「笑止!!

 その言葉は英雄誕生に湧くメッツァーの街に轟いた。

 黒煙の中からひづめの音が聞こえる。

 一つだけではない。一〇〇、いや一〇〇〇以上はいるだろう。

 地面の灰やすすを巻き上げながらやってきたのは、本国軍だった。

 およそ二〇〇〇はいるだろう。一〇〇〇〇の兵が、五分の一にまで減ったのである。だが、あの混乱の中で二〇〇〇も残ったのであれば、よく生き残ったと言うべきだった。

「帝国軍第一師団師団長ルビガン・ゼイ・ボッタッキオ、推参!!

 ボッタッキオという将軍は名乗りを上げる。どうやらあの混乱の中で無事だったらしく、傷口はふさがり、口元には笑みを浮かべていた。

「本国軍め……。生きていたのか」

 ベガラスクは爪を構える。

 第四師団師団長の動きを見て、魔狼族ワーグたちもまた一度収めた爪を伸ばし、牙を見せて唸った。だが、疲労の色は明らかだ。パルマ高原での激戦に加え、休む間もなくメッツァーの攻略にかかったのである。さしもの魔狼族ワーグも、疲れが見え始めていた。

 相手とはほぼ同数とはいえ、向こうは回復を終え、満を持しての登場である。

 少々分が悪いように見えた。

「ヴァロウ様」

「意外としぶといな。……残った魔法兵を集め、防御結界でえ忍んでいた、といったところか」

 本国軍を目にして、メトラは息を呑む。だが、ヴァロウの表情は変わらない。

 するとボッタッキオは声を張り上げた。

「メッツァーの民たちよ。悪魔共のかんげんだまされるな。人類軍こそ正義! こやつらの言うことは、すべてまやかしだ!!

 民をさとす。だがその民から返ってきたのは、反発であった。

「ふざけるな!!

「お前たちが、ここに来て何をした!」

「オレらから、財を奪い! 女を犯し!」

「わしらの孫を殺した!」

「そんなヤツらの言うことを聞くヤツが、どこにいる!!

 悪魔に感化されたかのように、民衆たちはわめき散らした。

 それを聞いたボッタッキオの顔は真っ赤になっていく。頭の上から蒸気を噴かんばかりだ。

 将軍である自分の言葉を全否定されたのである。気位の高いボッタッキオにとって、聞き逃せない言葉だった。

「諸君らの言うことはよくわかった。ならば、諸君らはもう人間ではない。そこの悪魔と同じ、いやそれ以下の下郎よ!!

 構え、とボッタッキオは兵に合図を送る。騎兵は槍、弓、剣を構え、魔法兵は杖を掲げた。

 ヴァロウの側にいたベガラスクは尋ねる。

「一つ確認するぞ、ヴァロウ。何か策はあるのか?」

「ふん。必要あるのか、そんなもの……」

 ヴァロウは一度収めた魔法鉱石ミスリル製の刀を抜いた。

 ベガラスクは大きく口を開けて、大笑する。

「くわははははははははは! いいぞ! そうだ! これこそが戦さというものだ!!

「ちげぇねぇ! これが戦さのだい!!

 ザガスもくるりと重たそうなこん棒を振り回し、肩で担いだ。

 そう。ここからは総力戦。だが、ヴァロウは確信していた。

 ほぼ同数の対決ならば、勝敗は兵の質、そして練度が物を言う。

 こちらが連戦で疲弊しているとは言え、本国軍も回復こそしているが、似たような状況だった。

「──であれば、俺たちに負けはない!」

 ヴァロウは刀を前に掲げる。

 同時に、ボッタッキオもまた青龍刀を構えた。

「「かかれ!!」」

 両軍の大将の声が響き渡る。

 ときの声が焼け野原となったメッツァー城塞都市に鳴り響いた。

 その戦さをメッツァーの民たちはかたんで見守る。おそらく住人を前にして、魔族と人類がぶつかり合うのは、なことであろう。目の前で始まった殺し合いを、領民たちはただ見つめるしかなかった。

 ほぼ同数の兵が激突する。けんげきの音が雷鳴のごとく轟く。

 だが、非情にも勝敗を分ける鍵は兵の質にあった。

「ぎゃあああああああああああああ!!

 悲鳴が鳴り響く。吹き飛ばされたのは、人間、そしてその身体の一部だった。

 鮮血が飛び散り、その中をかいくぐったのは魔狼族ワーグたちである。

「馬鹿な!!

 ボッタッキオはおののき、思わず馬を止めて見入った。

 一合目から勝敗は決まる。正面衝突した本国軍第一部隊と第四、第六師団連合軍の戦いは、後者優勢で始まった。それも圧倒的と言っていい。やはり兵の質が勝敗を分けようとしていた。

 本国軍のほとんどが、本国周辺から集められた駐屯兵の寄せ集めで、しかも前線からほど遠く、ぬるま湯に浸かっていた兵士たちばかりである。今回初陣という者も少なくない。厳しい訓練を耐え抜いてはきたが、訓練は所詮訓練だ。勝負どころで、あと一つ踏ん張ることができる精神力は、そう易々と鍛えられるものではない。

 死線を幾つも越えてきた魔族軍と比べれば、実戦経験があまりにも乏しかったのだ。

 たちまち人類軍の陣形が乱れ、背を向けて逃走を始める者もいる。

「ええい! 逃げるな! 戦え!!

 ボッタッキオのしっが虚しく響く。だが。ボッタッキオとて安全ではない。

 その時、二つの影がボッタッキオに重なった。魔狼族ワーグ人鬼族ワーオーガだ。

 銀色の魔狼族ワーグは爪を、赤髪の人鬼族ワーオーガはこん棒を振り下ろしている。

「それで不意打ちのつもりかぁぁぁぁあああああ!!

 ボッタッキオはすぐさま長柄の青龍刀を掲げ、構えを取る。

 二つの硬質な音が戦場を四方に駆け抜けた。

 ボッタッキオの青龍刀が、ベガラスクとザガスの同時攻撃を受け止める。そのボッタッキオの顔に血管が浮き上がると、身体が一回りぼうちょうした。そのまま二人の魔族の攻撃をはじく。さらに体勢が崩れた魔族に向かって踏み込むと、青龍刀を振り下ろした。

 たまらずベガラスクとザガスは後退する。

「どうした、悪魔め? まだ眠っておるのか?」

「へぇ……。おかざりの大将じゃねぇみたいだな」

「ああ。だが────」

 ザガス、ベガラスクの二人は、もう一度突撃しようと構える。

 しかし、その前にボッタッキオの背後に再び影が現れた。それに気付き、また応戦しようとする。

 上段で構えた刀に気付き、ボッタッキオは青竜刀の長柄を横に構えた。

 また硬質な音が響く。目の前に現れたのは、敵からかくした馬に乗ったヴァロウだった。

「貴様が大将か。小柄だな。そんな身体で俺様に────」

 通じるのか? とでも言おうと思ったのだろう。

 そもそもボッタッキオには、自信があった。そのりょりょくにである。

 門の厚さが薄かったとはいえ、メッツァー城塞都市の城門を破った男だ。

 魔族の力にも引けは取らないと考えていた。

「ぬぐぐぐぐぐぐぐぐ!」

 そんなボッタッキオが唸りを上げる。ヴァロウの刀がボッタッキオの青龍刀を押し込みつつあった。馬上でのけ反り、顔を赤くし踏ん張る。その力の差は明白であった。

 さらにヴァロウの手の甲が光り輝き、〝角〟の力がかくせいする。

 ボッタッキオにすべはない。乗っていた馬ごと、そのきょが沈んでいく。いよいよ刃がボッタッキオの肩口に届き、鎧を果物のように斬り裂くと、刃が肌にめり込んでいった。

 血が噴き出すのを見て、ボッタッキオは悲鳴を上げる。

「血! また血ぃ! やめ……。やめてくれ! し、死んじゃうぅぅぅうう」

「ああ。そうだな」

「誰か、誰か助けてぇぇえぇえぇえ……」

 そこに将の姿はなく、ただ前線を離れ、本国のぬるま湯に浸かっていた貴族がいるだけだった。

 助けを求め、ボッタッキオは周りを見渡すが、すでに剣戟の音は止んでいる。

 妙な沈黙が戦場に落ちていた。ボッタッキオは目の端でその光景を確認する。視界に映っていたのは、爪についた血を舌で洗う魔狼族ワーグの姿であった。

「馬鹿な……!!

 ボッタッキオの口から絶望が漏れる。

 そう──いつの間にか全滅していた。二〇〇〇もいた兵士が、一瞬でである。

「お前たちの負けだ」

 ヴァロウの声が冥界から来た死神のように響く。するとボッタッキオの顔はたちまち青くなった。

「ぎゃああああああ!! ダレマイルさまぁああああああああ!!

 薄汚い悲鳴を聞いて、一瞬ヴァロウのこめかみが動く。だが、そのまま一息で斬り裂いた。

 左肩から、右脇腹まで一気に刃が滑り、胴が真っ二つに割れる。がさりと思ったよりも軽い音を立て、ボッタッキオのむくろは馬上から落ちた。

 馬が驚いて立ち上がり、ボッタッキオの上に着地すると、さらに血の海は広がっていった。

「チッ! いいところだけ持っていきやがって」

「ふん」

 ザガスがこん棒を振り回せば、ベガラスクは鼻を鳴らし、爪をしまう。

 ヴァロウは討ち取ったボッタッキオの頭を掴み、掲げた。

「討ち取ったぞ……」

 メッツァーの民衆に向け、淡々と告げる。

 そのテンションとは裏腹に、メッツァーの民は大騒ぎだった。

「おおおおおおおおおおお!!

「英雄様が! 英雄様が!!

「我らの仇を!」

「オレたちの無念を晴らしてくれたぞ!!

 再び歓声と拍手が沸き上がり、メッツァーの民は喜ぶのだった。



「ぎゃあ!!

 悲鳴が上がる。

 ボッタッキオ軍の最後の兵士を殺したのは、ベガラスクだった。

 喉元に突き刺した爪を引き抜き、勢いよく腕を振ると、付着した血を払う。

 やがて、そのたいは歓声を上げ、沸き上がるメッツァーの民へと向けられた。

 その動きに気付いたのは、メトラだった。

「どこへ行かれるのですか、ベガラスク様」

「決まっているだろ。あそこにいるのは、人間だ。我ら魔族の敵だ」

 ベガラスクは鋭い眼光に殺気を込め、口からしゅるりと息を吐いた。

 質問したメトラはたちまち金縛りにあい、動けなくなる。

 そのベガラスクの様子に、民衆も気付いた。

 一触即発の状況に、皆の表情が一転し、不安げな顔を覗かせる。

「ここの民がバルケーノにしいたげられたことは聞いている。そして今も、同じ人類によって略奪され、犯されたこともな。……だが、それがどうしたと言うのだ? 我らは魔族だ。同情する余地などない。人類は全員根絶やしにする」

「しかし、彼らもまたシュインツのドワーフのように、魔族の役に立つかもしれません」

「戦えぬ人間など不要……。ルロイゼンの人間共とは違い、ヤツらには覚悟が足りていない」

「道理だな」

 冷たい声とともに、ヴァロウがベガラスクの方に近づいてくると、民たちの間に入る。

「確かに同情する余地はない」

「しかし、ヴァロウ様。彼らは──」

「だが、利用する価値はある」

「利用する価値だと?」

 ベガラスクの言葉に、ヴァロウは「そうだ」と頷いた。

「ここにはまだ一万の民がいる。確かに武器を手に取り、戦うことは難しかろう。だが、他のことならできる。食糧の栽培、調達、このメッツァーという都市の再興、そして維持……」

「ぬぅ……」

「戦争で必要なのは、兵士だけではない。軍と都市を維持するための人員も必要だ。今、俺たちにはそれがない」

「それを人間にやらせると」

「ここは元々人間が作った都市だ。彼らに任せた方が、効率がいいと思うが……。彼らを支配するわけでも、虐げるわけでもない。ただその力を利用するのだ。それともベガラスクよ。自分で作ってみるか、お前の大好きな焼き魚を」

「なにぃ!!

 ベガラスクは思わず唾を呑んだ。

 他の魔狼族ワーグも同様である。あちこちから腹の音も聞こえてきた。息を吐く暇もなく二連戦し、しかもすべてギリギリの戦いだったのだ。もありなんといったところだろう。

「ここは魔族本国ではない。人員も限られている。使える者は使う。魔族おれたちは暴力を……。そして人間どもに知恵と労働力を出してもらう。それだけだ」

「そもそもメッツァーは我ら魔族によって滅び行く運命にあると言ったのは、貴様だぞ」

「死に体のメッツァーであれば、そうしただろう。だが、ヤツらには利用価値があるから意見を変えたまでのことだ。今、民を殺すのは得策ではない。そもそもその血になんの益がある。武器のない者をいたぶるなら、ここの領主のバルケーノやボッタッキオと一緒ということになるぞ」

「なっ────」

 ベガラスクもまた武人である。そしてまだ若い。その彼から見ても、バルケーノやボッタッキオの言動は、少々頭にくるところだった。故にこうしてベガラスクが無駄に激論をかわしているのも、無抵抗な人間を殺すことに、多少なりともためらいがあるからだ。

 本当にその気なら、ボッタッキオの軍と一緒に襲いかかっていたはずである。

 仮に、援軍として同盟領に来る前のベガラスクならそうしていたかもしれない。

 エスカリナやルロイゼンの民、あるいはドワーフ。兵士とは違う力なきものと交流することによって、ベガラスクの中に一般的な魔族とは違う、別の見方が生まれようとしていた。

 ようやくベガラスクは息を吐き、伸ばしていた爪をしまった。

「よかろう」

 狼の顎が下を向くのを見て、メッツァーの民たちはほっと胸を撫で下ろした。

「だが、何か問題を起こせば……」

「言っただろ? 利用するのだと。それができないなら、捨てればいいだけだ」

 ヴァロウは即物的に言葉を吐くと、メッツァーの民たちに振り返った。

「聞け、メッツァーの民たちよ。今の話を聞いていたな。俺たちはお前たちを支配するわけではない。君主に成り代わり、忠誠を誓えと命令することもしない。むろん、前領主のように虐げることもしない。ただし──我らに刃を向けるならば別だ。その時は容赦しない」

 ヴァロウは持っていた刀を掲げてみせる。まだ人の血の匂いがこびり付いた刀を見て、メッツァーの民たちは背筋を震わせた。

「ただこの地に留まるというなら、我々は存分にお前たちを利用させてもらう」

 ──故に……!

「お前たちも、俺たちを利用しろ。目一杯手を挙げて、え。助けてくれと、救えと願え。お前たちがそう望む限りは、我らはお前たちの声に応えてやる」

 何もない焼け野原に微風が吹き、煤を舞い上がらせた。焦げくさい臭気が鼻腔を衝く。

 ヴァロウの声は力強く、メッツァーの民の心に響き渡った。

 誰となく焼け野原となったメッツァー城塞都市の地面に膝を突く。大人も子どもも、男も女も関係なく、すねを汚し、そして深々と煤に汚れた顔を地面に向けた。

「お願いです」

「どうか助けてください」

「ヴァロウ様、どうか」

「我らに希望を……」

 請い願い、涙を流し、肩を震わせ、えつこらえる。

 メッツァーの民は自分たちが助けられることを諦めていた。助けを呼んでも、空しく響くだけだと思っていた。いつしか「助けて」という言葉すら忘れていた。だから彼らはたださくしゅされ、虐げられることを暗黙の中で認めてきた。

 故に嬉しかったのである。

 堂々と、「助けて」と言え、というヴァロウの言葉が……。

 ヴァロウは自他共に認める軍師である。英雄の器ではないと本人も認めていた。

 単なるぎゃくさつしゃならば、バルケーノと変わらない。それでも、バルケーノとヴァロウに違いがあるとするならば、今こうして見せている民の涙の質にあるのかもしれない。

 彼は否定するかもしれないが、メッツァーの民たちにとって、ヴァロウはやはり『英雄』であり、そして君主でもあった。


「相変わらず素直じゃありませんね、師匠


 声に反応して、メトラ、ベガラスク、そしてヴァロウは振り返った。

 三人が知っている声だったからだ。

 薄く煙がたなびくメッツァーの中心地から現れたのは、一人のみょうれいの女だった。

 前髪を綺麗に切りそろえ、長い黒髪を風に揺らしている。

「あなたは……。ルミルラ!!

 メトラは素っ頓狂な声を上げた。

 ヴァルファルの領主ルミルラ。ヴァロウの元弟子である。

 すると、その彼女はやや意地悪な笑みを浮かべた。

メトラ様、初対面のはずですが……」

「え? そ、それはその……。報告で人相を…………じゃない! あなた、何故生きているの? それとも今の今まで監禁されていたのですか?」

「いや、殺されましたよ。それはもう盛大に……。自分の父親にね。お腹の傷を見ます?」

 ルミルラは村人のような質素な上着を脱ごうとする。

 下乳が見えそうになった瞬間、慌ててメトラが隠し、周りの魔族に聞こえないように声を潜めた。

「あ、あなたね。人前で何をしているのですか……。そういうおてんばな所はちっとも……」

「あはははは……。やはり、あなたはメトラ様なのですね」

「うっ……」

 ルミルラがからかうと、メトラはうっと口をつぐみ、黙るしかなかった。

 そのルミルラの変化にいち早く気付いたのは、ベガラスクである。

 すんと、魔族一と言われる鼻を利かせた。

「女……。お前、いつの間に魔族になったのだ」

「ま、魔族!?

 メトラは驚き、マジマジとルミルラを見つめる。

 特に変わった様子はないが、ただ一つ目の色だけが変わっていた。髪の色と同じ黒色から、薄い紫色になり、妖しい光を放っている。

 当のルミルラも訳がわからないらしく、肩をすくめてヴァロウに目で助けを求めた。

「【こんの石】を使ったのだ」

「な!! 【魔魂の石】だと!?

【魔魂の石】とは人間をらくさせる時に使う宝具だ。

 端的に説明するならば、人間を魔族にする貴重な魔導具である。石そのものが、魔族の心臓とも呼ぶべき〝核〟であり、人間の心臓が止まった瞬間から起動するようになっていた。

「ヴァロウ、貴様! いつの間にそんな宝具を! まさか勝手に宝物庫から持ち出したのではないだろうな!」

「そんな掟破りはしない。魔王様からたまわったのだ。ルロイゼンを落としたほうしょうとしてな」

「な! お前の望みは、援軍だったのではないのか!?

「ああ。だが、それでは釣り合いが取れないと、魔王様がこの宝具をくださったのだ」

「なにいぃぃいいい!?

 ベガラスクはショックを受ける。

 彼の褒賞は宝具一つだけだが、まだ決まってもいない。なのに、ヴァロウは望みの援軍を手に入れ、さらには宝具を賜ったと言う。さすがに嫉妬を禁じ得ず、ベガラスクはうなれた。

「しょげるな、ベガラスク。【魔魂の石】は一回限りだ。これで俺が所持する宝具はなくなった」

「た、確かに……! ふふん。ならば、宝具を所持するオレの方が偉いな」

「差し出がましいようですが、ベガラスク様はまだされる宝具が決まっていないのですよね」

 メトラは少々余計なことを言う。ベガラスクは尻尾をだらりと垂らし、またしょげてしまった。

 そんな光景をよそに、ヴァロウは気を取り直してルミルラに尋ねる。

「お前、今までどこにいた?」

 ルミルラはここに至るきょくせつを話す。

 バルケーノに刺されたルミルラは、確かに死んだ。

 しばらく仮死状態になった後、ようやく宮殿地下にある霊安所にて眠りから覚めたのだが、気が付いた時にはメッツァーが火の海になっていたというわけである。

「私の忠告を聞いておけば、こんなさんにならなかったでしょうに」

「お前が最初から説明していれば良かっただけだ」

「そもそも師匠は、地下の竜の存在を知っていたのではありませんか?」

 ルミルラはヴァロウに向かって顔を突き出し、そっと声をひそめた。

「相変わらず恐ろしいまでに合理主義ですね、師匠は。このメッツァーの混乱も、あなたが英雄として現れるための舞台装置だったのではないですか? メッツァーを腐らせた厄介な貴族たちも一掃できましたしね。すべてメッツァーを統治しやすくするためのあなたのシナリオだったわけだ」

 まさしく変眸したルミルラの薄紫の瞳があやしく光る。

 その言葉を聞いて、ヴァロウはわずかに口角を上げた。

 ルミルラは呆れたように「はあ」とため息を吐く。

「その癖、民には利用しろとか言っておいて……。あれって、民への逃げ口上ですよね。もしここが人類に支配された時に、自分たちが利用されていただけなんだ、という理由を作ってあげただけなんでしょう。……まったく。時々、師匠の良心がどこにあるのかわからなくなりますよ」

 ルミルラから言わせれば、ヴァロウは英雄でも略奪者でもない。

 軍師だ。

 利用できるものは利用し尽くし、それが命であっても躊躇はしない。

 馬鹿が付くぐらい、彼はてっとうてつ──軍師であり、策士なのだ。

「ごたくはいい、ルミルラ。お前はどっちに付く気だ?」

「私をこんな身体にしておいて、それを聞きますか? まあ、自業自得なのは認めますけどね。……わかりました。この際ですから、はっきりさせておくことにしましょう」

 ルミルラはヴァロウのヘーゼル色の瞳を見ていった。

「もちろん、ついて行きますよ。たとえ、あなたが情け容赦のない魔族のヴァロウであろうとも……。十五年──待ったのですから」

 そしてルミルラはヴァロウの前で膝を折り、忠誠を誓う。

 長かった……。ようやく念願叶い、師匠とくつわを揃えて戦うことができる。

 それだけで胸が弾み、つい笑みが浮かんでしまった。

「待て、ヴァロウ」

 待ったの声にルミルラは顔を上げる。彼女の加入に反対したのはベガラスクだった。

「その女を我が魔族の列に加えると言うのか」

「ああ。俺はそれでいいと思っている。こいつは魔族になったのだからな」

「だが、元は人間だぞ」

「それでも、こいつには利用価値がある。いずれわかる」

 噛みつくベガラスクをヴァロウはあっさり退けた。

 ベガラスクもそれ以上追及しない。どうやらぜっせんでヴァロウに勝てないことは、先ほどの問答で悟ったようだ。

「どんな理由があろうとも、オレは認めんぞ。いずれ本国に帰った時に、お前の行いの数々を魔王様に報告させてもらう」

「構わん。お前は、そのためにいるのだろう?」

 ベガラスクのようにヴァロウの行動を疑問視する魔族は、本国にはたくさんいる。そもそもヴァロウの敵は人類軍よりも、身内の中の方が多い。魔王の副官になりたい魔族は、ごまんといるのに、十五歳のまだ若い人鬼族ワーオーガがその任にいているのだ。いわばしっである。地位や名誉を欲しがる点は、魔族も人間も変わらなかった。

 魔王がヴァロウの次に若いベガラスクを第四師団に決めたのは、勢いなどではなく、そうした勢力に配慮してのことであった。今、魔族を二つに分けてはいけない。魔王ゼラムスもまた、劣勢の魔族をまとめるのに必死なのだ。

 ガキィ────ン!!

 突如、鉄を打ち付けるような音が響く。

 何かと思い、皆の注意がそちらに向くと、城壁にザガスが立っていた。

 ベガラスクとヴァロウの問答に加わらず、何をしているかと思えば、城壁の外を眺めている。

「どうした、ザガス!」

 尋ねた直後、そのベガラスクの耳にも馬のひづめの音が届く。

 エスカリナが補給部隊を連れてきたのかと思ったが、規模が違う。

 一万、いや二万以上はいるかもしれない。いずれにしろ大軍勢である。

 急いでベガラスクは城壁を駆け上がり、壁外を望むと、やはり軍が迫ってきていた。

 そのはたじるしはリントリッド本国軍のものだ。

「まさか────。先ほどのヤツらの本隊か!」

 ベガラスクは息を呑み、横でザガスは顎をさすった。

「くかかか……。これは楽しそうな戦いになりそうだぜ」

 ザガスは大層嬉々としていたが、あまりに劣勢だ。

 こちらはすでに一五〇〇を切り、魔物を合わせても、精々二四〇〇といったところだろう。しかも大きな二連戦を終えたばかりで、どの兵も疲弊している。

 対して相手は二万の大軍勢。装備は万全で、士気も高い。

 勝負は戦う前から決していた。

「それでもオレは、一匹でも人間の首を狩り、魔王様に捧げるだけだ」

 ベガラスクは爪を伸ばす。

 雄々しく吠えようとした時、熱くなる第四師団師団長に冷たい言葉が浴びせられた。

「落ち着け、ベガラスク」

 少し遅れて、ヴァロウが城壁の上にのぼってくる。

 大軍勢の中に人の姿を捜した。すると軍の中央より少し後ろ、輿こしに乗った男の姿を捉える。

 大柄だが、武具をまとっておらず、まるで喪服のような服を着ていた。

 遠目にも関わらず、男はヴァロウと目が合うと、軽く帽子を取ってしゃくする。顔を上げた時の男は、口端を歪めて笑っていた。

 ヴァロウは拳を握り込む。冷たい表情が珍しく熱くなっているように、側のメトラには見えた。

「この軍勢の前に落ち着いてなどいられるものか!」

 ベガラスクの声にヴァロウはハッと我に返る。

「それとも、これもお前の手の平の上ということなのか?」

「……まあ、そんなところだ」

 ヴァロウがそう返答した瞬間、無数の大きな影が地上を滑っていく。

 その気配に気付き、ベガラスクは鼻頭を空に向けた。

「な! 飛竜か!!

 無数の飛竜が空を飛び、しかもその背には竜騎士がまたがっている。

 その数はバルケーノの竜騎士部隊の数をはるかに超えていた。

 優に三〇〇騎近くはいるだろう。空が黒くなるほどの飛竜が舞い、地上に無言の圧力を与えていた。

「ヴァロウ! あっちからもだ」

 ザガスが指を差す方向に、人間の軍勢があった。

 その旗印は、同盟軍のものだが、中には別の紋章も混じっている。

 ヴァルファル城塞都市のものだ。

 南から迫る本国軍も、西側から迫ってきたヴァルファル軍に気付いた。

 中央の黒服男が手を上げ、行軍を一旦停止させる。

 一触即発のままメッツァーの南で、突如睨み合いが始まった。

「ルミルラ。早速、お前の仕事だぞ」

「わかっていますよ」

 ヴァロウが言う前に、ルミルラは動いていた。

 早速、城門から出て行く。

 ヴァロウはザガスに命じて、唯一無事だった第一の城門を閉じさせた。さらに魔狼族ワーグに裏に潜むように指示を送り、ザガスに角を隠すように命じる。

 一方でルミルラは自分の領軍と合流した。領主の元気そうな姿を見て、喜び、咽び泣く者もいる。

「絶対あなた様は生きていると思っておりました」

 秘書も膝を折り、領主の無事を泣いて喜ぶ。その肩にルミルラは手を置いた。

「あなたも、そして皆もよく耐えてくれました。ありがとう。──ですが、どうかもう一踏ん張りしていただきたい」

「もちろんです、ルミルラ様。我々はそのためにやってきたのですから」

 ヴァルファル軍の兵士たちは笑った。

 空で飛竜がいななき、竜騎士たちも槍を振って応える。

 ルミルラはヴァルファル城塞都市をつ前に、秘書と軍に向けて置き手紙を残しておいた。

 自分に何かあった時のための策である。一つはどのような脅しにあっても、ヴァルファル城塞都市は魔族との戦さに荷担してはいけないということ。今、戦っても利益がないことを説いた。二つめは戦いが決着し、本国軍が介入するようなことになれば、全軍をもって阻止すること。同盟がかいすれば、本国に対抗する勢力がなくなってしまうことを解説した。

 ルミルラの部下たちは、その二つの策を忠実に実行する。

 それはひとえに、バルケーノとはまた違った彼女の人徳がなせる技だったのだろう。結果ルミルラとヴァルファル軍の再会は叶ったのである。

 ヴァルファル軍の数は約五〇〇〇。二万の兵に対しては、まだまだ少ないが、魔族軍とは違い、身体は充実し、領主が隊列に戻ったことにより士気も高い。

 ルミルラの父が治めたメッツァー城塞都市を背にして軍を動かし、本国軍と向かい合う。その姿はせいかんそのものであり、二万の兵を前にしても、全く恐れていない様子であった。

 先だってルミルラは軍の先頭に現れる。

「私はヴァルファル城塞都市領主ルミルラ・アノゥ・シュットガレン。メッツァー城塞都市の領主バルケーノの娘です。あなた方は本国の方だとお見受けしますが、どのような用向きで我が同盟領にやって来たのでしょうか? ご回答いただきたい」

 ルミルラが声を張り上げると、しばらくして人垣が割れ、例の黒服男が現れた。

 その異様な姿に、ルミルラは眉をひそめる。

「私の名前はダレマイル・ゼノ・チューザー。本国軍総司令官を務めております。どうぞお見知りおきを、閣下」

「チューザー……。まさか上級貴族の────」

「如何にも……。ですが、ここでは爵位はお忘れください。軍の規定にもそうあるはずです」

 ダレマイルは「ふぉふぉふぉ」と腹を叩きながら笑うが、ルミルラは付き合わなかった。

 ただ背後に控えるヴァロウとメトラのことを考える。真相はルミルラも知らないが、メトラ王女の殺害とヴァロウの処刑に、上級貴族たちの手引きがあったという噂は、本国に住んでいた時に何度も聞いた。

「ではダレマイルげいにお尋ねしたい。何故、本国軍が同盟に許可なく、今ここにいるのでしょうか? 少なくとも私が知るところにはないのですが……。それとも本国──あるいはあなたが、同盟と交わした規定をお忘れになったと言うのですか?」

「失礼いたしました。越権の無礼をお許しください、領主殿。私はこの近くで大規模な演習を行っていたところ、メッツァーに火の手あり、という知らせを受けました。バルケーノ殿と私は知己の間柄でして、これはお助けせねばと思い、せ参じた次第です」

「あなたと父が……」

 ルミルラは目を細める。

「ご存じありませんか? まあ、娘のあなたには言えないお付き合いというのもあるでしょう」

「……わかりました。助太刀感謝いたします。ですが、ここは同盟領です。同盟の中のことは、同盟内で処理する。今までも、そしてこれからも」

「ほう。さすがは『竜王』バルケーノのご息女様だ。怒った顔に、バルケーノ様の面影がある」

 ダレマイルは歪んだ瞳を光らせ、ルミルラの肢体を舐めるように見つめた。

「村娘のような服を着ていても、あなたはお美しい」

「あ、ありがとうございます」

「しかし、大丈夫ですかな。あなたはまだ若い。同盟の状況は理解しているつもりです。ルロイゼンとシュインツは魔族に落とされ、ゴトーゼンとテーランは幽霊都市となった。そしてメッツァーもまたそれに加わろうとしている。違いますか?」

 ダレマイルの瞳が再び妖しく光り、その大きな歯を小さくき出す。

 どうやらバルケーノが魔族に討たれたことと、すでにメッツァー城塞都市が魔族によって占拠されたことを知っているような口振りだった。少なくともメッツァーの都市機能が、完全に停止していることは確認しているらしい。

 やがてダレマイルは駄目押す。

「もはや同盟はヴァルファル城塞都市のみ。果たして、あなたが治めるヴァルファルだけで、魔族を追い払い、同盟領を維持することは可能なのでしょうか?」

「回りくどいですね。はっきり仰ったらどうですか?」

「ふふ……。では──本国の支援を受け入れなさい。悪いようにはいたしません。──ん?」

 ダレマイルは突如顔を上げ、城壁の方を見つめた。すんすんと鼻を利かせる。

「何やら悪魔の臭いがしますぞ」

「さあ、私にはなんのことかわかりかねますが……」

「なるほど。わかりました。今の私の忠告は忘れてください」

「よろしいのですか?」

「よろしくはありませんが、まあ、良いでしょう。ここは退きます」

 ダレマイルは拍子抜けするぐらいすんなりと、全軍に撤退を命じる。

 全軍が東を向き、本国方向へと去って行った。

 ダレマイルの輿もまた、動き出すと、パタパタと手を振って、言葉を残す。

「ああ……。そうそう……。ルミルラ閣下」

「なんでしょうか?」

「我が軍の一部が同盟領に入って、戻ってきません。何か心当たりはございませんか?」

「さて、私にはさっぱり……。ですが、もし我が領内に無断に本国軍が入り、都市に対して略奪行為をしたとすれば……」

「すれば……?」

「本国は同盟に対し、翻意ありと見るべきかもしれませんね」

「なるほど……。よくわかりました。またお目にかかりたいものですな、ルミルラ閣下。できれば戦場ではなく、輝かしき社交界の場でも」

「私はあまりそういう場は好みません。竜と戯れている方が似合う田舎娘です」

「ふぉふぉふぉ……。ならば、私の寝具の上ならいかがですか?」

「…………」

「失礼。これは失言でした。気にさわったのなら、謝ります」

「謝罪を受け入れましょう。しかし、一つ覚えておきなさい


 上級貴族だからと言って、許されぬこともあるのですよ。


 ルミルラの鋭い眼光を、ダレマイルは涼やかに受け止めるのみだった。

 本国軍は大人しく去って行く。

 一度も戦端を開くことなく、本国へのにつくのだった。



 本国へ帰る途上、ずっと黙っていたダレマイルの補佐官チェッカーが口を開いた。

「よろしかったのですか、ダレマイル猊下」

「いやに引き際が早かった……と言いたいのですね、チェッカー」

「恐れながら」

「ふむ。理由はいくつかあります」

 一つはヴァルファルの動きが予想よりも速かったことだ。

 あのタイミングでヴァルファルの軍が出てくるとは、ダレマイルも予想していなかった。

 相手は高々五〇〇〇だが、中には竜騎士部隊も含まれている。

 同盟との対決を予測し、対策は整えてはいたが、真っ正面からぶつかれば、こちらの損害も少なくはないと、ダレマイルは試算した。

 二つめはメッツァーの中にいた戦力が不明という点である。

 数は少ないだろう。精々二〇〇〇といった所だ。だが、バルケーノが飼っていた巨竜の姿がない。つまり、その竜を討伐できるほどの戦力が、城門裏に潜んでいるということになる。

 その予測が正しければ、たとえ二万の兵で押し通っても、全体の三分の一の兵が削られることになるだろう。さらには籠城戦も考えられる。本国から遠く、へいたんも伸びた状態で攻城戦は少しキツい。

「それに、幾ばくか嫌な予感もしました」

 ダレマイルは珍しく顔を曇らせた。

 丸く赤黒い瞳に焼き付いていたのは、城壁の上に立っていた青年だ。

 おそらくは人鬼族ワーオーガだろう。あの油断のない表情。かなりの場数を踏んできた軍師であることは間違いあるまい。それに何故か一瞬、あの顔を見て、ある軍師を思い出してしまった。

「あのヘーゼル色の瞳……。美しかったですねぇ」

 ゾクゾクと背筋を動かす。ダレマイルの顔は射精後のようにこうこつとしていた。

 チェッカーがその顔を見た瞬間、反射的に目を背ける。首筋に手をかけると、汗が滲んでいた。

 襟元を少し開けながら、輿の上のダレマイルをそっとのぞき見る。

 まるで巨大な大蛇が輿に乗っているようであった。