願いを形に

──なんて思っていたけれど、お母さんの怒りは想像以上だった。

メイドさんの制止に耳を貸さないのも、廊下を走るのも、調理場に入るのも、貴族のお嬢様としてあり得ないんだってさ。特に調理場は料理人さん達の職場なので、そこに入る事自体が苦情を言っているのも同じな行為なんだって。

お掃除欲が抑えられなかったとはいえ、ちょっと悪い事したね。大丈夫、モヤモヤさんの封じ込めは完了したからもう行かないよ。

で、しばらく部屋から出るのを禁止されてしまった。

お父さんも怒っていたものだから、助け船を出してもらえなかったよ。がっくり。

一応はお掃除欲も満たしたので大人しく従ったものの、お部屋遊びは一日で飽きた。遊び相手フランがいないから余計だろうね。あー、退屈。

暇な時間が長いと色々考えてしまう。

普段はお掃除欲にかまけて屋敷中を駆け回っているけれど、私はこれからどうするべきなんだろう?

日がな一日遊ぶ……ただの三歳児なら普通の事かもだけど、私には前世の記憶がある。ふとした瞬間に将来の事が心配になる。流石に何も考えない三歳児ではいられない。

前世の記憶、実は未だにぼんやりしたままだったりする。

転生した時に欠けたのか、本来なら必要のないものだから元々朧げなのか、死因も思い出せないままなんだよね。ま、それで困る訳じゃないけども。

悲惨な死に方でトラウマが発症しても困るし、あまり深く考えないようにしている。

それでも、日本の一般人として生きた事は間違いない。大学まで卒業して、薬品の品質保証に従事してたってくらいは思い出した。私の判断基準はその経験が基になる。

それで、異世界の貴族として生きるなんてできるのかな?

貴族。

前世でも国によって違いはあったけど、国を動かす立場にいる事は間違いない。そして色々と面倒なしきたりや人間関係、義務なんかが付属してくるんだと思う。面倒だよね。

貴族が居るって事は、身分制度が当たり前の世界なんだとも分かる。事実、メイドさん達は私みたいな幼児でもこれでもかってくらいに敬ってくれる。でも将来、侯爵家の血筋ってだけで大勢の上に立つかと思うと身が竦む。

前世日本人メンタルで奮い立てる未来が見えてこない。

そして最近、いつか考えないといけない問題と言えなくなった。

淑女教育が始まりました。

まだまだ子供であっても、私、お貴族様だから、相応しいマナーを学ぶ必要があるんだって。

お母さん曰く、余計な癖が付く前に正しい所作を身に付ける事が大切らしい。

前世の常識が染みついてる私は、手遅れだったりしないかな?

期待に応えられない事への不安も覚えてしまう。そんなまま、今はお掃除へ逃げている段階にいる。

いつまでもこのままでいられる訳がない。

貴族だからってふんぞり返って義務を放棄するのは、前世日本人の良識が邪魔をする。というか、どう考えてもお母さんが許してくれない。このお家、とっても模範的な貴族みたい。その分、責任が伸し掛かる。

「(前世みたいに、仕事は仕事でこなして残りは余暇に充てるって言うには、立場が重いよ)」

「……お嬢様?」

思わず日本語で零した弱音に、エステルが首を傾げた。

私を慕ってくれる貴方達には決して聞かせられないから、ごめんね。

あー、駄目だ。

暇を持て余しているせいで碌な考えが浮かばない。

「ねえ、エステル。やっぱりフランのお見舞い、駄目?」

こんな状態で部屋に籠っているのは良くない。外出禁止でも口実があるなら何とか外へ行けるんじゃないかとエステルへ詰め寄った。

「すぐ切り上げるなら、簡単にうつらないんじゃない? きっと大丈夫だよ」

「あ、いえ、昨日原因が判明しましたので、感染症でない事は明らかになっています」

「ホント! なら、行っても良いよね? ね?」

駄目なら他の方法を考えるつもりだったところ、何と一番の問題は片付いていた。口を滑らせたのか、エステルはしまったという顔をしたけれど、それなら余計に退く理由がなくなった。

「し、しかし、お嬢様の面会はまだ奥様に禁じられております」

「どうして? ……ううん、それならお母様のところへ連れて行って。私、説得するから」

気分転換したいのが始まりだった訳だけど、フランが心配なのも嘘じゃない。彼女の安否についても、何も分からないまま悶々としているのは耐えられない。

私の押しに弱いエステルは、お願い、お願いと何度も繰り返す私に折れてくれた。ありがとね。

結果から言うと、お見舞いの許可はもぎ取れた。

三日も説得を続けると、退く気はないって私の熱意はお母さんにも伝わったらしい。

私の唯一のお友達、何も知らないままではいたくない。

「良い、レティ? 少し話したらおしまいよ? 寝ていたなら次の機会に延期、分かってる?」

「はい!」

お見舞いに行くならお母さんも一緒って条件が付いた。

最近は使用人が減ったせいで忙しくなって、弟のところに顔を出す頻度も減っているお母さんと短い時間でも一緒にいられると、私はご機嫌で使用人棟に向かう。

掃除がまだでモヤモヤさんがあちこちにあるのも、今は気にならなかった。

「気にかけていただいてありがとうございます、奥様、お嬢様。先程起きたばかりなので、顔を見せてやってくださいませ」

仕事の合間を見つけては様子を見に来ているというテトラが迎えてくれる。

私の部屋と比べるとずっと狭い寝室で、フランが荒い息を繰り返していた。

私のお見舞いが制限されていた理由はすぐに分かった。フランの顔はまるで土みたいに生気を感じさせない色で、薄く目は開いているものの焦点は定まっていない。何処まで意識があるかも怪しい。

こんな状態の友達に会ったなら、普通の三歳児なら号泣していたと思う。だけどそれではフランに負担をかけてしまう。

多分、お母さんは私を試す目的でここへ連れてきたんだと分かった。我儘を言った私が、このフランを前に適切な対応ができるかどうかを見てる。

忙しい中、時間を割く訳だよね。お母さんと一緒、なんて浮かれ気分は一瞬で吹っ飛んだ。

これがお貴族様としての教育の一環なんだとしたら、厳しいよ。三歳児の我儘に責任を持てって事だよね?

「フラン、大丈夫?」

私は震える身体を抑えてフランへ近づいた。大丈夫な筈はないけれど、他に言葉が思い浮かばなかった。気の利かない自分が嫌になる。

「お嬢、さま、……あり、がとう……ご、ざ……」

「無理しなくていいよ。私はフランの顔を見られて安心したから」

私が話しかけてしまったせいで、何とか言葉を紡ごうとするフランを慌てて止めた。私の自己満足を満たす為に、彼女へ負担を強いに来たんじゃない。

無理をさせたお詫びに、ベッドに投げ出されたフランの手を強く握る。思った以上にその手が冷たくて、余計に悲しくなった。

「一人だとつまんないよ。だからフラン、早く元気になってね」

言葉のままに、一刻も早く元気になってほしいと願う。

少しでも楽になったらいいと手を強く握る。

その瞬間、異変が起きた。

私の中にあったモヤモヤさんが、私の意図に反してフランへと流れる。いきなりの事に判断が遅れて、結構な量が繋いだ手を伝わってしまった。

え? え? え?

慌てて手を離すと、フランの穏やかな寝息が聞こえてきた。さっきまでの苦しそうな様子は何処にもない。

フランの症状が落ち着いたならいい事だけど、何が起きたの?

色々訳が分からないまま、それでもフランが眠ってしまったので答えは貰えない。病人の睡眠を邪魔する訳にもいかないのでお見舞いもおしまいとなった。

フランを見ても取り乱さなかったと一応の及第点を貰って使用人棟を出る。

私の頭には盛大に疑問符が躍っていた。


良く分からないモヤモヤさんが、ますます訳分かんないって判明した翌日、元気になったフランが出勤してきた。

「お嬢様、お見舞いありがとうございました! おかげでこの通りです」

「…………良かった。元気になったんだね、良かったぁ……!」

「ええ、きっとお嬢様のおかげです」

疑問は尽きないけれど、嬉しい気持ちが湧きだしてきて、これしか言葉にならなかった。あのままフランが死ぬんじゃないかって、すっごく怖かったからね。

お帰り、フラン。