達は訓練場の入り口を見張る変則的な状態で、強化魔法の練習は始まった。フランを除いた姉様の側近も離れてくれたのがありがたかった。
着替えた後も、訓練場に戻る勇気を奮い立たせるのにしばらくかかったしね。
その見た目の不味さに反して、練習着としての性能は確かだった。
魔力を薄く延ばして全身に纏うイメージが視覚化されて分かりやすい。
さらに、魔力を流すと色の変わる素材で出来ている。巡らせた魔力の濃淡を目視できるので、苦手部分を客観視できる。
不完全な強化で全身まだら模様になった自分を鏡で見た時は泣きそうになったけれども。
あんなに苦手だった強化魔法を、僅か半日で習得できた。
タイツを脱いでも楽に発動できる。
「おめでとう、カミン!」
我が事のように喜び、姉様は何度も祝福してくれた。
恥については──忘れよう。
「本当に習得できるとは思ってなかったっス。凄いっスね、スカーレット様は」
訓練場からの帰り道、青痣作ったままのヘキシルと意見を交わす。
「うん、本当に凄いよ、あの練習着。多分、アレを使って練習すれば、僕以外でも習得できる人は多いと思う」
「そこまでっスか」
「姉様は大した事だと思ってないだろうから、僕から父様に報告しておいた方がいいと思う」
強化魔法習得者の割合が塗り替われば、軍や騎士団の戦力は大きく変わる。万能タイプの者が多く確保できるなら、戦術を大幅に増やし、戦略にまで影響を与えるだろう。
「……恐ろしいですね」
「うん、タイツだけでも、魔力に反応する素材だけでも、ここまで楽に習得できなかったと思う。色が変わる素材で服を作ったとしても、イメージの補完には足りなかっただろうね」
「普通は貴族令嬢が全身タイツで魔法の練習をしようとは思いませんからね」
「
思い付いても実行しない。
実行しようと思わないから、素材の事を知っても組み合わせを思いつけない。
「今回の事で、あんまり優秀が過ぎると、凡人には理解できない事もあるって思い知ったよ」
「カミン様が凡人とは思いませんけど、今回は強烈でしたからね」
当の姉様がどれほどの事をやらかしたか、自覚していないから周りのフォローが要る。姉様にはフランがいるから、口止めをはじめとした対応に、既にあたっていると思う。
僕の場合は、まだヘキシルにもそこまで全面的に任せられない。だから、自分を顧みて、周囲が戸惑うような行動を避けなきゃいけない。
「姉様が憧れであることは変わらないけれど、姉様みたいになりたいと思うのはやめておくよ」
姉様は鳥じゃなくて、竜だった。空を飛べるからって、一緒にしちゃいけない。
余談であるが、この強化魔法の練習着はノースマーク領で正式採用され、多大な成果を上げて、次第に国中に広がっていく事になる。そして、後に大魔導士と呼ばれるスカーレットの最初の偉業として語られる。
強化魔法の変革として、多くの書物に全身タイツ姿のスカーレットの絵や写真が掲載され、晩年にそれを知ったスカーレットは、全て燃やして! と泣き叫んだとか。