お屋敷丸洗い計画はとてもじゃないけど達成できていない。進捗も乏しい。広過ぎるよね、このお家……お屋敷? 建物だけで、本邸、別邸、使用人棟、政務棟、騎士棟等々複数が存在する。

私の立ち入りが禁じられている場所もあるし、一、二年での掃除はとても無理。誰かに手伝ってもらえる訳でもないしね。

だからって諦めるなんてない。できるところから頑張ってるよ。

昨日は花園、一昨日は別邸屋上、毎日どこかを駆けまわってる。お屋敷全体をモヤモヤさんで固めようと思ったら、じっとしてる暇なんてないもんね。

メイドさん達からの〝お転婆姫〟呼ばわりくらい、甘んじて受け入れますとも。そんな事より掃除が大事。

なんて私に許された範囲で東奔西走していたのだけれど、最近はお屋敷が慌ただしい。

原因は知っている。

というか、私も無関係ではいられなかった。

何でも使用人が大勢倒れたらしい。いつもは六人いる私のメイドも、今は二人しか残っていない。その中には私のお友達、フランも含まれる。既に三日、彼女を見ていない。

ちょっと風邪ってくらいでは済まないみたい。他のメイドさん達も休んだまま帰ってこない。

私にあんまり手がかからないとは言え、いつもの三分の一だと仕事が回らないから不寝番にと臨時のメイドを追加したくらい。

お見舞いに行きたいんだけど、原因不明で私にうつるかもしれないからって聞き入れてもらえなかった。もしかして感染症だったらと考えると怖いけど、こういう時、お嬢様って不自由だよね。

お貴族様だけあって大勢のお医者さんを呼んで原因を究明してる。私は勿論、お父さんやお母さんにうつす訳にはいかないと随分な力の入れようみたい。調査さえ捗ればお見舞いもすぐ解禁されるんじゃないかな。

フラン達が心配ではあるものの、それで部屋に籠っている私じゃない。

できる事を進めようと今日も箒を持ち出した。

実は、メイドさん達が少ないって状況は、私にとってチャンスでもある。引き止める人員が少ないなら普段は禁止されてる場所にだって行ける。こんな機会は逃せない。

私には、ずっと行きたかった場所がある。

何度も試みては止められていたその場所へ、私はモヤモヤさんによる謎の身体能力向上を活かして駆けた。

私にしがみついて止めるフランがいない。

いつも先回りするフレンダとベネットがいない。

後ろからエステルが制止を呼びかけるけど、声だけで私は止められない。

調理場が私を待っている!


「さあ! 何処から手を付けようか」

辿り着いた先で私は胸を張って仁王立ちした。

いつも入れ替わる食材は諦めるとして、それを保存する氷箱は必須だし、水回りも綺麗にしておきたい。食材に触れる調理器具だって綺麗な方が気持ちいい。食器は勿論、それを収納する棚だって見逃せない。壁や天井からモヤモヤさんが染み出てくる環境も嫌だよね。

モヤモヤさんと向き合って二年と少し。

あれが恐らく無害だって事は分かってきた。それもあって今日まで調理場掃除を諦めてきた。

でも、それでモヤモヤさんの不快感が消える訳じゃないんだよ。

いくら害はないと言っても髪の毛の入った料理は食べたくないに決まってる。手で触れるなら許容できても、口へ入れるには抵抗あるものなんていくらでもあるよね。

だから、私にとって調理場の掃除は必須だった。これで悲願が叶う。

上機嫌で全体を見回して、私の視線は水場の蛇口で止まってしまった。

「何あれ? 汚い……」

蛇口と言っても調理台からは離れている。野菜なんかを洗う場所かな。残念ながら、こんな大きな調理場とは前世で縁が無かったので詳しくない。

ただはっきりしてるのは、液状になったモヤモヤさんが滴っているって事。

蛇口の締まりが悪いって訳ではないみたいだから、漏れた水にモヤモヤさんが溶け込んでいるのとは違う。知っている知識に当てめるなら、以前に私から溢れたヘドロ状に近い。むしろもっと粘り気が強い。

濃度を高める為か、周囲のモヤモヤさんを蛇口へ引き寄せているようですらあった。蛇口を中心に、調理場全体のモヤモヤさんがおかしい。

いつも以上の不快感がせり上がってくる。

ここで洗った食材を食べていたかと思うと怖気おぞけが走る。

こんな環境で料理を作っていたなんて許せない!

担当者を叱ったところで通じる筈もないから呑み込む他ないのだけれど。

知ってしまった以上、ここを綺麗にしておかないと今日の晩御飯が食べられそうにない。無理に食べたらフラン達みたいにしばらく寝込むかもしれない。精神的な負荷で……。

気持ち良く夕食の時間を迎える為にも、ここのモヤモヤさんは撲滅するよ。

私は手当たり次第に箒を振り回してモヤモヤさんを吸収する。そしてそのまま、箒を通じてモヤモヤさんを蛇口へぶつける。

二年間お掃除を続けた結果、私が直接触れなくてもモヤモヤさんを押し込めるようになった。まだまだちっちゃな私が手の届かないところもお掃除できるように、私、頑張りました。

結果として箒を振り回しているようにしか見えないから、メイドさん達から〝お嬢様の箒踊り〟とか呼ばれたりするけど、お屋敷を綺麗にできるなら受け入れるよ。

遠隔でモヤモヤさんを押し込めると、蛇口からヘドロ流出が止まった。

念の為に背伸びして蛇口を回してみたら、流れてきたのは綺麗な水だった。うん、完璧。

蛇口の異常には吃驚したけど、それで私のお掃除欲は止められない。ガンコな汚れまで驚きの除去力……ってね。

一度掃除を始めてしまえば、メイドさん達は私を止めない。立ち入り禁止と言っても、入ってしまえば今更引き摺り出しても遅いって事かな。食器や調理台をベタベタ触っている訳でもないしね。

〝お嬢様の箒踊り〟を生暖かく見守られながら、調理場を丸洗いしたよ。大満足!

私を引き止めるには弱気なエステルだけど、見逃してくれるって訳じゃない。むしろ事細かに報告されて、お母さんのお説教は確定してると言っていい。制止を振り切って調理場に入ったからお父さんのお小言も追加かも。

そうだとしても、調理場は綺麗になった。私の精神的安寧あんねいは保たれた。一片の悔いもないよ。